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オホーツク社会福祉専門学校 介護福祉科を卒業する男子学生
- 2018年03月07日(水) 2:57
- カテゴリ: オホーツク, 健康・福祉, 北見市
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オホーツク社会福祉専門学校 介護福祉科を卒業する男子学生
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生命保険協会の奨学生として学び 「早く信頼される存在に」 人・ひと・240度
オホーツク社会福祉専門学校介護福祉科を卒業する男子学生(20)は、4月から大空町で高齢者施設の介護福祉士として社会に羽ばたく。生命保険協会の平成29年度介護福祉養成奨学金を受給し、同校で学んだ。同制度は高齢者介護の担い手となる専門学校や短期大学の学生を対象に1年間、奨学金を支給する。男子学生の卒業を祝う同協会北見協会主催の懇親会が2日、北見市内のホテル黒部で開かれ、小山孝之会長から記念品が手渡された。男子学生は「国家試験の受験勉強は大変でしたが、みんなと協力し合った学校行事は楽しく、充実した学生生活を過ごせました」と感謝の言葉を述べた。「一日も早く職員や利用者に信頼される存在になりたい」と意欲をみせる。(成)(2018年3月6日の記事 経済の伝書鳩)
オホーツク社会福祉専門学校 (オホーツクしゃかいふくしせんもんがっこう)は、北海道北見市にある私立の専修学校。運営母体は、学校法人栗原学園。系列校に北見商科高等専修学校、北見情報ビジネス専門学校 がある。(オホーツク社会福祉専門学校 – Wikipedia)
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オホーツク社会福祉専門学校 介護福祉科 トップ – 学校法人 栗原学園
介護福祉士・保育士養成給付型奨学金制度 | 社会貢献活動 | 協会の取組み | 生命保険協会
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「あいさつは 心の扉 開く鍵」
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あいさつ俳句・川柳コンテスト 北見の栗原学園が今年も実施
理事長賞に女子学生「あいさつは 心の扉 開く鍵」 大切さ見つめ直して
学生達のさらなる挨拶の定着に力を入れようと、北見の学校法人栗原学園は今年もあいさつ俳句・川柳の校内コンテストを実施した。このほど入賞者が決まり、理事長賞にはオホーツク社会福祉専門学校こども未来学科1年女子学生の「あいさつは 心の扉 開く鍵」が選ばれた。コンテストは挨拶の大切さを見つめ直す機会にと平成23年度から開始し、今年で7回目。約350作の応募から入賞13作を決めた。女子学生は「入学してから挨拶をきっかけに人とのかかわりが広がっていくなと感じるようになり、それを作品にしてみました。挨拶を大切にする気持ちが広がっていけばいいですね」と話している。また、創作の楽しさを広げてもらおうと25年度からは陶芸コンテストも併せて実施しており、理事長賞のオホーツク社会福祉専門学校こども未来学科1年女子学生をはじめ13人が入賞した。このほど同専門学校で両コンテストの表彰式が行われ、柏尾典秀理事長が入賞者に賞状を手渡した。(理)(2018年3月5日の記事 経済の伝書鳩)
オホーツク社会福祉専門学校 (オホーツクしゃかいふくしせんもんがっこう)は、北海道北見市にある私立の専修学校。運営母体は、学校法人栗原学園。系列校に北見商科高等専修学校、北見情報ビジネス専門学校 がある。(オホーツク社会福祉専門学校 – Wikipedia)
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LS北見(ロコ・ソラーレ)物語
- 2018年02月27日(火) 14:00
- カテゴリ: お知らせ, アジア, オホーツク, オリンピック, 北海道, 北見市, 国際, 常呂, 日本, 日本映画, 東アジア, 韓国
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LS北見(ロコ・ソラーレ)物語
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連載 LS物語 (1) 北見から五輪へ… 「ロコ」らしいカーリングを / 女子カーリング日本代表チーム・LS北見がいよいよ、平昌冬季オリンピックの大舞台に臨む。選手全員が北見で育ち、市民や企業などオール北見の応援を受けて五輪切符を勝ち取った。選手は「ここまできたら自分達のカーリングをやるだけ」と口を揃え、市民は「ロコらしく」と我が子を送り出すようにドキドキ見守っている。
オール北見の後押しで平昌五輪代表に 強さに弱さ…応援したくなる選手達
公式戦の出場規定で地域名などを入れなければならないことから、公式大会に出場するときのチーム名は「LS北見」としているが、地元北見では常呂カーリング倶楽部(北見カーリング協会)の登録名「ロコ・ソラーレ」という名が馴染み深い。市民は親しみを込めて「ロコ」と呼んでいる。 平成22年にチームを結成する際、本橋麻里選手(31)が太陽を意味するイタリア語にトコロをかけて名付けた。一方、藤澤五月選手(26)がジュニアのころに活動していたチーム名はステイゴールドII。「いつまでも輝いて」という見た目の意味のほか「常に笑いを」「太陽のように光輝く心を」と内面の美しさの意味もあるそう。太陽とゴールド(金)という不思議な縁を思わせる。 ただ、陽気で明るいばかりではない。 チームの先陣を切って投球する、リードオフウーマンの吉田夕梨花選手(24)は、持ち前の明るさの陰に昨年9月、日本代表チーム代表決定戦の前には涙も見せていた。さらには、大会に勝ち、涙ぐむ本橋選手の姿を見かけた、吉田知那美選手(26)はチームキャプテンに対し「泣くのはまだ早いよ」と、平昌までとっておこうと気丈だった。そんな知那美選手は、北見市の壮行会で言葉を詰まらせ大粒の涙をポロリ。藤澤五月選手(同)や鈴木夕湖選手(同)も敗北や挫折を味わった。 大なり小なり、みんな悔しい経験をし、今がある。元気で強いばかりではなく、そんな弱さも持ち合わせる選手達だからこそ、市民も応援したくなる。メダルや勝ち負けの前にまず、「ロコらしく」が市民達の願いだ。連載します。次回はメンバーの妹分、吉田夕梨花選手はチームで一番しっかりしているかも、という話。(寒)(2018年2月3日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (2) 北見から五輪へ… / 吉田 夕梨花選手 光る才能、中1で日本選手権へ チーム常呂中で平成19年の道選手権優勝 / 今から12年前、平成18年3月1日付の「経済の伝書鳩」に「ここから未来の五輪選手が-」という書き出しの小さな記事がある。旧常呂町内の小学生のカーリング大会を取材した記事で、6年生の女子チームが男子チームも加わるなか、みごと優勝した-と伝えている。 旧常呂町の小学4~6年生を対象に開催したジュニアカーリング教室の参加者50人が受講後13チームを結成し、ジュニアリーグを繰り広げた。その結果、常呂小6年の吉田夕梨花さんがスキップを務めるチーム「DEKOBOKO」(デコボコ)が優勝した。 一方、トーナメント戦の常呂カーリング協会長杯では男子チーム・アイスファイターズに敗れ、準優勝。かつてのカーリングホールの狭いロビーで行われた表彰式で、吉田(夕)選手は悔しそうな表情だったと記憶している。表彰式で当時の同協会の会長は「決勝は接戦のいい試合でした。ぜひオリンピックをめざしてもらいたい」とエールを送った-と記事は結んでいる。 2人の姉と選手でカーリング指導者の母にくっついて、幼いころからカーリングホールに通ってきた吉田(夕)選手。中学生になると、当時の日本記録を塗り替える。 常呂中1年になった吉田(夕)選手は姉ら同中3年生のチームROBINS(ロビンズ)に呼ばれる。前年の日本選手権予選でチーム青森を破り銅メダルに輝いた、公式戦名チーム常呂中学校のメンバー達。この新・チーム常呂中学校で平成19年の北海道選手権を優勝し、吉田(夕)選手は日本選手権最年少出場を果たす。あどけない中学1年の吉田(夕)選手は、日本選手権に向けて「勝ち負けは別に、いい試合をしたい」。本紙の取材にしっかりと答えている。(2018年2月6日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (3) 北見から五輪へ / 吉田 夕梨花選手 世界一のウィック技術で勝負 小野寺コーチも太鼓判 / 吉田夕梨花選手が中1で出場した平成19年の日本選手権。吉田知那美選手と鈴木夕湖選手、小野寺佳歩選手ら北見常呂中の3年生と臨み、前年に続き“常呂中”旋風を巻き起こす。しかし1日3試合もあるハードスケジュールに中学生の選手達は最後は力尽き、2大会連続3位だった。 ジュニア選手の育成に心を注ぎ、同チームのコーチだった小野寺亮二さんは「精神的にも肉体的にもタフな試合が続いた」、同じく吉田富美江コーチは「最後は経験の差が出た」と振り返っている。同19年2月27日付の「経済の伝書鳩」では、さわやか4人に会場から盛大な拍手が送られた -と報じている。 吉田(夕)選手が高校生の時にロコ・ソラーレが結成され、創立メンバーになる。強かったが突き抜ける勢いは足りず道銀や中部電力の前に後塵を拝す。 結果が出ず、大学卒業後の進路を悩んだ吉田(夕)選手。ニートも覚悟したときに就職を勧めてくれたのが現在の勤務先、医療法人美久会の國分純理事長。ロコ・ソラーレ創立当初からの一番の理解者の一人。「けっして表だって目立とうとはしない」(本橋選手談)隠れた応援団長だ。 競技に集中できるようになった吉田(夕)選手はチームの世界選手権2位に貢献する。「リードというポジションを究めたい」「まだまだやるべきことはある」と前向きに考えられるようになった。 ルールで、相手リードのストーンを弾き出すのはNG。しかしずらすのはOKだ。吉田(夕)選手は、敵リードが狙い定めて配置したストーンをちょっとだけずらす「ウィック」という技術を得意とする。非常に高度な技術で小野寺コーチも「夕梨花のウィックは世界一」と太鼓判を押す。(2018年2月8日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (4) 北見から五輪へ / 吉田 夕梨花選手 世界一のリード誕生への原点 一人黙々とドローの練習 / 平成26年のソチ冬季オリンピックに北海道銀行チームの姉・吉田知那美選手(26)が初出場を果たす。これを前にLS北見は日本選手権に同23年から出場し2位、翌年4位、翌々年3位と代表権を逃した。吉田夕梨花選手(24)は当時、周りからよく「お姉ちゃんはすごいね」と声を掛けられたそう。吉田(知)選手は「妹は言葉にこそ出さないけれど、悔しい思いはあったはず」と思いやる。4年前のことを思うと、今も二人の目は潤む。 LS北見はその後の日本選手権で3位、2位、そして平成28年に初優勝。タレント性のある本橋麻里選手(31)をはじめ吉田(知)選手、藤澤五月選手(26)の加入が注目されるなか、吉田(夕)選手と鈴木夕湖選手(26)の成長も見逃せない。「姉とは性格が真逆。私はこつこつやるほうが合っている」と吉田(夕)選手は語る。選手達のベースとなっている、常呂カーリング倶楽部のリーグ戦は夜間に行われる。今から10年ほど前、中学生だった吉田(夕)選手は姉や母の試合が終わるのを待ち、ホールの隅っこの空きシートで一人黙々と、ドローショット(狙いを定めて止める投球)の練習をしていたのを本紙はよく覚えている。頑張り屋さんで、本当にカーリングが好きなんだな-と本紙は見ていた。今から思えば、あのシーンこそ、世界一のリード誕生への道すじだったのかもしれない。(2018年2月10日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (5) 北見から五輪へ / 鈴木 夕湖選手 パワフルなセカンドのスペシャリスト トレーニング重ね筋量大幅増 / 近年のカーリング競技はよく「フロントが大事」と言われる。チーム4人のうち最後に投げるスキップが注目されがちだが、作戦を立てる上では前半に投げるリードそしてセカンドの役割が重要ということだ。この2人の出来がゲームを左右する、と言っても過言ではないとされる。なかでもセカンドの“仕事”は多岐にわたる。LS北見の鈴木夕湖選手(26)はセカンドのスペシャリストだ。投じられたストーンの滑りを伸ばしたり、曲げたりするスイーピングを、リードの吉田夕梨花選手(24)とともに自在に操る。身長1メートル52センチと1メートル46センチの小柄なコンビ。一昨年の世界選手権では、2人のみごとなスイーピングがカーリングをよく知る地元カナダの観客を驚かせた。「小柄な日本人選手が頑張っている、と最後はアイドル的に観客席から応援された」と世界2位の裏話を小野寺亮二コーチは教えてくれた。その体力の根拠となっているのが、チームのチーフトレーナー・大森達也さんが代表を務める北見市内のスポーツクラブ・フィジットコンディショニングでのトレーニング。最新の機器を備え、理論に裏打ちされたメニューに取り組んだ5人はいずれも筋量が大幅アップ。「タフな国際試合でも、海外勢に力負けしない体力がついた」と大森トレーナーは胸を張る。鈴木選手はさらにオフの間、勤務先のある立地環境を生かし、時間を見つけては東陵運動公園内を一人で走っていた。(寒)(2018年2月12日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (6) 北見から五輪へ / 鈴木 夕湖選手 光る天性のウェート判断力 「アイスの読み」にも力
