自衛隊 の検索結果: 156 件

奉迎 天皇皇后両陛下御来町(北海道網走郡美幌町)


奉迎 天皇皇后両陛下御来町(北海道網走郡美幌町)

美幌町立美幌小学校の一年生の私は、最前列で日の丸の旗を振って歓迎した。

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千載一遇の歓喜 豊田町長謹話 町民と共に奉迎 / 十三日天皇、皇后 両陛下の御来町に当たり、豊田町長は十一日次のように謹話を述べている。 天皇、皇后両陛下におかせられましては終戦後はじめて北海道御巡幸を遊ばされることになり八月十三日函館に御上陸、広く道内各地の産業、経済、民情を御観察なさいますが幸いに八月十三日美幌駅前奉迎場に両陛下お揃いで御立寄り戴くことになりましたことは無上の光栄であり感激を深く致している次第でございます。千載一遇とも申すべきこの歓喜を二万五千町民ならびに近隣町村の住民と共に心から御奉迎申し上げ、かつ無事に行幸啓を終えさせられて御還幸なさいますようにお祈り致します。 (1954年(昭和29年)8月11日 美幌新聞 発行人 大庭不二雄)

両陛下奉迎台に立つ とどろく万歳と旗の波 / 天皇、皇后両陛下御来町の十三日は測候所の天気予報をつがえして、いんうつな雨模様はあとかたなく消え去り、満天の青空という絶好の日和に恵まれ、町内は早朝から日の丸の旗に彩られ、駅前奉迎場には午前七時ころから歓迎者が続々とつめかけ、午前九時三十分ごろは千五百坪の広場も沿道も押し寄せた人波で身動きもできないほどであった。 定刻午前十時九分お召し列車が第二ホームに御到着と同時にお祝いの花火が高々と打ち上げられ、木下美幌駅長先行船津旭鉄管理局長御先導で駅正面玄関お姿をみせ林津別町長の御案内で奉迎台にお上りになった両陛下のお顔は長旅の御視察に日焼けが目立つほどであった。とりわけ皇后様にはきょうまで御風邪を召され御安否が気づかっていただけに奉迎者に安ど感を與えるいとまなく自衛隊美幌部隊の音楽隊が奏でる「君が代」斉唱に両陛下は微動もせずお立ちになり、豊田美幌町長の発唱による万歳三唱、これに和する一万数千の奉迎者がのどもさけよとばかりの万歳とちぎれるばかり打ち振る小旗に天皇はカンカン帽を三度、四度振られて応えられ、また皇后もにこやかに御会釈され、午前十時十七分花火の合図とともに美幌駅を離れられたが、両陛下は車窓にお立ちになり奉迎者の歓送するなかを網走市へ向かわれた。 (1954年(昭和29年)8月14日 美幌新聞 発行人 大庭不二雄)

昭和天皇 日本の第124代天皇 / 昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位:1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は裕仁(ひろひと)、称号は迪宮(みちのみや)。お印は若竹(わかたけ)。 第二次世界大戦前に即位し、日本が復興するまで60年余りに亘って在位し、帝国憲法に定められた「統治権の総攬者(そうらんしゃ)=立憲君主」としての天皇と日本国憲法に定められた「象徴天皇」の両方を経験した。 (昭和天皇 – Wikipedia)

香淳皇后 日本の女性皇族 / 香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年〈明治36年〉3月6日 – 2000年〈平成12年〉6月16日)は、日本の第124代天皇・昭和天皇の皇后(在位:1926年〈昭和元年〉12月25日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は良子(ながこ)。お印は桃。 (香淳皇后 – Wikipedia)

