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お知らせ カテゴリのアーカイブ
置戸小・中学校卒業生の同窓会(高貴高齢者同期会)について
置戸小・中学校卒業生の同窓会(高貴高齢者同期会)について
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シリーズ絆(きずな) 置戸小・中学校卒の高貴高齢者同期会 / 郷土資料館で出合った貴重な展示物に感激 ふるさとの仲間からパワーもらった / 昭和31年に置戸小学校、同34年に置戸中学校を卒業した同窓会「高貴高齢者同期会」がさきごろ置戸町などで開かれ、40人が出席した。「75歳となる今回が最後になるかもしれない」と道外から10人が駆けつけ、感慨深げに旧交を温めた。置戸で鹿ノ子ダム、虹の滝、郷土資料館を巡り、パークゴルフを楽しんだ。資料館では“サプライズ”が待っていた。中学時代の担任のひとりだった町内在住の夫妻が訪れ、教え子達と久しぶりの再会を果たし喜び合った。また同窓生の多くが初めて目にした展示物に感激。マサカリやノコギリで切り倒した大木を馬や森林鉄道で搬送する様子を再現した模型や、昭和27年から58年までの置戸市街の戸別明細図などにくぎ付けとなった。33年の明細図には二十数件の木材工場の写真が並び、35年の人口が1万3千人を超えていたことなど、賑わいを物語る資料を目にして「懐かしいね」という声が上がった。体調に不安を抱えて参加した人もいたが「置戸の仲間と再会してパワーをもらった」「貴重な資料に出合えてよかった」と幹事に感謝の声が届いているそう。(成) (2018年6月11日の記事 経済の伝書鳩)
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2018 第20回 北海道還暦軟式野球選手権大会(オール北見クラブ)について
2018 第20回 北海道還暦軟式野球選手権大会(オール北見クラブ)について
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オール北見クラブ躍進、全国大会へ 60歳以上の還暦野球で… / 野球チーム・オール北見クラブが60歳以上の道内最大規模の大会、第20回北海道還暦軟式野球選手権(2~4日、上川管内比布町など)で躍進した。次々と強豪を倒し、準々決勝では11年前の決勝戦で敗れた札幌スターズに雪辱。4強入りし、全国大会出場を決めた。11年前の雪辱果たし4強 来年こそ全道の頂点に / 一昨年がベスト4、昨年がベスト8と一定の成績を収めているが、近年はなかなか決勝進出に至らず「20回の節目の今年は、最高の成績を残したい」(監督)と臨んだ。北見市で開催された2007年の第9回大会(出場20チーム)で準優勝したのが最高成績。そのときは決勝で札幌スターズに17-2と大敗し力尽きている。監督によると、チームは「投手陣は道内屈指。ただ打撃陣は左投手に弱く、事前の練習では右打ちを重点的に取り組みました」。大会には全道40チームが参加。「トーナメントの序盤戦で当たる旭川や釧路のチームは新人が加入し力をつけている、という情報が入っており、気を緩めずに臨んだ」。2回戦から登場したオール北見クラブは初戦の旭川グランパーズに10-1で快勝。次の3回戦、釧路シニアクラブとは予想通り接戦になり、終盤に逆転し2-1で勝ち上がった。続いて同じ日の午後に行われた準々決勝は過去数回の優勝を誇り、昨年も準優勝の札幌スターズと対戦。オール北見クラブは連投となる投手(65)が「この日良かった」という変化球と伸びのあるストレートで要所を抑え、最後は遊ゴロ併殺で締めて3-2で勝利。「有利に試合を運べたのがよかった」。準決勝は大会2連覇中の苫小牧シニア倶楽部に惜しくも6-2で敗れた。3位タイとなり、来年の全国大会出場を決めたが、ナインは「来年こそは決勝戦、そして一番上に」と早くも意欲を燃やす。(寒) (2018年6月11日の記事 経済の伝書鳩)
道還暦軟式野球選手権 全道大会で躍動 オール北見クラブ / 打って走って…生涯現役 / 60歳以上の野球チーム・オール北見クラブが全道大会で躍動した。北海道還暦軟式野球選手権大会の奮闘ぶりを少し紹介。オール北見クラブ ▽2回戦=10-1旭川グランパーズ ▽3回戦=2-1釧路シニアクラブ ▽準々決勝=3-2札幌スターズ ▽準決勝=2-6苫小牧シニア倶楽部 (寒) (2018年6月11日の記事 経済の伝書鳩)
公益財団法人全日本軟式野球連盟(ぜんにほんなんしきやきゅうれんめい、英: JAPAN RUBBER BASEBALL ASSOCIATION)とは、日本の公益法人でアマチュア野球統括団体の1つである。概要 / 軟式野球は日本で生まれたスポーツであり、硬式野球と比べて怪我をすることが少なく、用具も硬式用と比べて安く手に入りやすくて人気があり、競技人口も高い上に硬式の社会人野球チームによくあるチームの休部や廃部、チームの統合が少なく、安定した戦力、チームを保持できる(ただし、怪我やチームの休部、統廃合などはある。) また全軟連は、日本スポーツ協会と共に日本オリンピック委員会(JOC)にも加盟しており、近い将来、「軟式野球が」オリンピックの正式種目となる可能性がある。傘下団体・支部 / 還暦 / 全日本還暦軟式野球連盟、各都道府県還暦軟式野球連盟、本還暦軟式野球選手権大会 毎年9月末開催(各県予選を勝ち抜いたチームなどによって争われる )。(全日本軟式野球連盟 – Wikipedia)
