オリンピック カテゴリのアーカイブ

スポーツ推進アドバイザー 藤村祥子(オリンピック選手)

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スポーツ推進アドバイザー 藤村祥子(オリンピック選手)

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美幌のスポーツ盛り上げたい 町出身・ソチ五輪スピードスケート代表 藤村 祥子さん(31) / 4月から町教委のスポーツ推進アドバイザーとして勤務 引退後、故郷の住民とかかわる道に 「大人も体を動かせるような企画を」 / 美幌町出身でソチ冬季五輪スピードスケート女子代表の藤村祥子さん(31)が、4月から美幌町教育委員会のスポーツ推進アドバイザーとして勤務している。「幼児からお年寄りまで美幌のスポーツを盛り上げたい」とモチベーションをみなぎらせている。美幌旭小、美幌中時代に美幌スケート少年団に所属。全国大会に出場するなど頭角を現し、名門・白樺学園高に進んだ。日体大卒業後は帯広に拠点を移し、2013年の日本代表選手選考競技会女子3000メートル、5000メートルで優勝。翌年のソチ冬季五輪に出場し、3000メートル15位、5000メートル10位の成績を残した。「平昌を逃したことで区切りをつけた」と今季で選手を引退。競技に打ち込む日々が終わり「スケート以外のことを学び、視野を広げたい」と、いくつかの選択肢から古里で町民とかかわる道を選んだ。嘱託職員としてスポーツ振興担当に所属。子どもらのスポーツイベントをはじめ、明和大学の体育クラブなど幅広い年代のスポーツにかかわる。「毎日全力。多くの方の支えがあって大会やイベントが成り立つことは分かっていたつもりだが、その立場になってあらためて感謝の気持ちがわいてきた」と話す。かつて所属したスケート少年団の選手指導にも携わる。「応援していただいた恩を返したい。スケートに限らず、スポーツ全般を盛り上げていけたら。美幌は少年団活動は盛んだが、大人も体を動かせるような機会を企画したい」と思いを巡らせる。(浩)(2018年4月27日の記事 経済の伝書鳩

Shoko Fujimura (藤村 祥子 Fujimura Shōko, born 26 April 1987) is a Japanese speed skater. She was born in Hokkaido. She competed at the 2014 Winter Olympics in Sochi, where she placed 15th in the 3000 meters and 10th in the 5000 meters. (Shoko Fujimura – Wikipedia

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藤村 祥子 選手 | 美幌スピードスケート少年団 OB | 美幌スケート協会

スポーツ振興グループ | 美幌町

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北海道美幌町の「特別栄誉賞」表彰授与式について

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北海道美幌町の「特別栄誉賞」表彰授与式について

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平昌五輪出場の3選手に特別栄誉賞 美幌町 町出身で活躍、22日に表彰授与式 / 石田選手は3度目 / 美幌町は、2月の平昌冬季五輪に出場したクロスカントリースキーの石田正子(37)=JR北海道=、バイアスロンの三橋李奈(28)=自衛隊真駒内=、スピードスケートの一戸誠太郎(22)=信州大学=の町出身3選手に特別栄誉賞を贈る。22日(日)に表彰授与式を行う。特別栄誉賞は、町の表彰としては最高賞の位置付け。各分野で輝かしい活躍をし、功績が特に顕著で、美幌町の名を高め、広く町民に敬愛され社会に希望を与えている個人・団体に贈られる。3選手は平昌冬季五輪への出場がこれに該当した。過去には石田選手と、バイアスロンなどで冬季パラリンピックに出場した久保恒造選手が2度ずつ受賞しており、石田選手は3度目の受賞になる。表彰授与式は、美幌町オリンピック・パラリンピック選手後援会が22日午後6時半から美幌グランドホテルで開く3選手の町民報告会の中で行う。報告会の問い合わせは、トレーニングセンター内後援会事務局(TEL 0152-73-4117)へ。(浩)(2018年4月19日の記事 経済の伝書鳩

美幌町 / 美幌町出身の有名人(美幌町 – Wikipedia

表彰(ひょうしょう、commendation)とは、善行・功労・成果などを表に彰にする(公に明らかにする)とともに、被表彰者の功績及び実績に対して褒め称えることをいう。広義の意味では国家が功労者に対して位階、勲等、爵位、勲章、褒章などを授与する栄典も含めるが、社会的には栄典と表彰とは明確に区別されている。主な表彰を授与する主体としては、国及び地方公共団体、企業、公益法人、学会などである。類似語として顕彰、褒彰などがある。また、賞は表彰の1種である。表彰の種類 / 実際に表彰が行われる主な例としては、救助や献血など特定の善行に対する表彰、社会的な活動に対する功労に対する表彰、著作・美術品・詩歌などのうち優秀な作品及び作者への表彰、或いはコンクールやコンテスト、コンペ、オリンピック、パラリンピックその他の大会での入賞などがあり、表彰の方法としては、表彰式(授賞式など)において表彰機関が被表彰者を直接表彰するのではなく、下部機関ないし外部機関に表彰状の授与を代行させる場合、表彰式ではなく伝達式というのが一般的である。(表彰 – Wikipedia

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男子カーリング日本代表 平田洸介選手(北海道北見市の出身)

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男子カーリング日本代表 平田洸介選手(北海道北見市の出身)

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北見市民の応援に感謝 男子カーリング日本代表・平田洸介選手 / 北見市役所表敬、辻市長らに報告 平昌五輪で成果は出せた! / 男子カーリング日本代表・SC軽井沢クラブの一員として平昌冬季オリンピックに出場した、平田洸介選手(25、北見北斗高-北見工大大学院修士課程出身)が8日、北見市役所を訪れ、辻直孝市長らに応援への感謝を述べた。2016パシフィックアジアカーリング選手権から同チームに帯同し、優勝。昨春から正式にメンバーになり、リザーブとして対戦チームの情報収集や分析など戦略面で貢献した。チームコーチの柳等日本カーリング協会強化委員長、北見カーリング協会会長とともに訪問した平田選手は「4勝5敗と、目標とするメダルには届かなかったが、1年間やってきた成果は出せた。ここまで来られたのは北見市のおかげ」と礼を述べ、報告した。辻市長は「これからはあなた自身が大きな力となってもらえるよう、できることはしてあげたい。夢がかなうよう、いい仲間と頑張って。応援しています」とねぎらった。これに応え「ホールの問題とかもあるが、ジュニア世代の育成など僕にできることであれば精一杯つとめたい」と平田選手。今月14日から青森市で開かれる第11回全農日本ミックスダブルスカーリング選手権に急きょ出場することが決まったことも発表、「カーリングをもっと知ってもらえるよう挑戦します」と意気込んだ。(寒)(2018年3月12日の2記事 経済の伝書鳩

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美幌町の星 石田正子選手が帰町

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美幌町の星 石田正子選手が帰町
中国笛子第一人 葉紅旗さんから美幌町の石田正子選手にお祝いメッセージが送られてきましたので掲載します。(美幌音楽人 加藤雅夫)
石田正子さんはバンクーバー冬季オリンピック日本代表選手として世界各国の優秀な選手たちと競争して、いい成績を取られ本当に偉業を成し遂げられましたね。20年前の中日交流で石田正子さんと楽しく交流しました。上美幌小学校での音楽交流は素晴らしい思い出となりました。その後、何年間もお目にかかってはいませんが今は立派な方となりまして、どうもおめでとうございます。「これからもまだ続けて頑張ってください!応援します!」という私の気持ちは加藤雅夫さんを通じて石田正子さんにお伝えします。(台湾から 葉紅旗より

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美幌町出身・石田正子選手が帰町 平昌五輪3種目で健闘
「感動ありがとう」町職員ら歓迎
平昌冬季五輪のノルディックスキー距離3種目に出場した美幌町出身の石田正子選手(37)=JR北海道=が帰町。1日に役場を訪れ、土谷耕治町長らに成績を報告した。石田選手は4度目の五輪となる平昌で距離複合15キロ(スキーアスロン)で14位、10キロフリーで18位。得意の30キロクラシカルでは終盤に追い上げる力走を見せ、10位で入賞は逃したがトップテン入りを果たした。1日は、大勢の町職員が拍手で出迎える中、役場を訪問。土谷町長が「ごくろうさま。日本の第一人者としてますます活躍を」とねぎらいと激励の言葉をかけた。石田選手は「3種目とも20位以内に入ることができて、良い成績を残せた」と報告し、町民から受けた応援に感謝。30キロクラシカルについては「最初からもっとペースを上げていれば、さらに上位に入れたかもしれない」と述べた。3日にはノルウェー・オスロ、スウェーデン・ファールンで開かれるワールドカップに向けて出発する。「次の五輪を目指すかどうかは今季が終わってから考えたい」と話した。(浩)(2018年3月3日の記事 経済の伝書鳩

石田 正子(いしだ まさこ Masako Ishida, 1980年11月5日 – )は、日本のクロスカントリースキー選手。日本大学文理学部体育学科卒業。現所属はJR北海道。日本人選手で初めてワールドカップ長距離種目(30kmクラシカル)3位入賞をしている。美幌町「栄誉賞」受賞。 経歴 / 北海道網走郡美幌町出身、札幌市在住。旭川大学高校では高校総体、高校選抜、ジュニアオリンピック、国体で優勝している。日本大学進学後は2001年3月にクロスカントリースキー・ワールドカップに初出場。インカレでも3連覇を達成[2]。大学卒業後はJR北海道[1](2011年3月まではJR北海道グループの札新開発に勤務し、JR北海道スキー部所属、2011年4月以降はJR北海道とのユニフォームスポンサー契約)。2017年2月4日、平昌(韓国)で開催されたW杯距離複合において3位に入り、自身8シーズンぶり2度目の表彰台を獲得。複合での表彰台獲得は日本勢初である。 主な成績 / 冬季オリンピック / 2018年平昌オリンピック(大韓民国の旗 韓国) 、10kmフリー(18位)、15kmスキーアスロン(14位)、30kmクラシカル(10位)。(石田正子 – Wikipedia

