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お知らせ カテゴリのアーカイブ
北見市のクリーンライフセンター (廃棄物処理場)
北見市のクリーンライフセンター (廃棄物処理場)
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自らの廃棄物処理料… 北見市クリーンライフセンター 16年間支払わず / 北見市が管理・運営する廃棄物処理場(クリーンライフセンター、市大和)が自ら出した事業系一般廃棄物の処理料を16年余り支払っていないことが分かった。ごみの計量場を通さず直接処理施設に持ち込むトンネル方式で、大半の市職員が市条例違反を知っていた。同センターの所長は事実関係を認めている。大半の職員が市条例違反知りながらも 計量場通さず直接処理、推計で百数十万円に / この施設は家庭や事業所から出る生活ごみの最終処分場として平成13年4月に稼働開始。市は同時に市民が排出するごみの有料化を始めた。センターに持ち込まれたごみは計量場を通り廃棄後に料金を支払う仕組みだが、開設時から同センターは「自分のごみはフリーパス」というトンネル方式を始めた。トンネル方式のごみの流れは、管理棟内で勤務する同センター職員(市職員)と廃棄物対策課(同)計27人が出したごみや空き缶類などを、委託の清掃職員が毎朝、回収、ビニール袋に入れ計量場を通らず、処理棟にある有料で回収したごみに混ぜて捨てていた。その際、現場にいる委託職員は見て見ぬふりをしていたという。さらにごみの分別や処理作業を行う委託職員81人分のごみも同様に未計量のまま捨てていた。委託職員は市職員からの指示で行っていたとみられる。同センターが今年度、発注した敷地内のパークゴルフ場などの夏草刈り業務(約1万平方メートル)の委託契約に、草の処理料が含まれておらず、無料の受け入れを行う意図があったとみられる。同センターはこれまで排出したごみ量を計測していない。本紙が推計すると、1人当たりの事業系廃棄物の平均は年間約90キロ程度で職員108人分とすると、合計9720キロで、これに夏草刈りなどの屋外でのごみ量に年度末の文書廃棄が加わると年間10数トンとなる。事業系のごみ処理料は10キロ100円。同センターと同課が16年間にごまかした金額は百数十万円となる。同課は市民に適正処理を啓発する立場で不法投棄などを担当する部局にもかかわらず、課長は「まったくそうした事実を知らなかった」とコメントしている。現状、同センターと同課は料金未払いの状態で「未払い料金の支払いを行うか、また、どこまでさかのぼるかを含めて検討している」とし、1日から実際のごみを貯留し、未払いの積算根拠の資料を集めている。市文書課は「条例上、5年間はさかのぼって請求できる」としている。(澄) (2018年8月4日の記事 経済の伝書鳩)
無料ごみ処理問題 北見市の廃棄物処理場 / 北見市大和の廃棄物処理場(クリーンライフセンター)が16年余りセンター内で出たゴミを無計量のまま処理費も払わず処理していた問題で市民環境部の部長は3日、「処理料を払う必要はない」との見解を示した。この施設は税金と市民の費用負担で建設・運営される市民の共有財産。市と市民は同じ利用者という立場だ。市と市民は同じ利用者 施設の私物化とも取れる解釈も 市の減免措置の存在が「すべて有料」の根拠に / 施設は平成13年に80億円余りの税金が投じられ、建設。施設の建設費や維持・管理費は市民が処理費として負担した費用を含め公的資金で賄われており、施設を利用するという点では市民と市は同じ立場だ。市の判断根拠は廃棄物処理法にある「事業系ごみは排出者が処理しなければならない」という規定に基づいている。部長は「センターは排出者であるが、事業者でもあり自身で処理しており処理料の納付義務はない」としている。処理施設で出たゴミは、すぐ隣にある施設に職員が運んでいることを理由に「収集・運搬費用が掛かっておらず、自らの事業所内で最終処分している」としている。だが、この説明には「自分のゴミを自分の施設で処理しているのだから」という施設の私物化とも取れる解釈が混在している。一方で近年、生活の多様化に伴い、リサイクルなど生活ごみの減量化が叫ばれ、市はゴミ処理とともに市民啓発を行っている。こうした流れの中、同センターは自ら出したゴミの計量も行わず、不透明なまま処理していた。それによって市全体のゴミ排出量が矮小化された数字となったり、同センター自身の減量化目標が設定されないなどの弊害も生んでいる。市の環境白書には「事業系一般廃棄物は事業所自ら搬入するか、許可を受けた収集運搬業者と契約が必要で資源ごみを含め全て有料で処理しています」とある。市には処理費用を負担せずに済む減免措置手続きが存在している。河川や道路などに不法投棄されたゴミを敷地の管理者である市が回収した場合、この手続きで処理費をゼロにできる制度で、この制度の存在そのものが「すべて有料」の裏返しの根拠でもある。(澄) (2018年8月6日の記事 経済の伝書鳩)