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6月13日 はやぶさの日(日本)
6月13日 はやぶさの日(日本)
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6月13日 はやぶさの日 / 宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所がある神奈川県相模原市が2012年に制定。2010年のこの日、小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」までの7年間の旅を終えて地球に帰還した。歴史 / 2010年 小惑星探査機「はやぶさ」が7年ぶりに地球に帰還。(6月13日 今日は何の日~毎日が記念日~)
6月13日 できごと / 2010年 – 小惑星探査機「はやぶさ」が7年ぶりに地球に帰還。6月13日 はやぶさの日(日本)2010年のこの日、世界初の小惑星サンプルリターンなどを成し遂げた宇宙探査機はやぶさが地球に帰還したことを記念。(6月13日 – Wikipedia)
はやぶさ(第20号科学衛星MUSES-C)は、2003年5月9日13時29分25秒(日本標準時、以下同様)に宇宙科学研究所(ISAS)が打ち上げた小惑星探査機で、ひてん、はるかに続くMUSESシリーズ3番目の工学実験機である。イオンエンジンの実証試験を行いながら2005年夏にアポロ群の小惑星 (25143) イトカワに到達し、その表面を詳しく観測してサンプル採集を試みた後、2010年6月13日22時51分、60億 kmの旅を終え、地球に大気圏再突入した。地球重力圏外にある天体の固体表面に着陸してのサンプルリターンに、世界で初めて成功した。反応 / 複数の技術的なトラブルに見舞われ帰還を絶望視されつつも、それを乗り越えて地球への帰還を目指すはやぶさの旅程は、多くの日本人に美談として受け止められ共感を呼んだ。天皇・皇后 / 天皇誕生日に先立つ2010年12月20日の記者会見で、今上天皇は「はやぶさ」について次のように述べた。小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」に着陸し、微粒子を持ち帰ったことは誠に喜ばしい今年の快挙でした。一時は行方不明になるなど数々の故障を克服し、ついに地球に帰還しました。行方不明になっても決して諦めず、様々な工夫を重ね、ついに帰還を果たしたことに深い感動を覚えました。— 今上天皇。また皇后は、はやぶさが大気圏に突入した時のことを和歌に詠んだ。その帰路に己れを焼きし「はやぶさ」の光輝(かがや)かに明かるかりしと— 皇后。メディア / 2010年6月13日の地球帰還が近付くにつれてニュースやワイドショーで取り上げられる機会も増え、6月10日にはNHKの『クローズアップ現代』で「傷だらけの帰還 探査機はやぶさの大航海」が放送された。インターネットによる広報と反響 / はやぶさは、「星の王子さまに会いに行きませんか」キャンペーンを実施し、国内外から88万人の署名入りターゲットマーカーを積んでいたことで、投下成功のニュースには多くの励ましのメールがJAXAに届けられた。(はやぶさ (探査機) – Wikipedia)
Hayabusa (はやぶさ, literally “Peregrine Falcon”) was an unmanned spacecraft developed by the Japan Aerospace Exploration Agency (JAXA) to return a sample of material from a small near-Earth asteroid named 25143 Itokawa to Earth for further analysis. Hayabusa, formerly known as MUSES-C for Mu Space Engineering Spacecraft C, was launched on 9 May 2003 and rendezvoused with Itokawa in mid-September 2005. After arriving at Itokawa, Hayabusa studied the asteroid’s shape, spin, topography, colour, composition, density, and history. In November 2005, it landed on the asteroid and collected samples in the form of tiny grains of asteroidal material, which were returned to Earth aboard the spacecraft on 13 June 2010. (Hayabusa – Wikipedia)
