音楽 カテゴリのアーカイブ

6月の音楽 揺籠のうた(オルゴール曲)


6月の音楽 揺籠のうた(オルゴール)

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揺籃のうた / 『揺籃のうた』(ゆりかごのうた)は、北原白秋作詞、草川信作曲の日本の童謡である。2007年(平成19年)に日本の歌百選に選出されている。 防災行政無線チャイム / 福岡県柳川市では、通年18:00に防災行政無線から市内全域で時報として『揺籃のうた』を放送している。作詞者の北原白秋の生家である北原白秋生家が山門郡沖端村(現柳川市)にあり、ゆかりがあるためである。 (Wikipedia)

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美空ひばりさんの歌 越後獅子の唄


美空ひばり 越後獅子の唄
とんぼ返り道中 主題歌
作詞:西条八十,作曲:万城目正

その昔、サーカスの女の子が美幌小学校に転校してきた。その女の子は5年生の私の席の隣に座った。一緒に国語の教科書を見て朗読もした。女の子は「おはよう」と「ありがとう」そして「さよなら」と言った。その夜、私はサーカス小屋を見に行った行った。サーカス小屋の側にはライオンの檻があった。そのライオンは尻尾を高くあげておしっこをした。私の顔面を直撃した。私は「どうしてライオンは後ろにおしっこをするのか?」と、急いで家に帰り顔を洗い、ゆかたを着てサーカス小屋に戻った。小屋の中では同級生のサーカスの女の子が玉乗りをしていた。私と目があって、サーカスの女の子は玉から落ちてしまった。何度も玉に上がろうとしたが失敗してテントの奥に消えて行った。次の日、あの女の子は学校に来なかった。私は夜にサーカス小屋に行ったが、サーカス小屋は無かった。次の町に移動していた。今でもあの時のすっぱい味としょっぱい味のことを思い出す。

北見市の声楽家 川口一子さんは、美空ひばりのさんの歌「越後獅子の唄」が大好きです。

関連エントリー

七月コンサート~歌ふ(北見の声楽家・川口一子) – 美幌音楽人 加藤雅夫

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美空ひばり(Hibari Misora)記念ページ


美空ひばり(Hibari Misora)記念ページ

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日本の歌手・女優 美空ひばりについて
美空ひばりの歌「美幌峠」作詞 志賀貢、 作曲 岡千秋。1986年9月1日、日本コロンビアから発売。1986年7月 美幌観光牛肉まつり会場で発表し、1986年10月8日 美幌町民会館で記念カラオケ大会に出演予定だった。(入院中に録音した肉声メッセージが、会場に流れた)

美幌町のみなさま、こんにちは! 美空ひばりです。今日は、わたしの歌 「美幌峠」そして「恋港」だけのカラオケコンクールだそうですが、新しい曲なのに美幌町の皆様には、もう覚えていただけたのですね! 本当にありがとうございます。わたくしも、舞台やテレビで機会ある度に歌っていくつもりでおります。歌うことはストレス解消に大変役立つそうですよ (フフフ)。みなさん、これからも大いに歌って発散してください。それでは、「カラオケ大会」どうかがんばってください。
上記は、美空ひばりさんが入院中に、ご自身で録音したメッセージです。(1986年10月2日)

美空ひばり 日本の女性歌手、女優 (1937-1989) / 美空 ひばり(みそら ひばり、1937年(昭和12年)5月29日 – 1989年(平成元年)6月24日)は、日本の歌手、女優、実業家。神奈川県横浜市磯子区滝頭出身。横浜市立滝頭小学校、精華学園女子中学校・高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)卒業。9歳でデビューし、その天賦の歌唱力で天才少女歌手と謳われて以後、歌謡曲・映画・舞台などで目覚ましい活躍をし自他共に歌謡界の女王と認める存在となった。昭和の歌謡界を代表する歌手であり、女性として史上初の国民栄誉賞を受賞した(没後の1989年の7月2日に受賞)。本名は加藤 和枝(かとう かずえ)。愛称は御嬢(おじょう)。 (Wikipedia)

関連動画 – 美空ひばりの歌 恋港 (北海道函館市)

