中欧 カテゴリのアーカイブ

世界シニアカーリング選手権(北見カーリング協会)

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世界シニアカーリング選手権(北見カーリング協会)

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3年連続シニアカーリング世界大会へ 北見カーリング協会 女性(59) / 北見カーリング協会の女性(59)=北見市=が稚内、札幌、帯広の選手と組むチームHokkaidoが、日本シニアカーリング選手権女子の部でみごと3連覇を飾った。ジュニアの指導にも熱心で競技者と二刀流の女性。日本代表として3年連続の世界大会は「今度こそ表彰台に」と意気込む。
日本選手権女子の部で3連覇 ジュニアの指導にも熱心 今度こそ表彰台に / シニアは50歳以上が対象。女性は日本選手権やミックスダブルス選手権で顔を合わせたことのあるカーリング仲間から声を掛けられ、50~70歳代の道内選手とチームを作り、3年前から出場している。近年はシニアのチーム数が増え、勝ち上がるのが難しくなってきているという。第15回日本シニアカーリング選手権は2月14~18日、空知管内の妹背牛町カーリングホールで行われ、女子は6チームが出場。女性がサードを務めるチームHokkaidoは予選リーグ4勝1敗の2位で決勝トーナメントへ。準決勝のaomori戦を5-4で辛くも勝ち上がると、決勝のチーム札幌戦は11-0で快勝した。今年の世界シニアカーリング選手権は4月21~28日、スウェーデンのエステルスンドに16カ国を集め開催。日本女子シニアの今季の世界ランキングは7位で、カナダ、スイス、スコットランドなどが上位を占める。女性は「一昨年の8位、昨年の7位を上回る成績を」と張り切り、「氷の状態を読むアイスリーディングが試合を左右すると思う。経験を生かしがんばりたい」。カーリング歴23年。北見市花月町の河西建設カーリングホールをホームリンクに活動しており、ジュニアの育成にも心を注ぐ。ホールは4月上旬でシーズンオフ。世界戦を前にシーズン最後の初心者カーリング体験会では、人一倍元気な声で熱心に指導していた。(寒)(2018年4月9日の記事 経済の伝書鳩

世界シニアカーリング選手権(せかいシニアカーリングせんしゅけん、英: World Senior Curling Championships)は、世界カーリング連盟(WCF)が主催するカーリングの50歳以上の選手による世界選手権大会。男女共に2002年から毎年3月から4月上旬の期間の間に行われている。男女同会場で行われている。(a href=”https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9″>世界シニアカーリング選手権 – Wikipedia)

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北見カーリング協会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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The Silk Road 3月28日 シルクロードの日

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The Silk Road 3月28日 シルクロードの日

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3月28日 1900年のこの日、スウェーデンの探検家・地理学者のスウェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見された。(3月28日 今日は何の日~毎日が記念日~

