ギター カテゴリのアーカイブ

日本のクラシックギター奏者・ギタリスト 小原安正

日本のクラシックギター奏者・ギタリスト 小原安正。小原安正の娘は、日本のクラシックギター奏者・ギタリスト 小原聖子。小原安正の孫は、日本の音楽家 青柳拓次。

1966年(昭和41年)、スペインのギタリスト ナルシソ・イエペスの北海道札幌市公演が道新ホールで開催された。控室で、ナルシソ・イエペスさん愛用のギターを弾いた。初対面でした。(美幌音楽人 加藤雅夫 19歳)

1980年(昭和55年)6月、スペインのギタリスト ナルシソ・イエペスの北海道札幌市公演が札幌市教育文化会館で開催された。ナルシソ・イエペスさん、小原安正さん、梶本尚靖さん、大塚房喜さんらと食事も同行、 夢のような出来事でした。ますますギターが大好きになりました。(美幌音楽人 加藤雅夫 33歳)

1980年(昭和55年)8月、スペインのギタリスト アンドレス・セゴビアの北海道札幌市公演が北海道厚生年金会館で開催された。アンドレス・セゴビアと息子のカルロス君にご対面。(札幌グランドホテル)

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小原 安正 (おばら やすまさ、1914年4月1日 – 1990年12月10日)は、日本の昭和初期のギタリスト。 小原ギター教室主宰、日本ギター連盟理事長。北海道士別市出身。早稲田大学(昭和11年)中退、マドリード国立音楽院(昭和31年)卒業。経歴 / 戦後、スペイン政府の招きでセゴビア、デ・ラ・マーサらに学ぶ。昭和40年カーネギーホールに出演した経歴も持つ。日本ギター連盟理事長、小原ギター教室主宰。代表作品にギター二重奏曲「千鳥による幻想曲」がある。受賞 / スペイン文化功労勲章(昭和51年) 北海道士別市文化賞(昭和50年)。伝記 / ギタリストの余韻 小原安正著(発行元 音楽之友社 ’88発行)。

ギターをひこう / 『ギターをひこう』は、1973年4月6日から1984年3月28日までNHK教育で放送されたテレビ番組である。前身番組である『ギター教室』もこの項で扱う。概要 / クラシックギターの初歩技術を習得することを目的にした講座番組であった。1966年度から『ギター教室』として放送開始、1973年度から『ギターをひこう』に改題した。 (ギターをひこう – Wikipedia)

関連サイト

映画『ひびきあうせかい RESONANCE』公式サイト – 歌島舎

小原安正 / ギター動画 – ギタリスト 浜野茂樹のホームページ

ギターとともに歩む – 荘村清志のホームページ

映画『ひびきあうせかい RESONANCE』公式サイト – 歌島舎

日本ギター連盟のホームページ

日本ギター連盟北海道支部のホームページ

関連エントリ

青柳拓次 の検索結果 – 美幌音楽 人加藤雅夫

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日本のクラシックギター奏者・ギタリスト 小原聖子

日本のクラシックギター奏者・ギタリスト 小原聖子。日本のクラシックギター奏者・ギタリスト 小原安正は、小原聖子の父親。日本の音楽家 青柳拓次は、小原聖子の息子。

北海道網走市での思い出 / 1977年(昭和52年)4月1日に北海道網走郡美幌町で加藤雅夫ギター教室を開設。間もなく、網走市内の網走まるせん会館、高間楽器店、網走市児童館・児童センターでギター教室を開設した。高間楽器店の店主の愛用の楽器はイタリア製のヴァイオリンだった。 網走ギター合奏団のリーダーは大空町内のナカムラデンキ店主の中村さん。武田重蔵さんは女満別ギター同好会の会長として活躍された。 網走まるせん会館で、小原聖子さんのギターリサイタルが開催された。アンコールではスペイン語で歌曲を演奏してくれた。40年前のことです。どうもありがとう。