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両陛下を御歓迎 近衛一連隊が懐かしい 津別町長 林利博


両陛下を御歓迎 近衛一連隊が懐かしい 津別町長 林利博

美幌町立美幌小学校の一年生の私は、最前列で日の丸の旗を振って歓迎した。

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両陛下を御歓迎 近衛一連隊が懐かしい 津別町長 林利博 / 天皇陛下を御尊敬申し上ぐる心情は新憲法で日本の象徴としてのそれもあるが私には特に深い感激が二つある。それはあの悪寒を覚ゆる大東亜戦争終戦の八月中旬、大本営で行われた大東亜戦を続けるか終戦にするかの最高会議が幾日も繰り返された時であった。 勿論、戦争継続を主張して決戦を強調するものは当時幕府的存在であった軍部である。これに対し近衛公外が終戦論であった。この二大主張に対し陛下が国家と国民にこれ以上の犠牲を払わす事は堪えられぬとして断乎終戦を御宣言され軍部側から熱烈な御再考方を奏上されても御決意を変えられず終戦を御決定されたことである当時の言語に絶する難局に処し てあの御明断をお貫きされた懸命の御裁断に私の感激の一つである。 今一つはこれも終戦後初めて占領軍総司令官マッカーサー将軍を御訪問になったのことである。あの当日天皇陛下とマッカーサー司令官が撮された写真を見て今でも忘れられぬのである。 その御会見の時、陛下がマッカーサー司令官に話された話の中でこの大東亜戦争の責任は、この天皇にあり、このことを罪にするなら自分をされたい国民には罪がないという意味のことを強く申されたとのことである。 マッカーサーもそれからは非常に天皇を尊敬し且つその御真実には打たれた由である。初め御迎えにも出なかったのに御迎車の時は玄関まで御見送りしたとのことである。このことを当時東京に在住していた私が消息通からその事実を聞かされた時に私は深く感激したのでそれ以来は心から私は天皇の愛国愛民の御真実と民族への責任感の程が憲法にある象徴以上に身にしみて御尊敬申上ぐる気持ちである。 それに今一つ遠い思出であるが天皇陛下が未だ皇太子であられた大正六年私は近衛一連隊に在隊したことである。その頃皇太子殿下は御年十七、八才であられたが陸軍大尉の御階級で私と同じ連隊であられたので毎月一回は必ず連隊にお出になられた。また私共が東宮御所守備の時等は当時学問所総裁の東郷元帥が御陪乗して御門の御出入をされたが、私共がする部隊の敬礼に対し御答礼の御様子等数々の思い出が誠にお懐かしいものである。 またそのころに皇后様の御父君であられた故久にの宮さんが私共の旅団長であり当時其指揮で部隊活動をした事も今は遠い思い出である。過ぎし昭和十一年秋、大演習の際、奉仕北大での恩寵杯や、二千六百年に宮城前広場での盛大な式典に参列したあの偉観も今は昔の思い出である。今や人間天皇とし全国民に親しまれても時勢の変遷は激しいのであるが人間の真実性と大和民族の正義感とは決して変わるものではない、現に私は新しい時代感覚で天皇に対し強い尊敬と深い親しみを持っている。 心から両陛下の北方の巡路の御平安を祈って止まぬ。 (1954年(昭和29年)8月11日 美幌新聞 発行人 大庭不二雄)

両陛下奉迎台に立つ とどろく万歳と旗の波 / 天皇、皇后両陛下御来町の十三日は測候所の天気予報をつがえして、いんうつな雨模様はあとかたなく消え去り、満天の青空という絶好の日和に恵まれ、町内は早朝から日の丸の旗に彩られ、駅前奉迎場には午前七時ころから歓迎者が続々とつめかけ、午前九時三十分ごろは千五百坪の広場も沿道も押し寄せた人波で身動きもできないほどであった。 定刻午前十時九分お召し列車が第二ホームに御到着と同時にお祝いの花火が高々と打ち上げられ、木下美幌駅長先行船津旭鉄管理局長御先導で駅正面玄関お姿をみせ林津別町長の御案内で奉迎台にお上りになった両陛下のお顔は長旅の御視察に日焼けが目立つほどであった。とりわけ皇后様にはきょうまで御風邪を召され御安否が気づかっていただけに奉迎者に安ど感を與えるいとまなく自衛隊美幌部隊の音楽隊が奏でる「君が代」斉唱に両陛下は微動もせずお立ちになり、豊田美幌町長の発唱による万歳三唱、これに和する一万数千の奉迎者がのどもさけよとばかりの万歳とちぎれるばかり打ち振る小旗に天皇はカンカン帽を三度、四度振られて応えられ、また皇后もにこやかに御会釈され、午前十時十七分花火の合図とともに美幌駅を離れられたが、両陛下は車窓にお立ちになり奉迎者の歓送するなかを網走市へ向かわれた。 (1954年(昭和29年)8月14日 美幌新聞 発行人 大庭不二雄)