選手が投じたストーンの滑りの速さが、強いのか弱いのかを表すのに「ウェート」と呼ばれる用語が使われる。スイープ役の選手はウェートを捉え、どこまでストーンが行きそうかをスキップに伝える。指令役はスイープをするのか、しないのか「イエス」「オー」「クリーン」などと声を出す。ウェートの判断にはストップウォッチを駆使するほか、一番近くでストーンの動きを追うスイーパーの目視が大きな役割を果たす。鈴木夕湖選手(26)は、このウェートの判断がずば抜けている。小野寺亮二コーチは「中学生のころからみているが、夕湖のウェート判断は素晴らしい。子どものころからすごかった。天性のものがある」と一目置く。本人は意識したことはないとしながらも、経験からくるイメージを大切にしているという。鈴木選手はここ1、2年、「アイスの読み」にも力を入れてきた。滑りがよかったり、重かったり、複雑な氷の状態をつかむことは勝敗を決める最大の要素ともいえる。鈴木選手はアイスを読むのは苦手だったという。常呂中から旭川工業高等専門学校に進み、さらに北見工業大学で化学を研究した鈴木選手。根っからのリケジョ(理系女子)が最近、本気でアイスを読み始めた。昨年「少しずつアイスがわかるようになってきた」と話す。同時にチームの成績も安定。理論を武器につけた才媛セカンドカーラーが実に頼もしい。ほかのメンバーが血液型A型なのに対し、鈴木選手一人だけO型。本橋麻里選手(31)がめざすところの多様な個性の集まりに貴重な存在だ。やることが多いセカンドは、ときに押しつぶれそうになるかもしれないが、そんなときは本橋キャプテンが控えているから心強い。(寒)(2018年2月13日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (7) 北見から五輪へ / 吉田姉妹 気質違えど心強い味方 破天荒な姉と努力家の妹 弱音吐いたり励まし合ったり / 妹の吉田夕梨花選手(24)は自分の性格を「こつこつと少しずつがんばるのが好きで、リードっぽいなと思う。目立たないけれど、裏でチームを支えるポジションは自分に合っている」と、しっかりと見つめる。一方で姉・吉田知那美選手(26)については「性格が真逆」ときっぱり。ひと言で言うと「破天荒(はてんこう)。表現するのがうまいし、私が持っていないものを持っている。ただ、アイスを上がると注意散漫」だそう。遠征の宿泊先では同室になることが多い。子どものころはきょうだいゲンカもしたが、今はもうない。部屋ではカーリングのことはもちろん、おいしいものやくだらないことなど世間話がほとんど。恋話は「ほぼない」。姉妹でオリンピックに出場できることについて、妹の夕梨花選手は「二人でオリンピックの舞台に立てることになって、すごく親がうれしいだろうなと思う。こんなに心強い味方(姉)がそばにいることは、自分にとってはすごいアドバンテージです」。姉の知那美選手は「4年前、妹はオリンピックに出られなかったことが、どんなに悔しかったことか。チームでは選手同士だけれど一歩氷から離れると姉妹ですし、ちょっと弱音を吐いたり、もっと頑張ろうねと励まし合ったり、普通の一人の人間として居られる時間というのは、私にとってすごく精神的な支えになります。一緒に出られるという機会はめったにないから、両親に恩返しがしたいです」。(2018年2月17日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (8) 北見から五輪へ / 吉田 知那美選手 小学3年、初対戦が藤澤チーム 中学2年、日本選手権予選でトリノ五輪代表チームに勝利 / 吉田知那美選手(26)がカーリングを始めたのが小学2年生のとき。当時の常呂町カーリングホールのジュニア教室に通ったが、指導者の男性は「1年間、ストーンを持たせてくれなかった」と振り返る。今から20年近く前のことだ。男性とは昭和50年代、常呂にカーリングを導入したカーリング協会初代会長のこと。吉田知選手は「1シーズン掛けて、徹底して基礎を教わった」。翌シーズン。小3のとき、初めての対戦相手として、男性が連れてきたのが、北見市花月町の河西建設カーリングホールで練習していた藤澤五月選手(26)のチーム。両親の指導の下、兄姉らと幼いころからカーリングに親しんでいた藤澤一家の五月さんらだ。同級生とチームを組んで対戦した吉田知選手は「五月ちゃんはすごかった。まったくだめでした」と初試合に臨んだ感想。ただその後まもなく、吉田知選手らは低学年にもかかわらず地元のローカル大会「ホタテちゃんシールジュニアカーリング選手権」で活躍し、早くも頭角を現す。中学2年の時に出場した日本カーリング選手権予選リーグで、吉田知選手、鈴木夕湖選手らの常呂中学校(ロビンズ)は、トリノ冬季オリンピック代表のチーム青森を破った。この時点ではまだ注目されてなかったが、決勝トーナメントで再びチーム青森と当たると常呂の先輩の旧姓小野寺歩選手、林弓枝選手らを本気にさせた。試合の中盤「ハウスに一つもストーンがない状態で、タイムアウト(1試合に1回だけ)を要求してきた」と当時も常呂中学校チームをコーチしていた小野寺亮二さん。「こんな経験ない。どうしたらよいか分からなかった」と吉田知選手。そして「歩ちゃん(小野寺歩選手)達、怖かった」と中2の選手達は語った。(寒)(2018年2月19日の記事経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (9) 北見から五輪へ / 常呂カーリングの父 故・小栗 祐治さん 常呂カーリング協会初代会長、多くの選手育てたレジェ ンド 正念場迎える“俺の子ども達” / 吉田知那美選手、鈴木夕湖選手らが中2で日本選手権3位になり、銅メダルを下げて常呂に帰って来たとき、真っ先に駆け付けた町民が小栗祐治さんだった。「この子たちはもっと上にいく」と、オリンピックも視野に語った。常呂カーリング協会の初代会長で本橋麻里選手や吉田知選手ら多くの選手を育てたレジェンド指導者。LS北見が一昨年の世界選手権に出場した際にも、熱心にカーリングホールを訪れ、パブリックビューイングに参加し、声援を送っていた。その目は平昌のさらにその先を見つめ、きらきらと煌めいていた。「一緒に日本(札幌)での冬季オリンピックに行く」。選手を『俺の子ども達』と呼び、いくつになっても壮大な夢を語っていた。そんな小栗さんは平昌での選手達の晴れ舞台を見ることなく昨春、88歳で亡くなった。選手達はその後9月の決定戦で代表権をつかむ。表彰式の後、吉田知選手に、もし小栗さんがいたならと聞くと「小栗さんはもうとっくに天国で酒盛りしてると思う」と師匠への恩を、親しみと最大限の尊敬を込め語っていた。天国で再び、祝杯を上げられるか。厳しくも優しい目で今も見守られる“俺の子ども達”が正念場を迎えている。(寒)(2018年2月22日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (10) 北見から五輪へ / 今夜、銅メダル懸けた大一番 イギリスとの3位決定戦 市民も地元から声援送り、深まる絆で強敵に挑む / カーリング日本女子代表LS北見は23日、平昌冬季オリンピック準決勝を韓国と戦い、延長の末7-8で負けた。同種目日本初のメダルを懸け24日午後8時5分から、イギリスとの3位決定戦に臨む。北見市立体育センターでは約200人、アドヴィックス常呂カーリングホールでは約100人がスクリーンやテレビ画面に向かって声援を送った。選手とコーチで過去2回、オリンピックに出場した近江谷好幸さん(59)は「オリンピックの雰囲気はまったく違う。すぐ近くにいても声が聞こえない。イギリスのスキップはジュニアのときから活躍していた。強敵だががんばってほしい」とねぎらい、元チームメンバーの江田茜さん(28)は「絆が深まっている。コミュニケーション力も上がっているので大丈夫」と応援する。
【予選結果】
▽日本10-5アメリカ
▽日本8-5デンマーク
▽日本7-5韓国
▽日本6-7中国
▽日本10-5OAR
▽日本3-8カナダ
▽日本5-4スウェーデン
▽日本6-8イギリス
▽日本8-4スイス
【予選順位】
(1)韓国8-1
(2)スウェーデン7-2
(3)イギリス6-3
(4)日本5-4
(5)中国4-5
(6)カナダ4-5
(7)スイス4-5
(8)アメリカ4-5
(9)OAR2-7
(10)デンマーク1-8
【準決勝】
韓国
30102001001=8
02010100210=7
日本
【3位決定戦のパブリックビューイング、テレビ応援観戦】
▽24日(土)午後8時5分~北見市立体育センター、アドヴィックス常呂カーリングホール ※開場は30分前。(2018年2月24日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (11) 北見から五輪へ / 長野から20年、つかんだ表彰台 先輩五輪選手達が後押し / 最後の最後にようやくLSらしい笑顔が-。今大会前、LS北見の吉田知那美選手(26)は前回のソチ大会では「楽しむことを忘れていた」と語っていた。3位決定戦を前にLS北見創立メンバーの馬渕恵さん(31)は「最後は自分達らしい、楽しいカーリングをやってほしい。それだけ」。選手が練習拠点とするアドヴィックス常呂カーリングホールには過去のオリンピック出場選手達の写真がパネル紹介されている。その選手達も、オリンピックを楽しんできてほしいと願っていたはず。最終日。準決勝までとはまったく違う、いつもの表情の選手達に戻っていた。20年間たたかってきた過去の五輪選手達の思いが、気持ちをそっと切り替えてくれたようだ。冬季五輪カーリング競技に出場した旧常呂町と北見市出身の選手は次の通り(敬称略)。
【1998長野】
◇男子 ▽選抜チーム=5位(予選3勝5敗)敦賀信人、近江谷好幸、佐藤浩
◇女子 ▽選抜チーム=5位(2-5)加藤章子、三村容子、丹羽明美
【2002ソルトレイクシティー】
◇女子 ▽シムソンズ=8位(2-7)加藤章子、林弓枝、小野寺歩、小仲美香、近江谷好幸コーチ
【2006トリノ】
◇女子 ▽チーム青森=7位(4-5)小野寺歩、林弓枝、本橋麻里、阿部晋也コーチ
【2010バンクーバー】
◇女子 ▽チーム青森=8位(3-6)本橋麻里、近江谷杏菜、阿部晋也コーチ
【2014ソチ】
◇女子 ▽北海道銀行=5位(4-5)小笠原歩、船山弓枝、小野寺佳歩、吉田知那美。 (寒)(2018年2月26日の記事 経済の伝書鳩)
