小林啓一郎氏(JMU 日本マンドリン連盟顧問)年譜

北海道釧路市出身の音楽愛好家・小林啓一郎(JMU 日本マンドリン連盟顧問)を偲ぶ年譜を作成しました。小林啓一郎氏の「音楽普及・振興活動」(明治・大正・昭和・平成)をご覧ください。(美幌の加藤雅夫)

写真: 道民芸術祭で釧路マンドリンアンサンブルと美幌マンドリンクラブ共演(1990 美幌町民会館)

小林啓一郎(釧路マンドリンアンサンブル名誉会長、日本マンドリン連盟顧問)

1909(明治42)年2月 釧路市で生れる。

1926(大正15)年 旧制釧路中学校(釧路湖陵高校)在学中に湖中音楽部を結成 して湖陵音楽会を開催し反響を呼ぶ。

1927(昭和2)年 卒業と同時に佐々木政夫主宰マンドリンオーケストラ「オルケストラ・マンドリニスティカ・ディ・クシロ」及び斎藤末吉主宰「釧路ハーモニカ研究会」に入会。佐々木政夫より、マンドリン、ギターの技法及び音楽理論等について指導を受けると共に釧路中学校音楽部の指導にあたる。

1928(昭和3)年 佐々木政夫の上京後、マンドリンオーケストラの中心的存在となり、メンバーの増強、低音楽器の導入を図るとともに活発な活動を行う。この間、Vチェロ及びCバスを習得する。

1932(昭和7)年6月 斎藤末吉ハーモニカ独奏のギター伴奏者として招かれて、札幌JOJK(NHK札幌放送局)よりラジオ放送に初出演。8月、札幌に転職。九島勝太郎(日本マンドリン連盟北海道支部長)主宰「札幌プレクトラム協会」(札幌プレクトラムアンサンブル)に入会。昭和10年秋帰釧するまでの間、札幌に於いて演奏会、放送などに参加、活発な演奏活動を行う。

1935(昭和10)年10月に帰釧。マンドリン団体を「釧路マンドリン合奏団」として再編成して、演奏指揮及び運営にあたる。

1936(昭和11)年11月 勝見義雄と共に「釧路管弦楽団」の結成準備にあたり、翌12年春に、釧路管弦楽団創立演奏会を開催。以来毎年春秋2回にわたり定期演奏会のほか、賛助出演、地方演奏会、ラジオ放送など、道東唯一の管弦楽団として活発な活動を行ったが、この間創立当初よりオーケストラの指揮、奏者及び運営の中心となって活躍。

1940(昭和15)年6月 上京の際、佐々木政夫の主宰する「日本ギターマンドリン研究会」のギターアンサンブルに参加し、JOKA東京(NHK東京放送局)よりラジオ放送に出演。

1945(昭和20)年7月 釧路空襲により、釧路管弦楽団の楽器、楽譜その他一切を焼失、演奏活動は休止のやむなきに至る。

1946(昭和21)年 太平洋戦争の終結後「釧路管弦楽団」復活。NHK「素人のど自慢」のラジオ公開放送が開始され、JOPG釧路(NHK釧路放送局)より審査員を委嘱される。(昭和34年頃まで)

1950(昭和25)年 高後勉の提唱による音楽鑑賞団体「釧路音楽同好協会」(釧路音楽協会)の設立に参加し、設立後も役員としてその発展につとめる。

1955(昭和30)年 釧路市役所在職中、「釧路市文化賞」設定の企画立案を担当し、同賞施行とともにその委員を委嘱せられ、引続き同制度の「審議会」委員、副委員長、委員長として同制度の運用にあたる。(昭和37年まで)

1958(昭和33)年 釧路管弦楽団の「釧路市文化賞受賞記念演奏会」開催、演奏指揮にあたる。

1969(昭和44)年 クシロマンドリンクラブ(昭和41年11月結成)に指揮者として入会。同年「釧路プレクトラム連盟」理事長、翌45年「日本マンドリン連盟」理事、クシロマンドリンクラブ会長に推され再びマンドリン音楽に復帰して演奏活動を再開する。

