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東南アジア カテゴリのアーカイブ
世界のWAOJE (世界の和僑会)
- 2019年09月19日(木) 0:41
- カテゴリ: お知らせ, アジア, アメリカ, オセアニア, オホーツク, オルドスの風, オーストラリア, カンボジア, シンガポール, タイ王国, ドイツ, ハワイ, フィリピン, ブラジル, マレーシア, ミャンマー, 中国, 中東, 北海道, 北海道人, 北米, 南米, 和僑会, 国際, 日本, 東アジア, 東南アジア, 欧州, 美幌町
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世界のWAOJE (世界の和僑会)
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WAOJE / 一般社団法人WAOJE(ワオジェ、英語: World Association of Overseas Japanese Entrepreneurs)は、海外在住起業家の故郷である日本を拠点に、日本及び海外における会員の相互支援、会員間交流その他会員に共通する利益を図る活動を行うことをその主たる目的とした組織。 沿革 / 2004年7月に香港にいる7人の起業家で「香港挑戦会」が発足。2009年にアジア、日本各地に支部が発足。2010年11月和僑総会発足。2016年12月に一般社団法人和僑総会発足。2017年4月に一般社団法人WAOJE に名称変更。 (WAOJE – Wikipedia)
和僑会 / 和僑会(わきょうかい)は、香港や中国本土を拠点に世界で活躍する日本人企業家(和僑)組織。「和僑」とは海外進出し現地籍を持つ起業家を指す呼称であるとしている。各和僑組織は「和僑会」に現地地名を付記して活動。2004年に発足して以降、2014年時点では日本国内や東南アジア諸国を含め、8カ国23都市に広がった。2016年12月に各地の和僑会を統括する機能として一般社団法人和僑総会が発足し、各地の大半の和僑会との間で本部・支部と位置づける契約を締結。2017年4月に一般社団法人WAOJEに名称変更された ことに伴い、各地の支部もWAOJEに名称変更された。なお、この時に一般社団法人和僑総会の支部とならなかった一部の和僑会は、現在もWAOJEに参加せず和僑会の名称を使い続けている。 概要 / 華僑の活動を目標に出身母体である「香港華南起業家ネットワーク」の活動を通じ、「和僑ネットワーク」を具現化。そして次の一歩で賛同の輪が世界中に広がり、各地にできたネットワークどうしが、また大きなネットワークとして成長していけるよう提言。 こうした会員間の交流や相互支援だけでなく、海外で起業を志す日本人に出資する「和僑キャピタル」により、ベンチャーキャピタルとしての活動。 (和僑会 – Wikipedia)
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2019年 中秋節 (9月13日 金曜日)
- 2019年09月13日(金) 0:01
- カテゴリ: お知らせ, アジア, オホーツク, ベトナム, マカオ, 中国, 北朝鮮, 北海道, 台湾, 国際, 日本, 東アジア, 東南アジア, 美幌町, 韓国, 香港
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2019年 中秋節 (9月13日 金曜日)
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中秋節(ちゅうしゅうせつ、拼音: Zhōngqiū jié)とは、東アジアの伝統的な行事のひとつで、旧暦(農暦)の8月15日に行われる。グレゴリオ暦では9月または10月にあたる。とくに中華圏では春節、清明節、端午節とならぶ重要な行事であり、中華人民共和国、いずれも法定祝日になっている(香港・マカオでは中秋節の翌日が祝日)。 中国 / 十五夜の月を鑑賞する慣習は中国に由来する。 香港地区 / 香港の公衆休日は旧暦8月16日(中秋節の翌日)となっているが、幾つかの学校や会社は8月15日の午後から休みとする。 台湾 / 台湾では中秋節は重要な民俗行事であり、中華民国の休日となる。月見をして月餅やブンタン(文旦)を食べる習慣がある。 ベトナム / ベトナムでは、(ベトナム語: Tết Trung Thu / 節中秋*?)または(ベトナム語: Tết Trông trăng *?)と呼ぶ。これはクオイ(Cuội)の伝説が起源となっている。 日本 / 中国から仲秋の十五夜に月見の祭事が伝わると、平安時代頃から貴族などの間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。 朝鮮 / 韓国では、旧暦8月15日に行う秋夕(チュソク、朝鮮語: 추석)という、中秋節の行事があり、日本のお盆と同様に墓参りなどを行う。朝鮮民主主義人民共和国でも祝日になる。 (中秋節 – Wikipedia)
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The Moon Represents My Heart 月亮代表我的心 月は何でも知っている – 美幌音楽人 加藤雅夫
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平成30年版 防衛白書 (防衛省・自衛隊ホームページ)
