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オホーツク カテゴリのアーカイブ
北見ルーテル教会(北見聖ペテロ・ルーテル教会)について
北見ルーテル教会(北見聖ペテロ・ルーテル教会)について
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ステンドグラス最後のライトアップ 北見ルーテル教会 建物改修で見納めに / 25年前に牧師夫人が描き 最後まで明かりをともし続けたい / 北見市公園町の北見ルーテル教会(旧北見聖ペテロ・ルーテル教会)は4月1日のイースター(復活祭)に向けて、教会の窓に描かれたステンドグラス画のライトアップを行っている。建物の改修が決まっており、これが見納めとなる。通り掛かった市民は、鮮やかな中にもやさしい明かりに見入っている。イエスキリストの復活を表現したこのステンドグラス画は1993年から5年間、同教会に赴任した牧師の夫人が描いたものだそう。同教会代表の男性によると、今から25年ほど前、かつてユースホステルだった建物を譲り受けてまもなくの頃で、美術大学出身で絵心のあった夫人が、教会らしさを創出したようだという。道路に面した1階の窓にはキリスト教の象徴の魚「ジーザス・フィッシュ」をはじめブドウや麦、ユリの花など聖書に縁のあるモチーフを描いている。オリジナルのデザインと思われ「’93.8」とサインが添えられている。転居後も訪れては加筆したようで00.4、03.5と記されている。階段の踊り場にある縦3メートル、横1.5メートルほどの窓にはイエス・キリストのモザイク画が大きく描かれている。西日を受ける頃には内側の壁に、キリストがガラス越しの光とともに現れ“復活”。一晩中行うライトアップは4月中旬までで、引き込まれそうに美しい姿をたたえる。建物の老朽化に伴い、教会は4月中旬に取り壊され、建て替えられる。男性は「20年ほど北見のまちを見守ってきました。最後まで明かりをともし続けます」と、この機会の観賞を呼び掛ける。教会内部も観覧できるイースター礼拝は31日午前10時半、現会堂最終の感謝礼拝は4月14日同時刻から行われ、誰でも参加できる。場所は東陵運動公園に近い野付牛通沿い。(寒)(2018年3月29日の記事 経済の伝書鳩)
宗教法人日本ルーテル教団(しゅうきょうほうじんにほんルーテルきょうだん、Japan Lutheran Church、JLC、NRK Nihon Ruuteru Kyoudan)は、日本におけるルター派の宗教法人。(日本ルーテル教団 – Wikipedia)
復活祭(ふっかつさい、ギリシア語: Πάσχα、ラテン語: Pascha、英語: Easter、ドイツ語: Ostern、ロシア語: Пасха)は、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教において最も重要な祭。多くの教会で特別な礼拝(典礼・奉神礼)が行われるほか、様々な習慣・習俗・行事がある。正教会ではギリシャ語から「パスハ」とも呼ぶ。カトリック教会では「復活の主日」とも呼ばれ、聖公会、プロテスタントなどでは「復活日」(ふっかつび)や、英語から「イースター」とも呼ぶ。「復活節」(ふっかつせつ)は、西方教会において復活祭からの一定期間を指す用法の他、プロテスタントの一部で復活祭(復活日)当日を指す用法がある。(復活祭 – Wikipedia)
イクトゥス(イクテュス、ichthys ichtus、ギリシャ語: ΙΧΘΥΣ/ ἰχθύς 発音 [ikʰtʰýs]) は、弧をなす2本の線を交差させて魚を横から見た形に描いたシンボルである。初期のキリスト教徒が隠れシンボルとして用いた。英語では、イクサス (ichthys, ichthus[ˈɪkθəs]) のほか、ジーザス・フィッシュ (Jesus Fish) やクリスチャン・フィッシュ (Christian Fish) とも呼ばれている。頭文字の符牒 / イクテュスはギリシャ語で「魚」という意味を持つが、同時にΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものでもある。(イクトゥス – Wikipedia)
