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市民の声 平成の重大ニュース (北海道オホーツク管内)

市民の声 平成の重大ニュース (北海道オホーツク管内)

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市民の声 「平成」重大ニュース 2019/04/08掲載(網走管内/社会)
新元号が「令和」に決まり「平成」の時代がいよいよ4月末で幕を閉じます。この30年を振り返って思い浮かぶ、あなたにとっての平成の重大ニュースは? 市民の声を集めてみました。
携帯電話の進化に驚き / 携帯電話の登場は昭和ですが、一般に広く普及したのは平成に入ってからだったと思います。そこからの進化は驚くばかりでしたね。 私が最初に手にしたアナログ式の携帯電話は、モノクロ液晶画面にカタカナの名前と電話番号しか表示できず、その少し前に流行った電子手帳より表示能力は劣っていました。でも、エリア内であればどこでも通話ができるのは本当に便利だとよろこんだものです。 それからデジタル化を迎え液晶がカラーになりカメラや音楽再生機能がつくなど進化を遂げ、ついにはスマートフォンが登場。今や生活になくてはならないものになっています。 そんな携帯電話が新元号「令和」の時代に、どんなふうに発展していくのか楽しみで仕方ありません。(北見市・40代・男性)
駒大苫小牧高の甲子園初優勝 / 駒大苫小牧高校が北海道勢として初めて優勝した平成16年夏の甲子園大会が忘れられません。 東北以北の代表の優勝がなかったため、白河の関を越えないとされていた甲子園での大会。私も甲子園を目指していましたが遠い道でした。そんな中、優勝旗が一気に津軽海峡を渡ったのだから感無量でした。 しかも、送りバントでランナーを着実に進める、豪腕投手が打者を凡打に打ち取るというチームではなく、打たれたら打って点を取るチームカラーに衝撃を受けました。 決勝の相手は愛媛県の済美高校。壮絶な打撃戦の末、13-10で栄冠を手にしました。 17年に2連覇を達成。18年は東京の早稲田実業に引き分け再試合で敗れ、3連覇はなりませんでしたが、多くの人に勇気と感動を与えました。(北見市、60代・男性)
旅行中に改元 / 昭和64年に家族旅行に行き、帰宅した時には、平成元年でした。1月7~8日の出来事は今でも鮮明に覚えています。 平成の約30年の間に中学生→高校生→大学生→社会人となったので「平成」は私にとって、激動の“時代”でした。 「令和」の時代は、どうなるのでしょうか? 期待と不安が入り混じっています。(北見市、40代・男性)
ラグビーワールドカップ日本開催決定 / 高校時代にラグビーに打ち込んでいたこともあり、ラグビーのワールドカップが日本で開催されることが決まった時は、衝撃を受けました。 平成を振り返ると、サッカーのワールドカップの日韓開催も、東京オリンピックの開催決定もあり、スポーツの大きいニュースが相次いだなぁと思います。「こんなビッグイベントが自分の世代のうちに開催されるなんて、幸せなことだ」と思うと同時に「日本ってすごい国なんだな」と実感しています。(北見市、40代・男性)
「ばあば」になりました / 「おばあちゃん」になれたことが私のニュースです。30歳を過ぎても実家暮らしだった息子と娘。結婚しないのか…と諦めていましたが3年前に2人立て続けに結婚しました。子ども達の結婚は我が家の大ニュースとなったのですが、娘はその後、出産し、初孫を抱くことができました。 同窓会で顔を合わせる友人達は「孫は目に入れても痛くない。特別よ」と口をそろえて言っていましたが、見るたびに成長していく孫の姿は、まさに友人達の言う通りで、ばあばはメロメロです。 新元号となる新しい時代に、2人目の孫に会えたらうれしいです。(北見市、60代・女性)
インターネットの進化 / 様々な思い出のある平成の30年間ですが、中でもインターネットの進化をリアルタイムで感じられたのは貴重な経験でした。 インターネットが普及し始めた平成初期のモデムは通信速度がやたらと遅く、画像を一枚ダウンロードするだけで何時間もかかったものです。サイト検索機能も発達しておらず、本でアドレスを調べて目当てのホームページにアクセスするという二度手間を強いられていました。 それが今やIoTや5Gの時代です。平成とは、まさに「ネットの時代」と言えるのではないでしょうか。(北見市、50代・男性)
「びほーる」の名付け親に / 私にとっての平成のニュースは、美幌町民会館「びほーる」の名付け親になったことです。当時は札幌に住んでいて、出身地の美幌町のホームページで名付け親募集を知り、応募しました。選ばれた時はとても驚きました。 地元に戻ってきてからの2、3年は、会う人会う人に名付け親のことで声を掛けられ、うれし恥ずかしかったですね。 名付け親としてネームプレートも作っていただきました。一生残っていくものなのでとてもうれしいですし、自分が住んでいる町のことに関われて誇りに思っています。(美幌町、30代・男性) (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)

