津別町 カテゴリのアーカイブ

2020年度(令和2年度)食中毒警報第1号 (北見・網走・紋別保健所)

2020年度(令和2年度)食中毒警報第1号 (北見・網走・紋別保健所)

関連記事

食中毒警報の発令について 2020年6月1日 北見保健所より食中毒警報が発令されましたので注意してください! (食中毒警報の発令について – 美幌町のホームページ)

食中毒警報1号 2020/05/30掲載(網走管内/社会) 北見・網走・紋別保健所が / テイクアウト、配達など気をつけて / 北見、網走、紋別各保健所は29日、今年度第1号となる食中毒警報を発令した。高い気温が予想されるためで6月1日まで。新型コロナウイルス対策として取り組む、テイクアウトや配達など食品の取り扱いにも注意を呼び掛けている。 28度以上など高温が予想される状況下は、細菌性食中毒が発生しやすい条件になる。食中毒の予防3原則は①清潔②迅速、冷却③加熱、殺菌。調理前や調理中の手洗い、食器やまな板の消毒を徹底し、食品はできるだけ早く調理して時間を置かず食べることがポイント。 近年の食中毒警報第1号発令日は北見保健所では2014年が最も早く5月12日、以降15年が同29日、16年と17年が同19日、18年と19年が同23日。今年度は前年、前々年より6日遅かったが例年とほぼ同様。 網走地方気象台によると、北見では30、31日に今季初めての「真夏日」が連日予想される。北見保健所は「急な気温の上昇に体がまだ慣れていないので注意して」と話し、まとめて買い出しをした食料品の保管や、コロナ対策としての食品のテイクアウト、配達などにも気を付けるよう呼び掛けている。(寒) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

関連サイト

食中毒警報発令情報 – 北海道庁のホームページホームページ

北見保健所 – オホーツク総合振興局のホームページ

網走保健所 – オホーツク総合振興局のホームページ

紋別保健所 – オホーツク総合振興局のホームページ

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食中毒警報 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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奉迎 天皇皇后両陛下御来町(北海道網走郡美幌町)


奉迎 天皇皇后両陛下御来町(北海道網走郡美幌町)

美幌町立美幌小学校の一年生の私は、最前列で日の丸の旗を振って歓迎した。

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千載一遇の歓喜 豊田町長謹話 町民と共に奉迎 / 十三日天皇、皇后 両陛下の御来町に当たり、豊田町長は十一日次のように謹話を述べている。 天皇、皇后両陛下におかせられましては終戦後はじめて北海道御巡幸を遊ばされることになり八月十三日函館に御上陸、広く道内各地の産業、経済、民情を御観察なさいますが幸いに八月十三日美幌駅前奉迎場に両陛下お揃いで御立寄り戴くことになりましたことは無上の光栄であり感激を深く致している次第でございます。千載一遇とも申すべきこの歓喜を二万五千町民ならびに近隣町村の住民と共に心から御奉迎申し上げ、かつ無事に行幸啓を終えさせられて御還幸なさいますようにお祈り致します。 (1954年(昭和29年)8月11日 美幌新聞 発行人 大庭不二雄)

両陛下奉迎台に立つ とどろく万歳と旗の波 / 天皇、皇后両陛下御来町の十三日は測候所の天気予報をつがえして、いんうつな雨模様はあとかたなく消え去り、満天の青空という絶好の日和に恵まれ、町内は早朝から日の丸の旗に彩られ、駅前奉迎場には午前七時ころから歓迎者が続々とつめかけ、午前九時三十分ごろは千五百坪の広場も沿道も押し寄せた人波で身動きもできないほどであった。 定刻午前十時九分お召し列車が第二ホームに御到着と同時にお祝いの花火が高々と打ち上げられ、木下美幌駅長先行船津旭鉄管理局長御先導で駅正面玄関お姿をみせ林津別町長の御案内で奉迎台にお上りになった両陛下のお顔は長旅の御視察に日焼けが目立つほどであった。とりわけ皇后様にはきょうまで御風邪を召され御安否が気づかっていただけに奉迎者に安ど感を與えるいとまなく自衛隊美幌部隊の音楽隊が奏でる「君が代」斉唱に両陛下は微動もせずお立ちになり、豊田美幌町長の発唱による万歳三唱、これに和する一万数千の奉迎者がのどもさけよとばかりの万歳とちぎれるばかり打ち振る小旗に天皇はカンカン帽を三度、四度振られて応えられ、また皇后もにこやかに御会釈され、午前十時十七分花火の合図とともに美幌駅を離れられたが、両陛下は車窓にお立ちになり奉迎者の歓送するなかを網走市へ向かわれた。 (1954年(昭和29年)8月14日 美幌新聞 発行人 大庭不二雄)

