松山バレエ団の 清水正夫 松山樹子 ご夫妻について

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松山バレエ団の 清水正夫 松山樹子 ご夫妻について

日中友好人士、松山芭蕾舞団・松山バレエ団創立者の清水正夫は、2008年6月25日、病気のため死去、87歳。1948年、清水正夫は妻の松山樹子とともに松山バレエ団、松山バレエ学校を創立し、団長として古典バレエ・現代バレエの創造、「白毛女」など多くの作品を制作した。1955年から中国と交流を始め、日中文化交流にも貢献した。松山バレエ団は2001年、清水哲太郎とその妻のバレエダンサー森下洋子が引継いだ。

清水正夫 松山樹子 こ夫妻にお会いしたのは、1999年5月14日、東京・ホテルニューオータニで開催された、中国文化大臣一行 孫家正(中国文化部長)の歓迎レセプションでした。清水正夫さんは「やあ、北海道美幌町からよくいらっしゃいました」と温かく歓迎してくれました。そして「中華人民共和国駐札幌総領事館の和風庭園は、僕がデザインしたんだよ」と教えてくれました。同席は。飯高和子(書道教育家・現代かな作家)「めぐりあいの うれしさ 美しく」、河合紀(陶芸・工芸家)、武田明倫(音楽学、武満徹と親交)。中国札幌総領事館を訪問して可愛い中庭を見るたびに、清水正夫 松山樹子 ご夫妻の温かい声と優しい笑顔が思い浮かぶ。日中友好人士清水正夫氏弔意 「世代(心)を受継ぎ、時代(平和)をつくる」 美幌音楽人 加藤雅夫。

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松山バレエ団(まつやまバレエだん)は、1948年に、日劇のバレリーナであった松山樹子と、彼女のファンであり、当時内務省の役人であった清水正夫(東京大学大学院修了/日本大学卒業)によって、東京・青山の幼稚園を借りて設立されたバレエ団。所在地は東京都港区、正式名称を「公益財団法人松山バレエ団」という。総代表・清水哲太郎は、清水正夫と名誉芸術監督・松山樹子の長男。また、団長・森下洋子は清水哲太郎の妻。松山バレエ団と日中友好運動 / 松山バレエ団は白毛女の舞台化に尽力したことでも知られる。白毛女の舞台化は中国でも高く評価され、日中友好運動において重要な貢献をはたした。文化大革命期においても松山バレエ団はたびたび訪中し、日中友好につとめた。このため清水正夫らは日本共産党から批判された。 (松山バレエ団 – Wikipedia)

関連サイト

2017 新「白毛女」 – 松山バレエ団/バレエ学校 | クラシックバレエ

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