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北海道 カテゴリのアーカイブ
タカハシの高橋康弘さん 美幌町に寄付
タカハシの高橋康弘さん 美幌町に寄付
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美幌町に100万円寄付 株式会社タカハシの高橋会長が / スポーツ振興に役立てて / 株式会社タカハシ代表取締役の高橋康弘さんが9日、スポーツ振興に役立ててほしいと、美幌町に100万円を寄付した。今年2月に亡くなった母・静子さんが町にお世話になったお礼として寄付した。静子さんはスポーツ観戦が好きで、自らも70歳を過ぎてからスキューバダイビングを楽しんだという。町役場を訪れた高橋さんは「美幌はスポーツの指導者、町のバックアップがすばらしい。若い選手のために役立てて」と土谷耕治町長に寄付金を手渡し、土谷町長は「趣旨に沿った使い方をさせていただく」と感謝した。(浩)(2018年4月12日の記事 経済の伝書鳩)
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The International Year of Astronomy 世界天文年2009 について
The International Year of Astronomy 世界天文年2009 について
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世界天文年2009(せかいてんもんねん、英: International Year of Astronomy)、略称「IYA」は、2009年がガリレオ・ガリレイによる天体望遠鏡を用いた初めての天体観測から400年目であることを記念し、世界中の人々に天文学と宇宙への関心を持ってもらうことを目的とした企画である(国際年)。国際連合、ユネスコ、国際天文学連合によって定められた。概要 / スローガンは、「宇宙・・・解き明かすのはあなた」(The Universe: Yours to Discover)。夜空の天体、太陽、惑星、流星などに目を向け、広大な宇宙の中の地球、そしてその地球の上の生命や人間の存在に思いを寄せて、新たな発見をして欲しいという願いを込めたスローガンである。(世界天文年2009 – Wikipedia)
The International Year of Astronomy (IYA2009) was a year-long celebration of astronomy that took place in 2009 to coincide with the 400th anniversary of the first recorded astronomical observations with a telescope by Galileo Galilei and the publication of Johannes Kepler’s Astronomia nova in the 17th century. The Year was declared by the 62nd General Assembly of the United Nations. A global scheme, laid out by the International Astronomical Union (IAU), was also endorsed by UNESCO, the UN body responsible for educational, scientific, and cultural matters. The IAU coordinated the International Year of Astronomy in 2009. This initiative was an opportunity for the citizens of Earth to gain a deeper insight into astronomy’s role in enriching all human cultures. Moreover, served as a platform for informing the public about the latest astronomical discoveries while emphasizing the essential role of astronomy in science education. IYA2009 was sponsored by Celestron and Thales Alenia Space. (International Year of Astronomy – Wikipedia)