常呂でジュニアカーリング 将来の五輪選手がここから 小学生伝統の登竜門30回目 / LS北見がオリンピック最終戦に臨んだ24日、練習拠点としている地元のアドヴィックス常呂カーリングホールで恒例の常呂自治区ジュニアカーリング選手権が開かれた。数々のオリンピック選手が通った登竜門。30回の節目の今回、将来オリンピックをめざす小学生9チームが出場した。ところ子ども会育成連絡協議会、常呂カーリング倶楽部、北見市教委常呂教育事務所の共催。1998長野冬季オリンピック出場の白畑(旧姓三村)容子さんら常呂カーリング倶楽部の会員達が講師を務め、昨年11月から行ってきたジュニアカーリング教室の集大成。選手達は作戦を考え、声を掛け合ってスウィーピングしていた。表彰式では同倶楽部の会長が「教えられたマナーもきちんとできていた。ぜひオリンピックをめざして」とあいさつ。後援の常呂ライオンズクラブの会長からメダルが贈られた。教室のリーグ戦も全勝だった常呂小6年生の男子チーム「アイスライン」が優勝。スキップの男子児童は「今の目標は先輩達の『ドラゴン』です」と倶楽部リーグ戦で活躍する中学生チームを挙げた。一方、準優勝の同小6年女子チーム「クラウンクラウン」は「決勝で負けて悔しい」。女子児童ら選手は「目標はロコ・ソラーレに勝つこと…いつかは」と元気よく語った。(寒)(2018年2月27日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (12) 北見から五輪へ / チーム藤澤、小中高生大活躍 2004全道選手権アーカイブ 五月選手のステイゴールドIIは4位 / 今から14年前、2004年2月17日付けの「経済の伝書鳩」に、当時小学生だった藤澤五月選手らが北海道カーリング選手権で活躍した記事が載っていました。再掲載します。北見の小中学生、高校生がカーリングの全道選手権大会で一般に交じって大活躍した。第23回北海道カーリング選手権大会(12~15日、常呂町カーリングホール)には道内各地区予選を突破した男子24、女子8チームが出場。このうち北見カーリング協会(当時)所属の男子北見ファイターズは3位に入り、みごと銅メダル。日本選手権の出場権を獲得した。また女子のステイゴールドIIは惜しくも4位で大舞台は逃したが、会場で一番元気のよいプレーが好感を呼んだ。両チームは、カーリングの普及に努める北見市内の夫妻が家族ぐるみで楽しみながら「カーリングの楽しさが広がれば」と選手育成を目的に率いている。選手メンバーは北見ファイターズが長男の北見北中3年男子生徒をはじめ北見北中3年男子生徒、北見緑陵高1年男子生徒、北見美山小6年男子児童。ステイゴールドIIが北見北中2年女子生徒・藤澤五月さん(北見美山小6年)姉妹と北見東陵中2年女子生徒、北見相内中1年女子生徒。ともに初出場の今大会で、大人に交じって互角以上の力を発揮した。うれしい日本選手権進出に、ファイターズの男子選手達は「たくさんいい試合をしたい」と抱負。一方、延長戦の末、あと一歩で4位となったステイゴールドIIの女子選手達は「悔しい。一緒に全日本に行きたかった」と残念そう。でも最後は「強い相手にここまで来られたんだから」と、この経験をバネに再び頑張ることを誓った。(寒)(2018年2月28日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (13) 北見から五輪へ / 藤澤五月選手と吉田知那美選手の不思議な縁 カーリングが二人を引き合わせ ライバルとしてともに歩み 同じチームでやることになるとは / 藤澤五月選手(26)と吉田知那美選手(同)は同じ年代だが、もともと旧北見市と旧常呂町で育ち、学校も違えば、カーリング練習の拠点も違った。ジュニアのころはライバルだった二人。でも不思議な縁に導かれてきた。常呂の吉田知選手が小学生のとき、初めてカーリングの試合をした相手が北見の藤澤さんチームだった。藤澤さん家族はカーリング一家として知られ「五月さんの兄と姉も強かった」(吉田知選手)。当時も今も、北見市内にはカーリングホールが2カ所ある。北見市花月町の河西建設カーリングホールと常呂町カーリングホール。かつては協会も分かれ、北見協会からもオリンピック選手は出ていたが、常呂のほうが圧倒的に多く、北見の会員にとって練習会場も大きな常呂は、せん望の的。常呂町民は自分達の『常呂』を大いに誇りにしていた。そんな環境の中でも北見の藤澤五月選手はジュニアの大会では、常呂はおろか全道、全日本を圧倒。あまりの強さに、常呂の関係者の中にはライバル心を超えた感情を覚える人もいたようだ。そんなことは関係なく、藤澤選手と吉田知選手は当時「お手紙交換」をしていた。すると、教員の藤澤選手の父は吉田知選手が中学2、3年の時、赴任先の常呂中学校で偶然、担任になる。藤澤選手が同年代の日本一を競う日本ジュニアの路線を進み、吉田知選手はおとなも含めた全年齢対象の日本選手権の路線を歩む。「あのころは、こうして同じチームでやることは考えてもいなかった」 <つづく>(寒)(2018年3月6日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (14) 北見から五輪へ / 藤澤五月選手、小学生で本場カナダのカーリング観戦 最強スキップに衝撃、永遠の目標に 世界めざし中学生で頭角 高校生…ついに憧れの地でプレー / 父母から指導を受け、兄・姉を含めカーリングに親しむ藤澤五月さん家族。今から約16年前、五月さんが小学生のとき、家族旅行でアメリカ合衆国のディズニーランドに行く予定だったが、9・11同時多発テロの直後で治安を心配し、カナダへと行き先を変更した。本場カナダのカーリングを観戦することにした。そこでプレーしていたのがジェニファー・ジョーンズさん。現在ではカナダ選手権を5回優勝する最強スキップだ。レジェンドのプレーを直かにし、いつかは本場カナダで試合をしたい-。今でも、憧れと目標に彼女の名を挙げるほどの衝撃を受けた。以来「カナダ」を目標にカーリングに励んできた。このころが世界をめざす一つのターニングポイントだったのかもしれない。小学5年で姉や友人らでカーリングチーム「ステイゴールドII」を結成。中学生になると、チームでは最年少ながらも藤澤選手はスキップを務め、管内、全道のジュニア大会で活躍。当時を知る人は「強かったですよ。常呂勢もかなわなかった」という。高校生になると、日本ジュニアを連覇。世界ジュニアに2年連続出場する。2008年はスウェーデン・エステルスンド、そして2009年はカナダ・バンクーバーでの開催。ついに憧れだったカナダでのプレーを実現させる。それも世代の最高峰を決める大会だ。そこに2007年から連続出場していたのが、イギリスジュニアチーム代表スキップのイブ・ミュアヘッドさんだった。<つづく>(寒)(2018年3月10日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (15) 北見から五輪へ… 英国代表スキップ・ミュアヘッド選手と再戦 / 藤澤 五月選手 10年前、世界ジュニア選手権で2度対戦、当時から強く メダル懸けたラストショット、強さ知る故の驚き / イギリスは2007年から2009年まで世界ジュニアカーリング選手権を3連覇。イブ・ミュアヘッド選手(28)は2007年から出場し、2008年と2009年にはスキップを務めジュニア世界1位に貢献した。2010バンクーバー五輪はイギリスチームのスキップを任され、2014ソチ五輪は銅メダルを獲得している。藤澤五月選手(26)とミュアヘッド選手は10代のころ、2008年と2009年の世界ジュニア選手権で2度、顔を合わせている。当時からミュアヘッド選手はたいへん強かったそう。2人は、2018平昌五輪で再会。互いにスキップ同士で予選リーグはイギリスが8-6で日本を下す。そして、3位決定戦で再び相まみれる。結果は最終第10エンドの藤澤、ミュアヘッド両スキップの最後の投球までもつれ込み、テレビで何度も放映されるシーンとなる。相手のミスを喜ばないのがカーリング精神。イギリスチームの最後の投球が終わって一瞬置いて、両チームは握手。その後に日本チームの選手同士が喜びのハグをするが、そこでもまだ信じられない表情だったのが藤澤選手。「何が起きたのか一瞬わからなかった」という。あきらめてはいなかったが、ミュアヘッド選手の強さを知っているがゆえの表情。日本カーリング史上初となる五輪メダル獲得の瞬間だった。(寒)(2018年3月13日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (16) 北見から五輪へ / 藤澤 五月選手 かつてのチームメート「涙が出ました」 藤澤選手とステイゴールドIIで7年間活動 世界の壁感じた当時より大きく成長 / 藤澤五月選手のジュニア時代のチーム名は「ステイゴールドII」。父親が自分のチームに付けていたステイゴールドという名前を譲り受けた。輝き続けるなどといった意味があり、藤澤選手は当時、「一番上の輝きを」という意味を含めて、チームの目標にしていた。オリンピックではさらに、「ステイポジティブ」というチームテーマを加え、常に前向きにと最後まであきらめずに戦い続けている。ジュニアの当時のチームメートの女性は小学6年から高校卒業まで7年間、ステイゴールドIIで活動した。現在は看護師として北見市内で働くとともに、練習拠点だった北見市花月町の河西建設カーリングホールで今も、リーグ戦に出場するほか、カーリングの指導や大会参加にかかわっている。藤澤選手の活躍について「本当に感動しています。予選から涙が出ました。ステイゴールドIIのメンバーとも喜び合いました」と感激の様子を語る。「私達が世界大会に出ていたのは10年ほど前で、あのときは世界の壁を感じました。そのとき出ていた海外選手が今回のオリンピックにもけっこう出ていて、五月もその選手達と肩を並べて堂々と戦っていて、笑顔で大会を楽しんでいるようで、本当にすごいです。記者会見など何回見ても、うるうるします。笑顔溢れるチームだけど、どれだけ努力をしてあそこに立っていたのか。本当にメダルという形になって、笑顔が見られて嬉しいです。今回こんなにカーリングが取り上げられ応援されたのは、ロコ・ソラーレというチームの魅力があったから。これからの進化もとても楽しみです」と喜びを語っている。(寒)(2018年3月16日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (16) 北見から五輪へ / 大森チーフトレーナー 選手達の体力、心配なかった / プロや五輪選手の治療に携わり 体質転換に筋トレも指導 / 1試合約3時間ときには1日2試合、深夜に及ぶこともあるオリンピック日程だが、LS北見チーフトレーナーの大森達也氏(44)=(株)PHYSIT代表は「選手達の体力は心配なかった」と語る。この数年を掛けて選手達の体質を替え、昨夏にはびっしりと筋トレを積むことができた。「昨年9月の代表決定戦の際にすでに体はできていた。あとはケアを含めコンディショニングだけだった」と事前準備の成果を語る。身長150センチ前後のスイーパーに世界は驚く。スポーツ医学を学び、理学療法士の免許を取得して札幌の整形外科病院でプロやオリンピック選手の治療に携わる。北海道コンサドーレ札幌や全日本女子スキージャンプのトレーナーを経験し、ふるさと北見市に戻って病院に勤務した。その後、ロコ・ソラーレ(LS北見)の本橋麻里選手から「トレーニングの仕方を教えてほしい」と声を掛けられた。選手達はそれまで独学でトレーニングしていた。当時からスイーツをもぐもぐしていた選手達に栄養面を含め指導することに。オフの間に、陸上競技場でダッシュを繰り返すなど、大森氏の立てたメニューに取り組んだ。「昨年2月の日本選手権に負けた結果、約3カ月の練習メニューが確保できた」と逆境をプラスに変えた。(寒)(2018年3月19日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (18) 北見から五輪へ, 小野寺亮二コーチ / 農ところによって銅メダル 親の代から畑作三品栽培 本業あってこそのカーリング / 農業や漁業者が多い旧常呂町にあって、冬の健康維持やまちおこしの目的で導入されたカーリング。それからまもなく旧端野町や旧北見市でも競技を始める人達があらわれ、以来三十数年にして、ひとつの花が咲いた。小野寺亮二コーチ(57)は屋外にリンクを造って競技していた当時から携わる。北見市常呂町岐阜に畑約30ヘクタールを作付けする農家。じゃがいも、小麦、ビートの畑作三品を親の代から栽培する。日本カーリング選手権は2月に開かれることが多いが、かつて3月に行われたことがあった。3月になると農家は育苗ハウスの作業、漁師はホタテ漁の準備などと忙しくなる。日本選手権を切り上げ、家業のために常呂へと帰る選手もいた。小野寺さんも近所の農家と共同作業で春の準備をする。かつてはカーリング仲間がまちから手伝いに来てくれたこともあった。今年は2月のオリンピック後は一段落。長男が家業を継いでくれて安心だ。3月上旬に、は種したビートもすくすくと伸びている。本業があってのカーリングは今も変わらない。(寒)(2018年3月20日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (19) 北見から五輪へ… / 小野寺コーチ 裏方として金メダル級の働き 五輪出場には実力と運が必要 選手達に気負わせず“ロコらしさ”キープ / ワールドツアーや世界選手権とは違い、オリンピックのコーチは日本カーリング協会が決めたコーチが就く。日本代表女子ナショナルチームのコーチを務めたのはカナダ人のJ・D・リンド氏(33)。ロコ・ソラーレの小野寺亮二コーチ(57)は「私は裏方で十分です」と語る。しかし小野寺コーチがいなければ、ここまでの活躍はあり得なかった。選手達にはメダルが贈られるが、コーチやトレーナーなどスタッフには授与されない。小野寺コーチの働きは、裏方として金メダルに値すると言えそうだ。一番の功績は、選手達を気負わせなかったことだろう。ロコ・ソラーレのメンバーに「俺を世界選手権に連れて行ってくれ」とは言った、と小野寺氏。「オリンピックは実力とともに運もなければ出場できない」というのが持論。文字通り、代表決定戦を通じて幸運をつかんだのだから「あとは選手達のやりたいようにやらせるだけ」。オリンピック序盤の入り方も「気持ちがのびのびして、ふだんと同じロコらしさで安心した」という。大会前は「このチームは、全敗か全勝だと思っていた」。(寒)(2018年3月21日の記事 経済の伝書鳩)
