2018 年 03 月のアーカイブ
2018年(平成30年)3月のアーカイブ
- 2018年03月31日(土) 21:25
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2018年(平成30年)3月のアーカイブ
美幌音楽人 加藤雅夫 〜北海道美幌町でギターとともに〜
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アーカイブ / この項目では、図書館学用語について説明しています。 コンピュータ用語については「アーカイブ (コンピュータ)」をご覧ください。 ウェブ情報のアーカイブについては「ウェブアーカイブ」をご覧ください。 映画用語については「フィルム・アーカイヴ」をご覧ください。 arXivについては「arXiv」をご覧ください。アーカイブ (archive) とは、重要記録を保存・活用し、未来に伝達することをいう。日本では一般的に書庫や保存記録と訳されることが多いが、元来は公記録保管所、または公文書の保存所、履歴などを意味し、記録を保存しておく場所である。(アーカイブ – Wikipedia)
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2018 年 03 月のアーカイブ – 美幌音楽人 加藤雅夫
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日本のギターオーケストラについて
日本のギターオーケストラについて
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ギターアンサンブルは、各種のクラシックギターによる合奏、または合奏を行うオーケストラのこと。ギターアンサンブルは通常のオーケストラと違い、ギターのみで演奏を行う。オーケストラにヴァイオリンからコントラバスまで多様な音階を持つ弦楽器があるように、クラシックギターにもいくつか種類があり、それによってアンサンブルが奏でられる。ギターアンサンブルに使用されるギターは以下の通りである。ソプラノギター、アルトギター 通常、アルトファーストパート、アルトセカンドパートの二つのパートに別れ、ファーストパートが主旋律を、セカンドパートがその装飾を受け持つ。通常のギターより小型で完全5度高い調律になっている。1弦で使用する弦は専用のものである。主にi,m指(人差し指と中指)で演奏する。高音を出すためにボディの一部がへこんでいるのが特徴。プライムギターより一回り小さい。プライムギター 一般的なクラシックギターと同じで、ギターアンサンブルでは主に中音域を担当し、一番技術を要するギターである。アルトチェンバロギター、プライムチェンバロギター アルトチェンバロギター、プライムチェンバロギターはまとめてチェンバロパートと言われることが多い。これらは全体の装飾音を担当し、非常に高い音を出す。通常は、裁縫の指貫に針を通したものを指(親指、人差し指、中指が基本)にはめて演奏する。チェンバロギターのボディはクラシックギターの中で一番小さい。プライムチェンバロギターは、わりと珍しい楽器で、どのギターアンサンブルにも存在するわけではない。チェンバロギターと同じく針で演奏するが、ピックを使い演奏することもある。バスギター アルトギターの1オクターブ低い楽器で、ベースラインの演奏だけでなく、低音域での主旋律やソロを担当することも多い、低音域での花形的な楽器である。主にp指(親指)で演奏する。単音がメインだが、和音を弾くこともある。ボディはプライムギターより一回り大きい。コントラバスギター ギターアンサンブルの中では最低音域のギターで、プライムギターより1オクターブ低い。主にp指で演奏する。単音がメイン。曲の土台をギタロンと共に形成する。ボディはバスギターより一回り大きい。ギタロンの音に芯を与えるかのような役割である。ギタロン チェロのように、エンドピンを使用して楽器を縦に構えて演奏する。弦を親指と人差し指でつまみ、はじいて音を出す。単音がメイン。コントラバスギターと同じ音域を担当する。クラシックギターの中で最もボディが大きく、弦が太い楽器である。弦楽器の仲間でギターでは無い。その他にコントラバス、管楽器(フルート・クラリネットなど)、打楽器(ティンパニ・小太鼓など)が用いられることもある。(ギター・アンサンブル – Wikipedia)