シルクロード(絹の道、英語: Silk Road, ドイツ語: Seidenstraße, 繁体字:絲綢之路, 簡体字:丝绸之路)は、中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称である。絹が中国側の最も重要な交易品であったことから名付けられた。その一部は2014年に初めて「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」としてユネスコの世界遺産に登録された。概要 / 「シルクロード」という名称は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが、その著書『China(支那)』(1巻、1877年)においてザイデンシュトラーセン(ドイツ語:Seidenstraßen;「絹の道」の複数形)として使用したのが最初であるが、リヒトホーフェンは古来中国で「西域」と呼ばれていた東トルキスタン(現在の中国新疆ウイグル自治区)を東西に横断する交易路、いわゆる「オアシスの道(オアシスロード)」を経由するルートを指してシルクロードと呼んだのである。リヒトホーフェンの弟子で、1900年に楼蘭の遺跡を発見したスウェーデンの地理学者ヘディンが、自らの中央アジア旅行記の書名の一つとして用い、これが1938年に『The Silk Road』の題名で英訳されて広く知られるようになった。「草原の道」 / 「オアシスの道」 / 「海の道」 / シルクロードと日本 / 日本には、奈良の正倉院に中国製やペルシア製の宝物が数多く残っており、天平時代に遣唐使に随行してペルシア人の李密翳(り・みつえい)が日本に来朝したことに関する記録[4]なども残されている。当時の日本は唐代の東西交通路の東端に連なっていたと認識されており、摂津国の住吉津(現在の大阪市住吉区)は「シルクロードの日本の玄関」、飛鳥京や平城京は「シルクロードの東の終着点」と呼ぶことがある。なお、ユーラシア交易と直接的な関係はないが、幕末から明治にかけて、日本の主要な輸出品であった絹を横浜港に運ぶ交易路が存在し、その集積地があった八王子から横浜にかけての道が「絹の道」や「シルクロード」と呼ばれることもある。シルクロードに関しては近年の日本における学校教育でも取り上げられていたが、歴史やヘディンの著書などに関心を持つ一部の人たち以外には、さほど興味を引く存在ではなかった。しかし、中華人民共和国との文化交流が進む過程でNHKが中国中央電視台とともに1980年に共同制作した『NHK特集 シルクロード-絲綢之路-』によって、喜多郎のノスタルジックなテーマ音楽とともに、一躍シルクロードの名が広く知れ渡ることとなった。日本ではシルクロードという語は独特のエキゾチシズムやノスタルジアと結びついており、西安や新疆、ウズベキスタン、イラン、トルコなどへの海外旅行情報やツアーの広告には必ずと言ってよいほど「シルクロード」という言葉が記されている。この80年代の「シルクロードブーム」を受け[5]、1988年に日中両政府は日中友好環境保護センターの設立を決定した。また、シルクロードの世界遺産登録をユネスコに中国政府とともに働きかけた[6][7]平山郁夫は平山郁夫シルクロード美術館を設立している。(シルクロード – Wikipedia

楼蘭(ろうらん,Loulan,推定されている現地名はクロライナ Kroraina)は、中央アジア、タリム盆地のタクラマカン砂漠北東部(現在の中国・新疆ウイグル自治区チャルクリク)に、かつて存在した都市、及びその都市を中心とした国家である。「さまよえる湖」ロプノールの西岸に位置し、シルクロードが西域南道と天山南路に分岐する要衝にあって、交易により栄えた。紀元前77年に漢の影響下で国名を鄯善(中国語名併音shàn shàn・日本語名ぜんぜん)と改称したが、楼蘭の名はその後も長く用いられ続けた。4世紀頃からロプノールが干上がるのとほぼ時を同じくして国力も衰え、やがて砂漠に呑み込まれたが、1900年にスウェーデンの探検家ヘディンによって遺跡が発見された。後世の記録と発掘 / 中央アジア探検 / 近代的な調査は19世紀のヨーロッパ人探検家による調査によって始まる。その始まりは1893年10月から行われたスウェーデンの探検家、ヘディンによる中央アジア探検である。最初の探検では水不足のために一時は探検キャラバンが壊滅し彼自身も死の淵を彷徨うこともあった難旅行であったが、ヘディンは1897年3月まで西域各地を回った。そして2度目の探検旅行が1899年6月に開始され、翌1900年3月23日、楼蘭遺跡を偶然発見した。その翌年彼は楼蘭を再訪し若干の調査を行った。1908年には日本の大谷探検隊(第2次)が楼蘭を訪れた。西本願寺の大谷光瑞は非常な情熱を持って数次にわたる中央アジア調査を企画し、彼によって派遣された橘瑞超は楼蘭故城を訪れた。この時の調査によって『李柏文書』と呼ばれる有名な文書が発見されている。彼は1911年にもかつての楼蘭王国の領域を訪れて壁画などを収集した。日本の探検隊はその後長く途絶えたが、ヘディンやスタインは繰り返し楼蘭の調査を行っている。彼らの調査は当時新しく成立した中華民国政府や文献の国外流出に怒る中国人学者達の強い反対を受けて難航したが、全ての調査に中国人を同行させることで同意を取り付けたり、道路建設のための調査依頼を受ける形での調査を行った。こうした苦労に報いるに十分な発見が1934年にヘディンによってなされた。新疆で発生していた回族の反乱のために彼は拘禁されていたが、偶然にもロプノール地方で灌漑の可能性の調査を命ぜられ現地の調査を行う事ができた。このとき彼は女性のミイラを発見したのである。この発見に興奮した彼はそのミイラに「ロプの女王」と言う名をつけたが、実際にこのミイラが女王のミイラであったかはわからない。番組『シルクロード』の取材と中国の調査 / この時の調査以降、第二次世界大戦や国共内戦、更に中国の共産化などのため、暫くの間楼蘭の調査は途絶えた。再び楼蘭に大規模な調査隊が訪れるのは1979年の事である。これは日本のNHKと中国の中央電視台による共同制作番組『シルクロード』の取材によるもので、この時中央電視台の要請によって中国人学者による調査隊が組まれたのである。このとき新たに女性のミイラが発見されている。翌年には更に大規模な調査が行われ大きな成果を上げた。この調査では初めて楼蘭の水源も明らかとなっている。その後も大規模な調査が繰り返し行われ、多くの知見が得られた。1986年以降は新疆文化庁によって恒常的に調査が行われ、膨大な量の遺物が収集されている。1988年の日中共同調査では早稲田大学教授の長澤和俊やジャーナリストの轡田隆史も楼蘭故城の調査にあたり、外国人としては54年ぶりの楼蘭調査となった。しかし、現在は外国人による調査がほとんど許可されないため、中国人学者の手によって行われている。(楼蘭 – Wikipedia