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LS北見(ロコ・ソラーレ)物語

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LS北見(ロコ・ソラーレ)物語

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連載 LS物語 (1) 北見から五輪へ… 「ロコ」らしいカーリングを / 女子カーリング日本代表チーム・LS北見がいよいよ、平昌冬季オリンピックの大舞台に臨む。選手全員が北見で育ち、市民や企業などオール北見の応援を受けて五輪切符を勝ち取った。選手は「ここまできたら自分達のカーリングをやるだけ」と口を揃え、市民は「ロコらしく」と我が子を送り出すようにドキドキ見守っている。
オール北見の後押しで平昌五輪代表に 強さに弱さ…応援したくなる選手達
公式戦の出場規定で地域名などを入れなければならないことから、公式大会に出場するときのチーム名は「LS北見」としているが、地元北見では常呂カーリング倶楽部(北見カーリング協会)の登録名「ロコ・ソラーレ」という名が馴染み深い。市民は親しみを込めて「ロコ」と呼んでいる。 平成22年にチームを結成する際、本橋麻里選手(31)が太陽を意味するイタリア語にトコロをかけて名付けた。一方、藤澤五月選手(26)がジュニアのころに活動していたチーム名はステイゴールドII。「いつまでも輝いて」という見た目の意味のほか「常に笑いを」「太陽のように光輝く心を」と内面の美しさの意味もあるそう。太陽とゴールド(金)という不思議な縁を思わせる。 ただ、陽気で明るいばかりではない。 チームの先陣を切って投球する、リードオフウーマンの吉田夕梨花選手(24)は、持ち前の明るさの陰に昨年9月、日本代表チーム代表決定戦の前には涙も見せていた。さらには、大会に勝ち、涙ぐむ本橋選手の姿を見かけた、吉田知那美選手(26)はチームキャプテンに対し「泣くのはまだ早いよ」と、平昌までとっておこうと気丈だった。そんな知那美選手は、北見市の壮行会で言葉を詰まらせ大粒の涙をポロリ。藤澤五月選手(同)や鈴木夕湖選手(同)も敗北や挫折を味わった。 大なり小なり、みんな悔しい経験をし、今がある。元気で強いばかりではなく、そんな弱さも持ち合わせる選手達だからこそ、市民も応援したくなる。メダルや勝ち負けの前にまず、「ロコらしく」が市民達の願いだ。連載します。次回はメンバーの妹分、吉田夕梨花選手はチームで一番しっかりしているかも、という話。(寒)(2018年2月3日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (2) 北見から五輪へ… / 吉田 夕梨花選手 光る才能、中1で日本選手権へ チーム常呂中で平成19年の道選手権優勝 / 今から12年前、平成18年3月1日付の「経済の伝書鳩」に「ここから未来の五輪選手が-」という書き出しの小さな記事がある。旧常呂町内の小学生のカーリング大会を取材した記事で、6年生の女子チームが男子チームも加わるなか、みごと優勝した-と伝えている。 旧常呂町の小学4~6年生を対象に開催したジュニアカーリング教室の参加者50人が受講後13チームを結成し、ジュニアリーグを繰り広げた。その結果、常呂小6年の吉田夕梨花さんがスキップを務めるチーム「DEKOBOKO」(デコボコ)が優勝した。 一方、トーナメント戦の常呂カーリング協会長杯では男子チーム・アイスファイターズに敗れ、準優勝。かつてのカーリングホールの狭いロビーで行われた表彰式で、吉田(夕)選手は悔しそうな表情だったと記憶している。表彰式で当時の同協会の会長は「決勝は接戦のいい試合でした。ぜひオリンピックをめざしてもらいたい」とエールを送った-と記事は結んでいる。 2人の姉と選手でカーリング指導者の母にくっついて、幼いころからカーリングホールに通ってきた吉田(夕)選手。中学生になると、当時の日本記録を塗り替える。 常呂中1年になった吉田(夕)選手は姉ら同中3年生のチームROBINS(ロビンズ)に呼ばれる。前年の日本選手権予選でチーム青森を破り銅メダルに輝いた、公式戦名チーム常呂中学校のメンバー達。この新・チーム常呂中学校で平成19年の北海道選手権を優勝し、吉田(夕)選手は日本選手権最年少出場を果たす。あどけない中学1年の吉田(夕)選手は、日本選手権に向けて「勝ち負けは別に、いい試合をしたい」。本紙の取材にしっかりと答えている。(2018年2月6日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (3) 北見から五輪へ / 吉田 夕梨花選手 世界一のウィック技術で勝負 小野寺コーチも太鼓判 / 吉田夕梨花選手が中1で出場した平成19年の日本選手権。吉田知那美選手と鈴木夕湖選手、小野寺佳歩選手ら北見常呂中の3年生と臨み、前年に続き“常呂中”旋風を巻き起こす。しかし1日3試合もあるハードスケジュールに中学生の選手達は最後は力尽き、2大会連続3位だった。 ジュニア選手の育成に心を注ぎ、同チームのコーチだった小野寺亮二さんは「精神的にも肉体的にもタフな試合が続いた」、同じく吉田富美江コーチは「最後は経験の差が出た」と振り返っている。同19年2月27日付の「経済の伝書鳩」では、さわやか4人に会場から盛大な拍手が送られた -と報じている。 吉田(夕)選手が高校生の時にロコ・ソラーレが結成され、創立メンバーになる。強かったが突き抜ける勢いは足りず道銀や中部電力の前に後塵を拝す。 結果が出ず、大学卒業後の進路を悩んだ吉田(夕)選手。ニートも覚悟したときに就職を勧めてくれたのが現在の勤務先、医療法人美久会の國分純理事長。ロコ・ソラーレ創立当初からの一番の理解者の一人。「けっして表だって目立とうとはしない」(本橋選手談)隠れた応援団長だ。 競技に集中できるようになった吉田(夕)選手はチームの世界選手権2位に貢献する。「リードというポジションを究めたい」「まだまだやるべきことはある」と前向きに考えられるようになった。 ルールで、相手リードのストーンを弾き出すのはNG。しかしずらすのはOKだ。吉田(夕)選手は、敵リードが狙い定めて配置したストーンをちょっとだけずらす「ウィック」という技術を得意とする。非常に高度な技術で小野寺コーチも「夕梨花のウィックは世界一」と太鼓判を押す。(2018年2月8日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (4) 北見から五輪へ / 吉田 夕梨花選手 世界一のリード誕生への原点 一人黙々とドローの練習 / 平成26年のソチ冬季オリンピックに北海道銀行チームの姉・吉田知那美選手(26)が初出場を果たす。これを前にLS北見は日本選手権に同23年から出場し2位、翌年4位、翌々年3位と代表権を逃した。吉田夕梨花選手(24)は当時、周りからよく「お姉ちゃんはすごいね」と声を掛けられたそう。吉田(知)選手は「妹は言葉にこそ出さないけれど、悔しい思いはあったはず」と思いやる。4年前のことを思うと、今も二人の目は潤む。 LS北見はその後の日本選手権で3位、2位、そして平成28年に初優勝。タレント性のある本橋麻里選手(31)をはじめ吉田(知)選手、藤澤五月選手(26)の加入が注目されるなか、吉田(夕)選手と鈴木夕湖選手(26)の成長も見逃せない。「姉とは性格が真逆。私はこつこつやるほうが合っている」と吉田(夕)選手は語る。選手達のベースとなっている、常呂カーリング倶楽部のリーグ戦は夜間に行われる。今から10年ほど前、中学生だった吉田(夕)選手は姉や母の試合が終わるのを待ち、ホールの隅っこの空きシートで一人黙々と、ドローショット(狙いを定めて止める投球)の練習をしていたのを本紙はよく覚えている。頑張り屋さんで、本当にカーリングが好きなんだな-と本紙は見ていた。今から思えば、あのシーンこそ、世界一のリード誕生への道すじだったのかもしれない。(2018年2月10日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (5) 北見から五輪へ / 鈴木 夕湖選手 パワフルなセカンドのスペシャリスト トレーニング重ね筋量大幅増 / 近年のカーリング競技はよく「フロントが大事」と言われる。チーム4人のうち最後に投げるスキップが注目されがちだが、作戦を立てる上では前半に投げるリードそしてセカンドの役割が重要ということだ。この2人の出来がゲームを左右する、と言っても過言ではないとされる。なかでもセカンドの“仕事”は多岐にわたる。LS北見の鈴木夕湖選手(26)はセカンドのスペシャリストだ。投じられたストーンの滑りを伸ばしたり、曲げたりするスイーピングを、リードの吉田夕梨花選手(24)とともに自在に操る。身長1メートル52センチと1メートル46センチの小柄なコンビ。一昨年の世界選手権では、2人のみごとなスイーピングがカーリングをよく知る地元カナダの観客を驚かせた。「小柄な日本人選手が頑張っている、と最後はアイドル的に観客席から応援された」と世界2位の裏話を小野寺亮二コーチは教えてくれた。その体力の根拠となっているのが、チームのチーフトレーナー・大森達也さんが代表を務める北見市内のスポーツクラブ・フィジットコンディショニングでのトレーニング。最新の機器を備え、理論に裏打ちされたメニューに取り組んだ5人はいずれも筋量が大幅アップ。「タフな国際試合でも、海外勢に力負けしない体力がついた」と大森トレーナーは胸を張る。鈴木選手はさらにオフの間、勤務先のある立地環境を生かし、時間を見つけては東陵運動公園内を一人で走っていた。(寒)(2018年2月12日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (6) 北見から五輪へ / 鈴木 夕湖選手 光る天性のウェート判断力 「アイスの読み」にも力
選手が投じたストーンの滑りの速さが、強いのか弱いのかを表すのに「ウェート」と呼ばれる用語が使われる。スイープ役の選手はウェートを捉え、どこまでストーンが行きそうかをスキップに伝える。指令役はスイープをするのか、しないのか「イエス」「オー」「クリーン」などと声を出す。ウェートの判断にはストップウォッチを駆使するほか、一番近くでストーンの動きを追うスイーパーの目視が大きな役割を果たす。鈴木夕湖選手(26)は、このウェートの判断がずば抜けている。小野寺亮二コーチは「中学生のころからみているが、夕湖のウェート判断は素晴らしい。子どものころからすごかった。天性のものがある」と一目置く。本人は意識したことはないとしながらも、経験からくるイメージを大切にしているという。鈴木選手はここ1、2年、「アイスの読み」にも力を入れてきた。滑りがよかったり、重かったり、複雑な氷の状態をつかむことは勝敗を決める最大の要素ともいえる。鈴木選手はアイスを読むのは苦手だったという。常呂中から旭川工業高等専門学校に進み、さらに北見工業大学で化学を研究した鈴木選手。根っからのリケジョ(理系女子)が最近、本気でアイスを読み始めた。昨年「少しずつアイスがわかるようになってきた」と話す。同時にチームの成績も安定。理論を武器につけた才媛セカンドカーラーが実に頼もしい。ほかのメンバーが血液型A型なのに対し、鈴木選手一人だけO型。本橋麻里選手(31)がめざすところの多様な個性の集まりに貴重な存在だ。やることが多いセカンドは、ときに押しつぶれそうになるかもしれないが、そんなときは本橋キャプテンが控えているから心強い。(寒)(2018年2月13日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (7) 北見から五輪へ / 吉田姉妹 気質違えど心強い味方 破天荒な姉と努力家の妹 弱音吐いたり励まし合ったり / 妹の吉田夕梨花選手(24)は自分の性格を「こつこつと少しずつがんばるのが好きで、リードっぽいなと思う。目立たないけれど、裏でチームを支えるポジションは自分に合っている」と、しっかりと見つめる。一方で姉・吉田知那美選手(26)については「性格が真逆」ときっぱり。ひと言で言うと「破天荒(はてんこう)。表現するのがうまいし、私が持っていないものを持っている。ただ、アイスを上がると注意散漫」だそう。遠征の宿泊先では同室になることが多い。子どものころはきょうだいゲンカもしたが、今はもうない。部屋ではカーリングのことはもちろん、おいしいものやくだらないことなど世間話がほとんど。恋話は「ほぼない」。姉妹でオリンピックに出場できることについて、妹の夕梨花選手は「二人でオリンピックの舞台に立てることになって、すごく親がうれしいだろうなと思う。こんなに心強い味方(姉)がそばにいることは、自分にとってはすごいアドバンテージです」。姉の知那美選手は「4年前、妹はオリンピックに出られなかったことが、どんなに悔しかったことか。チームでは選手同士だけれど一歩氷から離れると姉妹ですし、ちょっと弱音を吐いたり、もっと頑張ろうねと励まし合ったり、普通の一人の人間として居られる時間というのは、私にとってすごく精神的な支えになります。一緒に出られるという機会はめったにないから、両親に恩返しがしたいです」。(2018年2月17日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (8) 北見から五輪へ / 吉田 知那美選手 小学3年、初対戦が藤澤チーム 中学2年、日本選手権予選でトリノ五輪代表チームに勝利 / 吉田知那美選手(26)がカーリングを始めたのが小学2年生のとき。当時の常呂町カーリングホールのジュニア教室に通ったが、指導者の男性は「1年間、ストーンを持たせてくれなかった」と振り返る。今から20年近く前のことだ。男性とは昭和50年代、常呂にカーリングを導入したカーリング協会初代会長のこと。吉田知選手は「1シーズン掛けて、徹底して基礎を教わった」。翌シーズン。小3のとき、初めての対戦相手として、男性が連れてきたのが、北見市花月町の河西建設カーリングホールで練習していた藤澤五月選手(26)のチーム。両親の指導の下、兄姉らと幼いころからカーリングに親しんでいた藤澤一家の五月さんらだ。同級生とチームを組んで対戦した吉田知選手は「五月ちゃんはすごかった。まったくだめでした」と初試合に臨んだ感想。ただその後まもなく、吉田知選手らは低学年にもかかわらず地元のローカル大会「ホタテちゃんシールジュニアカーリング選手権」で活躍し、早くも頭角を現す。中学2年の時に出場した日本カーリング選手権予選リーグで、吉田知選手、鈴木夕湖選手らの常呂中学校(ロビンズ)は、トリノ冬季オリンピック代表のチーム青森を破った。この時点ではまだ注目されてなかったが、決勝トーナメントで再びチーム青森と当たると常呂の先輩の旧姓小野寺歩選手、林弓枝選手らを本気にさせた。試合の中盤「ハウスに一つもストーンがない状態で、タイムアウト(1試合に1回だけ)を要求してきた」と当時も常呂中学校チームをコーチしていた小野寺亮二さん。「こんな経験ない。どうしたらよいか分からなかった」と吉田知選手。そして「歩ちゃん(小野寺歩選手)達、怖かった」と中2の選手達は語った。(寒)(2018年2月19日の記事経済の伝書鳩