新堀 寛己(にいぼり ひろき Hiroki Niibori、1934年4月17日 – )は、ギター演奏家、新堀ギター音楽院創業者。東京都港区麻布出身。概要 / 少年時代からアンサンブルの音楽に興味を持ち始め、小学校時代からアンサンブル合奏団のリーダーになった。その後、高校時代にはオペレッタを上演。自ら作曲・編曲を行った。青山学院大学文学部卒業。チェンバロ、ピッコロなどの音域に対応したギターの品種改良製品を数多く手がけ、これらは「新堀メソード」と呼ばれるまでになり、1961年にこれが国立音楽大学で採用され、同大学のギター講師に就任した。1964年には後継ギター演奏家を育成するための「日本教育ギター連盟」を創設。更に日本初となるギター演奏の合奏団「新堀ギターオーケストラ」を結成。世界の一流ギターリストや管弦楽団との演奏を大々的に展開し、海外公演も行われた。現在も世界各地を舞台にギターオーケストラ公演を行う傍ら、ギター演奏家の後継者育成に尽力する。(新堀寛己 – Wikipedia)
新堀ギター音楽院(にいぼりギターおんがくいん)は、日本の音楽教室・専門学校を経営・運営する企業。概要 / 世界初・ギターオーケストラの創始者を名乗る新堀寛己によって東京阿佐ヶ谷に創設、新堀ギター教室・新堀音楽専門学校を経営する。会社概要は公式ホームページに記されておらず、通販部門・Niibori Guitar Shoppingの会社概要も公式ホームページにリンクされているのみである。(新堀ギター音楽院 – Wikipedia)
関連サイト
新堀ギターアンサンブル<NE> | 新堀ギターグループ – 新堀ギター音楽院
新堀ギターオーケストラ紹介 | 新堀ギターグループ – 新堀ギター音楽院
Dr. Hiroki Niibori – Niibori Guitar World
Niibori guitar orchestra – Hampshire Guitar Orchestra
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Hiroki Niibori の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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日本のオーケストラの日(3月31日)について
日本のオーケストラの日(3月31日。について)
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3月31日 オーケストラの日 / 日本オーケストラ連盟が2007(平成19)年1月に制定し、その年から実施。「み(3)み(3)に一番」「み(3)み(3)にいい(1)ひ」(耳に良い日)の語呂合せと、春休み期間中であり親子揃ってイベントに参加しやすいことから。(3月31日 今日は何の日~毎日が記念日~)
オーケストラ(伊/英: orchestra)は、音楽の一種である管弦楽(管弦楽曲)、または、管弦楽曲を演奏する目的で編成された楽団(管弦楽団)を指す。日本語では後者の用法が主である。概要 / 明治時代に雅楽の用語から転用された「管弦楽」が orchestra の日本語訳(和製漢語)となっており、また、「管弦楽団」もオーケストラと言う。交響曲を演奏する楽団を英語で symphonic orchestra (日本語では英語風にシンフォニック・オーケストラ、あるいは、前半部のみドイツ語風にシンフォニー・オーケストラ/管弦楽団)というが、これは「交響楽団」と訳される。ただし英語で philharmonic orchestra(日本語では英語風にフィルハーモニック・オーケストラ、あるいは、前半部のみドイツ語風にフィルハーモニー・オーケストラ/管弦楽団)との名称もある。philharmonic は「音楽を愛好する」という意味のギリシャ語に由来し、「交響楽団」と意味が異なる。両者の違いは、楽団の維持費が寄付によるかどうかであるとする説もあるが、現状ではオーケストラの名称として曖昧に使用されている。ポピュラー音楽と比べ、演奏に必要な楽員の数が圧倒的に多いため、その存立には演奏収入以外にも経済的根拠が必要であり、それが富裕層の私的財産なのか、公的な補助金なのか、市民らの寄付なのかという違いもあり、名称にまで影響を与えている。(オーケストラ – Wikipedia)
オーケストラの一覧(オーケストラのいちらん)は、職業演奏家が構成員であり、主としてクラシック音楽を演奏する主要なオーケストラの一覧である。(オーケストラの一覧 – Wikipedia)
アマチュア・オーケストラ(英: amateur orchestra)を厳密に定義するのは困難であるし、歴史的にもプロ・オーケストラとアマチュア・オーケストラの明確な垣根が常に存在したとは言えないが、雇用の関係を持って、アマチュア・オーケストラを説明する考え方が主流である。すなわち、楽員が所属団体に雇用されていない形態のオーケストラ団体を、アマチュア・オーケストラである、とするもの。プロ・オーケストラの多くが財団法人であり、楽団員が従業員であることと、区別してのものである。ただし、現実に数多く存在するアマチュア・オーケストラ、プロ・オーケストラの全てが、この説明に当てはまるわけではない。「アマオケ」・「アマチュアオケ」などと省略して呼称されることもある。日本では、日本アマチュアオーケストラ連盟に所属している団体も多いが、連盟とは無関係に独自で活動を行っている団体もまた多い。以下、現在の日本にあるアマチュア・オーケストラの典型例を示す。(アマチュア・オーケストラ – Wikipedia)