LS北見凱旋パレード おめでとう!ありがとう!みんなで掴んだメダルだよね~! / 市内外の1万2千人が祝福 報告会で市特別栄誉賞「今後とも愛されるよう頑張ります」 / 平昌冬季オリンピック女子カーリングで銅メダルを獲得した日本代表、LS北見(ロコ・ソラーレ)の凱旋パレードが21日、北見市中心部の商店街で行われた。感動を分かち合おうと市内外から約1万2千人が沿道に並び、大きな歓声に包まれた。太陽の子ども達というチーム名にふさわしく、選手達を祝福するかのように晴れ渡ったこの日。出発の午後零時半には沿道は身動きがとれないほど。全員が北見市の本橋麻里、吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、藤澤五月の各選手と小野寺亮二監督、大森達也チーフトレーナーの7人が現れると「おめでとう」「かわいい」「ありがとう」と歓声が響いた。会場を北見市民会館に移して行われた報告会では、次代を担う市内のジュニア選手が花束を贈った。市特別栄誉賞を渡した辻直孝市長は「市民の気持のこもった支援が結びついた」と、チーム創設からの本橋選手らの労をねぎらった。あいさつで小野寺監督が「選手達をほめてあげて下さい」と話すと、会場から大きな拍手。藤澤選手は「私達を育てて下さった北見市のたくさんの皆さんのおかげです。今後とも愛されるよう頑張ります」と感謝を述べた。チームは4月にワールドツアーの最終戦とグランドスラム大会出場のためカナダ遠征し、5月にはパシフィック選手権出場のための日本代表チーム選考会に臨む。(寒)(2018年3月22日の記事 経済の伝書鳩)
中心商店街でLS北見祝賀パレード オホーツクブルーの下、弾けた笑顔は“黄金色” / 春の日差しの下、平昌オリンピック女子カーリングの日本代表・LS北見の祝賀パレードが21日、北見市中心商店街で行われた。詰め掛けた大勢の声援に応え、銅メダルを掲げて笑顔を輝かせた。感謝と感動が交錯したフィーバーぶりを写真で紹介します。(2018年3月23日の記事 経済の伝書鳩)
母校で祝福受ける 平昌活躍のカーリング選手・コーチ / 平昌冬季オリンピックカーリング競技に出場した、北見市出身の選手とコーチが母校を訪問し、祝福を受けた。LS北見の選手達は「メダルを持って帰ることができました」と披露。メダルに触れたり、写真を撮ったりする後輩達に「一緒にがんばろう」とメッセージを贈った。
北見工業大学が鈴木夕湖選手に栄誉賞 LS北見の選手と小野寺コーチが常呂中学校、高校合同の報告会参加 / 鈴木夕湖選手(26)は19日、母校の北見工業大学を訪れ、オリンピックの応援を感謝。「銅メダルを皆さんに報告できることをうれしく思います」と挨拶した。新たに制定された同大学栄誉賞を高橋信夫学長から受けた鈴木選手は「まだまだ強くなりたい」と意気込みを語り、礼を述べた。小野寺亮二コーチ(57)と本橋麻里選手(31)、鈴木選手、吉田知那美選手(26)、吉田夕梨花選手(24)の5人は23日、北見常呂中学校と常呂高校合同の報告会に参加。生徒会代表の北見常呂中2年女子生徒と常呂高2年女子生徒がそれぞれ「感動をありがとうございます」と感謝の言葉を述べた。これを受けて、小野寺コーチは「みんなの思いが伝わった。あなたがたが取ったメダルです」、吉田夕梨花選手は「応援が力になると改めて確認できた」と感謝。吉田知那美選手は「中学の制服が懐かしい。常呂での学校生活を充実させて」、本橋選手は「大きな夢と同じように日常生活の小さな一つ一つの目標を丁寧にクリアしていくことが大事」と後輩達にエールを送った。北見常呂中を卒業し、スピードスケート競技の道に進む、男子生徒は「コメントもしっかりしていて尊敬する。自分もオリンピックに出られるよう頑張る」と勇気をもらった様子。
北見北斗高校で今後の抱負 / LS北見 藤澤五月選手とSC軽井沢 平田洸介選手 / LS北見の藤澤五月選手(26)とSC軽井沢クラブの平田洸介選手(25)は23日、北見北斗高校を訪問。生徒会長の2年女子生徒が代表し「北斗生として誇りに思います」と花束を贈った。藤澤選手は「銅メダルの結果に満足せず、常に世界で活躍する選手であり続けたい」。平田選手は「これからも日本、北見の代表としてカーリング界を引っ張れるよう頑張りたい。応援よろしくお願いします」と呼び掛けた。(菊)(寒)(2018年3月26日の記事 経済の伝書鳩)
LS北見凱旋パレード 努力と笑顔で掴んだ栄光 / おめでとう!頑張ったね 市民も支えたその大活躍 /
グラフ (2018年3月27日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (20) 北見から五輪へ / 小野寺 亮二コーチ コーチングボックス、スタッフは世界一 / 負けが続いても動揺なく落ち着き 選手達の“前向きさ”支えるチーム力 / 予選リーグ終盤に負けが続いた際も、小野寺亮二コーチ(57)によると「コーチングボックスをはじめスタッフ陣は動揺もなく落ち着いていて、選手達も心配なかった」という。「本橋選手はどっしりと、こちらが心配になるほど常に落ち着いている。彼女は昔からそうだった。そのぶん、いつでも出られる準備は怠らない」と主将の気構えを高く評価する。ナショナルコーチのJ・D・リンドコーチ(33)については「教え方が上手。悪いことは言わない」とチームに浸透している“ステイ・ポジティブ”精神を挙げ「みんなJ・Dの言うことを理解している。若いのに大したもんだ」と小野寺コーチ。そして「チームトレーナーの大森達也さん、石田和輝さんにはコンディショニングの面で本当にお世話になった」と感謝する。選手の吉田知那美さんによると「日本のコーチングボックスとスタッフは、世界一」だという。それだけ安心できるチームワークだということのよう。小野寺コーチは自身について「私は全体のミーティングで、みんなをリラックスさせるくらい」と謙そんする。(寒)(2018年3月31日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (21) 北見から五輪へ / アイスリーディングのほかにも…)常呂のアイスメーカー男性 / カーリングの試合は通常、リンクの氷の状態を早くつかんだチームが有利だ。ストーンの滑りが速い、あるいは遅い、そして曲がり具合を読む「アイスリーディング」の正確さが勝敗を左右する。あまり大きく報道されていないが、平昌冬季オリンピックではこのほか、もう一つのリーディングが出場チームを悩ませた。「ストーンリーディング」だ。常呂カーリング倶楽部事務局長でアドヴィックス常呂カーリングホールのアイスメーカーを担当する男性(62)によると、ぺブリングなど氷上の整備は、世界カーリング連盟が委ねたアイスメーカーが担当するそうで「会場が違っても、連盟のアイスメーカーが整備するので、国際大会でのアイスの大きな差はない」という ただ平昌五輪では、“曲がるリンク”が予想されたことから、同ホールでのLS北見の練習では、通常よりも曲がりやすいリンクなどいくつかのパターンを想定し造った。その通り、平昌五輪は曲がるリンクだったそう。そこまではよかったのだが、予選リーグ中盤に思いがけない整備が追加される。ストーン研磨だ。使用しているうちに底面に凸凹ができ、研磨することはあるが、「大会中に研磨が行われるのは、あまり聞いたことがない」と関係者達。選手の一番大切な武器でもあるストーンのこと、チームスタッフは神経を使った。(寒)(2018年4月3日の記事 経済の伝書鳩
連載 LS物語 (22) 北見から五輪へ… / ストーンにも一個一個違いがあり、国際大会レベルともなると小さな違いをつかんでいるかどうかで勝敗が左右されることもある。「一番困るのは、滑ったり滑らなかったり、どっちに曲がるか分からないストーン」の存在だそう。ストーンチェック (1) ストーンの“個性”読み切る努力 本橋選手らが試合後に黙々と投げ続け 試合中も他のシートをチェック / そこで各チームは必ず、事前にストーンチェックを行う。平昌冬季オリンピックを通じて報道されていた、日本チームの深夜のストーンチェック。試合が終わったシート上で、LS北見のリザーブ・本橋麻里選手が一人、黙々とストーンを投じるテレビ映像を観た人も多いだろう。8個のストーンにはそれぞれ、番号が記されている。その“個性”を個別に調べる。そのことは各国も怠らない。日本チームはさらに、試合中にもほかのシートに目を凝らす。その役割を今大会、柳等コーチが受け持った。日本の試合をデータ化する小野寺亮二コーチとは別に、柳コーチは隣りのシートの対戦を双眼鏡で眺め、どのストーンから順に使われ、石がどのような動きだったかを調べ、データ化した。本橋選手と小野寺コーチの深夜のストーンチェック、それに柳コーチによる試合中のストーンチェックにより、次の試合に各シートで使うストーン順をスタッフ連携で決めた。総力戦である。(寒)(2018年4月6日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (23) 北見から五輪へ / ストーンチェック (2) スキップは信頼できるストーンで 観客には見えないリード、セカンドの苦労 新たな「ストーン研磨」の影響は / 各チームとも、8個のストーンのうち最も無難なストーンをスキップ用とする。一方、くせがあったり、挙動があいまいなストーンはゲーム前半に投げるリードやセカンド用にすることが多い。勝負を決めるスキップの場面では、やはり信頼のおけるストーンを使いたいからだ。試合のテレビ中継を観ていると、ときどきとんでもない投球をする選手がいる。あまりにも短かかったり、スルーしてしまったり、思ったより曲がり過ぎたり。そういうときは、ストーン自体に問題があることも考えられる。小野寺亮二コーチは「(前半に投げる)吉田夕梨花選手や鈴木夕湖選手には苦労を掛けた」と気遣う。ストーンにもそれぞれ個性があることを知っていると、今後、私達がカーリングの試合を観戦するときに、違った目で観られるかもしれない。これに今回の平昌冬季オリンピックでは、ストーン研磨という状況対応が加わった。小野寺コーチによると「サンダー(研磨)自体は、石の底面を本当にさーっと掛けるだけ」。それでも影響があることが心配されたが「終わってみれば、そんなんでもなかった。考え過ぎだったかもしれない」と語る。(寒)(2018年4月11日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (24) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (1) / 輝く才能で女子ジュニアの一時代築く 中学生で全日本ジュニア優勝、高校で世界選手権に 19歳の時にトリノ冬季五輪に出場し7位入賞 / 「このチーム(LS北見)で成長できた」と語る選手が多いなか、一番成長したのは、ほかならぬ創立メンバーで最年長の本橋麻里選手(31)だと言う人がいる。才能豊かで、中学生のころから活躍し、藤澤五月選手(26)がジュニアで活躍する以前の女子ジュニアカーリングといえば本橋選手、と代名詞のようになっていた時代もある。常呂カーリング協会の初代会長、故・小栗祐治さんに誘われてカーリングを始め、チーム「マリリンズ」を結成。