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映画 カテゴリのアーカイブ
가네코 후미코 金子文子 (大正時代の日本人)
가네코 후미코 金子文子 (大正時代の日本人)
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金子 文子(かねこ ふみこ、1903年1月25日 – 1926年7月23日)は、大正期日本の社会主義思想家、アナキスト、ニヒリスト。 関東大震災の2日後に、治安警察法に基づく予防検束の名目で、愛人(内縁の夫)である朝鮮人朴烈と共に検挙され、十分な逮捕理由はなかったが、予審中に朴が大正天皇と皇太子の殺害を計画していたとほのめかし、文子も天皇制否定を論じたために、大逆罪で起訴され、有罪となった。(朴烈事件)後に天皇の慈悲として無期懲役に減刑されたが、宇都宮刑務所栃木支所に送られてそこで獄死した。2018年11月17日、日本人としては2人目になる大韓民国建国勲章(愛国章)が追叙された。 (金子文子 – Wikipedia)
가네코 후미코(일본어: 金子 文子) 혹은 박문자(한국 한자: 朴文子, 1903년 1월 25일 ~ 1926년 7월 23일)는 일본의 아나키스트이다. 조선의 아나키스트이자 독립운동가인 박열의 부인으로, 유해는 대한민국 경상북도 문경에 있다. (가네코 후미코 – Wikipedia)
Fumiko Kaneko (金子 文子 Kaneko Fumiko, January 25, 1903 – July 23, 1926) or rarely Pak Fumiko, was a Japanese anarchist and nihilist. She was convicted of plotting to assassinate members of the Japanese Imperial family. (Fumiko Kaneko – Wikipedia)
朴烈事件(ぼくれつじけん)は、1923年に逮捕された朝鮮人無政府主義者朴烈とその愛人(内縁の妻)である日本人の思想家の金子文子が皇室暗殺を計画したという大逆事件と、その予審中の風景を「怪写真」として世間に配布させて野党の立憲政友会が政府批判を展開したという付随する出来事である。朴烈・文子事件とも言う。 (朴烈事件 – Wikipedia)
『金子文子と朴烈』(かねこふみことパクヨル)は、朝鮮と日本で活動した民族主義者朴烈と朴に共鳴した日本人女性金子文子を描いた韓国の歴史映画、伝記映画である。 1923年の関東大震災朝鮮人虐殺事件や朴烈事件がとりあげられている。2017年6月28日韓国で劇場公開され、1週間足らずで観客動員数100万人を記録した。日本では2018年3月9日に第13回大阪アジアン映画祭にて『朴烈 植民地からのアナキスト』の邦題で初公開後、2019年2月に『金子文子と朴烈』と改題されて一般公開された。 (金子文子と朴烈 – Wikipedia)
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박열 朴烈 (大正時代の朝鮮人)
박열 朴烈 (大正時代の朝鮮人)
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朴烈(日本語読み;ぼく れつ、朝鮮語読み;パク・ヨル、1902年2月3日 – 1974年1月17日)は、大正時代の朝鮮の社会運動家、ニヒリストで、無政府主義者。朴烈事件の被告でもあった。 本名は朴準植(パク・ジュンシク、박준식)と言い、朴烈は書名。在日本大韓民国民団の初代団長で、韓国に帰国後、朝鮮戦争で捕虜となって北朝鮮に連行され、容共に思想矯正された。詳細については不明だが、そこで後に処刑されたと言われている。 (朴烈 – Wikipedia)
박열(朴烈, 박렬, 1902년 3월 12일 – 1974년 1월 17일)은 한국의 독립운동가이다. 본관은 함양(咸陽). 본명은 박준식(朴準植) 간토 대지진 직후 대역사건 중 하나인 박열 사건의 주모자로 체포된 후 1945년까지 22여년간 투옥 후 출소하여 일본에서 결성된 한국인 교민단체인 재일본조선거류민단의 초대 단장(1946년 10월 ~ 1949년 4월)을 지냈다. (박열 – Wikipedia)
Pak Yol (February 3, 1902 – January 17, 1974, born Pak Jun-sik) or Bak Yeol, was a Korean anarchist and independence activist who was convicted of high treason in Japan for conspiring to attack the Imperial House of Japan. (Pak Yol – Wikipedia)
朴烈事件(ぼくれつじけん)は、1923年に逮捕された朝鮮人無政府主義者朴烈とその愛人(内縁の妻)である日本人の思想家の金子文子が皇室暗殺を計画したという大逆事件と、その予審中の風景を「怪写真」として世間に配布させて野党の立憲政友会が政府批判を展開したという付随する出来事である。朴烈・文子事件とも言う。 (朴烈事件 – Wikipedia)