昭和天皇 日本の第124代天皇 / 昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位:1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は裕仁(ひろひと)、称号は迪宮(みちのみや)。お印は若竹(わかたけ)。 第二次世界大戦前に即位し、日本が復興するまで60年余りに亘って在位し、帝国憲法に定められた「統治権の総攬者(そうらんしゃ)=立憲君主」としての天皇と日本国憲法に定められた「象徴天皇」の両方を経験した。 (昭和天皇 – Wikipedia)

香淳皇后 日本の女性皇族 / 香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年〈明治36年〉3月6日 – 2000年〈平成12年〉6月16日)は、日本の第124代天皇・昭和天皇の皇后(在位:1926年〈昭和元年〉12月25日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は良子(ながこ)。お印は桃。 (香淳皇后 – Wikipedia)

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天皇家の皆さま方と美幌峠(美幌町) – 美幌音楽人 加藤雅夫

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両陛下を御歓迎 近衛一連隊が懐かしい 津別町長 林利博


両陛下を御歓迎 近衛一連隊が懐かしい 津別町長 林利博

美幌町立美幌小学校の一年生の私は、最前列で日の丸の旗を振って歓迎した。

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両陛下を御歓迎 近衛一連隊が懐かしい 津別町長 林利博 / 天皇陛下を御尊敬申し上ぐる心情は新憲法で日本の象徴としてのそれもあるが私には特に深い感激が二つある。それはあの悪寒を覚ゆる大東亜戦争終戦の八月中旬、大本営で行われた大東亜戦を続けるか終戦にするかの最高会議が幾日も繰り返された時であった。 勿論、戦争継続を主張して決戦を強調するものは当時幕府的存在であった軍部である。これに対し近衛公外が終戦論であった。この二大主張に対し陛下が国家と国民にこれ以上の犠牲を払わす事は堪えられぬとして断乎終戦を御宣言され軍部側から熱烈な御再考方を奏上されても御決意を変えられず終戦を御決定されたことである当時の言語に絶する難局に処し てあの御明断をお貫きされた懸命の御裁断に私の感激の一つである。 今一つはこれも終戦後初めて占領軍総司令官マッカーサー将軍を御訪問になったのことである。あの当日天皇陛下とマッカーサー司令官が撮された写真を見て今でも忘れられぬのである。 その御会見の時、陛下がマッカーサー司令官に話された話の中でこの大東亜戦争の責任は、この天皇にあり、このことを罪にするなら自分をされたい国民には罪がないという意味のことを強く申されたとのことである。 マッカーサーもそれからは非常に天皇を尊敬し且つその御真実には打たれた由である。初め御迎えにも出なかったのに御迎車の時は玄関まで御見送りしたとのことである。このことを当時東京に在住していた私が消息通からその事実を聞かされた時に私は深く感激したのでそれ以来は心から私は天皇の愛国愛民の御真実と民族への責任感の程が憲法にある象徴以上に身にしみて御尊敬申上ぐる気持ちである。 それに今一つ遠い思出であるが天皇陛下が未だ皇太子であられた大正六年私は近衛一連隊に在隊したことである。その頃皇太子殿下は御年十七、八才であられたが陸軍大尉の御階級で私と同じ連隊であられたので毎月一回は必ず連隊にお出になられた。また私共が東宮御所守備の時等は当時学問所総裁の東郷元帥が御陪乗して御門の御出入をされたが、私共がする部隊の敬礼に対し御答礼の御様子等数々の思い出が誠にお懐かしいものである。 またそのころに皇后様の御父君であられた故久にの宮さんが私共の旅団長であり当時其指揮で部隊活動をした事も今は遠い思い出である。過ぎし昭和十一年秋、大演習の際、奉仕北大での恩寵杯や、二千六百年に宮城前広場での盛大な式典に参列したあの偉観も今は昔の思い出である。今や人間天皇とし全国民に親しまれても時勢の変遷は激しいのであるが人間の真実性と大和民族の正義感とは決して変わるものではない、現に私は新しい時代感覚で天皇に対し強い尊敬と深い親しみを持っている。 心から両陛下の北方の巡路の御平安を祈って止まぬ。 (1954年(昭和29年)8月11日 美幌新聞 発行人 大庭不二雄)