近衛師団 大日本帝国陸軍の師団 / 近衛師団(このえしだん、正字体:近衞師團)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。一般師団とは異なり、最精鋭かつ最古参の部隊(軍隊)として天皇と宮城(皇居)を警衛する「禁闕守護」(きんけつしゅご)の責を果たし、また儀仗部隊として「鳳輦供奉」(ほうれんぐぶ)の任にもあたった。 帝国陸軍における軍隊符号はGD(一般師団はD)。太平洋戦争中後期には編制の改編が行われ、最終的には近衛第1師団 (1GD)・近衛第2師団 (2GD)・近衛第3師団 (3GD) の3個近衛師団が編成された。 (近衛師団 – Wikipedia)

昭和天皇 日本の第124代天皇 / 昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位:1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は裕仁(ひろひと)、称号は迪宮(みちのみや)。お印は若竹(わかたけ)。 第二次世界大戦前に即位し、日本が復興するまで60年余りに亘って在位し、帝国憲法に定められた「統治権の総攬者(そうらんしゃ)=立憲君主」としての天皇と日本国憲法に定められた「象徴天皇」の両方を経験した。 (昭和天皇 – Wikipedia)

香淳皇后 日本の女性皇族 / 香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年〈明治36年〉3月6日 – 2000年〈平成12年〉6月16日)は、日本の第124代天皇・昭和天皇の皇后(在位:1926年〈昭和元年〉12月25日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は良子(ながこ)。お印は桃。 (香淳皇后 – Wikipedia)

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陸上自衛隊の美幌駐屯地で自衛官候補生入隊式


陸上自衛隊の美幌駐屯地で自衛官候補生入隊式

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自衛官候補生入隊式 2020/04/08掲載(美幌町/社会) 美幌駐屯地で / 道内外52人、2等陸士目指す / 陸上自衛隊美幌駐屯地の自衛官候補生入隊式が5日、駐屯地で行われた。美幌をはじめとした道内や埼玉、群馬、千葉などから52人が入隊。2等陸士を目指して3カ月間の教育に臨む。 式では52人を代表して埼玉県出身の男性(19)が「知識、技能の修得に励むことを誓う」と宣誓した。 佐藤靖倫司令が式辞で「目の前のことに全力を尽くせ」「同期との絆を大切に」の2つを要望。「いち早く強くたくましい立派な一人前の自衛官となって活躍してくれることを願う」と激励した。 式後は祝賀会食が行われ、群馬県出身の男性(28)が代表して「国民の期待に応えられる立派な自衛官になることを誓う」と決意を述べた。(浩) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

美幌駐屯地(びほろちゅうとんち、JGSDF Camp Bihoro)とは、北海道網走郡美幌町字田中に所在し、第6普通科連隊等が駐屯している陸上自衛隊の駐屯地である。 概要 / 最寄の演習場は、美幌訓練場。駐屯地司令は、第6普通科連隊長が兼務。 (美幌駐屯地 – Wikipedia)

関連サイト

陸上自衛隊美幌駐屯地 – 第五旅団のホームページホームページ

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冬の藻琴山で合同救助訓練 / 東藻琴消防団スノーモービル隊など