『金子文子と朴烈』(かねこふみことパクヨル)は、朝鮮と日本で活動した民族主義者朴烈と朴に共鳴した日本人女性金子文子を描いた韓国の歴史映画、伝記映画である。 1923年の関東大震災朝鮮人虐殺事件や朴烈事件がとりあげられている。2017年6月28日韓国で劇場公開され、1週間足らずで観客動員数100万人を記録した。日本では2018年3月9日に第13回大阪アジアン映画祭にて『朴烈 植民地からのアナキスト』の邦題で初公開後、2019年2月に『金子文子と朴烈』と改題されて一般公開された。 (金子文子と朴烈 – Wikipedia)
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日本のフォークシンガー イルカ (なごり雪)
日本のフォークシンガー イルカ (なごり雪)
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「なごり雪」(なごりゆき)は、伊勢正三が作詞・作曲したかぐや姫の楽曲。 概要 / 1975年11月にシングル発売されたイルカによるカバーバージョンがヒットを収め、以降、日本の早春を代表する歌の一つとして歌い継がれ、さまざまなアーティストによってカバーされている。 2013年に日本気象協会が選定した「季節のことば36選」で、3月のことばの一つに「なごり雪」が選ばれた。 (なごり雪 – Wikipedia)
イルカ(1950年12月3日 – )は、日本のフォークシンガー、絵本作家。本名は神部 としえ(かんべ としえ)、旧姓は保坂(ほさか)。 (イルカ (歌手) – Wikipedia)
関連サイト
イルカ公式サイト | Official Home “Made” Page(Iruka Office)
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北海道美幌町の カフェなごり雪 (日本のフォークシンガー イルカ) – 美幌音楽人 加藤雅夫
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東京ローズ Tokyo Rose / アイバ・戸栗・ダキノ Iva Toguri D’Aquino
東京ローズ Tokyo Rose / アイバ・戸栗・ダキノ Iva Toguri D’Aquino
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1月19日 歴史 / 1977年 「東京ローズ」ことアイバ戸栗ダキノがフォード米大統領の特赦によりアメリカ国籍を回復。 (1月19日 今日は何の日~毎日が記念日~)
1月19日 できごと / 1977年 – 東京ローズことアイバ戸栗ダキノが、フォード米大統領の特赦によりアメリカ国籍を回復。 (1月19日 – Wikipedia)
東京ローズ(とうきょうローズ、英語: Tokyo Rose)は、日本軍が太平洋戦争中におこなった連合国側向けプロパガンダ放送の女性アナウンサーに、アメリカ軍将兵がつけた愛称。 アイバ・戸栗・ダキノ / アイバ・戸栗・ダキノ(Iva Toguri D’Aquino、日系アメリカ人、日本名・旧姓:戸栗 郁子(とぐり いくこ)、1916年7月4日 – 2006年9月26日)「東京ローズ」の1人として、もっとも著名な人物である。 (東京ローズ – Wikipedia)
Tokyo Rose (alternative spelling Tokio Rose) was a name given by Allied troops in the South Pacific during World War II to all female English-speaking radio broadcasters of Japanese propaganda. Tokyo Rose ceased to be merely a symbol in September 1945 when Iva Toguri D’Aquino, an American-born Japanese disc jockey for a propagandist radio program, attempted to return to the United States. Toguri was accused of being the ‘real’ Tokyo Rose, arrested, tried, and became the seventh person in U.S. history to be convicted of treason. Toguri was eventually paroled from prison in 1956, but it was more than 20 years before she received an official presidential pardon for her role in the war. (Tokyo Rose – Wikipedia)