関連サイト
「はやぶさ」 奇跡の帰還 | NHK名作選(動画他) – NHK語学番組 – NHKオンライン
小惑星探査機「はやぶさ」 | 科学衛星・探査機 | 宇宙科学研究所
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「はやぶさの奇跡〜挑戦と復活の2592日」(的川泰宣) ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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小さな親切運動スタートの日(日本)
- 2018年06月13日(水) 0:55
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, 北海道, 日本
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小さな親切運動スタートの日(日本)
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記念日 6月13日 / 小さな親切運動スタートの日 / 1963年のこの日、「小さな親切」運動本部が発足した。その年の東京大学の卒業式の告辞の中で、茅誠司総長が「小さな親切を勇気をもってやってほしい」と言ったことがきっかけとなって、6月13日に茅氏を始めとする8名の提唱者が、運動を発足させた。“できる親切はみんなでしよう それが社会の習慣となるように”、“人を信じ、人を愛し、人に尽くす”をスローガンに運動が進められている。歴史 / 1963年 東大総長茅誠司らが「小さな親切運動」を開始。(6月13日 今日は何の日~毎日が記念日~)
6月13日 記念日 / 小さな親切運動スタートの日(日本)1963年のこの日に小さな親切運動本部が発足したことを記念。その年の東京大学の卒業式の告辞の中で、総長の茅誠司が「小さな親切を勇気をもってやってほしい」と言ったことがきっかけとなり、6月13日に茅ほか8名の提唱者でこの運動を発足させた。(6月13日 – Wikipedia)
小さな親切運動(ちいさなしんせつうんどう)とは、人には思いやりと親切の心をもって接し、困っている人には誰もができる範囲で親切にしようという運動。お互いが思いやり、支えあうことでよりよい社会を築くことを目指している。主な活動に、「小さな親切」実行章の贈呈、作文コンクール、はがきキャンペーン、日本列島クリーン大作戦、日本列島コスモス作戦、青少年育成事業などがある。運営費は会員の寄付によって賄われ、会員には法人会員と個人会員がある。運営団体 / 公益社団法人「小さな親切」運動本部、所在地-東京都千代田区。歴史 / 1963年3月 東京大学卒業式の告辞で、総長であった茅誠司が「小さな親切」の重要性を訴える。その後、実践例が新聞などで報じられ、社会から幅広い共感が寄せられる。1963年6月13日 社団法人「小さな親切」運動本部設立。茅が初代代表に就任し、以後23年間同職を務める。(小さな親切運動 – Wikipedia)
関連サイト
今日は「小さな親切」運動スタートの日です! – 公益社団法人「小さな親切」運動本部
公益社団法人「小さな親切」運動本部 – できる親切はみんなでしよう それが社会の習慣となるように
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小さな親切運動スタートの日 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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アンネの日記(アンネ・フランク)日記の日(日本)について
アンネの日記(アンネ・フランク)日記の日(日本)について
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6月12日 アンネの日記の日 / 1942年のこの日、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められた。アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、アムステルダムの隠れ家に身を隠した。日記は隠れ家に入る少し前の、この日の13歳の誕生日に父から贈られたものだった。1944年8月1日、アンネらは隠れ家から連れ出されて、ポーランドのアウシュビッツに送られたため、日記はこの日で終わっている。そして、1945年3月にドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死した。6月12日 歴史 / 1942年 アンネ・フランクが13歳の誕生日プレゼントで日記帳を贈られる。「アンネの日記」の書始め。(6月12日 今日は何の日~毎日が記念日~)
