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美幌町 地域おこし協力隊について(北海道 網走郡)

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美幌町 地域おこし協力隊について(北海道 網走郡)

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新任ですよろしく 美幌町初の地域おこし協力隊員 女性(37) / 素敵さ発信に意欲 観光でまちづくりを / 美幌町初めての地域おこし協力隊員として4月に着任した女性(37)。今後、観光担当として振興に力を注ぐ。「新しいスタイルで美幌町を盛り立てたい」と抱負を述べる。美幌町出身。美幌高校を卒業後、旅行会社の添乗員、子ども服の販売などを経験した。「古里で働きたい」と協力隊員に応募。「前に前に行く性格。人とコミュニケーションをとるのが好き」と自らを評する。キャンプや自転車、トレッキングなどアウトドアの趣味を多くもつ。今後は津別、大空の観光関係機関とともに確立を目指す屈斜路カルデラ外輪山トレイルルートの開発をはじめ、美幌峠魅力発信実行委員会の事業など、観光での地域おこしに携わる。美幌での生活は高校生以来。「美幌を離れたことで、美幌が魅力あるまちだと気付くことができた。美幌峠はもちろん、みどりの村など素敵な場所がある。積極的に出向いて意見を聞き、SNSなどで町外の人にも広めたい。気軽に声を掛けて」と意欲をみなぎらせている。(浩)(2018年4月6日の記事 経済の伝書鳩

地域おこし協力隊(ちいきおこしきょうりょくたい)とは、人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に受け入れ、地域協力活動を行ってもらい、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とした制度である。(地域おこし協力隊 – Wikipedia

網走郡(あばしりぐん)は、北海道オホーツク総合振興局の郡。人口32,368人、面積1,498.87km²、人口密度21.6人/km²。(2017年3月31日、住民基本台帳人口)。以下の3町を含む。美幌町(びほろちょう)津別町(つべつちょう)大空町(おおぞらちょう)。(網走郡 – Wikipedia

美幌町(びほろちょう)は、北海道オホーツク総合振興局管内にある町。概要 / 町名にはアイヌ語と「ピポロ[1]」〔石・多い〕あるいは「ペホロ[2]」〔水・多い〕の二説があり、特定しがたいとされる[3]。 陸上自衛隊の駐屯地があり、自然が豊かで降雪や災害が少なく、空港が近いことから道外からの移住者が多いのが特徴。地理 / 地形は網走川、およびその水系の河岸段丘および氾濫原に広がり、網走市と北見市のほぼ中間に位置する。人口の約9割が半径3キロの市街地に集中するコンパクトシティである。隣接する女満別空港から市街地までの移動時間は自動車で10分程度、石北本線や国道4路線、道道6路線が交わる道東交通の要衝の位置に当たる。日照率が高く、降雨量が少ないが、水道の水源地は、藻琴山から湧き出る女満別川上流であり、良好な水質を保っている。経済 / 陸上自衛隊美幌駐屯地や日本甜菜製糖をはじめとする多くの食品工場があることから、関係者や家族(主に町外出身者)が多く暮らしており、経済活動にも少なからず影響を持っているとされる。さらに、自然が豊かで、降雪量が北海道の気候としては少ない部類に入り、自然災害が少なく、温和な環境である。そして、商業施設や交通、医療機関等の都市機能が充実しているため、町外はもとより、北海道での生活を求めた道外出身の移住者が多く在住している。(美幌町 – Wikipedia

関連サイト

美幌町地域おこし協力隊 | 美幌町

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美幌町 地域おこし協力隊 | 北海道観光まちづくりセンター

地域おこし協力隊|北海道で暮らそう!

総務省|地域力の創造・地方の再生|地域おこし協力隊

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地域おこし協力隊 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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美幌町 町史発刊のお知らせ(北海道網走郡)

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美幌町 町史発刊のお知らせ(北海道網走郡)

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「美幌町史」完成 30年間のできごと網羅 / 4月から販売 / 「美幌町史」が完成した。昭和62年度から平成27年度までの史実を中心にした新しい町史で、4月から販売を開始する。29年度に迎えた美幌町130年の記念事業として発刊。町史の発刊は平成元年度の「美幌町百年史」から29年ぶりで、町史編纂資料調査専門員が中心になり、26年6月から作業を進め、完成させた。「自治・行政」「商工・観光・労働」「教育」「文化・体育」「保健・医療・福祉」「社会基盤の整備」など全10編で構成。合併問題に揺れた「平成の大合併」、町内8つの小学校の統合・閉校、国立療養所美幌病院の経営移譲など、昭和62年以降の町のできごとを丹念につづっている。巻頭では、130年目の初日の出などカラー写真で美幌の史実を紹介している。A5判1227ページ。価格は町内在住者が3500円、町外在住者が4500円。役場庁舎2階まちづくりグループで販売し、着払いでの郵送にも応じる。購入した人のうち希望者には「美幌町百年史」を贈る。「百年史」は数に限りがある。詳しくは政策担当(TEL 0152-73-1111内線223)へ。(浩)(2018年3月31日の 記事経済の伝書鳩