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団塊の世代について

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団塊の世代について

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団塊の世代(だんかいのせだい)とは、日本において、第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代を指す。焼け跡世代(あるいは戦中生まれ世代)の次の世代に当たり、第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のことである。第一次ベビーブーム世代とも呼ばれる。日本経済においては第二次世界大戦後の高度経済成長、バブル景気を経験している。この用語は堺屋太一の小説、「団塊の世代 (小説)」に由来している。厚生労働省は、その白書において「団塊の世代」ではなく、「団塊世代」は「団塊世代(1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)生まれ)」としている。日本の医療制度上は、前期高齢者(65~74歳)に該当する世代である。この3年間の年間出生数は260万人を超えている。1947年(昭和22年)生まれは267万8792人、1948年(昭和23年)生まれは268万1624人、1949年(昭和24年)生まれは269万6638人であり、3年間の合計出生数は約806万人にのぼる(厚生労働省の統計)。成長過程 / 引退期・老年期 / 2007年(平成19年)から2009年(平成21年)にかけて、200万人以上と年齢人口の多い団塊の世代のサラリーマンが一斉に定年退職を迎えるため、社会に大きな影響をもたらす危険性が問題視され、2007年問題と呼ばれた。大量退職によるマンパワー不足を回避するため、2006年4月に「改正高齢者雇用安定法」で65歳までの継続雇用を促進する「高年齢者の安定した雇用の確保等を図るため措置」が施行された。これに併せて人材コストを抑えつつ技能を継承する目的で、多くの企業が継続雇用制度を導入することで団塊の世代を再雇用し、多数が就業または再就職している状態が続いた。その結果2006年(平成18年)では83万人いた60歳から64歳の労働者が2009年(平成21年)には142万人にまで増え、さらに65歳以上の労働者も31万人から54万人にまで増加した。このような対策もあり、2007年問題は大きな問題とはならなかったが、その後団塊の世代が65歳に到達する2012年に同様の問題が起こると懸念され、2012年問題と呼ばれた。しかし2017年現在この問題は大きな問題となっていない。彼らの蓄えた技術や能力、人脈を自社で生かすべく、団塊の世代の人材を獲得しようとする企業も現れている。しかし退職後は専門知識を生かし、技術指導者やシニア海外ボランティアとして海外の発展途上国で活躍する者も少なくない。特に、製造業の分野においては、日本のメーカーが培ってきた製造技術を伝授すべく、団塊の世代の退職エンジニアが中国や韓国、台湾の企業に再就職した者もいる。団塊の世代の人口が多い分、年金を受給し始めると大きな負担となることが考えられたため、1990年代から年金問題は発生まで時限性を持った社会問題となり、たびたび改革案が提示された。結果的に給付額の削減と納付額の引き上げが行われ、厚生年金は60歳から受け取れるものの、基礎年金は63歳から65歳受給と、一部の支給開始時期が先送りされた。円高傾向や、豊富な時間と資金力を生かして秘境や辺境、特殊なアトラクションを経験するツアーが人気になっているのも、この世代に見られる特徴である。経済との関連 / 巨大な消費市場 / 地域の担い手として / 2005年(平成17年)頃から近年各地の地方自治体で、団塊の世代を呼び込もうとする動きが盛んになってきた。島根県において、県知事名で約2万人の出身者等を対象に帰郷を呼びかける手紙を送ったことはニュースになった。このほか、北海道においても移住促進活動が盛んに行われている。社会保障 / 団塊の世代の厚生年金の受給が2007年(平成19年)から始まっており、基礎年金の受給も2010年(平成22年)以降始まっている。さらに、2022年頃以降には後期高齢者(75歳以上)となり、一定の部分は社会的入院や要介護者になり、年代とともにその比率は高まっていき、負担がさらに増えるだろうと考えられている。犯罪増加の傾向 / 法務省の発表した犯罪白書の平成20年度版では「高齢犯罪者の実態と処遇」を特集している。この特集は65歳以上及び今後団塊の世代が高齢期に達することを考慮して犯罪増加に警鐘を鳴らしている。(団塊の世代 – Wikipedia

関連サイト

美幌町移住・定住ポータルサイト | 美幌町

美幌町高齢者保健福祉計画・第6期介護保険事業計画を策定しました | 美幌町

「遠紋圏域地域医療構想」について | オホーツク総合振興局保健環境部紋別地域保健室

北海道地域医療構想 | 保健福祉部地域医療推進局地域医療課

関連エントリ

日本の作曲家 團伊玖磨 (2001年 5月17日) ー 美幌音楽人 加藤雅夫

シニアボランティア の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

高齢犯罪者 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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