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第17回作文・創作文芸コンテストについて
- 2019年11月27日(水) 0:01
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, 北海道, 北見市
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第17回作文・創作文芸コンテストについて
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作文・創作文芸コンテスト 2019/11/25掲載(北見市/行事・教育・文化) 國學院大學北海道短期大学… 北見北斗高校図書局が海老沢賞獲得 / 北見北斗高校図書局の局長(2年男子生徒)ら5人が、「第17回國學院大學北海道短期大学作文・創作文芸コンテスト」創作文芸部門の詩歌と短歌で、最高賞の海老沢賞(グランプリ)に選ばれるなど活躍した。局長は「こんなに入賞することができるなんて、とても光栄です」と喜んでいる。
創作文芸部門 詩歌と短歌で入賞 優秀、奨励賞も獲得の活躍「挑戦が大きなプラスに」 / 同コンテストの創作文芸部門は、道内と同短大のある滝川市の友好親善都市・沖縄県名護市の高校生を対象に、詩歌、短歌、俳句を募集。今回、初めて局員16人全員で挑戦した。詩歌は「海」「友」、短歌は「時」「バクバク」がテーマ。局員達は、テーマの言葉をどう捉えるかに悩んだという。詩歌で局長が海老沢賞、短歌では2年女子生徒が海老沢賞に入り、1年男子生徒が優秀賞、1年2人、局長が奨励賞に選ばれた。2年女子生徒は「『バクバク』のテーマで、いつもおいしそうに食べる弟のことを書きました。賞が取れてとてもうれしいです」と話す。また、1年男子生徒は「(優秀賞は)すごくびっくりしました。どう作ろうか考えることができて面白かったです」、「驚きとうれしさが半々。貴重な体験ができました」、「自分の経験値として新しいジャンルに挑戦できて良かったです」とそれぞれ感想を話す。ダブル受賞となった局長は「評価されて非常にうれしいです」と笑顔。「局員同士で活発な意見交換もできましたし、全員での挑戦は意義があり、大きなプラスになったと思います。今後も図書局を知ってもらえるように活動していきたい」と充実感をにじませている。(菊) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)
國學院大學北海道短期大学部 日本の北海道滝川市にある私立大学 / 國學院大學北海道短期大学部(こくがくいんだいがくほっかいどうたんきだいがくぶ、英語: Kokugakuin University Hokkaido Junior College)は、北海道滝川市文京町3-1-1に本部を置く日本の私立大学である。1982年に設置された。 (國學院大學北海道短期大学部)
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第17回作文・創作文芸コンテスト受賞者の発表について – 國學院大學北海道短期大学部のホームページ
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作文・創作文芸コンテスト の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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ありがとう / 勤労感謝の日
ありがとう / 勤労感謝の日
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あす23日は勤労感謝の日 2019/11/22掲載(北見市/社会・教育) ありがとうメッセージ / 11月23日は「勤労感謝の日」。ちょっぴり照れくさいけれど「ありがとう」と言われると、誰もがうれしいものです。いつも一生懸命に働いてくれる人への感謝の気持ちをこめた、ありがとうメッセージをお届けします。
お父さん、お母さんへ 働いてくれて 北見北小5年 女子児童から / お父さんは、休みの日も出張で出掛けたり、仕事をすることがあります。家に帰ってご飯を食べていると眠たそうにしていて、疲れているのかな、大変そうだなと感じることもあります。たまにお父さんに頼まれて腰とかをマッサージしています。お母さんはいつもおいしいご飯を作ったり、みんなが寝てから洗濯したりと家事をしてくれます。お父さん、お母さん、いつもみんなのために働いてくれてありがとう。お父さん、これからもお仕事頑張ってね。お母さん、これからは私のできるお手伝いをするね。