- 2019年08月30日(金) 0:08
- カテゴリ: お知らせ, アジア, オホーツク, 中国, 北朝鮮, 北海道, 北海道人, 国際, 地震, 日本, 東アジア, 東南アジア, 津波, 火山, 美幌町, 防災・防犯, 韓国
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平成30年版 防衛白書 (防衛省・自衛隊ホームページ)
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防衛白書(ぼうえいはくしょ)は、日本の防衛省(旧防衛庁)が毎年刊行している白書である。防衛政策の基本理念について日本国民の理解を求めるために作成されている。2003年(平成15年)からは『日本の防衛』というタイトルが付されている。 概要 / 防衛省の防衛政策や、近隣諸国への認識を理解できる一次資料である。1970年(昭和45年)10月に第1回が発行され、1976年(昭和51年)の第2回以降毎年発行されている。 日本の防衛の根幹となる日米関係、近隣諸国(主に韓国、北朝鮮、中国、ロシア)などの軍事動向、自衛隊海外派遣など自衛隊の国内外の活動や隊員の声を記載したコラム、防衛政策の提言などを主に行っている。 特に近年では北朝鮮の動向を注視しており、テポドン(弾道ミサイル)の発射などを強く非難している。また、中国に対しても軍事費などに関しての透明性を求めている。 なお、1970年(昭和45年)及び1976年(昭和51年)以降に刊行された白書は防衛省のウェブサイトでも公開されている。ただし、著作権上の理由から、通信社・新聞社提供の写真は、書籍のみの掲載となっている。 (防衛白書 – Wikipedia)
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平成30年版防衛白書 | 平成30年版防衛白書の発刊に寄せて – 防衛省・自衛隊のホームページ
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8月15日 日本の終戦の日に寄せて | 緑十字飛行・緑十字機 泉谷むつみ
- 2019年08月15日(木) 0:37
- カテゴリ: お知らせ, アジア, アメリカ, オホーツク, フィリピン, 北海道, 国際, 日本, 東南アジア, 美幌町, 音楽
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8月15日 日本の終戦の日に寄せて | 緑十字飛行・緑十字機 泉谷むつみ
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緑十字飛行(みどりじゅうじひこう)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦連絡事務処理のため、1945年(昭和20年)8月14日から同年10月10日まで日本機でもって行われていた行為の呼称。また、本航空運行に使用された機体は緑十字機と称される。 概要 / 由来 / 1945年8月14日のポツダム宣言受諾により、後の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)最高司令官となるダグラス・マッカーサーは、日本の大本営に対し、日本政府、大本営の代表使節団のアメリカ領マニラへの派遣を要請した。混乱を避けるため、マッカーサーは、代表使節団の使用機材、外装、通信波長に至るまで細かく指定し、機体の塗装に関しては『全面を白色に塗り、胴体の中央部に大きな緑十字を描け』とした。「緑十字飛行」「緑十字機」という名称はこれに由来する。 (緑十字飛行 – Wikipedia)
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緑十字機が歌になりました – ただ若き日を惜しめ (緑十字機決死の飛行)
「緑十字機」の歴史を歌に 作曲の泉谷さん、継承イベントで披露 | 静岡新聞アットエス
株式会社舎鐘 長谷川玲子アナウンス事務所 「泉谷 むつみ プロフィール」
Izutani Mutsumi Official Web Site
谷川賢作 official web site – cries & whispers
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テレビ番組「映画音楽」お知らせ・ニュース (泉谷むったん・泉谷むつこ) – 美幌音楽人 加藤雅夫
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G20大阪サミット2019 (金融世界経済に関する首脳会合)
- 2019年06月30日(日) 0:17
- カテゴリ: お知らせ, アメリカ, アルゼンチン, イギリス, イタリア, インド, インドネシア, オーストラリア, カナダ, サウジアラビア, トルコ, ドイツ, フランス, ブラジル, メキシコ, ロシア, 中国, 国際, 日本, 韓国
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G20大阪サミット2019 (金融世界経済に関する首脳会合)