関連エントリ

美空ひばり 美幌峠で逢った女 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

志賀貢作品集「美幌峠」「幻の美幌峠」の誕生秘話 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

美空ひばり の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

Hibari Misora の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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訃報のお知らせ 松山樹子さん

訃報のお知らせ 松山樹子さん

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清水正夫 松山樹子 こ夫妻にお会いしたのは、1999年5月14日、東京・ホテルニューオータニで開催された、中国文化大臣一行 孫家正(中華人民共和国文化部長)の歓迎レセプションでした。清水正夫さんは「やあ、北海道美幌町からよくいらっしゃいました」と温かく歓迎してくれました。そして「中華人民共和国駐札幌総領事館の和風庭園は、僕がデザインしたんだよ」と教えてくれました。同席は。飯高和子(書道教育家・現代かな作家)「めぐりあいの うれしさ 美しく」、河合紀(陶芸・工芸家)、武田明倫(音楽学、武満徹と親交)。中国札幌総領事館を訪問して可愛い中庭を見るたびに、清水正夫 松山樹子 ご夫妻の温かい声と優しい笑顔が思い浮かぶ。

松山バレエ団 東京都に拠点を置くバレエ団 / 松山バレエ団(まつやまバレエだん)は、1948年に、日劇のバレリーナであった松山樹子と、彼女のファンであり、当時内務省の役人であった清水正夫(東京大学大学院修了/日本大学卒業)によって、東京・青山の幼稚園を借りて設立されたバレエ団。所在地は東京都港区、正式名称を「公益財団法人松山バレエ団」という。総代表・清水哲太郎は、清水正夫と名誉芸術監督・松山樹子の長男。また、団長・森下洋子は清水哲太郎の妻。 (Wikipedia)

関連サイト

松山バレエ団を創立 松山樹子さん死去 日本バレエの草分け | おくやみ | NHKニュース

訃報のお知らせ – 松山バレエ団

関連エントリー

松山バレエ団の 清水正夫 松山樹子 ご夫妻について – 美幌音楽人 加藤雅夫

松山樹子 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

加藤雅夫のあゆみ 50代 1997〜 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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韓国ドラマの主題歌 オナラ



韓国ドラマの主題歌 オナラ

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オナラ (曲) / オナラ(오나라 懐夫歌)は、韓国ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の主題歌である。曲名は朝鮮語の古語で「来てください」という意味。 (Wikioedia)

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宮廷女官チャングムの誓い(대장금)について – 美幌音楽人 加藤雅夫

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團伊玖磨(Ikuma Dan)記念ウェブページ

團伊玖磨(Ikuma Dan)記念ウェブページ

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團伊玖磨 日本の作曲家、エッセイスト / 團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 – 2001年5月17日)は、日本の作曲家、エッセイスト。作曲家としてはオペラ、交響曲、歌曲などのいわゆるクラシック音楽のほか、童謡、映画音楽、放送音楽と幅広いジャンルの作曲を手がけた。1952年(昭和27年) – オペラ『夕鶴』大阪で初演。北海道美幌農業高等学校校歌を作曲。 逸話 / 北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美(毎日放送の音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」)が鎌倉市に移住して、すぐ近所に住んでいた團に「美幌農業高校校歌」作曲を依頼した。その後、團は、東京で病に苦しんでいた武満徹(1953年「美幌町町歌」作曲)に自宅を提供して横須賀市に移住した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%98%E4%BC%8A%E7%8E%96%E7%A3%A8
Wikipedia)

團伊玖磨氏と中国
元当協会会長で作曲家の團伊玖磨氏(1924ー2001年)は、当協会創立初期から日中文化交流発展のために尽力した。常任理事、代表理事を歴任し、1997年に会長に就任した。
1966年の初訪中以来、民俗音楽の研究及び取材、自作の演奏会指揮などを含め、50数回訪中した。2001年5月17日、当協会代表団団長として訪中していた蘇州の地で急逝した。中国音楽界をはじめ、文化各界に親しい友人が多かった。
中国の文化、歴史に尊敬の念をもち、長年にわたり中国との文化交流発展に貢献したことが高く評価され、中日友好協会から「中日友好使者」、中国人民対外友好協会から「人民友好使者」、中華人民共和国文化部から「文化交流貢献賞」を授与された。1999年の厦門の中国復帰日本際しては、日本の民間人士として唯一人、中国政府の招きを受け、現地での政権移行式典に出席した。 (日中文化交流 日本中国文化交流協会編集 No. 902 2021.5.1)