連載 LS物語 (9) 北見から五輪へ / 常呂カーリングの父 故・小栗 祐治さん 常呂カーリング協会初代会長、多くの選手育てたレジェ ンド 正念場迎える“俺の子ども達” / 吉田知那美選手、鈴木夕湖選手らが中2で日本選手権3位になり、銅メダルを下げて常呂に帰って来たとき、真っ先に駆け付けた町民が小栗祐治さんだった。「この子たちはもっと上にいく」と、オリンピックも視野に語った。常呂カーリング協会の初代会長で本橋麻里選手や吉田知選手ら多くの選手を育てたレジェンド指導者。LS北見が一昨年の世界選手権に出場した際にも、熱心にカーリングホールを訪れ、パブリックビューイングに参加し、声援を送っていた。その目は平昌のさらにその先を見つめ、きらきらと煌めいていた。「一緒に日本(札幌)での冬季オリンピックに行く」。選手を『俺の子ども達』と呼び、いくつになっても壮大な夢を語っていた。そんな小栗さんは平昌での選手達の晴れ舞台を見ることなく昨春、88歳で亡くなった。選手達はその後9月の決定戦で代表権をつかむ。表彰式の後、吉田知選手に、もし小栗さんがいたならと聞くと「小栗さんはもうとっくに天国で酒盛りしてると思う」と師匠への恩を、親しみと最大限の尊敬を込め語っていた。天国で再び、祝杯を上げられるか。厳しくも優しい目で今も見守られる“俺の子ども達”が正念場を迎えている。(寒)(2018年2月22日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (10) 北見から五輪へ / 今夜、銅メダル懸けた大一番 イギリスとの3位決定戦 市民も地元から声援送り、深まる絆で強敵に挑む / カーリング日本女子代表LS北見は23日、平昌冬季オリンピック準決勝を韓国と戦い、延長の末7-8で負けた。同種目日本初のメダルを懸け24日午後8時5分から、イギリスとの3位決定戦に臨む。北見市立体育センターでは約200人、アドヴィックス常呂カーリングホールでは約100人がスクリーンやテレビ画面に向かって声援を送った。選手とコーチで過去2回、オリンピックに出場した近江谷好幸さん(59)は「オリンピックの雰囲気はまったく違う。すぐ近くにいても声が聞こえない。イギリスのスキップはジュニアのときから活躍していた。強敵だががんばってほしい」とねぎらい、元チームメンバーの江田茜さん(28)は「絆が深まっている。コミュニケーション力も上がっているので大丈夫」と応援する。
【予選結果】
▽日本10-5アメリカ
▽日本8-5デンマーク
▽日本7-5韓国
▽日本6-7中国
▽日本10-5OAR
▽日本3-8カナダ
▽日本5-4スウェーデン
▽日本6-8イギリス
▽日本8-4スイス
【予選順位】
(1)韓国8-1
(2)スウェーデン7-2
(3)イギリス6-3
(4)日本5-4
(5)中国4-5
(6)カナダ4-5
(7)スイス4-5
(8)アメリカ4-5
(9)OAR2-7
(10)デンマーク1-8
【準決勝】
韓国
30102001001=8
02010100210=7
日本
【3位決定戦のパブリックビューイング、テレビ応援観戦】
▽24日(土)午後8時5分~北見市立体育センター、アドヴィックス常呂カーリングホール ※開場は30分前。(2018年2月24日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (11) 北見から五輪へ / 長野から20年、つかんだ表彰台 先輩五輪選手達が後押し / 最後の最後にようやくLSらしい笑顔が-。今大会前、LS北見の吉田知那美選手(26)は前回のソチ大会では「楽しむことを忘れていた」と語っていた。3位決定戦を前にLS北見創立メンバーの馬渕恵さん(31)は「最後は自分達らしい、楽しいカーリングをやってほしい。それだけ」。選手が練習拠点とするアドヴィックス常呂カーリングホールには過去のオリンピック出場選手達の写真がパネル紹介されている。その選手達も、オリンピックを楽しんできてほしいと願っていたはず。最終日。準決勝までとはまったく違う、いつもの表情の選手達に戻っていた。20年間たたかってきた過去の五輪選手達の思いが、気持ちをそっと切り替えてくれたようだ。冬季五輪カーリング競技に出場した旧常呂町と北見市出身の選手は次の通り(敬称略)。
【1998長野】
◇男子 ▽選抜チーム=5位(予選3勝5敗)敦賀信人、近江谷好幸、佐藤浩
◇女子 ▽選抜チーム=5位(2-5)加藤章子、三村容子、丹羽明美
【2002ソルトレイクシティー】
◇女子 ▽シムソンズ=8位(2-7)加藤章子、林弓枝、小野寺歩、小仲美香、近江谷好幸コーチ
【2006トリノ】
◇女子 ▽チーム青森=7位(4-5)小野寺歩、林弓枝、本橋麻里、阿部晋也コーチ
【2010バンクーバー】
◇女子 ▽チーム青森=8位(3-6)本橋麻里、近江谷杏菜、阿部晋也コーチ
【2014ソチ】
◇女子 ▽北海道銀行=5位(4-5)小笠原歩、船山弓枝、小野寺佳歩、吉田知那美。 (寒)(2018年2月26日の記事 経済の伝書鳩

