美幌農業高等学校校歌 の検索結果: 13 件

日本の作曲家 團伊玖磨(Ikuma Dan)について

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日本の作曲家 團伊玖磨(Ikuma Dan)について

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5月17日 忌日 / 2001年 – 團伊玖磨、作曲家、エッセイスト(5月17日 – Wikipedia

團 伊玖磨(だん いくま Ikuma Dan、1924年4月7日 – 2001年5月17日)は、日本の作曲家、エッセイスト。日本を代表するクラシック音楽の作曲家の一人である。作曲家としてはオペラ、交響曲、歌曲などのいわゆるクラシック音楽のほか、童謡、映画音楽、放送音楽と幅広いジャンルを手がけた。経歴 / 作曲家およびエッセイストとして / 1952年(昭和27年) – 北海道美幌農業高等学校校歌を作曲。1959年(昭和34年) – 皇太子明仁親王と正田美智子の成婚を記念して『祝典行進曲』を作曲。1964年(昭和39年) – 東京オリンピック開会式にて『オリンピック序曲』、『祝典行進曲』、閉会式にて『祝典行進曲』を演奏。エッセイ『パイプのけむり』の連載を雑誌「アサヒグラフ」にて始める。1966年(昭和41年) – 日本芸術院賞受賞。1973年(昭和48年) – 日本芸術院会員に就任する。1999年(平成11年) – 文化功労者に列せられる。2001年(平成13年)5月17日 – 日本中国文化交流協会主催の親善旅行で中国旅行中に心不全を起こし、江蘇省蘇州市の病院で死去した。77歳没。逸話 / 北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美(毎日放送の音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」)が鎌倉市に移住して、すぐ近所に住んでいた團に「美幌農業高校校歌」作曲を依頼した。その後、團は、東京で病に苦しんでいた武満徹(1953年「美幌町町歌」作曲)に自宅を提供して横須賀市に移住した。(團伊玖磨 – Wikipedia

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関連サイト

一般財団法人 日本中国文化交流協会のホームページ

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北海道美幌農業高等学校の校歌 ー 美幌高等学校の校歌

藁科雅美記念館 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

日本中国文化交流協会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

團伊玖磨 の検索結果 美幌音楽人 加藤雅夫

Ikuma Dan の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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藁科雅美記念館

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日本の音楽評論家「藁科雅美記念館」を開設しました。藁科雅美の関連情報をお寄せください。北海道美幌町の恩人・藁科雅美ご家族の消息と連絡もお願いします。美幌音楽人 加藤雅夫 bihoro.kato@docomo.ne.jp

