- Home
- 美幌町町歌 の検索結果
美幌町町歌 の検索結果: 60 件
弦楽のためのレクイエム 武満徹
弦楽のためのレクイエム 武満徹
関連記事
弦楽のためのレクイエム 武満徹作曲の弦楽オーケストラのための作品 / 『弦楽のためのレクイエム』(げんがくのためのレクイエム、英語: Requiem for Strings、フランス語: Requiem pour orchestre à cordes)は、武満徹が1955年から1957年にかけて作曲した弦楽合奏曲であり、武満の初期の代表作とされる。当時結核を患っていた武満が、親交のあった作曲家早坂文雄の死を悼むとともに自らの死を意識しながら書き進めた作品であり、早坂文雄に献呈されている。初演の2年後にストラヴィンスキーがこの作品にコメントしたことは作品の評価のみならず内外における武満の名声を高めることにつながった。 (Wikipedia)
関連エントリー
美幌町役場新庁舎について 日本甜菜製糖美幌製糖所
美幌町役場新庁舎について 日本甜菜製糖美幌製糖所
関連記事
新庁舎記念し30万円寄付
2021/05/18掲載(美幌町/社会)
日本甜菜製糖美幌が町に
日本甜菜製糖株式会社美幌製糖所が13日、美幌町に30万円を寄付した。
新庁舎の供用開始を記念して、備品購入に役立ててほしいと寄付。菊池文夫所長が役場で平野浩司町長に目録を手渡した。
菊池所長は「当製糖所は62回目の製糖を終えた。旧庁舎と同じような年月だが、これからも地域に愛される製糖所を目指したい」とあいさつ。平野町長は「趣旨に沿い大切に使わせていただく」と感謝した。(浩) (経済の伝書鳩)
関連サイト
日本甜菜製糖 株式会社 美幌製糖所 | 美幌町のホームページ
関連エントリー
團伊玖磨(Ikuma Dan)記念ウェブページ
團伊玖磨(Ikuma Dan)記念ウェブページ
関連記事
團伊玖磨 日本の作曲家、エッセイスト / 團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 – 2001年5月17日)は、日本の作曲家、エッセイスト。作曲家としてはオペラ、交響曲、歌曲などのいわゆるクラシック音楽のほか、童謡、映画音楽、放送音楽と幅広いジャンルの作曲を手がけた。1952年(昭和27年) – オペラ『夕鶴』大阪で初演。北海道美幌農業高等学校校歌を作曲。 逸話 / 北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美(毎日放送の音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」)が鎌倉市に移住して、すぐ近所に住んでいた團に「美幌農業高校校歌」作曲を依頼した。その後、團は、東京で病に苦しんでいた武満徹(1953年「美幌町町歌」作曲)に自宅を提供して横須賀市に移住した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%98%E4%BC%8A%E7%8E%96%E7%A3%A8
Wikipedia)
團伊玖磨氏と中国
元当協会会長で作曲家の團伊玖磨氏(1924ー2001年)は、当協会創立初期から日中文化交流発展のために尽力した。常任理事、代表理事を歴任し、1997年に会長に就任した。
1966年の初訪中以来、民俗音楽の研究及び取材、自作の演奏会指揮などを含め、50数回訪中した。2001年5月17日、当協会代表団団長として訪中していた蘇州の地で急逝した。中国音楽界をはじめ、文化各界に親しい友人が多かった。
中国の文化、歴史に尊敬の念をもち、長年にわたり中国との文化交流発展に貢献したことが高く評価され、中日友好協会から「中日友好使者」、中国人民対外友好協会から「人民友好使者」、中華人民共和国文化部から「文化交流貢献賞」を授与された。1999年の厦門の中国復帰日本際しては、日本の民間人士として唯一人、中国政府の招きを受け、現地での政権移行式典に出席した。 (日中文化交流 日本中国文化交流協会編集 No. 902 2021.5.1)
