国際 カテゴリのアーカイブ

美空ひばりさんの歌 越後獅子の唄


美空ひばり 越後獅子の唄
とんぼ返り道中 主題歌
作詞:西条八十,作曲:万城目正

その昔、サーカスの女の子が美幌小学校に転校してきた。その女の子は5年生の私の席の隣に座った。一緒に国語の教科書を見て朗読もした。女の子は「おはよう」と「ありがとう」そして「さよなら」と言った。その夜、私はサーカス小屋を見に行った行った。サーカス小屋の側にはライオンの檻があった。そのライオンは尻尾を高くあげておしっこをした。私の顔面を直撃した。私は「どうしてライオンは後ろにおしっこをするのか?」と、急いで家に帰り顔を洗い、ゆかたを着てサーカス小屋に戻った。小屋の中では同級生のサーカスの女の子が玉乗りをしていた。私と目があって、サーカスの女の子は玉から落ちてしまった。何度も玉に上がろうとしたが失敗してテントの奥に消えて行った。次の日、あの女の子は学校に来なかった。私は夜にサーカス小屋に行ったが、サーカス小屋は無かった。次の町に移動していた。今でもあの時のすっぱい味としょっぱい味のことを思い出す。

北見市の声楽家 川口一子さんは、美空ひばりのさんの歌「越後獅子の唄」が大好きです。

関連エントリー

七月コンサート~歌ふ(北見の声楽家・川口一子) – 美幌音楽人 加藤雅夫

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美空ひばり(Hibari Misora)記念ページ


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日本の歌手・女優 美空ひばりについて
美空ひばりの歌「美幌峠」作詞 志賀貢、 作曲 岡千秋。1986年9月1日、日本コロンビアから発売。1986年7月 美幌観光牛肉まつり会場で発表し、1986年10月8日 美幌町民会館で記念カラオケ大会に出演予定だった。(入院中に録音した肉声メッセージが、会場に流れた)

美幌町のみなさま、こんにちは! 美空ひばりです。今日は、わたしの歌 「美幌峠」そして「恋港」だけのカラオケコンクールだそうですが、新しい曲なのに美幌町の皆様には、もう覚えていただけたのですね! 本当にありがとうございます。わたくしも、舞台やテレビで機会ある度に歌っていくつもりでおります。歌うことはストレス解消に大変役立つそうですよ (フフフ)。みなさん、これからも大いに歌って発散してください。それでは、「カラオケ大会」どうかがんばってください。
上記は、美空ひばりさんが入院中に、ご自身で録音したメッセージです。(1986年10月2日)

美空ひばり 日本の女性歌手、女優 (1937-1989) / 美空 ひばり(みそら ひばり、1937年(昭和12年)5月29日 – 1989年(平成元年)6月24日)は、日本の歌手、女優、実業家。神奈川県横浜市磯子区滝頭出身。横浜市立滝頭小学校、精華学園女子中学校・高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)卒業。9歳でデビューし、その天賦の歌唱力で天才少女歌手と謳われて以後、歌謡曲・映画・舞台などで目覚ましい活躍をし自他共に歌謡界の女王と認める存在となった。昭和の歌謡界を代表する歌手であり、女性として史上初の国民栄誉賞を受賞した(没後の1989年の7月2日に受賞)。本名は加藤 和枝(かとう かずえ)。愛称は御嬢(おじょう)。 (Wikipedia)

関連動画 – 美空ひばりの歌 恋港 (北海道函館市)

関連エントリ

美空ひばり 美幌峠で逢った女 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

志賀貢作品集「美幌峠」「幻の美幌峠」の誕生秘話 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

美空ひばり の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

Hibari Misora の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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訃報のお知らせ 松山樹子さん

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清水正夫 松山樹子 こ夫妻にお会いしたのは、1999年5月14日、東京・ホテルニューオータニで開催された、中国文化大臣一行 孫家正(中華人民共和国文化部長)の歓迎レセプションでした。清水正夫さんは「やあ、北海道美幌町からよくいらっしゃいました」と温かく歓迎してくれました。そして「中華人民共和国駐札幌総領事館の和風庭園は、僕がデザインしたんだよ」と教えてくれました。同席は。飯高和子(書道教育家・現代かな作家)「めぐりあいの うれしさ 美しく」、河合紀(陶芸・工芸家)、武田明倫(音楽学、武満徹と親交)。中国札幌総領事館を訪問して可愛い中庭を見るたびに、清水正夫 松山樹子 ご夫妻の温かい声と優しい笑顔が思い浮かぶ。