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藁科 雅美(わらしな まさみ Masami Warashina、1915年1月15日 – 1993年1月3日)は、日本の音楽評論家。 人物・来歴 / 1915年(大正4年)1月15日に生れる。慶應大学医学部中退。昭和26年から毎日放送の音楽ディレクターとして活躍。著書「レコード音楽大事典」 訳書「バーンスタイン物語」等。日本ショパン協会常任委員。日本チェコスロヴァキア協会顧問。第1回美幌町文化賞受賞。1993年(平成5年)1月3日に死去した。 藁科一家の疎開先は美幌町(昭和20〜26年)。美幌町は鎌倉に移住した藁科雅美さんを介して権威者に町歌作曲を依頼した。 日本の音楽評論家でレコード音楽解説者として東京で活躍されていた藁科雅美ご一家が北海道の道東オホーツク海から30Kmほど内陸に位置する美幌町に疎開したのは73年前の昭和20年(1945年)。 美幌町に来てすぐに英語が話せるからと進駐軍の隊長付き通訳として即日強制徴用。疎開するときに「東京から貨車一台分のSPレコードを運んだ」 「どうして知ったのか配属されて来た学徒の特攻隊員の何人かが訪ねて来てわずかの休憩時間かわるがわるバッハやベートーベンの作品に耳を傾け感謝のまなざしを私に向けて帰隊していった」と藁科雅美は言う。その当時、個人的に英語を教えた生徒に文化人類学者となった山口昌男がいた。 東京でも名の知れていたピアニストで海軍航空隊付属美幌病院医師の筧潤二は美幌小学校講堂でピアノリサイタルを開催し美幌町で藁科雅美と再会する。藁科雅美と筧潤二は慶應大学医学部で共に学んでいる。 国立高等音楽学校(現 国立音楽大学)出身でピアニスト藁科みつゑ夫人は美幌高等女学校で音楽を指導。慶応大学医学部中退の藁科雅美は理科など六教科を教えた。「授業より畑仕事の監督が多く生徒に植物の芽を見て種類を教えてもらった」 昭和21年(1946年) 美幌文化協会創立に尽力し美幌レコード鑑賞会主宰の藁科雅美は音楽部長となる。藁科みつゑ夫人はドンコロ合唱団と漣女性合唱団を指導する。NHK北見放送局から合唱やレコードを放送したり、レコードコンサートではまだレコード会社が復興していない時期だったから自分のSPをかけた。 歓迎されて網走・釧路・旭川・小樽などからも呼ばれた。「そのSPは東京に戻るとき網走の奥谷という網元の息子に引き取ってもらった。その奥谷が後に東京に出るとき自分のコレクションも加えて網走市立図書館に寄贈。図書館によれば昭和43年の寄贈で全部で1113番まで番号が振られているとのことである。聴く人もなしに眠っているようだ」と藁科雅美は語っている。 昭和25年(1950年) 藁科雅美は戦後いち早く「北海道音楽」という北海道全土の音楽を結ぶ報道評論誌を創刊した。日本近代音楽館と北海道立図書館に寄託されている。内容は荒谷正雄・小林健次・伊福部昭・早坂文雄などの地方出身の音楽家、チェロの鈴木聡・バイオリンの巖本真理ら来道音楽家の写真や演奏会評、道内各地の音楽状況報告、新譜紹介、インタビュー、作曲募集など多彩な編集である。第1回美幌町文化賞受賞。 昭和26年(1951年) 藁科雅美と藁科みつゑは戦後 美幌高校と網走南ヶ丘高校の時間嘱託も勤めたが、日本の民間放送局で最も早く放送を始めた新日本放送(毎日放送)東京支社詰めの音楽ディレクターとして同年の秋に美幌町を離町した。「私たち家族にとって終生忘れ難い多数の人々の心暖かい見送りを受けて美幌の町を後にしたのだがその6年間の思い出は絶大である。美幌の豊かな自然の中で私たちの子供がすこやかに育ってくれたことも、それが戦後の混乱期であっただけにことさら感謝したい気持ちである。正直言って美幌時代の私は文化の中心地である東京が忘れられず、もしもここで死んだら遺骨を東京の空からばら散いてほしいと妻に頼んだような欲求不満と焦燥感にさいなまれた。しかし、今の私には冬の寒さが厳しい美幌を第二の故郷と思う懐かしさだけが残っている」 当時36歳の藁科雅美の居住先は神奈川県鎌倉市で近所に37歳の作曲家 早坂文雄と27歳の作曲家團伊玖磨が居た。後に團伊玖磨は東京で病に苦しんでいた21歳の作曲家 武満徹に「空気の良い鎌倉で療養しないか」と自宅を提供して横須賀市に移り住んだ。 昭和27年(1952年) 美幌高校から校歌作曲の依頼を受けた藁科雅美は美幌町に團伊玖磨を紹介した。北海道美幌農業高等学校 校歌作詞は同校数学教諭の川上忠雄、校歌作曲は團伊玖磨。(2018年現在、北海道高等学校唯一の校歌) 昭和28年(1953年) 美幌町から町歌作曲の依頼を受けた藁科雅美は早坂文雄を介して武満徹を紹介した。美幌町 町歌の作詞は美幌郵便局郵便配達員で39歳の大下孝一、町歌作曲は武満徹。(2018年現在、武満徹作曲の美幌町町歌は日本全国自治体唯一の町歌) 藁科雅美から作曲依頼された早坂文雄は病状悪化のため武満徹に「美幌町町歌」そして湯浅譲二に「美幌町病院歌」の作曲を依頼した。当時24歳の湯浅譲二は慶應大学医学部を中退して実験工房の瀧口修造・園田高弘・武満徹らと活動していた。(文責 / 美幌音楽人 加藤雅夫)