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第14回20か国・地域首脳会合(だい14かい20かこく・ちいきしゅのうかいごう、別名: G20首脳会合、G20金融サミット、2019年G20サミット首脳会議、G20大阪サミット、英語: 2019 G20 Osaka summit)は、2019年6月28日から6月29日に大阪府大阪市で開催が予定されている「G20」(主要20か国・地域)の首脳会合。正式名称は「金融世界経済に関する首脳会合」(英語: Summit on Financial Markets and the World Economy)。 日本で初めて開催されるG20首脳会合となる。会場は大阪国際見本市会場(インテックス大阪)であった。 参加国・機関 / 37の国と機関が参加した。 招待国 / オランダ シンガポール スペイン(永久招待国) ベトナム タイ(ASEAN議長国) エジプト(AU議長国) チリ(APEC議長国) セネガル(NEPAD議長国) 国際連合 国際通貨基金 世界銀行 世界貿易機関 国際労働機関 金融安定理事会 経済協力開発機構 アジア開発銀行 世界保健機関。 文化行事 / 6月28日夜、大阪迎賓館で開かれた晩餐会と大阪城天守閣を背景とする記念撮影の後、大阪城公園で各国首脳が参加する文化行事が開催された。狂言師・野村萬斎による「三番叟」の演出、ピアニスト・辻井伸行による「花は咲く」「ラ・カンパネッラ」の演奏とオペラ歌手・中丸三千繪による演唱が披露された。 (第14回20か国・地域首脳会合 – Wikipedia)
The 2019 G20 Osaka summit is the fourteenth meeting of Group of Twenty (G20). It will be held on 28–29 June 2019 at the International Exhibition Center in Osaka. It is the first G20 summit to be hosted in Japan. (2019 G20 Osaka summit – Wikipedia)
G20(ジートゥエンティ)は、”Group of Twenty”の略で、主要国首脳会議(G7)に参加する7か国、EU、ロシア、および新興国11か国の計20か国・地域からなるグループである。 構成国・地域は、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ、EU、ロシア、中華人民共和国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカ共和国、オーストラリア、大韓民国、インドネシア、サウジアラビア、トルコ、アルゼンチンである。20か国・地域首脳会合(G20首脳会合)および20か国・地域財務大臣・中央銀行総裁会議(G20財務相・中央銀行総裁会議)を開催している。主要20か国・地域とも言い、日本の放送局であるNHKでは、先進国会合であるG7と区別して、先進国に新興国を加えた主要20か国と表現している。 (G20 – Wikipedia)
関連サイト
よくわかる G20大阪サミット2919 | NHK NEWS WEB
G20(金融世界経済に関する首脳会合) | 外務省ホームページ
G20大阪サミットの開催(日本で初の開催) | 首相官邸ホームページ
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2019 G20 Osaka summit の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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北海道ベトナム交流協会オホーツク (設立)
北海道ベトナム交流協会オホーツク (設立)
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設立総会を開催 2019/03/25掲載(網走管内/社会)
北海道ベトナム交流協会オホーツク / 文化など通じ友好関係促進を / 経済技術協力、人材育成、文化を通じてベトナムとの友好関係を深めようと、オホーツク管内の企業や団体などで構成する「北海道ベトナム交流協会オホーツク」の設立総会が21日、北見市のホテル黒部で開かれた。 管内の経済関係者ら約100人が出席。会長に株式会社陽気堂会長の加藤農夫也氏が選出された。加藤会長はベトナム人の技能実習生として管内で38社250人を受け入れている現状を紹介。「親睦と理解を深めオホーツクの活性化を図り、国際協力に役立てたい」と挨拶した。 総会後、北海道ベトナム交流協会会長の武部勤元衆院議員が「日越新時代の始まりと北海道」と題して講演した。(成) (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)
ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく、ベトナム語: Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam / 共和社會主義越南)、通称 ベトナム(ベトナム語: Việt Nam / 越南)は、東南アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義共和国。首都はハノイ。 (ベトナム – Wikipedia)
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日本の政治家 武部勤(旭日大綬章)について – 美幌音楽人 加藤雅夫