スキップとして中学生で日本ジュニアカーリングに優勝し、2002年の世界ジュニア選手権では順位こそ10位だったが、個人としてスポーツマンシップアワードを受章した。高校生になると、当時の強豪・河西建設女子チームにリザーブとして加入。常呂から北見に通った時期もあった。高校3年で世界選手権に出場すると、そのシーズンの終盤に、負傷者の出た青森県協会の小野寺歩選手、林弓枝選手ら同郷の先輩達から誘いを受け、チーム青森に帯同。2006年トリノ冬季オリンピックに出場した。チームは7位入賞。セカンドを務めた本橋選手は19歳だった。(寒)(2018年4月24日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (25) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (2) 常に上を目指し強豪チームへ / 「ゼロからやりたい」2度の五輪出場後、地元へ 人と地域がつながったチーム作り / 10代のとき、本橋麻里選手が所属してきたチームはいずれも年長者選手が多かった。常呂のジュニアチームをはじめ、北見の河西建設女子チームにしても、チーム青森にしても先輩方の中に入っていった。誘われたほか、常に上をめざす上昇志向もあり、自分の力が発揮できる場所、自らを高められるところを求め積極的に“常呂”から出て行った。その結果、2006年トリノ、2010年バンクーバーと2大会連続、チーム青森の一員としてオリンピックに出場する。マリリンの愛称で慕われ、選手達はカー娘と呼ばれて一躍脚光を浴びた。ところが「バンクーバー(2010年)が終わった直後、『戻ってこよう。ゼロからやりたい』と北見に戻った」。青森がどうのということではなく、むしろ「青森が取り組んでいたチームづくりをベースに、参考にした」と本橋選手。理想は選手が入れ替わってもチームは地域とともに歩むカナダのクラブ組織や尊敬するスウェーデンのチーム。「人と地域とがつながったチームを一から作りたかった」と当時を振り返る。「過去にオリンピックに出たから、それが何だという思い。それよりも、私は私なりに経験でサポートできるはず。なので5年や10年がゴールではない!」さっそくチームづくりに取り掛かり、こつこつとスポンサー探しに歩いた。ゼロからの出発は厳しかったが、「みなさんあったかで、フランク。うれしかったです」(寒)(2018年4月25日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (26) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (3) 新チームは5色のカラーで 多様な個性で柔軟なチーム力を スポンサーらの見守りで成長続け / 周りの期待の大きさに比べ、当たり前だが新生チームがすぐに好成績を挙げられることはなかった。それでも全国レベルの大会で2、3位の結果を残す。ただ、突き抜ける強さはまだ足りなかった。このころ周りの関係者、特にスポンサーらが辛抱強く、チームの成長を見守った。「ずっと応援するよと言ってもらえてうれしかった」と本橋麻里選手。「スポンサーさんの夢を含め“チームLS”なんだと思うことができた」という。自身、結婚と出産を経験し一時期チームを離れ、その後に復活。「チームには迷惑掛けた。それでも温かく迎え入れてくれて、頼もしいメンバー達とありがたいスポンサーさん達だった」。吉田知那美選手、藤澤五月選手が新加入したのもそんな時期。本橋選手は「選手同士互いにライバルとして磨き上げていく姿に、たくましさを感じた」と振り返り、「私も負けないで、いつでもプレーできるよう狙っている」と語っていた。チームづくりに関し本橋選手はよく「5色のカラーで作りたかった」と口にする。多様な個性があり、どんなことにも柔軟に対応できるチーム力が理想だと語る。本橋選手について、チーム最年少の吉田夕梨花選手(24)は「まりちゃんは一人ひとりの個性を生かし、一人ひとりのことを考える。(だからこそ)自分のポジション(=リード)に責任を持てるようになった」とチームキャプテンとしての資質を高く評価する。同じく創立メンバーの鈴木夕湖選手(26)は「まりちゃんについていくだけだった。選手の個性をつぶさずに、時間は掛かったが『自分で何かしなければ』と考えられるようになった。迷惑も掛けたが、少しおとなになれたかなと思う」と振り返り、それぞれ感謝する。(寒)(2018年4月27日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (27) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (4) 本気さに気づき、変化のきっかけに 「もう前に進んでいる」のひと言 ロコに加入し成長遂げる / 吉田知那美選手(26)は、本橋麻里選手(31)について「4年前、本橋さんがいるから(北見に)戻って来た。ここ(北見)からオリンピックをめざす!という本橋さんの本気さに気づいたから」という。「その後、自分が変わっていくと、周りの環境も変わった」と振り返る。日本カーリング選手権4連覇を飾るも、何かを引きずっていたという藤澤五月選手(26)は3年前、「たまたま、まりちゃんと食事に行ったとき『自分達はもう前に進んでいるよ』と語った本橋さんのひと言が忘れられない」という。「カーリングに対する考え方を私も変えなければ」とそのとき直観的に思ったそう。そしてその後の加入。「ロコ・ソラーレ(LS北見)は自分達で練習して、自分でやる。選手みんな自立しているのがこのチームの強さなんだなと感じた」と藤澤選手。「全員が全員の仕事をしていて、5人がいないと成り立たない。『ロコはチームだな』と強く思った」そう。吉田知選手、藤澤選手はともに、ただ北見へと帰って来ただけでなく、本橋選手によって自分に気づき、ロコ・ソラーレというチームによって自分が変われたことが、かけがえのない成長、財産となったよう。(寒) 掲載画像 / 銅メダルを手に女満別空港に到着したLS北見の吉田知那美選手、藤澤五月選手、本橋麻里選手(左から、2月27日)(2018年4月28日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (28) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (5) 誰よりも成長、メダル獲得最大の功労者 / 選手以上に人として 関係者らも称賛の声 / 本橋麻里選手に導かれ、ロコ・ソラーレというチームで自分が変わり、市民に愛されることで、人(ひと)として成長できた、と選手達はよく口にする。藤澤五月選手はオリンピック報告会で「まりちゃんが3年前、温かく迎えてくれた。そして今、北見市のたくさんの皆さんの応援のおかげでここに立てている」と感謝した。同じく本橋選手を頼って4年前、ふるさとに戻った吉田知那美選手は「このまちに人として成長させてもらった。ときに、北見市の人達の温かさに甘えたくなることもあるけど、結果で返せてよかった。応援してくれる、まちの皆さんに感謝です。これからもカーリング選手としてだけではなく、人として人間力を高めていきたい」と、心の底からの気持ちが言葉になる。一方、リザーブの選手であることについて本橋選手は「もちろんいつでも出られるよう、常に準備はしている」と言いつつ「昔の自分なら、何としても試合に出られるよう目一杯突っ走ったと思う。でも今は…」とも。常呂のカーリング関係者は、この言葉にうなづき「よく我慢している。一番成長したのは本橋選手だ」と話し、ひと回り大きくなった最近の本橋選手に「メダル獲得の一番の功労者。直接、プレーはしていないが、彼女がいなければメダルはなかった」と最大限の称賛の声を贈る。(寒)(2018年430日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (29) 北見から五輪へ / 子ども達に愛されるロコ・ソラーレ 五輪から帰郷 多くの“後輩”らが出迎え / 2月27日、平昌冬季オリンピックから帰ったLS北見をたくさんの市民らが出迎えた。女満別空港のほか、選手達の地元・北見市常呂のカーリングホールには午後10時過ぎという遅い時間にもかかわらず、父母らと一緒に駆け付けた小・中学生の姿が目立った。アドヴィックス常呂カーリングホールの2階。急きょ設けられたステージに向かうメダリスト達を迎えたのは、選手達の後輩でカーリングを始めて間もない、地元の小・中学生達。通路をぎっしりと取り囲み、遠慮することなく自然に「おめでとう」と声を掛けた。選手達も一人ひとりに「ありがとう」と応えた。この日、全国ネットのテレビ局の取材や選手団の報告会、飛行機での移動と疲れていたはずの選手達だが、大会で見せる笑顔かそれ以上の笑顔で子ども達に応えた。ステージまで10メートルほどの通路は、子ども達で埋まり、ステージまで歩むのに10分以上掛かった。テレビ局の中継や新聞社の締め切りが迫っていたが、文句を言うものはなかった。長い一日の最後の最後に、子ども達の笑顔という宝物が待っていた。子ども達に愛される、ロコ・ソラーレ。選手達にとっては何年たっても、この通路でのシーンは忘れられないものになるだろう。本橋麻里選手は「こんなに常呂に子ども達がいたなんて」と驚く。そして「『僕達も北京オリンピックに行く!』と言ってくれた。小学生だから、北京(4年後)は無理だろうけど」と半分、母親の気持ちも手伝って目を潤ませる。子ども達が喜んでくれるのが選手達にとって一番うれしそうだ。(寒)(2018年5月3日の記事 経済の伝書鳩)
連載 LS物語 (完) 北見から五輪へ… / 大きな夢「北見=スポーツのまち」に 次の目標…世界一を目指し 5選手それぞれのカラーで実現を / 平昌冬季オリンピック出場を前に「スポーツで北見から世界へ出て行けるのがうれしい」と語っていた本橋麻里選手(31)。帰って来て常呂のカーリングホールに行ってみると、「練習する高校生の目つきが変わっていた」そう。「競技する選手達の本気度が伝わってきて、うれしかった」という。スポーツを通じて、まちが変われば、というのが選手達の願い。本橋選手は「カーリングに限らずどんな競技でも構わない。地域でスポーツ選手を支え『北見=スポーツのまち』になればいいな」とコーディネーターあるいはプロデューサーの素養で大きな夢を抱く。その上で「あらためて自分が歩んできたカーリングという競技に感謝する」とも。平昌での「セミファイナルの韓国戦が色濃く印象に残っている」と早くも次へのモチベーションを見つけたよう。「オリンピックに行けても行けなくても、4年間チャレンジする」「あらたなオリンピックにワクワクしている」「応援をパワーに。プレッシャーを集中力に」と語って来た選手達。小野寺亮二監督(57)は「彼女達は世界で通用する選手になりたいと練習している。世界にはまだ上がいるのを知っている。でも戦えないとは思っていない。選手達は一番上を狙っている。平昌の次の日から4年後を狙っている。見守ってあげてください」とお願いする。五輪報告会で本橋選手は「五輪の輪のように5色のカラーを持つ5人の選手達はみな家族のようです。自然体をポリシーに、その姿勢をこの後も忘れずにいたい。まだまだおぼつかない私達ですが、大きな夢をかなえるお手伝いをしてください」と主将として語り、しめくくった。※連載を終了します。長い間のご愛読ありがとうございました。<完>(寒)(2018年5月9日の記事 経済の伝書鳩)
ロコ・ソラーレ(Loco Solare)は、日本の女子カーリングチーム。チーム名の由来は、「ローカル」と、「常呂っ子」から「ロコ」+イタリア語で太陽を意味する「ソラーレ」。北見カーリング協会所属。練習拠点は、アドヴィックス常呂カーリングホール。2018年平昌オリンピック日本代表。 日本カーリング選手権大会など日本カーリング協会(JCA)主管試合では、LS北見として登録されている。(ロコ・ソラーレ – Wikipedia)