松山バレエ団 東京都に拠点を置くバレエ団 / 松山バレエ団(まつやまバレエだん)は、1948年に、日劇のバレリーナであった松山樹子と、彼女のファンであり、当時内務省の役人であった清水正夫(東京大学大学院修了/日本大学卒業)によって、東京・青山の幼稚園を借りて設立されたバレエ団。所在地は東京都港区、正式名称を「公益財団法人松山バレエ団」という。総代表・清水哲太郎は、清水正夫と名誉芸術監督・松山樹子の長男。また、団長・森下洋子は清水哲太郎の妻。 (Wikipedia)

関連サイト

松山バレエ団を創立 松山樹子さん死去 日本バレエの草分け | おくやみ | NHKニュース

訃報のお知らせ – 松山バレエ団

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松山バレエ団の 清水正夫 松山樹子 ご夫妻について – 美幌音楽人 加藤雅夫

松山樹子 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

加藤雅夫のあゆみ 50代 1997〜 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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大相撲令和3年5月場所 照ノ富士春雄の優勝

大相撲令和3年5月場所 照ノ富士春雄の優勝

照ノ富士春雄 大関 令和3年5月場所 取組日・取組結果
初日 令和3年5月9日(日曜日) 勝ち
2日目 令和3年5月10日(月曜日) 勝ち
3日目 令和3年5月11日(火曜日) 勝ち
4日目 令和3年5月12日(水曜日) 勝ち
5日目 令和3年5月13日(木曜日) 勝ち
6日目 令和3年5月14日(金曜日) 勝ち
7日目 令和3年5月15日(土曜日) 勝ち
8日目 令和3年5月16日(日曜日) 勝ち 勝ち越し
9日目 令和3年5月17日(月曜日) 勝ち
10日目 令和3年5月18日(火曜日) 勝ち
11日目 令和3年5月19日(水曜日) 負け
12日目 令和3年5月20日(木曜日) 勝ち
13日目 令和3年5月21日(金曜日) 勝ち
14日目 令和3年5月22日(土曜日) 負け
千秋楽 令和3年5月23日(日曜日) 負け 12勝3敗 優勝

関連サイト

照ノ富士 春雄 力士情報

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照ノ富士 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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日本の女優 浪花千栄子

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浪花千栄子 日本の女優 / 浪花 千栄子(なにわ ちえこ、本名・南口 キクノ(なんこう きくの)、1907年(明治40年)11月19日 – 1973年(昭和48年)12月22日)は、日本の女優。昭和初期から中期(1920年代後半〜1970年代前半)に活動した。 (Wikipedia)

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2020年後期のNHK連続テレビ小説第103作 おちょやん

2020年後期のNHK連続テレビ小説第103作 おちょやん

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おちょやん 2020年後期のNHK連続テレビ小説第103作 / 『おちょやん』は、2020年度後期放送のNHK「連続テレビ小説」第103作として、2020年11月30日から2021年5月14日まで放送された日本のテレビドラマである。上方女優の浪花千栄子を題材に、戦前から戦後の大阪で貧しく生まれた少女が女優を目指す生涯をフィクションで描く。脚本は八津弘幸、主演は杉咲花が務める。 (Wikipedia)

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韓国ドラマの主題歌 オナラ



韓国ドラマの主題歌 オナラ

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オナラ (曲) / オナラ(오나라 懐夫歌)は、韓国ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の主題歌である。曲名は朝鮮語の古語で「来てください」という意味。 (Wikioedia)

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宮廷女官チャングムの誓い(대장금)について – 美幌音楽人 加藤雅夫