日本のオーケストラに関するカテゴリ。(Category:日本のオーケストラ – Wikipedia)
公益社団法人日本オーケストラ連盟(にほんオーケストラれんめい)は、日本に所在する36(正会員25、準会員11)のプロのオーケストラが加盟している公益社団法人。(日本オーケストラ連盟 – Wikipedia)
関連サイト
オーケストラの日2018 | 公益社団法人 日本オーケストラ連盟
公益社団法人 日本オーケストラ連盟 – Home | Facebook
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日本のマンドリンオーケストラについて
日本のマンドリンオーケストラについて
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マンドリンオーケストラは、マンドリン属を中心に編成されたオーケストラ。編成 / 日本ではマンドリンと同じ撥弦楽器であるクラシックギターと擦弦楽器のコントラバス(ただしピッツィカートの使用も多い)を加えた 第1マンドリン 第2マンドリン マンドラ(多くはマンドラ・テノーレ) マンドロンチェロ ギター(クラシックギター) コントラバス による弦楽6部編成が一般的である。マンドリンオーケストラを構成する楽器としては以上のほかにも中音域にヴィオラと同じ音程を持つマンドラ・コントラルト、中・低音域に5コース10弦のマンドリュート(リュート・モデルノ)、マンドロンチェロ以下の低音域にマンドローネがあり、マンドロンチェロの補強を目的としたチェロの使用も見られるが、これらが参加している例は少ない。一方フルートやクラリネットをはじめとする管楽器やティンパニなどの打楽器が加わった編成は比較的多く見られるが、常設のパートを持っているマンドリンオーケストラは少なく、演奏曲目によって賛助出演を仰ぐ方法が主流となっている。団体の名称としてはマンドリンクラブ(マンドリン倶楽部)、ギターマンドリンクラブ、マンドリン合奏団、マンドリンアンサンブル、プレクトラムオーケストラ、プレクトラムアンサンブル、プレクトラムソサエティーなども用いられているが、いずれも演奏時の編成はマンドリンオーケストラの範疇に含まれる(プレクトラムとはピックのこと)。日本への普及 / 日本にマンドリンが伝えられたのは、1894年四竈訥治がイギリス人にマンドリンを贈られ演奏したのが最初といわれている。1901年には比留間賢八が留学先のイタリアからマンドリンを持って帰国し普及に尽力した。詩人萩原朔太郎が比留間に師事しマンドリンを演奏していたのは有名。1915年に武井守成がシンフォニア・マンドリーニ・オルケストラ(後のオルケストラ・シンフォニカ・タケヰ)を設立し、指揮者に瀬戸口藤吉や大沼哲や菅原明朗を招いている(菅原は1930年代以降マンドリン界から一時離れるが、1960年代より復帰し関西マンドリン合奏団に多くの曲を提供する)。オルケストラ・シンフォニカ・タケヰは演奏のみならず研究誌の発刊やコンクール開催などを行い、マンドリン音楽の発展に尽力した。音楽教育者齋藤秀雄のキャリアは、オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ主催の合奏コンクールで、オルケストル・エトワールを指揮して入賞したことから始まっている。また大学でもマンドリンクラブが相次いで設立されるようになり、1910年には慶應義塾大学・同志社大学で、1913年には早稲田大学で、1917年には関西学院大学で、1920年には九州帝国大学(現在の九州大学)で、1921年には北海道帝国大学(現在の北海道大学)で、1923年には明治大学でマンドリンクラブが設立されている。後年のマンドリン音楽の発展には社会人の団体だけではなく、学生団体も大きな役割を果たすことになる。戦時中は各団体とも活動が停滞するが、戦後の復興とともに再びマンドリン音楽も盛んとなる。(マンドリンオーケストラ – Wikipedia)
マンドリンオーケストラ曲とはマンドリンオーケストラによって演奏されることを前提に作曲された楽曲をいう。日本ではマンドリン2部・マンドラ・マンドロンチェロ・クラシックギター・コントラバスによる弦楽6部編成、ドイツではマンドロンチェロを含まない弦楽5部編成が一般的で、これに管打楽器が加わる曲も少なくない。(マンドリンオーケストラ曲 – Wikipedia)