日本人学校 / 日本人学校(にほんじんがっこう)とは、日本国政府の文部科学大臣が管轄する、3種類の在外教育施設のひとつ。 特に1990年代後半から急増しているのは経済成長に合わせ日本企業の進出が相次いだ中華人民共和国では、大連(1994年)、広州(1995年)、天津(1999年)、青島(2004年)、蘇州(2005年)に日本人学校が新設され、香港と上海の両校も増加し続ける生徒に対応するため、それぞれ1997年と2006年に校舎を増設している。上海では今後も毎年500人程度の児童・生徒数増加があるとみられている。 (Wikipedia)
團伊玖磨の楽曲一覧 / 日本人学校 / 北京日本人学校校歌 井上ひさし詞 / 上海日本人学校校歌 陳舜臣詞 / 大連日本人学校校歌 清岡卓行詞 (Wikipedia)
関連エントリー
2021年(令和3年)1月の音楽 武満徹(美幌町町歌の作曲家)
2021年(令和3年)1月の音楽 武満徹(美幌町町歌の作曲家)
うた (武満徹) 混声合唱のための『うた』(英: Songs for mixed chorus )は、武満徹が作・編曲した12曲からなる合唱曲集。すべて無伴奏で、ソプラノ・アルト・テノール・バスがそれぞれ2パートに分かれる混声8部合唱によって歌われる。 映画やラジオ、舞台など、異なる機会のために作られた曲を作曲者自身が合唱曲に編曲したもので、作曲時期も、12曲中8曲が1950-60年代、3曲が1980年代(残り1曲は日本古謡)とさまざまである。合唱への編曲は主に1980年代に行われ、11曲が東京混声合唱団、1曲が晋友会合唱団の委嘱による。 構成 / 日本ショット社から2集に分けて出版された楽譜『うた I 』(1992年)、『うた II 』(1994年)では以下の構成となっている。『明日(あした)ハ晴レカナ、曇リカナ』、『さくら』の2曲を除き、初演された順である。
うたI
小さな空(作詞:武満徹) Small Sky
うたうだけ(作詞:谷川俊太郎) I Just Sing
小さな部屋で(作詞:川路明) In a Small Room
恋のかくれんぼ(作詞:谷川俊太郎) The Game of Love
見えないこども(作詞:谷川俊太郎) Unseen Child
明日ハ晴レカナ、曇リカナ(作詞:武満徹) Will Tommorow, I Wonder, Be Cloudly or Clear?
うたII
さくら(日本古謡) Cherry Blossoms
翼(作詞:武満徹) Wings
島へ(作詞:井沢満) To the Island
○と△の歌(作詞:武満徹) A Song of ○’s (Circles) and △’s(Triangles)
さようなら(作詞:秋山邦晴) Sayonara
死んだ男の残したものは(作詞:谷川俊太郎) All That the man Left Behind When He Died
(うた (武満徹) – Wikipedia)
関連エントリー
2020年(令和2年) 11月のイランカラプテ川柳
2020年(令和2年) 11月のイランカラプテ川柳
投稿川柳
コロナ禍や 第三の波 来ています (コロナ来襲)
中止かな あちらこちらの 文化祭 (文化の日)
コロナ禍や やむなく中止 文化祭 (美幌町文化連盟)
タケミツや11月のレクイエム (北海道美幌町町歌の作曲者・武満徹 Toru Takemitsu)
イランカラプテ (Irankarapte) (こんにちは、はじめまして) 北海道アイヌ民族の言葉です。イ(それ)ラン(思い)カラプ(触れる)テ(させてください) 「あなたの心にそっとふれさせていただきます」の意。 川柳は17文字(5・7・5)自由詩。クリスマス川柳、ユーモア川柳、風刺川柳、しりとり川柳、病み上がり川柳、福祉川柳、介護川柳、時事川柳、ツイッター川柳などがあります。 皆様の温かい言葉をお寄せください。 自由調の「俳句」「和歌」「漢詩」「ポエム」「エッセイ」「コラム」「回文」「言葉遊び」などもどうぞお寄せください。
