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三味線 カテゴリのアーカイブ
津軽三味線世界大会 仲野魁斗
津軽三味線世界大会 仲野魁斗
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津軽三味線世界大会で優勝 2021/05/31掲載(北見市/話題・文化) 唄付伴奏B級部門で北見商業高2年・仲野 魁斗さん / 北見の仲野魁斗(かいと)さん(16、北見商業高校2年)が、このほど青森県で開かれた第39回津軽三味線世界大会に出場。唄付伴奏B級部門で優勝し、個人B級部門でも3位に入った。「おばあちゃんや指導して下さった先生、アドバイスをくれた方々のおかげです」と感謝している。個人B級部門でも3位入賞 祖母や先生、助言をくれた方々のおかげ / 仲野さんは、祖母の影響で3歳から民謡を歌い始め、小学4年生で三味線を手にした。祖母に三味線を習っていたが、大会出場をめざして本格的に学びたいと、中学2年生から市内の指導者のもとに通い、練習や経験を重ねてきた。昨年は出場が決まっていた大会が中止に。今年、同世界大会にエントリーし念願の大会出場を果たした。同世界大会は2日間にわたり、個人戦8部門、団体戦2部門で実施。仲野さんが出場した唄付伴奏B級部門は、年齢制限はなく、プロの民謡歌手の歌に合わせ、津軽じょんから節新節の伴奏を1分以内で行う。歌を担当する歌手は3人。当日まで誰に当たるか分からず、事前練習もなし。歌い手によって歌い方の癖が違うため、自分の演奏をしながらも、いかに歌に合わせられるかが問われる。「歌は音源を聞いたことがない方だったので、探りながらという感じでしたが、自分ではうまく弾けたと思いました」。表彰式はなく、その日のうちに結果が会場に張り出された。「(優勝に自分の名前を見て)よっしゃー!という感じでした」と笑顔をみせる。一方、中級者(年齢制限なし)が対象の個人B級部門は、自分でアレンジした津軽じょんから節を3分以内で演奏する。原曲から離れないように自分なりのオリジナリティを出すことが求められ、「きれいに細かく音を鳴らすところ」にこだわって演奏した。3位の結果に「悔しい思いもありますが、うれしかったです」。初めての大会を振り返り「2日間ともいい緊張感を持つことができました。なるべくほかの人の演奏を聞かないようにしたのがよかったのかも」と明かす。津軽三味線の魅力を「繊細さも、ダイナミックでパワフルな音色も、両方兼ね備えているところ」という。「また別の大会にも挑戦したい。機会があったら地元北見の方にも演奏を聞いてもらいたいです」と話している。(菊)
(経済の伝書鳩)
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日本の津軽三味線の名人 高橋竹山
日本の三味線の名人 高橋竹山
初代・高橋 竹山(たかはし ちくざん、1910年6月18日 – 1998年2月5日)は津軽三味線の名人。本名高橋定蔵。一地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者である。演歌歌手北島三郎が歌った『風雪ながれ旅』のモデル。 (高橋竹山 – Wikipedia)
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高橋竹山 オフィシャルウェブサイト Takahashi Chikuzan Official WebSite
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2019年 第27回芸術祭 美幌町文化連盟
2019年 第27回芸術祭 美幌町文化連盟
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6月30日 午後1時から 第27回芸術祭 美幌町文化連盟 / 美幌町文化連盟(牛島義蔵会長)主催の第27回芸術祭が、今月30日午後1時(開場0時半)から町民会館びほーるで開かれます。入場料500円。当日は創明音楽会芳游会美幌の和琴演奏で幕開け。日本舞踊や民謡、和太鼓、フラダンスなど14団体が24番組を披露。舞台上で日頃の練習の成果を発揮します。 (フリーペーパーみつめて – 美幌新聞)
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町民会館文化情報(第27回芸術祭 美幌町文化連盟) | 美幌町ホームページ
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モルガンお雪 Morgan O-Yuki (日本の芸妓 アメリカ合衆国)
モルガンお雪 Morgan O-Yuki (日本の芸妓 アメリカ合衆国)
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1月20日 玉の輿の日 / 1905(明治38)年のこの日、アメリカの金融財閥モルガン商会の創立者の甥、ジョージ・モルガンが祇園の芸妓・お雪を見初め、結婚した。お雪は「日本のシンデレラ」と呼ばれた。 (1月20日 今日は何の日~毎日が記念日~)