一般社団法人・日本マンドリン連盟(にほんマンドリンれんめい、英語表記はJapan Mandolin Union、略称はJMU)は、日本のマンドリン音楽の普及を目的として1968年に創設された。日本のクラシック・マンドリン関係者をカバーする全国組織としては、JMUのほか大学のマンドリン合奏団体が集う全日本学生マンドリン連盟があるが、JMUは大学を含む学生と社会人の演奏団体および個人を正会員とする。民間の任意団体であったが2013年に一般社団法人化された。(日本マンドリン連盟 – Wikipedia)
関連サイト
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小林啓一郎氏(JMU 日本マンドリン連盟顧問)年譜 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
マンドリンアンサンブル の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
マンドリンオーケストラ の検索結 ー 果美幌音楽人 加藤雅夫
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北見ルーテル教会(北見聖ペテロ・ルーテル教会)について
北見ルーテル教会(北見聖ペテロ・ルーテル教会)について
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ステンドグラス最後のライトアップ 北見ルーテル教会 建物改修で見納めに / 25年前に牧師夫人が描き 最後まで明かりをともし続けたい / 北見市公園町の北見ルーテル教会(旧北見聖ペテロ・ルーテル教会)は4月1日のイースター(復活祭)に向けて、教会の窓に描かれたステンドグラス画のライトアップを行っている。建物の改修が決まっており、これが見納めとなる。通り掛かった市民は、鮮やかな中にもやさしい明かりに見入っている。イエスキリストの復活を表現したこのステンドグラス画は1993年から5年間、同教会に赴任した牧師の夫人が描いたものだそう。同教会代表の男性によると、今から25年ほど前、かつてユースホステルだった建物を譲り受けてまもなくの頃で、美術大学出身で絵心のあった夫人が、教会らしさを創出したようだという。道路に面した1階の窓にはキリスト教の象徴の魚「ジーザス・フィッシュ」をはじめブドウや麦、ユリの花など聖書に縁のあるモチーフを描いている。オリジナルのデザインと思われ「’93.8」とサインが添えられている。転居後も訪れては加筆したようで00.4、03.5と記されている。階段の踊り場にある縦3メートル、横1.5メートルほどの窓にはイエス・キリストのモザイク画が大きく描かれている。西日を受ける頃には内側の壁に、キリストがガラス越しの光とともに現れ“復活”。一晩中行うライトアップは4月中旬までで、引き込まれそうに美しい姿をたたえる。建物の老朽化に伴い、教会は4月中旬に取り壊され、建て替えられる。男性は「20年ほど北見のまちを見守ってきました。最後まで明かりをともし続けます」と、この機会の観賞を呼び掛ける。教会内部も観覧できるイースター礼拝は31日午前10時半、現会堂最終の感謝礼拝は4月14日同時刻から行われ、誰でも参加できる。場所は東陵運動公園に近い野付牛通沿い。(寒)(2018年3月29日の記事 経済の伝書鳩)
宗教法人日本ルーテル教団(しゅうきょうほうじんにほんルーテルきょうだん、Japan Lutheran Church、JLC、NRK Nihon Ruuteru Kyoudan)は、日本におけるルター派の宗教法人。(日本ルーテル教団 – Wikipedia)
復活祭(ふっかつさい、ギリシア語: Πάσχα、ラテン語: Pascha、英語: Easter、ドイツ語: Ostern、ロシア語: Пасха)は、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教において最も重要な祭。多くの教会で特別な礼拝(典礼・奉神礼)が行われるほか、様々な習慣・習俗・行事がある。正教会ではギリシャ語から「パスハ」とも呼ぶ。カトリック教会では「復活の主日」とも呼ばれ、聖公会、プロテスタントなどでは「復活日」(ふっかつび)や、英語から「イースター」とも呼ぶ。「復活節」(ふっかつせつ)は、西方教会において復活祭からの一定期間を指す用法の他、プロテスタントの一部で復活祭(復活日)当日を指す用法がある。(復活祭 – Wikipedia)