1972(昭和47)年 美幌町、国立療養所美幌病院で慰問演奏会を開催(小林啓一郎指揮・クシロマンドリンクラブ)。美幌ギター愛好会(美幌マンドリンクラブ)賛助出演。

1973(昭和48)年 「カリンカマンドリンクラブ・クシロ」(釧路マンドリンアンサンブル)顧問に推され、昭和50年9月釧路市に於いて開催された「第6回北海道芸術祭・洋楽祭」に、クシロマンドリンクラブ、カリンカマンドリンクラブ・クシロと共に、九島勝太郎指揮「札幌プレクトラムアンサンブル」の演奏に賛助出演。

1980(昭和55)年 クシロマンドリンクラブの活動休止後、釧路マンドリンアンサンブルの指揮者に就任。昭和56年より61年まで会長としてアンサンブルの指揮及び運営にあたる。

1987(昭和62)年 釧路マンドリンアンサンブル名誉会長。引続き後進の指導とマンドリン音楽の振興発展に努めた。

1995(平成7)年2月5日 死去。(86歳)

昭和62年7月12日に釧路市民文化会館で開催された 釧路マンドリンアンサンブル第7回演奏会「1987 SUMMER NIGHT CONCERT」(日本マンドリン連盟北海道支部、釧路音楽協会、釧路市文化団体連絡協議会後援)のプログラムより一部引用。
加藤雅夫のあゆみ


Detlef Tewes, Mandolin Orchestra Ettlingen/Germany, ヴィヴァルディ/マンドリン協奏曲 ハ長調 RV.425 「第1楽章」 「第2楽章」 「第3楽章
 
日本マンドリン連盟 – Wikipedia 日本マンドリン連盟(にほんマンドリンれんめい、英語表記はJapan Mandolin Union、略称はJMU)は、日本のマンドリン音楽の普及を目的として1968年に創設された。 日本のクラシック・マンドリン関係者をカバーする全国組織としては、JMUのほか大学のマンドリン合奏団体が集う全日本学生マンドリン連盟があるが、JMUは大学を含む学生と社会人の演奏団体および個人を正会員とする民間の任意団体である。 日本マンドリン連盟は、8つの支部から成り立っている。(北海道支部、東北支部、関東支部、中部支部、北陸支部、関西支部、中国支部、九州支部)
 
関連エントリー(美幌音楽人 加藤雅夫)
藤女子大学マンドリンクラブ「フジフロイライン」美幌演奏会
http://masaokato.jp/history/ad1967
藤女子大学マンドリンクラブ「フジフロイライン」美幌町合宿
http://masaokato.jp/history/ad1997
Viva Mandolin(OMP) 折井清純マンドリン
http://masaokato.jp/2009/02/08/185457
マンドリンニュース 明治大学マンドリン倶楽部
http://masaokato.jp/2009/08/26/084711
マンドリンプレクトラム・ソサエティ 5回目の音楽会(マンドリン)
http://masaokato.jp/2010/03/30/180027
Ikemy’s Mandolin Guitar MIDI Listening Room, Ikemy (池宮英夫)
http://masaokato.jp/2010/06/19/110148
明大
http://masaokato.jp/2010/06/28/102143
北海道北見市で、日ロシンポジウムとフルートコンサート
http://masaokato.jp/2010/07/30/094136
ラコムのボレロ、マンドリン・ギター合奏 MIDI
http://masaokato.jp/2010/08/01/141114
2010 第6回道東マンドリンフェスティバル(北海道北見市)
http://masaokato.jp/2010/08/23/203045
マンドリン カテゴリのアーカイブ – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/blog/music/mandrin

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  1. 関連動画


    エーデルワイス 釧路マンドリンアンサンブル
    http://youtu.be/YoHk245P-Wc

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    加藤 雅夫 より 2014 年 4 月 23 日 00:03

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