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北海道 美幌町の議会広報「びほろ町ぎかい」(2018年5月号)

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北海道 美幌町の議会広報「びほろ町ぎかい」(2018年5月号)

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議会広報 びほろ町ぎかい / 高校生議会「希望溢れる美幌町の実現への決意を表明する決議」 / 「私たちの町は農業を主要産業とした緑豊かな町です。また、町内を4本の国道が通り、女満別空港にも近いことから道東の交通の要衝とも言われています。しかし、私たち高校2年生が生まれた2000年には23,900人だった人口は、2017年末には19,957人と17年間で約4,000人(約17%)も減少しています。人口の減少のみならず少子高齢化も進み、2,000年には19.8%だった高齢者の人口比率は2017年には33.9%へと増加していると共に、子どもや働く世代の人口が減少していることも深刻な問題です。私たち美幌高校生は、美幌町に生まれ育った生徒もそうでない生徒も、16歳から18歳までの3年間、青春時代を美幌町で過ごします。人口が減り続け、美幌高校への入学生も少なくなり、母校がなくなってしまうようなことになれば、それはとても悲しいことです。この先、今より町が活気づくことで、人口と若者世代の割合が増加し、美幌高校の生徒も増え、私たちの卒業後も様々な方面で、活躍する母校の話題が聞こえてくるようになって欲しいと願っています。よって本高校生議会は、美幌町の未来に希望が溢れるよう、この町を愛し、私たちの町をより良くするための努力を惜しまないことはもちろん、周囲の人々へ働きかけ、より多くの人々から美幌町が愛されるために全力を尽くすことを決意し、ここに表明します。以上、決議します。」
あとがき / 早くも町議会議員任期4年の最終年になりました。明るく住みよいまちづくりの実現に向けて、しっかりと議論を重ねてまいります。6月定例会の皆さんの傍聴をお待ちしています。議会広報は「議会の活動を町民に知っていただくこと」を目的に発行しており、議会と町民をつなぐ媒体として「伝えたいこと・町民が知りたいこと」に注意しながら編集作業を行っています。ご意見、感想をお待ちしています。広報の発行は、5月・8月・11 月・2月の年4回です。(議会運営委員会)びほろ町 ぎかい No.228 平成30年5月1日 発行 北海道美幌町議会(議会広報 びほろ町ぎかい | 美幌町

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関連エントリ

インターネット中継「高校生模擬議会」(北海道 網走郡 美幌町) ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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議会広報 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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美幌町社会福祉協議会のボランティアセンターについて

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美幌町社会福祉協議会のボランティアセンターについて

関連記事

ボランティアセンターとは地区又は職場や学校においてボランティアに関する事務を行い、ボランティアの活性化を図る組織である。日本では市区町村単位で社会福祉協議会と連携して設置されることが多い。ボランティア情報の収集と発信、ボランティアコーディネート業務、広報誌の発行、ボランティアに関する教育・研修の場、ボランティアの情報交換の場として機能している。所長、ボランティアコーディネーター、ボランティアサポーター、ボランティアスタッフなどを配置し対応する。ボランティアビューローと称するところもある。 略称で「ボラセン」「ボランセン」などと呼ばれる。善意銀行を前身としていることがしばしばある。ボランティアコーディネーター / ボランティアコーディネーター(volunteer coordinator)とは、ボランティア活動を行いたい人とボランティアの応援を受けたい人・組織などを対等につなぐ(coordinateの原義)専門職(コーディネーター)又はその立場をいう。社会福祉協議会の場合、職員が兼務するか、補助金をもって嘱託職員を「ボランティアコーディネーター」として任命する場合が多い。 略称で「ボラコーディネーター」「ボラコ」などと呼ばれる。災害ボランティアの場合、ボランタリースタッフの中で経験を有する者が称される場合が多い。この場合の多くは「ボランティアコーディネーター」とは呼ばれずに、単に 「コーディネーター」と呼ばれる事が多い。 近年の災害では、ピースボート災害ボランティアセンター、災害NGO結、Pikari支援プロジェクト、震つな等、民間団体のコーディネーターが 行政機関や社会福祉協議会のサポートを行い、円滑にボランティア派遣を行う為に運営協力を行う事も多くある。中には「ボランティアコーディネーター養成講座」の受講者が自称する場合もある。(ボランティアセンター – Wikipedia

