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日本映画の主題歌 あゝ洞爺丸

日本映画の主題歌 あゝ洞爺丸

歌 / 渡辺はま子
作詞 / 吉川静夫
作曲 / 清水保雄

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洞爺丸事故 1954年に日本の函館港沖で発生した海難事故 / 洞爺丸事故(とうやまるじこ)は、1954年(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号(洞爺丸台風)により起こった、日本国有鉄道(国鉄)の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。死者・行方不明者あわせて1155人[注 1]に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となった。本事故を題材とした作品 / あゝ洞爺丸 (1954年に公開された東映製作の映画。監督は小沢茂弘。) (Wikipedia)

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あゝ洞爺丸

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洞爺丸事故 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

渡辺はま子 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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父の遺品から67年前の文集発見

父の遺品から67年前の文集発見

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父の遺品から67年前の文集発見
2021-11-12 掲載
(網走市/歴史網走の男性)
訓子府町にあった南訓小中学校(小学校は昭和47年、中学校は同41年に閉校)で67年前に発行された文集「しらかば」創刊号を、網走市の男性が発見した。文集は茶褐色に変色しているものの、破れや折れなどはなく良好な状態。男性は、複写した創刊号を南訓校の卒業生らに送ったところ「泣きながら読まれた方もいました」という。
訓子府の南訓小中学校「しらかば」創刊号
児童・生徒の思い現代に伝える
創刊号の表紙
文集「しらかば」は、昭和29年11月に創刊。当時の古川信美校長の子どもで、網走市に住む79歳男性が発見した。「父の遺品を私の自宅で整理していた時に偶然見つけました」と振り返る。発行から70年ほどが経過しているため変色しているが、破れたり、折れている部分は皆無だ。
創刊号は30ページ。ガリ版印刷で、子どもたちが考えた句や詩、作文など約30作を掲載している。文集を作成した目的について、当時の古川校長は創刊号の巻頭ページで「作文を通して、人間を磨くための一端として、此処に文集刊行の計画を樹てて(原文ママ)くれたことは、誠に喜ばしい次第」などと記し、言葉と文字で表現することで「人間をみがく」ことに重点を置いたようだ。
収録作品の一つで作文「荒れ狂う夜海で死んだ兄さん」(中1の女子生徒)は、青函連絡船・洞爺丸の転覆事故で兄を失った切ない心情が書かれている。洞爺丸事故は、この文集が創刊される2カ月ほど前の昭和29年9月26日に発生し、死者行方不明者は1155人で日本海難事故史上最大とされる。
このほか、小6男子児童の作文「網走まで」は、学校行事としての鉄道旅行の思い出を綴った。
「美幌あたりまで行ったら、もう網走に着くかと思って、汽車には、もうじっとしてられなかった〜中略〜女満別あたりにいった時、湖がちらくと見え出し、僕達は、海だとばかり思っていると、それは、違って、湖であった。これで湖なら海はどの位でかいと思って、なほく早く網走に着けばいゝと思った」などと記されている。
当時の訓子府の子どもにとって網走は遠い所にあり、海を実際に見る機会は少なかったことがうかがえる。
男性は複写した創刊号を南訓校の卒業生数人に送ったところ「涙を流しながら読み進めたという人もいました。発見できてよかったです」と喜んでいる。(大)
(経済の伝書鳩)7