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世界天文年2009参加・実施マニュアル – 天文教育普及研究会
International Year of Astronomy 2009
関連エントリ
日本の天文愛好家:関勉(高知) 円舘金(美幌町) ー 美幌音楽人 加藤雅夫
Eyes on the Skies ー 美幌音楽人 加藤雅夫
世界天文年2009イメージソング「銀河」(MISIA) ー 美幌音楽人 加藤雅夫
100 Hours of Astronomy ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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びほーる演劇ひろば「7colors 星を見ながら」(北海道 美幌町民会館)
- 2018年04月11日(水) 1:19
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, 北海道, 美幌町
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びほーる演劇ひろば「7colors 星を見ながら」(北海道 美幌町民会館)
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14日・初のオリジナル公演 びほーる演劇ひろば / 美幌町内の子ども達が舞台活動を学ぶ「びほーる演劇ひろば」の公演「7colors~星を見ながら」が14日(土)午後4時から町民会館びほーるで行われる。本番を前に、子ども達が稽古に打ち込んでいる。演劇ひろばは、舞台での表現活動を通じて子ども達の感性やコミュニケーション力、向上心を育てようと、美幌町教育委員会の主催で29年1月に活動を開始。第3回公演の今回は、昨年9月の第2回公演以降、稽古を重ねてきた。びほーるの音響、照明などを手がけるP&L企画(根室管内中標津町)美幌ホール主任の男性(47)が脚本や演出、舞台監督を担当。宇宙旅行をする子ども達がさまざまなトラブルを乗り越えて友情を育むストーリーで、初のオリジナル作品になる。4歳から中学1年生まで17人が出演する。子ども達の主体性を生かした舞台づくりの過程を大切にしており、男性は「歌詞やセリフのアイデアを積極的に出してくれた」と子ども達の成長ぶりを認める。出演者の旭小6年女子児童は「長いセリフがあるので不安もあるけれど頑張りたい」、東陽小6年男子児童は「下級生が頑張ってダンスをするので見てほしい」と話している。観覧は無料。問い合わせは、町民会館(TEL 0152-73-4187)へ。(浩)(2018年4月10日の記事 経済の伝書鳩)
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自死遺族による「わかちあいの会 With(ウィズ)」(北海道網走市)
自死遺族による「わかちあいの会 With(ウィズ)」(北海道網走市)
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亡くされた悩み ひとりで抱えずに 網走で自死遺族 わかちあいの会 / 網走市保健センターに事務局を置く、自死遺族による〔わかちあいの会 With(ウィズ)〕は、「大切な方を失った人にしかわからない心の体験を語る場です。悩みや不安があれば気軽に相談してください」と呼びかけている。問い合わせは同保健センター(TEL 0152-43-8450)へ。悩み、不安などに応じる専用アドレスはabashiri.with@city.abashiri.hokkaido.jp
自殺(じさつ)とは、自分で自分を殺すこと[2]。自害、自死、自決、自尽、自裁などとも言い、状況や方法で表現を使い分ける場合がある。(自殺 – Wikipedia)
関連サイト
自死遺族のための「わかちあいの会With(ウィズ)」のご案内 – 網走市役所
網走市保健センター|庁舎・公共施設の案内|網走市 – 網走市役所
関連エントリ
9月10日の世界自殺予防デー (World Suicide Prevention Day) ー 美幌音楽人 加藤雅夫
わかちあいの会 With(ウィズ) ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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食と観光をPRするガイドブック「おかわりきたみ2杯目」
食と観光をPRするガイドブック「おかわりきたみ2杯目」