関連サイト

登録ボランティア団体紹介 | 美幌町社会福祉協議会

ボランティア活動 | 美幌町社会福祉協議会

ボランティアセンターについて | 美幌町社会福祉協議会

関連エントリ

ボランティアセンター の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

美幌町社会福祉協議会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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藁科雅美記念館

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日本の音楽評論家「藁科雅美記念館」を開設しました。藁科雅美の関連情報をお寄せください。北海道美幌町の恩人・藁科雅美ご家族の消息と連絡もお願いします。美幌音楽人 加藤雅夫 (連絡先)

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藁科 雅美(わらしな まさみ Masami Warashina、1915年1月15日 – 1993年1月3日)は、日本の音楽評論家。 人物・来歴 / 1915年(大正4年)1月15日に生れる。慶應大学医学部中退。昭和26年から毎日放送の音楽ディレクターとして活躍。著書「レコード音楽大事典」 訳書「バーンスタイン物語」等。日本ショパン協会常任委員。日本チェコスロヴァキア協会顧問。第1回美幌町文化賞受賞。1993年(平成5年)1月3日に死去した。 藁科一家の疎開先は美幌町(昭和20〜26年)。美幌町は鎌倉に移住した藁科雅美さんを介して権威者に町歌作曲を依頼した。 日本の音楽評論家でレコード音楽解説者として東京で活躍されていた藁科雅美ご一家が北海道の道東オホーツク海から30Kmほど内陸に位置する美幌町に疎開したのは73年前の昭和20年(1945年)。 美幌町に来てすぐに英語が話せるからと進駐軍の隊長付き通訳として即日強制徴用。疎開するときに「東京から貨車一台分のSPレコードを運んだ」 「どうして知ったのか配属されて来た学徒の特攻隊員の何人かが訪ねて来てわずかの休憩時間かわるがわるバッハやベートーベンの作品に耳を傾け感謝のまなざしを私に向けて帰隊していった」と藁科雅美は言う。その当時、個人的に英語を教えた生徒に文化人類学者となった山口昌男がいた。 東京でも名の知れていたピアニストで海軍航空隊付属美幌病院医師の筧潤二は美幌小学校講堂でピアノリサイタルを開催し美幌町で藁科雅美と再会する。藁科雅美と筧潤二は慶應大学医学部で共に学んでいる。 国立高等音楽学校(現 国立音楽大学)出身でピアニスト藁科みつゑ夫人は美幌高等女学校で音楽を指導。慶応大学医学部中退の藁科雅美は理科など六教科を教えた。「授業より畑仕事の監督が多く生徒に植物の芽を見て種類を教えてもらった」 昭和21年(1946年) 美幌文化協会創立に尽力し美幌レコード鑑賞会主宰の藁科雅美は音楽部長となる。藁科みつゑ夫人はドンコロ合唱団と漣女性合唱団を指導する。NHK北見放送局から合唱やレコードを放送したり、レコードコンサートではまだレコード会社が復興していない時期だったから自分のSPをかけた。 歓迎されて網走・釧路・旭川・小樽などからも呼ばれた。「そのSPは東京に戻るとき網走の奥谷という網元の息子に引き取ってもらった。その奥谷が後に東京に出るとき自分のコレクションも加えて網走市立図書館に寄贈。図書館によれば昭和43年の寄贈で全部で1113番まで番号が振られているとのことである。聴く人もなしに眠っているようだ」と藁科雅美は語っている。 昭和25年(1950年) 藁科雅美は戦後いち早く「北海道音楽」という北海道全土の音楽を結ぶ報道評論誌を創刊した。日本近代音楽館と北海道立図書館に寄託されている。内容は荒谷正雄・小林健次・伊福部昭・早坂文雄などの地方出身の音楽家、チェロの鈴木聡・バイオリンの巖本真理ら来道音楽家の写真や演奏会評、道内各地の音楽状況報告、新譜紹介、インタビュー、作曲募集など多彩な編集である。第1回美幌町文化賞受賞。 昭和26年(1951年) 藁科雅美と藁科みつゑは戦後 美幌高校と網走南ヶ丘高校の時間嘱託も勤めたが、日本の民間放送局で最も早く放送を始めた新日本放送(毎日放送)東京支社詰めの音楽ディレクターとして同年の秋に美幌町を離町した。「私たち家族にとって終生忘れ難い多数の人々の心暖かい見送りを受けて美幌の町を後にしたのだがその6年間の思い出は絶大である。美幌の豊かな自然の中で私たちの子供がすこやかに育ってくれたことも、それが戦後の混乱期であっただけにことさら感謝したい気持ちである。正直言って美幌時代の私は文化の中心地である東京が忘れられず、もしもここで死んだら遺骨を東京の空からばら散いてほしいと妻に頼んだような欲求不満と焦燥感にさいなまれた。しかし、今の私には冬の寒さが厳しい美幌を第二の故郷と思う懐かしさだけが残っている」 当時36歳の藁科雅美の居住先は神奈川県鎌倉市で近所に37歳の作曲家 早坂文雄と27歳の作曲家團伊玖磨が居た。後に團伊玖磨は東京で病に苦しんでいた21歳の作曲家 武満徹に「空気の良い鎌倉で療養しないか」と自宅を提供して横須賀市に移り住んだ。 昭和27年(1952年) 美幌高校から校歌作曲の依頼を受けた藁科雅美は美幌町に團伊玖磨を紹介した。北海道美幌農業高等学校 校歌作詞は同校数学教諭の川上忠雄、校歌作曲は團伊玖磨。(2018年現在、北海道高等学校唯一の校歌) 昭和28年(1953年) 美幌町から町歌作曲の依頼を受けた藁科雅美は早坂文雄を介して武満徹を紹介した。美幌町 町歌の作詞は美幌郵便局郵便配達員で39歳の大下孝一、町歌作曲は武満徹。(2018年現在、武満徹作曲の美幌町町歌は日本全国自治体唯一の町歌) 藁科雅美から作曲依頼された早坂文雄は病状悪化のため武満徹に「美幌町町歌」そして湯浅譲二に「美幌町病院歌」の作曲を依頼した。当時24歳の湯浅譲二は慶應大学医学部を中退して実験工房の瀧口修造・園田高弘・武満徹らと活動していた。(文責 / 美幌音楽人 加藤雅夫)