今年は「きよしこの夜(聖夜)」が誕生して200年です。皆さんも原曲(ドイツ語)“Stille Nacht, heilige Nach”をギター伴奏で歌ってみましょう。そして、この1年をかえりみて、純なる聖なる気持ちをもって生きてこれた事への喜びと感謝を込めたいものです。追記 / 1996年(平成8年)、178年前の「きよしこの夜(聖夜)」の楽譜を入手した。この楽譜には歌詞が6番まで書き込まれ、日本版の「きよしこの夜」とはメロディーの1部も違うなど興味深いものとなった。そこで「ぜひ、原曲を知ってもらおう」と考えて、12月23日、北見市内の教会で演奏会を開催。1996年12月23日 、「きよしこの夜(聖夜)物語」コンサート、会場 北見聖ペテロ・ルーテル教会(北見市公園町) 出演 オホーツクマンドリンアンサンブル この曲が作られた当時に限りなく近い状況を再現できました。男声2重唱(ドイツ語)は齋藤衛牧師と研修中の宮澤重徳神学生。合唱は、会場のみなさん~素晴らしいクリスマスプレゼントでした。北見聖ペテロ・ルーテル教会は来年50周年です(1958年開設)。北見室内管弦楽団の練習場所です(月・木 1930~2130)。齋藤衛(さいとうまもる)牧師は、現在、東京ルーテルセンター教会の牧師・日本ルーテル神学校専任講師・日本ルーテル教団神学院院長として活躍。心理学修士。宮澤重徳(みやざわしげのり)神学生は、旭川聖パウロルーテル教会の牧師として活躍中。(残疾人歳時記 – 美幌音楽人 加藤雅夫)
関連サイト
日本ルーテル教団北見聖ペテロルーテル教会 – Facebook
東京ルーテルセンター教会 ~今日のみ言葉~ – ホーム | Facebook
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Stille Nacht, heilige Nacht きよしこの夜 200周年 記念館 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
北見聖ペテロ・ルーテル教会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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団塊の世代について
- 2018年03月30日(金) 0:31
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, スポーツ, 健康・福祉, 北海道, 北海道人, 国際, 日本, 映画, 美幌町, 観光, 音楽
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団塊の世代について
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団塊の世代(だんかいのせだい)とは、日本において、第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代を指す。焼け跡世代(あるいは戦中生まれ世代)の次の世代に当たり、第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のことである。第一次ベビーブーム世代とも呼ばれる。日本経済においては第二次世界大戦後の高度経済成長、バブル景気を経験している。この用語は堺屋太一の小説、「団塊の世代 (小説)」に由来している。厚生労働省は、その白書において「団塊の世代」ではなく、「団塊世代」は「団塊世代(1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)生まれ)」としている。日本の医療制度上は、前期高齢者(65~74歳)に該当する世代である。この3年間の年間出生数は260万人を超えている。1947年(昭和22年)生まれは267万8792人、1948年(昭和23年)生まれは268万1624人、1949年(昭和24年)生まれは269万6638人であり、3年間の合計出生数は約806万人にのぼる(厚生労働省の統計)。成長過程 / 引退期・老年期 / 2007年(平成19年)から2009年(平成21年)にかけて、200万人以上と年齢人口の多い団塊の世代のサラリーマンが一斉に定年退職を迎えるため、社会に大きな影響をもたらす危険性が問題視され、2007年問題と呼ばれた。大量退職によるマンパワー不足を回避するため、2006年4月に「改正高齢者雇用安定法」で65歳までの継続雇用を促進する「高年齢者の安定した雇用の確保等を図るため措置」が施行された。これに併せて人材コストを抑えつつ技能を継承する目的で、多くの企業が継続雇用制度を導入することで団塊の世代を再雇用し、多数が就業または再就職している状態が続いた。その結果2006年(平成18年)では83万人いた60歳から64歳の労働者が2009年(平成21年)には142万人にまで増え、さらに65歳以上の労働者も31万人から54万人にまで増加した。このような対策もあり、2007年問題は大きな問題とはならなかったが、その後団塊の世代が65歳に到達する2012年に同様の問題が起こると懸念され、2012年問題と呼ばれた。しかし2017年現在この問題は大きな問題となっていない。彼らの蓄えた技術や能力、人脈を自社で生かすべく、団塊の世代の人材を獲得しようとする企業も現れている。しかし退職後は専門知識を生かし、技術指導者やシニア海外ボランティアとして海外の発展途上国で活躍する者も少なくない。