美幌町史の販売について / 町では、美幌130年記念事業の一環として、前町史「美幌町百年史」以後の昭和62年度から平成27年度までの史実をまとめた「美幌町史〔昭和62~平成27年度〕」を発刊しました。(美幌町史の販売について | 美幌町

明治20年10月12日に戸長役場が開場されてから、美幌町は130年の歴史を重ねます。130年という長い歴史には、先人たちの開拓の苦労、発展への願い・喜びが込められており、それらが今日の美幌町の礎となっています。そしてこれらの歴史・思いは、親から子へ、子から孫へと受け継がれ、限りない未来へとつながっていきます。「ひとがつながる、みらいへつなげる ここにしかないまち びほろ」の将来像にあるように、美幌町のこれまで(歴史)とこれから(未来)を担う町民の皆さまと共に、平成29年度を美幌130年の祝賀の年としてここに特設ページを開設いたします。(美幌130年記念特設ページ | 美幌町

美幌町(びほろちょう)は、北海道オホーツク総合振興局管内にある町。概要 / 町名にはアイヌ語と「ピポロ」〔石・多い〕あるいは「ペホロ」〔水・多い〕の二説があり、特定しがたいとされる[3]。 陸上自衛隊の駐屯地があり、自然が豊かで降雪や災害が少なく、空港が近いことから道外からの移住者が多いのが特徴。地理 / 地形は網走川、およびその水系の河岸段丘および氾濫原に広がり、網走市と北見市のほぼ中間に位置する。人口の約9割が半径3キロの市街地に集中するコンパクトシティである。隣接する女満別空港から市街地までの移動時間は自動車で10分程度、石北本線や国道4路線、道道6路線が交わる道東交通の要衝の位置に当たる。日照率が高く、降雨量が少ないが、水道の水源地は、藻琴山から湧き出る女満別川上流であり、良好な水質を保っている。阿寒国立公園 / 山:藻琴山 / 川:網走川、美幌川、魚無川、女満別川、豊幌川、美幌川、石切川、鶯沢川、木禽川、駒生川、駒の沢川、トマップ川 / ダム:古梅ダム。歴史 / 1887年(明治20年) 美幌他5か村戸長役場を設置。1915年(大正4年)4月1日 美幌村、杵端辺(けねたんべ)村、古梅(ふるうめ)村、活汲(かっくみ)村、達媚(たっこぶ)村、飜木禽(ぽんききん)村が合併し、二級町村制施行、美幌村となる。1919年(大正8年)4月1日 活汲村、達媚村、飜木禽村の3大字を津別村(現津別町)として分村。1920年(大正9年) 美幌峠道路開通。1921年(大正11年)4月1日 津別村の一部を編入。1923年(大正13年)4月1日 一級町村制施行、美幌町となる。1934年(昭和9年) 美幌峠を含む阿寒一帯が国立公園に指定を受ける。経済 / 陸上自衛隊美幌駐屯地や日本甜菜製糖をはじめとする多くの食品工場があることから、関係者や家族(主に町外出身者)が多く暮らしており、経済活動にも少なからず影響を持っているとされる。さらに、自然が豊かで、降雪量が北海道の気候としては少ない部類に入り、自然災害が少なく、温和な環境である。そして、商業施設や交通、医療機関等の都市機能が充実しているため、町外はもとより、北海道での生活を求めた道外出身の移住者が多く在住している。(美幌町 – Wikipedia

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北見工業大学図書館 » 美幌町

美幌町史 (美幌町): 1972|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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町史 の検索結果 美幌音楽人 加藤雅夫

美幌町史 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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北海道美幌町の広報びほろ(2018年 4月号)配信されました

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北海道美幌町の広報びほろ(2018年 4月号)配信されました

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広報びほろ 平成30年度 4月号 / 内容 / 庁舎建設基本構想 / 町政執行方針 / 介護保険料 / 母子健診 / 予防接種 / 後期高齢者医療制度 / 狂犬病予防注射 / 食事療養費、医療従事者補助 / データヘルス計画、不妊治療助成など / ペレットストーブ、美幌町史など / 税金、町産材活用補助 / まちの話題 / 今月のお知らせ / 国保病院診療体制 / 健康 / 子育て / マナセン・トレセン・図書館・博物館 / 交通安全、消費生活相談など / 運動習慣等調査の結果 / カレンダー (広報びほろ | 美幌町