常呂でジュニアカーリング 将来の五輪選手がここから 小学生伝統の登竜門30回目 / LS北見がオリンピック最終戦に臨んだ24日、練習拠点としている地元のアドヴィックス常呂カーリングホールで恒例の常呂自治区ジュニアカーリング選手権が開かれた。数々のオリンピック選手が通った登竜門。30回の節目の今回、将来オリンピックをめざす小学生9チームが出場した。ところ子ども会育成連絡協議会、常呂カーリング倶楽部、北見市教委常呂教育事務所の共催。1998長野冬季オリンピック出場の白畑(旧姓三村)容子さんら常呂カーリング倶楽部の会員達が講師を務め、昨年11月から行ってきたジュニアカーリング教室の集大成。選手達は作戦を考え、声を掛け合ってスウィーピングしていた。表彰式では同倶楽部の会長が「教えられたマナーもきちんとできていた。ぜひオリンピックをめざして」とあいさつ。後援の常呂ライオンズクラブの会長からメダルが贈られた。教室のリーグ戦も全勝だった常呂小6年生の男子チーム「アイスライン」が優勝。スキップの男子児童は「今の目標は先輩達の『ドラゴン』です」と倶楽部リーグ戦で活躍する中学生チームを挙げた。一方、準優勝の同小6年女子チーム「クラウンクラウン」は「決勝で負けて悔しい」。女子児童ら選手は「目標はロコ・ソラーレに勝つこと…いつかは」と元気よく語った。(寒)(2018年2月27日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (12) 北見から五輪へ / チーム藤澤、小中高生大活躍 2004全道選手権アーカイブ 五月選手のステイゴールドIIは4位 / 今から14年前、2004年2月17日付けの「経済の伝書鳩」に、当時小学生だった藤澤五月選手らが北海道カーリング選手権で活躍した記事が載っていました。再掲載します。北見の小中学生、高校生がカーリングの全道選手権大会で一般に交じって大活躍した。第23回北海道カーリング選手権大会(12~15日、常呂町カーリングホール)には道内各地区予選を突破した男子24、女子8チームが出場。このうち北見カーリング協会(当時)所属の男子北見ファイターズは3位に入り、みごと銅メダル。日本選手権の出場権を獲得した。また女子のステイゴールドIIは惜しくも4位で大舞台は逃したが、会場で一番元気のよいプレーが好感を呼んだ。両チームは、カーリングの普及に努める北見市内の夫妻が家族ぐるみで楽しみながら「カーリングの楽しさが広がれば」と選手育成を目的に率いている。選手メンバーは北見ファイターズが長男の北見北中3年男子生徒をはじめ北見北中3年男子生徒、北見緑陵高1年男子生徒、北見美山小6年男子児童。ステイゴールドIIが北見北中2年女子生徒・藤澤五月さん(北見美山小6年)姉妹と北見東陵中2年女子生徒、北見相内中1年女子生徒。ともに初出場の今大会で、大人に交じって互角以上の力を発揮した。うれしい日本選手権進出に、ファイターズの男子選手達は「たくさんいい試合をしたい」と抱負。一方、延長戦の末、あと一歩で4位となったステイゴールドIIの女子選手達は「悔しい。一緒に全日本に行きたかった」と残念そう。でも最後は「強い相手にここまで来られたんだから」と、この経験をバネに再び頑張ることを誓った。(寒)(2018年2月28日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (13) 北見から五輪へ / 藤澤五月選手と吉田知那美選手の不思議な縁 カーリングが二人を引き合わせ ライバルとしてともに歩み 同じチームでやることになるとは / 藤澤五月選手(26)と吉田知那美選手(同)は同じ年代だが、もともと旧北見市と旧常呂町で育ち、学校も違えば、カーリング練習の拠点も違った。ジュニアのころはライバルだった二人。でも不思議な縁に導かれてきた。常呂の吉田知選手が小学生のとき、初めてカーリングの試合をした相手が北見の藤澤さんチームだった。藤澤さん家族はカーリング一家として知られ「五月さんの兄と姉も強かった」(吉田知選手)。当時も今も、北見市内にはカーリングホールが2カ所ある。北見市花月町の河西建設カーリングホールと常呂町カーリングホール。かつては協会も分かれ、北見協会からもオリンピック選手は出ていたが、常呂のほうが圧倒的に多く、北見の会員にとって練習会場も大きな常呂は、せん望の的。常呂町民は自分達の『常呂』を大いに誇りにしていた。そんな環境の中でも北見の藤澤五月選手はジュニアの大会では、常呂はおろか全道、全日本を圧倒。あまりの強さに、常呂の関係者の中にはライバル心を超えた感情を覚える人もいたようだ。そんなことは関係なく、藤澤選手と吉田知選手は当時「お手紙交換」をしていた。すると、教員の藤澤選手の父は吉田知選手が中学2、3年の時、赴任先の常呂中学校で偶然、担任になる。藤澤選手が同年代の日本一を競う日本ジュニアの路線を進み、吉田知選手はおとなも含めた全年齢対象の日本選手権の路線を歩む。「あのころは、こうして同じチームでやることは考えてもいなかった」 <つづく>(寒)(2018年3月6日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (14) 北見から五輪へ / 藤澤五月選手、小学生で本場カナダのカーリング観戦 最強スキップに衝撃、永遠の目標に 世界めざし中学生で頭角 高校生…ついに憧れの地でプレー / 父母から指導を受け、兄・姉を含めカーリングに親しむ藤澤五月さん家族。今から約16年前、五月さんが小学生のとき、家族旅行でアメリカ合衆国のディズニーランドに行く予定だったが、9・11同時多発テロの直後で治安を心配し、カナダへと行き先を変更した。本場カナダのカーリングを観戦することにした。そこでプレーしていたのがジェニファー・ジョーンズさん。現在ではカナダ選手権を5回優勝する最強スキップだ。レジェンドのプレーを直かにし、いつかは本場カナダで試合をしたい-。今でも、憧れと目標に彼女の名を挙げるほどの衝撃を受けた。以来「カナダ」を目標にカーリングに励んできた。このころが世界をめざす一つのターニングポイントだったのかもしれない。小学5年で姉や友人らでカーリングチーム「ステイゴールドII」を結成。中学生になると、チームでは最年少ながらも藤澤選手はスキップを務め、管内、全道のジュニア大会で活躍。当時を知る人は「強かったですよ。常呂勢もかなわなかった」という。高校生になると、日本ジュニアを連覇。世界ジュニアに2年連続出場する。2008年はスウェーデン・エステルスンド、そして2009年はカナダ・バンクーバーでの開催。ついに憧れだったカナダでのプレーを実現させる。それも世代の最高峰を決める大会だ。そこに2007年から連続出場していたのが、イギリスジュニアチーム代表スキップのイブ・ミュアヘッドさんだった。<つづく>(寒)(2018年3月10日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (15) 北見から五輪へ… 英国代表スキップ・ミュアヘッド選手と再戦 / 藤澤 五月選手 10年前、世界ジュニア選手権で2度対戦、当時から強く メダル懸けたラストショット、強さ知る故の驚き / イギリスは2007年から2009年まで世界ジュニアカーリング選手権を3連覇。イブ・ミュアヘッド選手(28)は2007年から出場し、2008年と2009年にはスキップを務めジュニア世界1位に貢献した。2010バンクーバー五輪はイギリスチームのスキップを任され、2014ソチ五輪は銅メダルを獲得している。藤澤五月選手(26)とミュアヘッド選手は10代のころ、2008年と2009年の世界ジュニア選手権で2度、顔を合わせている。当時からミュアヘッド選手はたいへん強かったそう。2人は、2018平昌五輪で再会。互いにスキップ同士で予選リーグはイギリスが8-6で日本を下す。そして、3位決定戦で再び相まみれる。結果は最終第10エンドの藤澤、ミュアヘッド両スキップの最後の投球までもつれ込み、テレビで何度も放映されるシーンとなる。相手のミスを喜ばないのがカーリング精神。イギリスチームの最後の投球が終わって一瞬置いて、両チームは握手。その後に日本チームの選手同士が喜びのハグをするが、そこでもまだ信じられない表情だったのが藤澤選手。「何が起きたのか一瞬わからなかった」という。あきらめてはいなかったが、ミュアヘッド選手の強さを知っているがゆえの表情。日本カーリング史上初となる五輪メダル獲得の瞬間だった。(寒)(2018年3月13日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (16) 北見から五輪へ / 藤澤 五月選手 かつてのチームメート「涙が出ました」 藤澤選手とステイゴールドIIで7年間活動 世界の壁感じた当時より大きく成長 / 藤澤五月選手のジュニア時代のチーム名は「ステイゴールドII」。父親が自分のチームに付けていたステイゴールドという名前を譲り受けた。輝き続けるなどといった意味があり、藤澤選手は当時、「一番上の輝きを」という意味を含めて、チームの目標にしていた。オリンピックではさらに、「ステイポジティブ」というチームテーマを加え、常に前向きにと最後まであきらめずに戦い続けている。ジュニアの当時のチームメートの女性は小学6年から高校卒業まで7年間、ステイゴールドIIで活動した。現在は看護師として北見市内で働くとともに、練習拠点だった北見市花月町の河西建設カーリングホールで今も、リーグ戦に出場するほか、カーリングの指導や大会参加にかかわっている。藤澤選手の活躍について「本当に感動しています。予選から涙が出ました。ステイゴールドIIのメンバーとも喜び合いました」と感激の様子を語る。「私達が世界大会に出ていたのは10年ほど前で、あのときは世界の壁を感じました。そのとき出ていた海外選手が今回のオリンピックにもけっこう出ていて、五月もその選手達と肩を並べて堂々と戦っていて、笑顔で大会を楽しんでいるようで、本当にすごいです。記者会見など何回見ても、うるうるします。笑顔溢れるチームだけど、どれだけ努力をしてあそこに立っていたのか。本当にメダルという形になって、笑顔が見られて嬉しいです。今回こんなにカーリングが取り上げられ応援されたのは、ロコ・ソラーレというチームの魅力があったから。これからの進化もとても楽しみです」と喜びを語っている。(寒)(2018年3月16日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (16) 北見から五輪へ / 大森チーフトレーナー 選手達の体力、心配なかった / プロや五輪選手の治療に携わり 体質転換に筋トレも指導 / 1試合約3時間ときには1日2試合、深夜に及ぶこともあるオリンピック日程だが、LS北見チーフトレーナーの大森達也氏(44)=(株)PHYSIT代表は「選手達の体力は心配なかった」と語る。この数年を掛けて選手達の体質を替え、昨夏にはびっしりと筋トレを積むことができた。「昨年9月の代表決定戦の際にすでに体はできていた。あとはケアを含めコンディショニングだけだった」と事前準備の成果を語る。身長150センチ前後のスイーパーに世界は驚く。スポーツ医学を学び、理学療法士の免許を取得して札幌の整形外科病院でプロやオリンピック選手の治療に携わる。北海道コンサドーレ札幌や全日本女子スキージャンプのトレーナーを経験し、ふるさと北見市に戻って病院に勤務した。その後、ロコ・ソラーレ(LS北見)の本橋麻里選手から「トレーニングの仕方を教えてほしい」と声を掛けられた。選手達はそれまで独学でトレーニングしていた。当時からスイーツをもぐもぐしていた選手達に栄養面を含め指導することに。オフの間に、陸上競技場でダッシュを繰り返すなど、大森氏の立てたメニューに取り組んだ。「昨年2月の日本選手権に負けた結果、約3カ月の練習メニューが確保できた」と逆境をプラスに変えた。(寒)(2018年3月19日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (18) 北見から五輪へ, 小野寺亮二コーチ / 農ところによって銅メダル 親の代から畑作三品栽培 本業あってこそのカーリング / 農業や漁業者が多い旧常呂町にあって、冬の健康維持やまちおこしの目的で導入されたカーリング。それからまもなく旧端野町や旧北見市でも競技を始める人達があらわれ、以来三十数年にして、ひとつの花が咲いた。小野寺亮二コーチ(57)は屋外にリンクを造って競技していた当時から携わる。北見市常呂町岐阜に畑約30ヘクタールを作付けする農家。じゃがいも、小麦、ビートの畑作三品を親の代から栽培する。日本カーリング選手権は2月に開かれることが多いが、かつて3月に行われたことがあった。3月になると農家は育苗ハウスの作業、漁師はホタテ漁の準備などと忙しくなる。日本選手権を切り上げ、家業のために常呂へと帰る選手もいた。小野寺さんも近所の農家と共同作業で春の準備をする。かつてはカーリング仲間がまちから手伝いに来てくれたこともあった。今年は2月のオリンピック後は一段落。長男が家業を継いでくれて安心だ。3月上旬に、は種したビートもすくすくと伸びている。本業があってのカーリングは今も変わらない。(寒)(2018年3月20日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (19) 北見から五輪へ… / 小野寺コーチ 裏方として金メダル級の働き 五輪出場には実力と運が必要 選手達に気負わせず“ロコらしさ”キープ / ワールドツアーや世界選手権とは違い、オリンピックのコーチは日本カーリング協会が決めたコーチが就く。日本代表女子ナショナルチームのコーチを務めたのはカナダ人のJ・D・リンド氏(33)。ロコ・ソラーレの小野寺亮二コーチ(57)は「私は裏方で十分です」と語る。しかし小野寺コーチがいなければ、ここまでの活躍はあり得なかった。選手達にはメダルが贈られるが、コーチやトレーナーなどスタッフには授与されない。小野寺コーチの働きは、裏方として金メダルに値すると言えそうだ。一番の功績は、選手達を気負わせなかったことだろう。ロコ・ソラーレのメンバーに「俺を世界選手権に連れて行ってくれ」とは言った、と小野寺氏。「オリンピックは実力とともに運もなければ出場できない」というのが持論。文字通り、代表決定戦を通じて幸運をつかんだのだから「あとは選手達のやりたいようにやらせるだけ」。オリンピック序盤の入り方も「気持ちがのびのびして、ふだんと同じロコらしさで安心した」という。大会前は「このチームは、全敗か全勝だと思っていた」。(寒)(2018年3月21日の記事 経済の伝書鳩

LS北見凱旋パレード おめでとう!ありがとう!みんなで掴んだメダルだよね~! / 市内外の1万2千人が祝福 報告会で市特別栄誉賞「今後とも愛されるよう頑張ります」 / 平昌冬季オリンピック女子カーリングで銅メダルを獲得した日本代表、LS北見(ロコ・ソラーレ)の凱旋パレードが21日、北見市中心部の商店街で行われた。感動を分かち合おうと市内外から約1万2千人が沿道に並び、大きな歓声に包まれた。太陽の子ども達というチーム名にふさわしく、選手達を祝福するかのように晴れ渡ったこの日。出発の午後零時半には沿道は身動きがとれないほど。全員が北見市の本橋麻里、吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、藤澤五月の各選手と小野寺亮二監督、大森達也チーフトレーナーの7人が現れると「おめでとう」「かわいい」「ありがとう」と歓声が響いた。会場を北見市民会館に移して行われた報告会では、次代を担う市内のジュニア選手が花束を贈った。市特別栄誉賞を渡した辻直孝市長は「市民の気持のこもった支援が結びついた」と、チーム創設からの本橋選手らの労をねぎらった。あいさつで小野寺監督が「選手達をほめてあげて下さい」と話すと、会場から大きな拍手。藤澤選手は「私達を育てて下さった北見市のたくさんの皆さんのおかげです。今後とも愛されるよう頑張ります」と感謝を述べた。チームは4月にワールドツアーの最終戦とグランドスラム大会出場のためカナダ遠征し、5月にはパシフィック選手権出場のための日本代表チーム選考会に臨む。(寒)(2018年3月22日の記事 経済の伝書鳩

中心商店街でLS北見祝賀パレード オホーツクブルーの下、弾けた笑顔は“黄金色” / 春の日差しの下、平昌オリンピック女子カーリングの日本代表・LS北見の祝賀パレードが21日、北見市中心商店街で行われた。詰め掛けた大勢の声援に応え、銅メダルを掲げて笑顔を輝かせた。感謝と感動が交錯したフィーバーぶりを写真で紹介します。(2018年3月23日の記事 経済の伝書鳩

母校で祝福受ける 平昌活躍のカーリング選手・コーチ / 平昌冬季オリンピックカーリング競技に出場した、北見市出身の選手とコーチが母校を訪問し、祝福を受けた。LS北見の選手達は「メダルを持って帰ることができました」と披露。メダルに触れたり、写真を撮ったりする後輩達に「一緒にがんばろう」とメッセージを贈った。
北見工業大学が鈴木夕湖選手に栄誉賞 LS北見の選手と小野寺コーチが常呂中学校、高校合同の報告会参加 / 鈴木夕湖選手(26)は19日、母校の北見工業大学を訪れ、オリンピックの応援を感謝。「銅メダルを皆さんに報告できることをうれしく思います」と挨拶した。新たに制定された同大学栄誉賞を高橋信夫学長から受けた鈴木選手は「まだまだ強くなりたい」と意気込みを語り、礼を述べた。小野寺亮二コーチ(57)と本橋麻里選手(31)、鈴木選手、吉田知那美選手(26)、吉田夕梨花選手(24)の5人は23日、北見常呂中学校と常呂高校合同の報告会に参加。生徒会代表の北見常呂中2年女子生徒と常呂高2年女子生徒がそれぞれ「感動をありがとうございます」と感謝の言葉を述べた。これを受けて、小野寺コーチは「みんなの思いが伝わった。あなたがたが取ったメダルです」、吉田夕梨花選手は「応援が力になると改めて確認できた」と感謝。吉田知那美選手は「中学の制服が懐かしい。常呂での学校生活を充実させて」、本橋選手は「大きな夢と同じように日常生活の小さな一つ一つの目標を丁寧にクリアしていくことが大事」と後輩達にエールを送った。北見常呂中を卒業し、スピードスケート競技の道に進む、男子生徒は「コメントもしっかりしていて尊敬する。自分もオリンピックに出られるよう頑張る」と勇気をもらった様子。
北見北斗高校で今後の抱負 / LS北見 藤澤五月選手とSC軽井沢 平田洸介選手 / LS北見の藤澤五月選手(26)とSC軽井沢クラブの平田洸介選手(25)は23日、北見北斗高校を訪問。生徒会長の2年女子生徒が代表し「北斗生として誇りに思います」と花束を贈った。藤澤選手は「銅メダルの結果に満足せず、常に世界で活躍する選手であり続けたい」。平田選手は「これからも日本、北見の代表としてカーリング界を引っ張れるよう頑張りたい。応援よろしくお願いします」と呼び掛けた。(菊)(寒)(2018年3月26日の記事 経済の伝書鳩