両陛下奉迎台に立つ とどろく万歳と旗の波 / 天皇、皇后両陛下御来町の十三日は測候所の天気予報をつがえして、いんうつな雨模様はあとかたなく消え去り、満天の青空という絶好の日和に恵まれ、町内は早朝から日の丸の旗に彩られ、駅前奉迎場には午前七時ころから歓迎者が続々とつめかけ、午前九時三十分ごろは千五百坪の広場も沿道も押し寄せた人波で身動きもできないほどであった。 定刻午前十時九分お召し列車が第二ホームに御到着と同時にお祝いの花火が高々と打ち上げられ、木下美幌駅長先行船津旭鉄管理局長御先導で駅正面玄関お姿をみせ林津別町長の御案内で奉迎台にお上りになった両陛下のお顔は長旅の御視察に日焼けが目立つほどであった。とりわけ皇后様にはきょうまで御風邪を召され御安否が気づかっていただけに奉迎者に安ど感を與えるいとまなく自衛隊美幌部隊の音楽隊が奏でる「君が代」斉唱に両陛下は微動もせずお立ちになり、豊田美幌町長の発唱による万歳三唱、これに和する一万数千の奉迎者がのどもさけよとばかりの万歳とちぎれるばかり打ち振る小旗に天皇はカンカン帽を三度、四度振られて応えられ、また皇后もにこやかに御会釈され、午前十時十七分花火の合図とともに美幌駅を離れられたが、両陛下は車窓にお立ちになり奉迎者の歓送するなかを網走市へ向かわれた。 (1954年(昭和29年)8月14日 美幌新聞 発行人 大庭不二雄)

近衛師団 大日本帝国陸軍の師団 / 近衛師団(このえしだん、正字体:近衞師團)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。一般師団とは異なり、最精鋭かつ最古参の部隊(軍隊)として天皇と宮城(皇居)を警衛する「禁闕守護」(きんけつしゅご)の責を果たし、また儀仗部隊として「鳳輦供奉」(ほうれんぐぶ)の任にもあたった。 帝国陸軍における軍隊符号はGD(一般師団はD)。太平洋戦争中後期には編制の改編が行われ、最終的には近衛第1師団 (1GD)・近衛第2師団 (2GD)・近衛第3師団 (3GD) の3個近衛師団が編成された。 (近衛師団 – Wikipedia)

昭和天皇 日本の第124代天皇 / 昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位:1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は裕仁(ひろひと)、称号は迪宮(みちのみや)。お印は若竹(わかたけ)。 第二次世界大戦前に即位し、日本が復興するまで60年余りに亘って在位し、帝国憲法に定められた「統治権の総攬者(そうらんしゃ)=立憲君主」としての天皇と日本国憲法に定められた「象徴天皇」の両方を経験した。 (昭和天皇 – Wikipedia)

香淳皇后 日本の女性皇族 / 香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年〈明治36年〉3月6日 – 2000年〈平成12年〉6月16日)は、日本の第124代天皇・昭和天皇の皇后(在位:1926年〈昭和元年〉12月25日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は良子(ながこ)。お印は桃。 (香淳皇后 – Wikipedia)