デートしてくれるパパへ 北見南小3年 女子児童から / パパは医療事務の仕事をしています。土・日曜の勤務や当直もあるので、大変そうです。そんな忙しい中でも、仕事が終わってから一緒に出かけてくれるなど、デートしてくれてうれしいです。パパは私のことが大好きみたいで、いつもちょっかいをかけてきます。しつこいと思うこともありますが(笑)、一緒にいる時間が短いと寂しいです。これからも健康に気をつけて、仕事を頑張ってください。タバコをやめてくれると、うれしいです。冬になっても、ウオーキングは一緒に頑張ろうね。
尊敬する お父さんへ 北見北中1年 男子児童から / 僕のお父さんは高校の先生で、ラグビー部の監督もしています。「ダメなことはダメ!」とはっきり言ってくれるお父さんを尊敬しています。いつも子どものことを考えてくれていると感じます。頑張って仕事をしているお父さんのために、将来自分が働いて稼げるようになったら、どこかに旅行に連れていってあげたい。ぼくも少年団「オホーツクブルー」でラグビーをしています。人数が少ないのですが、ラグビー日本代表のような〝ワンチーム〟をつくって試合に出たいです。
仕事と家で忙しいママへ 北見美山小1年 女子児童から / ママは仕事と家のことで毎日、忙しそうです。私はお風呂掃除やご飯の前にテーブルの上を片付けたりするお手伝いをします。弟と妹の面倒を見ることもあります。ママから「ありがとう」と言われると、とてもうれしいです。ママはご飯の片付けが終わると一緒にお話をしてくれます。私が習っているダンスの練習にも付き合ってくれます。忙しそうだけど疲れた顔は見たことがありません。ママ、いつもありがとう。風邪をひかないでね。お仕事頑張ってね。大好きだよ。
両親へ 北見端野小5年 女子児童から / 父は祖父母と玉ねぎ、じゃがいも、ビートを作っています。朝早くから農作業に出かけ、遅いときには帰ってくるのが夜10時過ぎになります。「いつ寝ているのだろう」と思うことがあります。私は小学1年から北見市内のトランポリンクラブ・サンスピリッツ端野で活動しています。小さな弟がいる中、母は練習場への送迎をしてくれます。父と母に〝ありがとう〟と恥かしくてなかなか言えないけれど「いつも仕事や家事を一生懸命してくれてありがとう」。
お父さんとお母さんへ 津別小2年 女子児童から / 家は農家で、お父さんとお母さんは畑でいもや麦を作っています。いつもお仕事を頑張ってくれてありがとう。私は、児童館でお友達と遊ぶのが好きです。最近おぼえた、どうぶつしょうぎもおもしろいです。お父さん、お母さん、お仕事いっぱいしてくれて、体をこわさないか心配です。体を大事にこれからもがんばってください。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)
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インターナショナルCアワー 北見工業大学国際交流センター
- 2019年11月21日(木) 4:04
- カテゴリ: お知らせ, アメリカ, オホーツク, オーストラリア, モンゴル, 中国, 北海道, 北見市, 国際, 日本, 韓国
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インターナショナルCアワー 北見工業大学国際交流センター
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インターナショナルCアワー 2019/11/20掲載(北見市/行事)
子どももおとなも仮装して留学生を歓迎! 北見工大国際交流センター / グラフ / 北見工業大学国際交流センターが毎月1回程度開くイベント、インターナショナルCアワー。10月31日は「新しい留学生を歓迎しましょう!」をテーマに開催されました。ちょうどハロウィーンと重なり、子ども達も仮装して、中国、韓国、モンゴルなど遠く海外からやって来た学生達を歓迎しました。(寒)
27日・北見工大でインターナショナルCアワー / 海外研修体験談発表 / 北見工業大学国際交流センター主催の留学生らとふれあうイベント「インターナショナルCアワー」が、27日(水)午後6時10分から、同大学3号館3階ミーティングルームⅠで開かれる。国際交流に関心のある人は誰でも参加できる。 「アメリカ・オーストラリア語学研修の体験談」「台湾・韓国文化交流研修体験談」について学生らが報告する。参加無料。申し込み不要。問い合わせは同センター(0157・26・9370)へ。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)
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インターナショナルCアワー の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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北海道北見市内のオホーツク社会福祉専門学校こども未来学科1年生