日本人学校 / 日本人学校(にほんじんがっこう)とは、日本国政府の文部科学大臣が管轄する、3種類の在外教育施設のひとつ。 特に1990年代後半から急増しているのは経済成長に合わせ日本企業の進出が相次いだ中華人民共和国では、大連(1994年)、広州(1995年)、天津(1999年)、青島(2004年)、蘇州(2005年)に日本人学校が新設され、香港と上海の両校も増加し続ける生徒に対応するため、それぞれ1997年と2006年に校舎を増設している。上海では今後も毎年500人程度の児童・生徒数増加があるとみられている。 (Wikipedia)

團伊玖磨の楽曲一覧 / 日本人学校 / 北京日本人学校校歌 井上ひさし詞 / 上海日本人学校校歌 陳舜臣詞 / 大連日本人学校校歌 清岡卓行詞 (Wikipedia)

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日本の作曲家 團伊玖磨(Ikuma Dan)について – 美幌音楽人 加藤雅夫

團伊玖磨没後10年に寄せて(びほろのコマキスト – 美幌音楽人 加藤雅夫

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日本の作詞家 窪田聡 (かあさんの歌)


日本の作詞家 窪田聡 (かあさんの歌)

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窪田聡 / 窪田 聡(くぼた さとし、1935年 – )は日本の作詞家。東京市向島区生まれ。本名は久保田俊夫。 (Wikipedia)

かあさんの歌 / かあさんの歌(かあさんのうた)は、窪田聡作詞・作曲の歌謡曲。 (Wikipedia)

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STAY HOME(ステイホーム)の応援歌 母の日へのエール – 美幌音楽人 加藤雅夫

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日本の唱歌・童謡 シャボン玉 (おまけです)

日本の唱歌・童謡 シャボン玉 (おまけです)

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シャボン玉 (唱歌) 「シャボン玉」(しゃぼんだま)は、野口雨情作詞・中山晋平作曲の日本の童謡である。 童謡としては1923年(大正12年)に中山晋平の譜面集「童謡小曲」に発表されたが、 詩自体が最初に発表されたのは1922年(大正11年)のことである。 仏教児童雑誌『金の塔』にて発表。 昭和11年には野口雨情曲は日本に輸入された最古の賛美歌 “Jesus Loves Me, This I Know”(主われを愛す)を改変したものであるとする指摘がある。によって「シャボン玉」の3・4番の詩が追加された。 人の死を表現している説をとる場合、シャボン玉は人間、屋根まで飛んだり飛ばずに消えたりするように人の寿命はそれぞれという意味があるとされる。 (Wikipedia)

関連エントリー

シャボン玉 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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5月の歌 春への憧れ

5月の歌 春への憧れ

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春への憧れ / 『春への憧れ』(はるへのあこがれ、ドイツ語:Sehnsucht nach dem Frühling)ヘ長調 KV.596 は、モーツァルトが1791年に作曲した歌曲(リート)。シューベルトの「菩提樹」とブラームスの「子守歌」と共に、ドイツ・リートの代表的な歌として民謡のように親しまれている。 日本でも / 明治時代から日本でも親しまれている歌曲で、『明治唱歌』でも「上野の岡」という題の歌詞で親しまれていた。 (Wikipedia)

関連サイト

春への憧れ モーツァルト 歌詞の意味・和訳

歌曲 「春への憧れ」 K.596

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日本の作曲家・編曲家 菊池俊輔

日本の作曲家・編曲家 菊池俊輔

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菊池俊輔 日本の作曲家 / 菊池 俊輔(きくち しゅんすけ、1931年〈昭和6年〉11月1日 – 2021年〈令和3年〉4月24日)は、日本の作曲家、編曲家。青森県弘前市出身[。日本大学藝術学部音楽学科卒業。 2017年(平成29年)以後は病気療養中のため作曲活動を休止していた。2021年(令和3年)4月24日、誤嚥性肺炎により東京都内の療養施設で死去した。89歳没。 (Wikipedia)

関連エントリー

菊池俊輔 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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