音楽評論家(おんがくひょうろんか)とは、音楽についての評論家である。日本の音楽評論家 / クラシック音楽 / 藁科雅美。(音楽評論家 – Wikipedia

團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 – 2001年5月17日)は、日本の作曲家、エッセイスト。日本を代表するクラシック音楽の作曲家の一人である。 逸話 / 北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美(毎日放送の音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」)が鎌倉市に移住して、すぐ近所に住んでいた團に「美幌農業高校校歌」作曲を依頼した。その後、團は、東京で病に苦しんでいた武満徹(1953年「美幌町町歌」作曲)に自宅を提供して横須賀市に移住した。湯浅譲二 ー 日本の作曲家。美幌病院歌または看護学校歌を作曲した。(伊玖磨 – Wikipedia

武満 徹(たけみつ とおる、1930年10月8日 – 1996年2月20日)は、日本の作曲家。 デビュー、前衛作曲家への道 / 1953年には北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美が病状悪化の早坂文雄を介して委嘱した「美幌町町歌」を作曲している。この間、私生活においては1954年に若山浅香と結婚した。病に苦しんでいた武満夫妻に團伊玖磨は鎌倉市の自宅を提供して横須賀市に移住した。(武満徹 – Wikipedia

山口 昌男(やまぐち まさお、1931年8月20日 – 2013年3月10日)は、日本の文化人類学者。勲等は瑞宝中綬章。東京外国語大学名誉教授、文化功労者。北海道美幌町出身。
関連人物 / 美幌町時代 / 藁科雅美 Masami Warashina(音楽評論家、訳書・バーンスタイン物語、1950年第1回美幌町文化賞受賞)。戦後、北海道美幌町に疎開中の藁科雅美から英語の個人指導を受ける。藁科雅美はその後(1952年)團伊玖磨に北海道美幌農業高等学校校歌作曲を依頼、(1953年)武満徹に美幌町町歌作曲を依頼する。(山口昌男 – Wikipedia

美幌町の有名人 / 美幌町ゆかりの有名人 / 藁科雅美 – 音楽評論家、毎日放送音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」など。戦後、美幌町に疎開し町民の文化向上に貢献する(1950年第1回美幌町文化賞受賞)。山口昌男に英語を個人指導、團伊玖磨に美幌農業高校校歌作曲を依頼(1952年)、武満徹に美幌町町歌作曲を依頼(1953年)。(美幌町 – Wikipedia