北海道北見市内のオホーツク社会福祉専門学校こども未来学科1年生
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感謝込めて手作り椅子を 2019/11/15掲載(北見市/教育) オホーツク社会福祉専門学校・こども未来学科1年生 / 実習先の認定こども園ほっこう、高栄幼稚園に / オホーツク社会福祉専門学校のこども未来学科1年生が11日、北見市内の認定こども園ほっこうと高栄幼稚園に牛乳パックで手作りした椅子を3脚ずつプレゼントした。 実習でお世話になっている感謝を込めて寄贈している。椅子は新聞紙を詰めた牛乳パック約40本を積み重ねたベンチ風の形で、人気キャラクターをモチーフにしている。 ほっこうには学生13人が訪れ、園児と一緒にダンス「ジャンボリーミッキー!」を踊って交流した後、学生から「大事に使ってね」と椅子が贈られた。(理) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)
オホーツク社会福祉専門学校 (オホーツクしゃかいふくしせんもんがっこう)は、北海道北見市にある私立の専修学校。運営母体は、学校法人栗原学園。系列校に北見商科高等専修学校、北見情報ビジネス専門学校 がある。略称は福専(ふくせん) (オホーツク社会福祉専門学校 – Wikipedia)
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手作り椅子のプレゼント!!【こども未来学科】 | 学校法人栗原学園・北見明和学園ブログ – TeaCup
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赤十字救急法救急員 (オホーツク社会福祉専門学校・北見情報ビジネス専門学校)
赤十字救急法救急員 (オホーツク社会福祉専門学校・北見情報ビジネス専門学校)
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赤十字救急法救急員の資格取得 2019/11/15掲載(北見市/教育) オホーツク社会福祉専門学校 情報ビジネス専門学校 / 万一の時に率先して… 受講31人 全員が合格 / オホーツク社会福祉専門学校と情報ビジネス専門学校の学生が、赤十字救急法救急員(赤十字ファーストエイドプロバイダー)の資格を取得した。 オ社福校の歯科衛生士科3年生22人、情ビ校の総合事務科2年生5人とホテル観光ビジネス学科1年生4人の計31人。卒業後、医療機関や観光分野など多くの人と関わる学科の学生たちが、不測の事態に備えようと受講した。 止血帯止血法を含む新たなカリキュラムに基づき12時間の講習後、学科と実技の試験を行った。受講者全員が合格し、このほど認定証が交付された。 歯科衛生士科の生徒は「(将来は)医療人として、万一の時は率先して動きたいです」と話している。(理) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)
赤十字救急法救急員(せきじゅうじきゅうきゅうほうきゅうきゅういん、英:Japanese Red Cross Society First Aid Providerは、日本赤十字社が定める技術認定のひとつ。 (赤十字救急法救急員 – Wikipedia)
オホーツク社会福祉専門学校 (オホーツクしゃかいふくしせんもんがっこう)は、北海道北見市にある私立の専修学校。運営母体は、学校法人栗原学園。系列校に北見商科高等専修学校、北見情報ビジネス専門学校 がある。略称は福専(ふくせん) (オホーツク社会福祉専門学校 – Wikipedia)
北見情報ビジネス専門学校 (きたみじょうほうビジネスせんもんがっこう)は、北海道北見市にある私立の専修学校。運営母体は、学校法人栗原学園。系列校に北見商科高等専修学校、オホーツク社会福祉専門学校がある。 (北見情報ビジネス専門学校 – Wikipedia)
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オホーツク社会福祉専門学校 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
北見情報ビジネス専門学校 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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北海道北見市内の高橋広子さん 今年も手編みのひざ掛け寄贈