音楽評論家(おんがくひょうろんか)とは、音楽についての評論家である。日本の音楽評論家 / クラシック音楽 / 藁科雅美。(音楽評論家 – Wikipedia

團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 – 2001年5月17日)は、日本の作曲家、エッセイスト。日本を代表するクラシック音楽の作曲家の一人である。 逸話 / 北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美(毎日放送の音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」)が鎌倉市に移住して、すぐ近所に住んでいた團に「美幌農業高校校歌」作曲を依頼した。その後、團は、東京で病に苦しんでいた武満徹(1953年「美幌町町歌」作曲)に自宅を提供して横須賀市に移住した。(伊玖磨 – Wikipedia

武満 徹(たけみつ とおる、1930年10月8日 – 1996年2月20日)は、日本の作曲家。 デビュー、前衛作曲家への道 / 1953年には北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美が病状悪化の早坂文雄を介して委嘱した「美幌町町歌」を作曲している。この間、私生活においては1954年に若山浅香と結婚した。病に苦しんでいた武満夫妻に團伊玖磨は鎌倉市の自宅を提供して横須賀市に移住した。(武満徹 – Wikipedia

山口 昌男(やまぐち まさお、1931年8月20日 – 2013年3月10日)は、日本の文化人類学者。勲等は瑞宝中綬章。東京外国語大学名誉教授、文化功労者。北海道美幌町出身。
関連人物 / 美幌町時代 / 藁科雅美 Masami Warashina(音楽評論家、訳書・バーンスタイン物語、1950年第1回美幌町文化賞受賞)。戦後、北海道美幌町に疎開中の藁科雅美から英語の個人指導を受ける。藁科雅美はその後(1952年)團伊玖磨に北海道美幌農業高等学校校歌作曲を依頼、(1953年)武満徹に美幌町町歌作曲を依頼する。(山口昌男 – Wikipedia

美幌町の有名人 / 美幌町ゆかりの有名人 / 藁科雅美 – 音楽評論家、毎日放送音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」など。戦後、美幌町に疎開し町民の文化向上に貢献する(1950年第1回美幌町文化賞受賞)。山口昌男に英語を個人指導、團伊玖磨に美幌農業高校校歌作曲を依頼(1952年)、武満徹に美幌町町歌作曲を依頼(1953年)。(美幌町 – Wikipedia

関連サイト

藁科雅美 プロフィール – あのひと検索スパイシー

藁科雅美 – 20世紀 BOX

藁科, 雅美, 1915-1993 – Web NDL Authorities – 国立国会図書館

協会について – 日本ショパン協会

日本チェコ協会/日本スロバキア協会

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日本ショパン協会創立50年/北海道・美幌町ゆかりの藁科雅美 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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武満徹の東京オペラシティ、そして美幌町

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10月8日は美幌町とゆかりの深い武満 徹(1930-1996)の誕生日。東京オペラシティから「武満徹80歳バースデー・コンサート」案内です。(メールニュース)

写真:天下絶景「美幌峠の冬景色」

武満徹の東京オペラシティ、そして美幌町 の全文を読む

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日本ショパン協会創立50年/北海道・美幌町ゆかりの藁科雅美

本年はポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラ出身でピアノの詩人と呼ばれたフレデリック・ショパン(Chopin)生誕200年、北海道・美幌町ゆかりの藁科雅美が尽力された日本ショパン協会創立50年。

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美農ショップの「美農牛乳」

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我が母校、道立学校の北海道美幌農業高等学校(農業科学科/食品科学科/生活科学科)の生徒たちがつくる牛乳「美農牛乳」(美農ショップ)は、朝倉2号さんのブログ「愛しの牛乳パック」がアップしています。

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天皇皇后両陛下結婚50年即位20年

日本の、天皇明仁(Akihito)皇后美智子(Empress Michiko)両陛下結婚50年即位20年記念慶祝行事が全国各地で開催されている。天皇・皇室とゆかりある北海道美幌町・美幌峠から、加藤雅夫が音楽の贈物を捧げます。

天皇皇后両陛下結婚50年即位20年 の全文を読む

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美幌高校+美幌農業高校=團伊玖磨

美幌町の美幌高校と美幌農業高校は平成23年4月に新設校としてスタートする。校歌(團伊玖磨作曲)と校章は美幌農高、校訓は美幌高のものを採用する。新制服と校名は検討中です。美幌農業高校校舎を使って統合する。

