2010年8月 アメリカ音楽療法だより

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8月の音楽療法だよりはアメリカ音楽療法学会認定の音楽療法士 北脇歩(きたわき あゆむ)さんからです。アメリカ合衆国ミシガン州にてホスピスケアと在宅ヘルスケアの実践レポートです。 (伊賀音楽療法研究会メールマガジン8月号)

写真: “I Am a Cat”

[世界音楽療法情報]
JMTSPアメリカ音楽療法だより(56)

メルマガ8月号を担当させていただきます、北脇歩です。昨年のアメリカ音楽療法学会でサコさんとお会いして、それを通じてここにこうして皆様と音楽療法に関して分かち合える場をいただけたことに感謝いたします。

私は現在ミシガン州にてHeartland Home Health Care & Hospiceの音楽療法士として、末期患者さんとそのご家族のサポートをさせていただいています。今日は患者さんとそのご家族が持たれている「痛み」を軽減する為、どのような音楽療法テクニックを使用し、それがどのようにQuality ofLife高める事に繋がるのかを実際の臨床例を用いてお話させていただければと思います。

各ホスピスチームによって異なりますが、医師、看護士、介護士、ソーシャルワーカー、チャプレン、ボランティアコーディネーター、患者さんが亡くなられた後(たまに生前も)のサポートをするBereavementコーディネーター、栄養士、そして音楽療法士などで構成されたチームで患者さんとそのご家族が持たれているあらゆる問題の解決、またニーズにお答えできる努力をします。私たちのチームにはこれにマッサージ療法士とペット療法士が加わります。

直接患者さんと接するクリニシャンはどのスタッフも、患者さんに「痛み」を感じるか、あればどれくらい感じるのかをお会いする度にお伺いします。「痛み」は0(無し)から10(最大)で患者さんがどれくらいその「痛み」を感じるか自身で判断していただきます。ある方は苦しそうな表情と共に0/10と言われ、またある方は客観的にみて苦しそうでなく冷静に会話ができるのですが、その方の我慢できるレベルである4/10を遥かに超える8/10という高いレベルを常に提示される方もおられます。原則として患者さんがホスピスケアを受け始めてからできるだけ早く、そして多くの「痛み」を和らげることがケアの第一歩ですが、それでもその「痛み」は引き続き小さくまた大きく変化します。ケアを受けられている患者さんの「痛み」は単に身体的なものだけではなく、心理的/精神的なことであったり、社会的なことであったり、または霊的/スピリチュアルなものであったり、またご家族に関しても同じく、それは個人によって様々です。それは目に見えるもの見えないもの、表現されるものされないもの、患者さんやご家族ご本人も気付いていないもの、それら別々の痛みが1人1人違ったレベルで複雑に絡み合って、最終的にその患者さんが感じる「痛み」というものが存在すると考えています。だからこそ私たちはチーム内での意見交換や、必要に応じて他のスタッフと共に患者さんやご家族にお会いする事などのチームワークはとても重要であると考えています。そして音楽療法がホスピスにおいて効果的で益々取り入れられている理由の1つに、身体的、心理的、社会的、霊的ニーズに1つ1つ対応するだけでなく、いくつかに同時に対応することが出来る点です。ここで臨床例の1つをお話したいと思います。

ケース1: 
80代で末期の肺ガンと診断され、ご家族の方からの希望でホスピスケアを受けることになったBさんは、腫瘍の痛みがあり、あと常に感情的でイライラしておられることが多く、ホスピススタッフもその怒りのはけ口になっていました。そこである日ケースマネージャーの看護士とソーシャルワーカーから音楽療法によるサポートの相談を受けました。患者さんがかつて音楽好きだったということもあってご家族も音楽療法に賛成でしたが、半信半疑であったというのが本音だとおっしゃっておれらました。