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小原 聖子(おばら せいこ、1943年1月3日 – )は、日本のギタリスト。 小原安正、N・イエペス、R・S・デ・ラ・マーサ、A・セゴビア(ギター)、岩井宏之(理論)、A. ゴロスティアガ(ソルフェージュ)に師事。公益社団法人日本ギター連盟副会長。 経歴 / 父、小原安正に師事し14歳でデビュー。来日中の巨匠、ナルシソ・イエペスに認められ、17歳の時にイエペスと一緒にスペインに渡る。イエペスの個人レッスンを受けながら、更に音楽を深める為、マドリード音楽院に特別入学、ギター科・初代主任教授R・S・デ・ラ・マーサのクラスで学び、機会ある毎に巨匠アンドレス・セゴビアの個人レッスンも受講、スペイン三大巨匠に直接学ぶ。 その後、多くのギター作品の本邦初演や、海外でも1957年のカーネギーホールでのリサイタルをはじめ、欧米、国内各地でコンサート活動を積極的におこなう。 NHK教育テレビの「ギターをひこう」の講師を1978年と1980年につとめ[3]、世界的にみても教える人の少なくなったスペイン伝統奏法を日本に広める活動を行っている。 情熱的な教えで優れた門下生を育て、彼らは東京国際ギターコンクールなどで次々に入賞をさらった。 1975年から東京国際ギターコンクールの審査にかかわり始め、現在は日本ギター連盟副会長としてコンクールを主催している。 ギター教本「こどもギターきょうしつ」1 – 3、「ギターの世界」他。CD「母の涙」「ペルーのワルツ」他。 (小原聖子 – Wikipedia)

ギターをひこう / 『ギターをひこう』は、1973年4月6日から1984年3月28日までNHK教育で放送されたテレビ番組である。前身番組である『ギター教室』もこの項で扱う。概要 / クラシックギターの初歩技術を習得することを目的にした講座番組であった。1966年度から『ギター教室』として放送開始、1973年度から『ギターをひこう』に改題した。 (ギターをひこう – Wikipedia)

日本ギター連盟 / 公益社団法人日本ギター連盟(にほんギターれんめい、JAPAN FEDERATION OF GUITARISTS)は、日本を代表するギター団体のひとつ。 歴史 / 1949年第1回ギターコンクール(現在の東京国際ギター・コンクール)が開催された翌年の1950年現代日本ギター連盟が設立。1966年に現代日本ギター連盟を母体として、「ギター音楽に関する研究とその発表、知識の交換ならびに会員相互間および関連音楽諸団体との連絡提携の場となり、ギター音楽の進歩普及を図り、もって文化の発展に寄与すること」を目的として、日本唯一文部科学省に認可された法人となった。2010年12月1日、公益法人制度改革に伴い、公益社団法人に移行した。 (日本ギター連盟 – Wikipedia)

関連サイト

映画『ひびきあうせかい RESONANCE』公式サイト – 歌島舎

日本ギター連盟のホームページ

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インド料理レストラン・クリシュナ北見本店(市野純夫)

インド料理レストラン・クリシュナ北見本店(市野純夫)