関連サイト

藁科雅美 プロフィール – あのひと検索スパイシー

藁科雅美 – 20世紀 BOX

藁科, 雅美, 1915-1993 – Web NDL Authorities – 国立国会図書館

協会について – 日本ショパン協会

日本チェコ協会/日本スロバキア協会

関連エントリ

日本ショパン協会創立50年/北海道・美幌町ゆかりの藁科雅美 – 美幌音楽人 加藤雅夫

音楽評論家 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

Masami Warashina の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

藁科雅美 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

美幌町の恩人 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

藁科雅美記念館 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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美幌峠周辺の観光ルートの魅力を探る 美幌観光物産協会

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美幌峠周辺の観光ルートの魅力を探る 美幌観光物産協会

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美幌峠周辺でスノーシュートレッキング 美幌観光物産協会 / トレイルルート実現へ美幌峠~藻琴山間を調査 屈斜路湖中島がよく見えるポイントも / 美幌観光物産協会は11日、美幌峠周辺でスノーシュートレッキングを行った。協会などが目指す「屈斜路カルデラ外輪山トレイルルート」の実現に向けた調査で、藻琴山方向に往復約7.2キロを歩き、ルートの魅力を探った。「屈斜路カルデラ-」は、いずれも屈斜路湖の外輪山に位置する津別峠~美幌峠~藻琴山間約20キロを結ぶトレイルルート。阿寒摩周国立公園が国の国立公園満喫プロジェクトに選ばれたのを機に、美幌、津別、大空の3町の観光協会などでつくる美幌地区三町広域観光協議会(会長・三坂重弘美幌観光物産協会会長)が実現を目指している。この日のトレッキングは実現に向けた調査の一環。観光物産協会職員と美幌町内の「新町ゆうげるクラブ」の会員ら4人が美幌峠から藻琴山方向を散策した。美幌峠や藻琴山と異なる方角からの景観やダケカンバなどの植生、高低差などをチェックしつつ、約4時間かけて往復7.2キロを歩いた。折り返し付近では、樹木などにさえぎられることなく屈斜路湖の中島が間近に見られる地点も。協会の事務局長は「今回歩いたルートは高低差が50メートル前後で比較的平坦。幅広い年代の方が歩けるはず」と話した。三町の協議会は今後、6月の藻琴山開きに合わせて藻琴山周辺を調査。夏から秋にかけて美幌峠周辺の植生調査を計画するなどルート確立への取り組みを続ける。(浩)(2018年3月15日の記事 経済の伝書鳩

美幌地区三町広域観光協議会 屈斜路外輪山トレイルルート確立に向け調査 / 10月に30周年記念式典 / 美幌、津別、大空の3町の観光協会などでつくる、美幌地区三町広域観光協議会(会長・三坂重弘美幌観光物産協会長)の定期総会が27日、美幌グランドホテルで開かれた。20人が出席。30年度事業計画では、新たな観光資源として藻琴山-美幌峠-津別峠間の「屈斜路カルデラ外輪山トレイルルート」の確立に向け、5月に津別峠~美幌峠間を踏査するほか、6月の藻琴山開きに頂上付近を調査。夏から秋にかけて美幌峠周辺の動植物の生態を調査する。また、協議会が昭和63年10月の設立から30周年を迎えることから、記念式典を行うほか、記念誌を発行する。式典は10月26日を予定している。このほか、3町のまつりの抽選会に特産品を提供することなどが承認された。三坂会長は「トレイルルートの実現や30周年記念事業、各町のイベントの協力体制に力添えを」と呼び掛けた。(浩)(2018年3月31日の記事 経済の伝書鳩

津別峠~美幌峠の縦走踏査 美幌地区三町広域観光協 / トレイルルート整備目指し 約10キロを楽しみながら4時間かけて ルートが秘める可能性実感 / 美幌、津別、大空の観光関係機関でつくる、美幌地区三町広域観光協議会(会長・三坂重弘美幌観光物産協会長)が4月27日、屈斜路湖外輪山に位置する津別峠から美幌峠まで約10キロの縦走踏査を行った。協議会が実現を目指して本年度、本格的に着手した津別峠-美幌峠-藻琴山間の「屈斜路カルデラ外輪山トレイルルート」整備の一環。美幌、津別の協議会メンバーら11人が参加した。一行はスノーシューを着けて津別峠を出発。右手に屈斜路湖、はるか前方に藻琴山を眺めながら外輪山を歩いた。この日のルートで最も標高が高い974メートルの「サマッカリヌプリ」や、コース上に植林が行われた津別スキー場跡、ダケカンバなどたくましい木々、雄大な景色が広がる美幌峠牧場など見どころも多く、楽しみながら踏査した。約4時間かけて美幌峠に到着。参加したメンバーは「距離は長いが、楽しく歩くことができた」とルートが秘める可能性を実感していた。一方の美幌峠-藻琴山間は、3月に美幌観光物産協会が一部を踏査したほか、協議会が6月にも藻琴山付近の踏査を計画している。(浩)(2018年5月3日の記事 経済の伝書鳩