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今年も手編みのひざ掛け寄贈 2019/11/15掲載(北見市/社会) 北見の69歳女性 / 「冬場も温かく過ごしてほしい」 / 施設や病院に通う車椅子の人達に冬場も温かく過ごしてもらいたいと、北見市在住の69歳女性が、カラフルな手編みのひざ掛けを12枚作った。11日には北見市社会福祉協議会に寄贈した。 2010(平成22)年に父が亡くなり、落ち込んだ気持ちを癒すために、子どものころに好きだった編み物を再開。13年には母が亡くなった。その後に、人のためにできることをと、ひざ掛けの寄贈を始めた。 今年は体調を崩し編み物ができない時期もあったが、趣味のカラオケを息抜きに、棒針だけでなく、初めてかぎ針でもひざ掛けを編んだ。車椅子用の90㌢×80㌢の大きさのほか、寝たままやバギー型の車椅子でも使えるように150㌢×80㌢の大きめサイズも作った。 「編んでいると、両親のことを思い出せて、幸せな気持ちになります。家事などを手伝ってくれる夫の協力のおかげ。とても助かっています」と感謝する。 「私も足腰を患っているので、冬場のつらさが分かる。これからも編み物と寄贈を続けていけたら」と話している。(菊) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)
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北海道北見市内の おぎた助産院 荻田ヒロミ
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連載 きらり! レディース (63) 2019/11/15掲載(北見市/本誌連載) 北見の「おぎた助産院」助産師 荻田 ヒロミさん(78) 助産師歴50年、助産院開院20年の節目 / 北見市緑ヶ丘のおぎた助産院の助産師・荻田ヒロミさん(78)。今年は助産師歴50年と助産院開院20年という節目を迎えた。数年前に分娩の立ち合いから退いたものの、現在も授乳トラブルに応じるなど母子の健康を支えている。今もなお現役でいられるのは「地域から必要としてもらえたから」と淡々と答える。 生涯現役、続けたい どのお産にも感動があった / 荻田さんがこれまでに取り上げた赤ちゃんの人数は約1300人。少子化や病院での出産が増えてきた時代背景もあり「少ないほう」と言うが「どのお産にも感動があった。思い出すだけで込み上げてくるものがあります」と目を潤ませる。 清里町出身。小学生の時、畑の真ん中で妊娠中の母親の陣痛がきた。自宅での出産が当たり前の時代で、荻田さんは弟と耳をそばだて母が分娩する部屋の様子をうかがった。「これが初めて命を間近に感じた瞬間。幼心に感激しました」と語る。 親から「女性も手に職を」と勧められ、1960(昭和35)年に准看護師となった。働きながら学校に通い、69年に助産師の免許を取得、その後2人の娘を出産し「あらためて親になることの大変さを実感しました」。80年から故郷の清里町母子健康センターに長年勤務し、99(平成11)年に北見でおぎた助産院を開業した。 医療介入を最小に抑えた「できる限り自然なお産」を心掛け、妊婦1人ひとりに寄り添ってきた。「母子の命と向き合う仕事とあり、葛藤の日々でした。お産に立ち合う際は常に次の段階を覚悟していて、張り詰めていました」と責任の重さに苦悩を抱えてきたが「赤ちゃんを取り上げた時の感動は何物にも代えがたいものでした」と振り返る。 子育て中の母親などからの相談をきっかけに、生まれた子が大人になるまでをサポートしたいと性教育にも力を入れてきた。「性教育は生きる教育。いやらしいものととらえるのではなく、自分の性や体を理解することで、自分自身の命を大切にできるようになる」と重要性を訴える。 現在は週2回、母乳をでやすくするマッサージなど、育児相談に応じている。かつて取り上げた赤ちゃんが、お母さんとなって訪れることもあるという。 荻田さんは「助産師はお産だけでなく、女性の一生に携わる仕事」と誇りを持ち、「体が続く限り生涯現役を続けたいです」と話している。(理) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)
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おぎた助産院 – 機関情報詳細 – 北海道医療機能情報システム
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日本の作曲家・指揮者 西田直道 (マンドリン)