スヴェン・アンダシュ(アンデシュ)・ヘディン(Sven Anders Hedin, 1865年2月19日-1952年11月26日)は、スウェーデンの地理学者・中央アジア探検家。日本との関わり / 1898年~1900年頃から大谷光瑞と交流があり、探検旅行の帰途、大谷、外務省、東京地学協会の招聘[2]で、1908年に来日し、明治天皇に謁見。日本人として初めてチベット入した河口慧海とも書簡を交している。1923年にも来日している。(スヴェン・ヘディン – Wikipedia

関連サイト

NHK特集 シルクロード 絲綢之路 | NHK名作選(動画他) – NHK語学番組 – NHKオンライン

NHK特集「シルクロード-絲綢之路-」 | なつかしの番組 特集番組編 | 特集記事から探す | NHKアーカイブス – NHKオンライン

関連エントリ

音楽の旅 / ギリシャから日本に「シルクロードの果て」(美幌音楽 加藤雅夫)

大宜見義夫の 「シルクロード 爆走記」 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

スウェン・ヘディン の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

シルクロードの日 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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Stille Nacht, heilige Nacht きよしこの夜 200周年 記念館

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Stille Nacht, heilige Nacht きよしこの夜 200周年 記念館 / 今年(2018年)は、クリスマス・キャロル「きよしこの夜(Stille Nacht, heilige Nacht)」が、1818年にクラシック・ギターで作曲されてから200周年記念です。Stille Nacht, heilige Nacht きよしこの夜200周年記念館を開設しました。

