サハリン カテゴリのアーカイブ

ウィルタ語で「大切な物を収める家」という意味のジャッカ・ドフニ

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北川源太郎(ゲンダーヌ)ご健在の頃、網走のジャッカ・ドフニでお会いした。ゲンダーヌ ある北方少数民族のドラマ(田了/著、D・ゲンダーヌ/口述)を頂いた。 1991年の7月にオホーツクマンドリンアンサンブルはサハリン訪問してポロナイスク市民と芸術祭を開催した。オ:タスの杜から来られた少数民族アンサンブル「メングーメ・イルガ(銀の文様)」の代表がゲンダーヌさんの元恋人・妻でした。(美幌音楽人 加藤雅夫)

関係記事

北方民族博物館で企画展 平成24年閉館の資料館ジャッカ・ドフニの軌跡紹介
北方少数民族の文化伝え 受け継ぐ150点並ぶ
平成24年に閉館した、網走市の北方少数民族資料館「ジャッカ・ドフニ」の軌跡を紹介する企画展が、市内の道立北方民族博物館で開かれている。3月31日まで。観覧無料。ジャッカ・ドフニはサハリンに暮らしてきたウイルタ、ニブフ、樺太アイヌを紹介する資料館。戦後さまざまな事情で網走で暮らすことになったウイルタのダーヒンニェニ=ゲンダーヌさんの夢「民族の文化を残し、正しく伝えたい」という思いを市民らが支え、昭和53年にオープンした。建物の老朽化などを理由に平成24年に閉館したが、関係者の尽力で、資料は一括して北方民族博物館が収蔵。今回、閉館から6年を経て、初めて企画展が実現した。会場にはゲンダーヌさん、ゲンダーヌさんの義妹で同館を守っていた北川アイ子館長の写真のほか、関係者が制作した、民族の文化を継承する裁縫箱やアザラシの銛など約150点を展示している。同博物館は「貴重な資料は、すべて北方民族博物館に収蔵されていることを知ってもらえれば」と話している。(玲)(2018年2月14日の記事 経済の伝書鳩

ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日本名:北川源太郎、ウィルタ語名:Dahinien Gendanu / Daxinnieni Geldanu, 1926年頃 – 1984年7月8日)は、樺太生まれのウィルタ(オロッコ)民族研究家・運動家である。ウィルタ民族。 第二次世界大戦中は特務機関員として日本軍に協力した。終戦後はシベリアにて抑留され、帰国後は北海道網走市に移住して肉体労働で生計をつないだ。自民族の研究家として活動し、戦後ウィルタ運動のリーダーとして北方少数民族の復権運動に尽力した。その後彼の呼びかけにより網走に作られたウィルタ文化資料館「ジャッカ・ドフニ」の初代館長となった。ダーヒンニェニ・ゲンダーヌという名前は「北の川のほとりに住む者」を意味する。 経歴 / ウィルタの呪者の家系に生まれ長老であった義父北川ゴルゴロと同様に遊牧と狩猟で生活を営んでいた。 1942年(昭和17年)日本陸軍の特務機関は戸籍が未整備だった樺太の少数民族の若者へも召集をかけ、ソ連軍の動きを探るための諜報活動や軍事訓練へと当たらせた。当時敷香町在住のオロッコ族22人ギリヤーク族(ニヴヒ)18人の計40人もまた日本名を付けられ諜報部隊に所属した。彼ら「北方戦線の秘密戦士」の中の一人がゲンダーヌであった。 ソ連の参戦後、10年近くシベリアに抑留され、敷香特務機関配下60人のうち59人が強制労働にて死亡。ゲンダーヌ一人だけが生き残った。その後ソ連の占領下の樺太へ帰島することも叶わず父と共に北海道網走へ移住したが、国籍は与えられず、ウィルタであることを隠して差別から逃れた。肉体労働で生計を繋ぎつつ、少数民族の軍人恩給支給問題を国へ訴えた。1976年、この問題は国会において議論されたが、当時の少数民族に日本国籍はなく兵役義務もなく非公式の令状にて召集されたとして、彼らに戦後補償が与えられることはなかった。 しかしながら彼の告発をきっかけに、1975年に「オロッコの人権と文化を守る会」(翌年ウィルタ協会と改称)が発足。資料館の建設、慰霊碑の建設、樺太の同胞との交流という3つの願いを彼は抱いた。 北方少数民族の文化を残したいという彼の呼びかけにより780万円の募金が集まり、1978年網走市が提供した土地にウィルタ語で「大切な物を収める家」という意味のジャッカ・ドフニと名付けられた資料館が完成し、その館長となった。資料館にはウィルタの他ニブヒ、樺太アイヌなどの民族の宗教・生活用具、衣装など約600点の資料を収蔵・展示し、踊りの実演なども行われる。 また、1982年5月には網走市天都山に合同慰霊碑「キリシエ」が建立された。 1984年に急逝。2001年頃よりジャッカ・ドフニは来館者の減少により改修費用の捻出が出来ず、2010年に閉館した。(ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ – Wikipedia