初めてお会いした日、私がご挨拶をすると突然「することをしてさっさと帰れ!」と凄い剣幕で怒鳴られました。その後Bさんは口を閉ざしてしまいましたが、私はアセスメントのため彼の育った時代や環境に応じた、Bさんが興味のもたれるような音楽や歌を演奏する中、とある古い讃美歌にて突然Bさんは泣き崩れました。それはあたかも溜まっていたものがついに爆発しあふれ出るかのようでした。私は「ここでは何が間違っていて正しいというルールはありません。どうぞ思うまま感じるままにいてください。」と言うと、隣に座っていた娘さんも彼の手を握りながら、「お父さん、泣いてもいいのよ。お父さんにはそれが必要なの。」と言われるとBさんはまた泣き崩れました。娘さんによるとBさんは感情表現が得意な人ではないとのことでした。

その後ある話を聞きました。彼が第二次世界大戦にて相手兵を殺めてしまったことを60年間悔やみ苦しみ続けてきたこと、そのことを上手く表現出来ないで自分の中だけにしまい続けてきたこと、その全てを思い入れのある讃美歌のメロディーとその歌詞の持つ意味がやさしく溶かし出したのだということでした。私はBさんに歌や音楽が導くままに自分を表現してもらっていいのだということを改めて告げました。その日のセッション中、Bさんが殺めてしまった兵士の方に心からの黙祷をささげられました。Bさんは静かに涙を流しておられました。私は静かにその黙祷に合わせ讃美歌を演奏すること歌うことでその時を共に過ごしました。

ある日Bさんの弟さんとお会いする機会がありました。彼は地方で有名な現役のカントリーバンドのギタリストで、若かった頃はBさんとよく歌い演奏されたということでした。私たち3人は共に演奏を楽しみ、本人了解のもとそれを録音しCDを作りました。Bさんはかつてギターを弾いておられたのですが、もう左手が動かずコードをおさえることが出来ませんでしたが、私が抱えコードを押さえるギターの弦を指ではじき、その感覚をとても懐かしんでおられました。Bさんはその弟さんとの楽しい時間の中、腫瘍の痛みの感覚を忘れる事ができたと言っておられました。弟さんは「失った時間が戻ってきたようだ。この日の事は絶対忘れない。」と私が帰る時に耳元で小さくおっしゃいました。

思い入れのある歌を通じてBさんは多くの思い出を語られました。その時の表情はかつてのイライラした表情ではなく、豊かで穏やかな表情に変わっていました。その多くは家族や友人を愛して大切に思っておられるということを話されていました。照れ屋で口数の少なめなBさんでしたので、私はそれらの歌を歌いそれをビデオに撮ることで、ご家族へビデオメッセージとして伝えてみるのはどうかと提案しました。6曲ほど選曲し共に歌いました。私はそれをDVDにしてBさんからのプレゼントとしてご家族へお渡ししました。

時が進むにつれBさんは私のギターの弦をはじく事も歌う事も出来なくなりました。ただひたすら讃美歌を彼のベッドサイドで歌って欲しいと言っておられました。讃美歌を私が歌った後にその歌詞について2人で話し合うのが決まり事になりました。ある日「もう準備は出来た。いつでも神の判断に従うよ。」と笑顔で言われました。この過程で彼はしっかり死と向かい合い、それを自然に受け入れていかれました。ご家族もBさんとの意味のある関わりにより、やがてBさんに訪れるその現実を受け入れていかれました。

それから何日も経たない頃にBさんの意識がなくなったと連絡をうけました。手や体が冷たくなって、息もかろうじてしているその日、彼のベッドサイドでご家族がさよならを言われる中、私は彼のその緩やかな呼吸に合わせながら、彼の好きだった讃美歌を静かに歌い続けました。やがて呼吸が静かに止まりBさんはご家族と好きだった歌に囲まれながら息を引き取られました。

私はご家族と共にお葬式のプランねりました。そしてご家族の希望でBさんのお葬式で彼が好きだった讃美歌を歌い、そしてそこでは弟さんと作ったCDが演奏され、歌のメッセージビデオも流されました。Bさんは大きなスクリーンを通してご家族友人みなさんに歌を通してその気持ちを伝えられました。お葬式はとてもクリエイティブで型にはまったものではありませんでしたが、笑いがあり涙がありのとても意味のあるものになったと話されていました。1週間後にフォローアップでご家族に会いに行った時、ご家族はCDとDVDがBさんからの素晴らしい贈り物になったとおっしゃっておられました。