イクトゥス(イクテュス、ichthys ichtus、ギリシャ語: ΙΧΘΥΣ/ ἰχθύς 発音 [ikʰtʰýs]) は、弧をなす2本の線を交差させて魚を横から見た形に描いたシンボルである。初期のキリスト教徒が隠れシンボルとして用いた。英語では、イクサス (ichthys, ichthus[ˈɪkθəs]) のほか、ジーザス・フィッシュ (Jesus Fish) やクリスチャン・フィッシュ (Christian Fish) とも呼ばれている。頭文字の符牒 / イクテュスはギリシャ語で「魚」という意味を持つが、同時にΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものでもある。(イクトゥス – Wikipedia)
今年は「きよしこの夜(聖夜)」が誕生して200年です。皆さんも原曲(ドイツ語)“Stille Nacht, heilige Nach”をギター伴奏で歌ってみましょう。そして、この1年をかえりみて、純なる聖なる気持ちをもって生きてこれた事への喜びと感謝を込めたいものです。追記 / 1996年(平成8年)、178年前の「きよしこの夜(聖夜)」の楽譜を入手した。この楽譜には歌詞が6番まで書き込まれ、日本版の「きよしこの夜」とはメロディーの1部も違うなど興味深いものとなった。そこで「ぜひ、原曲を知ってもらおう」と考えて、12月23日、北見市内の教会で演奏会を開催。1996年12月23日 、「きよしこの夜(聖夜)物語」コンサート、会場 北見聖ペテロ・ルーテル教会(北見市公園町) 出演 オホーツクマンドリンアンサンブル この曲が作られた当時に限りなく近い状況を再現できました。男声2重唱(ドイツ語)は齋藤衛牧師と研修中の宮澤重徳神学生。合唱は、会場のみなさん~素晴らしいクリスマスプレゼントでした。北見聖ペテロ・ルーテル教会は来年50周年です(1958年開設)。北見室内管弦楽団の練習場所です(月・木 1930~2130)。齋藤衛(さいとうまもる)牧師は、現在、東京ルーテルセンター教会の牧師・日本ルーテル神学校専任講師・日本ルーテル教団神学院院長として活躍。心理学修士。宮澤重徳(みやざわしげのり)神学生は、旭川聖パウロルーテル教会の牧師として活躍中。(残疾人歳時記 – 美幌音楽人 加藤雅夫)
関連サイト
日本ルーテル教団北見聖ペテロルーテル教会 – Facebook
東京ルーテルセンター教会 ~今日のみ言葉~ – ホーム | Facebook
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Stille Nacht, heilige Nacht きよしこの夜 200周年 記念館 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
北見聖ペテロ・ルーテル教会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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団塊の世代について
- 2018年03月30日(金) 0:31
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, スポーツ, 健康・福祉, 北海道, 北海道人, 国際, 日本, 映画, 美幌町, 観光, 音楽
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団塊の世代について
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団塊の世代(だんかいのせだい)とは、日本において、第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代を指す。焼け跡世代(あるいは戦中生まれ世代)の次の世代に当たり、第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のことである。第一次ベビーブーム世代とも呼ばれる。日本経済においては第二次世界大戦後の高度経済成長、バブル景気を経験している。この用語は堺屋太一の小説、「団塊の世代 (小説)」に由来している。厚生労働省は、その白書において「団塊の世代」ではなく、「団塊世代」は「団塊世代(1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)生まれ)」としている。日本の医療制度上は、前期高齢者(65~74歳)に該当する世代である。この3年間の年間出生数は260万人を超えている。1947年(昭和22年)生まれは267万8792人、1948年(昭和23年)生まれは268万1624人、1949年(昭和24年)生まれは269万6638人であり、3年間の合計出生数は約806万人にのぼる(厚生労働省の統計)。