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グルメサイトで2つ星受賞 2020/02/22掲載(北見市/社会)インド料理クリシュナ北見本店 / 北見市大町のインド料理レストラン・クリシュナ北見本店(市野純夫代表取締役)が全国的なグルメ評価で2つ星を受賞した。審査過程を知らせない形での評価で表彰盾と受賞理由が12日、突然届いた(写真)。「天から降ってわいたような知らせ。たいへん光栄です」と喜んでいる。レストランの一皿に対するクチコミを中心としたグルメコミュニティアプリ・SARAHなどが開催する「サラージャパン メニューアワード2019」。各ジャンルを極めた審査員がメニューごとに1~3つ星を選出する。2つ星は「食べるために出かけられる素晴らしい一品」に贈られる。カレー部門で選ばれたのは同店の代表メニューの一つ「オホーツク流氷カリーセット」。海明けのオホーツク海をイメージする青い色を自然の恵みのみで表現した苦心作。クリオネの形をしたナンを添え好評だ。同店は2015イタリア・ミラノ万博に出展、北海道の「北のめぐみ愛食レストラン」に認定され、テレビ番組のお取り寄せグルメ全国2位の実績を持つ。今夏には国際円卓会議の食事にも採用されている。「いつ審査員が来たのか分からなかった」と同店。受賞理由によると、おいしさのほか大きなテラスを含め清潔感のある店舗や従業員の対応も評価されたようだ。「驚いている。ちょうど流氷の時期でオホーツク流氷カリーが開発され10周年の節目の年に評価されうれしい」と話している。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

関連サイト

インド料理レストラン 有限会社クリシュナ – 伝書鳩WEB

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武満徹の作品一覧 (ギターのための作品 荘村清志) – 美幌音楽人 加藤雅夫

海外メディア招聘(北海道オホーツク総合振興局観光) – 美幌音楽人 加藤雅夫

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1969年のフランス映画 クリスマスツリー

1969年のフランス映画 クリスマスツリー

ミシェル・バタイユのベストセラー小説『クリスマス・ツリー』の映画化。

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L’Arbre de Noël (internationally released as The Christmas Tree) is a 1969 French drama film directed by Terence Young. It was defined as “the most tearful film of sixties”. The film was co-produced by Italy where it was released as L’albero di Natale. Plot / The story follows a Frenchman named Laurent and his son Pascal, who live somewhere in France. Along the way, the widower Laurent meets and falls for the beautiful Catherine, but also learns that his son is dying after witnessing the explosion of a plane with a nuclear device inside. Finding this out, Laurent and Pascal have a string of adventures with Catherine along. (The Christmas Tree (1969 film) – Wikipedia)

L’Arbre de Noël film sorti en 1969 / L’Arbre de Noël (The Christmas Tree) est un film franco-italien réalisé par Terence Young, sorti en 1969. (L’Arbre de Noël – Wikipedia)

関連動画

L’arbre de Noël / Brook Fuller (クリスマス ツリー) – YouTube

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クリスマスツリー の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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北海道美幌町の美幌観光物産大使 門馬由哉

北海道美幌町の美幌観光物産大使 門馬由哉

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門馬由哉さんが観光物産大使に 2019/12/14掲載(美幌町/社会)音楽通じ美幌の良さ広げたい / ギタリストとして関東で活動 / 美幌町出身のギタリスト、門馬由哉さん(29)が10日、美幌観光物産大使に任命された。門馬さんは美幌北中時代にアコースティックギターを弾き始め、北見柏陽高を経て昭和音楽大(神奈川)に進学。在学中に数多くのコンクールで入賞を果たし、卒業後は東京を拠点に活動している。大使は美幌町と美幌観光物産協会が連名で任命。同日、町民会館で開かれた美幌町在住のギタリスト、佐藤雄一さん(34)とのユニット「PETIT PARTY」のライブに先駆けて任命式が行われた。任命式で平野町長は「全国的に活躍し、美幌をPRしていただいている。町民挙げて応援したい」と約束。平野町長から委嘱状を受け取った門馬さんは「美幌が大好き。自分の音楽を通じ、美幌が良いところだと知って、訪れてもらえるようにしたい」と抱負を述べた。ライブにはほぼ満員の約150人が訪れ、2人は見事な掛け合いで11曲を披露。聴衆は時に繊細に、時に大胆に響くギターの音色を満喫した。(浩) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