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「おかわりきたみ2杯目」発行 食と観光のガイドブック / 北見市が昨年に続き 英、中、韓国語版も / 北見市は、食と観光をPRするガイドブック「おかわりきたみ2杯目」を発行した。昨年4月に制作した「おかわりきたみ」に続く第2弾。北見の食文化を観光振興につなげる狙いで、日本語版3万部のほか英語版、中国語版、韓国語版合わせて8千部を制作した。女性旅行客にも手に取ってもらえるように内容とデザインを工夫したという。A5判変形16ページ。地元飲食店の協力によりタマネギ、白花豆、ホタテなどの食材で開発した料理やスイーツを提供店の情報とともに掲載。このほかアドヴィックス常呂カーリングホールや山の水族館などの観光スポットも紹介している。女満別空港やJR北見駅、道の駅おんねゆ温泉観光案内所、市内の宿泊施設などで希望者に配布する。専用のウェブサイト(http://kitami-mylove.jp/)でも食と観光の情報を発信している。(柏)(2018年4月9日の記事 経済の伝書鳩)
関連サイト
「北見MY LOVE地域の宝」食資源活用発展型観光客誘致推進事業 北見の食を生かした着地型観光商品づくり業務委託 公募型プロポーザルの実施について | 北見市
「北見 MY LOVE 地域の宝」食資源活用型観光振興事業 食&観光ガイドブック及びWEBサイトの完成について | 北見市
北見MYLOVE 北海道北見市 観光グルメスポット オフィシャル WEBサイト
北見MY LOVE 地域の宝 – Home | Facebook
きたみing | 北見MYLOVE 北海道北見市 観光グルメスポット オフィシャル WEBサイト
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oishiiーmachi abashiri おいしいまち網走(北海道網走市)
oishiiーmachi abashiri おいしいまち網走(北海道網走市)
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網走観光 新発信 市と観光協会がホームページ統合 / 網走観光をPRする新たなHPが開設された。市と同市観光協会のHPを統合して誕生し、多言語などのニーズに対応しているのが特徴。新たなHPは「同協会が主体となり、市観光課と共同で運営します」(同課)としている。
多言語などニーズに対応 / 新たなHPは、今月2日に運用開始。伴って、市の観光HP「旅なび!網走」は役目を終えた。HPを統合し一本化することで、多種多様な観光ニーズに迅速に対応できるメリットが生まれそうだ。市は平成29年度当初予算に関連事業費を盛り込み、準備を進めてきた。新HPは大きなサイズの写真を多用し、見やすくしたことが特徴。また、英語や中国語、ハングル語表記のページを設け、訪日外国人旅行者に配慮している。このほか、スマートフォンなどに対応し、現代ツーリストのニーズに応えている。市の観光HP「旅なび!網走」は平成13年度に開設。開設当初は、担当職員が網走の季節ネタを写真付きで投稿するブログを設けるなど、斬新なアイデアが目を引いた。また、SNSにも注目し、ツイッター版「旅なび」も開設。フォロワーは1万人を超える人気ぶりで、市はこのツイッターは残し、継続更新している。新たなHPの主テーマは、以前の同協会HPと同じ「おいしいまち網走」となっている。閲覧したい場合は、主な検索エンジンに「おいしいまち網走」と入力すればよい。問い合わせは市観光課(TEL 0152-44-6111)へ。(大)(2018年4月7日の記事 経済の伝書鳩)
関連サイト
おいしいまち網走(網走市観光課)oishii−machi abashiri – ホーム | Facebook
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oishiiーmachi abashiri の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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世界シニアカーリング選手権(北見カーリング協会)
- 2018年04月10日(火) 10:16
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, カナダ, スイス, スウェーデン, スポーツ, 健康・福祉, 北海道, 北見市, 国際, 日本
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世界シニアカーリング選手権(北見カーリング協会)