LS北見凱旋パレード 努力と笑顔で掴んだ栄光 / おめでとう!頑張ったね 市民も支えたその大活躍 /
グラフ (2018年3月27日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (20) 北見から五輪へ / 小野寺 亮二コーチ コーチングボックス、スタッフは世界一 / 負けが続いても動揺なく落ち着き 選手達の“前向きさ”支えるチーム力 / 予選リーグ終盤に負けが続いた際も、小野寺亮二コーチ(57)によると「コーチングボックスをはじめスタッフ陣は動揺もなく落ち着いていて、選手達も心配なかった」という。「本橋選手はどっしりと、こちらが心配になるほど常に落ち着いている。彼女は昔からそうだった。そのぶん、いつでも出られる準備は怠らない」と主将の気構えを高く評価する。ナショナルコーチのJ・D・リンドコーチ(33)については「教え方が上手。悪いことは言わない」とチームに浸透している“ステイ・ポジティブ”精神を挙げ「みんなJ・Dの言うことを理解している。若いのに大したもんだ」と小野寺コーチ。そして「チームトレーナーの大森達也さん、石田和輝さんにはコンディショニングの面で本当にお世話になった」と感謝する。選手の吉田知那美さんによると「日本のコーチングボックスとスタッフは、世界一」だという。それだけ安心できるチームワークだということのよう。小野寺コーチは自身について「私は全体のミーティングで、みんなをリラックスさせるくらい」と謙そんする。(寒)(2018年3月31日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (21) 北見から五輪へ / アイスリーディングのほかにも…)常呂のアイスメーカー男性 / カーリングの試合は通常、リンクの氷の状態を早くつかんだチームが有利だ。ストーンの滑りが速い、あるいは遅い、そして曲がり具合を読む「アイスリーディング」の正確さが勝敗を左右する。あまり大きく報道されていないが、平昌冬季オリンピックではこのほか、もう一つのリーディングが出場チームを悩ませた。「ストーンリーディング」だ。常呂カーリング倶楽部事務局長でアドヴィックス常呂カーリングホールのアイスメーカーを担当する男性(62)によると、ぺブリングなど氷上の整備は、世界カーリング連盟が委ねたアイスメーカーが担当するそうで「会場が違っても、連盟のアイスメーカーが整備するので、国際大会でのアイスの大きな差はない」という ただ平昌五輪では、“曲がるリンク”が予想されたことから、同ホールでのLS北見の練習では、通常よりも曲がりやすいリンクなどいくつかのパターンを想定し造った。その通り、平昌五輪は曲がるリンクだったそう。そこまではよかったのだが、予選リーグ中盤に思いがけない整備が追加される。ストーン研磨だ。使用しているうちに底面に凸凹ができ、研磨することはあるが、「大会中に研磨が行われるのは、あまり聞いたことがない」と関係者達。選手の一番大切な武器でもあるストーンのこと、チームスタッフは神経を使った。(寒)(2018年4月3日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (22) 北見から五輪へ… / ストーンにも一個一個違いがあり、国際大会レベルともなると小さな違いをつかんでいるかどうかで勝敗が左右されることもある。「一番困るのは、滑ったり滑らなかったり、どっちに曲がるか分からないストーン」の存在だそう。ストーンチェック (1) ストーンの“個性”読み切る努力 本橋選手らが試合後に黙々と投げ続け 試合中も他のシートをチェック / そこで各チームは必ず、事前にストーンチェックを行う。平昌冬季オリンピックを通じて報道されていた、日本チームの深夜のストーンチェック。試合が終わったシート上で、LS北見のリザーブ・本橋麻里選手が一人、黙々とストーンを投じるテレビ映像を観た人も多いだろう。8個のストーンにはそれぞれ、番号が記されている。その“個性”を個別に調べる。そのことは各国も怠らない。日本チームはさらに、試合中にもほかのシートに目を凝らす。その役割を今大会、柳等コーチが受け持った。日本の試合をデータ化する小野寺亮二コーチとは別に、柳コーチは隣りのシートの対戦を双眼鏡で眺め、どのストーンから順に使われ、石がどのような動きだったかを調べ、データ化した。本橋選手と小野寺コーチの深夜のストーンチェック、それに柳コーチによる試合中のストーンチェックにより、次の試合に各シートで使うストーン順をスタッフ連携で決めた。総力戦である。(寒)(2018年4月6日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (23) 北見から五輪へ / ストーンチェック (2) スキップは信頼できるストーンで 観客には見えないリード、セカンドの苦労 新たな「ストーン研磨」の影響は / 各チームとも、8個のストーンのうち最も無難なストーンをスキップ用とする。一方、くせがあったり、挙動があいまいなストーンはゲーム前半に投げるリードやセカンド用にすることが多い。勝負を決めるスキップの場面では、やはり信頼のおけるストーンを使いたいからだ。試合のテレビ中継を観ていると、ときどきとんでもない投球をする選手がいる。あまりにも短かかったり、スルーしてしまったり、思ったより曲がり過ぎたり。そういうときは、ストーン自体に問題があることも考えられる。小野寺亮二コーチは「(前半に投げる)吉田夕梨花選手や鈴木夕湖選手には苦労を掛けた」と気遣う。ストーンにもそれぞれ個性があることを知っていると、今後、私達がカーリングの試合を観戦するときに、違った目で観られるかもしれない。これに今回の平昌冬季オリンピックでは、ストーン研磨という状況対応が加わった。小野寺コーチによると「サンダー(研磨)自体は、石の底面を本当にさーっと掛けるだけ」。それでも影響があることが心配されたが「終わってみれば、そんなんでもなかった。考え過ぎだったかもしれない」と語る。(寒)(2018年4月11日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (24) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (1) / 輝く才能で女子ジュニアの一時代築く 中学生で全日本ジュニア優勝、高校で世界選手権に 19歳の時にトリノ冬季五輪に出場し7位入賞 / 「このチーム(LS北見)で成長できた」と語る選手が多いなか、一番成長したのは、ほかならぬ創立メンバーで最年長の本橋麻里選手(31)だと言う人がいる。才能豊かで、中学生のころから活躍し、藤澤五月選手(26)がジュニアで活躍する以前の女子ジュニアカーリングといえば本橋選手、と代名詞のようになっていた時代もある。常呂カーリング協会の初代会長、故・小栗祐治さんに誘われてカーリングを始め、チーム「マリリンズ」を結成。スキップとして中学生で日本ジュニアカーリングに優勝し、2002年の世界ジュニア選手権では順位こそ10位だったが、個人としてスポーツマンシップアワードを受章した。高校生になると、当時の強豪・河西建設女子チームにリザーブとして加入。常呂から北見に通った時期もあった。高校3年で世界選手権に出場すると、そのシーズンの終盤に、負傷者の出た青森県協会の小野寺歩選手、林弓枝選手ら同郷の先輩達から誘いを受け、チーム青森に帯同。2006年トリノ冬季オリンピックに出場した。チームは7位入賞。セカンドを務めた本橋選手は19歳だった。(寒)(2018年4月24日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (25) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (2) 常に上を目指し強豪チームへ / 「ゼロからやりたい」2度の五輪出場後、地元へ 人と地域がつながったチーム作り / 10代のとき、本橋麻里選手が所属してきたチームはいずれも年長者選手が多かった。常呂のジュニアチームをはじめ、北見の河西建設女子チームにしても、チーム青森にしても先輩方の中に入っていった。誘われたほか、常に上をめざす上昇志向もあり、自分の力が発揮できる場所、自らを高められるところを求め積極的に“常呂”から出て行った。その結果、2006年トリノ、2010年バンクーバーと2大会連続、チーム青森の一員としてオリンピックに出場する。マリリンの愛称で慕われ、選手達はカー娘と呼ばれて一躍脚光を浴びた。ところが「バンクーバー(2010年)が終わった直後、『戻ってこよう。ゼロからやりたい』と北見に戻った」。青森がどうのということではなく、むしろ「青森が取り組んでいたチームづくりをベースに、参考にした」と本橋選手。理想は選手が入れ替わってもチームは地域とともに歩むカナダのクラブ組織や尊敬するスウェーデンのチーム。「人と地域とがつながったチームを一から作りたかった」と当時を振り返る。「過去にオリンピックに出たから、それが何だという思い。それよりも、私は私なりに経験でサポートできるはず。なので5年や10年がゴールではない!」さっそくチームづくりに取り掛かり、こつこつとスポンサー探しに歩いた。ゼロからの出発は厳しかったが、「みなさんあったかで、フランク。うれしかったです」(寒)(2018年4月25日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (26) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (3) 新チームは5色のカラーで 多様な個性で柔軟なチーム力を スポンサーらの見守りで成長続け / 周りの期待の大きさに比べ、当たり前だが新生チームがすぐに好成績を挙げられることはなかった。それでも全国レベルの大会で2、3位の結果を残す。ただ、突き抜ける強さはまだ足りなかった。このころ周りの関係者、特にスポンサーらが辛抱強く、チームの成長を見守った。「ずっと応援するよと言ってもらえてうれしかった」と本橋麻里選手。「スポンサーさんの夢を含め“チームLS”なんだと思うことができた」という。自身、結婚と出産を経験し一時期チームを離れ、その後に復活。「チームには迷惑掛けた。それでも温かく迎え入れてくれて、頼もしいメンバー達とありがたいスポンサーさん達だった」。吉田知那美選手、藤澤五月選手が新加入したのもそんな時期。本橋選手は「選手同士互いにライバルとして磨き上げていく姿に、たくましさを感じた」と振り返り、「私も負けないで、いつでもプレーできるよう狙っている」と語っていた。チームづくりに関し本橋選手はよく「5色のカラーで作りたかった」と口にする。多様な個性があり、どんなことにも柔軟に対応できるチーム力が理想だと語る。本橋選手について、チーム最年少の吉田夕梨花選手(24)は「まりちゃんは一人ひとりの個性を生かし、一人ひとりのことを考える。(だからこそ)自分のポジション(=リード)に責任を持てるようになった」とチームキャプテンとしての資質を高く評価する。同じく創立メンバーの鈴木夕湖選手(26)は「まりちゃんについていくだけだった。選手の個性をつぶさずに、時間は掛かったが『自分で何かしなければ』と考えられるようになった。迷惑も掛けたが、少しおとなになれたかなと思う」と振り返り、それぞれ感謝する。(寒)(2018年4月27日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (27) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (4) 本気さに気づき、変化のきっかけに 「もう前に進んでいる」のひと言 ロコに加入し成長遂げる / 吉田知那美選手(26)は、本橋麻里選手(31)について「4年前、本橋さんがいるから(北見に)戻って来た。ここ(北見)からオリンピックをめざす!という本橋さんの本気さに気づいたから」という。「その後、自分が変わっていくと、周りの環境も変わった」と振り返る。日本カーリング選手権4連覇を飾るも、何かを引きずっていたという藤澤五月選手(26)は3年前、「たまたま、まりちゃんと食事に行ったとき『自分達はもう前に進んでいるよ』と語った本橋さんのひと言が忘れられない」という。「カーリングに対する考え方を私も変えなければ」とそのとき直観的に思ったそう。そしてその後の加入。「ロコ・ソラーレ(LS北見)は自分達で練習して、自分でやる。選手みんな自立しているのがこのチームの強さなんだなと感じた」と藤澤選手。「全員が全員の仕事をしていて、5人がいないと成り立たない。『ロコはチームだな』と強く思った」そう。吉田知選手、藤澤選手はともに、ただ北見へと帰って来ただけでなく、本橋選手によって自分に気づき、ロコ・ソラーレというチームによって自分が変われたことが、かけがえのない成長、財産となったよう。(寒) 掲載画像 / 銅メダルを手に女満別空港に到着したLS北見の吉田知那美選手、藤澤五月選手、本橋麻里選手(左から、2月27日)(2018年4月28日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (28) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (5) 誰よりも成長、メダル獲得最大の功労者 / 選手以上に人として 関係者らも称賛の声 / 本橋麻里選手に導かれ、ロコ・ソラーレというチームで自分が変わり、市民に愛されることで、人(ひと)として成長できた、と選手達はよく口にする。藤澤五月選手はオリンピック報告会で「まりちゃんが3年前、温かく迎えてくれた。そして今、北見市のたくさんの皆さんの応援のおかげでここに立てている」と感謝した。同じく本橋選手を頼って4年前、ふるさとに戻った吉田知那美選手は「このまちに人として成長させてもらった。ときに、北見市の人達の温かさに甘えたくなることもあるけど、結果で返せてよかった。応援してくれる、まちの皆さんに感謝です。これからもカーリング選手としてだけではなく、人として人間力を高めていきたい」と、心の底からの気持ちが言葉になる。一方、リザーブの選手であることについて本橋選手は「もちろんいつでも出られるよう、常に準備はしている」と言いつつ「昔の自分なら、何としても試合に出られるよう目一杯突っ走ったと思う。でも今は…」とも。常呂のカーリング関係者は、この言葉にうなづき「よく我慢している。一番成長したのは本橋選手だ」と話し、ひと回り大きくなった最近の本橋選手に「メダル獲得の一番の功労者。直接、プレーはしていないが、彼女がいなければメダルはなかった」と最大限の称賛の声を贈る。(寒)(2018年430日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (29) 北見から五輪へ / 子ども達に愛されるロコ・ソラーレ 五輪から帰郷 多くの“後輩”らが出迎え / 2月27日、平昌冬季オリンピックから帰ったLS北見をたくさんの市民らが出迎えた。女満別空港のほか、選手達の地元・北見市常呂のカーリングホールには午後10時過ぎという遅い時間にもかかわらず、父母らと一緒に駆け付けた小・中学生の姿が目立った。アドヴィックス常呂カーリングホールの2階。急きょ設けられたステージに向かうメダリスト達を迎えたのは、選手達の後輩でカーリングを始めて間もない、地元の小・中学生達。通路をぎっしりと取り囲み、遠慮することなく自然に「おめでとう」と声を掛けた。選手達も一人ひとりに「ありがとう」と応えた。この日、全国ネットのテレビ局の取材や選手団の報告会、飛行機での移動と疲れていたはずの選手達だが、大会で見せる笑顔かそれ以上の笑顔で子ども達に応えた。ステージまで10メートルほどの通路は、子ども達で埋まり、ステージまで歩むのに10分以上掛かった。テレビ局の中継や新聞社の締め切りが迫っていたが、文句を言うものはなかった。長い一日の最後の最後に、子ども達の笑顔という宝物が待っていた。子ども達に愛される、ロコ・ソラーレ。選手達にとっては何年たっても、この通路でのシーンは忘れられないものになるだろう。本橋麻里選手は「こんなに常呂に子ども達がいたなんて」と驚く。そして「『僕達も北京オリンピックに行く!』と言ってくれた。小学生だから、北京(4年後)は無理だろうけど」と半分、母親の気持ちも手伝って目を潤ませる。子ども達が喜んでくれるのが選手達にとって一番うれしそうだ。(寒)(2018年5月3日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (完) 北見から五輪へ… / 大きな夢「北見=スポーツのまち」に 次の目標…世界一を目指し 5選手それぞれのカラーで実現を / 平昌冬季オリンピック出場を前に「スポーツで北見から世界へ出て行けるのがうれしい」と語っていた本橋麻里選手(31)。帰って来て常呂のカーリングホールに行ってみると、「練習する高校生の目つきが変わっていた」そう。「競技する選手達の本気度が伝わってきて、うれしかった」という。スポーツを通じて、まちが変われば、というのが選手達の願い。本橋選手は「カーリングに限らずどんな競技でも構わない。地域でスポーツ選手を支え『北見=スポーツのまち』になればいいな」とコーディネーターあるいはプロデューサーの素養で大きな夢を抱く。その上で「あらためて自分が歩んできたカーリングという競技に感謝する」とも。平昌での「セミファイナルの韓国戦が色濃く印象に残っている」と早くも次へのモチベーションを見つけたよう。「オリンピックに行けても行けなくても、4年間チャレンジする」「あらたなオリンピックにワクワクしている」「応援をパワーに。プレッシャーを集中力に」と語って来た選手達。小野寺亮二監督(57)は「彼女達は世界で通用する選手になりたいと練習している。世界にはまだ上がいるのを知っている。でも戦えないとは思っていない。選手達は一番上を狙っている。平昌の次の日から4年後を狙っている。見守ってあげてください」とお願いする。五輪報告会で本橋選手は「五輪の輪のように5色のカラーを持つ5人の選手達はみな家族のようです。自然体をポリシーに、その姿勢をこの後も忘れずにいたい。まだまだおぼつかない私達ですが、大きな夢をかなえるお手伝いをしてください」と主将として語り、しめくくった。※連載を終了します。長い間のご愛読ありがとうございました。<完>(寒)(2018年5月9日の記事 経済の伝書鳩