北海道立北方民族博物館(ほっかいどうりつほっぽうみんぞくはくぶつかん)は、北海道網走市にある博物館。北海道教育委員会が設置し、財団法人北方文化振興協会が指定管理者として管理をしている。英語名はHokkaido Museum of Northern Peoples。 沿革 / 1991年 – 開館。 概要 / 北方民族博物館の対象とする北方民族とは、オホーツク海・北極海周辺の、北海道、ロシア沿海州、アラスカ、シベリア、北欧等の地域に棲む民族(アイヌ、ニヴフなど)で、これらの地域と民族の文化と歴史の研究や理解促進を目的とする。これらの民族を対象とした民族学博物館としては、日本では唯一のものである。(北海道立北方民族博物館 – Wikipedia

関係サイト

北海道バリアフリーマップ 北方民族博物館 | 保健福祉部福祉局地域福祉課

北海道立 北方民族博物館公式サイト( 網走 )

北海道立北方民族博物館/Hokkaido Museum of Northern Peoples (JAPAN) – ホーム | Facebook

関係エント

Королева Тамара (Поронайск) – 美幌音楽人 加藤雅夫

ジャッカ・ドフニ の検索結果美ー 幌音楽人 加藤雅夫

北川源太郎 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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北方領土の日(2月7日、日本の記念日)

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北方領土の日(2月7日、日本の記念日)

関連記事

北方領土の日(ほっぽうりょうどのひ)は、北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るために制定された記念日。2月7日。(北方領土の日 – Wikipedia

関連サイト

北方領土の日 – 内閣府

「北方領土の日」「北方領土返還運動全国強調月間」​関連事業一覧(平成30年) 北方対策本部 – 内閣府

北方領土の日 | 外務省 – Ministry of Foreign Affairs of Japan

北方領土対策本部 – 北海道庁

2月7日は「北方領土の日」です | 美幌町
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関連エントリ

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北海道オホーツク海の流氷初日(2018年)

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北海道オホーツク海の流氷初日(2018年)

関連記事

オホーツク海の流氷
オホーツク海の流氷は、アムール川から流れ込んで塩分が低くなった海水が凍り、凍る過程で塩分が排出されたものといわれる。 沿岸から流氷が確認できたそのシーズンの最初の日を「流氷初日」という。日本での流氷初日は、平年では北海道のオホーツク海沿岸で1月中旬から下旬頃であり、その後1月下旬から2月上旬頃にかけて接岸する。接岸した初日を「流氷接岸初日」という。風向きによっては南下を続け、太平洋側に位置する釧路市に接岸することもある。春が近づき、沿岸から見渡せる海域に占める流氷の割合が5割以下となり、かつ船舶の航行が可能になると「海明け」が宣言される。また、沿岸から最後に流氷が見られた日を「流氷終日」という。(流氷 ー Wikipedia