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藻琴山で冬の救助訓練 2020/02/20掲載(大空町/社会)東藻琴消防団スノーモービル隊など関係機関が連隊 / 大空消防署は12日、東藻琴消防団スノーモービル隊などによる冬の藻琴山救助訓練を行った。冬の藻琴山は登山やスキーなどでの入山者が増加傾向にあり、消防署が負傷者救助のため出動したケースも過去に何度かある。これらの事態に対応するため、2009(平成21)年にはスノーモービルを所有する消防団員によるスノーモービル隊が発足。冬山での万が一の事故に備え、関係機関とともに毎年、訓練を行っている。今回の訓練にはモービル隊と大空消防署、大空町を担当する陸上自衛隊美幌駐屯地第101特科大隊、網走警察署、近隣の消防署などから総勢87人が参加。山頂付近の雪庇(せっぴ)が崩落し1人が行方不明になり、1人が負傷して8合目ヒュッテ(銀嶺荘)で動けなくなった設定で実施した。キャンプ場から第101特科大隊などが行方不明者の捜索のため入山。東藻琴側登山口から9台のモービルが消防署員と毛布、スコップなどの資機材を乗せて銀嶺荘に向かった。負傷者を担架に乗せてモービルで引っ張って搬送し、救急隊に引き継ぐまでを訓練した。モービル隊をもつ消防団は全国的にも珍しいという。東藻琴消防団の団長は「1分でも早く救助するのが隊の務め。関係機関との訓練は意義深く、今後も継続したい」と話している。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

藻琴山(もことやま)は北海道東部にある火山。標高999.9メートル。屈斜路湖の北側に位置しており、小清水町(斜里郡)、弟子屈町(川上郡)、大空町、美幌町(網走郡)にまたがる。 (藻琴山 – Wikipedia)

美幌駐屯地(びほろちゅうとんち、JGSDF Camp Bihoro)とは、北海道網走郡美幌町字田中に所在し、第6普通科連隊等が駐屯している陸上自衛隊の駐屯地である。最寄の演習場は、美幌訓練場。駐屯地司令は、第6普通科連隊長が兼務。 (美幌駐屯地 – Wikipedia)

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東藻琴消防団スノーモービル隊 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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厳冬期災害演習・冬期防災総合訓練 (北海道 北見市)


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厳冬期避難所展開・宿泊演習 2020/02/01掲載(北見市/社会) 北見日赤道看護大が / 日本赤十字北海道看護大学主催の厳冬期避難所展開・宿泊演習が1月25、26日、北見市内の同大学を会場に一泊二日の日程で行われた。究極の避難所をめざし10回目の今年は「専門職能者」をキーワードにさらなる課題解決へ、冬期対応能力の向上を目的に実施した。 「専門職能者」キーワードにさらなる課題解決を / 厳冬期の大地震で停電が発生し、200人収容の避難所を開設する設定。医療関係者や行政職員など全国各地から173人が駆けつけた。同大体育館での宿泊体験には約140人が参加。今年は、女性参加者は段ボールベッドの上をシェルターで覆い、男性はシェルターなしで寝袋に包まり就寝した(写真)。クルーズキッチンと呼ばれる厨房機能を搭載した移動車両が同演習に初お目見えし、車内で調理。非常時の食事について、新たな提案を行った。24時間にわたる演習を通じて得た経験や課題を話し合い、参加者はそれぞれ地元に持ち帰って今後に生かす。また初めて、道の冬期防災総合訓練と同時開催し会場の北見工業大学に一部移動して訓練の様子を見学した。(寒) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

体育館で夜を明かす冬の避難所体験 2020/02/01掲載(北見市/社会) 北見工大で北海道防災総合訓練 / 全道各地の80団体が参加 日赤道看護大の厳冬期災害演習と連携 / 厳冬期を想定した初めての北海道防災総合訓練が1月25、26日、北見工業大学などで行われた。北見市をはじめ、札幌や小樽など全道各地の市町村や関係機関80団体から210人が参加。同大の体育館で一夜を明かし、北海道の冬の避難所を体験した。道と北海道防災会議の主催。平成30年の北海道胆振東部地震を踏まえ、積雪寒冷期の災害対策・強化の必要性から、停電のために通常の暖房が使えない環境下での真冬の避難所運営を想定。市内で同日開かれた、日赤道看護大学の厳冬期災害演習と連携して行われた。北見工大の会場には、陸上自衛隊北部方面隊による足湯や炊き出しも準備された。参加者は、グループごとに体育館内にダンボールベッドの組み立てと配置を行い、断水を想定した簡易トイレの使い方などの説明を受けた。北見市の避難所運営訓練では、参加者が避難者、市職員役に分かれ、混雑時や車椅子、ペットを連れての避難など、想定される状況に対応した。夜には、ジェットヒーターなどにより室内温度を10度前後に保ち、ダンボールベッドで就寝。翌日の訓練振り返りで、参加者のうちぐっすり眠れたと応えたのは約半数だった。眠れなかった人からは「寒くて途中で目が覚めた」「寝返りをうつと音がしそうで動けなかった」など感想が上がった。また、避難所のストーブ確保の必要性をさらに感じたという自治体職員の声もあり、参加者は厳冬期の避難所運営の大切さと難しさを感じたようだった。(菊) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