ベトナムからの 職業研修生たち。(北見、北海道) – 美幌音楽人 加藤雅夫
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イギリス海軍の戦艦 プリンス・オブ・ウェールズとレパルス撃沈 (日本海軍 美幌海軍航空隊)
- 2018年12月10日(月) 0:10
- カテゴリ: お知らせ, アジア, イギリス, オホーツク, シンガポール, マレーシア, 北海道, 北海道人, 国際, 日本, 東アジア, 東南アジア, 美幌町
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イギリス海軍の戦艦 プリンス・オブ・ウェールズとレパルス撃沈 (日本海軍 美幌海軍航空隊)
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12月10日 歴史 / 1941年 マレー沖で日本軍機の攻撃によりイギリス東洋艦隊戦艦2艇が沈没。東洋艦隊司令長官ら約1千名が戦死。 (12月10日 今日は何の日~毎日が記念日~)
12月10日 できごと / 1941年 – 第二次世界大戦: マレー沖海戦。日本海軍の陸上攻撃機隊がイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈。 (12月10日 – Wikipedia)
マレー沖海戦(マレーおきかいせん)は、太平洋戦争の初期の1941年(昭和16年)12月10日にマレー半島東方沖で日本海軍の陸上攻撃機とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘である。日本海軍航空隊がイギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈した。航行中の戦艦を航空機だけで撃沈した世界初の海戦である。 背景 / マレー方面の軍備 / 日本軍はイギリス東洋艦隊の実情を把握しており、また対策をとっていた。 日本海軍はマレー作戦の兵力をこの方面に向かわせていた。 また、第一航空部隊として松永貞市少将を司令とする第二十二航空戦隊(美幌航空隊 元山航空隊:九六式陸上攻撃機27、元山航空隊 サイゴン基地:九六陸攻27)を南方に進出待機させ、新たに鹿屋航空隊の一式陸上攻撃機54機を配備してイギリス東洋艦隊を待ちうけていた。 マレー作戦の状況 / 日本は太平洋戦争の開戦と同時に比島およびマレー方面への侵攻によって南方要域攻略作戦を開始する計画を立てた。 第一航空部隊の松永少将はイギリス東洋艦隊が出現しない可能性が高まったため、配下部隊にシンガポールの四箇所の飛行場爆撃を命じる。元山航空隊は悪天候のため引き返したが、美幌航空隊32機が12月8日午前5時38分からシンガポールを爆撃、損害なくツドモー基地に帰投した。この時、山田隊の偵察機がシンガポールを偵察し、「1120、湾内に戦艦2(プリンス・オブ・ウェールズとレパルス)、巡洋艦4、駆逐艦4」を報告した。 経過 / 九六式陸攻の攻撃 /!攻撃にさらされる英艦隊(Z部隊)。巧みな機動で爆撃を回避するレパルスと逆に集中攻撃を受けるプリンス・オブ・ウェールズ。 英艦隊上空に最初に到達したのは、美幌航空隊の爆装隊の一部8機と元山航空隊の雷装のいずれも九六式陸攻隊だった。 水平爆撃を行った美幌航空隊白井中隊が退避する中、元山航空隊九六陸攻隊16機(雷装)が英艦隊上空に到達する。 午後1時20分、美幌航空隊第四中隊(高橋勝作大尉)の九六式陸攻8機が戦場に到達した。 午後2時、美幌航空隊の九六式陸上攻撃機(武田中隊8機、大平中隊9機、各機500kg通常爆弾装備)が、雷撃を受けて炎上する英戦艦2隻上空に到達した。 なお、日本軍航空隊は救助作業を行うイギリスの駆逐艦を攻撃せず、救助作業を妨害しなかった。これには2つの理由があり、1つ目は、爆弾や魚雷を使い果たした上に燃料が少なかったことで、戦後、須藤(一式陸攻雷撃隊)から事情を聞いたプリンス・オブ・ウェールズのゴーディ機関長は落胆している。もう1つ目の理由は美幌航空隊の壱岐春記大尉のようにイギリス海軍将兵の戦いぶりに敬意を表したもので、残った機銃で機銃掃射をし、救助作業を妨害することも可能であったにもかかわらず、それをせずに帰還している。生存者の一部はシンガポールに上陸したものの、その後のシンガポール陥落時に日本軍の捕虜となってしまった。 (マレー沖海戦 – Wikipedia)
美幌海軍航空隊(みほろかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。六番目の陸上攻撃機部隊として、太平洋戦争序盤より中盤にかけて最前線で爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。1942年(昭和17年)11月1日に初代の第七〇一海軍航空隊(だい701かいぐんこうくうたい)と改称。 沿革 / 陸上攻撃機部隊の増強を図るために、マル4計画に盛り込まれた4個航空隊の一つとして、中国戦線での活動を終えた第十五航空隊の陸攻要員を元山海軍航空隊と分け合って開隊した。千島列島方面での作戦行動に対応すべく、既設の中央気象台飛行場(現在の女満別空港のルーツ)とは関係なく新規建設した飛行場を用いた。地名の「びほろ」ではなく「みほろ」と呼んでいたとする証言が多数あり、海軍でも建設中は「M基地」の符牒で呼び、機体番号に冠する区別字は日本国内では「ミ」と定められ、外地では「M」を使用していた。 12月10日 マレー沖海戦。元山空・鹿屋空と協同でプリンス・オブ・ウェールズとレパルス撃沈。 (美幌海軍航空隊 – Wikipedia)