関連サイト

町民会館文化情報 | 美幌町のホームページ

美幌観光物産大使及び美幌ふるさと応援大使設置要綱

商工観光グループ | 美幌町のホームページ

美幌観光物産協会のホームページ

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11月30日 日本の皇嗣、皇族 秋篠宮皇嗣殿下の誕生日

11月30日 日本の皇嗣、皇族 秋篠宮皇嗣殿下の誕生日

1992年 (平成4年) 7月10日 北海道美幌町の美幌音楽人加藤雅夫が赤坂御用地にある秋篠宮家の宮邸を訪問する。庭園の紫陽花(アジサイ)が見事に咲いていた。秋篠宮邸の玄関先で、秋篠宮皇嗣殿下と秋篠宮皇嗣妃殿下が幼子の眞子内親王を抱いてお見送り。 1999年 (平成11年) 5月14日 北海道美幌町の美幌音楽人加藤雅夫が二度目の秋篠宮邸訪問。新居のお祝いに北海道美幌町の鈴蘭(スズラン)の苗を持参する。 2006年(平成18年)6月1日 秋篠宮皇嗣殿下が北海道網走市内の東京農大オホーツクキャンパスご来訪。生き物文化誌学会第4回芸術大会オホーツク大会ご出席。(三顧の礼?!)

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皇嗣 皇位継承順位第一位の皇族 / 皇嗣(こうし、英: Crown Prince)は、皇室典範において、皇位継承順位第1位の皇族を指す呼称。現行の皇室典範では皇嗣のうち、天皇の皇子である者には皇太子(こうたいし)、皇孫である者には皇太孫(こうたいそん)の称号を付している。第126代天皇徳仁在位中の皇嗣は、その皇弟にあたる秋篠宮文仁親王(上皇明仁第2皇男子)である。 (皇嗣 – Wikipedia)

秋篠宮文仁親王 日本の皇嗣、皇族 / 秋篠宮皇嗣殿下親王(あきしののみや ふみひとしんのう、1965年〈昭和40年〉11月30日 – )は、日本の皇族。皇嗣(2019年〈令和元年〉5月1日 – )。上皇・上皇后の第2皇男子。今上天皇の皇弟。秋篠宮家の家祖。称号は礼宮(あやのみや)、お印は栂(ツガ)。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。勲等は大勲位菊花大綬章。政府方針による呼称は皇嗣殿下(こうしでんか)。宮内庁による正式呼称は秋篠宮皇嗣殿下。皇室典範特例法第5条の規定により、皇嗣となった2019年(令和元年)5月1日以降、皇太子と同等の待遇とされている(国外への対外的な呼称は皇太子と同等のCrown Prince Fumihito)。なお、現行の皇室典範の下では初の皇太子以外の皇嗣である。住居は東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にある秋篠宮邸。1997年(平成9年)3月からは旧秩父宮邸を改築して使用していたが、立皇嗣にあたり再び宮邸を改修するため、2019年(平成31年)2月から御仮寓所に移った。 (秋篠宮文仁親王 – Wikipedia)

関連サイト

文仁親王殿下お誕生日に際し(平成30年) – 宮内庁のホームページ

秋篠宮家 – 宮内庁のホームページ

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天皇家の皆さま方と美幌峠(美幌町) – 美幌音楽人 加藤雅夫

秋篠宮家 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

日本の皇室のご活動・ニュース (令和元年 秋) – 美幌音楽人 加藤雅夫

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Guitar & Piano Concert 北見の秋に寄せて (北海道北見市)

Guitar & Piano Concert 北見の秋に寄せて (北海道北見市)

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ギター&ピアノコンサート 2019/10/31掲載(北見市/告知) ~北見の秋に寄せて 端野の石倉交流センターで / 11月17日 / スペインや中南米の曲を中心とした「ギター&ピアノコンサート~北見の秋に寄せて」が11月17日(日)午後2時から、北見市端野の石倉交流センターで開かれます。 出演は、北見出身で現在は旭川を拠点に活動するアマチュアギタリスト鹿野誠一さん、札幌在住のピアニスト戸田浩子さん、北見のギター講師森元裕太さんの3人。「アルハンブラの思い出」「アランフェス協奏曲第二楽章」のほか、クラシックギター界で有名な「大聖堂」のピアノ演奏もあります。 入場料千円。チケットは北見市民会館、北見芸術文化ホールなどで取り扱っています。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