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3年連続シニアカーリング世界大会へ 北見カーリング協会 女性(59) / 北見カーリング協会の女性(59)=北見市=が稚内、札幌、帯広の選手と組むチームHokkaidoが、日本シニアカーリング選手権女子の部でみごと3連覇を飾った。ジュニアの指導にも熱心で競技者と二刀流の女性。日本代表として3年連続の世界大会は「今度こそ表彰台に」と意気込む。
日本選手権女子の部で3連覇 ジュニアの指導にも熱心 今度こそ表彰台に / シニアは50歳以上が対象。女性は日本選手権やミックスダブルス選手権で顔を合わせたことのあるカーリング仲間から声を掛けられ、50~70歳代の道内選手とチームを作り、3年前から出場している。近年はシニアのチーム数が増え、勝ち上がるのが難しくなってきているという。第15回日本シニアカーリング選手権は2月14~18日、空知管内の妹背牛町カーリングホールで行われ、女子は6チームが出場。女性がサードを務めるチームHokkaidoは予選リーグ4勝1敗の2位で決勝トーナメントへ。準決勝のaomori戦を5-4で辛くも勝ち上がると、決勝のチーム札幌戦は11-0で快勝した。今年の世界シニアカーリング選手権は4月21~28日、スウェーデンのエステルスンドに16カ国を集め開催。日本女子シニアの今季の世界ランキングは7位で、カナダ、スイス、スコットランドなどが上位を占める。女性は「一昨年の8位、昨年の7位を上回る成績を」と張り切り、「氷の状態を読むアイスリーディングが試合を左右すると思う。経験を生かしがんばりたい」。カーリング歴23年。北見市花月町の河西建設カーリングホールをホームリンクに活動しており、ジュニアの育成にも心を注ぐ。ホールは4月上旬でシーズンオフ。世界戦を前にシーズン最後の初心者カーリング体験会では、人一倍元気な声で熱心に指導していた。(寒)(2018年4月9日の記事 経済の伝書鳩)
女子カーリング世界シニア選手権出場 チームHokkaido 北見・女性 / 女子カーリングの2018世界シニア選手権に、チームHokkaidoの一員として出場した北見市の女性が開催地のスウェーデンから帰国した。女性は3年連続出場。今回は8位で、連続入賞の好成績も「残念。惜しかった。いい試合はできた」と、今までで一番悔しそうだ。連続入賞も「残念、惜しかった」 強豪国相手に健闘、日本は8位に / メンバーは女性のほか帯広、札幌、稚内の50~70歳代のカーリング選手。日本シニア選手権を3連覇し、スウェーデン・エステルスンドでの大会に臨んだ。16カ国を2ブロックに分けた予選リーグは、日本の入るAブロックが強豪ぞろい。結局、優勝したカナダを含め、スウェーデン、アメリカという屈指の強豪国に敗れ、それ以外はすべて勝利したが4勝3敗で決勝トーナメントに進めなかった。チームのバイスキップ(副主将)を務める女性は、サードで全試合に出場。「カナダ戦(スコア2対6)、スウェーデン戦(6対7)と、ともにリードしていたが終盤に逆転された。あと一つ勝っておけば、決勝トーナメントに進めた」ともう一歩に迫った戦いを振り返り「スウェーデンチームのスキップ、アネッテ・ノルベリ選手はオリンピック3回出場で2006年トリノと2010年バンクーバーは金メダル。そのようなすごい人と戦えて幸せでした」。その上で「負けたけれど強豪国にくらいついていけた。絶対に勝てないチームではなくなった」と、前2大会と比べての感想を語る。「最後は、体力の差かも」。世界シニア選手権と隣り合わせの会場で世界ミックスダブルス選手権も開かれていた。出場していた同じく北見市出身の藤澤五月選手(ロコ・ソラーレ)らを試合の合間を縫って応援したり、閉会式後のパーティーは「みんなでワイワイと踊りまくり、盛り上がった」と女性。日本から持って行った羽織を着て出席し、外国選手から注目を集めたそう。「前2回よりも周りを見られるようになった」という。8位、7位、そして今回8位。来年はノルウェーで開催。今後については「課題の体力不足を補わなければ」と、すでに来シーズンを視野に、オフの間の筋力アップをめざす。日本の対戦結果は次の通り。◇日本 ▽6-7スウェーデン ▽5-4オーストラリア ▽(不戦勝)ポーランド ▽5-9アメリカ ▽2-6カナダ ▽8-4リトアニア ▽7-0ロシア。(寒)(2018年5月11日の記事 経済の伝書鳩)
世界シニアカーリング選手権(せかいシニアカーリングせんしゅけん、英: World Senior Curling Championships)は、世界カーリング連盟(WCF)が主催するカーリングの50歳以上の選手による世界選手権大会。男女共に2002年から毎年3月から4月上旬の期間の間に行われている。男女同会場で行われている。(a href=”https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9″>世界シニアカーリング選手権 – Wikipedia)