排出ごみの無料処理問題 北見の廃棄物処理場 / 北見市大和の廃棄物処理場(クリーンライフセンター)がセンター内で出たゴミを無料処理している問題で、道内の他都市の状況を取材した。札幌市は処理施設で働く市職員が出したゴミを「公務ゴミ」とし無料、委託業者が出したゴミを「業務ゴミ」と区分けし有料扱い。7日現在、北見市は「処理施設内のゴミはすべて無料」の方針を変えていない。札幌市は公務無料・業務有料 無料の網走市は業者ごみの有料化を検討 北見市はすべて無料の方針変えず / 札幌市の場合、駒岡、発寒、白石、篠路の4カ所に破砕や清掃事業所がある。各事業所の市職員が公務に絡んで出したゴミは「無料」扱い。一方で施設で働く「委託業者のごみはすべて持ち帰ってもらっている」とし、委託職員のゴミは別ルートで収集、有料の扱い。施設で働く委託業者の人数が多いこともあって、市民の不公平感の是正を図っている。帯広市と周辺8町で広域処理を行う十勝圏複合事務組合は、公務・業務の隔たりなく北見市同様のすべて無料としている。一方、網走市明治にある一般廃棄物処理場はプラスチックなどの資源ゴミの分別や最終処分(埋め立て・リサイクル)を行っている。その業務を委託職員41人で行っており、これまではすべて事業系一般廃棄物として計量せず無料で処理していた。だが、網走市は6日の取材に対し「市民の理解を得られにくい。処理施設で出る委託業者のゴミ処理は計量した上で有料化の方向で検討を進めている」(生活環境課)としている。北見市常呂自治区の処理施設でも北見と同様の無料処理を合併前の平成17年から続けている。委託職員は5人。オホーツク総合振興局は7日までに北見市に未計量のゴミについて計量を行うよう進言、適正なゴミの処理量の把握を求めている。(澄) (2018年8月8日の記事 経済の伝書鳩)
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クリーンライフセンター の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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第63回 NHK杯全国高校放送コンテスト (北海道 網走南ヶ丘高等学校放送局)
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NHK杯全国高校放送コンテスト テレビドキュメント部門 管内初の優良賞 / 網走南ヶ丘高校放送局が、7月に東京で開かれた第63回NHK杯全国高校放送コンテストのテレビドキュメント部門で、4位にあたる優良賞に選ばれた。管内の高校の受賞は初めて。ディレクターを務めた3年生徒は「3位以内に入れなくて残念な思いもありましたが、上位に入れてうれしいです」と話している。網走南ヶ丘高放送局 料理テーマの「マイライス」表現方法など高評価 来年も出場目指し頑張りたい / 同校の作品は、自分で料理をすることの意味や重要性をテーマにした「マイライス」。3年生2人を中心に、局員全員が力を合わせて制作した。コンテストは地区大会を勝ち抜いた約200本が4会場で上映され、それぞれ10本、合計40本が準決勝に進出。その中から4本が決勝へと進み、優勝、準優勝と3位2校を決める。同校は惜しくも決勝に進むことはできなかったが、決勝進出を除く上位6本(4位)に選ばれた。審査員の講評で同校の作品は「見せ方がうまい」「楽しい作品」と、表現方法などで高い評価を得た。顧問の教諭は「卒業生も含めて頑張ってきた成果だと思います。この結果をうれしく、誇りに感じます」と喜ぶ。3年生はこれで引退。ディレクターの生徒は「後輩が今回の結果を超えると言ってくれているので、頼もしく思っています」。新局長の2年男子生徒は「先輩達のおかげで初めて全国大会に行くことができて、またこの場所に来たいと思いました。来年も全国大会に行けるように頑張りたい」と意欲をみせている。(菊) (2018年8月24日の記事 経済の伝書鳩)
NHK杯全国高校放送コンテスト(エヌエイチケイはいぜんこくこうこうほうそうコンテスト)は、全国放送教育研究会連盟と日本放送協会が主催する高等学校の生徒を対象とした放送のコンテスト。大きく分けて、アナウンス・朗読・テレビ番組・ラジオ番組の各部門で審査が行われる。また、審査はないが校内放送研究発表会として、研究発表が行われる。(かつては研究発表部門として審査を行っていたが、現在は発表のみですべての学校に研究奨励が贈られる)通称はNコン。 (NHK杯全国高校放送コンテスト – Wikipedia)
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北海道網走南ヶ丘高等学校放送局「ビデオ・ラジオフェスティバル2018」 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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日本の軍事郵便 軍事郵便保存会 (NHKスペシャル)
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「届かなかった手紙 時をこえた郵便配達」
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軍事郵便(ぐんじゆうびん)とは戦地の軍隊兵士に宛てて自国から発送される、もしくは戦地から自国宛てに発送される郵便。日本では、第二次世界大戦終戦までの間、戦地にいる軍人が日本(内地)或いは日本から戦地の軍人に向けて送るための郵便制度をさす。 (軍事郵便 – Wikipedia)