アグスティン・ピオ・バリオス(スペイン語: Agustín Pío Barrios, 1885年5月5日 サン・ファン・バウティスタ・デ・ラス・ミシオーネスに生まれる – 1944年8月7日 サンサルバドル没)はパラグアイのギタリスト・作曲家・詩人である。アグスティン・バリオス=マンゴレ(スペイン語: Agustín Barrios Mangoré)とも呼ばれる。 作曲 / バリオスは20世紀の音楽家であったが、その作品は後期ロマン主義音楽の特徴が見受けられる。作品の多くは、中南米の民俗音楽に感化されている。超絶技巧を要する作品も非常に多い。 バリオスの作品は、3つの根本的なカテゴリーに分けることができる。国民楽派、パスティーシュ、宗教性である。中米や南米の民謡を模倣した楽曲を創り出すことによってバリオスは母国の音楽伝統や民衆に敬意を払っている。バロック音楽やロマン派音楽の時代様式と作曲技法を模倣することは、バリオスの職人芸の一端であり、《大聖堂(La Catedral)》(1921年)はバッハの摸作と看做し得る。この《大聖堂》は、バリオスの宗教体験に触発されており、したがって宗教的な楽曲に分類してもよい。信仰心や宗教体験は、バリオスの作曲過程においても重要な役割を担っている。「最後のトレモロ」という通称で知られる《神様のお慈悲に免じてお恵みを(Una Limosna por el Amor de Dios)》[1][2][3]は、信仰心に触発されたもう一つの例である。バリオス作品を分析してこれら3つのカテゴリーに分けることは、ギター音楽愛好家にとって、作曲者の音楽的な意図を理解する手引きになるであろう。 (アグスティン・バリオス – Wikipedia)

関連サイト

石倉交流センター | 北見市ホームページ

北海道バリアフリーマップ 北見市

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国立療養所美幌病院について (北海道美幌町)

国立療養所美幌病院について (北海道美幌町)

1947年(昭和22年) 国立療養所美幌病院の開設。建物は、日本海軍・美幌海軍航空隊の建物。この年は、美幌音楽人 加藤雅夫が誕生。

1972年(昭和47年) 国立療養所美幌病院で慰問演奏会開催。小林啓一郎指揮 クシロマンドリンクラブ(北海道釧路市)。美幌ギター愛好会(美幌マンドリンクラブ、美幌ギター・マンドリン協会、オホーツクマンドリンアンサンブル)。美幌音楽人 加藤雅夫(25歳)。慰問コンサート終了後の1か月後に風邪をこじらせて国立療養所美幌病院の一般病棟に入院。入院患者たちは「あなた、この間、慰問演奏に来た人ですね、今度は入院しに来たの? ギターを持ってきたの?」私は「はい、ギター・マンドリンを持ってきました」。

国立療養所美幌病院には15年・20年の長期の入院患者たちがいました。国立療養所美幌病院附属の看護学校・准看護学校があり数十人の学生がいました。学生たちは、美幌高等学校定時制に通っていました。毎日、皆さんのためにギターを演奏しました。学生たちは、退院後にギター・マンドリンを習いに来てくれました。

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国立病院・国立療養所の一覧 ウィキメディアの一覧記事 / 日本の国立病院・国立療養所の一覧(こくりつびょういん・こくりつりょうようじょのいちらん)を下に示す。 北海道 / 国立療養所美幌病院(美幌町)2005年3月1日、経営移譲し美幌療育病院が開院した。 (国立病院・国立療養所の一覧 – Wikipedia)