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北見カーリング協会北見支部 – ホーム | Facebook
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世界シニアカーリング選手権 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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1952年4月10日 NHKの連続ラジオドラマ『君の名は』が放送開始
1952年4月10日 NHKの連続ラジオドラマ『君の名は』が放送開始
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1952年4月10日 NHKで連続ラジオドラマ『君の名は』が放送開始。(4月10日 今日は何の日~毎日が記念日~)
1952年4月10日 – NHKで連続ラジオドラマ『君の名は』が放送開始。(4月10日 – Wikipedia)
『君の名は』(きみのなは)は、1952年 – 1954年に日本のNHKラジオで放送されたラジオドラマである。映画化、テレビドラマ化、舞台化もされた。概要 / 脚本家・菊田一夫の代表作。1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得した。NHKラジオ連続放送劇 / 放送期間は、昭和27年(1952)4月10日-29年(1954)4月8日。毎週木曜8時半から9時までの30分放送。番組の冒頭で「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という加藤幸子、1953年(昭和28年)1月からは鎌田彌恵のナレーションが流れた。当時のラジオドラマは生放送だったため、劇中のBGMは音楽の古関裕而がハモンドオルガンを毎回即興で演奏していた。(君の名は – Wikipedia)
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2019年4月10日 天皇皇后両陛下の60回目の結婚記念日
2019年4月10日 天皇皇后両陛下の60回目の結婚記念日
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1959年 4月10日 皇太子明仁親王(今上天皇)が正田美智子さんと結婚。皇居賢所から初めてテレビ中継される。(4月10日 今日は何の日~毎日が記念日~)
1959年 4月10日 – 皇太子・明仁親王と正田美智子が結婚、ミッチー・ブームが最高潮に。(4月10日 – Wikipedia)
ミッチー・ブームとは、正田美智子(当時)が1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて、日本の皇太子・明仁親王(当時)と婚約して結婚することにより生じた社会現象。平民である美智子が、皇太子との「テニスコートでの自由恋愛」により結婚に至ったこと、美智子がカトリックのミッション系大学出身者であったことなどをマスメディアが報道し、大きな話題となる。これを契機にテレビが普及するなど、第二次世界大戦後の日本の経済、ファッション、マスメディアなどの領域で、社会に大きな影響を与えた。概要 / 婚約 / 第二次世界大戦終結後11年が経過し、1956年(昭和31年)の経済白書が「もはや戦後ではない」と明記し、景気が上昇していた中で、宮内庁は1958年(昭和33年)11月27日、皇室会議が日清製粉社長正田英三郎の長女・美智子を皇太子妃に迎えることを可決したと発表する。結婚 / 翌1959年(昭和34年)4月10日の、いわゆる結婚式(「結婚の儀」「御成婚」)と、実況生中継されたパレード(ご成婚パレード)で、ミッチー・ブームは頂点に達する。関連作品 / 祝典行進曲 作曲:團伊玖磨。皇太子のタンゴ(Tango of Prince)作曲:ロタール・オリアス(ドイツ語版)、演奏:リカルド・サントス楽団 正田美智子と明仁親王の婚約発表を祝賀して制作され、ヒットした。皇太子殿下御成婚祝典序曲 作曲:芝祐靖、演奏:宮内庁式部職楽部 楽部は雅楽の演奏が主だが、西洋楽器も修得している。祝典序曲 作曲:石井歓、演奏:東京交響楽団 KRテレビで放送された。祝典曲 作曲:別宮貞雄 日本テレビで放送された。カンタータ「祝婚歌」 作曲:黛敏郎、作詞:三島由紀夫、演奏:ヴィルヘルム・シュヒター指揮NHK交響楽団 NHKの委嘱により作曲、放送された。小カンタータ「わが皇子とわが妃 皇太子・美智子賛歌」 作曲:山田一雄(当時は「和男」表記)、演奏:作曲者指揮東京交響楽団。舞楽「嘉春楽」 作曲:宮内庁式部職楽部(辻寿男・東儀和太郎両楽長補が中心となって作曲)。管絃「雲竜楽」 作曲:宮内庁式部職楽部(辻寿男・東儀和太郎両楽長補が中心となって作曲)。管絃「仁寿楽」 作曲:宮内庁式部職楽部(辻寿男・東儀和太郎両楽長補が中心となって作曲)。(ミッチー・ブーム – Wikipedia)