屈斜路湖(くっしゃろこ)は北海道東部、弟子屈町にある自然湖である。日本最大のカルデラ湖で、全面結氷する淡水湖としても日本最大の面積を持つ。昭和9年、全域が阿寒国立公園に指定された。人間史と観光 / 江戸時代の探検書・古地図には「クスリ・トー」(アイヌ語で温泉、薬の湖の意)と書かれていた。その後、釧路川源流付近にあったコタン名「クッチャロ」(喉・口、湖からの流出部の意)から現在の「屈斜路湖」となった。冬季には、2月になると全面結氷し総延長5-10km程度の日本最大級となる鞍状隆起現象 御神渡り が形成される。1970年代には、謎の生物クッシーの棲む湖として話題となった。伝説 / 昭和50年代(1975年から1985年頃)に大きな影が遊泳する様子や湖面の波紋が立て続けに目撃され、この湖に巨大な未知の生物が棲んでいるという噂がテレビなどで取り上げられた。ネッシーにならってクッシーと名付けられた。とはいえ、酸性が強いこの湖に大型水生生物が存在する可能性は無いとされる。(屈斜路湖 – Wikipedia

クッシー(Kussie)は、北海道屈斜路湖で1973年から目撃証言のある未確認生物(UMA)。有名なイギリスのネス湖に生息するネッシー(Nessie)に倣って名付けられた。目撃証言以外にも、湖面の波紋などが幾つかの写真にも納められているが、正体は不明とされている。湖面の美しい屈斜路湖における神秘性の高い話題として、地元では観光資源の一つともなっている。日本の未確認巨大水棲生物でもイッシーと並びかなりの知名度を誇る未確認生物だが、2000年代以降は目撃されることがほとんどない。(クッシー – Wikipedia

阿寒摩周国立公園(あかんましゅうこくりつこうえん、英称:Akan-Mashu National Park )は、北海道にある国立公園。2017年の「阿寒国立公園」からの名称変更に伴い、摩周湖・神の子池周辺まで区域が拡がり、1市10町に跨る総面積9万1000ヘクタールとなった。概要 / 北海道で最も歴史ある国立公園の1つであり、大雪山国立公園、日光国立公園、中部山岳国立公園[9]、阿蘇国立公園(現在の阿蘇くじゅう国立公園)とともに指定された。公園区域の大部分が亜寒帯性の針葉樹林を中心とする天然林で被われており、原始的な姿を留めている。阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖の3つのカルデラがあり、火山と湖が幾つも近接している地形は日本国内で貴重なものになっている。中でも屈斜路湖は周囲57km、面積79.7km²ある日本国内最大のカルデラ湖になっている(中島も周囲12km、高さ355mあり、湖中島としては日本国内最大の規模になっている)。歴史 / 1906年(明治39年)の北海道国有未開地処分法に基づき、薩摩生まれの官僚で山梨県知事も務めた前田正名が阿寒湖畔の土地約3,800ヘクタールを取得して前田一歩園を設立した。当初は耕作と牧畜植林に供する目的のため農場・牧場の経営に乗り出したが、阿寒湖一帯の美しさに魅せられて「この山は切る山ではなく、観る山にすべきである」と観光地への発展を見越していた。正名は「前田家の財産はすべて公共事業の財産とす」という家訓を遺して1921年(大正10年)に他界するが、次男の前田正次と妻の光子によって引き継がれて1983年(昭和58年)に財団法人「前田一歩園財団」が設立し(2012年に一般財団法人になる)、自然環境の保全と適正利用などに努めている。(阿寒摩周国立公園 – Wikipedia