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西田 直道(にしだ なおみち、1907年12月21日 – 1978年1月9日)は、日本の作曲家、指揮者。 経歴 / 北海道名寄市出身。同志社大学法学部卒業。在学中はマンドリンクラブに所属し、指揮をしていた菅原明朗から和声、対位法、管弦楽法、指揮法を学んだ。また池内友次郎からも対位法とフーガを学んだ。1941年にNHK札幌放送管弦楽団が創設されると、指揮者として招かれた。また札幌大谷短期大学(現在の札幌大谷大学短期大学部)や札幌商科大学(現在の札幌学院大学)などで指導にあたった。 1957年には北海道文化賞を受賞した。 作品 / 管弦楽曲 管弦楽のための組曲 古風な舞曲(1952) アイヌの民謡によるパラフレーズ – 2台のピアノとオーケストラのための(1965) バレエ「那古と不比羅」 合唱曲 / 交声曲「札幌ひらく」(林哲男作詞、1944) 組曲「雪の日」(1960) 組曲「白鳥」(1961) 声楽曲 / 寒蝉鈔(佐藤春夫詩、1940) 啄木のうた五章 マンドリンオーケストラ / 秋の前奏曲 ピアノ曲 / 大和(1941) 放送劇 / 「光を掲げた人々」違星北斗(森本儀一郎脚本、1955年) 校歌 / 札幌市立東園小学校(樋口秀雄作詞) 北見市立東相内小学校(宇野親美作詞) 中標津町立中標津中学校(更科源蔵作詞) 北海道北見工業高等学校(宇野親美作詞)
(西田直道 – Wikipedia)
「市民の歌」(しみんのうた)は日本の政令指定都市の1市で、北海道の道庁所在地である札幌市の市歌。作詞・能條伸樹、作曲・川越守、補佐・西田直道。 表題は「札幌市民の歌」でなく、自治体名を含まない「市民の歌」が正式名称である。 (市民の歌 (札幌市) – Wikipedia)
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Naomichi Nishida の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
同志社大学マンドリンクラブ の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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介護に関心のある方のための入門的研修の開催について (北海道)
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介護に関心のある方のための入門的研修の開催について / (社福)北海道社会福祉協議会社会福祉研修所による、介護に関心のある方のための「入門的研修」が全道14か所で開催されます。 日常で役に立つ介護の知識や介護職として必要な基本的知識・技術などを無料で学ぶことができます。 さらに、介護分野での就労を希望される方には、研修終了後専門スタッフによるきめ細かなマッチング支援を受けることができますので、奮ってご参加ください。 (介護に関心のある方のための入門的研修の開催について | 北海道北見市のホームページ)
介護 / 介護(かいご、英: nursing, elderly care)とは、障害者の生活支援をすること。あるいは高齢者・病人などを介抱し世話をすること。 (介護 – Wikipedia)
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入門的研修について | 社会福祉法人 北海道社会福祉協議会のホームページ
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1897年(明治30年)5月15日 屯田兵の野付牛村開庁 (北海道北見市)
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北見の開拓史に新事実 2019/11/12掲載(北見市/歴史) 屯田兵の野付牛村開庁「1897年5月15日」 北見・68歳男性 / 北見市在住の元北見市職員・68歳男性が北見の屯田兵の歴史を調査し、野付牛村(北見市)に第四大隊本部、野付牛村と湧別村に中隊本部が開庁されたのは1897(明治30)年5月15日だったとした。公文書を確認したことによるもので『北見市史』にこの記載はなく、男性は「北見の屯田兵の歴史にとって、すごく重要なこと。成果をまとめて出版したい」と話している。 旧陸軍の公文書で確認…北見市史には記載なく 屯田兵の歴史にとって重要、成果を出版できたら 屯田歩兵第四大隊による雪中行軍の記録も / 屯田歩兵第四大隊本部が野付牛村に、中隊本部が野付牛村(3カ所)と湧別村(2カ所)の計5カ所に開庁された日は『北見市史』に1897(明治30)年5月としか記載がなく、何日かは不明だった。 男性は、第七師団長男爵・永山武四郎が陸軍大臣子爵・高島鞆之助に宛てた報告書で、大隊本部と中隊本部5カ所の開庁が97年5月15日と確認。 軍の命令系統の最高機関である参謀本部は当初、屯田歩兵第四大隊を野付牛村に配備する計画はなく、96年と97年に湧別村に二中隊二個を配備する予定だったことも確認した。 また、湧別への屯田兵配備について、93年12月に永山武四郎屯田兵司令官(※この年は第七師団長男爵ではなく、屯田兵司令官)が参謀総長・熾仁親王充てに報告した『明治二十八年二十九年両年ニ於ケル屯田兵移殖地』の中で、96年に二中隊を湧別村に配備し、大隊本部も根室から湧別村に移転する計画だったことを確認。 