特に、製造業の分野においては、日本のメーカーが培ってきた製造技術を伝授すべく、団塊の世代の退職エンジニアが中国や韓国、台湾の企業に再就職した者もいる。団塊の世代の人口が多い分、年金を受給し始めると大きな負担となることが考えられたため、1990年代から年金問題は発生まで時限性を持った社会問題となり、たびたび改革案が提示された。結果的に給付額の削減と納付額の引き上げが行われ、厚生年金は60歳から受け取れるものの、基礎年金は63歳から65歳受給と、一部の支給開始時期が先送りされた。円高傾向や、豊富な時間と資金力を生かして秘境や辺境、特殊なアトラクションを経験するツアーが人気になっているのも、この世代に見られる特徴である。経済との関連 / 巨大な消費市場 / 地域の担い手として / 2005年(平成17年)頃から近年各地の地方自治体で、団塊の世代を呼び込もうとする動きが盛んになってきた。島根県において、県知事名で約2万人の出身者等を対象に帰郷を呼びかける手紙を送ったことはニュースになった。このほか、北海道においても移住促進活動が盛んに行われている。社会保障 / 団塊の世代の厚生年金の受給が2007年(平成19年)から始まっており、基礎年金の受給も2010年(平成22年)以降始まっている。さらに、2022年頃以降には後期高齢者(75歳以上)となり、一定の部分は社会的入院や要介護者になり、年代とともにその比率は高まっていき、負担がさらに増えるだろうと考えられている。犯罪増加の傾向 / 法務省の発表した犯罪白書の平成20年度版では「高齢犯罪者の実態と処遇」を特集している。この特集は65歳以上及び今後団塊の世代が高齢期に達することを考慮して犯罪増加に警鐘を鳴らしている。(団塊の世代 – Wikipedia)
関連サイト
美幌町高齢者保健福祉計画・第6期介護保険事業計画を策定しました | 美幌町
「遠紋圏域地域医療構想」について | オホーツク総合振興局保健環境部紋別地域保健室
関連エントリ
日本の作曲家 團伊玖磨 (2001年 5月17日) ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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名将 橋本定彦監督しのぶ会について
名将 橋本定彦監督しのぶ会について
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名将・橋本定彦監督しのぶ会 北斗高ラグビー部OBら十周忌に / 厳しかったが今なら理解できる / 北見北斗高校ラグビー部の元監督で、平成20年に62歳で亡くなった故・橋本定彦元校長をしのぶ会が命日の3月26日、北見と札幌、東京、大阪にOBらが集まってそれぞれ行われた。10年経ってもなお「怖かった」と思い出話は尽きなかった。橋本氏は現役当時、全国高校ラグビーフットボール大会で準優勝。教員となりラグビー部顧問として美幌高校を4回、北見北斗高校を12回連続、花園に導いた。転勤後に再び北見北斗高校の校長として赴任し、平成18年に定年退職。同20年、心不全により急逝した。夏合宿でよく利用した市幸町の保養施設・からまつ荘を会場とした北見でのしのぶ会には15人が参加した。出席者の中で最年長で少年ラグビーの指導に熱心な男性(50)の発声で開会。男性(50)は「厳しかったけれど、一歩グラウンドを離れると優しかった」と恩師を振り返った。前日に市議選を終えた森谷隆文さん(42)はここでは一番の後輩。「ディフェンスに力を入れたが守ることは嫌いな先生だった。お前を一番叱った、と後から聞いた。今自分があるすべてです」と語り、幹事としてせっせと先輩達にビールを注いで歩いていた。昨年4月に赴任した同部OBの現監督(46)は「トライは取れなくても、取らせるな、が口癖だった。体張ってタックルしないと後練(あとれん)がきつかった。今ならば理解できるのだが」と名将を振り返った。全国大会の写真や24-0で1回戦を突破した対熊本工業戦のビデオテープを観賞し、監督は「先生にいい報告ができるよう頑張らなければ」と気を引き締めた。(寒)(2018年3月29日の記事 経済の伝書鳩)
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おいしいコーヒーの入れ方について
- 2018年03月30日(金) 0:24
- カテゴリ: 健康・福祉, 北見市, 常呂
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おいしいコーヒーの入れ方について