スノーシュー(英: snowshoe)とは、雪の上を楽に歩くための雪上歩行具のひとつ。西洋「かんじき」。素材はおもにプラスチックとジュラルミン。ワカンよりもサイズが大きいため、浮力が強くラッセル能力が高いというメリットがあるが、狭い場所が歩きにくく、持ち運ぶ際にかさばって重い(2kg程度)など、デメリットもある。ワカンやスキー、アイゼンなどを用いるより手軽に雪上の歩行を楽しむことができることから、近年ではスノーシューを履いて雪上を歩き、自然に親しむことを目的としたツアーが各地で行われている。(スノーシュー – Wikipedia

トレッキング(英語:trekking)は、山歩きのこと。登頂を目指すことを主な目的としている登山に対し、トレッキングは特に山頂にはこだわらず、山の中を歩くことを目的としている言葉。ただし、結果的に行動の過程で、山頂を通過することもある。ニュージーランドでは、トランピング (tramping) と呼ばれている。(トレッキング – Wikipedia

美幌峠(びほろとうげ)は、北海道網走郡美幌町と川上郡弟子屈町の境にある国道243号の峠。オホーツク総合振興局と釧路総合振興局の境界にもなっている。概要 / 1920年(大正9年)開通[1]。阿寒国立公園内にあり、眼下には日本国内最大の火山湖(カルデラ湖)である屈斜路湖のパノラマが広がっているほか、阿寒の山々が一望できる景勝地でもある。美幌峠は、東西29 km、南北20 kmの規模がある屈斜路湖のカルデラの外輪山の西縁に位置する標高525 mの峠である。屈斜路湖から吹き上げる風を遮るものがないことから、パラグライダーやハンググライダーなどのスカイスポーツが行われる。周辺 / 峠の頂上部には道の駅ぐるっとパノラマ美幌峠があり、あげいもやクマザサ(熊笹)を使ったメニューなどがある。標高525mの美幌峠展望台は眺望スポットとなっている。(美幌峠 – Wikipedia

関連サイト

美幌峠からみた屈斜路湖 – インターネット自然研究所 – 生物多様性センター

ぐるっとパノラマ美幌峠 – 北の道の駅

美幌峠ライブカメラ | 美幌町ホームページ

美幌峠 | 美幌町ホームページ

阿寒国立公園広域観光協議会のホームページが公開されました | 美幌町

美幌観光物産協会 公式ホームページ

美幌観光物産協会 – ホーム | Facebook

関連エントリ


美幌観光物産協会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

美幌地区三町広域観光協議会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

クッシー の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

土屋貴子 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

美幌峠 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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みんなの善意「リングプル」寄贈 美幌町社会福祉協議会へ

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みんなの善意「リングプル」寄贈 美幌町社会福祉協議会へ

関連記事

リングプル寄贈 美幌の栄町西シルバークラブが町社協に / 故・曽我部 滋さんの“思い” / 美幌町内の老人クラブ「栄町西シルバークラブ」が8日、車いすとの交換に活用するリングプル8.3キロを美幌町社会福祉協議会に贈った。クラブの会員で、1月に78歳で亡くなった曽我部滋さんが主に集めたリングプル。会長の男性(74)、副会長の男性(82)が協議会に持ち込んだ。2人によると、曽我部さんは10年以上リングプルを集めていたという。体調を崩してからも収集は続け、亡くなる1週間ほど前に会長の男性を訪ねて「社会福祉協議会に届けて」と、一斗缶に入ったたくさんのリングプルを託した。会長の男性らは曽我部さんが集めた分にクラブで集めた分を足して協議会を訪れ、副会長に渡した。会長の男性は「曽我部さんの思いを届けられた」と安どの表情を浮かべた。(浩)(2018年3月14日の記事 経済の伝書鳩

みんなで集めたリングプル寄贈 t美幌東陽小児童会が町社協に / 25.1キロ「役立てて」 / 美幌東陽小学校児童会が8日、美幌町社会福祉協議会にリングプル25.1キロを贈った。車いすとの交換に役立てられる。校舎内に回収箱を置いて全校児童の協力で集めたリングプル。今回は昨年10月から集めた分で、児童会長の6年男子児童、副会長の6年男子児童、書記の6年男子児童が協議会に持ち込んだ。児童会長は「足が不自由な方のために役立ててほしい」と副会長に託した。(浩)(2018年3月14日の記事 経済の伝書鳩