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広報びほろ 2018年4月号|マイ広報紙

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団塊の世代について

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団塊の世代について

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団塊の世代(だんかいのせだい)とは、日本において、第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代を指す。焼け跡世代(あるいは戦中生まれ世代)の次の世代に当たり、第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のことである。第一次ベビーブーム世代とも呼ばれる。日本経済においては第二次世界大戦後の高度経済成長、バブル景気を経験している。この用語は堺屋太一の小説、「団塊の世代 (小説)」に由来している。厚生労働省は、その白書において「団塊の世代」ではなく、「団塊世代」は「団塊世代(1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)生まれ)」としている。日本の医療制度上は、前期高齢者(65~74歳)に該当する世代である。この3年間の年間出生数は260万人を超えている。1947年(昭和22年)生まれは267万8792人、1948年(昭和23年)生まれは268万1624人、1949年(昭和24年)生まれは269万6638人であり、3年間の合計出生数は約806万人にのぼる(厚生労働省の統計)。成長過程 / 引退期・老年期 / 2007年(平成19年)から2009年(平成21年)にかけて、200万人以上と年齢人口の多い団塊の世代のサラリーマンが一斉に定年退職を迎えるため、社会に大きな影響をもたらす危険性が問題視され、2007年問題と呼ばれた。大量退職によるマンパワー不足を回避するため、2006年4月に「改正高齢者雇用安定法」で65歳までの継続雇用を促進する「高年齢者の安定した雇用の確保等を図るため措置」が施行された。これに併せて人材コストを抑えつつ技能を継承する目的で、多くの企業が継続雇用制度を導入することで団塊の世代を再雇用し、多数が就業または再就職している状態が続いた。その結果2006年(平成18年)では83万人いた60歳から64歳の労働者が2009年(平成21年)には142万人にまで増え、さらに65歳以上の労働者も31万人から54万人にまで増加した。このような対策もあり、2007年問題は大きな問題とはならなかったが、その後団塊の世代が65歳に到達する2012年に同様の問題が起こると懸念され、2012年問題と呼ばれた。しかし2017年現在この問題は大きな問題となっていない。彼らの蓄えた技術や能力、人脈を自社で生かすべく、団塊の世代の人材を獲得しようとする企業も現れている。しかし退職後は専門知識を生かし、技術指導者やシニア海外ボランティアとして海外の発展途上国で活躍する者も少なくない。特に、製造業の分野においては、日本のメーカーが培ってきた製造技術を伝授すべく、団塊の世代の退職エンジニアが中国や韓国、台湾の企業に再就職した者もいる。団塊の世代の人口が多い分、年金を受給し始めると大きな負担となることが考えられたため、1990年代から年金問題は発生まで時限性を持った社会問題となり、たびたび改革案が提示された。結果的に給付額の削減と納付額の引き上げが行われ、厚生年金は60歳から受け取れるものの、基礎年金は63歳から65歳受給と、一部の支給開始時期が先送りされた。円高傾向や、豊富な時間と資金力を生かして秘境や辺境、特殊なアトラクションを経験するツアーが人気になっているのも、この世代に見られる特徴である。経済との関連 / 巨大な消費市場 / 地域の担い手として / 2005年(平成17年)頃から近年各地の地方自治体で、団塊の世代を呼び込もうとする動きが盛んになってきた。島根県において、県知事名で約2万人の出身者等を対象に帰郷を呼びかける手紙を送ったことはニュースになった。このほか、北海道においても移住促進活動が盛んに行われている。社会保障 / 団塊の世代の厚生年金の受給が2007年(平成19年)から始まっており、基礎年金の受給も2010年(平成22年)以降始まっている。さらに、2022年頃以降には後期高齢者(75歳以上)となり、一定の部分は社会的入院や要介護者になり、年代とともにその比率は高まっていき、負担がさらに増えるだろうと考えられている。犯罪増加の傾向 / 法務省の発表した犯罪白書の平成20年度版では「高齢犯罪者の実態と処遇」を特集している。この特集は65歳以上及び今後団塊の世代が高齢期に達することを考慮して犯罪増加に警鐘を鳴らしている。(団塊の世代 – Wikipedia

関連サイト

美幌町移住・定住ポータルサイト | 美幌町

美幌町高齢者保健福祉計画・第6期介護保険事業計画を策定しました | 美幌町

「遠紋圏域地域医療構想」について | オホーツク総合振興局保健環境部紋別地域保健室

北海道地域医療構想 | 保健福祉部地域医療推進局地域医療課

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日本の作曲家 團伊玖磨 (2001年 5月17日) ー 美幌音楽人 加藤雅夫

シニアボランティア の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

高齢犯罪者 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

団塊の世代について の検索結果,ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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LS北見(ロコ・ソラーレ)物語