流氷接岸時期は平年並み 札幌管区気象台 初日は28日~2月7日
札幌管区気象台が24日、北海道地方海氷情報(長期)を発表し、オホーツク海の流氷接岸時期は平年並みと発表した。網走の流氷接岸初日は1月28日~2月7日になりそうだ。 流氷は1月に入って南下が早まり、11日には一時的に知床半島に小規模な流氷が接岸。その後、おおむね平年どおり南下しているという。 24日に網走地方気象台が発表した予報によると、流氷は網走市の海岸40キロ付近にある模様。今後1カ月、冬型の気圧配置の日が多いことが予想されており、網走の流氷接岸初日は間もなくとなりそうだ。(玲) (2018年1月27日の記事 経済の伝書鳩

28日が「流氷初日」
平年に比べ7日遅く… 流氷観光砕氷船おーろらが流氷帯に今季初突入
網走地方気象台は28日、「流氷初日」を発表した。昨年より3日早く、平年に比べ7日遅い記録。近づいた流氷帯に流氷観光砕氷船おーろらが今季初突入し、観光客らを喜ばせた。 「流氷初日」は、視界内の海面で初めて流氷が見えた日。28日午前7時半に同気象台から目視で確認された。 この日、網走市の海岸から11~12キロまで接近。流氷観光砕氷船おーろらは航行時間を延長して、国内外からの観光客に流氷クルーズを楽しませた。 大阪府から訪れた女性(51)は「流氷を見られてほんまラッキー。動画も撮れたので、さっそくインスタグラムで拡散します」と声を弾ませていた。(玲)(2018年1月30日の記事 経済の伝書鳩

待ちわびた到来「流氷接岸初日」 網走で…昨年と同日に 四季“いろ撮る”
網走地方気象台は、2日「流氷接岸初日」を発表した。2日の発表は昨年と同日で、過去30年間の平均値でもある。観光関係者は「昨年の流氷は長逗留(とうりゅう)だった。今年も同様に長く留まってほしい」と期待している。「流氷接岸初日」は沿岸水路が無くなり船舶が航行できなくなった最初の日。2日午後、同気象台から目視で確認された。鱒浦漁港付近では岸まで流氷が到達。広がる大氷原に、市民や観光客は付近の駐車帯に車を停め、さかんにカメラのシャッターを切っていた。また、流氷観光砕氷船「おーろら」はこの日、全5便が流氷帯を航行。多くの観光客を喜ばせた。網走市観光協会は「『流氷初日』から日を置かず『流氷接岸初日』を迎えられた。各メディアから流氷の問い合わせも多く、この好機にうまく乗りながら、情報発信したい」と話していた。(玲)(2018年2月5日の記事 経済の伝書鳩

関連サイト

網走で「流氷初日」|NHK 北海道のニュース

網走地方気象台トップ

札幌管区気象台ホームページ

海氷情報センタートップページ

流氷接岸初日当てクイズ | オホーツク総合振興局<

関連エントリ

流氷 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

オホーツク海 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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松浦武四郎200年、北海道150年(オホーツク管内)

松浦武四郎200年、北海道150年(オホーツク管内)

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松浦武四郎(探検家、著述家)
松浦 武四郎(まつうら たけしろう、文化15年2月6日(1818年3月12日) – 明治21年(1888年)2月10日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家、浮世絵師、著述家、好古家。名前の表記は竹四郎とも。諱は弘。雅号は北海道人(ほっかいどうじん)、多気志楼など多数。蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した 。(Wikipedia ー 松浦武四郎

蝦夷地
蝦夷地(えぞち)は、日本人がアイヌの居住地を指して用いた言葉で、江戸時代に使われた。和人地の対語である。渡島半島周辺を除く現在の北海道を中心に、樺太と千島列島を含む。なお、アイヌ人はそれらの島々をアイヌモシリと呼んだ。(Wikipedia ー 蝦夷地