美幌海軍航空隊(みほろかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。六番目の陸上攻撃機部隊として、太平洋戦争序盤より中盤にかけて最前線で爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。1942年(昭和17年)11月1日に初代の第七〇一海軍航空隊(だい701かいぐんこうくうたい)と改称。沿革 / 陸上攻撃機部隊の増強を図るために、マル4計画に盛り込まれた4個航空隊の一つとして、中国戦線での活動を終えた第十五航空隊の陸攻要員を元山海軍航空隊と分け合って開隊した。千島列島方面での作戦行動に対応すべく、既設の中央気象台飛行場(現在の女満別空港のルーツ)とは関係なく新規建設した飛行場を用いた。地名の「びほろ」ではなく「みほろ」と呼んでいたとする証言が多数あり、海軍でも建設中は「M基地」の符牒で呼び、機体番号に冠する区別字は日本国内では「ミ」と定められ、外地では「M」を使用していた。 (美幌海軍航空隊 – Wikipedia)
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NHKスペシャル | 届かなかった手紙時をこえた郵便配達 – NHKオンライン
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8月27日 男はつらいよの日 (日本 記念日)
8月27日 男はつらいよの日 (日本 記念日)
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記念日 8月27日 / 『男はつらいよ』の日 1969年のこの日、山田洋次監督・渥美清主演の映画『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開された。「フーテンの寅」が最初に登場したのはテレビドラマで、この時は最終回で寅さんは死亡した。しかし、あまりの反響の大きさのため映画で復活し、以来48作にも及ぶ世界最長の長編シリーズとなった。 (8月27日 今日は何の日~毎日が記念日~)
8月27日 できごと / 1969年 – 映画『男はつらいよ』シリーズ第1作『男はつらいよ』(山田洋次監督・渥美清主演)が公開。8月27日記念日・年中行事 / 男はつらいよの日(日本)1969年8月27日に『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開されたことに由来。 (8月27日 – Wikipedia)
『男はつらいよ』(おとこはつらいよ)は、渥美清主演、山田洋次原作・監督(一部作品除く)のテレビドラマおよび映画シリーズである。主人公の愛称から「寅さん」(とらさん)シリーズとも称される。 (男はつらいよ Wikipedia)
『男はつらいよ』(おとこはつらいよ)は、1969年8月27日に公開された日本映画。男はつらいよシリーズの1作目。ロケ地、京都、奈良。観客動員は54万3000人。同時上映は『喜劇 深夜族』(主演:伴淳三郎)作品概要 /!26年にわたる下町人情大河喜劇映画シリーズの記念すべき第1作。 (男はつらいよ (映画) – Wikipedia)
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北海道大空町の東藻琴相撲場 大鵬道場 (大相撲 田子ノ浦親方)
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大空町東藻琴「大鵬道場」に… 大相撲の田子ノ浦親方が来町 / 子ども達を激励 / 大相撲の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)が21日、大空町の東藻琴相撲場「大鵬道場」を訪れ、おおぞらすもうクラブの子ども達を激励した。田子ノ浦部屋は横綱・稀勢の里関、大関・高安関らが所属。親方は19日の札幌場所に合わせて来道した。この日、網走市や大空町を訪れ、合宿の実施などについて関係者と意見を交わした。大鵬道場ではクラブの小学生ら17人の稽古を見守った。「みんなの土俵での姿を見て元気をもらいました。しっかり勉強して体をきたえ、学校の先生の言うことをしっかり聞いて、夢に向かって頑張って。みんなは日本の宝」と激励し、1人ずつにお菓子を手渡した。あこがれの大相撲の親方の言葉に、子ども達は真剣な表情で聞き入り、張り切って稽古に向かっていた。(浩) (2018年8月24日の記事 経済の伝書鳩)
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東藻琴相撲場オープンセレモニー | 拝啓 お父さん (第48代横綱 大鵬)
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8月26日 シルマンデー (ユースホステルの日)
8月26日 シルマンデー (ユースホステルの日)
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記念日 8月26日 シルマンデー,ユースホステルの日 / ユースホステルの創始者リヒャルト・シルマンを記念する日。シルマンはドイツの小学校教師だった。1909年のこの日、生徒たちと遠足に出掛けた時、突然の大雨のために小学校で雨宿りをした。しかし、夜になっても雨は止まず、翌朝までその小学校で過ごすことになった。この経験から、旅行中の青少年が何かあった時に駆け込め、安い料金で安心して宿泊のできる施設の必要性を感じ、ユースホステルを創設した。世界中のユースホステルで記念行事が行われる。 (8月26日 今日は何の日~毎日が記念日~)