美幌農業高校校歌:川上忠雄作詞、團伊玖磨作曲
美幌農業高校校訓:「流汗悟道」(北海道家庭学校の創始者・留岡幸助
美幌高校校歌:高畑栄市作詞、加藤愃三作曲
美幌高校校訓:「汝自身を知れ」(ソクラテス) 

美幌高校+美幌農業高校=團伊玖磨 の全文を読む

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イランカラプテ川柳 (四月)

人々の心をあたたかい言葉で幸福にしたいと願って、この「イランカラプテ川柳(四月)」を開始します。川柳は「5 7 5」17文字の自由詩のことです。イランカラプテは「あなたの心にこんにちは!」という意味です。皆さまのあたたかい言葉を、どうぞお寄せください!しりとり川柳、あたまとり川柳、病み上がり川柳、福祉介護川柳、時事川柳。自由調の「俳句」「和歌」「漢詩」「ポエム」「エッセイ」「コラム」もOKです。 Senryu “IRANKARAPTE” Masao Kato
イランカラプテ川柳 (四月) の全文を読む

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北海道美幌農業高等学校校歌

團伊玖磨/北海道/美幌町/校歌

♪ 再生ボタンをクリック

 歌 パソコンメイコちゃん (Computer voice)

Hokkaido Bihoro Agricultural Senior High School song 
Composer,Ikuma Dan (28 years old) 1952 

1952年 (昭和27年制定)
北海道美幌農業高等学校校歌 
川上忠雄 作詞 團伊玖磨 作曲 
※ 2007.12.9 編曲制作 須佐卓郎 歌手 パソコンメイコ 

1 白樺風に香る丘 開きて建てしわが母校
理性を覚まし智を磨く 高き希望の光満つ

2 朝日夕日に照り映えて 麗峰近く眼に迫り
流れも清く横たわる 自然に 理想実りゆく

3 厳しく荒ぶ風雪に 耐えて栄ゆる樹々のごと
北の文化を打ち建てむ 大きな使命に 胸は燃ゆ 

♪ 流汗悟道 
♪ 美幌農業高校 
♪ 汝自身を知れ 
♪ 美幌高校 

2007.12.9 
北海道美幌農業高等学校校歌の音源を掲載しました。
須佐卓郎(たくろう)さんの編曲制作です。
ありがとうございます。お疲れさまでした。

今年6月、たくろうの名曲玉手箱「歌入唱歌集」に迷込みました。
みかんの花咲く丘りんごのひとりごと冬の星座)を聴いて、
歌手パソコンメイコちゃん(電脳鳴子?)の大ファンになりました。

9月3日、美幌音楽人加藤雅夫の還暦記念ウェブサイト開設以来、
武満徹作曲「北海道・美幌町町歌」と、
團伊玖磨作曲「北海道美幌農業高等学校校歌」の、
楽譜音源を掲載紹介したいと願っていました。
この度、北海道美幌町の町歌と校歌の編曲制作(音源)を、
須佐卓郎(たくろう)さんから快諾いただき、本当にうれしいです。
團伊玖磨さんと川上忠雄教諭(昭38 数学を習いました)は、
「加藤は良いことをしたね」と、喜んでいることと思います。
多くの人に、楽しんでいただきたいと願います。

須佐卓郎の音楽ルームも、ぜひ訪問して見てください。
Takurou Susa ♪  心に太陽を 唇に歌を
僕の雑記帖  たくろうの名曲玉手箱  シニアネット久留米 

武満徹 Composer,Toru Takemitsu 

北海道美幌町町歌 大下孝一作詞 武満徹作曲 

團伊玖磨  Composer,Ikuma Dan 

早崎日出太「團伊玖磨全仕事」  Hideta Hayazaki 

美幌町の歌と校歌、作曲の経緯について 

Bihoro Hokkaido Japan   Masao Kato   加藤雅夫 

☆ 美幌農業高校校歌「みんなの声」ご感想をお寄せください 
info@masaokato.jp 加藤雅夫 

北海道岩内町 岩内町立岩内西小学校校歌 團伊玖磨作曲 荻原井泉水作詞 
昭和26年(1951年)10月10日制定(開校50周年記念)。岩内西小学校校歌は北海道唯一の團伊玖磨作曲の小学校校歌です。(團伊玖磨作曲の美幌農業高校校歌も、北海道唯一の高等学校校歌です)
* 岩内町教育委員会 ホームページ 