皇后美智子(こうごう みちこ Empress Michiko、1934年〈昭和9年〉10月20日 – )は、日本の皇族。第125代天皇・今上天皇の皇后。旧姓は正田(しょうだ)。皇室典範に定める敬称は陛下。略歴 / 1958年(昭和33年)11月27日、結婚が皇室会議において満場一致で可決された。同日記者会見にて、記者から明仁親王の魅力について問われ「とてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げて行かれる方だというところに魅力を感じ致しました。」と回答。これは当時の流行語にもなった[13]。また第一印象について「ご清潔な方」とした。明仁親王と美智子の巨大な写真がデパートに飾られる・「美智子さまぬりえ」が発売される等のミッチー・ブームが起こる。皇太子妃時代 / 1959年(昭和34年)4月10日、皇太子明仁親王と結婚、明治以降初めての民間出身[注釈 2]の皇太子妃となる。同日の成婚パレードには、沿道に53万人もの市民が集まった。お印は夫妻の出会いの場だった軽井沢にちなんで白樺とした。皇后時代 / 1989年(昭和64年)1月7日、明仁親王の即位に伴い皇后になる。1994年(平成6年)10月20日、還暦を迎える。「上皇后」へ / 2017年6月9日に退位特例法が成立した。これにより今上天皇の退位が実現すれば、同法に基づき称号は「上皇后」となる。著作 / 作詞 / ねむの木の子守歌(作曲:山本正美) 1966年、吉永小百合(ビクター)と梓みちよ(キング)の競作でシングルレコードとして発売。鮫島有美子や横内美知代をはじめ多くの歌手にカバーされている。(皇后美智子 – Wikipedia)
明仁(あきひと Emperor Akihito、1933年(昭和8年)12月23日 – )は日本の第125代天皇(在位: 1989年(昭和64年)1月7日 – )である。現時代においては「在位中の天皇」を意味する今上天皇(きんじょうてんのう)、または敬称をつけて天皇陛下(てんのうへいか)と呼ばれることが多い[2]。来歴 / 青年以降 / 1957年(昭和32年)8月19日、避暑で訪れた軽井沢のテニストーナメントで正田美智子と出会う。1959年(昭和34年)1月14日に納采の儀が、同年4月10日に結婚の儀が執り行われた。明治以降では初の民間出身・皇太子妃であり、また結婚に至る過程が報道されたこともあって、市民からは熱烈に歓迎され、国民的な「ミッチー・ブーム」が興る。成婚のパレードは盛大に行われ、国民の祝福を受けた。2人の成婚の様子を見るために、当時高価であったテレビも普及し始めた。また婚礼を祝して「祝典行進曲」が作曲された。2017年12月1日、天皇の生前退位の日程が2019年4月30日に決定したと発表された。同8日、政府は同日付での退位を閣議決定した。即位以降 / 1989年(昭和64年)1月7日、父・昭和天皇の崩御を受け、即座に歴代2位の年長となる55歳で即位(現在は皇室典範により、践祚と即位が統合されたため、従前の践祚に相当)。譲位 / 2017年(平成29年)6月9日の参議院で天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立し、16日に正式公布された。このため、その地位と職務をすべて皇太子徳仁親王へ譲り、自らは光格天皇以来200年ぶりとなる上皇となる予定である。また退位日については、2017年(平成29年)12月1日開催の皇室会議において、2019年(平成31年)4月30日とすることが決まった。この日限りで平成の元号は終わる。(明仁 – Wikipedia)
『祝典行進曲』(しゅくてんこうしんきょく)は、1959年(昭和34年)に團伊玖磨によって作曲された行進曲。1959年、当時皇太子であった明仁親王(今上天皇)及び美智子妃(現皇后)の成婚を祝して作曲された。概要 / 日本の作曲家・團伊玖磨が、1959年に皇太子の成婚を祝して作曲した行進曲である。1964年の東京オリンピック及び1984年のロサンゼルスオリンピックの開会式[1]、1990年(平成2年)の即位の礼、1992年の天皇訪中の際、中国側の歓迎として晩餐会で、2005年(平成17年)の黒田慶樹と紀宮清子内親王との結婚式で演奏された。2009年(平成21年)12月13日、アマチュア・オーケストラである学習院OB管弦楽団主催の今上天皇即位20年と天皇・皇后の結婚50年記念演奏会では、皇太子徳仁親王がヴィオラの首席奏者として参加し、天皇、皇后、皇太子妃が客席から鑑賞した。(祝典行進曲 (團伊玖磨) – Wikipedia)