Iva Ikuko Toguri D’Aquino (July 4, 1916 – September 26, 2006) was an American who participated in English-language radio broadcasts transmitted by Radio Tokyo to Allied soldiers in the South Pacific during World War II on The Zero Hour radio show. Toguri called herself “Orphan Ann,” but she quickly became identified with the name “Tokyo Rose,” a name that was coined by Allied soldiers and that predated her broadcasts. After the Japanese defeat, Toguri was detained for a year by the United States military before being released for lack of evidence. Department of Justice officials agreed that her broadcasts were “innocuous,” but when Toguri tried to return to the US a popular uproar ensued, prompting the Federal Bureau of Investigation to renew its investigation of Toguri’s wartime activities. She was subsequently charged by the United States Attorney’s Office with eight counts of treason. Her 1949 trial resulted in a conviction on one count, making her the seventh American to be convicted on that charge, for which she spent more than six years out of a ten-year sentence in prison. Journalistic and governmental investigators years later pieced together the history of irregularities with the indictment, trial, and conviction, including confessions from key witnesses that they had perjured themselves at the various stages of their testimonies. Toguri received a pardon in 1977 from U.S. President Gerald Ford. (Iva Toguri D’Aquino – Wikipedia)
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アイバ・戸栗・ダキノ (Iva Toguri D’Aquino)
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Iva Toguri D’Aquino の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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1月14日 タロとジロの日 (南極 日本 北海道)
1月14日 タロとジロの日 (南極 日本 北海道)
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1月14日 タロとジロの日,愛と希望と勇気の日 / 1959(昭和34)年のこの日、南極に置き去りにされた南極観測隊の2匹のカラフト犬・タロとジロの生存が確認された。 1956(昭和31)年の秋、南極観測船「宗谷」で11人の隊員が東京港を出発。15頭のカラフト犬も犬ぞり隊として参加した。1958(昭和33)年、第2次越冬隊を送り込む為再び「宗谷」は南極に向かったが、厚い氷にはばまれて断念。11人の越冬隊員はヘリコプターで救出されたが、15頭のカラフト犬は救出することができず、鎖につないだまま氷原に置き去りにされた。翌1959(昭和34)年のこの日、ヘリコプターが2頭の生存を確認した。南極から打電されたこのニュースは、世界を愛と希望と勇気の感動で包んだ。 ジロは南極で死亡したが、タロは5年後に日本に生還して北海道で余生を過ごした。 1月14日 歴史 / 1959年 南極大陸で1年間置き去りにされたカラフト犬タロとジロの生存を確認。 (1月14日 今日は何の日~毎日が記念日~)
1月14日 できごと / 1959年 – 南極大陸で1年間置き去りにされたカラフト犬タロとジロの生存が確認される。 1月14日 記念日・年中行事 / 愛と希望と勇気の日(日本) 1959年のこの日、南極大陸で1年間置き去りにされたカラフト犬タロとジロの生存が確認された。 (1月14日 – Wikipedia)