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『きよしこの夜』(きよしこのよる、ドイツ語: Stille Nacht)とは、有名なクリスマス・キャロルのひとつ。 原詞の Stille Nacht は、ヨゼフ・モールによって、ドイツ語で書かれ、フランツ・クサーヴァー・グルーバーによって作曲された。この曲の英語曲題が「Silent night」(作詞・John Freeman Young)であり、日本語曲題が「きよしこの夜」(作詞・由木康)である。楽曲解説 / 1818年12月25日にオーストリアのオーベルンドルフの聖ニコラウス教会で初演された。この歌にまつわる逸話として、 “クリスマス・イヴの前日、教会のオルガンが発音できない状態になった(音の出なくなった理由はネズミにかじられた等、諸説あり)。そして、クリスマスに歌う賛美歌の伴奏ができなくなり、急遽ヨゼフは“Stille Nacht”の詞を書き上げ、グルーバーに、この詞にギターで伴奏できる讃美歌を作曲してくれるように依頼を行った。グルーバーは最初「教会でギターを弾いても誰も気に入らないのではないか?」と懸念していたが、ヨゼフの説得もあって詞に曲をつけることを了承した。グルーバーは一晩中懸命に考え続け、ついにこの曲を完成させた。なお現在一般的に歌われているメロディーは、グルーバーの自筆譜と相違がある。日本での受容 / 「きよしこの夜」にはじまる日本語の歌詞は由木康による。初めて収録されたのは1909年の『讃美歌』第2編である。1961年には小学校6年生の音楽の教科書に採用され、1988年まで掲載されていた。近年では中学校などで英語教育も兼ねて英語の歌詞で歌われている。なお、日本のカトリック教会においては、別訳にてカトリック聖歌集111番の「しずけき」として親しまれている。(きよしこの夜 – Wikipedia

Stille Nacht, heilige Nacht (Weihnachtslied aus Österreich) / Diese Darstellung inspirierte Vikar Joseph Mohr 1816 zu der Verszeile: „Holder Knab’ im lockigten Haar“. Hochaltar Mariapfarr, um 1500. Stille Nacht, heilige Nacht gilt weltweit als das bekannteste Weihnachtslied und als Inbegriff des Weihnachtsbrauchtums im deutschen Sprachraum. Die UNESCO hat es als immaterielles Kulturerbe in Österreich anerkannt. Geschichte / Entstehung / Zu Heiligabend 1818 führten der Arnsdorfer Dorfschullehrer und Organist Franz Xaver Gruber (1787–1863) und der Hilfspfarrer Joseph Mohr (1792–1848) in der Schifferkirche St. Nikola in Oberndorf bei Salzburg das Weihnachtslied Stille Nacht, heilige Nacht erstmals auf. (Stille Nacht, heilige Nacht – Wikipedia

《平安夜》(德語:Stille Nacht, heilige Nacht)是一首十分流行的傳統圣诞颂歌,原始的歌词由Josef Mohr使用德文寫成,作曲则是由奥地利一所小学的校长Franz Gruber完成。现代传唱的版本的乐曲与Gruber原始版本有些微的不同(特别是在最后部分的变化)。此歌已知被翻译成世界上超过44多种语言[1],依然是最流行的聖誕歌曲。没有音乐伴奏人们也会经常吟唱,在路德教会它有特殊的重要意义。2011年,這首歌被聯合國教科文組織宣告為非物質文化遺產[2]。歷史 / 这首颂歌1818年12月24日第一次在奥地利欧本多夫当地的尼古拉教堂演出。(平安夜(歌曲) – 维基百科,自由的百科全书

フランツ・クサーヴァー・グルーバー(独: Franz Xaver Gruber、1787年11月25日 – 1863年6月7日)は、19世紀オーストリアの小学校教師・教会オルガン奏者。親友で司祭のヨーゼフ・モールとみんなで歌えるクリスマス・キャロルを考えていたときに「きよしこの夜」を作曲した。その歌を作ったと言われている教会が、今もザルツブルク州のオーベルンドルフ・バイ・ザルツブルクに残っている。(フランツ・クサーヴァー・グルーバー – Wikipedia

Franz Xaver Gruber (Komponist) Österreichischer Kirchenliedkomponist / Conrad Franz Xaver Gruber (* 25. November 1787 in Unterweitzberg in Hochburg-Ach; † 7. Juni 1863 in Hallein) war ein österreichischer Komponist und wurde als Schöpfer des weltweit bekanntesten Weihnachtsliedes Stille Nacht, heilige Nacht berühmt. (Franz Xaver Gruber (Komponist) – Wikipedia

Joseph Mohr / Josephus Franciscus Mohr, sometimes spelt Josef (December 11, 1792 – December 4, 1848) was an Austrian Roman Catholic priest and writer, who wrote the words to the Christmas carol “Silent Night.” (Joseph Mohr – Wikipedia