成長過程 / 引退期・老年期 / 2007年(平成19年)から2009年(平成21年)にかけて、200万人以上と年齢人口の多い団塊の世代のサラリーマンが一斉に定年退職を迎えるため、社会に大きな影響をもたらす危険性が問題視され、2007年問題と呼ばれた。大量退職によるマンパワー不足を回避するため、2006年4月に「改正高齢者雇用安定法」で65歳までの継続雇用を促進する「高年齢者の安定した雇用の確保等を図るため措置」が施行された。これに併せて人材コストを抑えつつ技能を継承する目的で、多くの企業が継続雇用制度を導入することで団塊の世代を再雇用し、多数が就業または再就職している状態が続いた。その結果2006年(平成18年)では83万人いた60歳から64歳の労働者が2009年(平成21年)には142万人にまで増え、さらに65歳以上の労働者も31万人から54万人にまで増加した。このような対策もあり、2007年問題は大きな問題とはならなかったが、その後団塊の世代が65歳に到達する2012年に同様の問題が起こると懸念され、2012年問題と呼ばれた。しかし2017年現在この問題は大きな問題となっていない。彼らの蓄えた技術や能力、人脈を自社で生かすべく、団塊の世代の人材を獲得しようとする企業も現れている。しかし退職後は専門知識を生かし、技術指導者やシニア海外ボランティアとして海外の発展途上国で活躍する者も少なくない。特に、製造業の分野においては、日本のメーカーが培ってきた製造技術を伝授すべく、団塊の世代の退職エンジニアが中国や韓国、台湾の企業に再就職した者もいる。団塊の世代の人口が多い分、年金を受給し始めると大きな負担となることが考えられたため、1990年代から年金問題は発生まで時限性を持った社会問題となり、たびたび改革案が提示された。結果的に給付額の削減と納付額の引き上げが行われ、厚生年金は60歳から受け取れるものの、基礎年金は63歳から65歳受給と、一部の支給開始時期が先送りされた。円高傾向や、豊富な時間と資金力を生かして秘境や辺境、特殊なアトラクションを経験するツアーが人気になっているのも、この世代に見られる特徴である。経済との関連 / 巨大な消費市場 / 地域の担い手として / 2005年(平成17年)頃から近年各地の地方自治体で、団塊の世代を呼び込もうとする動きが盛んになってきた。島根県において、県知事名で約2万人の出身者等を対象に帰郷を呼びかける手紙を送ったことはニュースになった。このほか、北海道においても移住促進活動が盛んに行われている。社会保障 / 団塊の世代の厚生年金の受給が2007年(平成19年)から始まっており、基礎年金の受給も2010年(平成22年)以降始まっている。さらに、2022年頃以降には後期高齢者(75歳以上)となり、一定の部分は社会的入院や要介護者になり、年代とともにその比率は高まっていき、負担がさらに増えるだろうと考えられている。犯罪増加の傾向 / 法務省の発表した犯罪白書の平成20年度版では「高齢犯罪者の実態と処遇」を特集している。この特集は65歳以上及び今後団塊の世代が高齢期に達することを考慮して犯罪増加に警鐘を鳴らしている。(団塊の世代 – Wikipedia)
関連サイト
美幌町高齢者保健福祉計画・第6期介護保険事業計画を策定しました | 美幌町
「遠紋圏域地域医療構想」について | オホーツク総合振興局保健環境部紋別地域保健室
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日本の作曲家 團伊玖磨 (2001年 5月17日) ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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名将 橋本定彦監督しのぶ会について
名将 橋本定彦監督しのぶ会について
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名将・橋本定彦監督しのぶ会 北斗高ラグビー部OBら十周忌に / 厳しかったが今なら理解できる / 北見北斗高校ラグビー部の元監督で、平成20年に62歳で亡くなった故・橋本定彦元校長をしのぶ会が命日の3月26日、北見と札幌、東京、大阪にOBらが集まってそれぞれ行われた。10年経ってもなお「怖かった」と思い出話は尽きなかった。橋本氏は現役当時、全国高校ラグビーフットボール大会で準優勝。教員となりラグビー部顧問として美幌高校を4回、北見北斗高校を12回連続、花園に導いた。転勤後に再び北見北斗高校の校長として赴任し、平成18年に定年退職。同20年、心不全により急逝した。夏合宿でよく利用した市幸町の保養施設・からまつ荘を会場とした北見でのしのぶ会には15人が参加した。