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1人50枚のマスク配布へ 津別町

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1人50枚のマスク配布へ 2020/04/27掲載(津別町/政治・社会) 佐藤町長が行政報告で / 津別町内の児童・生徒、教職員などに 新型コロナ対策「町独自の支援も効果的に」 交流事業は見送りの方針 / 津別町の佐藤多一町長は、町議会臨時会の行政報告で、新型コロナウイルス感染対策として「教育委員会は5月7日、児童・生徒、教職員など全員に、夏休み前までに必要な分として1人50枚のマスクを配布する」と述べ、予備分を含め1万7200枚を購入したと明かした。 交流を続けている千葉県船橋市や長野県南アルプス市、台湾・二水郷、ニュージーランドとの本年度の交流事業は「見送る方向で協議を進めている」とした。 国が進める生活困窮者への「生活支援臨時給付金」や事業者への「持続化給付金」は「遅延なく実施する。町独自の支援策も機を逸することなく効果的に行えるよう努める」とした。(浩) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

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新型コロナウイルス の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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北海道北見保健所管内のインフルエンザ感染者数について

北海道北見保健所管内のインフルエンザ感染者数について

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インフルエンザ感染者数、異例の少なさ 2020/03/07掲載(北見市/社会)新型コロナウイルスの予防意識高まり / 新型コロナウイルスの感染が広がる中、例年この時期に猛威をふるうインフルエンザの感染者数が全国的に低水準で推移している。北見保健所管内でも患者数が異例の少なさとなっている。同保健所管内では昨年12月8日にインフルエンザの警報(※)が発令されたが、学校が冬休みに入ると沈静化。例年は学校が始まると再び増加に転じる傾向があるが、今冬は少ないままで直近の1週間(2月24日~3月1日)の定点医療機関1カ所あたりの患者数は1.43人となっている。新型コロナウイルスの影響により、インフルエンザ予防とも共通する手洗い、うがい、マスク着用、人ごみを避けるなどの意識が高まったことが影響しているとの見方もある。しかし原因ははっきりしておらず、再び拡大する恐れもあり注意が必要だ。※警報発令基準は1定点医療機関で1週間に30人以上 (柏) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

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北見保健所 – 北海道オホーツク総合振興局のホームページ

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新型コロナウイルス の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

インフルエンザ の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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網走川流域の会の活動について

網走川流域の会の活動について

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網走川流域対策、一体的に 2020/02/18掲載(網走管内/社会) 大空で推進宣言・署名式典 / 網走川流域の津別、美幌、大空、網走の4市町と国、北海道の関係機関は13日、流域の水害対策などに一体となって取り組む推進宣言をした。大空町教育文化会館で署名式典が行われた。網走開発建設部によると、道内では1時間に30㍉を超える雨が降る回数が30年前の約1.9倍に増加。網走川流域でも過去にはんらんや土砂流出、農地崩落などで農林水産業に被害が発生してきた。推進宣言は「人命や財産、産業の安全・安心の確保」をうたい、地域一体で流域の流量を抑制する方策や、土砂流出や農地崩落、環境保全、意識向上の取り組みの推進を掲げている。先行して取り組むべき対策では、河道掘削や河道内樹木の維持管理による治水安全度の向上、植樹による土砂流出の抑制と関係者の意識向上、土砂流出個所予測マップによる農地保全を挙げている。式典では、網走川流域の会の新谷哲也会長が「流域連携への軌跡~農業と漁業から始まった連携」と題して基調講演。4市町の首長らがあいさつし、首長と各機関の代表者が推進宣言に署名した。(浩) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

網走川 日本の河川 / 網走川(あばしりがわ)は、北海道オホーツク総合振興局管内を流れ、オホーツク海に注ぐ一級河川。網走川水系の本流である。 名称の由来 / 先住のアイヌからは、「リンナイ」(波の沢)という名で呼ばれていた。近現代では、網走地方を主に流れる川として「網走川」と呼ばれている。 流域 / 網走郡津別町、美幌町、大空町、網走市の1市3町を流域とする。 各自治体と農漁業団体などでつくる「網走川流域の会」が環境保全などを目的に活動している。きっかけは、2001年9月の台風で濁流が網走湖や河口付近を襲い、漁業(シジミ、ホタテなど)に大きな被害が出たこと。網走市と網走、西網走の2漁協が協議会を設立して上流を調査したところ、各地で農地や山林が崩落していることが原因と判明。国土交通省北海道開発局の協力も得て、崩落対策のほか河川清掃、子供向け啓発を行っている。環境改善により、鮭の遡上が増えるなどの効果が出ている。 (網走川 – Wikipedia)