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團伊玖磨(Ikuma Dan)記念ウェブページ

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團伊玖磨 日本の作曲家、エッセイスト / 團 伊玖磨(だん いくま、1924年4月7日 – 2001年5月17日)は、日本の作曲家、エッセイスト。作曲家としてはオペラ、交響曲、歌曲などのいわゆるクラシック音楽のほか、童謡、映画音楽、放送音楽と幅広いジャンルの作曲を手がけた。1952年(昭和27年) – オペラ『夕鶴』大阪で初演。北海道美幌農業高等学校校歌を作曲。 逸話 / 北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美(毎日放送の音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」)が鎌倉市に移住して、すぐ近所に住んでいた團に「美幌農業高校校歌」作曲を依頼した。その後、團は、東京で病に苦しんでいた武満徹(1953年「美幌町町歌」作曲)に自宅を提供して横須賀市に移住した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%98%E4%BC%8A%E7%8E%96%E7%A3%A8
Wikipedia)

團伊玖磨氏と中国
元当協会会長で作曲家の團伊玖磨氏(1924ー2001年)は、当協会創立初期から日中文化交流発展のために尽力した。常任理事、代表理事を歴任し、1997年に会長に就任した。
1966年の初訪中以来、民俗音楽の研究及び取材、自作の演奏会指揮などを含め、50数回訪中した。2001年5月17日、当協会代表団団長として訪中していた蘇州の地で急逝した。中国音楽界をはじめ、文化各界に親しい友人が多かった。
中国の文化、歴史に尊敬の念をもち、長年にわたり中国との文化交流発展に貢献したことが高く評価され、中日友好協会から「中日友好使者」、中国人民対外友好協会から「人民友好使者」、中華人民共和国文化部から「文化交流貢献賞」を授与された。1999年の厦門の中国復帰日本際しては、日本の民間人士として唯一人、中国政府の招きを受け、現地での政権移行式典に出席した。 (日中文化交流 日本中国文化交流協会編集 No. 902 2021.5.1)

日本人学校 / 日本人学校(にほんじんがっこう)とは、日本国政府の文部科学大臣が管轄する、3種類の在外教育施設のひとつ。 特に1990年代後半から急増しているのは経済成長に合わせ日本企業の進出が相次いだ中華人民共和国では、大連(1994年)、広州(1995年)、天津(1999年)、青島(2004年)、蘇州(2005年)に日本人学校が新設され、香港と上海の両校も増加し続ける生徒に対応するため、それぞれ1997年と2006年に校舎を増設している。上海では今後も毎年500人程度の児童・生徒数増加があるとみられている。 (Wikipedia)

團伊玖磨の楽曲一覧 / 日本人学校 / 北京日本人学校校歌 井上ひさし詞 / 上海日本人学校校歌 陳舜臣詞 / 大連日本人学校校歌 清岡卓行詞 (Wikipedia)

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日本の作曲家 團伊玖磨(Ikuma Dan)について – 美幌音楽人 加藤雅夫

團伊玖磨没後10年に寄せて(びほろのコマキスト – 美幌音楽人 加藤雅夫

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日本中国文化交流協会編集月刊誌・日中文化交流 (2021年5月1日 発行)

日本中国文化交流協会編集月刊誌・日中文化交流 (2021年5月1日 発行)

日本中国文化交流協会編集月刊誌「日中文化交流 No.902 2021年5月1日発行」と、人民中国雑誌社の「人民中国 2021年5月号」が送られてきました。日本と中国の皆様へご案内いたします。もし、ご関心がおありでしたら、日本中国文化交流協会へご連絡いただければ幸いです。一般財団法人 日本中国文化交流協会の会員 加藤雅夫 (北海道網走郡美幌町の音楽人 Masao Kato)

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『日中文化交流』 No.902 2021.5.1 目次 / 饅頭を尋ねて成都へ行く 嵐山光三郎 / 栗原小巻氏が新理事長に / 團伊玖磨氏を記念する音楽学術シンポジウムを開催 / 私の人生の宝物 横井義一 / 刻字交流40年の思い出 齊藤瑞仙 / 日中相互理解に役立つ書籍出版を続けるー日本僑報社創業25周年に思う 段躍中 / 〈本・評と紹介〉『対決!日本史 戦国から鎖国篇』(安部龍太郎、佐藤優著) 『「線」の思考ー鉄道と宗教と天皇と』(原武史著) 『夜ふかしの本棚』(佐藤光晴、中村文則ほか著) 『吉永小百合 私の生き方』(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」制作班 築山貞観著) 『孔丘』(宮城谷昌光著) 『北魏史 洛陽遷都の前と後』(窪添慶文著) 『浪花節で生きてみる!』(玉川奈々福著) 『ポストコロナ時代の若者交流 日中ユースフォーラム2020』(段躍中篇) / 報道 (『日中文化交流』誌 目次一覧 – 日本中国文化交流協会のウェブページ)