関連エントリー
日本甜菜製糖美幌製糖所から美幌町町歌のオルゴールの贈り物
日本甜菜製糖美幌製糖所から美幌町町歌のオルゴールの贈り物
日本甜菜製糖美幌製糖所建設完成記念として、美幌町町歌のオルゴールを美幌町に寄贈された。美幌町はこれを美幌町役場庁舎の塔屋に設置した。昭和44年4月から毎日、美幌町役場庁舎塔屋のオルゴールから美幌町町歌のメロディーが流れ町民に親しまれた。
関連記事
日本の企業 日本甜菜製糖 / 日本甜菜製糖株式会社(にっぽんてんさいせいとう、Nippon Beet Sugar Manufacturing Co.,Ltd.)は東京都港区に本社のある企業。略称は「日甜」または「ニッテン」。 1959年(昭和34年)には、網走郡美幌町に製糖所を建設した。 (日本甜菜製糖 – Wikipedia)
関連サイト
日本甜菜製糖 株式会社 美幌製糖所 | 美幌町のホームページ
関連エントリ
北海道美幌町 / 農福連携推進シンポジウムについて – 美幌音楽人 加藤雅夫
北海道振興「まるごと北海道」美幌町 – 美幌音楽人 加藤雅夫
日本甜菜製糖美幌製糖所 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
Twitter ツイッター
Facebook フェイスブック
STAY HOME(ステイホーム)の応援歌 武満徹のエール
STAY HOME(ステイホーム)の応援歌 武満徹のエール
関連記事
武満徹 日本の作曲家 / 武満 徹(たけみつ とおる Toru Takemitsu、1930年10月8日 – 1996年2月20日)は、日本の作曲家。 ほとんど独学で音楽を学んだが、若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画やテレビなどで幅広く前衛的な音楽活動を展開。和楽器を取り入れた『ノヴェンバー・ステップス』によって、日本を代表する現代音楽家となった。 1953年には北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美が病状悪化の早坂文雄を介して委嘱した「美幌町町歌」を作曲している。 この間、私生活においては『2つのレント』を発表した際にチケットをプレゼントした若山浅香(劇団四季女優)と1954年に結婚した。病に苦しんでいた武満夫妻に團伊玖磨は鎌倉市の自宅を提供して横須賀市に移住した。 1957年、早坂文雄(1955年没)に献呈された『弦楽のためのレクイエム』を発表。日本の作曲家はこの作品を黙殺したが、この作品のテープを、1959年に来日していたストラヴィンスキーが偶然NHKで聴き、絶賛し、後の世界的評価の契機となる。 ( 武満徹 – Wikipedia)
関連エントリ
Twitter ツイッター
Facebook フェイスブック
STAY HOME(ステイホーム)の応援歌 團伊玖磨のエール
STAY HOME(ステイホーム)の応援歌 團伊玖磨のエール
関連記事
團伊玖磨 日本の作曲家、エッセイスト / 團 伊玖磨(だん いくま Ikuma Dan、1924年4月7日 – 2001年5月17日)は、日本の作曲家、エッセイスト。日本を代表するクラシック音楽の作曲家の一人である。作曲家としてはオペラ、交響曲、歌曲などのいわゆるクラシック音楽のほか、童謡、映画音楽、放送音楽と幅広いジャンルの作曲を手がけた。 北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美(毎日放送の音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」)が鎌倉市に移住して、すぐ近所に住んでいた團に「美幌農業高校校歌」作曲を依頼した。その後、團は、東京で病に苦しんでいた武満徹(1953年「美幌町町歌」作曲)に自宅を提供して横須賀市に移住した。 (團伊玖磨 – Wikipedia)
関連エントリ