8月26日 記念日・年中行事 / シルマンデー・ユースホステルの日 / ユースホステルの創始者であるリヒャルト・シルマンを記念する日。世界中の[要検証 – ノート]ユースホステルで記念行事が行われる。ドイツの小学校教師であったシルマンは、1909年のこの日、生徒たちと遠足に出掛け、突然の大雨のために小学校で雨宿りをしたが、夜になっても雨は止まず、そこで一夜を明かすこととなった。これがユースホステルを創設するきっかけとなった。 (8月26日 – Wikipedia)
ユースホステル(英語: youth hostel、ドイツ語: Jugendherberge)は、プロイセンのリヒャルト・シルマンが創設した、青少年少女の旅に安全かつ安価な宿泊場所を提供しようという主旨で始まった運動と、それにより生まれた、宿泊施設の世界的なシステムである。略称「YH」。日本では「ユース」とも。イギリス英語で、ユースホステルの利用者をホステラーという。ユースホステルを利用した旅をホステリングという。 (ユースホステル – Wikipedia)
リヒャルト・シルマン(Richard Schirrmann, 1874年5月15日 – 1961年12月14日)は、ドイツの小学校教師で、ユースホステルの創設者。 (リヒャルト・シルマン – Wikipedia)
一般財団法人日本ユースホステル協会(にほんユースホステルきょうかい、英: Japan Youth Hostels, Inc.)は、1951年に設立され、1954年8月に国際ユースホステル連盟(IYHF)に加盟し、1983年に財団法人化し、2013年に一般財団法人に移行した、ユースホステル施設の運営、ホステリングの実施、指導者の養成等を通じて、青少年の国際文化交流と相互理解を深めていくことを推進している法人である。旧主務官庁は、文部科学省スポーツ青少年局スポーツ振興課。便宜上、日本のユースホステルについてもこの項目にて述べる。 (日本ユースホステル協会 – Wikipedia)
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2018 Jazz Dance Now (ジュン・フィットネススタジオ)
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Jazz・Dance・Nowに出演 北見のジュン・フィットネススタジオ / ジャズダンスの祭典、2018Jazz・Dance・Now(ジャズダンスナウ、26日、札幌市ニトリ文化ホール)に北見のジュン・フィットネススタジオ(酒井じゅんさん主宰)が出演する。本格的に参加するようになり10年目。スタジオメンバーは晴れ舞台での演技を楽しみに、稽古に磨きをかけている。本格参加10年目 群舞で「未来への扉」表現 道内団体が一堂に札幌へ / 道内の団体が一堂に会する夏の一大イベント。今年で37回目を数える。同スタジオの指導者・酒井さんらが初期のころから参加していたのを経て、2009年からはスタジオのダンス講師で振り付けを担当する女性が率いて本格的に参加。今年は総勢9人のスタジオメンバーで出演する。今年は11団体が参加。2部構成で第1章はジャパネスクをテーマにジュン・フィットネススタジオがトップバッターで出演する。振り付けについて女性は「日本人のもつ繊細さを霞のように舞い、激しさと対比させた踊りを舞台で表現したい」。第2章はオリジナルパフォーマンス。各団体がヒップホップ、コンテンポラリー、バレエと自由なテーマで発表する。同スタジオは「未来への扉」をテーマに、群舞の魅力をたっぷりと披露する。2千を超す観客席を前に踊る迫力は満点。小学生のころから出演し、今年で6回目の参加となるメンバーの日本赤十字北海道看護大学1年女子学生は「毎回緊張するけれど、大勢のお客さんや他のスタジオの方に、私達のダンスを見てもらうのが楽しみ」と熱心に練習に励む。同ホール(旧・北海道厚生年金会館)での開催は今年で最後となることが決まっており、フィナーレは盛大なものになりそうだ。酒井さんは「いろいろなダンスを見て、刺激を受けたり、交流する良い機会」と語り、女性は「大きな会場で迫力ある踊りを楽しんできたい」と参加を楽しみにしている。(寒) (2018年8月24日の記事 経済の伝書鳩)
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JAZZDANCE NOW (ジャズナウ公演) | ジャズダンス・ナウ実行委員会
ジュン・フィットネススタジオ | JAZZDANCE NOW (ジャズナウ公演)
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ジュンフィットネススタジオ (酒井じゅん) – 美幌音楽人 加藤雅夫
2018 Jazz Dance Now の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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8月25日 川柳発祥の日 (柄井川柳)