国立療養所 ウィキメディアの曖昧さ回避ページ / 国立療養所(こくりつりょうようしょ)は、第二次世界大戦後に設置された長期入院患者向けの国立医療施設である。 1945年、50傷痍軍人療養所(結核36・精神3・脊髄1・温泉10)が厚生省に所管替えとなり、1947年には95結核療養所が日本医療団から厚生省に移管されて、国立療養所の体系が形成された。厚生省(のち厚生労働省)の附属機関(のち施設等機関)に位置づけられ、医療の専門化高度化に伴い整備・再編が進められた。2004年、独立行政法人化により多くが国立病院機構に改編された。 (国立療養所 – Wikipedia)

関連サイト

施設案内(病院の概要) – 美幌療育病院のホームページ

【美幌駐屯地】 陸上自衛隊 第5旅団ホームページ – 防衛省・自衛隊

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国立療養所美幌病院 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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ぼくどうして涙がでるの (北海道の 札幌医科大学附属病院・ノンフィクション)

ぼくどうして涙がでるの (北海道の 札幌医科大学附属病院・ノンフィクション)

1969年(昭和44年)10月、22歳の私は、札幌医科大学附属病院6階にある胸部外科の病棟に入院した。大人用の病室が満室だったので子供用の病室に入れられた。病室には二十歳の若者くん、中学生の男子、小学生の子供、4歳の子供、2歳の子供、6か月の赤ちゃん、三か月の赤ちゃんがいた。美幌町から来た赤ちゃんもいた。 皆さんは先天性の心疾患です。日本各地からやって来た。

私は、あいさつ代わりにギターを演奏した。ナースステーションから聴診器を拝借して、子供たちの耳にあててギターを演奏した。子供たちの顔色や爪色は悪いけれど、キラキラとした瞳はとても喜んでいた。毎日演奏した。皆は「ギターのお兄ちゃん、ありがとう」と言ってくれた。病気の苦しみは言わないけれど、ギター演奏の喜びは笑顔で表現してくれる。 脳性麻痺の重症患者(29歳)の男性が入院してきた。母親は「樺太からの引き揚げで息子(幼児)が高熱を出しました。手術後に献体します」と言った。その母子はクリスチャンだった。

当時、胸部外科の病棟では、月曜日から土曜日まで手術があった。私は七か月入院した。そして、26人の子供たちが死去した。午前中に子供たちは「ギターのお兄ちゃん、行ってきます」と言います。午後に看護師たちがベッドの荷物を持ち去ります。そして、次の患者が入ってきます。病院の近所の旅館で何日も待機していたそうです。私は、新しく来た子供たちにギター演奏できなくなった。

退院後、美幌の音楽仲間から「加藤さんのギターは悲しい音色ですね」と言われた。その後、私の娘が誕生してからは「悲しい音色ですね」と言われなくなった。

もう半世紀、50年経った。あのときのキラキラとした瞳の26人の子どもたちは、今も美幌音楽人加藤雅夫と共に生きている。(ギターのおじいちゃん 72歳)

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和田心臓移植事件(わだしんぞういしょくじけん)とは、1968年(昭和43年)8月8日に札幌医科大学で行われた、日本初の心臓移植手術をめぐる事件である。 (和田心臓移植事件 – Wikipedia)