6月12日 できごと / 1942年 – ホロコースト: アンネ・フランクが13歳の誕生日プレゼントとして日記帳をもらう。『アンネの日記』の書き始め。6月12日 記念日・年中行事 / 日記の日(日本)1942年6月12日にポーランド系ユダヤ人のアンネ・フランクによって『アンネの日記』が書き始められたことにちなむ。(6月12日 – Wikipedia)
『アンネの日記』(アンネのにっき、オランダ語: Het Achterhuis)とは、ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクによる日記様の文学作品。概要 / 第二次世界大戦の最中のドイツによる占領下のオランダ、アムステルダムが舞台となっている。国家社会主義ドイツ労働者党によるユダヤ人狩りのホロコーストを避けるために、咳も出せないほど音に敏感だった隠れ家に潜んだ、8人のユダヤ人達の生活を活写したもの。執筆は密告(密告者はいまだ不明)により、ナチス・ドイツのゲシュタポに捕まるまでのおよそ2年間に及んだ。1942年6月12日から1944年8月1日まで記録されている。彼女の死後、父オットー・フランクの尽力によって出版され、世界的ベストセラーになった。(アンネの日記 – Wikipedia)
アンネ・フランク(アンネリース・マリー・フランク、ドイツ語: Annelies Marie Frank De-Annelies_Marie_Anne_Frank.ogg 、1929年6月12日 – 1945年3月上旬)は、『アンネの日記』の著者として知られるユダヤ系ドイツ人の少女である。概要 / ドイツ国のフランクフルト・アム・マインに生まれたが、反ユダヤ主義を掲げる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の政権掌握後、迫害から逃れるため、一家で故国ドイツを離れてオランダのアムステルダムへ亡命した。しかし第二次世界大戦中、オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われ、1942年7月6日に一家は、父オットー・フランクの職場があったアムステルダムのプリンセンフラハト通り263番地の隠れ家で潜行生活に入ることを余儀なくされた(フランク一家の他にヘルマン・ファン・ペルス一家やフリッツ・プフェファーもこの隠れ家に入り、計8人のユダヤ人が隠れ家で暮らした)。ここでの生活は2年間に及び、その間、アンネは隠れ家でのことを日記に書き続けた。1944年8月4日にナチス親衛隊(SS)に隠れ家を発見され、隠れ家住人は全員がナチス強制収容所へと移送された。アンネは姉のマルゴット・フランクとともにベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移送された。同収容所の不衛生な環境に耐えぬくことはできず、チフスを罹患して15歳にしてその命を落とした。1945年3月上旬頃のことと見られている。隠れ家には、アンネがオランダ語で付けていた日記が残されていた。オットーの会社の社員で隠れ家住人の生活を支援していたミープ・ヒースがこれを発見し、戦後まで保存した。8人の隠れ家住人の中でただ一人戦後まで生き延びたオットー・フランクはミープからこの日記を手渡された。オットーは娘アンネの戦争と差別のない世界になってほしいという思いを全世界に伝えるため、日記の出版を決意した。この日記は60以上の言語に翻訳され、2500万部を超える世界的ベストセラーになった。(アンネ・フランク – Wikipedia)
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2018 第26回 全国おかみさん交流サミットin北海道・北見(北見おかみさん会)
2018 第26回 全国おかみさん交流サミットin北海道・北見(北見おかみさん会)
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「北見おかみさん会」発足 来年6月には全国おかみさんサミット誘致へ / 女性の商店経営者や事業者らによるまちおこし団体「北見おかみさん会」が27日、北見市内に発足した。来年6月にはさっそく、北見に300人規模の全国大会を誘致するなど、早くも大張り切りだ。女性の視点で明るく豊かなまちづくりを目指し、地域経済の発展に貢献するのが目的。異業種の女性58人の会員により設立総会が同市内の東宝ビルで開かれ、活動を開始した。全国的には平成16年に法人化されたNPO全国商店街おかみさん会があり毎年1回”女勢パワー”で日本を元気に-と全国おかみさん会交流サミットを開催している。今年は7月6日に第25回サミットが東京都のホテルオークラ東京で開かれる。この際に北見会のメンバー9人が参加し、来年の北見開催をPR。横断幕を掲げ、まちのパンフやオニオンスープを配り、来北を呼び掛けることを決めた。役員を選考し、会長に選ばれた女性が「北見の良さを発信していきたい」と抱負を述べた。この後、持ち寄ったおにぎりや手作りスイーツなどを食べながらさっそく懇親を深めた。(寒) (2017年6月39日の記事 経済の伝書鳩)