1月20日 記念日・年中行事 / 玉の輿の日(日本) 1905年のこの日、アメリカの実業家J・P・モルガンの甥のジョージ・モルガンが祇園の芸妓・お雪と結婚した。お雪は「日本のシンデレラ」と呼ばれた。 (1月20日 – Wikipedia)
モルガンお雪(モルガンおゆき、明治14年(1881年)11月 – 昭和38年(1963年)5月18日)は日本の芸妓。アメリカの大富豪J.P.モルガンの甥と結婚したことで知られる。本名は加藤ユキ、芸妓名は「雪香」、洗礼名はテレジア。 (モルガンお雪 – Wikipedia)
Yuki Kato (加藤ユキ), also known as Morgan O-Yuki (モルガンお雪) (Kyoto, 1881-1963), was a Japanese geisha who married George Denison Morgan, nephew of Pierpont Morgan of the Morgan banking dynasty. (Yuki Kato (geisha) – Wikipedia)
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Morgan O-Yuki: Geisha of the Gilded Age
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Morgan O-Yuki の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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2018年 おこと三絃教室 芳游会 (遊佐加津代)
2018年 おこと三絃教室 芳游会 (遊佐加津代)
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芳游会箏の調べ inびほろ 9月8日 びほーる / 入場券を販売中 / 琴・三味線教室「芳游会」(遊佐加津代会主)=札幌市=の第4回「芳游会箏のしらべinびほろ」が9、月8日午後1時半(1時開場)から町民会館びほーるで開かれます。日本の伝統楽器の琴、尺八、三味線の素晴らしい音色が聴衆を魅了します。「芳游会」は昭和63年6月に札幌市に設立し、札幌市内で定期演奏会を開いています。平成27年の美幌町内および周辺地域の芳游会メンバーとびほーるで「箏のしらべコンサート」を初開催。以来毎年コンサートを開き、今年で4年目なります。今回は元STVアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーの和久井薫さんをゲスト司会に迎え、「北海民謡調」「祭の太鼓」「春の海」などを演奏します。入場料は前売り、当日とも500円。高校生以下は無料。前売りチケットは町民会館、観照寺(美幌町)、遊佐さん(電話73-1233)で販売しています。 (2018.08.02 みつめて – 美幌新聞会社)
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日本の盲人音楽家 吉沢検校・千鳥の曲について
日本の盲人音楽家 吉沢検校・千鳥の曲について
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千鳥の曲(ちどりのきょく)は、吉沢検校(二世)が作曲した、箏(こと)と胡弓のための楽曲。近世邦楽における代表曲の一つ。(古今組と呼ばれる,春の曲、夏の曲、秋の曲、冬の曲、千鳥の曲)として親しまれている。曲の概説 / 幕末に名古屋、京都で活躍した盲人音楽家、吉沢検校(二世・1800年(寛政12年) – 1872年(明治5年))が作曲した。『六段の調』(八橋検校作曲と伝えられる)、『春の海』(宮城道雄作曲)と並んで現代でも広く知られる。明治以降の箏曲に多大な影響を与えた。同時に、胡弓本曲としても重要な位置を占める曲である。『古今和歌集』、『金葉和歌集』から千鳥を詠んだ和歌二首を採り歌とし、器楽部である「前弾き」(前奏部)および「手事」(歌と歌に挟まれた、楽器だけの長い間奏部)を加えて作曲したもので、吉沢自身が考案した「古今調子」という、雅楽の箏の調弦、音階を取り入れた新たな箏の調弦法が使われている。この『千鳥の曲』と、そのあとに作られた『春の曲』、『夏の曲』、『秋の曲』、『冬の曲』(いずれも古今和歌集から歌詞を採ったもの)の四曲を合わせ、「古今組(こきんぐみ)」と呼ぶ。吉沢検校はそのあと更に「新古今組」四曲も作っている。(千鳥の曲 – Wikipedia)
吉沢検校(よしざわ けんぎょう、寛政12年(1800年) – 明治5年(1872年)、生年は一説には文化5年(1808年))は、幕末に活躍した盲人音楽家(地歌三味線、箏曲、胡弓、平家琵琶演奏家、作曲家)。初世と二世がおり、ふつう吉沢検校というと二世を指し、初世の長男。(吉沢検校 – Wikipedia)