ロコ・ソラーレ(Loco Solare)は、日本の女子カーリングチーム。チーム名の由来は、「ローカル」と、「常呂っ子」から「ロコ」+イタリア語で太陽を意味する「ソラーレ」。北見カーリング協会所属。練習拠点は、アドヴィックス常呂カーリングホール。2018年平昌オリンピック日本代表。 日本カーリング選手権大会など日本カーリング協会(JCA)主管試合では、LS北見として登録されている。(ロコ・ソラーレ – Wikipedia

『シムソンズ』は、カーリングを題材にした2006年の日本映画。北海道常呂郡常呂町(現北海道北見市)の女子高校生が1998年長野冬季オリンピックカーリング競技男子日本代表選手の薦めでカーリングチームを結成し、紆余曲折を経て成長する青春映画。実在したカーリングチーム「シムソンズ」(2002年ソルトレイクシティ冬季オリンピックカーリング競技女子日本代表)をモデルとし、その来歴に題材を得て製作された。 実話との相違 / 実話に題材を得たストーリーではあるが、その内容は大きく脚色されている。例えば、劇中で伊藤和子は加賀真人の薦めがきっかけでカーリングを始めるが、和子のモデルとなった加藤章子は9歳からカーリングを始めており、19歳で長野五輪に女子日本代表チームの一員として出場している。また、劇中の「シムソンズ」は全員が高校の同級生という設定だが、現実の「シムソンズ」は加藤・小野寺・林の3人が中学校の同級生時代に結成したチームであり、のちに加わった小仲(加入時の名字は堀)は3人より学年が2つ上である。 また、小野寺家は農家ではない、と本人が設定に後日不満を語っている。 その他 / 本編の試合シーンでは常呂町(当時)のカーリング選手もエキストラとして出演した。その中の一人、「シムソンズ」と北海道大会決勝で対戦する相手チームの選手として出演している近江谷杏菜は、(現実の)「シムソンズ」のコーチであった近江谷好幸の娘であり、2010年バンクーバーオリンピックに日本代表チーム青森の一員として出場した(現在は北海道銀行フォルティウス所属)。また、同じくエキストラ出演していた吉田夕梨花もロコ・ソラーレの一員として2018年平昌オリンピックに出場している。他にも江田茜(元ロコ・ソラーレ)松井千愛(元チーム東京)など、後に日本カーリング選手権大会で活躍することになる選手が多数出演していた。(シムソンズ (映画) – Wikipedia

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カーリングチーム LocoSolare(ロコソラーレ/LS北見)公式サイト

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平昌冬季オリンピック の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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2018年平昌オリンピック冬季競技大会の閉会

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2018年平昌オリンピック冬季競技大会の閉会

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2018年平昌オリンピックの閉会式は、2月25日の20時(現地時間)に開会式同様オリンピックスタジアムで挙行される。 アトラクション / 北京でつぎの冬季オリンピックが行われる予定だ。 式典 / クロスカントリースキー男子50kmフリーと女子30kmクラシカルの表彰式が閉会式で行われる。その後、オリンピック憲章に従い、オリンピック発祥国のギリシャの国歌が演奏される中国旗が掲揚される。オリンピック賛歌が演奏されオリンピック旗が降ろされると、次の開催国中華人民共和国の国旗が義勇軍進行曲演奏の中掲揚されたのち、今回五輪が開催された平昌郡守からトーマス・バッハIOC会長を経て、次回五輪が開催される陳吉寧北京市長にオリンピック旗が渡される。 北京のアトラクション / 2004年アテネオリンピック閉会式で北京のプレゼンテーションを総監督した張芸謀が8分間のアトラクションを行う。 閉会宣言・聖火消火 / 李熙範平昌五輪・パラリンピック組織委員長の挨拶に続き、バッハIOC会長が閉会を宣言する。(2018年平昌オリンピックの閉会式 – Wikipedia

2018年平昌オリンピックの日本選手団は、2018年2月9日から2月25日(韓国標準時)までの日程で開催される、2018年平昌オリンピックの日本選手団。 メダル獲得者 / 日本国外で開催された冬季オリンピックでは初めて複数の金メダルを獲得した。また、メダル総獲得数でも過去最多だった1998年長野オリンピックを上回り、冬季オリンピックの日本代表としては史上最多個数となった。JOCはメダル個数の目標を「複数の金を含む9個」[3]としており、金メダル個数・メダル総数ともにこの目標を達成する数値となった。(2018年平昌オリンピックの日本選手団 – Wikipedia

北海道網走郡美幌町出身のオリンピック選手

石田 正子(いしだ まさこ、Masako Ishida, 1980年11月5日 – )は、日本のクロスカントリースキー選手。日本大学文理学部体育学科卒業。現所属はJR北海道。日本人選手で初めてワールドカップ長距離種目(30kmクラシカル)3位入賞をしている。美幌町「栄誉賞」受賞。(石田正子 – Wikipedia

一戸誠太郎(いちのへ せいたろう、Seitaro Ichinohe,)スピードスケート選手、美幌町出身。

三橋李奈(みつはし りな、Rina Mitsuhashi)バイアスロン選手、美幌町出身。 Rina Mitsuhashi, nee Suzuki (鈴木李奈 Suzuki Rina, born April 2, 1990) is a Japanese biathlete. She was born in Hokkaido. She competed at the 2014 Winter Olympics in Sochi, in the individual and sprint competitions. (Rina Mitsuhashi – Wikipedia

北海道北見市出身のオリンピック選手

吉田 夕梨花(よしだ ゆりか、Yurika Yoshida, 1993年(平成5年)7月7日 – )は、日本のカーリング選手である。2018年平昌オリンピック銅メダリスト。(吉田夕梨花 – Wikipedia

鈴木 夕湖(すずき ゆうみ、Yūmi Suzuki, 1991年(平成3年)12月2日 – )は、日本の女子カーリング選手。ロコ・ソラーレ所属。2018年平昌オリンピック銅メダリスト。(鈴木夕湖 – Wikipedia

吉田 知那美(よしだ ちなみ、Chinami Yoshida, 1991年(平成3年)7月26日 – )は、日本のカーリング選手。ロコ・ソラーレ所属。2014年ソチオリンピック日本代表、2018年平昌オリンピック銅メダリスト。吉田夕梨花は実妹。(吉田知那美 – Wikipedia

藤澤 五月(ふじさわ さつき、Satsuki Fujisawa, 1991年(平成3年)5月24日 – )は、日本のカーリング選手。ロコ・ソラーレ所属。2018年平昌オリンピック銅メダリスト。愛称は、「さっちゃん」。(藤澤五月 – Wikipedia