ホスピスでは様々な音楽療法テクニックにより身体的、心理的、社会的、霊的な問題に対応し、患者さんとそのご家族は意味のある経験を通じて、その全人的なケアで「痛み」は軽減し、Quality of Lifeが高まるのだと信じています。その一環として私たちが「Legacy Project」と呼んでいる、患者さんとご家族の間に意味のある形あるものを残すことも必要に応じて行います。時にはそれはCDやビデオであったり、その方にとって意味のある歌の歌詞や写真を一緒にした特別な本やアルバムを作ったり、またオリジナルの歌を書いたりとケースごとに異なります。次のケースはその「Legacy Project」において、患者さんが残されたものが亡くなられた後どのように影響してくことがあるかお話しさせていただきたいと思います。

ケース2:
20代のDさんは多発性硬化症の末期症状で医療施設におられました。会話は簡単なものではありませんでしたが、紙にアルファベットを書いたものを指でなぞることで成り立っていました。右手をかろうじて動かせることが出来るくらいでしたが、彼との「Secret Handshake」はお決まりの挨拶でした。アセスメントを通じて、音楽療法に求められたものは彼の表現力を高めること、自主性を高めてそれを維持する事、意味のある関わりをもてる事、家族に何かを残せる事でした。出来る限りのサポートをするつもりで、私は彼に自作の歌を作ってみないかと提案してみました。こういう時「私はそんなことしたことがないから・・・。」などと言われる事が多い中、彼は「すごい!できるかどうか分からないけどやってみたい。」という答えが返ってきました。Dさんは当時愛犬を亡くされた直後で、その歌を書きたいとおっしゃいました。彼はブルースが好きでしたので、12-Bar Bluesで歌を書く事に決定しました。1番の歌詞はその愛犬がDさんにとってどれほど大切であったかに関して書かれ、メロディーはベッドのテーブルの上に乗る小さいキーボードを、彼が右手の指でなぞったものを私が拾って、正しいかどうかをお互いに確認していくという作業を繰り返しました。時間はかかりましたが本人の納得のいく本人によるメロディーができました。2番の歌詞はその愛犬の死を通じて彼が学んだ事、必ず感謝すべきことがあるんだ、ということ書かれました。そして3番の歌詞に関して相談している時、私は愛犬から学んだ死というものと照らし合わせ、人生について思うことを書いてみたらどうだろうかと提案しました。すると彼は「人生とは辛く、驚きで、そして美しいものだ。」と私に言い、この歌を閉める最後の言葉にしようという事になりました。

その最後の歌詞がもうすぐ完成するという時、Dさんは意識が無くなりました。その知らせを受け駆けつけた時、そこには彼のお母様が彼のベッドで添い寝をしながらひたすら泣いておられたのを憶えています。私はその日初めてDさんのお母様にお会いすることになったのですが、挨拶をしてすぐ「Dは私が仕事終わりに会いに行く度、『今友達と自作の歌を書いている、楽しみにしておいて。』といつもうれしそうに話していました。そんなこと出来るのって思ったけど、本人の自信から本当なんだと分かりました。」とおっしゃいました。未完成でしたが、彼のベッドサイドでその歌を演奏しました。そしてお母様にあと少しで完成なのですが、どうかDさんのためにも手伝ってもらえませんかと尋ねると快く受け入れていただきました。そして彼の歌が完成し、彼のもう1つの願いでもありましたその歌を録音してCDを作るという作業もそのベッドサイドでおこないました。彼の呼吸に合わせゆっくりそして静かにその歌を歌いました。その次の日の朝にDさんはご家族に見守られながら静かに息を引き取られたと知らせを受けました。お母様からのご希望でDさんの歌をお葬式で歌い、そしてDさんの願いであったCDもご家族へお渡ししました。お渡ししてから2週間後、お母様の方から電話連絡があり、「しばらくは辛くてCDを聞くことができませんでした。でもようやく聞くことが出来て以来毎日毎日聞き続けています。」そして続けて「あのCDの中で息子が呼吸をしていて、それが一緒に歌ってるみたいでうれしくて。」とおっしゃいました。自分よりも先に自分の子どもを失う辛さや痛みは私には想像も出来ません。しかしこのお母様はDさんからのメッセージである「人生は辛く、驚きで、そして美しいものなんだ。」という言葉とそれを歌うDさんに支えられているとのことでした。音楽療法を通じて患者さんが残したものがご本人が亡くなられた後もご家族の心の痛みを癒し続ける1つの臨床例でした。