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網走川流域の会 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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津別町のメール配信システム ささえねっと@つべつ

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津別町のメール配信システム ささえねっと@つべつ

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メール配信システム「ささえねっと@つべつ」は、子供やお年寄りの行方不明情報、日ごろの防災・防犯情報、町内でのイベント情報などのさまざまな情報から、希望する情報を配信するサービスです。このサービスは、メールを受信できる携帯電話やパソコンをお持ちの方であれば受信できますので、是非ご登録ください。 配信カテゴリ / 行方不明情報 行方不明者の捜索・発見情報をお届けします。防災情報 気象警報、地震情報、避難情報等の防災情報をお届けします。イベント情報 津別町内で開催予定のイベントの情報等をお届けします。ヒグマ情報 ヒグマの発見情報をお届けします。 (ささえねっと@つべつ – 津別町のホームページ)

関連サイト

津別町 つべつちょうTsubetsu Town – 津別町のホームページ

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ささえねっと@つべつ の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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A群溶血性レンサ球菌咽頭炎の流行について(警報)

A群溶血性レンサ球菌咽頭炎の流行について(警報)

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A群溶血性レンサ球菌 2020/02/14掲載(北見市/社会) 北見保健所が警報発令 / 北見保健所は12日、A群溶血性レンサ球菌咽頭炎の警報を発令した。2月3~9日の定点医療機関の患者数が警報基準を上回った。15歳以下の子どもに多い感染症で、主に接触や飛沫で感染。発症すると、のどの腫れや痛み、発熱などの症状が現れる。同保健所は手洗いの徹底、熱やのどの痛みがある人との接触を避けるなどの対策を呼び掛けている。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

レンサ球菌咽頭炎またはレンサ球菌扁桃炎(英:Streptococcal pharyngitis、口語的にはstrep throatと呼ばれる)は、A群β溶血性レンサ球菌(化膿レンサ球菌)によって惹き起こされる咽頭炎の一種である[1]。扁桃を含む咽頭に炎症を起こし、喉頭まで広がることもある。よくみられる症状に、発熱、咽頭痛、リンパ節の腫脹がある。小児の咽頭痛の37%、成人の咽頭痛の5~15%がレンサ球菌咽頭炎によるものである。レンサ球菌咽頭炎は感染者との密接な接触によって広がる伝染性疾患である。咽頭培養によって診断を確定するが、治療法は症状次第であるため、必ずしも培養を実施する必要はない。レンサ球菌性であることが強く疑われる症例や確定した症例には、合併症の予防および早期回復のいずれの面からも抗生物質が有用である。 (レンサ球菌咽頭炎 – Wikiedia)

関連サイト

北見保健所のホームページ

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レンサ球菌咽頭炎 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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第6回つべつリコーダーフェスティバル&ファミリーコンサート

第6回つべつリコーダーフェスティバル&ファミリーコンサート

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つべつリコーダーフェス&ファミリーコンサート 2020/02/07掲載(津別町/告知) 津別町民会館で15日開催 / 2月15日 / 第6回つべつリコーダーフェスティバル&ファミリーコンサートが15日(土)午後1時半から津別町民会館で開かれる。主催は町内のリコーダーサークル「RECつべつ」。3部構成のステージで、重奏、合奏を披露する。第2部ではコンクール出場曲「アルペン組曲」「アフリカ組曲第15番」を演奏する。入場無料。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

関連サイト

津別町町民会館(生活改善センター) – 津別町のホームページ

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RECつべつ の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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救急研修会 蘇生措置拒否について