和田 寿郎(わだ じゅろう Juro Wada、1922年3月11日 – 2011年2月14日[1])は、日本の心臓血管外科医。札幌医科大学名誉教授。ワダ弁(人工心弁)の開発や、後に「和田心臓移植事件」として様々な疑惑が浮上する日本初の心臓移植手術を執刀したことで有名な医師。 人物 / 北海道札幌市生まれ。医学の道を志し、旧制札幌第一中学校から北海道帝国大学予科を経て、同大学医学部を1944年(昭和19年)に首席で卒業した。 心臓外科医としての歩み1950年(昭和25年)に北大医学部講師を辞め、アメリカへ4年に亘る留学をする。ミネソタ州立大学、オハイオ州立大学胸部外科、ハーバード大学などで研鑽を積む。ミネソタでは、世界初の心臓移植を執刀した南アフリカのクリスチャン・バーナードと知己を得、さらに犬を使った動物実験で画期的な成功を収め、その後も世界の心臓移植を牽引し続けたノーマン・シャムウェイともここで知り合った。アメリカ留学の間に合理主義を培った。 1954年(昭和29年)に帰国。和田の母校である北大医学部は彼の復帰を受け入れなかった。それ以来、旧帝国大学系医学部に敵愾心を抱くようになったとも言われている。初代学長大野精七の招きで新設されたばかりの札幌医科大学助教授に就任。 1958年(昭和33年)に同医大に胸部外科が創設されると、36歳の若さで初代胸部外科教授となった。当時画期的だった人工弁「ワダ弁」を自身の考案によって開発し、弁置換術において日本一の実績を誇った。なお「ワダ弁」は、後にバーナードによる世界初の心臓移植手術にも用いられている。論文の数と術例の豊富さで、歴史と伝統を誇る北大医学部第二外科に対抗した。その後も人工心肺の心内直視下手術(開心術)における使用時間の向上とともに、心臓外科における未知の領域を開拓していった。例えば1968年(昭和43年)には大血管完全転移症に対する根治手術のひとつであるマスタード手術に日本で初めて成功している。 同年、日本初の心臓移植手術を執刀し、大きくその名を世間に知られるが、心臓移植の際にドナーとレシピエントをともに殺したのではないかという強い疑いをかけられる、いわゆる和田心臓移植事件で注目を浴び、殺人罪で刑事告発されている(不起訴処分)。 (和田寿郎 – Wikipedia)

関連サイト

和田寿郎教授心臓移植事件 – クール・スーサン(音楽 芸術 医学 人生 歴史)

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残疾人歳時記 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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日本の舞踊家・フラメンコの第一人者 小松原庸子

日本の舞踊家・フラメンコの第一人者 小松原庸子

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小松原 庸子(こまつばら ようこ、1931年3月2日 – )は、日本の舞踊家。フラメンコの第一人者。 概要 / 常磐津勝蔵の長女として東京府東京市浅草区柳橋で生まれ、邦楽一家の中で育つ。幼い頃から、三味線、日本舞踊、クラシック・バレエなどを習い、15歳のとき、小牧バレエ団に入団。俳優座で演劇活動も始める。女子美術大学付属高等学校出身。 1958年(昭和33年)に単身スペインにわたり、エンリケ=エル=コホらにフラメンコを学びステージに立つようになる。帰国後の1969年(昭和44年)スペイン舞踊団を結成。 俳優の菅原謙次は実兄。 主な受賞歴 / 1975年、アントニオ・マイレナ特別賞 / 1983年、芸術祭舞踊部門大賞『ゴヤ』(文化庁) / 1989年、ジェラルド・ブレナン賞(アンダルシア文化協会) / 1993年、文化庁最優秀舞台 / 1996年、紫綬褒章 / 2004年、旭日小綬章 / 2005年、アミーゴス・デ・アンダルシア(アンダルシア州政府) / 2006年、コンパス・デル・カンテ特別賞(スペイン政府)、APDE賞(スペイン国) / 2009年、イザベル女王勲章 エンコミエンダ章(スペイン国王陛下) (小松原庸子 – Wikipedia)

関連動画

松原庸子さんインタビュー 2019年6月18日 – YouTube

関連サイト

小松原庸子について – 小松原庸子スペイン舞踊団ホームページ

Yoko Komatsubara – 小松原庸子スペイン舞踊団ホームページ

小松原庸子スペイン舞踊団創立50周年記念 情熱フラメンコ!!2019 | NEWS | 一般財団法人 民主音楽協会

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小松原庸子 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

Yoko Komatsubara の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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