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新江繁規さん 激戦地ガダルカナル島の日章旗

新江繁規さん 激戦地ガダルカナル島の日章旗

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兄ちゃん、お帰り
2021-11-10 掲載(北見市/社会)
北見市常呂の新江繁規さん遺品
太平洋戦争で旭川の陸軍支隊に所属し、激戦地ガダルカナル島で1942(昭和17)年に戦死した、北見市常呂の新江(あらえ)繁規さんが戦地で持っていた日章旗が6日、同市在住の妹ら遺族のもとに返還された。旧日本兵の遺品返還を進める米国の非営利団体OBON(オボン)ソサエティが日本の遺族会の協力を得て実現。81年を経て故郷に帰ってきた兄の生きた証を握りしめ、妹達は「兄ちゃんに会えた」と涙を流し、受け取った。
約80年経て日章旗が妹らの元へ
激戦地ガダルカナルで戦死
米国OBONソサエティの仲介で返還
遺族の3姉妹と仲介したOBONソサエティの工藤さん(左)
 当時の常呂村豊浜の新江家に生まれた繁規さんは20歳で徴兵検査に合格し、21歳で旭川の部隊に入営するため、働いていた夕張炭鉱を出征。その際に同僚らが寄せ書きした日章旗と思われる。武運長久、七生報國など気持ちを高ぶらせる言葉が並ぶ。
そのとき13歳だった三女の中股かず子さん(93、北見市常呂)は、いったん故郷・常呂に帰ってからの出征を網走駅まで見送りに行った。五女の渡部規子さん(85、江別市)は6歳で「お風呂に入れてくれたり、いい人でした」、六女の工藤早苗さん(80、札幌市)は「市松人形を買ってくれました」とそれぞれ思い出を語る。
新江さんは旭川で一木支隊に配属。OBONソサエティと日本遺族会常呂支部によると「一木支隊には、この地方からかなり配属になり、熊部隊と呼ばれ強健で、畏れられた」という。42(昭和17)年8月に空港奪還の命令でガダルカナル島に上陸侵攻したが、まちぶせに遭い、先発隊の多数が壊滅した。
元米軍パイロットの米ルイジアナ州に住む親族がテレビで遺品返還の活動を知り2019年に同団体に連絡。札幌在住の同団体日本スタッフ・工藤公督さんが「新江という珍しい名前を頼りに」探し出したそう。道内では4例目の返還となった。親族は米国から遺族宛に「心のくぎりとなりますように」とビデオメッセージを寄せた。
6日、市常呂老人いこいの家に妹ら家族3人が集まり、辻直孝市長を通じて返還された。同遺族会の土本勝昭常呂支部長が「お兄さんが帰って来たね」と声を掛けると、中股さんは涙を旗で隠した。そして「兄の形見であり宝ものです。仏壇に供え、みんなで兄ちゃんをしのびたい」とお礼の言葉を述べた。(寒) (経済の伝書鳩)

ガダルカナル島の戦い 1942年にソロモン諸島のガダルカナル島で日本軍と連合軍が行った第二次世界大戦中の戦い / ガダルカナル島の戦い(ガダルカナルとうのたたかい、Battle of Guadalcanal)は、第二次世界大戦において1942(昭和17)年8月以降日本軍と連合軍が西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いである。ミッドウェー海戦と共に太平洋戦争における攻守の転換点となった。日本側は激しい消耗戦により、戦死者だけでなく兵員に多数の餓死者を発生させたうえ、軍艦、航空機、燃料、武器等多くを失った。 (Wikipedia)

関連サイト

旧日本兵の日章旗、古里の常呂に住む妹へ 元米兵の親族が保管 道内4例目 – 北海道新聞社

北見市出身の男性 日章旗が79年ぶり 遺族に返還 – NHK

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高浜虚子 オホーツクの句碑

高浜虚子 オホーツクの句碑

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連載 オホーツクの句碑
2021-11-09 掲載
(北見市/本誌連載・歴史)
皆降りて 北見富士見る 旅の秋
俳人・高浜虚子 JR留辺蘂駅前広場
碑文には「列車の窓越しからわずかに見えた北見富士を、停車中のプラットホームにわざわざ降り立って、その端麗な姿をあらためて遠望した様子であろう」とある。
高浜虚子(本名・高浜清)は、1874(明治7)年愛媛県生まれの俳人・小説家。近代俳句の代表的な俳人の1人として知られている。正岡子規に俳句を教わり、正岡子規の友人が創刊した俳誌「ホトトギス(ほととぎす)」を引き継いだ。「ホトトギス派」は数多くの俳人を輩出し、一大勢力となった。北見の俳人・唐笠何蝶は、門下生。
虚子は全国各地で俳句の指導や講演を行っており、句碑の俳句も1933(昭和8)年に旭川で開催された俳句の大会に講師として訪れ、層雲峡での吟行後に駅を訪れた時の作品と見られている。
句碑は線路が見える場所に設置され、虚子が訪れたことを伝えるとともに、到着する列車を迎え続けている。(菊) (経済の伝書鳩)