救急研修会 蘇生措置拒否について

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美幌で救急隊員が研修会 2020/01/27掲載(美幌町/社会) 蘇生「拒否」への対応は / 急変時に備え、家族らとの話し合い密に / 美幌・津別広域事務組合消防本部の救急隊員等職員研修会が21日、消防本部で開かれた。田中医院(美幌)の田中克彦院長が、終末期の患者が心肺停止状態になった時に、患者らの意思に基づいて心臓マッサージなどを行わない蘇生措置拒否(DNAR)への対応などについて話した。主催は消防本部と美幌医師会。救急隊員ら54人が参加した。田中院長は「終末期医療について」と題し、医院が取り組む訪問診療と「看取り」の現状について触れた。心肺停止状態の患者の家族が、駆け付けた救急隊に心臓マッサージをやめるよう頼んだが、本人の意向を示す書面がないために蘇生を中止できず、最終的に医師の指示で中止した国内の事例を紹介した。事例の考察として「患者本人と家族の話し合いが不足していた可能性がある。本人・家族と医療・介護チームの状態の悪化に対する情報共有と備えができていたか」と話した。「容体の急変時に備え、悪化する前から家族、スタッフを交えて何度も話し合う必要がある」と強調した。隊員は「容体急変時の接遇の注意点は」などと質問していた。(浩) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

蘇生措置拒否(そせいそちきょひ)とは、終末期医療において心肺停止(CPA)状態になった時に二次心肺蘇生措置(ACLS)を行わないこととされる。DNR (Do Not Resuscitate)、DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)、DNACPR(Do Not Attempt CPR)との略称がある。(原則として行われる)蘇生措置をあえて行わないため、患者と家族の明確な意思表示が要件となる。 原則的に患者およびその家族のQOL(人生の質、生活の質)を改善するためのアプローチ(緩和ケア)である。回復が不能な状態で一時的に命をとりとめても終末期にある患者には蘇生措置自体が負担になる、処置を行う間に家族が患者を看取る最後の大切な時間を失う、などの理由から、患者の負担と看取りにおける家族の悲嘆の緩和が目的である。 具体的には、終末期医療に於いて心肺停止状態になった際、昇圧剤や心臓マッサージ、気管挿管、人工呼吸器の装着などの蘇生処置を敢えて行わない不作為が行われる。 DNRオーダーがあろうとも、CPR以外のすべてのケアは遅滞なく、そしてすべての患者に適切に実施されるべきである[2]。非経口液の投与、栄養、酸素、鎮痛、鎮静、抗不整脈薬、昇圧薬などの介入は、DNRオーダーで具体的に指示されない限り、自動的に除外されることはない。 (蘇生措置拒否 – Wikipedia)

ターミナルケア(英: End-of-life care)または終末医療(しゅうまついりょう)とは、終末期の医療および看護のことである。 (ターミナルケア – Wikipedia)

尊厳死(そんげんし、英語: death with dignity)とは、人間が人間としての尊厳 (dignity) を保って死に臨むことであり、インフォームド・コンセントのひとつとされる。安楽死や蘇生措置拒否 (DNR) と関連が深い。末期がん患者など治癒の見込みのない人々が、クオリティ・オブ・ライフ (quality of life, QOL) と尊厳を保ちつつ最期の時を過ごすための医療がターミナルケア(end-of-life care、終末期医療)である。 QOLを保つための手段として、胃瘻の除去、苦痛から解放されるためにペインコントロール技術の積極的活用が挙げられる。無意味な延命行為の拒否 (DNR) については、実際に死を迎える段階では意識を失っている可能性が高いため、事前に延命行為の是非に関して宣言するリビング・ウィル (living will) が有効な手段とされる。 後述のように法制化されている国がある一方で、生存権を脅かしかねないものとして尊厳死に対して反対・警戒する立場の人もいる。日本では事前に本人による指示書が準備されていても、治療を止めたことで、親族などから殺人だと訴えられる可能性がある。尊厳死のための法律がないため、当事者本人が尊厳死を事前に希望しても人工呼吸器を取り外すことはできないという声が延命治療の現場では圧倒的に多い。 (尊厳死 – Wikipedia)

関連サイト

救急隊員等職員救急研修会【第2回】を開催しました – 美幌・津別広域事務組合のホームページ

関連エントリ

蘇生措置拒否 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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