関連サイト

厳冬期避難所展開・宿泊演習 2020 実施概要 – 日本十字北海道看護大学のホームページ

北海道防災総合訓練(厳冬期)が本学で実施されました – 北見工業大学のホームページ

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北海道防災総合訓練 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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陸上自衛隊の美幌駐屯地で災害対処研修会

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2市8町と振興局が研修会 2020/01/28掲載(美幌町/社会) 防災・減災への知識、連携深める / 美幌駐屯地で災害派遣など講義 / 陸上自衛隊美幌駐屯地の隊区2市8町とオホーツク総合振興局の防災担当職員を対象にした災害対処研修会が20日、駐屯地で開かれた。2016(平成28)年に駐屯地と2市8町などが結んだ「防災・減災対策への支援に関する協定」に基づく訓練。防災の知識や災害への備えを学び、関係機関の連携を深める狙いで、17年以来4回目の今回は、各市町などから職員17人が参加した。第6普通科連隊の伏見公宏第3科長が講義し、自衛隊の災害派遣基準や派遣から撤収までの流れ、2市8町を担任する部隊、派遣の状況などを説明した。職員はこの後、体育館で油圧式カッター削岩機、破壊構造物探知機(ファイバースコープ)、救命ボートなど救助用資機材を見学。隊員から使い方の説明を受け、駐屯地がもつ救助能力に理解を深めた。(浩) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

関連サイト

北海道オホーツク総合振興局のホームページ

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陸上自衛隊の美幌駐屯地で「防災の指揮所演習」 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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2020年 美幌駐屯地で成人式


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社会人、自衛官として成長誓う 2020/01/14掲載(美幌町/行事) 陸自美幌駐屯地で20人の成人を祝賀 / 陸上自衛隊美幌駐屯地の成人祝賀行事が10日、駐屯地で行われた。二十歳を迎えた隊員が先輩隊員らの祝福を受け、社会人や自衛官として成長を誓った。今年、成人を迎える美幌駐屯地の隊員は20人。祝賀行事には教育などで不在の隊員を除く14人が出席した。佐藤靖倫駐屯地司令は「今日からは大人として権利と義務を行使し、責任を負って歩むことになる。今まで以上に信頼される人物に成長し、自ら挑戦して」と式辞を述べた。先輩隊員や来賓と会食後、新成人隊員は「陸曹を目指して頑張る」「謙虚に頑張る」などそれぞれに一言ずつ抱負を述べた。代表して第6普通科連隊の男性が「感謝の気持ちを持ち、社会の一員として自覚を再認識し、自衛官としてさらに貢献できるよう精進する」とあいさつした。(浩) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

関連サイト

【美幌駐屯地】 陸上自衛隊 第5旅団ホームページ – 防衛省・自衛隊

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北海道の美幌町にゆかりのある著名人を探しています

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美幌ゆかりの著名人教えて 2020/02/05掲載(美幌町/告知) 町が情報収集 / まちづくりにつなげる狙い / 美幌町は、美幌にゆかりがある著名人を探している。まちづくりの推進につなげる狙いで、情報提供を呼びかけている。さまざまな分野で活躍している著名人を美幌町の「人財バンク」として登録し、今後のまちづくりに役立てる狙い。現在までに、スポーツや医療、放送、産業・経済、美術・音楽など各分野の著名人60人以上をリストアップしているが、情報提供を呼びかけてさらにバンクを充実させたい考え。町は「たとえば講演会の講師など、さまざまな場面でお力を借りられたら。『こんな人を知っている』『身内がこんなことをしている』などの情報があれば寄せてほしい」と呼びかけている。問い合わせは美幌町政策担当(0152・73・1111内線299)へ。(浩) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩

美幌町にゆかりのある著名人を探しています / 美幌町では、幅広くまちづくりの推進につなげることを目的として、本町にゆかりのある様々な分野でご活躍されている方々の名簿を作成しています。なお、ご活躍の基準などはありませんので、「こんな方を知っている」、「身内がこんな活躍をしている」などいらっしゃいましたら、下記担当までご連絡ください。お問い合わせ / まちづくりグループ 政策担当 電話:0152-73-1111 (美幌町にゆかりのある著名人を探しています – 美幌町のホームページ)

美幌町 日本の北海道の町 / 美幌町(びほろちょう)は、北海道オホーツク総合振興局管内にある町。概要 / 町名にはアイヌ語と「ピポロ」〔石・多い〕あるいは「ペホロ」〔水・多い〕の二説があり、特定しがたいとされる[3]。 陸上自衛隊の駐屯地があり、自然が豊かで降雪や災害が少なく、空港が近いことから道外からの移住者が多いのが特徴。美幌町の有名人 / 美幌町出身の有名人 / 伊藤博明 – 文学者、専修大学教授(元・埼玉大学副学長)。高山梨沙 – スピードスケート選手。2008年(平成20年)にISUワールドカップ日本代表として中学生としては史上初めて選出された。阿部由香里 – 長野オリンピックのバイアスロン選手。久保恒造のコーチ。久保恒造 – 障害者ノルディックスキー選手。2010バンクーバーパラリンピック日本代表。2009ワールドカップ大会カナダ大会バイアスロン ショート2位。2008ジャパンパラリンピッククロスカントリースキー競技大会初出場初優勝。株式会社日立ソリューションズ所属。美幌町「栄誉賞」(2回)「特別栄誉賞」(1回)受賞。ソチパラリンピック・バイアスロン競技で銅メダル獲得。石田正子 – クロスカントリースキー選手。バンクーバーオリンピック・トリノオリンピック・ソチオリンピック日本代表。2009年ワールドカップトロンハイム大会・女子30kmクラシカル3位。JR北海道所属。美幌町「栄誉賞」「特別栄誉賞」受賞。佃咲江 – 北京オリンピック日本代表選手(自転車競技女子スプリント)。美幌町「栄誉賞」受賞。鈴木李奈 – ソチオリンピック日本代表選手(バイアスロン)。美幌町「栄誉賞」受賞。藤村祥子 – ソチオリンピック日本代表選手(スピードスケート)。美幌町「栄誉賞」受賞。北の富士勝昭 – 力士(第52代横綱) 木村章司 – ボクサー 美幌町「栄誉賞」受賞。岡沢吉夫 – スキー選手、陸上選手、八王子市議会議員、全日本スキー連盟理事。日本初の常設スキー学校開設者、全日本スキー連盟(SAJ)公認スキー学校の起案者。鶴丸俊明 – 考古学者、札幌学院大学学長 。山口昌男 – 文化人類学者、元札幌大学学長。戦後、美幌町に疎開中の藁科雅美(音楽評論家、1950年第1回美幌町文化賞受賞)から英語の個人指導を受ける。内藤克 -北海道放送アナウンサー。Sepia’n Roses – ミュージシャン(メンバー4人中3人が美幌町出身)。松本亨 – 英語教育家、改革派教会教職。戦前に14年間アメリカに留学し、戦後NHKラジオ第2「英語会話」の講師を22年間務めた。美幌町ゆかりの有名人 / 円舘金 – 美幌町在住の天文学愛好家(小惑星ハンター)。岩手県岩泉町出身。藁科雅美 – 音楽評論家、毎日放送音楽ディレクター、訳書「バーンスタイン物語」など。戦後、美幌町に疎開し町民の文化向上に貢献する(1950年第1回美幌町文化賞受賞)。山口昌男に英語を個人指導、團伊玖磨に美幌農業高校校歌作曲を依頼(1952年)、武満徹に美幌町町歌作曲を依頼(1953年)。美ち奴(みちやっこ、本名:久保染子) – 日本の女性歌手、1937年美幌開基五十年を記念して制定された「美幌小唄 (作詞:大塚郷湖、作曲:須藤五郎)」を歌い、また、美幌観光協会の依頼により「美幌観光音頭 (作詞:大塚郷湖、作曲:松田喜一、唄:美ち奴)」は、帝蓄レコード(テイチクレコード)でレコード化された。宮嶋龍雄-小樽出身1954・1955冬季国体スキージャンプで優勝、兄は1936独ガルミッシュ・パルテンキルフェンオリンピックの日本代表宮嶋巌。クッシーブームの時には観光課長を務める。須藤五郎 ー 日本の音楽家。開基50年記念歌 美幌町町歌 ー 1937年(昭和12年)制定、作詞 大塚郷湖、作曲 須藤五郎、歌手 塩まさる。開基50年記念歌 美幌小唄 ー 1937年(昭和12年)制定、作詞 大塚郷湖、作曲 須藤五郎、歌手 美ち奴。湯浅譲二 ー 日本の作曲家。美幌病院歌または看護学校歌を作曲した。その他 / 名古屋市東山動物園と交流がある。同動物園で飼育されていた世界最長寿のヒグマ「美幌」(1985年、38歳没)による縁。1990年(平成2年)2月28日に円舘金が発見した小惑星4460は、発見者によって「びほろ(美幌)」と命名されている。 (美幌町 – Wikipedia)