Twitter ツイッター
Facebook フェイスブック
北海道の美幌町にゆかりのある著名人を探しています
北海道の美幌町にゆかりのある著名人を探しています
関連記事
美幌ゆかりの著名人教えて 2020/02/05掲載(美幌町/告知) 町が情報収集 / まちづくりにつなげる狙い / 美幌町は、美幌にゆかりがある著名人を探している。まちづくりの推進につなげる狙いで、情報提供を呼びかけている。さまざまな分野で活躍している著名人を美幌町の「人財バンク」として登録し、今後のまちづくりに役立てる狙い。現在までに、スポーツや医療、放送、産業・経済、美術・音楽など各分野の著名人60人以上をリストアップしているが、情報提供を呼びかけてさらにバンクを充実させたい考え。町は「たとえば講演会の講師など、さまざまな場面でお力を借りられたら。『こんな人を知っている』『身内がこんなことをしている』などの情報があれば寄せてほしい」と呼びかけている。問い合わせは美幌町政策担当(0152・73・1111内線299)へ。(浩) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩
美幌町にゆかりのある著名人を探しています / 美幌町では、幅広くまちづくりの推進につなげることを目的として、本町にゆかりのある様々な分野でご活躍されている方々の名簿を作成しています。なお、ご活躍の基準などはありませんので、「こんな方を知っている」、「身内がこんな活躍をしている」などいらっしゃいましたら、下記担当までご連絡ください。お問い合わせ / まちづくりグループ 政策担当 電話:0152-73-1111 (美幌町にゆかりのある著名人を探しています – 美幌町のホームページ)
美幌町 日本の北海道の町 / 美幌町(びほろちょう)は、北海道オホーツク総合振興局管内にある町。概要 / 町名にはアイヌ語と「ピポロ」〔石・多い〕あるいは「ペホロ」〔水・多い〕の二説があり、特定しがたいとされる[3]。 陸上自衛隊の駐屯地があり、自然が豊かで降雪や災害が少なく、空港が近いことから道外からの移住者が多いのが特徴。美幌町の有名人 / 美幌町出身の有名人 / 伊藤博明 – 文学者、専修大学教授(元・埼玉大学副学長)。高山梨沙 – スピードスケート選手。2008年(平成20年)にISUワールドカップ日本代表として中学生としては史上初めて選出された。阿部由香里 – 長野オリンピックのバイアスロン選手。久保恒造のコーチ。久保恒造 – 障害者ノルディックスキー選手。2010バンクーバーパラリンピック日本代表。2009ワールドカップ大会カナダ大会バイアスロン ショート2位。2008ジャパンパラリンピッククロスカントリースキー競技大会初出場初優勝。株式会社日立ソリューションズ所属。美幌町「栄誉賞」(2回)「特別栄誉賞」(1回)受賞。ソチパラリンピック・バイアスロン競技で銅メダル獲得。石田正子 – クロスカントリースキー選手。バンクーバーオリンピック・トリノオリンピック・ソチオリンピック日本代表。2009年ワールドカップトロンハイム大会・女子30kmクラシカル3位。JR北海道所属。美幌町「栄誉賞」「特別栄誉賞」受賞。佃咲江 – 北京オリンピック日本代表選手(自転車競技女子スプリント)。美幌町「栄誉賞」受賞。鈴木李奈 – ソチオリンピック日本代表選手(バイアスロン)。美幌町「栄誉賞」受賞。藤村祥子 – ソチオリンピック日本代表選手(スピードスケート)。美幌町「栄誉賞」受賞。北の富士勝昭 – 力士(第52代横綱) 木村章司 – ボクサー 美幌町「栄誉賞」受賞。岡沢吉夫 – スキー選手、陸上選手、八王子市議会議員、全日本スキー連盟理事。日本初の常設スキー学校開設者、全日本スキー連盟(SAJ)公認スキー学校の起案者。鶴丸俊明 – 考古学者、札幌学院大学学長 。山口昌男 – 文化人類学者、元札幌大学学長。戦後、美幌町に疎開中の藁科雅美(音楽評論家、1950年第1回美幌町文化賞受賞)から英語の個人指導を受ける。内藤克 -北海道放送アナウンサー。