奉迎 天皇皇后両陛下御来町(北海道網走郡美幌町)


奉迎 天皇皇后両陛下御来町(北海道網走郡美幌町)

美幌町立美幌小学校の一年生の私は、最前列で日の丸の旗を振って歓迎した。

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千載一遇の歓喜 豊田町長謹話 町民と共に奉迎 / 十三日天皇、皇后 両陛下の御来町に当たり、豊田町長は十一日次のように謹話を述べている。 天皇、皇后両陛下におかせられましては終戦後はじめて北海道御巡幸を遊ばされることになり八月十三日函館に御上陸、広く道内各地の産業、経済、民情を御観察なさいますが幸いに八月十三日美幌駅前奉迎場に両陛下お揃いで御立寄り戴くことになりましたことは無上の光栄であり感激を深く致している次第でございます。千載一遇とも申すべきこの歓喜を二万五千町民ならびに近隣町村の住民と共に心から御奉迎申し上げ、かつ無事に行幸啓を終えさせられて御還幸なさいますようにお祈り致します。 (1954年(昭和29年)8月11日 美幌新聞 発行人 大庭不二雄)

両陛下奉迎台に立つ とどろく万歳と旗の波 / 天皇、皇后両陛下御来町の十三日は測候所の天気予報をつがえして、いんうつな雨模様はあとかたなく消え去り、満天の青空という絶好の日和に恵まれ、町内は早朝から日の丸の旗に彩られ、駅前奉迎場には午前七時ころから歓迎者が続々とつめかけ、午前九時三十分ごろは千五百坪の広場も沿道も押し寄せた人波で身動きもできないほどであった。 定刻午前十時九分お召し列車が第二ホームに御到着と同時にお祝いの花火が高々と打ち上げられ、木下美幌駅長先行船津旭鉄管理局長御先導で駅正面玄関お姿をみせ林津別町長の御案内で奉迎台にお上りになった両陛下のお顔は長旅の御視察に日焼けが目立つほどであった。とりわけ皇后様にはきょうまで御風邪を召され御安否が気づかっていただけに奉迎者に安ど感を與えるいとまなく自衛隊美幌部隊の音楽隊が奏でる「君が代」斉唱に両陛下は微動もせずお立ちになり、豊田美幌町長の発唱による万歳三唱、これに和する一万数千の奉迎者がのどもさけよとばかりの万歳とちぎれるばかり打ち振る小旗に天皇はカンカン帽を三度、四度振られて応えられ、また皇后もにこやかに御会釈され、午前十時十七分花火の合図とともに美幌駅を離れられたが、両陛下は車窓にお立ちになり奉迎者の歓送するなかを網走市へ向かわれた。 (1954年(昭和29年)8月14日 美幌新聞 発行人 大庭不二雄)

昭和天皇 日本の第124代天皇 / 昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位:1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は裕仁(ひろひと)、称号は迪宮(みちのみや)。お印は若竹(わかたけ)。 第二次世界大戦前に即位し、日本が復興するまで60年余りに亘って在位し、帝国憲法に定められた「統治権の総攬者(そうらんしゃ)=立憲君主」としての天皇と日本国憲法に定められた「象徴天皇」の両方を経験した。 (昭和天皇 – Wikipedia)

香淳皇后 日本の女性皇族 / 香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年〈明治36年〉3月6日 – 2000年〈平成12年〉6月16日)は、日本の第124代天皇・昭和天皇の皇后(在位:1926年〈昭和元年〉12月25日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は良子(ながこ)。お印は桃。 (香淳皇后 – Wikipedia)

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天皇家の皆さま方と美幌峠(美幌町) – 美幌音楽人 加藤雅夫

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