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12月10日 マレー沖海戦 (日本海軍)
- 2018年12月10日(月) 0:10
- カテゴリ: お知らせ, アジア, イギリス, オホーツク, シンガポール, マレーシア, 北海道, 北海道人, 国際, 日本, 東アジア, 東南アジア, 美幌町
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12月10日 マレー沖海戦 (日本海軍)
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12月10日 歴史 / 1941年 マレー沖で日本軍機の攻撃によりイギリス東洋艦隊戦艦2艇が沈没。東洋艦隊司令長官ら約1千名が戦死。 (12月10日 今日は何の日~毎日が記念日~)
12月10日 できごと / 1941年 – 第二次世界大戦: マレー沖海戦。日本海軍の陸上攻撃機隊がイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈。 (12月10日 – Wikipedia)
マレー沖海戦(マレーおきかいせん)は、太平洋戦争の初期の1941年(昭和16年)12月10日にマレー半島東方沖で日本海軍の陸上攻撃機とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘である。日本海軍航空隊がイギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈した。航行中の戦艦を航空機だけで撃沈した世界初の海戦である。 背景 / マレー方面の軍備 / 日本軍はイギリス東洋艦隊の実情を把握しており、また対策をとっていた。 日本海軍はマレー作戦の兵力をこの方面に向かわせていた。 また、第一航空部隊として松永貞市少将を司令とする第二十二航空戦隊(美幌航空隊 元山航空隊:九六式陸上攻撃機27、元山航空隊 サイゴン基地:九六陸攻27)を南方に進出待機させ、新たに鹿屋航空隊の一式陸上攻撃機54機を配備してイギリス東洋艦隊を待ちうけていた。 マレー作戦の状況 / 日本は太平洋戦争の開戦と同時に比島およびマレー方面への侵攻によって南方要域攻略作戦を開始する計画を立てた。 第一航空部隊の松永少将はイギリス東洋艦隊が出現しない可能性が高まったため、配下部隊にシンガポールの四箇所の飛行場爆撃を命じる。元山航空隊は悪天候のため引き返したが、美幌航空隊32機が12月8日午前5時38分からシンガポールを爆撃、損害なくツドモー基地に帰投した。この時、山田隊の偵察機がシンガポールを偵察し、「1120、湾内に戦艦2(プリンス・オブ・ウェールズとレパルス)、巡洋艦4、駆逐艦4」を報告した。 経過 / 九六式陸攻の攻撃 /!攻撃にさらされる英艦隊(Z部隊)。巧みな機動で爆撃を回避するレパルスと逆に集中攻撃を受けるプリンス・オブ・ウェールズ。 英艦隊上空に最初に到達したのは、美幌航空隊の爆装隊の一部8機と元山航空隊の雷装のいずれも九六式陸攻隊だった。 水平爆撃を行った美幌航空隊白井中隊が退避する中、元山航空隊九六陸攻隊16機(雷装)が英艦隊上空に到達する。 午後1時20分、美幌航空隊第四中隊(高橋勝作大尉)の九六式陸攻8機が戦場に到達した。 午後2時、美幌航空隊の九六式陸上攻撃機(武田中隊8機、大平中隊9機、各機500kg通常爆弾装備)が、雷撃を受けて炎上する英戦艦2隻上空に到達した。 なお、日本軍航空隊は救助作業を行うイギリスの駆逐艦を攻撃せず、救助作業を妨害しなかった。これには2つの理由があり、1つ目は、爆弾や魚雷を使い果たした上に燃料が少なかったことで、戦後、須藤(一式陸攻雷撃隊)から事情を聞いたプリンス・オブ・ウェールズのゴーディ機関長は落胆している。もう1つ目の理由は美幌航空隊の壱岐春記大尉のようにイギリス海軍将兵の戦いぶりに敬意を表したもので、残った機銃で機銃掃射をし、救助作業を妨害することも可能であったにもかかわらず、それをせずに帰還している。生存者の一部はシンガポールに上陸したものの、その後のシンガポール陥落時に日本軍の捕虜となってしまった。 (マレー沖海戦 – Wikipedia)
美幌海軍航空隊(みほろかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。六番目の陸上攻撃機部隊として、太平洋戦争序盤より中盤にかけて最前線で爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。1942年(昭和17年)11月1日に初代の第七〇一海軍航空隊(だい701かいぐんこうくうたい)と改称。 沿革 / 陸上攻撃機部隊の増強を図るために、マル4計画に盛り込まれた4個航空隊の一つとして、中国戦線での活動を終えた第十五航空隊の陸攻要員を元山海軍航空隊と分け合って開隊した。千島列島方面での作戦行動に対応すべく、既設の中央気象台飛行場(現在の女満別空港のルーツ)とは関係なく新規建設した飛行場を用いた。地名の「びほろ」ではなく「みほろ」と呼んでいたとする証言が多数あり、海軍でも建設中は「M基地」の符牒で呼び、機体番号に冠する区別字は日本国内では「ミ」と定められ、外地では「M」を使用していた。 12月10日 マレー沖海戦。元山空・鹿屋空と協同でプリンス・オブ・ウェールズとレパルス撃沈。 (美幌海軍航空隊 – Wikipedia)