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常呂「みんなの広場」 おいしいコーヒーの入れ方 / 北見市社協常呂支所のみんなの広場「おいしいコーヒーの入れ方」がこのほど、常呂いこいの家で開かれた。市民16人が参加、コーヒー豆の知識やいれ方を学び、みんなで試飲した。講師はミント宅配便講師の男性。男性はペーパードリップとサイフォンを使い、いれ方次第で味とうまみが変わることなどを指導。参加者はコーヒーを入れるときのお湯の温度について質問するなどし、実際に挑戦。「自分で豆を選び引きたてのコーヒーは最高」などと話していた。(澄)(2018年3月29日の記事 経済の伝書鳩)
コーヒー(オランダ語: koffie[2] /ˈkɔfi/ Nl-koffie.ogg コフィ[ヘルプ/ファイル])は、コーヒー豆(コーヒーノキの種子)を焙煎し挽いた粉末から、湯または水で成分を抽出した飲料。歴史への登場は酒や茶には遅れるが、多くの国で飲用されている嗜好飲料である[要出典]。家庭や飲食店、職場などで飲用され、コーヒーの専門ショップも多数存在する。抽出前の粉末や粉砕前の焙煎豆も、同じくコーヒーと呼ばれることもある。日本語では「珈琲」と当て字されている。世界各国において、コーヒーを提供する場の喫茶店(コーヒー・ハウス、カフェ、カフェー)は近代、知識人や文学、美術などさまざまな分野の芸術家の集まる場として、文化的にも大きな役割を果たしてきた。さらに、貿易規模が大きい一次産品であるため、経済上も重要視されている。大体北回帰線と南回帰線の間(コーヒーベルト)の約70箇国で生産され、アメリカ、ヨーロッパ、日本など全世界に輸出されている。カフェインに代表される薬理活性成分を含むことから医学・薬学の面から研究の対象となっている。(コーヒー – Wikipedia)
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コーヒーの木(コーヒーノキ)について
- 2018年03月30日(金) 0:23
- カテゴリ: オホーツク, 北海道, 北見市, 日常生活
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コーヒーの木(コーヒーノキ)について
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コーヒーの木開花 北見の女性宅で / 「こんなにたくさんは初めて」 実が成ったら飲んでみたい / 北見市内の女性宅のコーヒーの木(コーヒーノキ)が咲き誇っている。香り豊かで可憐な白い花が次々に咲き、女性は「こんなにたくさん花が咲いたのは初めて」と喜んでいる。十数年前に15センチほどの鉢植えを購入。5月になると畑へ植え替え、9月になると鉢に戻して自宅に入れ、愛情を注いだ。高さは1メートルを超え近年は毎年、この時期に花と実を楽しませてくれるという。「花はジャスミンのような香りがして、とっても素敵なんですよ。咲くと1日でしぼんでしまうので残念ですが、今年はたくさんつぼみがあるので、まだまだ楽しめそうです」と女性。市緑のセンターによると、実を採取して豆を取り出し、1カ月ほど乾燥させ、いって、ひくとコーヒーとして楽しめるという。女性は「たくさん実が成ったら、豆を取ってコーヒーを飲んでみたいですね」と胸を躍らせている。(匡)(2018年3月28日の記事 経済の伝書鳩)
コーヒーノキ(コーヒーの木)は、アカネ科コーヒーノキ属(コーヒー属、コフィア属)に属する植物の総称で、主に栽培種(アラビカコーヒーノキとロブスタコーヒーノキなど)を指す。また、多数の野生種がアフリカ大陸西部~中部からマダガスカル島と周辺諸島にかけて分布している。常緑で光沢を帯びた葉と白い花をつけ、鮮やかな赤~紫または黄色の実をつける。種子からコーヒーの原料となるコーヒー豆が採れるため、商品作物として熱帯地方で大規模に栽培されるほか、観葉植物として鉢植えで利用されている。(コーヒーノキ – Wikipedia)
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ソチ五輪で竹内智香選手の雄姿をテレビで見て感激
ソチ五輪で竹内智香選手の雄姿をテレビで見て感激
第36回JSBA全日本スノーボード選手権大会優勝 網走市立第二中学校の女子生徒
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全日本スノーボード選手権優勝 網走二中2年・女子生徒 / 網走市の網走二中2年女子生徒が第36回JSBA全日本スノーボード選手権大会(14、15日、長野県)の大回転ユース女子の部で優勝した。小学3年生から始めた競技。「大舞台で結果を残せてうれしいです」と顔をほころばせている。大回転ユース女子の部 慣れない本州の雪制し 大舞台で結果残せてうれしい / 北海道地区予選(2月18日、上川管内士別市)を経て全国へ。各地区大会を勝ち抜いた12人と競った。大回転は2本滑った合計タイムで順位を競う。慣れない本州の雪で、前日の回転では転倒したが、大回転では気持ちを切り替えた。1本目55秒793と好タイムで滑走。2本目は58秒671と記録を下げたが、合計1分54秒469と2位に0.3秒の差をつけ優勝した。スノーボードは両親の影響で小学3年生から始めた。6年生の時にソチ五輪で竹内智香選手の雄姿をテレビで見て感激。中1から市内の社会人チーム「パーキングポイント」に所属し、大人に混じって練習を続けている。「雪面を滑る速さ」が好き。憧れの竹内選手の本も熟読しながら、「もっと速く」と努力している。「来年も表彰台に上れるよう、練習を続けます」と目を輝かせている。(玲)(2018年3月28日の記事 経済の伝書鳩)