富山県富山市 富山市立五福小学校校歌 團伊玖磨作曲 荻原井泉水作詞 
昭和30年(1955年)12月制定。富山市立五福小学校の校歌には、他の学校にはあまり見られない大きな特徴があります。それは、歌詞は4番までありますが、1~2番のメロディーと3~4番のメロディーが違うところです。この素晴らしい校歌を今も児童は朝の会や式の時などに誇りをもって歌っています。富山市立五福小学校ホームページ 

日本を代表するクラッシック音楽の作曲家であり、エッセイストでもあった團伊玖磨(だん いくま)と、日本の俳人・荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)の共通接点は、日本芸術院会員であり、鎌倉在住だった。(近所だったのかな?加藤雅夫) Haiku : Ogiwara Seisensui

北海道美幌農業高等学校「美農牛乳」09年11月
 愛しの牛乳パック http://blog.livedoor.jp/ftmember/

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美幌町町歌

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歌 パソコンメイコちゃん(Computer voice)

Bihoro song 
Composer,Toru Takemitsu(22 years old)1953 

美幌町町歌 大下孝一作詞 武満徹作曲 
1953年(昭和28年)制定 

流れ豊けく みなぎるほとり 
楽土あり われらの美幌 
親しめば 軟かき土 
風かおる みどりの平野 

北斗七星 きらめくもとに 
楽土あり われらの美幌 
受け継ぎて 建つるわが都市 
今ここに 華咲く文化 

太古のまゝの 阿寒に近く 
楽土あり われらの美幌 
扶けあい 励ましあいて 
人々の くらすしあわせ  

北海道 「美幌町町歌」
1953年(昭和28年)制定(開基66周年・町制施行30周年記念)。
作詞、大下孝一 (美幌郵便局の郵便配達人)39歳。戦後の自然美豊かな美幌町で仕事する郵便配達人の意気込みがひしひしと感じる。
作曲、武満 徹 (現代音楽の世界的な作曲家)22歳。美幌町町歌は武満徹がまだ無名時代に作曲した全国唯一の自治体の歌である。
"Bihoro anthem" Composition by Toru Takemitsu 22 (1953)
歌手、パソコン メイコちゃん。
編曲制作、須佐卓郎 Takurou Susa
(須佐卓郎の音楽ルーム)
僕の雑記帖 たくろうの名曲玉手箱 シニアネット久留米

武満徹   Composer,Toru Takemitsu   

團伊玖磨   Composer,Ikuma Dan 

北海道美幌農業高等学校校歌 川上忠雄作詞 團伊玖磨作曲

早崎日出太「團伊玖磨全仕事」  Hideta Hayazaki 

音は私をつらぬいて世界に輪のようにつづいている 武満徹
 “Sounds thread their way through me,
   and then out into the world,
    in uninterrupted loops.” Toru Takemitsu 

武満徹への捧げもの Tribute to Toru Takemitsu.
2008.2.20 平成20年2月20日 
武満徹(昭和5年10月8日生~平成8年2月20日没)12周年追悼
Toru Takemitsu (10.8.1930-2.20.1996) Modern composer
12 anniversary of someone’s death.
武満徹・あの人に会いたい・武満眞樹
武満徹が残したものは・立花隆 Tribute to Toru Takemitsu
St. Matthew Passion by Kathleen Ferrier 憐れみたまえ我が神よ『マタイ受難曲』
De Nederlandse Bachvereniging http://www.bachvereniging.nl/
The Netherlands Bach Society http://www.bachvereniging.nl/?lang=en
武満徹・ラストTV Toru Takemitsu, the last TV appeary
武満徹・ドキュメンタリー Toru Takemitsu documentary
武満徹・ワルツ・小澤征爾 Toru Takemitsu-Seiji Ozawa
武満徹・夢千代日記・吉永小百合 Toru Taemitsu-Sauri Yoshinaga 
武満徹・島へ・AJChoir Toru Takemitsu-AJChoir-Shima E(To the island)
Takemitsu – Requiem (Recapitulation)
Julian Bream plays the lute in front of Stravinsky.
美幌町の歌と校歌、作曲の経緯について – 美幌音楽人 加藤雅夫
Bihoro Hokkaido Japan Masao Kato藤雅夫


北海道人 http://www.hokkaido-jin.jp/ 
情報アンテナ 北海道に親しむ 
北海道の歌・音楽  
美幌音楽人・加藤雅夫のリンク集・心の糧に 