Sepia’n Roses – ミュージシャン(メンバー4人中3人が美幌町出身)。松本亨 – 英語教育家、改革派教会教職。戦前に14年間アメリカに留学し、戦後NHKラジオ第2「英語会話」の講師を22年間務めた。美幌町ゆかりの有名人 / 円舘金 – 美幌町在住の天文学愛好家(小惑星ハンター)。岩手県岩泉町出身。藁科雅美 – 音楽評論家、毎日放送音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」など。戦後、美幌町に疎開し町民の文化向上に貢献する(1950年第1回美幌町文化賞受賞)。山口昌男に英語を個人指導、團伊玖磨に美幌農業高校校歌作曲を依頼(1952年)、武満徹に美幌町町歌作曲を依頼(1953年)。美ち奴(みちやっこ、本名:久保染子) – 日本の女性歌手、1937年美幌開基五十年を記念して制定された「美幌小唄 (作詞:大塚郷湖、作曲:須藤五郎)」を歌い、また、美幌観光協会の依頼により「美幌観光音頭 (作詞:大塚郷湖、作曲:松田喜一、唄:美ち奴)」は、帝蓄レコード(テイチクレコード)でレコード化された。宮嶋龍雄-小樽出身1954・1955冬季国体スキージャンプで優勝、兄は1936独ガルミッシュ・パルテンキルフェンオリンピックの日本代表宮嶋巌。クッシーブームの時には観光課長を務める。須藤五郎 ー 日本の音楽家。開基50年記念歌 美幌町町歌 ー 1937年(昭和12年)制定、作詞 大塚郷湖、作曲 須藤五郎、歌手 塩まさる。開基50年記念歌 美幌小唄 ー 1937年(昭和12年)制定、作詞 大塚郷湖、作曲 須藤五郎、歌手 美ち奴。湯浅譲二 ー 日本の作曲家。美幌病院歌または看護学校歌を作曲した。その他 / 名古屋市東山動物園と交流がある。同動物園で飼育されていた世界最長寿のヒグマ「美幌」(1985年、38歳没)による縁。1990年(平成2年)2月28日に円舘金が発見した小惑星4460は、発見者によって「びほろ(美幌)」と命名されている。 (美幌町 – Wikipedia)
関連サイト
美幌町 びほろちょう Bihoro Town – 美幌町のホームページ
関連エントリ
時を訪ねて クッシー伝説 (北海道新聞) – 美幌音楽人 加藤雅夫
日本の歌手 田中星児 (ネッシーとクッシーの歌) – 美幌音楽人 加藤雅夫
日本の女性歌手 浦部雅美 (北海道 美幌町出身) – 美幌音楽人 加藤雅夫
ツイッター (Twitter)
フェイスブック (Facebook)
Song Toru Takemitsu | うた 武満徹
Song Toru Takemitsu | うた 武満徹
関連記事
混声合唱のための『うた』(英: Songs for mixed chorus )は、武満徹が作・編曲した12曲からなる合唱曲集。すべて無伴奏で、ソプラノ・アルト・テノール・バスがそれぞれ2パートに分かれる混声8部合唱によって歌われる。 映画やラジオ、舞台など、異なる機会のために作られた曲を作曲者自身が合唱曲に編曲したもので、作曲時期も、12曲中8曲が1950-60年代、3曲が1980年代(残り1曲は日本古謡)とさまざまである。合唱への編曲は主に1980年代に行われ、11曲が東京混声合唱団、1曲が晋友会合唱団の委嘱による。
構成
日本ショット社から2集に分けて出版された楽譜『うた I 』(1992年)、『うた II 』(1994年)では以下の構成となっている。『明日(あした)ハ晴レカナ、曇リカナ』、『さくら』の2曲を除き、初演された順である。
うたI
小さな空(作詞:武満徹) Small Sky
うたうだけ(作詞:谷川俊太郎) I Just Sing
小さな部屋で(作詞:川路明) In a Small Room
恋のかくれんぼ(作詞:谷川俊太郎) The Game of Love
見えないこども(作詞:谷川俊太郎) Unseen Child
明日ハ晴レカナ、曇リカナ(作詞:武満徹) Will Tommorow, I Wonder, Be Cloudly or Clear?