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記念日 8月25日 / 川柳発祥の日 1757(宝暦7)年旧暦8月25日、柄井川柳が最初の川柳万句合を興行した。8月25日 歴史 / 1757年 柄井川柳が最初の川柳評万句合を行う。川柳発祥の日。 (8月25日 今日は何の日~毎日が記念日~)
8月25日 記念日・年中行事 / 川柳発祥の日(日本)宝暦7年(1757年)旧暦旧暦8月25日に柄井川柳が最初の川柳評万句合を開始したことを記念し、川柳学会が制定。 (8月25日 – Wikipedia)
柄井 川柳(からい せんりゅう、Senryu Karai、享保3年(1718年) – 寛政2年9月23日(1790年10月30日))は、江戸時代中期の前句付けの点者。名は正道。幼名勇之助。通称は八右衛門。はじめは談林派俳諧の点者であったといわれるが定かではない。宝暦7年8月25日(1757年10月7日)前句付の点者として無名庵川柳と号し、最初の万句合を興行している。後、前付句が独立して川柳と呼ばれるようになった。1790年死去。辞世の句は「木枯らしや 跡で芽をふけ 川柳」であったと伝えられている。「川柳発祥の地」の碑 / 柄井川柳が最初の万句合を興行した場所の推定跡地に「川柳発祥の地」の碑がある。 (柄井川柳 – Wikipedia)
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平成30年度「少年の主張」全道大会 (美幌北中学校 男子生徒)
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「あたりまえという名の奇跡」
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「少年の主張」全道大会へ 美幌北中3年・男子生徒 / 自分の体験、思いを言葉に 町内からの出場は22年ぶり 平野教育長に抱負語る / 美幌北中学校3年の男子生徒が、9月7日に札幌市で開かれる平成30年度「少年の主張」全道大会に出場する。8月16日、中学校で平野浩司教育長に抱負を述べた。男子生徒は2年生だった昨年11月の美幌町少年の主張大会中学生の部で最優秀賞を受賞。美幌町代表として出場した今年7月のオホーツク地区大会でも最優秀賞を受賞し、全道大会の出場権を得た。町内から全道大会に出場するのは22年ぶり3人目になる。全道大会には道内から16人が出場する。男子生徒は「あたりまえという名の奇跡」のタイトルで、過去に母親が入院し、生活が一変した経験から「当たり前だと思っている日常は奇跡の組み合わせ」だと実感したことや、当たり前の日常があることに感謝することの大切さを訴える。平野教育長の激励を受けた男子生徒は「支えてくれる周りの人に感謝し、聞く人にしっかりと主張できたら。自分の体験を思い起こし、思いを言葉に乗せたい」と述べた。 (浩) (2018年8月21日の記事 経済の伝書鳩)
北海道150年記念特別賞受賞(美幌町/教育)少年の主張全道大会で 美幌北中3年・男子生徒 / 地震の影響で書面審査に 「あたりまえという名の奇跡」で これからも自信を持ち努力を / 美幌北中学校3年の男子生徒が、胆振東部地震で開催が見送られた平成30年度少年の主張全道大会の書面審査で北海道150年記念特別賞(審査員特別賞)を受賞した。 男子生徒の主張は「あたりまえという名の奇跡」。家族が入院し、生活が一変した経験から「当たり前だと思っている日常は奇跡の組み合わせ」であることや、日常の感謝の大切さを訴えた。 昨年11月の美幌町大会中学生の部で最優秀賞を受賞。今年7月のオホーツク地区大会でも最優秀賞を受賞し、9月の全道大会出場権を得ていたが、大会前日の9月6日に発生した地震の影響で開催が見送られた。審査員5人の書面審査が行われた結果、最優秀賞、優秀賞に次ぐ審査員特別賞に輝いた。 12日に中学校で伝達式が行われ、オホーツク総合振興局の神野泰博副局長が表彰状や北海道コンサドーレ札幌選手のサイン入りサッカーボールを男子生徒に手渡した。 夏休み中など休日にも発表の練習を重ねたという男子生徒は「大会会場での発表はできなかったが、受賞できて自信につながった。これからも自信をもって努力したい」と感謝の言葉を述べた。(浩) (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)
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ボイジャーのゴールデンレコード (Voyager Golden Record)
ボイジャーのゴールデンレコード (Voyager Golden Record)