全日本スノーボード選手権大会(ぜんにほん―せんしゅけんたいかい)は、日本スノーボード協会が主催するスノーボード全国大会である。毎年3月に開催される。(全日本スノーボード選手権大会 – Wikipedia)
竹内 智香(たけうち ともか、女性、1983年12月21日 – )は、スノーボードアルペン選手。 所属は、小嶋アカデミー→ロイズ→広島ホームテレビを経て、現在は広島ガス。来歴 / 北海道旭川市出身。クラーク記念国際高等学校出身。2012年12月21日、自身の29歳の誕生日にカレッツァ(イタリアの旗 イタリア)で開催された2012 – 2013年シーズンの初戦となるパラレル大回転でFISワールドカップ初優勝を飾った。2013-14シーズンは出場したワールドカップ3戦全てで2位に入り、ソチオリンピック直前の世界ランクでは2位にランクインした。2014年2月のソチオリンピックパラレル大回転では、予選を1位で通過し、決勝トーナメントでも安定した滑りで決勝進出を果たす。決勝は世界ランク1位、スイス時代の元チームメイトであるパトリツィア・クンマーと対戦。1本目はクンマーに0.30秒差をつけ逃げ切ったが、2本目の中盤にわずかにリードを許したところで転倒し惜しくも銀メダルとなった[21]。それでも、スノーボード競技では日本人女性初のオリンピックメダリストとなり、アルペン種目では1956年・コルティナダンペッツォオリンピックのスキー回転で銀メダルを獲得した猪谷千春以来、58年ぶりの快挙となった。2018年2月の平昌オリンピック女子パラレル大回転種目に再度選出された。著書 / 『私、勝ちにいきます: 自分で動くから、人も動く』 小学館、2014年7月1日。(竹内智香 – Wikipedia)
関連サイト
Team Parking Point (チームパーキングポイント)
スノーボードショップ parking point (パーキングポイント) トップページ
第36回JSBA全日本スノーボード選手権大会|日本スノーボード協会 公式サイト
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全日本スノーボード選手権大会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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北海道置戸町の最新情報(ニュース)について
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人口減など町の政策課題に取り組む 置戸町 / 4月から「まちづくり推進室」新設など機構改革 地域福祉センターは包括支援係を設置 / 置戸町は4月から地域振興係と地域情報係の2係で構成する「まちづくり推進室」を新たに設けるなど町行政組織の機構改革を行う。同振興係は人口減少などの町が抱える政策課題に取り組み、第6次総合計画を策定する。同情報係は従来の町民生活課の広報広聴係と総務課情報管理係の業務を担当する。総務課に防災・交通安全・防犯関係を受け持つ防犯係を新設。総務係に職員係が統合され、管財係に公営住宅に関する業務が移管される。また、地域福祉センターでは福祉係が社会福祉係に、高齢者支援係が高齢者福祉係に名称を変更。包括支援係を新たに設け、高齢者支援係の業務の一部と子育て世代支援業務を担当する。(成)(2018年3月28日の記事 経済の伝書鳩)
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北見藤女子高等学校の生徒会と北見身体障害者福祉協会について
- 2018年03月29日(木) 0:19
- カテゴリ: オホーツク, 健康・福祉, 北海道, 北見市
- この記事へのコメントは 1 件あります。
北見藤女子高等学校の生徒会と北見身体障害者福祉協会について