6月6日・全国おかみさんサミット 北見で初開催 / 全国各地から女性事業者らが来北 総会や講演、交流パーティーも 昨年設立の北見おかみさん会が準備進める / 女性事業者らでつくるNPO全国おかみさん会の第26回全国おかみさん交流サミットin北海道・北見が6月6日、北見市で開かれる。全国各地から訪れる約200人の参加者を大いにもてなそうと、地元の北見おかみさん会が準備を進めている。女性視点のまちおこしで、地域経済の発展に貢献するのが目的。サミットを毎年1回開催しており、北見市内からの長年の参加を縁に北見開催が実現した。北見市内では商店主や企業経営者らが昨年6月、北見おかみさん会を設立。実行委を組織し、北見ならではの市内名士による講演会やおいしいものを食べながらの交流会を準備してきた。サミット当日は市内のホテル黒部で総会を開いたのち午後3時40分から基調講演を開催。テレワーク普及の第一人者で(株)ワイズスタッフ代表の田澤由利さんが「『新しい働き方』で変わる。女性の生き方、地域のあり方」と題して語る。続いて第2部のパネルディスカッションは「海の幸と焼肉、ハッカのまち」をキーワードに各界きっての経営者が登壇。常呂漁協の高桑康文代表理事組合長、焼肉味覚園など展開するライフコーポレーションの坂口政義社長、北見ハッカ通商の永田裕一社長の3人が大いに語る。3人のパネリストとしての顔合わせは珍しく、ご当地ならではの情報発信が興味を誘いそう。基調講演とパネルディスカッションは一般参加できる。無料。午後6時半からは交流会パーティーも開く。詳しくは実行委メンバー、または大会事務局(東宝ビル内TEL 0157-23-3765)へ。(寒) (2018年5月23日の記事 経済の伝書鳩)
北見で全国おかみさん交流サミット 全国から200人が参加 / 女性視点で豊かなまちづくりを 地域や業種超えて親睦深めるか / 地域活性化に取り組む全国の女性事業者が集う第26回「全国おかみさん交流サミットin北海道・北見」が6日、北見市内のホテル黒部で開かれた。約200人が参加し、女性視点による豊かなまちづくりについて考えた。地元の「北見おかみさん会」でつくる同実行委員会と、NPO法人全国おかみさん会(清水志摩子理事長)の共催。道内での開催は10年ぶり。開会式で清水理事長が「これを機会に一致団結して北見を世界にアピールしてほしいと思います」と挨拶。続いてICT(情報通信技術)を活用して働くテレワーク普及の第一人者、(株)ワイズスタッフ代表の田澤由利さんによる基調講演が行われた。田澤さんはテレワークの実現で時間や場所を有効活用できると説明し「働き方が変われば女性も地域も変わる」と話した。このほか、パネルディスカッションや交流会も行われ、北見の元気を発信。参加者は地域や業種を超えて親睦を深めていた。(理) (2018年6月11日の記事 経済の伝書鳩)
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全国商店街おかみさん会 | 私たちには、時代に立ち向かう「勇気・やる気・元気」があります。
全国商店街おかみさん会 | NPO法人ポータルサイト – 内閣府
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北見市の執筆家の作品「7人集~2018夏」(福村書店)
- 2018年06月12日(火) 1:05
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, 北海道, 北見市
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北見市の執筆家の作品「7人集~2018夏」(福村書店)
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冊子「7人集」を発刊 北見の執筆家7人 / 北見市の執筆家の仲間7人が作品を寄せた冊子「7人集~2018夏」が発刊されました。発刊者は奥村昭平さん。執筆者は奥村さんをはじめ、末松典明さん、栗原春香さん、阪元篤さん、松岡美雨さん、竹江邦子さん、よねたみつひろさんの7人。小説「月と黒猫」(末松さん)、記録「道」などのほか、詩、句、雑感が綴られています。B5判200ページで価格は千円(税込み)。福村書店(TEL 0157-33-3123)で取り扱っています。(2018年6月9日の記事 経済の伝書鳩)
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日本人宇宙飛行士 山崎直子(Naoko Yamazaki)について