北海道(日本の主要な島の一つ)
北海道(ほっかいどう)は、日本の北部に位置する島である。また、同島および付随する島を管轄する地方公共団体(道)である。島としての北海道は、日本列島を構成する主要4島の一つである。地方公共団体としての北海道は、47都道府県中、唯一の「道」で、道庁所在地は札幌市である。 名称 / この島の先住民であるアイヌの言葉(アイヌ語)では、「アィヌモシㇼ」(ainu mosir、「人間の住む土地」の意)または「ヤウンモシㇼ」(ya un mosir、「陸地の国土」)と呼ばれる。日本人(和人)は古代には渡嶋(わたりのしま)、近代に至るまでアイヌを蝦夷(えぞ)、その土地を蝦夷地(えぞち)もしくは北州、十州島などと呼んでいたが、明治政府は開拓使の設置に伴い名称の変更を検討し、蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎は政府に建白書を提出、「北加伊(きたかい)道」「海北道」「海東道」「日高見(ひたかみ)道」「東北道」「千島道」の6案を提示した。結局「北加伊道」を基本として採用し、海北道との折衷案として、また、律令制時代の五畿七道の東海道、南海道、西海道の呼称に倣う形として「北海道」と命名された。なお、松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明しているが、言語学者の金田一京助は、当時のそのような事実を示す証拠は見つかっていないと唱えている。(Wikipedia ー 北海道

松浦武四郎の功績を後世に
北見・男性(86) 闘病しながら足跡を一冊にまとめ
人ひと240度
北見市内の男性(86)がこのほど、北海道の地名の名付け親とされる松浦武四郎の足跡を本にまとめた。病魔と闘いながら仕上げた一冊。「北海道の未来に向けて武四郎の功績を後世に伝えたい」と話している。 男性は平成10年、遠軽町の郷土史研究家で松浦武四郎研究会会長の講演を聞き、武四郎に強い興味を抱いたという。さまざまな文献を参考にし、東京の武四郎の墓をはじめ阿寒湖畔や留萌にある記念碑などを訪れ、その人物像に迫った。 蝦夷地と呼ばれた北海道を何度も調査探検で訪れ、幕末の世に紹介。絵の素養を生かし、地図やスケッチ画などを多く残した。武四郎が提案した北海道の呼び名や地名が採用された。アイヌ民族と親しく交流し、アイヌの人達の生活向上に力を注ぐなど、功績の大きさをたたえる。 男性は「北海道の発展に寄与し、アイヌ民族の協力で武四郎の偉業があることを記録に残しておきたい」と力を込める。(成)(経済の伝書鳩 2017年2月20日の記事

関連サイト

松浦武四郎の碑を巡る オホーツクと十勝の碑 – 道北の釣りと旅

ヌプンケシ121号 | 北見市

松浦武四郎 – 北海道150年事業

松浦武四郎生誕200年記念事業について – 松阪市ホームページ

北海道150年 – ホーム | Facebook

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松浦武四郎 (北海道人) ー 美幌音楽人 加藤雅夫

北海道150年 郷土に残した 松浦武四郎の足跡(伝記) – 美幌音楽人 加藤雅夫

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コラム – アイヌ文化 あれこれ Vol.39 (北海道のメールマガジン)

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コラム – アイヌ文化 あれこれ Vol.39 (北海道のメールマガジン)
Column – Ainu Culture Arekore Vol.39 (Hokkaido Newsletter)

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第43回 北見市民大学講座 (北海道 北見市)

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第43回 北見市民大学講座 (北海道 北見市)
43rd Kitami citizen college course (Kitami, Hokkaido)

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松浦武四郎 (北海道人)

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松浦武四郎 (北海道人)
Takeshiro Matsuura (Hokkaido people)

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古代 オホーツク人と 司馬遼太郎 (北海道)

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古代 オホーツク人と 司馬遼太郎 (北海道)
Ancient Okhotsk People and Ryotaro Shiba (Hokkaido)

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小・中学生の 「おおぞら すもうクラブ」

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小・中学生の 「おおぞら すもうクラブ」

Elementary and junior high school students “Ozora Sumo Club”

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戦争の体験を 語り継ぐ。(連載2:伝書鳩)

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戦争の体験を 語り継ぐ。(連載2:伝書鳩)

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