團伊玖磨氏と中国 / 元当協会会長で作曲家の團伊玖磨氏(1924ー2001年)は、当協会創立初期から日中文化交流発展のために尽力した。常任理事、代表理事を歴任し、1997年に会長に就任した。 1966年の初訪中以来、民俗音楽の研究及び取材、自作の演奏会指揮などを含め、50数回訪中した。2001年5月17日、当協会代表団団長として訪中していた蘇州の地で急逝した。中国音楽界をはじめ、文化各界に親しい友人が多かった。 中国の文化、歴史に尊敬の念をもち、長年にわたり中国との文化交流発展に貢献したことが高く評価され、中日友好協会から「中日友好使者」、中国人民対外友好協会から「人民友好使者」、中華人民共和国文化部から「文化交流貢献賞」を授与された。1999年の厦門の中国復帰日本際しては、日本の民間人士として唯一人、中国政府の招きを受け、現地での政権移行式典に出席した。 (日中文化交流 日本中国文化交流協会編集 No. 902 2021.5.1)

一般財団法人日本中国文化交流協会(にほんちゅうごくぶんかこうりゅうきょうかい)は、日中友好7団体の一つで民間法人。 経緯 / 1956年3月23日に東京で設立された。 本部所在地 / 東京都千代田区有楽町1-10-1 有楽町ビルデング423 役員 / 会長 黑井千次 副会長・理事長 池辺晋一郎 活動 / 日本と当時まだ国交が無かった中華人民共和国との間での文化交流のための代表団を相互往来させている。また、各種展覧会や学術討議会を相互開催している。 関連項目 / 以下の4人が、設立に中心的な役割を果たした。中島健蔵 仏文学者、千田是也 演出家、井上靖 作家、團伊玖磨 作曲家。 (日本中国文化交流協会 – Wikipedia)

関連サイト

日本中国文化交流協会のウェブサイト

一般財団法人 日本中国文化交流協会のフエィスブック

関連エントリー

日本の女優(舞台女優) 栗原小巻(Komaki Kurihara)について – 美幌音楽人 加藤雅夫

段躍中 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

日本僑報社 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

日中文化交流 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

日本中国文化交流協会 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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人民中国雑誌社の人民中国 (2021年5月号)

人民中国雑誌社の人民中国 (2021年5月号)

日本中国文化交流協会編集月刊誌「日中文化交流 No.902 2021年5月1日発行」と、人民中国雑誌社の「人民中国 2021年5月号」が送られてきました。日本と中国の皆様へご案内いたします。もし、ご関心がおありでしたら、日本中国文化交流協会へご連絡いただければ幸いです。一般財団法人 日本中国文化交流協会の会員 加藤雅夫 (北海道網走郡美幌町の音楽人 Masao Kato)

中国を知るための日本語総合月刊誌 人民中国 2021年5月号 / 特集 五カ年計画で進む民生改善 / 美しい中国 紹興 紹興酒と魯迅のふるさと (人民中国 2021年5月号)

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人民中国(People’s China)は、人民中国雑誌社が北京で出版する日本語雑誌。日本では東方書店から刊行されている。中華人民共和国政府傘下の紙媒体日本語雑誌としては、2010年時点で唯一のものである。 概要 / 1949年、中国のことを諸外国に知ってもらうための広報誌として誕生。1950年に英語版、1951年にロシア語版、1953年に日本語版が出された。 日本語版 / 北京と東京にオフィスがあり、中国と日本双方で印刷、販売している。時代の変化に合わせて何度かリニューアルしており、現在では日中の相互理解が編集上の重要なコンセプト。オールカラー。 (人民中国 – Wikipedia)

関連サイト

人民中国のウェブサイト

日本中国文化交流協会のウェブサイト

関連エントリ

人民中国雑誌社 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
 

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