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山崎 直子(やまざき なおこ、Naoko Yamazaki、旧姓:角野(すみの)、1970年(昭和45年)12月27日 – )は、宇宙飛行士。宇宙政策委員会委員(2012年7月 – )、女子美術大学客員教授(2014年4月 – )。千葉県松戸市生まれ。来歴 / プラネタリウムやボイジャーが送ってきた画像、アニメの宇宙戦艦ヤマトなどから影響を受け、またチャレンジャー号爆発事故のニュースを受け「亡くなった宇宙飛行士たちの意思を引き継いで、宇宙の素晴らしさを子供たちに伝えたい」と思い、宇宙を志した。2012年7月に宇宙政策委員会委員、2014年に女子美術大学客員教授、2018年に星取県宇宙部長に就任した。(山崎直子 (宇宙飛行士) – Wikipedia)
Naoko Yamazaki (山崎 直子 Yamazaki Naoko, born December 27, 1970) is a former Japanese astronaut at JAXA, the second Japanese woman to qualify for the program. The first was Chiaki Mukai. Early life / Yamazaki was born Naoko Sumino in Matsudo City. She spent two years of her childhood in Sapporo. After graduating from Ochanomizu University Senior High School in 1989, Yamazaki earned a Bachelor of Science degree with a major in Aerospace Engineering from the University of Tokyo in 1993, and earned a Master of Science degree with a major in Aerospace Engineering in 1996. JAXA career / Yamazaki was selected as an astronaut candidate in February 1999 by the National Space Development Agency of Japan (NASDA, now JAXA), attended the ISS Astronaut Basic Training program beginning in April 1999, and was certified as an astronaut in September 2001. Since 2001, Yamazaki has participated in ISS Advanced Training and supported the development of the hardware and operation of the Japanese Experiment Module. In May 2004, Yamazaki completed Soyuz-TMA Flight Engineer training at the Yuri Gagarin Cosmonauts Training Center in Star City, Russia. NASA experience / In June 2004, Yamazaki arrived at the Johnson Space Center in Houston, Texas to begin Astronaut Candidate Training school. She was assigned to the Astronaut Office Robotics Branch. In November 2008, JAXA announced that Yamazaki would become the second Japanese woman to fly in space on STS-131, scheduled to launch in 2010. On April 5, 2010 Yamazaki entered space on the shuttle Discovery as part of mission STS-131. She returned to Earth on April 20, 2010. Yamazaki retired from JAXA on August 31, 2011. (Naoko Yamazaki – Wikipedia)
直子(なおこ、14925 Naoko)は小惑星帯にある小惑星。北海道の円舘金と渡辺和郎が発見した。日本人宇宙飛行士の山崎直子に因んで名付けられた。なお小惑星14925番から14927番までは、1999年2月に国際宇宙ステーション滞在要員として選抜された3人を記念して2007年6月に命名された。(直子 (小惑星) – Wikipedia)