美幌「曹友会」が町社協に贈る キャップ、リングプルなどを / 陸上自衛隊美幌駐屯地の陸曹でつくる「曹友会」が19日、美幌町社会福祉協議会にペットボトルキャップ60キロ、リングプル8.5キロ、使用済み切手45グラムを贈った。1年間、会員が家庭で集めたほか、駐屯地内の中隊事務室、自動販売機に設置した収集箱や、保険外交員らの協力で集めた分を会長らが持ち込み、協議会の会長に渡した。会長は「また1年間、集めたい」と述べ、協議会の会長は「有効に使わせていただく」と感謝した。キャップは発展途上国のワクチン購入、リングプルは車いすの交換、切手は換金して盲老人ホームのために役立てられる。(浩)(2018年3月23日の記事 経済の伝書鳩

関連サイト

登録ボランティア団体紹介 | 美幌町社会福祉協議会

関連エントリ

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美幌町社会福祉協議会ホームページ(一隅を照らす) ー 美幌音楽人 加藤雅夫

栄町西シルバークラブ の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

東陽小学校 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

リングプル の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

美幌町社会福祉協議会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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美幌町社会福祉協議会ホームページ(一隅を照らす)

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美幌町社会福祉協議会ホームページ(一隅を照らす)
一隅を守り千里を照らすこと(照千一隅)(照于一隅)

美幌町における社会福祉事業その他の社会福祉を目的とする事業の健全な発達及び社会福祉に関する活動の活性化により、地域福祉の推進を図る。(社会福祉法人 美幌町社会福祉協議会)

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社会福祉協議会(しゃかいふくしきょうぎかい、Social Welfare Council)とは、行政関与によって戦前から戦中に設立した民間慈善団体の中央組織・連合会(「中央慈善協会」「恩賜財団同胞援護会」「全日本民生委員同盟」「日本社会事業協会」など)およびその都道府県組織を起源とする組織で、地域福祉の推進を図ることを目的とする民間団体。略して社協と称する。 市区町村社会福祉協議会(しくちょうそんしゃかいふくしきょうぎかい、略して「市区町村社協」という)は、市町村もしくは政令指定都市の区ごとに組織し、多様な福祉ニーズに応えるため、それぞれの社協が地域のボランティアと協力しながら地域の特性を踏まえ創意工夫をこらした独自の事業に取り組んでいる。(社会福祉協議会 – Wikipedia

関連サイト

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美幌社協のあゆみ | 美幌町社会福祉協議会

年間スケジュール | 美幌町社会福祉協議会

移送サービス | 美幌町社会福祉協議会

日常生活自立支援事業 | 美幌町社会福祉協議会

登録ボランティア団体紹介 | 美幌町社会福祉協議会

歳末たすけあい募金 | 美幌町社会福祉協議会

美幌町社会福祉協議会の概要・組織

障がい者福祉 | 美幌町

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一隅を照らす の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

美幌町社会福祉協議会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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私は言いたい くんねっぷ大好き人間隊(北海道訓子府町)

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私は言いたい くんねっぷ大好き人間隊(北海道訓子府町)

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私は言いたい 着実な町づくりを / 私は「くんねっぷ大好き人間隊!」の一人です。特にオホーツクブルーの澄みわたる美しい空の色がとても好きです。先人たちが幾多の困難を乗り越え切り拓いた土地を基盤にして、様々な研究と技術開発を積み上げた農地の優れた生産力には力強ささえ感じます。私たちの町では、どこかの自治体のように町の発展を阻害するような議会における会派の離合集散を繰り返し、行政のすべての責任を首長だけに負わせることなく、理事者と町議会が適度な緊張感を保ちつつも相互に理解し合い、将来を見据えた町づくりを着実に進めており、人口減少への影響も最小限に食い止めています。農業を中心とした産業振興をはじめ、超スピードで進行する少子高齢化の中で抱える多くの課題に対応できる適切な福祉政策のほか、昨年からは新しい形の文化振興策がスタートしており、今後のさらなる充実・発展を大いに期待している一人です。「町の○○屋さん!」と呼ばれていた商店が消えゆく寂しさを感じながらも、新たな小規模スーパーの出店や、他の自治体に誇れる除排雪もさらに行き届き、日常生活の利便性や快適性を真から感じています。理事者の方には町にとって大切な知的財産の一つである有能な町職員の英知をいっそう結集して、今後も着実な町づくりを進めていただきたいと心から願う今日この頃です。(訓子府町・悠々人くるねっぷ)(2018年3月10日の記事 経済の伝書鳩