Die Stille-Nacht-Kapelle steht in der Stadt Oberndorf im österreichischen Bundesland Salzburg und ist dem Gedächtnis des Weihnachtsliedes Stille Nacht, heilige Nacht und seines Textdichters Joseph Mohr sowie seines Komponisten Franz Xaver Gruber gewidmet. Sie steht an Stelle der ehemaligen St.-Nikolaus-Kirche (St. Nikola), in der am 24. Dezember 1818 das Weihnachtslied zum ersten Mal aufgeführt wurde. (Stille-Nacht-Kapelle – Wikipedia

関連サイト

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Stille Nacht Kapelle -

関連エントリ

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きよしこの夜 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

平安夜(歌曲) の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

きよしこの夜200周年記念館 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

Stille Nacht, heilige Nacht の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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藁科雅美記念館

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日本の音楽評論家「藁科雅美記念館」を開設しました。藁科雅美の関連情報をお寄せください。北海道美幌町の恩人・藁科雅美ご家族の消息と連絡もお願いします。美幌音楽人 加藤雅夫 bihoro.kato@docomo.ne.jp

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藁科 雅美(わらしな まさみ Masami Warashina、1915年1月15日 – 1993年1月3日)は、日本の音楽評論家。 人物・来歴 / 1915年(大正4年)1月15日に生れる。慶應大学医学部中退。昭和26年から毎日放送の音楽ディレクターとして活躍。著書「レコード音楽大事典」 訳書「バーンスタイン物語」等。日本ショパン協会常任委員。日本チェコスロヴァキア協会顧問。第1回美幌町文化賞受賞。1993年(平成5年)1月3日に死去した。 藁科一家の疎開先は美幌町(昭和20〜26年)。美幌町は鎌倉に移住した藁科雅美さんを介して権威者に町歌作曲を依頼した。 日本の音楽評論家でレコード音楽解説者として東京で活躍されていた藁科雅美ご一家が北海道の道東オホーツク海から30Kmほど内陸に位置する美幌町に疎開したのは73年前の昭和20年(1945年)。 美幌町に来てすぐに英語が話せるからと進駐軍の隊長付き通訳として即日強制徴用。疎開するときに「東京から貨車一台分のSPレコードを運んだ」 「どうして知ったのか配属されて来た学徒の特攻隊員の何人かが訪ねて来てわずかの休憩時間かわるがわるバッハやベートーベンの作品に耳を傾け感謝のまなざしを私に向けて帰隊していった」と藁科雅美は言う。その当時、個人的に英語を教えた生徒に文化人類学者となった山口昌男がいた。 東京でも名の知れていたピアニストで海軍航空隊付属美幌病院医師の筧潤二は美幌小学校講堂でピアノリサイタルを開催し美幌町で藁科雅美と再会する。藁科雅美と筧潤二は慶應大学医学部で共に学んでいる。 国立高等音楽学校(現 国立音楽大学)出身でピアニスト藁科みつゑ夫人は美幌高等女学校で音楽を指導。慶応大学医学部中退の藁科雅美は理科など六教科を教えた。「授業より畑仕事の監督が多く生徒に植物の芽を見て種類を教えてもらった」 昭和21年(1946年) 美幌文化協会創立に尽力し美幌レコード鑑賞会主宰の藁科雅美は音楽部長となる。