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リングプル150キロ寄贈 藤女子高の生徒会が集め / 北見身体障害者福祉協会に / 北見藤女子高校の生徒会が19日、北見身体障害者福祉協会にリングプル約150キロを寄贈した。福祉活動の一環で校内に回収箱を設置し、生徒の家庭にも協力を呼び掛けてリングプルを集めている。この日は生徒会長の2年女子生徒と副会長の1年女子生徒が同協会事務局のある市総合福祉会館を訪れ「みんなで協力して集めました。車椅子などに交換して役立ててください」と、思いを託した。同協会の副会長は「大切に使わせていただきます」と感謝を述べた。同校は今後も取り組みを続ける。(匡)(2018年3月23日の記事 経済の伝書鳩)
生徒達の思い、くみ取れる先生に 北見藤女子高教諭 女性(26) / 北見藤女子高校出身で同校教諭の女性(26)は、高校時代は生徒会長、現在は生徒会の顧問を務める。自身の高校時代にスタートした生徒会活動が引き継がれていることに「とても感慨深いです」とにっこり。4月で同校教諭として2年目のスタートを切り「生徒達の思いをくみ取れる先生になりたいです」と張り切っている。
高校時代は生徒会長、現在は顧問に 4月で教諭として2年目のスタート 人・ひと・240度 / この高校を選んで良かったと思えるように / 「子どものころ、学校の先生になりたいと思ったことは1度もなかったんですよ」と女性。「遠回りでしたね(笑)」という、その経緯が面白い。小学生の時から、ディズニーランドで働くことが夢だった。中学生になり「本場アメリカのディズニーランドで働くにはどうしたらよいか」と考え、英語を学ぶため北見藤女子高校の英語コースに進学した。高校時代はオーストラリアに語学留学するなど、夢に向かって着実にまい進。卒業後はアメリカの大学に進学し、観光分野を専攻した。しかし、遊びに行ったアメリカのディズニーランドで、夢が夢でなくなった。「日本のディズニーランドは夢の国でサービスが徹底していますが、私が行ったアメリカのディズニーランドは職員がフランク過ぎて、サービスを含め思い描いていた場所とは違いました」 大学2年次から専攻分野を変更。趣味の歌やダンスを学ぶミュージカルシアター学部に在籍した。一時的に夢を失ったが、毎年3カ月間ある夏休みに帰国して同校で生徒のアドバイザー的な役割のチューターを務めた経験から、教師の仕事に興味を持った。「アジア圏からアメリカに留学する学生のほとんどは英語がペラペラで『アメリカに英語を勉強しに来ているわけじゃないから』という人が大半。それに比べ、日本人は英語の勉強のため留学する人が多く、日本の英語教育に対して思うところもありました」という。大学卒業後は同校に講師として勤務。働きながら通信教育で教員免許を取得し、昨年4月から教諭として採用された。生徒会の顧問も任され、自身の高校時代に始まった『MARIA運動』が引き継がれていることと、生徒達がより良い活動にしようと意見を交わしていることを知った。同運動は挨拶や身だしなみの啓蒙事業で、リングプルを回収して寄贈するなど福祉活動も行う。先ごろ、現在の生徒会長と副会長を引率する形で福祉団体にリングプルを寄贈。教師になるまでの経緯を振り返り「とても感慨深いです」と笑顔を浮かべた。「北見藤女子高校に進学しなければ、今の私はありません。高校時代は毎日が楽しかったので、今の生徒達にも、この高校を選んで良かったと思ってもらいたいというのが私の願いです」と女性。「高校時代、やりたいのにできなかったこともありました。そんな生徒達の思いをくみ取れる先生になりたいですね」と目を輝かせる。(匡)(2018年4月3日の記事 経済の伝書鳩)
寄贈に理解と協力を 北見身体障害者福祉協会 / 北見身体障害者福祉協会は随時、リングプルの寄贈を受け付けている。リングプルを道内の団体に依頼して車椅子や杖に引き換え、イベントで活用したり会員に貸し出しており、理解と協力を呼び掛けている。市総合福祉会館の入口に回収箱を設置し、こちらでも寄贈を受け付けている(写真)。同協会によると、2年で車椅子1台と引き換えられる750キロ程度が寄せられているという。収集はしていない。問い合わせは同協会(TEL 0157-66-3838)へ。(匡)(2018年3月23日の記事 経済の伝書鳩)
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丸山礼(日本のものまねタレント・お笑いタレント)
丸山礼(日本のものまねタレント・お笑いタレント)