出席者の中で最年長で少年ラグビーの指導に熱心な男性(50)の発声で開会。男性(50)は「厳しかったけれど、一歩グラウンドを離れると優しかった」と恩師を振り返った。前日に市議選を終えた森谷隆文さん(42)はここでは一番の後輩。「ディフェンスに力を入れたが守ることは嫌いな先生だった。お前を一番叱った、と後から聞いた。今自分があるすべてです」と語り、幹事としてせっせと先輩達にビールを注いで歩いていた。昨年4月に赴任した同部OBの現監督(46)は「トライは取れなくても、取らせるな、が口癖だった。体張ってタックルしないと後練(あとれん)がきつかった。今ならば理解できるのだが」と名将を振り返った。全国大会の写真や24-0で1回戦を突破した対熊本工業戦のビデオテープを観賞し、監督は「先生にいい報告ができるよう頑張らなければ」と気を引き締めた。(寒)(2018年3月29日の記事 経済の伝書鳩)
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おいしいコーヒーの入れ方について
- 2018年03月30日(金) 0:24
- カテゴリ: 健康・福祉, 北見市, 常呂
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おいしいコーヒーの入れ方について
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常呂「みんなの広場」 おいしいコーヒーの入れ方 / 北見市社協常呂支所のみんなの広場「おいしいコーヒーの入れ方」がこのほど、常呂いこいの家で開かれた。市民16人が参加、コーヒー豆の知識やいれ方を学び、みんなで試飲した。講師はミント宅配便講師の男性。男性はペーパードリップとサイフォンを使い、いれ方次第で味とうまみが変わることなどを指導。参加者はコーヒーを入れるときのお湯の温度について質問するなどし、実際に挑戦。「自分で豆を選び引きたてのコーヒーは最高」などと話していた。(澄)(2018年3月29日の記事 経済の伝書鳩)
コーヒー(オランダ語: koffie[2] /ˈkɔfi/ Nl-koffie.ogg コフィ[ヘルプ/ファイル])は、コーヒー豆(コーヒーノキの種子)を焙煎し挽いた粉末から、湯または水で成分を抽出した飲料。歴史への登場は酒や茶には遅れるが、多くの国で飲用されている嗜好飲料である[要出典]。家庭や飲食店、職場などで飲用され、コーヒーの専門ショップも多数存在する。抽出前の粉末や粉砕前の焙煎豆も、同じくコーヒーと呼ばれることもある。日本語では「珈琲」と当て字されている。世界各国において、コーヒーを提供する場の喫茶店(コーヒー・ハウス、カフェ、カフェー)は近代、知識人や文学、美術などさまざまな分野の芸術家の集まる場として、文化的にも大きな役割を果たしてきた。さらに、貿易規模が大きい一次産品であるため、経済上も重要視されている。大体北回帰線と南回帰線の間(コーヒーベルト)の約70箇国で生産され、アメリカ、ヨーロッパ、日本など全世界に輸出されている。カフェインに代表される薬理活性成分を含むことから医学・薬学の面から研究の対象となっている。(コーヒー – Wikipedia)
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コーヒーの木(コーヒーノキ)について
- 2018年03月30日(金) 0:23
- カテゴリ: オホーツク, 北海道, 北見市, 日常生活
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コーヒーの木(コーヒーノキ)について
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コーヒーの木開花 北見の女性宅で / 「こんなにたくさんは初めて」 実が成ったら飲んでみたい / 北見市内の女性宅のコーヒーの木(コーヒーノキ)が咲き誇っている。香り豊かで可憐な白い花が次々に咲き、女性は「こんなにたくさん花が咲いたのは初めて」と喜んでいる。十数年前に15センチほどの鉢植えを購入。5月になると畑へ植え替え、9月になると鉢に戻して自宅に入れ、愛情を注いだ。高さは1メートルを超え近年は毎年、この時期に花と実を楽しませてくれるという。「花はジャスミンのような香りがして、とっても素敵なんですよ。咲くと1日でしぼんでしまうので残念ですが、今年はたくさんつぼみがあるので、まだまだ楽しめそうです」と女性。市緑のセンターによると、実を採取して豆を取り出し、1カ月ほど乾燥させ、いって、ひくとコーヒーとして楽しめるという。女性は「たくさん実が成ったら、豆を取ってコーヒーを飲んでみたいですね」と胸を躍らせている。(匡)(2018年3月28日の記事 経済の伝書鳩)