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ボイジャーのゴールデンレコード (Voyager Golden Record)、またはボイジャー探査機のレコード盤とは、1977年に打ち上げられた2機のボイジャー探査機に搭載されたレコードである。パイオニア探査機の金属板に続く、宇宙探査機によるMETI(Messaging to Extra-Terrestrial Intelligence)=Active SETI(能動的な地球外知的生命体探査)の例である。地球の生命や文化の存在を伝える音や画像が収められており、地球外知的生命体や未来の人類が見つけて解読してくれることを期待している。ボイジャー探査機が太陽以外の恒星近傍(その恒星まで1.6光年離れた地点)へ到達するには4万年を要するため、もしボイジャーの方向に地球外知的生命体がいたとしてもそこに到達するまでには長い時間がかかる。背景 / 2013年時点で、ボイジャーは海王星軌道以遠に出た3番目と4番目の人工構造物である。1972年、1973年に打ち上げられたパイオニア10号とパイオニア11号は、遠い未来に宇宙旅行者に発見されたときのために、発射の時刻と場所を記した金属板を積んでいた。そして、アメリカ航空宇宙局 (NASA) は、ボイジャー1号とボイジャー2号に、さらに総合的で電子的なメッセージを積載した。それは一種のタイムカプセルで、われわれの世界を異星人に伝えてコミュニケーションを図ったものだった。「これは小さな、遠い世界からのプレゼントで、われわれの音・科学・画像・音楽・考え・感じ方を表したものです。私たちの死後も、本記録だけは生き延び、皆さんの元に届くことで、皆さんの想像の中に再び私たちがよみがえることができれば幸いです。」—アメリカ合衆国大統領・ジミー・カーター (ボイジャーのゴールデンレコード – Wikipedia)
The Voyager Golden Records are two phonograph records that were included aboard both Voyager spacecraft launched in 1977. The records contain sounds and images selected to portray the diversity of life and culture on Earth, and are intended for any intelligent extraterrestrial life form, or for future humans, who may find them. The records are considered as a sort of a time capsule. Although neither Voyager spacecraft is heading toward any particular star, Voyager 1 will pass within 1.6 light-years’ distance of the star Gliese 445, currently in the constellation Camelopardalis, in about 40,000 years. Carl Sagan noted that “The spacecraft will be encountered and the record played only if there are advanced space-faring civilizations in interstellar space, but the launching of this ‘bottle’ into the cosmic ‘ocean’ says something very hopeful about life on this planet.” Background Edit / The Voyager 1 probe is currently the farthest human-made object from Earth. Voyager 1 has reached interstellar space, the region between stars where the galactic plasma is present.[4] Like their predecessors Pioneer 10 and 11, which featured a simple plaque, both Voyager 1 and Voyager 2 were launched by NASA with a message aboard—a kind of time capsule, intended to communicate to extraterrestrials a story of the world of humans on Earth. This is a present from a small, distant world, a token of our sounds, our science, our images, our music, our thoughts and our feelings. We are attempting to survive our time so we may live into yours. — President Jimmy Carter (Voyager Golden Record – Wikipedia)
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ボイジャーのゴールデンレコード の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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