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地元北見でものまね初披露 お笑いタレント・丸山礼さん(20) / 北見藤女子高校出身のお笑いタレント・丸山礼さん(20)が得意のものまねなどを披露するショーが21日、北見市立中央図書館で行われた。テレビでも活躍する丸山さんが、プロとして地元・北見に登場する初めてのイベント。170人がものまね芸を堪能し、会場は笑いに包まれた。北見藤女子高出身、活躍中 170人が芸を堪能、会場は笑いに包まれ / 丸山さんは芸能事務所のワタナベエンターテインメント所属。北見藤女子高校在学中に同事務所主催の「オモ女選手権」で最優秀賞を獲得し、養成所を経てデビューした。50以上のものまねレパートリーを持ち、テレビ番組などで活躍している。今回のイベントは北見の読み聞かせ愛好者らでつくる児童文学者講演会実行委の主催で、丸山さんにとってデビュー以来、初となる地元・北見でのステージ。ショーでは落語絵本「まんじゅうこわい」をロバートの秋山竜次さん、りゅうちぇるさん、鈴木奈々さん、ブルゾンちえみさん、横澤夏子さんらのものまねで披露し、会場は笑いに包まれた。また、芸人を目指したきっかけや芸能界での仕事ぶりについて語り、会場からのネタやコントのリクエストにも応えた。高校時代に披露していたという講師のものまねなど、地元ならではのネタも披露。丸山さんにとっての笑いの原点も見せた。ネタやコントの合間には「こんなに楽しいことってあるんですね」としみじみ語り、地元の人達を笑顔にできたことを喜んだ丸山さん。最後には「みんなに元気になってもらいたいというのが私の思い。この機会を与えてくれてありがとうこざいました。これからもよろしくお願いします」とメッセージを送り、90分のステージを終えた。終了後には知人らから声を掛けられ、感極まって涙する場面も。サインや記念撮影にも快く応じ、ファンを喜ばせた。丸山さんのインタビューを後日、掲載します。(匡)(2018年3月24日の記事 経済の伝書鳩)
たくさんの人を元気付けるため頑張りたい 北見市出身のお笑いタレント 丸山 礼さん(21) / テレビやイベントなどで活躍する、北見市出身のお笑いタレント・丸山礼さん(21)。先ごろ市立中央図書館で開かれたイベントに出演し、地元ではプロデビュー後として初となるステージで170人の観客から爆笑を奪った。ステージ終了後、芸能界を目指すきっかけや現在の仕事、暮らしぶりなどについて聞いた。(匡)
プロデビュー後、地元では初ステージ きっかけは友達へのものまね披露 今年は演技や歌の仕事を「みんなに愛される人に」 シリーズ TALK・トーク・とーく414
-芸能界を目指したきっかけは / 「小さいころからキラキラ輝きたい、人前に出たいという思いがありました。ものまねが好きで(北見藤女子)高校時代、友達によく先生などのものまねを披露していて楽しかったので、オーディションを受けてみたのがきっかけです。なかなか評価されず無理かなと思っていたのですが、高校3年の時、現在所属するワタナベエンターテインメントのオーディションで評価していただき、養成所を経てデビューできました」
-芸能界に進むことに不安はありませんでしたか / 「私は子どものころから、学校で体調が悪くなったり不安になったりした時に保健室を利用し、保健室で元気をもらうことが多かったので、将来は子ども達を元気付ける存在になりたいと思い、養護教諭を目指していました。高校在学中も養護教諭の道を選択するつもりでいたので、オーディションを受けてからは養護教諭かお笑いか、どちらの道にも進みたくて迷いましたが、事務所の熱心な誘いもあり『これは、お笑いの道へ動くべき』と直感で決めました」
-家族や友人、学校など周囲の反応は / 「友人や学校の先生は背中を押してくれて、最初は乗り気ではなかった母も『やりたいことをやりなさい』と理解してくれました。私は養護教諭もお笑いの世界も、人を元気付ける仕事という意味で共通する部分があると思います。親元を離れて東京で暮らし、経験したことのない世界に飛び込むことへの不安はもちろんありましたが、みんなを元気付けたい、子ども達に笑ってほしいと決意しました」
-上京から丸3年。現在の仕事や生活は / 「今はアルバイトしながらネタを作り、勉強のために舞台や映画を観て、さまざまなオーディションを受けている状況です。自分で単独イベントを企画したりもしていて、ステージに立つこともありますが、まだまだお笑いタレントの仕事だけで生活するのは難しいですね」
-先日は図書館で開かれたイベントで、初めて地元のステージに立ちましたね / 「ものまねによる読み聞かせに初めてチャレンジしましたが、知っている顔がたくさんあって『おかえりー』と声を掛けていただいて、笑ってもらえて、本当にうれしかったです。こんなに楽しいことってあるんですかねー、と感じました。こういう機会を与えてくださったことに、心から感謝しています」
-後輩となる高校生の姿もたくさんありました。北見から夢に向かってはばたいた先輩として、一言お願いします。「私はよく中高生など自分より若い人達から『自分のやりたいことが分からない』と相談を受けることがあります。私は『自分のやりたいこと=誰にも負けたくないこと』と思っています。それは私にとってものまねであり、お笑いでした。やっぱり、やりたいことをやるのが1番ですよね。誰にも負けたくないことを、とにかくやってみたらいいなと思います」