関連サイト
天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年) – 宮内庁
皇太子さま ご結婚 | NHK名作選(動画他) – NHK語学番組 – NHKオンライン
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天皇家の皆さま方と美幌峠(美幌町) – 美幌音楽人 加藤雅夫
Empress Michiko の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
Emperor Akihito の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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北海道出身の作詞家 高橋掬太郎(酒は涙か溜息か)
北海道出身の作詞家 高橋掬太郎(酒は涙か溜息か)
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4月9日 忌日 / 1970年 高橋掬太郎 (作詞家『酒は涙か溜息か』) <68歳>[1901年4月25日生](4月9日 今日は何の日~毎日が記念日~)
高橋 掬太郎(たかはし きくたろう Kikutaro Takahashi、1901年(明治34年)4月25日 – 1970年(昭和45年)4月9日)は昭和期の作詞家。函館日日新聞の記者時代に作詞した『酒は涙か溜息か』が戦前の大ヒットとなった。経歴 / 1901年(明治34年)4月25日、北海道根室町(現・根室市)で漁師の息子として生まれ、「菊太郎」と名付けられた。根室商業学校を中退後、根室新聞社に入社。この頃から「高橋春波」のペンネームで文筆活動を始める。1922年(大正11年)、函館日日新聞に入社し、社会部長兼学芸部長として活躍するかたわら文芸同人誌に参加。詩や小説、脚本などを手がけた。1931年(昭和6年)、『酒は涙か溜息か』で作詞家デビュー。これは自身が日本コロムビア文芸部宛に当時新進作曲家として注目されはじめていた古賀政男を直接指名して投稿したもので、藤山一郎の歌唱で大ヒットした。1968年(昭和43年)、紫綬褒章受章。1970年(昭和45年)4月9日死去。享年68。同日従五位となり、勲四等旭日小綬章を授与された。函館市宝来町に高橋掬太郎碑がある。(高橋掬太郎 – Wikipedia)
酒は涙か溜息か(さけはなみだかためいきか)は、1931年(昭和6年)9月に日本コロムビアから藤山一郎の歌唱によって発売された昭和歌謡である。概要 / 作曲家・古賀政男、作詞家・高橋掬太郎、歌手・藤山一郎の出世作となった大ヒット曲。また、日本で最初にクルーナー唱法を取り入れた作品としても知られる。当時、古賀は新進作曲家として注目されはじめたばかりで、高橋は北海道で地方新聞の記者、藤山一郎は東京音楽学校(東京芸術大学音楽学部の前身)に在籍し将来を嘱望されたクラシック音楽生だった。折からの世界恐慌による不況にも拘らず、発売直後から大ヒットし、当時の蓄音機の国内普及台数の4倍のセールスを記録したという。売上は80万枚。歌のヒットにより、のちに松竹映画『想い出多き女』、新興キネマ『酒は涙か溜息か』として映画も製作された。経緯 / 1931年(昭和6年)夏、北海道の新聞記者の高橋掬太郎が日本コロムビア文芸部宛に詩を投書したことがきっかけだった。文芸部から作曲を依頼された古賀政男は、都々逸のような七五調の短い詩の作曲に当初は苦心し、毎日ギターで三味線の曲や民謡を弾いて模索していた。エピソード / 高橋掬太郎が書いた詩は、もともと高橋の馴染みの芸妓・千成がある事情から廃業することになり、その送別会の席上にて、高橋が即興で扇に書いて、彼女へ餞別として送ったものだった。のちに彼女はカフェの雇われマダムとなり、『酒は涙か溜息か』のモデルになったということもあって、店は大いに繁盛していた。しかし、昭和9年(1934年)の函館大火により、記念の扇子もろとも店も消失し、千成もまもなく失意のうちに病死したという。なお、『酒は涙か溜息か』のB面は、同じく作曲:古賀政男、作詞:高橋掬太郎による『私此頃憂鬱よ』であり、歌ったのは当時本格的に流行歌手として活動をはじめたばかりの淡谷のり子だった。(酒は涙か溜息か – Wikipedia)
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【岩手県岩手郡岩手町|e-いわてまち.ねっと】髙橋掬太郎 – 岩手町との接点
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