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12月8日 ルーズベルト米国大統領の演説 (Infamy Speech)
- 2018年12月08日(土) 0:19
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12月8日 ルーズベルト米国大統領の演説 (Infamy Speech)
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1941年 – 第二次世界大戦: 前日の真珠湾攻撃を受け、フランクリン・ルーズベルト米大統領が屈辱の日の演説。 (12月8日 – Wikipedia)
The Infamy Speech was a speech delivered by United States President Franklin D. Roosevelt to a Joint Session of the US Congress on December 8, 1941, one day after the Empire of Japan’s attack on the US naval base at Pearl Harbor, Hawaii, and the Japanese declaration of war on the United States and the British Empire. The name derives from the first line of the speech: Roosevelt describing the previous day as “a date which will live in infamy”. The speech is also commonly referred to as the “Pearl Harbor Speech”. Within an hour of the speech, Congress passed a formal declaration of war against Japan and officially brought the U.S. into World War II. The address is one of the most famous of all American political speeches. (Infamy Speech – Wikipedia)
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Infamy Speech の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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12月8日 対米英開戦記念日 (太平洋戦争開戦記念日)
- 2018年12月08日(土) 0:19
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12月8日 対米英開戦記念日 (太平洋戦争開戦記念日)
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12月8日 対米英開戦記念日(太平洋戦争開戦記念日) / 1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6箇月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発した。 「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意味の暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信され、戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、攻撃の成功を告げる「トラトラトラ」という暗号文が打電された。 元々は、ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていたが、最後通牒の文書の作成に時間がかかったため、事実上奇襲攻撃となってしまった。 アメリカ軍は「リメンバー・パールハーバー」を戦争遂行の合言葉とした。 1941年 歴史 / 日本軍が英領マレー半島へ上陸。 1941年 歴史 / 真珠湾攻撃。午前1時半、聯合艦隊機動部隊がアメリカ・真珠湾を攻撃。 1941年 歴史 / 第二次大戦で、日本が米英に宣戦布告。午前4時、野村吉三郎・来栖三郎両駐米大使がハル国務長官に最後通牒を渡す。 1941年 歴史 / 対米英開戦により新聞・ラジオの天気予報や気象報道が中止に。 (12月8日 今日は何の日~毎日が記念日~)
1941年 – 第二次世界大戦: マレー作戦・真珠湾攻撃(日本時間)。日本が米英に宣戦布告。
1941年 – 第二次世界大戦: 前日の真珠湾攻撃を受け、フランクリン・ルーズベルト米大統領が屈辱の日の演説。 (12月8日 – Wikipedia)
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