-今後の抱負を / 「今はツイッターやインスタグラムなどSNSでの情報発信に力を入れていますが、2018年は演技や歌の仕事をするのが目標です。当然、お笑いタレントとして生活できるようになるのが前提ですけどね。ドラマに出たい、舞台に立ちたいと思っています。グチグチ独り言をこぼす役なんか、私に向いていると思いませんか?(笑)。将来的にはお茶の間のアイドルといいますか、みんなに愛される人になりたいと思っています。目標は、面白くてかわいい人でいることですね」
-最後に、地元のファンにメッセージを / 「上京して3年、まだまだこの世界で食べていけるかどうか分からず不安になることもありますが、私の不安は泣いて、食べて、寝れば吹っ飛びます(笑)。これからもたくさんの人を元気付けるために頑張っていきますので、応援をよろしくお願いします」(2018年4月2日の記事 経済の伝書鳩)
丸山 礼(まるやま れい Lei Maruyama、1997年4月1日 – )は、日本のものまねタレント、お笑いタレント。ワタナベエンターテインメント所属。北海道北見市出身。北見藤女子高等学校卒業。来歴・人物 / 小学校時代は競泳をしており、泳力検定1級である。中学・高校生時代は生徒会長として生徒会活動を経験し、学校を盛り上げる傍ら、地元・北見の高校生生徒会メンバーと北見青年会議所で活動しているオホーツクきたみ学生連合で北見市の地域貢献に積極的に参加していた。高校2年の時、母校北見藤女子高等学校英語科でフィリピンに短期語学研修をしている。同じく高校2年の時、東日本大震災被災ボランティア参加経験がある。仮設住宅を周り被災者と寄り添った。この時から学校を盛り上げようとして「生徒に媚びようと必死な非常勤講師」など先生の物真似を学校の生徒相手に披露していた。この時から、ロバートの秋山に似てると思うからやってみたら?と友達から言われていたという。成績優秀で高校3年の時には特進クラスに居たが、そんな時進路に悩む中、自分の物真似を見て欲しいと、オーディションを探している中でワタナベエンターテインメントのオーディション『オモ女グランプリ』に応募。最優秀賞を受賞、教育大学に進学して養護教諭を目指す進路とで悩んだが、最後には「若いうちは人生やり直しが利く」として、大学進学を辞めお笑い芸人になることを決意。卒業までの後半はYouTube配信ローカル番組『オホバン』に抜擢され「お笑い芸人志望の女子高生パーソナリティ」としてレギュラー出演、ボランティアでオホーツクの情報発信レポートをしていた。2015年3月の高校卒業と共に上京し、同年4月にワタナベコメディスクールに22期生として入学(特待生)。ワタナベコメディスクール22期生の中で首席になったため、同スクール在学中の2016年2月4日に行われた、ワタナベエンターテインメント主催の『ワタナベお笑いNo.1決定戦』決勝大会に「ジャイアントキリング」枠で出場。同年4月にワタナベエンターテインメント正所属が決まり、同時にPON!(日本テレビ)の月曜日突撃芸人のレギュラーも決まる。(丸山礼 – Wikipedia)
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安藤 まり子(あんどう まりこ、1929年(昭和4年)2月2日 – )は、日本の歌手。所属事務所はミュージックオフィス合田。経歴 / 北海道北見市出身。1945年(昭和20年)、終戦の年に上京し、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)卒業。卒業と同時に日本コロムビアの専属となり、1949年(昭和24年)に藤山一郎と一緒に吹き込んだデビュー曲『花の素顔』(同名松竹映画の主題歌)がヒット。1953年(昭和28年)には前年、コロムビアが行った全国歌謡コンクールの課題曲歌詞募集の入選作であった『毬藻の唄』が爆発的ヒットするも、歌手の若山彰と結婚(のち離婚、後年再婚)のため、引退。その後は江戸千家茶道師範などで生計を立てていたが、1982年(昭和57年)に二葉あき子・並木路子・池真理子・胡美芳らに誘われ、コロムビア五人会の1人として歌謡界復帰し、五人会結成コンサート「あなたのために唄います」を開催。五人会結成の際、「またみんなで一緒に歌おう」との呼び掛けに「冗談だとばかり思ってハイ、ハイと返事をしてしまった」そうだ。 1986年(昭和61年)、リサイタルを開催。1987年(昭和62年)暮れ、東京プリンスホテルでディナーショーを開催。1988年(昭和63年)秋、故郷の北海道北見市で初のリサイタルを開催。2000年(平成12年)に池真理子、翌年に並木路子が死去。2009年(平成21年)に胡美芳が死去し、2011年(平成23年)に二葉あき子が死去したため、現在は五人会の唯一の現役歌手として、意欲的に歌手活動を続けている。代表曲 / 「花の素顔」(共唱:藤山一郎)「毬藻の唄」「カチューシャの唄」。(安藤まり子 – Wikipedia)
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