コーヒーノキ(コーヒーの木)は、アカネ科コーヒーノキ属(コーヒー属、コフィア属)に属する植物の総称で、主に栽培種(アラビカコーヒーノキとロブスタコーヒーノキなど)を指す。また、多数の野生種がアフリカ大陸西部~中部からマダガスカル島と周辺諸島にかけて分布している。常緑で光沢を帯びた葉と白い花をつけ、鮮やかな赤~紫または黄色の実をつける。種子からコーヒーの原料となるコーヒー豆が採れるため、商品作物として熱帯地方で大規模に栽培されるほか、観葉植物として鉢植えで利用されている。(コーヒーノキ – Wikipedia)
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ソチ五輪で竹内智香選手の雄姿をテレビで見て感激
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第36回JSBA全日本スノーボード選手権大会優勝 網走市立第二中学校の女子生徒
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全日本スノーボード選手権優勝 網走二中2年・女子生徒 / 網走市の網走二中2年女子生徒が第36回JSBA全日本スノーボード選手権大会(14、15日、長野県)の大回転ユース女子の部で優勝した。小学3年生から始めた競技。「大舞台で結果を残せてうれしいです」と顔をほころばせている。大回転ユース女子の部 慣れない本州の雪制し 大舞台で結果残せてうれしい / 北海道地区予選(2月18日、上川管内士別市)を経て全国へ。各地区大会を勝ち抜いた12人と競った。大回転は2本滑った合計タイムで順位を競う。慣れない本州の雪で、前日の回転では転倒したが、大回転では気持ちを切り替えた。1本目55秒793と好タイムで滑走。2本目は58秒671と記録を下げたが、合計1分54秒469と2位に0.3秒の差をつけ優勝した。スノーボードは両親の影響で小学3年生から始めた。6年生の時にソチ五輪で竹内智香選手の雄姿をテレビで見て感激。中1から市内の社会人チーム「パーキングポイント」に所属し、大人に混じって練習を続けている。「雪面を滑る速さ」が好き。憧れの竹内選手の本も熟読しながら、「もっと速く」と努力している。「来年も表彰台に上れるよう、練習を続けます」と目を輝かせている。(玲)(2018年3月28日の記事 経済の伝書鳩)
全日本スノーボード選手権大会(ぜんにほん―せんしゅけんたいかい)は、日本スノーボード協会が主催するスノーボード全国大会である。毎年3月に開催される。(全日本スノーボード選手権大会 – Wikipedia)
竹内 智香(たけうち ともか、女性、1983年12月21日 – )は、スノーボードアルペン選手。 所属は、小嶋アカデミー→ロイズ→広島ホームテレビを経て、現在は広島ガス。来歴 / 北海道旭川市出身。クラーク記念国際高等学校出身。2012年12月21日、自身の29歳の誕生日にカレッツァ(イタリアの旗 イタリア)で開催された2012 – 2013年シーズンの初戦となるパラレル大回転でFISワールドカップ初優勝を飾った。2013-14シーズンは出場したワールドカップ3戦全てで2位に入り、ソチオリンピック直前の世界ランクでは2位にランクインした。2014年2月のソチオリンピックパラレル大回転では、予選を1位で通過し、決勝トーナメントでも安定した滑りで決勝進出を果たす。決勝は世界ランク1位、スイス時代の元チームメイトであるパトリツィア・クンマーと対戦。1本目はクンマーに0.30秒差をつけ逃げ切ったが、2本目の中盤にわずかにリードを許したところで転倒し惜しくも銀メダルとなった[21]。それでも、スノーボード競技では日本人女性初のオリンピックメダリストとなり、アルペン種目では1956年・コルティナダンペッツォオリンピックのスキー回転で銀メダルを獲得した猪谷千春以来、58年ぶりの快挙となった。2018年2月の平昌オリンピック女子パラレル大回転種目に再度選出された。著書 / 『私、勝ちにいきます: 自分で動くから、人も動く』 小学館、2014年7月1日。(竹内智香 – Wikipedia)
関連サイト
Team Parking Point (チームパーキングポイント)
スノーボードショップ parking point (パーキングポイント) トップページ
第36回JSBA全日本スノーボード選手権大会|日本スノーボード協会 公式サイト
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全日本スノーボード選手権大会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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