タロ(1955年(昭和30年)10月 – 1970年(昭和45年)8月11日)とジロ(1955年(昭和30年)10月 – 1960年(昭和35年)7月9日)は日本による初期の南極地域観測隊に同行した樺太犬の兄弟である。南極に取り残されながら共に生存し、1年後に救出されたことで有名になる。 (タロとジロ – Wikipedia)
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1月3日 駆け落ちの日 (岡田嘉子 杉本良吉)
- 2019年01月03日(木) 0:35
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, サハリン, ポロナイスク, ロシア, 北海道, 国際, 日本, 映画, 美幌町, 音楽
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1月3日 駆け落ちの日 (岡田嘉子 杉本良吉)
1991年(平成3年) 7月1日 北海道のオホーツクマンドリンアンサンブルは音楽交流のためにロシア連邦(ソビエト連邦) サハリン州のポロナイスク市 (樺太 敷香町) を訪問した。サハリン残留朝鮮人、サハリン残留韓国人、サハリン残留日本人の方々が「日本の女優 岡田嘉子がポロナイスク(敷香)を経由して50度線の樺太国境へ向かって行った」と昨日の出来事ように話してくれた。 1991年12月 ソ連崩壊した。びっくり仰天した。 (美幌音楽人 加藤雅夫)
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1月3日 駆け落ちの日 / 1938(昭和13)年のこの日、女優の岡田嘉子と杉本良吉が、樺太の国境を越えてソ連へ亡命した。 1月3日 歴史 / 1938年 俳優・岡田嘉子が演出家・杉本良吉と樺太を越えソ連に亡命。 (1月3日 今日は何の日~毎日が記念日~)
1月3日 できごと / 1938年 – 女優・岡田嘉子が演出家・杉本良吉と共に北緯50度の樺太国境を超えてソ連に越境する。 (1月3日 – Wikipedia)
岡田 嘉子(おかだ よしこ Yoshiko Okada、1902年4月21日 – 1992年2月10日)は、日本の女優、アナウンサー。 大正から昭和初期にかけて、サイレント映画時代のトップ映画女優であった。奔放な恋愛遍歴やソビエト連邦(現:ロシア連邦)への亡命など、波乱の生涯を送ったことでも知られる。 (岡田嘉子 – Wikipedia)
杉本 良吉(すぎもと りょうきち Ryokichi Sugimoto、1907年2月9日 – 1939年10月20日)は、日本の演出家。本名は吉田好正。女優の岡田嘉子とソ連に亡命し、スパイ容疑で銃殺刑に処せられた。 (杉本良吉 – Wikipedia)
サハリン州ポロナイスク市内の幼稚園 (写真)
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1月3日 ひとみの日 (記念日)
- 2019年01月03日(木) 0:35
- カテゴリ: お知らせ, 日本, 映画, 美幌町
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1月3日 ひとみの日 (記念日)
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1月3日 瞳の日 / 眼鏡・コンタクトレンズの業界が制定。 「ひ(1)とみ(3)」の語呂合せ。 (1月3日 今日は何の日~毎日が記念日~)
1月3日 記念日・年中行事 / ひとみの日(日本の旗 日本) 眼鏡・コンタクトレンズの業界が制定。「ひ(1)とみ(3)」の語呂合せ。 (1月3日 – Wikipedia)
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4K 8Kテレビ放送 (日本)
4K 8Kテレビ放送 (日本)
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4K 8Kテレビ放送(よんけーはちけーテレビほうそう)は、現行の高精細度テレビジョン放送(ハイビジョン。1080i(2K)や720p)に比べ、映像・動画の解像度(画素数)が高い映像4Kや8Kの「スーパーハイビジョン」で行われる日本の放送の通称。 2013年に次世代放送推進フォーラム(NexTV-F)が設立され試験放送を行った。2016年4月1日にはNexTV-Fとデジタル放送推進協会(Dpa)が合併し、放送サービス高度化推進協会(A-PAB)が発足。 2018年12月1日からは、BSで本格的に家庭向け4K・8K放送が開始された。 (4K 8Kテレビ放送 – Wikipedia)
関連サイト
総務省 | 4K放送・8K放送 情報サイト | 新4K8K衛星放送を受信するには
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2018年 (平成30年) 11月のアーカイブ
- 2018年11月30日(金) 0:33