本橋 麻里(もとはし まり、Mari Motohashi, 1986年(昭和61年)6月10日 – )は、北海道北見市(旧常呂郡常呂町)出身のカーリング選手。マリリンの愛称で知られる。トリノオリンピック、バンクーバーオリンピック、平昌オリンピック日本代表。平昌冬季オリンピック銅メダリスト。(本橋麻里 – Wikipedia

常呂でジュニアカーリング 将来の五輪選手がここから 小学生伝統の登竜門30回目
LS北見がオリンピック最終戦に臨んだ24日、練習拠点としている地元のアドヴィックス常呂カーリングホールで恒例の常呂自治区ジュニアカーリング選手権が開かれた。数々のオリンピック選手が通った登竜門。30回の節目の今回、将来オリンピックをめざす小学生9チームが出場した。ところ子ども会育成連絡協議会、常呂カーリング倶楽部、北見市教委常呂教育事務所の共催。1998長野冬季オリンピック出場の白畑(旧姓三村)容子さんら常呂カーリング倶楽部の会員達が講師を務め、昨年11月から行ってきたジュニアカーリング教室の集大成。選手達は作戦を考え、声を掛け合ってスウィーピングしていた。表彰式では同倶楽部の会長が「教えられたマナーもきちんとできていた。ぜひオリンピックをめざして」とあいさつ。後援の常呂ライオンズクラブの会長からメダルが贈られた。教室のリーグ戦も全勝だった常呂小6年生の男子チーム「アイスライン」が優勝。スキップの男子児童は「今の目標は先輩達の『ドラゴン』です」と倶楽部リーグ戦で活躍する中学生チームを挙げた。一方、準優勝の同小6年女子チーム「クラウンクラウン」は「決勝で負けて悔しい」。女子児童ら選手は「目標はロコ・ソラーレに勝つこと…いつかは」と元気よく語った。(寒)(2018年2月27日の記事 経済の伝書鳩

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北海道網走市出身 スピードスケートのコーチ 結城匡啓さん

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北海道網走市出身 スピードスケートのコーチ 結城匡啓さん

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指導者としての偉業達成 網走出身のスピードスケート指導者 結城 匡啓さん(52)
冬季オリンピック女子スピードスケートで日本人として初めて優勝した小平奈緒選手(31)=相澤病院=とともに、コーチとして支えた結城匡啓(まさひろ)氏(52)=信州大教授=の偉業を喜ぶ声がふるさと網走市内で上がっている。かつて信州大チームの網走夏合宿を実現した経緯もある。18日夜のレース後には「おめでとう」の電話が同市向陽ヶ丘の実家に鳴り響いた。清水宏保さんを指導したことでも知られ、関係者は男女の金メダルにかかわった結城さんの快挙をたたえている。
男女で金メダル… 清水選手、小平選手で“二冠達成” 実家にも多くの祝福の声
結城氏は網走中央小、第二中、網走南ヶ丘高から筑波大学・大学院に進学。競技者と研究者を両立させ、自らの体を使って運動メカニズムを追求し、ワールドカップスピードスケート男子500メートルで3位を2度経験している。信州大では加速の力学、スラップスケート対策、高速スケートリンクの開発など多くの論文を発表。「科学的サポート活動によるスポーツの競技力向上に関する研究」などを通じ“氷上の理論家”として知られる。長野冬季五輪金メダリストの清水宏保選手の専属コーチも務めた。平成14年からは結城監督の下、信州大学スケート部の網走夏合宿が実現。部員は自転車やローラースケート走で鍛えた。そんな結城コーチを慕って、信州大に進学した小平さん。ソチ五輪は結果が出なかったが、その後も「結城組」に残った。結城さんの実家はスケート一家として知られる。「結城先生についていけば大丈夫」という小平さんについて、「理論は以前から(匡啓さんにより)出来上がっていたが、それに応え、さらに進化していく小平さんがすごい」と家族は語る。スケート技術、フィジカル強化にメンタル、栄養指導、調整法まで、すべてはこの日の“究極の滑り”のためだった。18日夜は、父母をはじめ家族が実家に集まり、テレビ観戦。母校・網走南ヶ丘高校に通うめいっ子も声を枯らして応援した。1000メートルで流した悔し涙が、喜びの涙に。日本のスピードスケート史上、男女の金メダルに関わった結城氏。コーチとしての“二冠達成”は指導者冥利に尽きると父母。ひっきりなし掛かってくるおめでとうコールに「みなさんのおかげです」と喜びを分かち合う。(寒)(2018年2月21日の記事 経済の伝書鳩

小平 奈緒(こだいら なお、1986年5月26日 – )は、長野県茅野市出身のスピードスケート選手。信州大学教育学部生涯スポーツ課程卒業。社会医療法人財団慈泉会相澤病院スポーツ障害予防治療センター所属。世界記録は500m×2、1000m、スプリント複合で保持している。オリンピック記録は500mで保持している。オリンピックで日本女子スピードスケート史上初の金メダリスト(平昌)、大卒メダリスト(バンクーバー)である。またオリンピック日本選手団主将として冬季オリンピック初の金メダリスト(平昌)である。(小平奈緒 – Wikipedia

清水 宏保(しみず ひろやす、1974年2月27日 – )は、日本の元スピードスケート選手、スポーツキャスター、タレント。北海道出身。エイベックス・マネジメント所属。長野オリンピックで金メダル1個、銅メダル1個、ソルトレイクシティオリンピックで銀メダルを獲得した。身長は162cm。2015年4月より弘前大学大学院医学研究科博士課程に在学。(清水宏保 – Wikipedia

関連サイト

結城匡啓(まさひろ)コーチの結婚相手や年齢は?経歴がすごい!​画像まとめ! | アヤパンランド

小平、コーチとの13年成就 理論体現 滑り変える :日本経済新聞

金メダルへ全力サポート スケート小平選手のコーチ・網走出身結城匡啓さん:​どうしん電子版(北海道新聞)

新着情報|網走市 – 網走市役所

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スピードスケート の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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美幌町出身選手 平昌オリンピック テレビ放送・観戦予定

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美幌町出身選手 平昌オリンピック テレビ放送・観戦予定

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平昌五輪の石田、一戸、三橋選手 ふる里から応援しょう
開幕間近の平昌冬季五輪に、美幌町から3人の選手が出場します。美幌町オリンピック・パラリンピック選手後援会(伊藤善啓会長)では、パブリックビューイングを計画していますので、多くの町民の参加で選手を応援してほしいと呼びかけています。
クロスカントリースキーの石田正子選手、スピードスケートの一戸誠太郎選手、バイアスロンの三橋李奈選手の出番に合わせて、別表の放送時間帯に対応した会場(町民会館びほーる、しゃきっとプラザ)で応援します。現在、6回の地元応援が決まっています。
同後援会では、たくさんの町民の応援をふる里から平昌に送り、選手の頑張りを後押ししたいとしています。ぜひパブリックビューイングに足を運んでください。

美幌町出身選手平昌オリンピックテレビ放送・観戦予定
2月10日(土) 16:15~17:15 クロスカントリースキー女子スキーアスロン NHK・BS-1[生中継] 石田正子選手 (びほーるギャラリー)
2月10日(土) 20:15~21:35 バイアスロン女子7.5km 放送未定 三橋李奈選手
2月11日(日) 16:00~18:40 スピードスケート男子5000m NHK・BS-1 [生中継] 一戸誠太郎選手選手 (びほーるギャラリー)
2月12日(月) 19:10~21:50 バイアスロン女子10kmパシュート 放送未定 三橋李奈選手
2月14日(水) バイアスロン女子15km NHK・BS-1[録画] 2/15 900~ 放送 三橋李奈選手
2月15日(木) 15:30~17:10 クロスカントリースキー女子10kmフリー NHK総合[生中継] 石田正子選手 (びほーるギャラリー)
2月17日(土)20:15~21:10 バイアスロン女子12.5kmマススタート NHK・BS-1[録画] 三橋李奈選手
2月18日(日) 20:00~22:00 スピードスケート男子団体パシュート予選 NHK・BSー1[生中継] 一戸誠太郎選手選手 (しゃきっとプラザ集団検診ホール)
2月21日(水) 20:00~23:00 スピードスケート男子パシュート決勝 日本テレビ[生中継] 一戸誠太郎選手 (しゃきっとプラザ集団検診ホール)
2月22日(木) 20:15~21:45 バイアスロン女子4×6kmリレー 放送未定 三橋李奈選手
2月25日(日) 15:15~17:15 クロスカントリースキー女子30kmクラシカル NHK・BS-1[生中継] 石田正子選手 (しゃきっとプラザ集団検診ホール)
※観戦会場の開場は放映時間の30分前。(2018.02.01 みつめて – 美幌新聞社

美幌で平昌冬季五輪応援団結団式 熱い声援を
平昌冬季五輪に出場する美幌町出身3選手の応援団出発結団式が2日、しゃきっとプラザで行われた。 応援団は3陣体制で、1陣はスケート協会の役員、スピードスケートの一戸誠太郎選手=信州大学=の家族ら8人が一戸選手とクロスカントリースキーの石田正子選手=JR北海道=を応援。2陣はスケート協会役員ら7人が一戸選手を応援する。3陣はスキー連盟の役員、バイアスロンの三橋李奈選手=自衛隊体育学校=、石田選手の家族、自費の一般応援者3人を含む13人が平昌で声援を送る。 結団式には応援団に参加する約20人が出席。美幌町オリンピック・パラリンピック選手後援会の会長が「町民の熱い応援を届けて」と激励。会場に掲げる応援の横断幕や町民がメッセージを書いた日章旗を、応援団を代表して男性=スケート協会会長=に託した。 1陣に参加する土谷耕治町長は「声を枯らして声援を送りたい」、男性は「心のこもった応援をして参りたい」と決意を述べた。 町内ではテレビ中継に合わせてパブリックビューイングが予定されている。日章旗は8日までスポーツセンターでメッセージを書き込むことができる。(浩)(2018年2月6日の記事 経済の伝書鳩

平昌オリンピック情報(2月6日)
平昌オリンピック! パブリックビューイングを実施します。 2月9日から開催される、平昌オリンピックで美幌町出身の「石田正子選手(クロスカントリースキー)」・「三橋李奈選手(バイアスロン)」・「一戸誠太郎選手(スピードスケート)」 3選手が出場します。 美幌町出身の3選手を応援するため、びほーる及びしゃきっとプラザでパブリックビューイング(観戦会)を行います。 皆さんで美幌から熱い応援を送りましょう。(平昌オリンピック情報 | 美幌町

ピョンチャンオリンピック、スキー・クロスカントリーの女子スキーアスロンが行われ、4大会連続4回目のオリンピック出場となった美幌町出身の石田正子選手は14位でした。(スキーアスロン 石田選手14位|NHK 北海道のニュース – NHKオンライン

美幌でパブリックビューイング 平昌五輪 画面通じ石田、一戸両選手盛り立てる
平昌冬季五輪に臨む美幌町出身選手を応援するパブリックビューイング(美幌町オリンピック・パラリンピック選手後援会主催)が10日と11日、町民会館びほーるで開かれ、両日とも町民ら約80人が画面を通じて選手を盛り立てた。10日はクロスカントリースキーの女子15キロスキーアスロンに臨んだ石田正子選手(37)=JR北海道=を応援。力走する石田選手が画面に映るたび、スティックバルーンをたたいて声援を送った。中盤まで先頭集団に食らいつき、結果は14位。石田選手の父・博之さん(71)は「得意の30キロクラシカルに向けて弾みがつくようなレース」と期待を込めた。翌11日はスピードスケート男子5000メートルに一戸誠太郎選手(22)=信州大学=が出場。一戸選手が3組目に登場すると「セイタロー!セイタロー!」と声を張り上げて力を送った。9位で入賞にはあと一歩届かなかった。一戸選手が所属した美幌スピードスケート少年団の美幌中3年男子生徒は「ラップのキープの仕方がすごい。感動し、逆に力をもらった」と目を輝かせた。美幌スケート協会副会長の男性(67)は「最初に飛ばし過ぎたと思ったが、踏ん張って良い滑りを見せてくれた」とねぎらった。町出身選手では、10日のバイアスロン女子7.5キロスプリントに三橋李奈選手(27)=自衛隊体育学校=が出場。85位だった。(浩)(2018年2月14日の記事 経済の伝書鳩