参謀本部は土地が確保されれば97年にも二中隊、都合四中隊を湧別に配備することを計画しており、北見市への配備計画はなかったとした。97、98年に北見、湧別に屯田兵配備が決定される以前に、湧別単独配備が計画されていた。?参謀本部は屯田司令官の報告をもとに95、96年の配備について陸軍省と協議するが、陸軍省は94年2月、湧別は遠く交通が不便で経費にも懸念があるとし、最終的に参謀本部は94年4月、湧別配備を取り消している。 しかし、男性は同年11月の北海道毎日新聞に、常呂原野(野付牛原野・ムカ原野)と湧別原野に屯田兵を配備するため測量が行われているとの記事を発見。 これは97、98年の配備を前提とするもので「1894年の日清戦争で8月に朝鮮半島・遼東半島を制圧、9月に平壌を陥落、また黄海海戦により制海権をほぼ掌握したことにより戦争賠償金を見込み、陸軍省は湧別の屯田兵配備にゴーサインを出したのではないか」と推測する。 また、北見に屯田兵を配備することになったのは「湧別に二中隊二個、都合四中隊を移植するほどの土地がなかったことと、北見は湧別とともに北海道庁の鉄道予定幹線に組み込まれていたこと、つまり、鉄道を軍事的に利用することが当時の参謀本部の既定路線であったことも影響しているのではないか」と推測する。 そのほか、屯田歩兵第四大隊による雪中行軍が97、98年に計2回行われ、初回(97年12月24日~98年1月9日)は三輪光儀大隊長を含む19人、2回目(2月14日~3月3日)は三輪大隊長を含む58人が旭川の永山兵村を往復した記録を確認した。 陸軍大臣に提出された雪中行軍報告書には、行軍中の日誌や参加者の氏名、積雪深度などの気象状況、駅逓での食事内容、浴場の有無、各士官らに与えられた特別任務の報告などさまざまな事項が詳細に記述されていた。 「冬季に中央道路を第七師団本部に向かう場合に必要とされる装備などに加え、おにぎりが凍ってしまって食べられなくなることへの対処法、宿泊先での食事は平素の食事より良かったため、行軍終了後に太った兵卒が多かったことなど面白いことも記載されています」と目を輝かせる。 雪中行軍の記録は膨大で四百数十コマになり「従来、湧別中隊だけで行われたとされた雪中行軍は、実は屯田歩兵第四大隊を挙げての一大事業。参加人数こそ違うが、199名が死亡した青森・弘前連隊の八甲田雪中行軍遭難事件に先立つ5年前に行われていたということです」と話している。 さらに、屯田兵を全国から海路で運んだ武陽丸と武州丸についても、「商船三井社史資料室に確認して明らかになった新事実がありました」と男性。 「私は単なる好事家。趣味の範囲で地方史を調べているが、今回の屯田歩兵第四大隊の沿革などについては、公文書などの一次資料に基づいている。今後も、確実な資料を調査し、北見市の歴史的事実を後世に残したい」と話している。(匡) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)
屯田兵(とんでんへい)は、明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵士とその部隊である。1874年(明治7年)に制度が設けられ、翌年から実施、1904年(明治37年)に廃止された。 (屯田兵 – Wikipedia)
北見市 日本の北海道の市 / 北見市(きたみし)は、北海道オホーツク総合振興局にある市。オホーツク海沿岸から石北峠まで東西約110キロメートル (km) に広がっている。北海道(ただし、北方領土である択捉島などを除いた場合)で一番広い地方公共団体(日本国内では高山市、浜松市、日光市に続く4番目の広さ)である。 概要 / 「北見」の名の由来は、明治政府から国名を諮問された松浦武四郎が「この地を従来から北海岸と唱えてきたので北の文字を用い、カラフト島が快晴の日には見えるので、北見としてはどうか」と進言したことによる。旧北見市市制施行前の名称「野付牛」(のっけうし)は、アイヌ語の「ヌプンケシ」(野の一方の端)に由来している。 歴史 / 年表 / 明治時代 / 1897年(明治30年):北光社移民団112戸が北見に入植し、北光社農場開設。屯田兵597戸が端野・野付牛・相内・湧別に入植。網走支庁開庁。常呂村戸長役場から野付牛・生顔常村を分離し、野付牛外1箇村戸長役場設置(旧北見市の開基)。 (北見市 – Wikipedia)
関連サイト
ヌプンケシ93号 野付牛外一箇村戸長役場開庁月日は? – 北見市のホームページ
市史編さんニュース ヌプンケシ目次 | 北見市のホームページ
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屯田兵〜家族のみた制度と生活(北見市の歴史) – 美幌音楽人 加藤雅夫
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