今日は私事でしたが読んでいただきましてありがとうございました。私はこの仕事で音楽療法というケアを与える側ではあるのですが、実はそれよりももっとたくさんのことを患者さんとそのご家族から受け取り学ばせていただいています。たくさんの方々に音楽療法士として育てていただいており、ただ感謝の気持ちでいっぱいです。どうかこの記事が何か少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。皆様が引き続き素晴らしい日々を過ごされるよう心から祈っております。
北脇歩,MM,MT-BC

 
[編集後記]
9月24日(金)~26日(日)、日本音楽療法学会の神戸学術大会が開催されます。国家資格は依然として「音楽福祉士」で進めているようです。この名称では実践者が自らの首をしめることになる気がしてなりません。介護現場で活躍する音楽療法士は良いとしても、この名称となると医療機関で働く音楽療法士達はどのような位置づけとなるのでしょうか…一部の理事さんたちと会員の乖離が気になるところです。会員の義務として総会には出るつもりですが、本分は学びです。国内外の最先端トピックスやたくさんの事例を吸収して、自らの実践に反映して行けたら良いなあ、と思っています。来月の学術大会、色んな意味で楽しみです。

伊賀音楽療法研究会メールマガジン編集室
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Miagetegoran yoru no hoshiwo – Kyu Sakamoto
見上げてごらん夜の星を – 坂本九(さかもと きゅう、1985年8月12日没)

「JMTSP」の関連リンク
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「音楽療法」の関連エントリー(美幌音楽人 加藤雅夫)
JMTSP アメリカ音楽療法だより 9月
http://masaokato.jp/2009/09/17/004224
2010年 アメリカ音楽療法だより
http://masaokato.jp/2010/02/16/114340
2010年3月 アメリカ音楽療法だより
http://masaokato.jp/2010/02/16/114340#comment-1817
アメリカからの手紙(日本人の音楽療法士)
http://masaokato.jp/2010/04/26/071000
2010年5月 アメリカ音楽療法だより
http://masaokato.jp/2010/05/30/063818
2010年7月 アメリカ音楽療法だより
http://masaokato.jp/2010/07/11/180509

All to music therapist: Masao Kato (Japan)
癒し音楽(α波)、最良のリラクゼーション(Relaxation)
http://masaokato.jp/2010/05/06/012331

「美幌音楽人加藤雅夫」のツイッター
加藤 雅夫 (bihorokato) on Twitter
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2 件のコメント

  1. 見上げてごらん夜の星を、ハーモニカの演奏が胸に迫ります。

    痛みの寛解;脳卒中の後遺症(視床痛:疼痛)に悩む私には、藁をもすがる思いです。パソコンをやっている時も、常に寛げる音楽を聞きながらの「ながら族」です。興味深い記事のご紹介をありがとうございました。

    なりひら より 2010 年 8 月 12 日 18:43

  2. なりひらさん、ありがとう。

    かえしコメント: ターミナルケアとマラソン選手について

    マラソン選手たちは意気揚々とスタート地点を出発していきます。
    そして、ほとんどの選手が意気消沈してゴール地点に戻って来ます。
    観客はメインスタジアムに現われた選手に惜しみない声援と拍手を贈ります。
    マラソン選手は元気回復して、最後の力を出し切ってゴールインします。

    ターミナルケアは「思いやりの共感」ですね。
    わたしとなりひらさんも人生のメインスタジアムに現われています。
    たどり着く人生のゴールは、はっきりと見えています。

    加藤 雅夫 より 2010 年 8 月 12 日 21:43

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