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第62回 高知県出版文化賞「北海道開拓を支えた高知県人」

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第62回 高知県出版文化賞「北海道開拓を支えた高知県人」

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高知と北見を結ぶ書籍出版 高知県・女性
高知短期大学、高知大学で高知県と北海道移民史を研究していた高知県南国市の女性が「北海道開拓を支えた高知県人~土佐藩の箱館探査から昭和の許可移民まで」と題した書籍を出版した。北見地域を開拓した北光社、前田駒次をはじめ、高知と北見を結ぶ新たな書籍として注目されている。(粟)
「北海道開拓を支えた高知県人」 現地を調査、開拓子孫と交流も
女性は1941年(昭和16年)、高知県香南市生まれ。2008年に67歳で高知短大に入学、高知大学大学院でも昭和初期に高知から根釧原野に移住した許可移民の調査報告をまとめている。新たに発刊された「北海道開拓を支えた高知県人」は「土佐藩と蝦夷地」「明治期に渡道した高知県人」「根釧原野を開拓した高知県人」の3部構成で、北見を開拓した北光社、前田駒次の史実が詳しく記載されている。文書資料の分析と考察にとどまらず、現地調査を行って開拓者の子孫とも交流をしながら、高知県と北海道、開拓時代と現代という“地域と時”を繋いでいる。この書籍は、第62回高知県出版文化賞を受賞。女性は24日に高知県文教会館で表彰される。A4判402ページ、本体3千円。(2018年2月19日の記事 経済の伝書鳩

坂本 直寛(さかもと なおひろ、嘉永6年10月5日(1853年11月5日) – 明治44年(1911年)9月6日)は明治時代の自由民権運動家、キリスト教牧師。土佐藩郷士坂本家五代当主であり、坂本龍馬は叔父に当たる。兄・坂本直は龍馬の養嗣子。 北海道開拓 / 国会議員をしていた武市安哉が石狩平野視察のきっかけに、1893年(明治26年)7月国会議員を辞職して北海道開拓を始める。武市は北海道浦臼で聖園農場と聖園教会の経営を開始したが、1894年(明治27年)武市が急死する。武市が亡くなって1年半後の明治29年(1896年)夏に、坂本は沢本楠弥と一緒に、浦臼内の聖園農場を訪問し、理事員の前田駒次らと会い、北海道北見国常呂郡クンネップ原野(現・北見市)の開拓の協力を要請した。前田は坂本らをクンネップまで案内し現地調査を行う。帰郷した坂本と沢本は北海道開拓を呼び掛ける、その結果北海道開拓のための組織である北光社の設置がきまる。設置発起人として片岡健吉、土居勝郎ら16人が集まり、社長に坂本、副社長に沢本が選出される。明治30年(1897年)春、北海道北見のクンネップ原野に一族を挙げて移住し、北光社農場建設に参加することになった。明治31年(1898年)1月に高知市で北光社の創立総会が開催された。北光社移民団の入植は3年で合計221戸になった。しかし、坂本は第二次移民団が入植する直前の、明治31年(1898年)5月に聖園農場の前田駒次を社長に招聘し、坂本は社長を辞任し、聖園農場の経営をすることを決意し、高知にいた4人の子供を呼び寄せ共に浦臼に転居した。坂本直寛 – Wikipedia

関連サイト

ヌプンケシ145号 | 北見市

ヌプンケシ181号 | 北見市

前田駒次翁像 (北見) =追記あり – 北海道美術ネット別館 – Gooブログ

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