関連サイト

美幌町 びほろちょう Bihoro Town – 美幌町のホームページ

関連エントリ

時を訪ねて クッシー伝説 (北海道新聞) – 美幌音楽人 加藤雅夫

日本の歌手 田中星児 (ネッシーとクッシーの歌) – 美幌音楽人 加藤雅夫

日本の女性歌手 浦部雅美 (北海道 美幌町出身) – 美幌音楽人 加藤雅夫

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自衛隊音楽隊ふれあいコンサート

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陸自第5音楽隊コンサートに400人 2020/01/27掲載(美幌町/行事) 息の合った演奏に喝采 / 陸上自衛隊第5音楽隊(帯広)による「ふれあいコンサートinびほろ」が21日、美幌町民会館びほーるで開かれ、町民ら約400人が演奏を楽しんだ。主催は陸上自衛隊美幌駐屯部隊充実整備期成会。第5音楽隊が美幌でコンサートを開くのは2016(平成28)年9月以来3年4カ月ぶり。団員36人がマーチ「ブルースカイ」、「スラヴ行進曲」、ボサノバ「イパネマの娘」などクラシック、ポップスまで幅広い曲を披露。聴衆は息の合った演奏に聴き入り、1曲ごとに惜しみない拍手を送っていた。(浩) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

陸自第5音楽隊ふれあいコンサート 2020/01/10掲載(美幌町/告知)美幌町民会館びほーるで 14日に入場整理券を配布 / 1月21日 / 陸上自衛隊第5旅団第5音楽隊のふれあいコンサートが、21日(火)午後6時半から美幌町民会館びほーるで開かれる。入場無料だが整理券が必要。整理券は14日(火)午前9~11時にマナビティーセンターで配布する。第5音楽隊は帯広を拠点に、主に道東地域で活動。隊員の士気高揚などをはじめ、スポーツや祭りなどのイベント、国家的行事で演奏をしている。コンサートは陸上自衛隊美幌駐屯部隊充実整備期成会が主催。入場整理券は先着順で、1人2枚まで。問い合わせは美幌町駐屯地対策担当(0152・73・1111内線219)へ。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