藁科みつゑ夫人はドンコロ合唱団と漣女性合唱団を指導する。NHK北見放送局から合唱やレコードを放送したり、レコードコンサートではまだレコード会社が復興していない時期だったから自分のSPをかけた。 歓迎されて網走・釧路・旭川・小樽などからも呼ばれた。「そのSPは東京に戻るとき網走の奥谷という網元の息子に引き取ってもらった。その奥谷が後に東京に出るとき自分のコレクションも加えて網走市立図書館に寄贈。図書館によれば昭和43年の寄贈で全部で1113番まで番号が振られているとのことである。聴く人もなしに眠っているようだ」と藁科雅美は語っている。 昭和25年(1950年) 藁科雅美は戦後いち早く「北海道音楽」という北海道全土の音楽を結ぶ報道評論誌を創刊した。日本近代音楽館と北海道立図書館に寄託されている。内容は荒谷正雄・小林健次・伊福部昭・早坂文雄などの地方出身の音楽家、チェロの鈴木聡・バイオリンの巖本真理ら来道音楽家の写真や演奏会評、道内各地の音楽状況報告、新譜紹介、インタビュー、作曲募集など多彩な編集である。第1回美幌町文化賞受賞。 昭和26年(1951年) 藁科雅美と藁科みつゑは戦後 美幌高校と網走南ヶ丘高校の時間嘱託も勤めたが、日本の民間放送局で最も早く放送を始めた新日本放送(毎日放送)東京支社詰めの音楽ディレクターとして同年の秋に美幌町を離町した。「私たち家族にとって終生忘れ難い多数の人々の心暖かい見送りを受けて美幌の町を後にしたのだがその6年間の思い出は絶大である。美幌の豊かな自然の中で私たちの子供がすこやかに育ってくれたことも、それが戦後の混乱期であっただけにことさら感謝したい気持ちである。正直言って美幌時代の私は文化の中心地である東京が忘れられず、もしもここで死んだら遺骨を東京の空からばら散いてほしいと妻に頼んだような欲求不満と焦燥感にさいなまれた。しかし、今の私には冬の寒さが厳しい美幌を第二の故郷と思う懐かしさだけが残っている」 当時36歳の藁科雅美の居住先は神奈川県鎌倉市で近所に37歳の作曲家 早坂文雄と27歳の作曲家團伊玖磨が居た。後に團伊玖磨は東京で病に苦しんでいた21歳の作曲家 武満徹に「空気の良い鎌倉で療養しないか」と自宅を提供して横須賀市に移り住んだ。 昭和27年(1952年) 美幌高校から校歌作曲の依頼を受けた藁科雅美は美幌町に團伊玖磨を紹介した。北海道美幌農業高等学校 校歌作詞は同校数学教諭の川上忠雄、校歌作曲は團伊玖磨。(2018年現在、北海道高等学校唯一の校歌) 昭和28年(1953年) 美幌町から町歌作曲の依頼を受けた藁科雅美は早坂文雄を介して武満徹を紹介した。美幌町 町歌の作詞は美幌郵便局郵便配達員で39歳の大下孝一、町歌作曲は武満徹。(2018年現在、武満徹作曲の美幌町町歌は日本全国自治体唯一の町歌) 藁科雅美から作曲依頼された早坂文雄は病状悪化のため武満徹に「美幌町町歌」そして湯浅譲二に「美幌町病院歌」の作曲を依頼した。当時24歳の湯浅譲二は慶應大学医学部を中退して実験工房の瀧口修造・園田高弘・武満徹らと活動していた。(文責 / 美幌音楽人 加藤雅夫)

音楽評論家(おんがくひょうろんか)とは、音楽についての評論家である。日本の音楽評論家 / クラシック音楽 / 藁科雅美。(音楽評論家 – Wikipedia

團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 – 2001年5月17日)は、日本の作曲家、エッセイスト。日本を代表するクラシック音楽の作曲家の一人である。 逸話 / 北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美(毎日放送の音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」)が鎌倉市に移住して、すぐ近所に住んでいた團に「美幌農業高校校歌」作曲を依頼した。その後、團は、東京で病に苦しんでいた武満徹(1953年「美幌町町歌」作曲)に自宅を提供して横須賀市に移住した。(伊玖磨 – Wikipedia

武満 徹(たけみつ とおる、1930年10月8日 – 1996年2月20日)は、日本の作曲家。 デビュー、前衛作曲家への道 / 1953年には北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美が病状悪化の早坂文雄を介して委嘱した「美幌町町歌」を作曲している。この間、私生活においては1954年に若山浅香と結婚した。病に苦しんでいた武満夫妻に團伊玖磨は鎌倉市の自宅を提供して横須賀市に移住した。(武満徹 – Wikipedia