うたII
さくら(日本古謡) Cherry Blossoms
翼(作詞:武満徹) Wings
島へ(作詞:井沢満) To the Island
○と△の歌(作詞:武満徹) A Song of ○’s (Circles) and △’s(Triangles)
さようなら(作詞:秋山邦晴) Sayonara
死んだ男の残したものは(作詞:谷川俊太郎) All That the man Left Behind When He Died
作曲の経緯
1950年代 / ピアノ曲『2つのレント』(1950年)で作曲家としてデビューした後、1951年から瀧口修造らの芸術サークル「実験工房」に参加して幅広いジャンルとのコラボレーションを行っていた時期にあたる。「さようなら」(1953年)、「小さな部屋で」(1954年、原題:「何もないけど」)は、新日本放送のラジオ番組「私の歌」のために作曲された歌であり、出世作とみなされる『弦楽のためのレクイエム』の翌年に作曲された「うたうだけ」(1958年)は、1960年の草月ミュージック・イン「ブルースの継承」において水島早苗によって初演された。
1960年代 / 60年代の武満は多くの映画音楽を作曲しており、ミュジーク・コンクレートや、琵琶・尺八の使用など、実験的な手法を用いる一方、万人に受け入れられる、分かりやすい曲想の主題歌や挿入歌も作曲している。『うた』に収められているのは以下の3曲である。
「恋のかくれんぼ」(1961年、原題「誰かと誰か」):中村透監督の『班女』の挿入歌。ペギー葉山によって歌われた。 「○と△の歌」(1961年):羽仁進監督の『不良少年』の劇中で、主演の山田幸雄によって歌われた。 「見えないこども」(1963年、原題「まだ生まれない子ども」)羽仁進監督の『彼女と彼』主題歌。岸洋子によって歌われた。 このほか、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のために書かれた反戦歌である「死んだ男の残したものは」(1965年、歌:友竹正則)は、森谷司郎監督の映画『弾痕』(1969年)の挿入曲として使用された。 TBSラジオ連続ラジオ・ドラマ『ガン・キング』の主題歌「小さな空」(1962年、歌:ジェリー藤尾)も同時期の作品である。『ガン・キング』は、漫画を原作とする西部劇で、大島渚作品のシナリオライターも務めたた石堂淑朗と田村孟が脚本を担当していた。武満は、この番組の音楽について、当時、以下のように述べた。「放送が始まってまだ数週間ですが、近所の小学生が、主題歌を歌い手の藤木孝ばりにに巧みに歌っているのを聞くことがあります。これはやはり私にとっては楽しい、はじめてに近い体験です。(中略)子供は質の高いものを求めています。さしあたり私は黒人霊歌やウエスタン民謡などを毎週親しみやすい編曲で入れながら、ある意識的な試みを進めたいと思っています」
1980年代 / 「翼」(1982年)は劇「ウィングス」(「パルコ+番衆プロ」公演)の主題曲として作曲された器楽曲を、東京混声合唱団の委嘱により作詞および編曲されたもの。同団による初演よりも早く、石川セリのCD「翼 – 武満徹ポップ・ソング」に独唱曲として収録された。同CDでは、テレビ番組「はなすことはない」の挿入歌として作曲されたが番組では使用されなかった「島へ」(1983年)、および1985年に作曲された『明日ハ晴レカナ、曇リカナ』が同じく独唱曲として収録され初演されている。 (うた (武満徹) Wikipedia)
関連エントリ
Song (Toru Takemitsu) の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
Toru Takemitsu の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
ツイッター (Twitter)
フェイスブック (Facebook)
- Home
- 美幌町町歌 の検索結果