関連サイト
山崎直子:JAXAの宇宙飛行士 – 宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター ー JAXA
JAXA|山崎直子 初めての宇宙飛行に向けて~子どもに宇宙の素晴らしさを伝えたい~
みらいの宇宙イラストコンクールを募集します | 経済部産業振興局科学技術振興課
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Naoko Yamazaki の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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北海道の「みらいの宇宙イラストコンクール」について
- 2018年06月11日(月) 0:33
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, 北海道, 宇宙
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北海道の「みらいの宇宙イラストコンクール」について
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道が「みらいの宇宙イラストコンクール」 小学生対象に7月6日まで募集 / 50年後の宇宙、どうなってる? / 道は道内の小学生を対象に実施する「みらいの宇宙イラストコンクール」の作品を7月6日まで募集している。テーマは「50年後の宇宙」。自由な発想で今から50年後の未来を想像し、そのころに実現できているかもしれない宇宙のものごとをイラストで表現する。人類が初めて月に着陸したのが今から50年前ということで北海道命名150年にからめて実施する、道の「宇宙へのチャレンジ推進プロジェクト」の一環。小学1~3年の部、4~6年の部の2部門で各賞のほか入賞の150人は「宇宙飛行士・山崎直子さんと50年後の宇宙を語り合う授業(仮)」(8月8日、札幌市)に参加できる。画用紙の大きさ、画材、応募方法など詳しくは北海道のホームページで。問い合わせは道経済部科学技術振興室(TEL 011-204-5127)へ。(2018年6月8日の記事 経済の伝書鳩)
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みらいの宇宙イラストコンクールを募集します | 経済部産業振興局科学技術振興課
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1942年(昭和17年)6月10日 北海道北見市の市制施行の日
- 2018年06月10日(日) 0:21
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, 北海道, 北見市
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1942年(昭和17年)6月10日 北海道北見市の市制施行の日
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6月10日 歴史 / 1942年 北海道北見市が市制施行。(6月10日 今日は何の日~毎日が記念日~)
6月10日 できごと / 1942年 – 北海道北見市が市制施行。(6月10日 – Wikipedia)
北見市(きたみし)は、北海道オホーツク総合振興局にある市。オホーツク海沿岸から石北峠まで東西約110キロメートル (km) に広がっている。北海道(ただし、北方領土である択捉島などを除いた場合)で一番広い地方公共団体(日本国内では高山市、浜松市、日光市に続く4番目の広さ)である。概要 / 「北見」の名の由来は、明治政府から国名を諮問された松浦武四郎が「この地を従来から北海岸と唱えてきたので北の文字を用い、カラフト島が快晴の日には見えるので、北見としてはどうか」と進言したことによる。旧北見市市制施行前の名称「野付牛」(のっけうし)は、アイヌ語の「ヌプンケシ」(野の一方の端)に由来している。歴史 / 年表 / 江戸時代以前 / 安政3年(1856年) – 松浦武四郎が常呂川を上り北見に来る。大正時代 / 1914年(大正3年)5月31日 – ピアソン記念館の開設。昭和時代 / 太平洋戦争前 / 1928年(昭和3年) – ピアソン夫妻が北見を離れ、米国へ出発。1934年(昭和9年) – 北見ハッカ記念館の開設。1939年(昭和14年) – 北見のハッカが世界市場の7割を占め、最盛期を迎える。太平洋戦争中 / 1942年(昭和17年)6月10日 – 野付牛町が単独で市制を施行し、北見市(第1次北見市)を発足。太平洋戦争後 / 1947年(昭和22年)9月6日 – 北見市開基50周年。(北見市 – Wikipedia)
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