山口 昌男(やまぐち まさお、1931年8月20日 – 2013年3月10日)は、日本の文化人類学者。勲等は瑞宝中綬章。東京外国語大学名誉教授、文化功労者。北海道美幌町出身。
関連人物 / 美幌町時代 / 藁科雅美 Masami Warashina(音楽評論家、訳書・バーンスタイン物語、1950年第1回美幌町文化賞受賞)。戦後、北海道美幌町に疎開中の藁科雅美から英語の個人指導を受ける。藁科雅美はその後(1952年)團伊玖磨に北海道美幌農業高等学校校歌作曲を依頼、(1953年)武満徹に美幌町町歌作曲を依頼する。(山口昌男 – Wikipedia

美幌町の有名人 / 美幌町ゆかりの有名人 / 藁科雅美 – 音楽評論家、毎日放送音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」など。戦後、美幌町に疎開し町民の文化向上に貢献する(1950年第1回美幌町文化賞受賞)。山口昌男に英語を個人指導、團伊玖磨に美幌農業高校校歌作曲を依頼(1952年)、武満徹に美幌町町歌作曲を依頼(1953年)。(美幌町 – Wikipedia

関連サイト

藁科雅美 プロフィール – あのひと検索スパイシー

藁科雅美 – 20世紀 BOX

藁科, 雅美, 1915-1993 – Web NDL Authorities – 国立国会図書館

協会について – 日本ショパン協会

日本チェコ協会/日本スロバキア協会

関連エントリ

日本ショパン協会創立50年/北海道・美幌町ゆかりの藁科雅美 – 美幌音楽人 加藤雅夫

音楽評論家 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

Masami Warashina の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

藁科雅美 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

美幌町の恩人 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

藁科雅美記念館 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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2015年度 武満徹作曲賞 受賞者決定! (審査員: カイヤ・サーリアホ)

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2015年度 武満徹作曲賞 受賞者決定! (審査員: カイヤ・サーリアホ)
2015 Toru Takemitsu Composition Award Winners Announced! (Jury: Kaija Saariaho)

2015年度 武満徹作曲賞 受賞者決定! (審査員: カイヤ・サーリアホ) の全文を読む

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1717年 5月13日 – マリア・テレジア(Marie-Thérèse, Maria Theresa) 誕生

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1717年 5月13日 – マリア・テレジア(Marie-Thérèse, Maria Theresa) 誕生
May 13, 1717 – Maria Theresa (Marie-Thérèse, Maria Theresa) birth

1717年 5月13日 – マリア・テレジア(Marie-Thérèse, Maria Theresa) 誕生 の全文を読む

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「第4回臨床安全世界会議」 参加受付開始

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「第4回臨床安全世界会議」 参加受付開始
“4th World Congress of Clinical Safety” participation acceptance start

「第4回臨床安全世界会議」 参加受付開始 の全文を読む

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2015年 5月12日(火曜日) – 美幌町 配食サービス

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2015年 5月12日(火曜日) – 美幌町 配食サービス
Tuesday, May 12, 2015 – Bihoro Meal Delivery service

これは、今日の夕食です。(食事写真)
This is a dinner of today. (Meal Photo)

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2015年 5月12日(火曜日) – 美幌町 配食サービス の全文を読む

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看護の日(日本) – 国際 看護師の日 (2015年 5月12日)

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看護の日(日本) – 国際 看護師の日 (2015年 5月12日)
Nursing Day (Japan) – International Nurses Day (May 12, 2015)

看護の日(日本) – 国際 看護師の日 (2015年 5月12日) の全文を読む

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花と音楽とアロハ – 母の日(2015年)

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花と音楽とアロハ – 母の日(2015年)
鮮花和音樂和阿羅哈 – 母親節(2015年)
鲜花和音乐和阿罗哈 – 母亲节(2015年)
Flowers and Music and Aloha – Mother’s Day (2015)

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