『シムソンズ』は、カーリングを題材にした2006年の日本映画。北海道常呂郡常呂町(現北海道北見市)の女子高校生が1998年長野冬季オリンピックカーリング競技男子日本代表選手の薦めでカーリングチームを結成し、紆余曲折を経て成長する青春映画。実在したカーリングチーム「シムソンズ」(2002年ソルトレイクシティ冬季オリンピックカーリング競技女子日本代表)をモデルとし、その来歴に題材を得て製作された。 実話との相違 / 実話に題材を得たストーリーではあるが、その内容は大きく脚色されている。例えば、劇中で伊藤和子は加賀真人の薦めがきっかけでカーリングを始めるが、和子のモデルとなった加藤章子は9歳からカーリングを始めており、19歳で長野五輪に女子日本代表チームの一員として出場している。また、劇中の「シムソンズ」は全員が高校の同級生という設定だが、現実の「シムソンズ」は加藤・小野寺・林の3人が中学校の同級生時代に結成したチームであり、のちに加わった小仲(加入時の名字は堀)は3人より学年が2つ上である。 また、小野寺家は農家ではない、と本人が設定に後日不満を語っている。 その他 / 本編の試合シーンでは常呂町(当時)のカーリング選手もエキストラとして出演した。その中の一人、「シムソンズ」と北海道大会決勝で対戦する相手チームの選手として出演している近江谷杏菜は、(現実の)「シムソンズ」のコーチであった近江谷好幸の娘であり、2010年バンクーバーオリンピックに日本代表チーム青森の一員として出場した(現在は北海道銀行フォルティウス所属)。また、同じくエキストラ出演していた吉田夕梨花もロコ・ソラーレの一員として2018年平昌オリンピックに出場している。他にも江田茜(元ロコ・ソラーレ)松井千愛(元チーム東京)など、後に日本カーリング選手権大会で活躍することになる選手が多数出演していた。(シムソンズ (映画) – Wikipedia)
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2018年平昌オリンピック冬季競技大会の閉会
- 2018年02月26日(月) 16:55
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2018年平昌オリンピック冬季競技大会の閉会
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2018年平昌オリンピックの閉会式は、2月25日の20時(現地時間)に開会式同様オリンピックスタジアムで挙行される。 アトラクション / 北京でつぎの冬季オリンピックが行われる予定だ。 式典 / クロスカントリースキー男子50kmフリーと女子30kmクラシカルの表彰式が閉会式で行われる。その後、オリンピック憲章に従い、オリンピック発祥国のギリシャの国歌が演奏される中国旗が掲揚される。オリンピック賛歌が演奏されオリンピック旗が降ろされると、次の開催国中華人民共和国の国旗が義勇軍進行曲演奏の中掲揚されたのち、今回五輪が開催された平昌郡守からトーマス・バッハIOC会長を経て、次回五輪が開催される陳吉寧北京市長にオリンピック旗が渡される。 北京のアトラクション / 2004年アテネオリンピック閉会式で北京のプレゼンテーションを総監督した張芸謀が8分間のアトラクションを行う。 閉会宣言・聖火消火 / 李熙範平昌五輪・パラリンピック組織委員長の挨拶に続き、バッハIOC会長が閉会を宣言する。(2018年平昌オリンピックの閉会式 – Wikipedia)
2018年平昌オリンピックの日本選手団は、2018年2月9日から2月25日(韓国標準時)までの日程で開催される、2018年平昌オリンピックの日本選手団。 メダル獲得者 / 日本国外で開催された冬季オリンピックでは初めて複数の金メダルを獲得した。また、メダル総獲得数でも過去最多だった1998年長野オリンピックを上回り、冬季オリンピックの日本代表としては史上最多個数となった。JOCはメダル個数の目標を「複数の金を含む9個」[3]としており、金メダル個数・メダル総数ともにこの目標を達成する数値となった。(2018年平昌オリンピックの日本選手団 – Wikipedia)
北海道網走郡美幌町出身のオリンピック選手
石田 正子(いしだ まさこ、Masako Ishida, 1980年11月5日 – )は、日本のクロスカントリースキー選手。日本大学文理学部体育学科卒業。現所属はJR北海道。日本人選手で初めてワールドカップ長距離種目(30kmクラシカル)3位入賞をしている。美幌町「栄誉賞」受賞。(石田正子 – Wikipedia)
一戸誠太郎(いちのへ せいたろう、Seitaro Ichinohe,)スピードスケート選手、美幌町出身。
三橋李奈(みつはし りな、Rina Mitsuhashi)バイアスロン選手、美幌町出身。 Rina Mitsuhashi, nee Suzuki (鈴木李奈 Suzuki Rina, born April 2, 1990) is a Japanese biathlete. She was born in Hokkaido. She competed at the 2014 Winter Olympics in Sochi, in the individual and sprint competitions. (Rina Mitsuhashi – Wikipedia)
北海道北見市出身のオリンピック選手
吉田 夕梨花(よしだ ゆりか、Yurika Yoshida, 1993年(平成5年)7月7日 – )は、日本のカーリング選手である。2018年平昌オリンピック銅メダリスト。(吉田夕梨花 – Wikipedia)
鈴木 夕湖(すずき ゆうみ、Yūmi Suzuki, 1991年(平成3年)12月2日 – )は、日本の女子カーリング選手。ロコ・ソラーレ所属。2018年平昌オリンピック銅メダリスト。(鈴木夕湖 – Wikipedia)
吉田 知那美(よしだ ちなみ、Chinami Yoshida, 1991年(平成3年)7月26日 – )は、日本のカーリング選手。ロコ・ソラーレ所属。2014年ソチオリンピック日本代表、2018年平昌オリンピック銅メダリスト。吉田夕梨花は実妹。(吉田知那美 – Wikipedia)
藤澤 五月(ふじさわ さつき、Satsuki Fujisawa, 1991年(平成3年)5月24日 – )は、日本のカーリング選手。ロコ・ソラーレ所属。2018年平昌オリンピック銅メダリスト。愛称は、「さっちゃん」。(藤澤五月 – Wikipedia)
本橋 麻里(もとはし まり、Mari Motohashi, 1986年(昭和61年)6月10日 – )は、北海道北見市(旧常呂郡常呂町)出身のカーリング選手。マリリンの愛称で知られる。トリノオリンピック、バンクーバーオリンピック、平昌オリンピック日本代表。平昌冬季オリンピック銅メダリスト。(本橋麻里 – Wikipedia)
常呂でジュニアカーリング 将来の五輪選手がここから 小学生伝統の登竜門30回目
LS北見がオリンピック最終戦に臨んだ24日、練習拠点としている地元のアドヴィックス常呂カーリングホールで恒例の常呂自治区ジュニアカーリング選手権が開かれた。数々のオリンピック選手が通った登竜門。30回の節目の今回、将来オリンピックをめざす小学生9チームが出場した。ところ子ども会育成連絡協議会、常呂カーリング倶楽部、北見市教委常呂教育事務所の共催。1998長野冬季オリンピック出場の白畑(旧姓三村)容子さんら常呂カーリング倶楽部の会員達が講師を務め、昨年11月から行ってきたジュニアカーリング教室の集大成。選手達は作戦を考え、声を掛け合ってスウィーピングしていた。表彰式では同倶楽部の会長が「教えられたマナーもきちんとできていた。ぜひオリンピックをめざして」とあいさつ。後援の常呂ライオンズクラブの会長からメダルが贈られた。教室のリーグ戦も全勝だった常呂小6年生の男子チーム「アイスライン」が優勝。スキップの男子児童は「今の目標は先輩達の『ドラゴン』です」と倶楽部リーグ戦で活躍する中学生チームを挙げた。一方、準優勝の同小6年女子チーム「クラウンクラウン」は「決勝で負けて悔しい」。女子児童ら選手は「目標はロコ・ソラーレに勝つこと…いつかは」と元気よく語った。(寒)(2018年2月27日の記事 経済の伝書鳩)
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2月25日 茂吉忌(斎藤茂吉 Mokichi Saito)
2月25日 茂吉忌(斎藤茂吉 Mokichi Saito)
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茂吉忌 / 精神科医でアララギ派の歌人の斎藤茂吉の1953(昭和28)年の忌日。(2月25日 今日は何の日~毎日が記念日~)
斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年(明治15年)5月14日[1] – 1953年(昭和28年)2月25日)は、日本の歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院(現在の都立梅ヶ丘病院や斉藤病院)の院長を務めた。長女は百合子、次女は晶子。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。(斎藤茂吉 – Wikipedia)
Mokichi Saitō (斎藤 茂吉 Saitō Mokichi, May 14, 1882 – February 25, 1953) was a Japanese poet of the Taishō period, a member of the Araragi school of tanka, and a psychiatrist. The psychiatrist Shigeta Saitō (Japanese Wikipedia article) is his first son, the novelist Morio Kita is his second son and the essayist Yuka Saitō is his granddaughter. (Mokichi Saitō – Wikipedia)
画像は、山形県上山市の海外友好都市「ドナウエッシンゲン」にある「ドナウの泉」、モーツァルトとそのアンサンブルの可動銅像。ドナウ川源流「ドナウの泉」側に斎藤茂吉の歌碑がある。「大き河 ドナウの遠き みなもとを 尋めつつぞ来て 谷のゆふぐれ」(斎藤茂吉)
斉藤茂吉の子:北杜夫の小説を好んで読んでいます。中に茂吉も出てきますが、厳しい父親だったようです。北杜夫は、躁欝ぎみで、躁の時は「ドクトルまんぼう」シリーズ、欝の時は「夜と霧の隅で」のような純文学をものにしています。(なりひら)
斎藤茂吉の義弟(齋藤西洋)の妻(淑子)は堀内敬三の妹です。堀内敬三は「美幌中学校校歌」を作詞されました。昭和23年6月5日制定、作曲は百田宗治。(美幌音楽人 加藤雅夫)
お元気ですか? 加藤さんが、森谷富太郎氏に関心をもたれているのに驚いてメールしました。私も、北見中央図書館長を1年間やっていたことから、山形県の上山市に行き茂吉記念館を見てくるなど、新図書館の構想を練ったりしました。今年は、中川町の茂吉小公園に行くなどしております。ブログにあるように、富太郎さんがイトムカに赴任してきた頃のことを少し調べはじめており、当時、一緒に歌会をやっていた方が生存していることが、最近分かりましたので、近いうちに会おうと思っております。何か良い情報があれば教えていただきたいと思います。(高木)
「温故知新」は素晴らしい言葉ですね、北見市の高木さん。私に代わって、ドイツの町「ドナウエッシンゲン」「ドナウの泉」にある斎藤茂吉の歌碑も見てきてください。私の兄嫁の実家が山形県の上山です。(美幌音楽人 加藤雅夫)
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高等学校で福祉マルシェを開催しよう
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学事出版教育文化賞の奨励賞受賞 留辺蘂高校教諭 男性(37)
留辺蘂高校の福祉・家庭科主任の教諭(37)が書いた論文「高等学校で福祉マルシェを開催しよう」が、第15回学事出版教育文化賞の奨励賞を受賞した。生徒が地元の高齢者施設を訪問し、現場で介助など高齢者福祉を学ぶ授業を紹介した論文で、地域との繋がりを大切にする取り組みが高く評価された。
論文「高等学校で福祉マルシェを開催しよう」で 地域との繋がり大切にする取り組み評価