高浜虚子 日本の俳人、小説家 / 高浜 虚子(たかはま きょし、旧字体: 高濱 虛子、1874年〈明治7年〉2月22日 – 1959年〈昭和34年〉4月8日)は、明治・大正・昭和の3代にわたる俳人・小説家。本名は高浜 清(たかはま きよし、旧字体: 高濱 淸)。 (Wikipedia)

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オホーツクの句碑 の検索結果 美幌音楽人 加藤雅夫

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美幌警察署 津別交番について

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美幌警察署津別交番で開所式
2021-11-09 掲載(津別町/社会)
署員4人の24時間勤務体制に
美幌警察署津別交番が津別町旭町7に完成し、2日に開所式が行われた。
津別交番は津別駐在所跡で改築が進められ、10月1日付で活汲駐在所を廃止・統合する形で業務を開始。駐在所から交番に格上げされたことで、署員4人による24時間の勤務体制になった。
式では、警察署の鈴木一喜署長が「木目調の温かい感じがする交番。地域の安心安全を確保する拠点。コミュニティスペースとしても利用できる。ぜひ交番に足を運んでいただきたい」とあいさつ。来賓の佐藤多一町長が「24時間の見守り体制。心強く感じている」と期待を寄せた。
最後に交番の林健太郎所長が「所員一同、津別の地域安全センターとして犯罪、事故の抑止、町民の生命と身体、財産確保のため全力を尽くす」と決意表明した。(浩) (経済の伝書鳩)

関連サイト

津別新交番仮運用開始のご連絡 – 美幌警察署

美幌警察署津別駐在所 – 津別町

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津別駐在所 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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美幌町図書館で意見交換

美幌町図書館で意見交換

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図書館整備で意見交換
2021-11-04 掲載
(美幌町/社会・文化)
美幌町総合教育会議
老朽化や書架の冷房など課題
町民からはネット環境をの声も
美幌町総合教育会議が10月29日、しゃきっとプラザで開かれ、新しい美幌町図書館の整備などについて意見を交わした。
図書館は1979(昭和54)年3月に完成し、約43年が経過して老朽化。書架に冷房設備がなく、年間5千冊ほど増える蔵書に対応するスペースや、駐車場が不足しているなどの課題がある。美幌町教育委員会は2022(令和4)年度中に基本構想と基本計画の策定を目指している。
整備に向けては、図書館協議会委員らでつくる図書館整備検討委員会が6月から協議。町民を対象に実施したアンケートでは居心地の良い空間や学習スペース、徒歩で行けること、障がい者・高齢者に優しい施設、インターネット環境などを求める声が寄せられた会議では、構成員から「子ども達が安全で安心して学べるスペースが必要では」「図書館に何を合わせるか、機能や役割の検討は幅広い人の意見を聞いて進めてほしい」などの意見が出された。矢萩浩教育長は「ハード面と並行して中身を決めたい」と話した。
会議ではこのほか、児童・生徒の減少に伴う小中学校の最適化についても話し合った。(浩)
(経済の伝書鳩)

関連サイト

美幌町図書館整備検討委員会委員募集のお知らせ – 美幌町図書館

美幌町図書館 BIHORO PUBLIC LIBRARY

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美幌町図書館 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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川嶋辰彦さん死去 秋篠宮妃紀子さまの父

川嶋龍彦さん死去 秋篠宮妃紀子さまの父

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川嶋辰彦 日本の経済学者 / 川嶋 辰彦(かわしま たつひこ、1940年〈昭和15年〉4月20日 – 2021年〈令和3年〉11月4日)は、日本の経済学者。学習院大学名誉教授。国土交通省専門委員。研究分野は空間経済学、統計学、計量経済学。学位はPh.D.(米国ペンシルベニア大学・1971年)。文仁親王妃紀子の父。 (Wikipedia)

関連サイト

秋篠宮妃の紀子さまの父親 川嶋辰彦さん死去 / 皇室 – NHK.JP

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川嶋辰彦 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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日本中国文化交流協会編集月刊誌・日中文化交流 (2021年11月1日 発行)