訓子府町(くんねっぷちょう)は、北海道オホーツク総合振興局管内の常呂郡にある町。 概要 / アイヌ語の「クンネプ[1]」〔黒い・ところ(川)〕から由来とされる。北見市に近く、生活圏も北見市に依存している。(訓子府町 – Wikipedia

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訓子府町の公式ホームページ

議会INDEX – 訓子府町

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くんねっぷ の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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美幌町社会福祉協議会の最新情報

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美幌町社会福祉協議会の最新情報

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美幌町社協へ手づくりスツール贈る 町在住の女性(75)と男性(75)さん
美幌町在住の女性(75)と男性(75)が20日、美幌町社会福祉協議会に牛乳パックをリサイクルした手づくりのスツール(腰掛け)15脚を贈った。スツールは、三角柱の形に折った1リットル牛乳パック54本を束状につなげて高さ30センチ、直径40センチほどの六角柱にし、座面にスポンジを入れ、キルトを張って仕上げてある。女性(75)は20年ほど前からこのスツールを制作し、周囲にプレゼント。2人は長年のパークゴルフ仲間で、女性(75)の活動を知った男性(75)も5年ほど前から骨組み制作に協力している。牛乳パックをラップの芯で補強したり、長く使用しても座面がへこみにくいよう板を張るなど男性(75)の協力もあって改良を重ねており、女性(75)は「力が必要な作業もあるので心強い」と感謝する。協議会への寄贈は3年目。町内のいきがいデイサービス青山と新町で活用される。女性(75)と男性(75)は「必要ならまた贈りたい」と声をそろえた。(浩)(2018年2月23日の記事 経済の伝書鳩

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新着情報 | 美幌町社会福祉協議会

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リングプルで美幌中学校に車いす寄贈(美幌町ボランティア連絡協議会)

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リングプルで美幌中学校に車いす寄贈(美幌町ボランティア連絡協議会)

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リングプルで美幌中に車いす 町ボランティア連絡協議会が11台目交換
美幌町ボランティア連絡協議会が14日、リングプル750キロと交換した車いす1台(7万9千円相当)を美幌中学校に寄贈した。協議会は町内のボランティアグループなど12団体で構成。町民や企業・団体から寄せられたリングプルを江別市内の団体を通じて車いすに交換し、町内の施設や学校などに贈っている。今回の寄贈は平成16年の1台目から数え、11台目。この日は会長と副会長らが中学校を訪れ、生徒会副会長の2年女子生徒に車いすを引き渡した。今回の寄贈で中学校の車いすは2台に。会長は「授業やボランティア活動に役立ててもらえたら」とあいさつした。中学校は町の指定避難所で、28年には大雨で住民が避難。西村栄基校長は「お年寄りや体が不自由な方が避難した際にも活用できる」と喜んだ。中学校は校舎内にリングプルの回収箱を置き、協議会の収集に協力してきた。生徒会副会長の2年女子生徒は「リングプルが立派な車いすになることを知らせ、これからも収集したい」と感謝した。(浩)(2018年2月21日の記事経 済の伝書鳩

関連サイト

美幌町のボランティア団体 | 美幌町

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美幌中学校 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

美幌町ボランティア連絡協議会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

リングプル の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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男の料理教室(北海道 津別町社会福祉協議会)

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男の料理教室(北海道 津別町社会福祉協議会)

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28日と3月7日・男の料理教室 津別町民会館で
津別町社会福祉協議会の「男の料理教室」が、28日と3月7日(ともに水)の午前10時から町民会館で開かれる。「季節感のある献立に挑戦!」をテーマに、28日はちらし寿司、7日は3色ぼたもちなどを調理、試食する。対象は町内在住の60歳以上の男性。受講料は各日300円。申し込みは開催日の1週間前までに協議会(TEL 0152-76-1161)へ。(2018年2月16日の記事経済の伝書鳩

関連サイト

北海道バリアフリーマップ 津別町 | 保健福祉部福祉局地域福祉課

町民会館(生活改善センター) – 津別町

津別町社会福祉協議会ホームページ

つべつ 緑のふるさと 愛林のまち津別町 くらしの情報 社会福祉協議会・津別福祉会

社会福祉法人津別町社会福祉協議会 – ホーム | Facebook

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