昨年、実施された自由選択科目「生活と福祉」に参加した生徒達が地域のグループホームを訪問。車椅子介助、入浴介助などを職員や入所者から直に学び、高齢者福祉の現場を肌で体験した。さらに、訪問した施設の高齢者、職員を学校に招き交流を深めた。授業は単に介護の方法や知識を身につけるだけでなく、地域の人との繋がりを大切にする心、コミュニケーション能力を高め、地域の人を生き生きとさせる効果があった。同校では福祉施設訪問のほかに、車椅子の人の障害になる歩道の小さな凹凸を生徒が実際に車椅子で移動しながら調査した「福祉マップ」を作成。地元の中学校への出前授業に活用したほか、まちづくり協議会で高く評価され、市がマップに記載された個所の一部を補修予定に採用。地域の高校生がまちづくりに参画できるという実績も。教諭は「こうした双方向の授業を土台に、地域の人と生徒が互いに対等になって集まるマルシェ(市場)のような授業を展開し、生徒と地域を元気にしたい」と話している。同文化賞は全国約80件の応募の中から教育文化賞、優秀賞、奨励賞各1人が選ばれた。教諭の論文は、今年夏に発刊される月刊「高校教育」で紹介される予定だ。(粟)(2018年2月23日の記事 経済の伝書鳩)
22日・留辺蘂まちづくり協議会 留辺蘂高校が福祉マップ提出
北見市の留辺蘂まちづくり協議会が、22日(水)午後4時半から留辺蘂町公民館で開かれる。留辺蘂高校の課題研究福祉ゼミを受けている3年生7人が「地域を福祉の視点でみつめよう」をテーマに作成した「福祉マップ」を提出する。このマップは車椅子を利用する人の支障になる道路の凹凸を生徒自身が車椅子に乗って検証した。同日の協議会では生徒達から報告を受ける。問い合わせは総合支所総務課(TEL 0157-42-2421)へ。(2017年11月21日の記事 経済の伝書鳩)
留辺蘂まち協で反響 留辺蘂高生徒が制作した福祉マップ
北見留辺蘂高校で福祉ゼミを受けている生徒達が22日、授業で制作した留辺蘂地域の福祉マップを北見市留辺蘂まちづくり協議会に提出した。車椅子を利用する人の目線で道路を検証したマップで、「まちづくりの参考になる」と委員の間で反響を呼んだ。
車椅子の視点で道路を検証 北見市もさっそく参考に
福祉マップは、ゼミを受けている7人の生徒が実際に車椅子に乗って学校周辺約1平方キロをくまなく歩き、歩道の凹凸、車道と歩道の取り付け部など道路の使いやすさを検証した。その結果を手書きの地図に写真とともに落とし込んだのが福祉マップ。地元の中学校で行う出前授業の教材として制作したものだが、高校生がまちづくりに関心を持っていること、実際の体験検証であることなどから、同協議会が議題として取り上げた。同日の協議会では生徒3人が出席。車椅子の支障になるポイントを委員に説明した。委員からは「気がつきにくいところを高校生の感性と実体検証で提案してもらってうれしい」、「これをどう活用するかは我々大人の役目」、「行政にインパクトがある」などの意見が相次いだ。協議会に出席していた五十嵐俊啓自治区長は「順位をつけてできるだけ改修していきたい」とさっそく福祉マップを参考にする考えを示した。同日の協議会では福祉マップのほか「ようこそ留辺蘂へ」と書かれた生徒手づくりの横断幕も提出され、まちの活性化に向けた利活用も検討された。(粟)(2017年11月28日の記事 経済の伝書鳩)
留辺蘂高3年生が福祉マップ作成 車椅子で地域をみると…
留辺蘂高校の課題研究福祉ゼミを受けている3年生7人が地域の福祉マップを作った。車椅子で外出する際に何が支障になるのか、生徒達が実際に車椅子に乗って地域を検証して作成した巨大な地図。あす14日に留辺蘂中学校で行う出前授業に活用する。
乗って地面をくまなく検証 中学校の出前授業に活用
福祉マップは「地域を福祉の視点でみつめよう」という課題研究福祉ゼミのテーマに沿って作成された。毎日通う留辺蘂のまちを、車椅子を利用する人の気持ちになって見るというコンセプト。国道39号を軸に留辺蘂高校、留辺蘂中学校、留辺蘂小学校を含む約1平方キロの道路をくまなく車椅子で移動した。普通に歩ける人なら支障にならないマンホールの蓋の周りの凹凸や、歩道のちょっとした段差などが車椅子の支障になっていた。車椅子で体験しないと発見できない支障は50カ所余り見つかった。福祉マップには、そのうち5カ所を写真で紹介している。縦約3メートル、横約1.6メートルの大型サイズで、中学校の授業で見やすくしている。生徒達は「お年寄りの多い留辺蘂のまちを理解するきっかけになりました。中学生に伝えたい」と出前授業を前に張り切っている。(粟)(2017年9月13日の記事 経済の伝書鳩)
北海道留辺蘂高等学校(ほっかいどうるべしべこうとうがっこう、Hokkaido Rubeshibe High School)は、北海道北見市にある公立(道立)の高等学校である。全日制の総合学科。(北海道留辺蘂高等学校 – Wikipedia)
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北見市社会福祉協議会の最新情報
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北見市社協常呂支所「ふれあい昼食会」 多数参加者に皆勤・精勤賞も
北見市社協常呂支所主催の「ふれあい昼食会」がこのほど、常呂町多目的研修センターで開かれた。お年寄り65人が参加。ボランティア8人が手作りした昼食を食べ「久しぶりに友達と会えてうれしかった」など楽しいひとときを過ごした。市の保健師による講話で、乾燥から肌を守る「保湿ケア」について学んだ。オホーツクところ合唱団は合唱のほかに劇も披露、なかなかの役者ぶりで参加者を喜ばせた。同昼食会は70歳以上の配偶者のいない人の交流と閉じこもり防止や健康維持が目的。5回目の今回で今年度の日程を終え、数多く参加した人には「皆勤賞・精勤賞」が贈られた。(公)(2018年2月23日の記事 経済の伝書鳩)
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北海道言友会の吃音相談会(北見市総合福祉会館)
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24日・北海道言友会が相談会と交流 北見市総合福祉会館で
進級・進学直前緊急プログラム 自己紹介が苦手な小学生~大学生へ 若者達を対象に
2月、3月は吃音(きつおん=どもること)のある子ども、若者にとっては恐怖の季節-。言葉が詰まったり、連続して発してしまって困っている人を対象とした北海道言友(げんゆう)会主催の吃音相談会が24日(土)午後1~3時、北見市総合福祉会館で開かれる。2カ月に1回、札幌から同会の南孝輔会長が足を運び「吃音相談会」と「交流会」を開いている。今回は「進級・進学直前緊急プログラム」と題し、吃音のある小・中学、高校生、大学・専門学校生、若者を対象に開催する。「進級・進学、入社時期の4月に、必ずやってくるのが『自己紹介』。これがなければ、どんなに楽なことか」と南会長。今回は「こんな恐怖を味わっている子ども達、若者の集まりを計画しました」。吃音のある若い世代の参加を呼び掛けている。参加費100円。保護者、ことばの教室の先生の参加も歓迎。同3時からは交流会も開催。参加連絡は南会長(TEL 090-6216-1156)、ショートメールも可。(寒)(2018年2月21日の記事 経済の伝書鳩)
吃音症(きつおんしょう、英: stammering symptom)とは、言葉が円滑に話せない疾病、または障害である。「発語時に言葉が連続して発せられる」、「瞬間あるいは一時的に無音状態が続く」などの症状を示す[1]。WHO(世界保健機関)の疾病分類「ICD-10」では、「会話の流暢性とリズムの障害」、「吃音症」[2]に分類され、米国精神医学会の2013年発表DSM-5(精神障害の診断と統計マニュアル)では「Childhood‒Onset Fluency Disorder (Stuttering) 小児期発症流暢症/小児期発症流暢障害(吃音)」と表現されている。日本国内においては「どもり」、「吃音」とも言われているが、特に近年「どもり」は差別用語や放送禁止用語とみなされており、公の場で使われなくなってきている。 吃音の原因には、児童の発達性のものと、後天的なもの(たとえば頭部外傷)が挙げられる。発達性の吃音は、2歳で発生することが多く、成人では0.8〜1.2%、学齢期の子供で約1.2%、5歳までの子供では約5%が吃音者であるといわれ、その4分の3のケースは治療の有無にかかわらず時間と共に解決する。子供の頃は本人が気づいていない場合も多い。吃音の程度や吃音の症状が出る言葉や場面には個人差があり、千差万別である。 吃音症が原因不明であるため決定的な治療法がない。吃音を障害認定している国もある。例えば、アメリカでは連邦障害者法、ニュージーランドでも法律により障害として扱われる。ドイツでも、障害認定を受けることができる。このように、法的に吃音症患者を保護する体制作りが各国で求められている。日本国でも吃音に対する社会保障がある。2005年より吃音が発達障害者支援法に含まれるようになった。精神障害者保健福祉手帳を希望すれば軽度であっても取得できる障害者である。 吃音で身体障害者手帳を取得しているケースもある。この曖昧な部分については厚生労働省によると発達障害者支援法に吃音が含まれるという立場になっている。吃音という診断を使わなければ身体障害の可能性もあるという。(吃音症 – Wikipedia
言友会(げんゆうかい)は、1966年に創立された吃音症(どもり)という言語障害を持つ人たちのセルフヘルプグループ(自助グループ)である。吃音(どもり)を治すことにこだわるのでなく、吃音を持ちながらの生き方を確立していくことを基本理念としている。 吃音者宣言(全文) / 私たちは、長い間、どもりを隠し続けてきた。「どもりは悪いもの、劣ったもの」という社会通念の中で、どもりを嘆き、恐れ、人にどもりであることを知られたくない一心で口を開くことを避けてきた。「どもりは努力すれば治るもの、治すべきもの」と考えられ、「どもらずに話したい」という、吃音者の切実な願いの中で、ある人は職を捨て、生活を犠牲にしてまでさまざまな治す試みに人生をかけた。しかし、どもりを治そうとする努力は、古今東西の治療家・研究者・教育者などの協力にもかかわらず、充分にむくわれることはなかった。それどころか、自らのことばに嫌悪し、自らの存在への不信を生み、深い悩みの淵へと落ちこんで行った。また、いつか治るという期待と、どもりさえ治ればすべてが解決するという自分自身への甘えから、私たちは人生の出発(たびだち)を遅らせてきた。私たちは知っている。どもりを治すことに執着するあまり悩みを深めている吃音者がいることを。その一方、どもりながら明るく前向きに生きている吃音者も多くいる事実を。そして、言友会10年の活動の中からも、明るくよりよく生きる吃音者は育ってきた。全国の仲間たち、どもりだからと自身をさげすむことはやめよう。どもりが治ってからの人生を夢見るより、人としての責務を怠っている自分を恥じよう。そして、どもりだからと自分の可能性を閉ざしている硬い殻を打ち破ろう。その第1歩として、私たちはまず自らが吃音者であることを、また、どもりを持ったままの生き方を確立することを、社会にも自らにも宣言することを決意した。どもりで悩んできた私たちは、人に受け入れられないことのつらさを知っている。すべての人が尊敬され、個性と能力を発揮して生きることのできる社会の実現こそ私たちの願いである。そして、私たちはこれまでの苦しみを過去のものとして忘れ去ることなく、よりよい社会を実現するために活かしていきたい。吃音者宣言、それは、どもりながらもたくましく生き、すべての人びとと連帯していこうという私たち吃音者の叫びであり、願いであり、自らへの決意である。私たちは今こそ、私たちが吃音者であることをここに宣言する。(言友会 – Wikipedia)
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第62回 高知県出版文化賞「北海道開拓を支えた高知県人」
第62回 高知県出版文化賞「北海道開拓を支えた高知県人」
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高知と北見を結ぶ書籍出版 高知県・女性
高知短期大学、高知大学で高知県と北海道移民史を研究していた高知県南国市の女性が「北海道開拓を支えた高知県人~土佐藩の箱館探査から昭和の許可移民まで」と題した書籍を出版した。北見地域を開拓した北光社、前田駒次をはじめ、高知と北見を結ぶ新たな書籍として注目されている。(粟)
「北海道開拓を支えた高知県人」 現地を調査、開拓子孫と交流も