日本中国文化交流協会編集月刊誌・日中文化交流 (2021年11月1日 発行)

日本中国文化交流協会編集月刊誌「日中文化交流 No.908 2021年11月1日発行」と、人民中国雑誌社の「人民中国 2021年11月号」が送られてきました。日本と中国の皆様へご案内いたします。もし、ご関心がおありでしたら、日本中国文化交流協会へご連絡いただければ幸いです。一般財団法人 日本中国文化交流協会の会員 加藤雅夫 (北海道網走郡美幌町の音楽人 Masao Kato)

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『日中文化交流』 No.908 2021.11.1 目次 / 中国東北で終戦直後を生きた 三木卓 / 第2回日中伝統芸能オンライン交流会 / 報道 (『日中文化交流』誌 目次一覧 – 日本中国文化交流協会)

一般財団法人日本中国文化交流協会(にほんちゅうごくぶんかこうりゅうきょうかい)は、日中友好7団体の一つで民間法人。 経緯 / 1956年3月23日に東京で設立された。 本部所在地 / 東京都千代田区有楽町1-10-1 有楽町ビルデング423 役員 / 会長 黑井千次 副会長・理事長 池辺晋一郎 活動 / 日本と当時まだ国交が無かった中華人民共和国との間での文化交流のための代表団を相互往来させている。また、各種展覧会や学術討議会を相互開催している。 関連項目 / 以下の4人が、設立に中心的な役割を果たした。中島健蔵 仏文学者、千田是也 演出家、井上靖 作家、團伊玖磨 作曲家。 (Wikipedia)

関連サイト

日本中国文化交流協会

一般財団法人 日本中国文化交流協会のフエィスブック

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中国琵琶演奏家ジャンティン(蔣婷) – 美幌音楽人 加藤雅夫

團伊玖磨 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

日中文化交流 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

日本中国文化交流協会 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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人民中国雑誌社の人民中国 (2021年11月号)

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日本中国文化交流協会編集月刊誌「日中文化交流 No.908 2021年11月1日発行」と、人民中国雑誌社の「人民中国 2021年11月号」が送らてきました。日本と中国の皆様へご案内いたします。もし、ご関心がおありでしたら、日本中国文化交流協会へご連絡いただければ幸いです。一般財団法人 日本中国文化交流協会の会員 加藤雅夫 (北海道網走郡美幌町の音楽人 Masao Kato)

中国を知るための日本語総合月刊誌 人民中国 2021年11月号 / 特集
特集 昆明で国連生物多様性会議「地球生命共同体」構築へ / 美しい中国 寧波 貿易で世界とつなぐ港町 (人民中国 2021年11月号)

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人民中国(People’s China)は、人民中国雑誌社が北京で出版する日本語雑誌。日本では東方書店から刊行されている。中華人民共和国政府傘下の紙媒体日本語雑誌としては、2010年時点で唯一のものである。 概要 / 1949年、中国のことを諸外国に知ってもらうための広報誌として誕生。1950年に英語版、1951年にロシア語版、1953年に日本語版が出された。 日本語版 / 北京と東京にオフィスがあり、中国と日本双方で印刷、販売している。時代の変化に合わせて何度かリニューアルしており、現在では日中の相互理解が編集上の重要なコンセプト。オールカラー。 (人民中国 – Wikipedia)

関連サイト

人民中国のウェブサイト

日本中国文化交流協会のウェブサイト

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中国琵琶演奏家ジャンティン(蔣婷) – 美幌音楽人 加藤雅夫

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令和3年11月号 美幌町議会広報

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議会広報 びほろ町ぎかい / 議会を傍聴しませんか 定例会は年4回(3月・6月・9月・12月)開かれ、議場入口にある受付票に住所及び氏名を記入いただければ、どなたでも議会を傍聴できます。 広報の発行は、5月・8月・11 月・2月の年4回です。 びほろ町 ぎかい No.242 令和3年11月1日 発行/北海道美幌町議会 編集/議会運営委員会 (議会広報 びほろ町ぎかい | 美幌町)

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美幌町議会 | 美幌町

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