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日本の楽器(和楽器)(綸, 絃, 紅琴, 和琴) – 美幌音楽人 加藤雅夫
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北海道出身の作詞家 高橋掬太郎(酒は涙か溜息か)
北海道出身の作詞家 高橋掬太郎(酒は涙か溜息か)
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4月9日 忌日 / 1970年 高橋掬太郎 (作詞家『酒は涙か溜息か』) <68歳>[1901年4月25日生](4月9日 今日は何の日~毎日が記念日~)
高橋 掬太郎(たかはし きくたろう Kikutaro Takahashi、1901年(明治34年)4月25日 – 1970年(昭和45年)4月9日)は昭和期の作詞家。函館日日新聞の記者時代に作詞した『酒は涙か溜息か』が戦前の大ヒットとなった。経歴 / 1901年(明治34年)4月25日、北海道根室町(現・根室市)で漁師の息子として生まれ、「菊太郎」と名付けられた。根室商業学校を中退後、根室新聞社に入社。この頃から「高橋春波」のペンネームで文筆活動を始める。1922年(大正11年)、函館日日新聞に入社し、社会部長兼学芸部長として活躍するかたわら文芸同人誌に参加。詩や小説、脚本などを手がけた。1931年(昭和6年)、『酒は涙か溜息か』で作詞家デビュー。これは自身が日本コロムビア文芸部宛に当時新進作曲家として注目されはじめていた古賀政男を直接指名して投稿したもので、藤山一郎の歌唱で大ヒットした。1968年(昭和43年)、紫綬褒章受章。1970年(昭和45年)4月9日死去。享年68。同日従五位となり、勲四等旭日小綬章を授与された。函館市宝来町に高橋掬太郎碑がある。(高橋掬太郎 – Wikipedia)
酒は涙か溜息か(さけはなみだかためいきか)は、1931年(昭和6年)9月に日本コロムビアから藤山一郎の歌唱によって発売された昭和歌謡である。概要 / 作曲家・古賀政男、作詞家・高橋掬太郎、歌手・藤山一郎の出世作となった大ヒット曲。また、日本で最初にクルーナー唱法を取り入れた作品としても知られる。当時、古賀は新進作曲家として注目されはじめたばかりで、高橋は北海道で地方新聞の記者、藤山一郎は東京音楽学校(東京芸術大学音楽学部の前身)に在籍し将来を嘱望されたクラシック音楽生だった。折からの世界恐慌による不況にも拘らず、発売直後から大ヒットし、当時の蓄音機の国内普及台数の4倍のセールスを記録したという。売上は80万枚。歌のヒットにより、のちに松竹映画『想い出多き女』、新興キネマ『酒は涙か溜息か』として映画も製作された。経緯 / 1931年(昭和6年)夏、北海道の新聞記者の高橋掬太郎が日本コロムビア文芸部宛に詩を投書したことがきっかけだった。文芸部から作曲を依頼された古賀政男は、都々逸のような七五調の短い詩の作曲に当初は苦心し、毎日ギターで三味線の曲や民謡を弾いて模索していた。エピソード / 高橋掬太郎が書いた詩は、もともと高橋の馴染みの芸妓・千成がある事情から廃業することになり、その送別会の席上にて、高橋が即興で扇に書いて、彼女へ餞別として送ったものだった。のちに彼女はカフェの雇われマダムとなり、『酒は涙か溜息か』のモデルになったということもあって、店は大いに繁盛していた。しかし、昭和9年(1934年)の函館大火により、記念の扇子もろとも店も消失し、千成もまもなく失意のうちに病死したという。なお、『酒は涙か溜息か』のB面は、同じく作曲:古賀政男、作詞:高橋掬太郎による『私此頃憂鬱よ』であり、歌ったのは当時本格的に流行歌手として活動をはじめたばかりの淡谷のり子だった。(酒は涙か溜息か – Wikipedia)
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【岩手県岩手郡岩手町|e-いわてまち.ねっと】髙橋掬太郎 – 岩手町との接点
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スマイル届け隊 (北海道北見市)
- 2014年12月15日(月) 3:09
- カテゴリ: Facebook, Twitter, お知らせ, オホーツク, ギター, クリスマス, フラメンコギター, マンドリン, 三味線, 健康・福祉, 北海道, 北見市, 大正琴, 音楽, 音楽療法
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スマイル届け隊 (北海道北見市)
smile delivered corps (Hokkaido Kitami city)
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