女性は1941年(昭和16年)、高知県香南市生まれ。2008年に67歳で高知短大に入学、高知大学大学院でも昭和初期に高知から根釧原野に移住した許可移民の調査報告をまとめている。新たに発刊された「北海道開拓を支えた高知県人」は「土佐藩と蝦夷地」「明治期に渡道した高知県人」「根釧原野を開拓した高知県人」の3部構成で、北見を開拓した北光社、前田駒次の史実が詳しく記載されている。文書資料の分析と考察にとどまらず、現地調査を行って開拓者の子孫とも交流をしながら、高知県と北海道、開拓時代と現代という“地域と時”を繋いでいる。この書籍は、第62回高知県出版文化賞を受賞。女性は24日に高知県文教会館で表彰される。A4判402ページ、本体3千円。(2018年2月19日の記事 経済の伝書鳩)
坂本 直寛(さかもと なおひろ、嘉永6年10月5日(1853年11月5日) – 明治44年(1911年)9月6日)は明治時代の自由民権運動家、キリスト教牧師。土佐藩郷士坂本家五代当主であり、坂本龍馬は叔父に当たる。兄・坂本直は龍馬の養嗣子。 北海道開拓 / 国会議員をしていた武市安哉が石狩平野視察のきっかけに、1893年(明治26年)7月国会議員を辞職して北海道開拓を始める。武市は北海道浦臼で聖園農場と聖園教会の経営を開始したが、1894年(明治27年)武市が急死する。武市が亡くなって1年半後の明治29年(1896年)夏に、坂本は沢本楠弥と一緒に、浦臼内の聖園農場を訪問し、理事員の前田駒次らと会い、北海道北見国常呂郡クンネップ原野(現・北見市)の開拓の協力を要請した。前田は坂本らをクンネップまで案内し現地調査を行う。帰郷した坂本と沢本は北海道開拓を呼び掛ける、その結果北海道開拓のための組織である北光社の設置がきまる。設置発起人として片岡健吉、土居勝郎ら16人が集まり、社長に坂本、副社長に沢本が選出される。明治30年(1897年)春、北海道北見のクンネップ原野に一族を挙げて移住し、北光社農場建設に参加することになった。明治31年(1898年)1月に高知市で北光社の創立総会が開催された。北光社移民団の入植は3年で合計221戸になった。しかし、坂本は第二次移民団が入植する直前の、明治31年(1898年)5月に聖園農場の前田駒次を社長に招聘し、坂本は社長を辞任し、聖園農場の経営をすることを決意し、高知にいた4人の子供を呼び寄せ共に浦臼に転居した。坂本直寛 – Wikipedia
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前田駒次翁像 (北見) =追記あり – 北海道美術ネット別館 – Gooブログ
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ゴジラに挑戦 北見の演劇集団玉葱倶楽部
- 2018年02月19日(月) 0:10
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, 北海道, 北見市
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ゴジラに挑戦 北見の演劇集団玉葱倶楽部
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3月の公演に向け練習開始 北見の演劇集団「玉葱倶楽部」
市内の中高生29人が参加 10回目の節目、プロ劇団の台本に挑戦
北見の学生演劇を盛り上げようと、学校の枠を越えて活動する演劇集団「玉葱倶楽部」が、3月の第10回公演に向けて、活動をスタートさせた。北見地区の学生演劇のレベル向上や学校から地域への文化の発信を目的に、12年前に結成。例年学校が春休みの3月に公演している。今回は北見北斗、北見緑陵、北見商業の各高校演劇部の1年生、北見北中学校演劇部、演劇部のない北見柏陽高校から合わせて29人が参加。これまでの公演では学生演劇の脚本を用いてきたが、今回は10回目の節目を記念して初めてプロの劇団の台本に挑戦する予定。高校生はほとんどが玉葱倶楽部初参加。先月から活動をスタートさせ、今後は土日や祝日など学校の休みを利用して集まり、本番まで20回の練習を行う。生徒代表の北見柏陽高校1年男子生徒は「楽しいものにしたくて、ワクワクしています。29人もの人数。最後まで気を抜かないように頑張りたい」と話している。第10回公演は3月22日(水・祝日)、北見芸術文化ホールで開催予定。(菊)
みんなで面白い舞台 作り上げたい 玉葱倶楽部代表 北見柏陽高校1年男子生徒
北見市内の中学・高校生による演劇集団「玉葱倶楽部」の代表は、演劇部のない北見柏陽高校から参加。「すごく演劇がやりたかったので、とても楽しみです」と笑顔をみせる。子どものころに市民劇団に参加し、演劇好きになった。中学校で演劇部に入部し、玉葱倶楽部にも参加。玉葱倶楽部に参加できる高校生メンバーは1年生だけのため、高校生では唯一の経験者だ。「ひとつの舞台をみんなで作り上げるのが楽しい。面白い舞台になるように頑張りたい」と目を輝かせる。柏陽高校には現在演劇部はないが、代表が所属する新聞局の先輩が、昨年は玉葱倶楽部に参加し、代表を務めた。「以前は柏陽高校にも演劇部がありました。なかなか難しいですが演劇部復活のため、あきらめずに頑張りたい」と力を入れている。(菊)(2018年1月6日の記事経済の伝書鳩)
初のプロ脚本「ゴジラ」に挑戦 北見の演劇集団「玉葱倶楽部」
3月21日・北見芸文ホールで10回記念公演 役者と観客両方が楽しめる舞台に
北見市内の中学・高校演劇部らによる演劇集団「玉葱倶楽部」の第10回記念公演「ゴジラ」が3月21日(水)午後3時から、北見芸術文化ホールで開かれる。10回の節目を記念し、初めてプロの劇団の脚本に挑戦。メンバーは本番に向け、練習に汗を流している。北見の学生演劇を盛り上げようと、学校の枠を超えて12年前から活動。今年は北見緑陵、北見商業、北見北斗の各高校演劇部の1年生と北見北中学校演劇部、演劇部のない北見柏陽高校から、合わせて29人が参加している。今回上演する「ゴジラ」は、ある一家の娘が彼氏として連れてきたのがゴジラだった-というストーリー。「劇団離風霊船」が昭和62年に初演し、大橋泰彦氏による脚本は岸田國士戯曲賞を受賞、これまでに多くの劇団が上演している。演出を担当する北見北斗1年女子生徒は「現実からかけ離れた世界を、どうお客様に見せれば良いのかが難しい」と話し「役者とお客様が一緒に楽しめる舞台にしたい」と来場を呼び掛けている。前売り券は中高生300円、一般500円(当日は各100円増し)。問い合わせは北見北斗高校(TEL 0157-24-3195)へ。(菊)
いい意味で見る人を裏切るような舞台に ゴジラ役・男子生徒 見て楽しんでもらえたら
演劇集団玉葱倶楽部の第10回公演「ゴジラ」で、主役の一人・ゴジラ役の北見緑陵1年男子生徒は「迫力のある、いい意味で見ている人を裏切るような舞台にしたい」と力を入れる。ゴジラ役に抜擢され、「人間ではないゴジラの気持ちが分からない」と戸惑いやプレッシャーもあった。映画のDVDを見るなど研究し、練習を続けるうちに「感情を吐き出す場面などが楽しい」と思うようになったという。玉葱倶楽部には初参加。「普段会わない中学、高校の人達と一緒に演劇ができて、すごく勉強になります」。演劇の魅力を「言葉だけでは伝わらなくても、動きが加われば相手に伝えることができると感じるところ」と話す。本番を前に「想像の世界。演じる難しさもありますが、見る方たちに楽しんでもらいたい」と目を輝かせる。(菊)(2018年2月16日の記事 経済の伝書鳩)
公演「ゴジラ」で演出担当 演劇集団「玉葱倶楽部」北見北斗高1年女子生徒 / 非現実にリアル感を 中高生29人参加人・ひと・240度 / 「有名なプロの脚本。初めての演出なので難しいですが、楽しんでもらえるように頑張りたい」。北見市内の中学・高校生による演劇集団「玉葱倶楽部」の第10回公演「ゴジラ」(21日、北見芸術文化ホール)で演出を担当する北見北斗高校1年女子生徒は気を引き締める。日本人なら誰もが知っているだろう怪獣「ゴジラ」が登場し、人間との愛情などをコメディ要素も交えて描く。北見北斗、北見緑陵、北見商業、北見柏陽の1年生演劇部員らと北見北中演劇部が参加。年齢や学校が異なる29人が、ひとつの舞台を作り上げる。昨年12月から練す習がスタートし、女子生徒は玉葱倶楽部初参加で、演出を担当することに。「現実からかけ離れている世界を、どうやってナチュラルに、リアルに近づけるか。どうやってお客さんに見せればいいのか」を常に悩み、考えてきた。「笑える部分もあります。ぜひ多くの人に見て、楽しんでほしいです」と来場を呼び掛けている。(菊)(2018年3月13日の記事 経済の伝書鳩)
21日・第10回記念公演「ゴジラ」 北見芸文ホールで プロの脚本に挑戦 / 演劇集団「玉葱倶楽部」 /
北見市内の中学・高校演劇部員らによる演劇集団「玉葱倶楽部」の第10回記念公演「ゴジラ」が21日(水)午後3時から、北見芸術文化ホールで開かれる。「ゴジラ」は東京の劇団が上演した人気の作品。10回目の公演を記念し初めてプロの脚本に挑戦する。入場料は前売りが中高生300円、一般500円(当日各100円増し、小学生以下は保護者同伴で無料)。問い合わせは北見北斗高校(TEL 0157-24-3195)へ。(2018年3月13日の記事 経済の伝書鳩)
第10回記念公演「ゴジラ」 学校の垣根を超えた演劇集団「玉葱倶楽部」 / 観客から拍手 / 北見の中学・高校演劇部員らによる演劇集団「玉葱倶楽部」の第10回記念公演「ゴジラ」が21日、北見芸術文化ホールで行われた。団員達は渾身の演技で満員の観客を舞台の世界に引き込んだ。北見の学生演劇を盛り上げようと学校の枠を越えて結成し、2007年に第1回公演を開催。10回目の今公演は北見北中、高校では北見商業、北見緑陵、北見北斗の演劇部のほか演劇部のない北見柏陽高校から計29人が参加し、昨年12月から練習を重ねてきた。「ゴジラ」は人間とゴジラの愛情を描いた舞台。高校生は1年生のみの参加だが、初めてプロの劇団の90分に及ぶ台本に挑戦した。ライティングでゴジラの大きさを表現するなど工夫し、種族を超えた愛の難しさを地元や時事ネタなどコメディー要素も交えながら上演。練習の成果を出し切った演技に、大きな拍手が送られた。また上演前には、これまでの上演作品を写真で紹介し、10回の歴史を振り返った。(菊)(2018年3月27日の記事 経済の伝書鳩)
ちょっと・いい話(北見) 「玉葱倶楽部」から離れる2人に / サプライズ花束…創設者の教諭も / 北見芸術文化ホールでこのほど開かれた、演劇集団玉葱倶楽部の第10回記念公演「ゴジラ」の終演後、北見北中学校演劇部顧問の教諭と北見北斗高校演劇部顧問の教諭の2人に、生徒達から花束がプレゼントされるサプライズがあった。2人は今年度でそれぞれの学校を離れるため、玉葱倶楽部の活動は今回が最後。キャスト全員がステージに並ぶ中、生徒からそれぞれに花束が手渡された。まったくのサプライズだったようで北見北斗高の教諭は「驚きました」と明かす。北見北中の教諭は3年前から玉葱倶楽部に参加。北見北斗高の教諭は玉葱倶楽部結成の立役者で、第1回公演から生徒達を指導してきた。最後になった今回の公演に北見北斗高の教諭は「すごく長く、難しい台本だったけれど、みんな伸び伸びと楽しくやっていて良かったです」。玉葱倶楽部の活動を振り返り「学校の垣根を越え、みんな仲良くなった。北見市内の演劇部の仲間意識が醸成されたように感じます」と語った。(菊)(2018年3月27日の記事 経済の伝書鳩)
ゴジラ(Godzilla)
ゴジラは、日本の東宝が1954年(昭和29年)に公開した特撮怪獣映画『ゴジラ』に始まる一連のシリーズ作品及び、それらの作品に登場する架空の怪獣の名称である。これら一連のシリーズ作品のことを「ゴジラ映画」と呼ぶこともある。 関連項目 / 伊福部昭 – 「ゴジラのテーマ」の作曲者。彼が担当したゴジラなどの特撮映画のテーマをメドレー風に組み合わせた『SF交響ファンタジー(第1 – 3番、「ゴジラVSキングギドラ」)』という管弦楽曲も作曲している。(ゴジラ – Wikipedia)
美幌駐屯地(JGSDF Camp Bihoro)とは、北海道美幌町に所在し、第6普通科連隊等が駐屯している陸上自衛隊の駐屯地である。 関連項目 / 「ゴジラvsキングギドラ」の劇中に登場している。(美幌駐屯地 – Wikipedia)
関連サイト
北海道バリアフリーマップ 北見芸術文化ホール | 保健福祉部福祉局地域福祉課
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