自衛隊音楽隊「ふれあいコンサート」開催 / 陸上自衛隊第5旅団第5音楽隊による演奏会を開催します。第5音楽隊は帯広を中心に、隊員の士気高揚、儀式及び広報のための音楽演奏を主な任務としており、演奏技術も高く評価されています。みなさまのご来場をお待ちしております。 日時 令和2年1月21日(火) 開場:午後6時 開演:午後6時30分 場所 美幌町民会館「びほーる」 入場料 無料ですが、入場整理券が必要です。下記のとおりお求めください。〇配布日時:令和2年1月14日(火) 〇配布場所:美幌町マナビティーセンター 1階会議室(美幌町字稲美137番地1) ※整理券は先着順で、お一人様2枚までとします。なくなり次第、終了とさせていただきます。 主催 陸上自衛隊美幌駐屯部隊充実整備期成会 問い合わせ 総務グループ 駐屯地担当 電話 73-1111(内線219) (自衛隊音楽隊「ふれあいコンサート」開催 – 美幌町のホームページ)

音楽隊(おんがくたい)は、諸外国の軍楽隊に相当する陸上自衛隊の部隊である。陸上自衛隊の職種の一つである「音楽科」(おんがくか、英: Band)の隊員で編成され、音楽演奏を主な任務とする。同様に海上自衛隊と航空自衛隊にも、それぞれ音楽隊が編成されている。 (音楽隊 (陸上自衛隊) – Wikipedia)

関連サイト

部外演奏支援 陸上自衛隊第5旅団ホームページ – 防衛省・自衛隊

第5音楽隊 陸上自衛隊第5旅団ホームページ – 防衛省・自衛隊

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陸上自衛隊第6普通科連隊長兼美幌駐屯地司令 佐藤靖倫

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新任ですよろしく 2019/12/16掲載(美幌町/社会)陸上自衛隊美幌駐屯地司令 佐藤靖倫さん(48) / 強じんな部隊 錬成を / 12月1日付で陸上自衛隊第6普通科連隊長兼美幌駐屯地司令に着任した佐藤靖倫(やすみち)さん(48)。「あらゆる任務に対応する強じんな部隊を錬成したい」と抱負を述べる。青森県出身で防衛大学校卒。1994(平成6)年の第5普通科連隊(青森)を振り出しに、統合幕僚監部(市ヶ谷)、中部方面総監部(伊丹)などに勤務した。東チモール国際平和協力隊や米国実動訓練に参加し、東日本大震災、熊本地震でも現地に勤務した経験をもつ。道内の勤務は倶知安、真駒内に続き3カ所目で、道東は初めて。「非常に寒いが〝熱い〟方ばかり。地域との連携が確立されていることは任務を遂行するにもありがたく、維持したい」災害に関しては「自治体と防災訓練を行い、迅速に対応したい。北海道では昨年、大規模停電があったので、想定外と言われないよう協力したい」と語る。趣味は走ること。何度もフルマラソンを完走しており「機会があればこちらでも出場したい」。(浩) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

第6普通科連隊(だいろくふつうかれんたい、JGSDF 6th Infantry Regiment(Light))は、北海道網走郡美幌町の美幌駐屯地に駐屯する、陸上自衛隊第5旅団隷下の普通科連隊(軽)である。警備隊区は北見市、網走市、網走郡の2市8町である。 (第6普通科連隊 – Wikipedia)

美幌駐屯地(びほろちゅうとんち、JGSDF Camp Bihoro)とは、北海道網走郡美幌町字田中に所在し、第6普通科連隊等が駐屯している陸上自衛隊の駐屯地である。最寄の演習場は、美幌訓練場。駐屯地司令は、第6普通科連隊長が兼務。 (美幌駐屯地 – Wikipedia)

関連サイト

【第6普通科連隊】 陸上自衛隊 第5旅団ホームページ – 防衛省・自衛隊

【美幌駐屯地】 陸上自衛隊 第5旅団ホームページ – 防衛省・自衛隊

関連エントリ

第6普通科連隊 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

美幌駐屯地 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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