美幌で観戦会 石田選手を応援 18、21、25日にも予定
平昌冬季五輪クロスカントリースキー女子10キロフリーのパブリックビューイング(テレビ観戦会)が15日、町民会館びほーるで開かれ、大勢の町民が町出身の石田正子選手(37)=JR北海道=を応援した。訪れた町民は「マサコ!」コールで画面を通じて声援。力走する石田選手の姿が画面に映し出されるとスティックバルーンをたたいて盛り立てた。石田選手は18位でゴール。石田選手が所属した美幌クロスカントリースキー少年団元代表の男性(73)は「得意の30キロクラシカルに向けて順調に仕上がっているようだ」と分析した。町内の今後の観戦会は、18日(日)午後8時から一戸誠太郎選手(22)=信州大学=の出場が見込まれるスピードスケート男子団体追い抜き予選、21日(水)午後8時からの決勝、25日(日)午後3時15分から石田選手の女子30キロクラシカルに合わせ、いずれもしゃきっとプラザで予定されている。(浩)(2018年2月17日の記事 経済の伝書鳩

美幌出身・一戸誠太郎選手5位 平昌冬季五輪スピードスケート男子団体追い抜き予選
あす21日夜のパブリックビューイングは中止 準決勝進出ならずも奮闘称える声
平昌冬季五輪スピードスケート男子団体追い抜き予選に出場する美幌町出身、一戸誠太郎選手(22)=信州大学=を応援するパブリックビューイングが18日、しゃきっとプラザで開かれた。日本は準々決勝で敗退。21日(水)夜にプラザで予定されていた同決勝のパブリックビューイングは中止される。日本は一戸、ウィリアムソン師円、中村奨太の3選手で競技に臨み、プラザではスケート関係者ら大勢の町民らがスティックバルーンをたたきながら声援を送った。出場8チーム中惜しくも5位となり、準決勝に必要な4位以上を逃したが、応援会場からは「よく頑張った」と奮闘をたたえる声が上がった。(浩)(20182月20日の記事 経済の伝書鳩

平昌五輪…美幌で観戦会 石田選手30キロは10位
平昌冬季五輪ノルディックスキー距離女子30キロクラシカルに出場する美幌町出身、石田正子選手(37)=JR北海道=の観戦会が25日、しゃきっとプラザで開かれた。10位で惜しくも入賞に届かなかったが、力走をねぎらう声が聞かれた。30キロクラシカルは8年前のバンクーバーで日本人距離最高位の5位入賞を果たした得意種目。この日も粘り強い滑りで終盤にかけて順位を上げ、町民らは石田選手が画面に映るたび、スティックバルーンをたたいたり、「正子」コールで盛り立てた。最前列でレースを見つめた父親(71)は「よく頑張った。ご苦労さまと声をかけてあげたい」とねぎらい、石田選手が所属した美幌クロスカントリースキー少年団元代表の男性(73)は「技術は上がっている。まだまだ頑張れる」と今後の活躍に期待を寄せた。(浩)(2018年2月27日の記事 経済の伝書鳩

関連サイト

2018.02.08 みつめて – 美幌新聞社

美幌町 保健福祉総合センター しゃきっとプラザ

美幌町民会館「びほーる」 | 美幌町

北海道バリアフリーマップ 美幌町 | 保健福祉部福祉局地域福祉課

平昌オリンピック情報 | 美幌町

美幌町出身の有名人(美幌町 – Wikipedia)

関連エントリ

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広報びほろ、議会広報 びほろ町ぎかい(北海道 網走郡)

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広報びほろ、議会広報 びほろ町ぎかい(北海道 網走郡)

関連記事

広報びほろ No.1162 2018年2月号
昌平昌オリンピック、びほろ冬まつり、確定申告、パブリックコメント、 木育ランド、ペレットストーブ、国民年金、道営住宅入居募集、講演会、歯っぴぃ健診など、救急事故発生件数、自治推進委員募集、今月のお知らせ、祝成人、まちの話題、健康 、子育て、マナセン・トレセン・図書館・博物館、交通安全、消費生活相談など、新庁舎建設、カレンダー。(広報びほろ | 美幌町 – 網走郡

議会広報 びほろ町ぎかい No.227 平成30年2月1日 2018年2月号
夢に向かって、挑みつづける! 韓国・平昌オリンピックでの美幌町出身・石田正子選手(スキー距離)、三橋り奈選手(バイアスロン)、一戸誠太郎選手(スピードスケート)の活躍が期待されます。美幌町町の子ども達も先輩達に負けじと頑張っています。(議会広報 びほろ町ぎかい | 美幌町 – 網走郡

広報(こうほう)とは、企業だけでなく行政や各種団体の活動内容や商品などの情報発信を行う業務、またはその担当者や部署。広告と混同されることがあるが、広告が新聞や雑誌、テレビなどの広告枠を買って商品や企業の宣伝を行うことであるのに対し、広報とは情報を受発信することで、新聞や雑誌などの媒体に記事として取り上げてもらったり、従業員や株主、消費者などのステークホルダーに活動内容などを理解してもらうことを含む。発信側では情報戦、心理戦の一手段として捉える場合もある。 戦前は主に「弘報」が使われており、これは情報の配信のみを意味していたが、戦後GHQによりPR(Public Relationship)の概念が導入され、対日民主化政策の一環として「行政の民主的運営のためのPR」の導入が推進されるようになると、CIEO(Civil Information Education Office: 市民情報啓発室)やPRO(Public Relations Office: 広報室)が中央官庁や自治体に設置されるようになり、それまでの一方向的な「弘報」にかわり、双方向的な広報が普及するようになった。(広報 – Wikipedia

美幌町(びほろちょう)は、北海道オホーツク総合振興局管内にある町。陸上自衛隊の駐屯地があり、自然が豊かで降雪や災害が少なく、空港が近いことから道外からの移住者が多いのが特徴。(美幌町 – Wikipedia

関連サイト

美幌町議会ホームページ | 美幌町 ー 網走郡

美幌町 びほろちょう Bihoro Town | 美幌町 ー 網走郡

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広報びほろ の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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2018年平昌オリンピックの情報(北海道網走郡美幌町)

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2018年平昌オリンピックの情報(北海道網走郡美幌町)

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美幌町役場に3選手激励看板 平昌五輪で輝け
美幌町教育委員会は23日、平昌冬季五輪に出場する町出身3選手の激励看板を役場庁舎に掲げた。 町出身の平昌冬季五輪代表は、スピードスケートの一戸誠太郎選手(21)=信州大学=、クロスカントリースキーの石田正子選手(37)=JR北海道=、バイアスロンの三橋李奈選手(27)=自衛隊体育学校=が選ばれている。 看板は縦90センチ、横5メートル40センチの大きさ。「出場決定おめでとう!」「平昌で輝け!美幌の戦士達!」などの文字で3選手を盛り立てている。 町教委は看板のほか、JR美幌駅、網走信金美幌支店、JAびほろの3カ所にも近く懸垂幕を掲げる。(浩)(2017年1月26日の記事 経済の伝書鳩

五輪選手に激励メッセージを 美幌町役場に寄せ書き用の旗設置
平昌冬季五輪に出場する町出身の3選手への激励メッセージを寄せ書きする日章旗が23日、役場庁舎1階に設置された。 スピードスケートの一戸誠太郎=信州大学=、クロスカントリースキーの石田正子=JR北海道=、バイアスロンの三橋李奈=自衛隊体育学校=の各選手の名前が入った日章旗を設置。それぞれにメッセージを書き込むことができる。 日章旗は29日まで役場庁舎に設置され、30日~2月2日にしゃきっとプラザ、3~8日にスポーツセンターに移動。応援団に託し、平昌で選手に手渡すことになっている。(浩)(2018年1月27日の記事 経済の伝書鳩

平昌に3回の派遣を計画 美幌町オリンピック・パラリンピック選手後援会 3陣で3選手に声援
美幌町オリンピック・パラリンピック選手後援会は、2月に開幕する平昌冬季五輪に応援団を派遣する。種目の異なる町出身3選手の出場に合わせ、3回の派遣を計画している。 派遣の第1陣は2月9~12日。土谷耕治町長、スケート関係者ら8人が、一戸誠太郎=信州大学=が出場する10日のスピードスケート男子5000メートル、石田正子選手=JR北海道=が出場する11日のスキーアスロンを応援する。 第2陣は17~22日。スケート関係者、平井雄二副町長ら7人が、一戸選手の出場が予定される18日の男子団体追い抜き予選、21日の同決勝で声援を送る。 最後は21~26日で、平野浩司教育長やスキー関係者、選手の家族ら12人が三橋李奈選手=自衛隊体育学校=が出場する22日のバイアスロン女子4×6キロリレー、石田選手が出場する25日の女子30キロクラシカルを応援する。 渡航に要する費用は、1月の町議会臨時会で、旅費、後援会補助金など724万円を追加する専決処分案が承認されている。(浩)(2018年1月27日の記事 経済の伝書鳩

美幌で観戦会 石田選手を応援 18、21、25日にも予定
平昌冬季五輪クロスカントリースキー女子10キロフリーのパブリックビューイング(テレビ観戦会)が15日、町民会館びほーるで開かれ、大勢の町民が町出身の石田正子選手(37)=JR北海道=を応援した。訪れた町民は「マサコ!」コールで画面を通じて声援。力走する石田選手の姿が画面に映し出されるとスティックバルーンをたたいて盛り立てた。石田選手は18位でゴール。石田選手が所属した美幌クロスカントリースキー少年団元代表の男性(73)は「得意の30キロクラシカルに向けて順調に仕上がっているようだ」と分析した。町内の今後の観戦会は、18日(日)午後8時から一戸誠太郎選手(22)=信州大学=の出場が見込まれるスピードスケート男子団体追い抜き予選、21日(水)午後8時からの決勝、25日(日)午後3時15分から石田選手の女子30キロクラシカルに合わせ、いずれもしゃきっとプラザで予定されている。(浩)(2018年2月17日の記事 経済の伝書鳩

平昌五輪…美幌で観戦会 石田選手30キロは10位
平昌冬季五輪ノルディックスキー距離女子30キロクラシカルに出場する美幌町出身、石田正子選手(37)=JR北海道=の観戦会が25日、しゃきっとプラザで開かれた。10位で惜しくも入賞に届かなかったが、力走をねぎらう声が聞かれた。30キロクラシカルは8年前のバンクーバーで日本人距離最高位の5位入賞を果たした得意種目。この日も粘り強い滑りで終盤にかけて順位を上げ、町民らは石田選手が画面に映るたび、スティックバルーンをたたいたり、「正子」コールで盛り立てた。最前列でレースを見つめた父親(71)は「よく頑張った。ご苦労さまと声をかけてあげたい」とねぎらい、石田選手が所属した美幌クロスカントリースキー少年団元代表の男性(73)は「技術は上がっている。まだまだ頑張れる」と今後の活躍に期待を寄せた。(浩)(2018年2月27日の記事 経済の伝書鳩

2018年平昌オリンピック
第23回オリンピック冬季競技大会(だい23かいオリンピックとうききょうぎたいかい、仏: XXIIIes Jeux olympiques d’hiver、英: XXIII Olympic Winter Games、韓: 제23회 동계 올림픽)は、2018年2月9日から2月25日までの17日間、大韓民国江原道平昌郡を中心とする地域を会場として開催される予定のオリンピック冬季競技大会。一般的に平昌オリンピック(ピョンチャンオリンピック)と呼称され、平昌五輪と略される。(2018年平昌オリンピック ー Wikipedia

ピョンチャンオリンピック、スキー・クロスカントリーの女子スキーアスロンが行われ、4大会連続4回目のオリンピック出場となった美幌町出身の石田正子選手は14位でした。(スキーアスロン 石田選手14位|NHK 北海道のニュース – NHKオンライン

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美幌町 びほろちょう Bihoro Town | 美幌町(北海道網走郡)

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