- カテゴリ: お知らせ, アジア, オホーツク, スポーツ, 健康・福祉, 北海道, 北海道人, 国際, 地震, 大相撲, 日本, 映画, 美幌町, 観光, 防災・防犯, 音楽
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2018年 (平成30年) 11月のアーカイブ
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アーカイブ / この項目では、図書館学用語について説明しています。 コンピュータ用語については「アーカイブ (コンピュータ)」をご覧ください。 ウェブ情報のアーカイブについては「ウェブアーカイブ」をご覧ください。 映画用語については「フィルム・アーカイヴ」をご覧ください。 arXivについては「arXiv」をご覧ください。アーカイブ (archive) とは、重要記録を保存・活用し、未来に伝達することをいう。日本では一般的に書庫や保存記録と訳されることが多いが、元来は公記録保管所、または公文書の保存所、履歴などを意味し、記録を保存しておく場所である。 (アーカイブ – Wikipedia)
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11月29日 フーテンの寅さん 車寅次郎 (誕生日)
11月29日 フーテンの寅さん 車寅次郎 (誕生日)
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11月29日 誕生日 / 1940年 車寅次郎 (映画登場人物『男はつらいよ』) (11月29日 今日は何の日~毎日が記念日~)
11月29日 記念日 / 誕生日(フィクション)1940年 – 車寅次郎、映画『男はつらいよ』シリーズの主人公 (11月29日 – Wikipedia)
男はつらいよ / 登場人物(映画) / レギュラー / 車寅次郎 演 – 渥美清 主人公。葛飾柴又の帝釈天にある老舗の団子屋「とらや」(4降は「くるまや」)の5代目主人、車平造と、芸者の菊との間に1940年(昭和15年)11月29日生まれ。第1作の年齢の設定は41歳。生後まもなく平造とさくらの実母に育てられるが、16歳の時に葛飾商業学校を2年で中退。第35作では葛飾商業学校同窓会からのハガキに対し、「卒業してねぇのに何で会費払わなくちゃなんねぇんだ」と言っている。第26作で旧制の中学2年のときに「芸者の子供だから教育がなっていない」と校長に言われたことに腹を立てて、体育祭の日に酒を飲んだあげく校長を殴り退学になったと、定時制高校の学生に話している。また、同作で定時制高校に編入したいと願書を書いているが、中学校中退だからと断られている。16歳で父とケンカをして家を飛び出し、放浪の果てにテキヤとなり、その際の経緯は第39作の夢のシーンで断片的ながら映像化されている。それから約20年後、帝釈祭りの日に柴又に帰省して父の団子屋に戻って来て以来、年に数回とらやにふらりと帰って来ては家出を繰り返している。家を飛び出してから全国各地を回って祭りなどで物を売りさばくのが日課。商売柄、口が非常に達者で、思いつきやデタラメに作り上げた会話で人を笑わせる、快活で拍子抜けに明るく、明朗な性格である一方、中身は子供のままで、感情が顔に出やすく、ちょっとしたことで血の気が多くなりケンカざたになる。また、美女を目にした途端にのぼせ上がり、それが毎度色恋沙汰を引き起こす。人情に厚く、義理堅い面と根は真面目な面もあり、家族のことも大切に思っているが、真面目に孝行しよう、真面目に働こうと必死になるたびに、気持ちのすれ違いや他者との誤解から、空回りしてケンカが起きることもしばしば。小学校までしかまともに教育を受けておらず、手紙なども文法は丁寧ながら字体は辛うじて通じるなど、漢字もあまりまともに読み書きができない(例えば、封建主義を「ふうけんしゅぎ」、喫茶店を「きっちゃてん」と呼ぶ等)。和食党で好物は芋の煮っころがしやがんもどき。歌はうまく、旅先で鼻歌、替え歌を口ずさむことを好む。鈍行列車を好み速い乗り物は苦手であるが第25作と第42作では飛行機、第46作では新幹線に騒動の末、乗っている。日本各地をテキヤ稼業で旅してるので、国内の名所には詳しいが、一方で外国を毛嫌いしてる部分も多く、成り行きで旅行したウィーンでも、辛うじて「ありがとう」のドイツ語・「ダンケ」を覚えられただけである。腹違いの妹・さくらのことを常に気にかけている。 寅次郎の名は、映画監督の斎藤寅次郎にちなみ、車は非人頭が代々受け継いだ名前「車善七」からとの解釈があるが、監督の山田洋次はそれを否定して、当初姓に考えた轟が物々しいのでそこから1字とって姓は車に、寅は落語の熊さんから転じたもので、さらに次男だから次郎をつけて寅次郎としたと説明している。なおドラマ版では一獲千金を狙って沖縄までハブを取りに行ったところ、逆に噛まれた事で、源吉の頭を叩きながらそのまま亡くなって行くという悲劇的な最期を迎えるが、映画版ではそのままとらやに帰ってこなくなり消息不明となったことが満男の回想により明らかになる。 (男はつらいよ – Wikipedia)
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