美幌町町歌「みんなの声」ご感想をお寄せください
      info@masaokato.jp 加藤雅夫 

北海道岩内町立岩内西小学校校歌 
團伊玖磨作曲、荻原井泉水作詞、昭和26年(1951年)10月10日制定(開校50周年記念)。岩内西小学校校歌は北海道唯一の團伊玖磨作曲の小学校校歌です。(團伊玖磨作曲の美幌農業高校校歌も、北海道唯一の高等学校校歌です)
* 岩内町教育委員会 ホームページ

富山県富山市立五福小学校校歌 
團伊玖磨作曲、荻原井泉水作詞、昭和30年(1955年)12月制定。富山市立五福小学校の校歌には、他の学校にはあまり見られない大きな特徴があります。それは、歌詞は4番までありますが、1~2番のメロディーと3~4番のメロディーが違うところです。この素晴らしい校歌を今も児童は朝の会や式の時などに誇りをもって歌っています。
* 富山市立五福小学校ホームページ

日本を代表するクラッシック音楽の作曲家であり、エッセイストでもあった團伊玖磨(だん いくま)と、日本の俳人・荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)の共通接点は、日本芸術院会員であり、鎌倉在住だった。(近所だったのかな?加藤雅夫)
Haiku : Ogiwara Seisensui 

ラ・マンチャの風~しのタソ 
加藤雅夫さん、初めまして。こんばんわ。村治佳織さんの非公式ファンブログ「ラ・マンチャの風」を運営しています、しのタソと申します。先日は、当ファンブログからメールを下さり、又、当ファンブログを拝見して下さり、本当にありがとうございました。加藤さんのような有名で偉大な方からのメールに驚きを隠せず、しばらく返信しようか迷っていました故、すっかり返信が大幅に遅れてしまいました。本当にごめんなさい・・・。
さて、加藤さんからのメールを読み終わった後、早速ですが、加藤さんのHPを拝見させていただきました。そうしたら・・・私が以前住んだ事のある美幌町の方じゃないですか!しかも、ギター教室の先生をやっていらっしゃったり、中国人の方のご友人やお知り合いが沢山いらっしゃったり・・・。加藤さんは、とてもマルチな方なのですね!!「すごい!」の一言!!
実は私、生まれてから幼少の頃(4歳まで)まで、美幌の本町付近にある町営住宅で両親と妹と暮らしていました。確か、今から20年以上も前の事です。懐かしいなぁ・・・(遠い目)。今でも、たまに母の実家へ遊びに行く途中に美幌町を車で通っているんですよ♪
美幌峠の揚げ芋、とても美味しいですよね!大好きです!(^ー^)
武満徹さんといえば、最近、『一個人』という雑誌で特集ページが掲載されましたが、加藤さんはお読みになられましたでしょうか?20世紀後半に生まれた名曲「ノヴェンバー・ステップス」の事が主に書かれていて、初演当時の写真なども掲載されており、とてもゴージャスな内容!もしまだお読みでなければ、お時間のある時にでもぜひ読んでみて下さい。余談ですが、昨夜、ギタリストの村治佳織さんがご自身のラジオ番組「MITSUBISHI JISHO Classy Cafe」の中でおっしゃっていたのですが、武満氏が編曲した「ギターのための12の歌」は、メロディーが綺麗だけどとても難しい曲なんだそうですね・・・。やはり、演奏家も影でとても苦労しているのですね。だからこそ、あの素敵な旋律が生まれる・・・まさに努力の賜物ですね。
これからも体に気をつけて、お仕事頑張って下さいね。
ギター界のエカシ・加藤さんへ感謝の気持ちを込めて・・・イヤイライケレ。
まだまだ人生経験が浅い青二才な私ですが、これからよろしくお願いします。
それでは・・・<(_ _)> しのタソ  

しのタソさんへ、 
美幌町のご縁ありとは、本当に驚きました。何だかうれしいです。
武満徹22才の作曲「美幌町町歌」を、ギター弾いて懐かしんでください。
武満徹全作品リスト(ベートーベンプロジェクト)こんど、遊びにおいで。
美幌峠の名物「揚げ芋」を食べよう!美味しいね。
美幌音楽人・加藤雅夫 2008.3.12

 

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