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LS北見(ロコ・ソラーレ)物語

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連載 LS物語 (1) 北見から五輪へ… 「ロコ」らしいカーリングを / 女子カーリング日本代表チーム・LS北見がいよいよ、平昌冬季オリンピックの大舞台に臨む。選手全員が北見で育ち、市民や企業などオール北見の応援を受けて五輪切符を勝ち取った。選手は「ここまできたら自分達のカーリングをやるだけ」と口を揃え、市民は「ロコらしく」と我が子を送り出すようにドキドキ見守っている。
オール北見の後押しで平昌五輪代表に 強さに弱さ…応援したくなる選手達
公式戦の出場規定で地域名などを入れなければならないことから、公式大会に出場するときのチーム名は「LS北見」としているが、地元北見では常呂カーリング倶楽部(北見カーリング協会)の登録名「ロコ・ソラーレ」という名が馴染み深い。市民は親しみを込めて「ロコ」と呼んでいる。 平成22年にチームを結成する際、本橋麻里選手(31)が太陽を意味するイタリア語にトコロをかけて名付けた。一方、藤澤五月選手(26)がジュニアのころに活動していたチーム名はステイゴールドII。「いつまでも輝いて」という見た目の意味のほか「常に笑いを」「太陽のように光輝く心を」と内面の美しさの意味もあるそう。太陽とゴールド(金)という不思議な縁を思わせる。 ただ、陽気で明るいばかりではない。 チームの先陣を切って投球する、リードオフウーマンの吉田夕梨花選手(24)は、持ち前の明るさの陰に昨年9月、日本代表チーム代表決定戦の前には涙も見せていた。さらには、大会に勝ち、涙ぐむ本橋選手の姿を見かけた、吉田知那美選手(26)はチームキャプテンに対し「泣くのはまだ早いよ」と、平昌までとっておこうと気丈だった。そんな知那美選手は、北見市の壮行会で言葉を詰まらせ大粒の涙をポロリ。藤澤五月選手(同)や鈴木夕湖選手(同)も敗北や挫折を味わった。 大なり小なり、みんな悔しい経験をし、今がある。元気で強いばかりではなく、そんな弱さも持ち合わせる選手達だからこそ、市民も応援したくなる。メダルや勝ち負けの前にまず、「ロコらしく」が市民達の願いだ。連載します。次回はメンバーの妹分、吉田夕梨花選手はチームで一番しっかりしているかも、という話。(寒)(2018年2月3日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (2) 北見から五輪へ… / 吉田 夕梨花選手 光る才能、中1で日本選手権へ チーム常呂中で平成19年の道選手権優勝 / 今から12年前、平成18年3月1日付の「経済の伝書鳩」に「ここから未来の五輪選手が-」という書き出しの小さな記事がある。旧常呂町内の小学生のカーリング大会を取材した記事で、6年生の女子チームが男子チームも加わるなか、みごと優勝した-と伝えている。 旧常呂町の小学4~6年生を対象に開催したジュニアカーリング教室の参加者50人が受講後13チームを結成し、ジュニアリーグを繰り広げた。その結果、常呂小6年の吉田夕梨花さんがスキップを務めるチーム「DEKOBOKO」(デコボコ)が優勝した。 一方、トーナメント戦の常呂カーリング協会長杯では男子チーム・アイスファイターズに敗れ、準優勝。かつてのカーリングホールの狭いロビーで行われた表彰式で、吉田(夕)選手は悔しそうな表情だったと記憶している。表彰式で当時の同協会の会長は「決勝は接戦のいい試合でした。ぜひオリンピックをめざしてもらいたい」とエールを送った-と記事は結んでいる。 2人の姉と選手でカーリング指導者の母にくっついて、幼いころからカーリングホールに通ってきた吉田(夕)選手。中学生になると、当時の日本記録を塗り替える。 常呂中1年になった吉田(夕)選手は姉ら同中3年生のチームROBINS(ロビンズ)に呼ばれる。前年の日本選手権予選でチーム青森を破り銅メダルに輝いた、公式戦名チーム常呂中学校のメンバー達。この新・チーム常呂中学校で平成19年の北海道選手権を優勝し、吉田(夕)選手は日本選手権最年少出場を果たす。あどけない中学1年の吉田(夕)選手は、日本選手権に向けて「勝ち負けは別に、いい試合をしたい」。本紙の取材にしっかりと答えている。(2018年2月6日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (3) 北見から五輪へ / 吉田 夕梨花選手 世界一のウィック技術で勝負 小野寺コーチも太鼓判 / 吉田夕梨花選手が中1で出場した平成19年の日本選手権。吉田知那美選手と鈴木夕湖選手、小野寺佳歩選手ら北見常呂中の3年生と臨み、前年に続き“常呂中”旋風を巻き起こす。しかし1日3試合もあるハードスケジュールに中学生の選手達は最後は力尽き、2大会連続3位だった。 ジュニア選手の育成に心を注ぎ、同チームのコーチだった小野寺亮二さんは「精神的にも肉体的にもタフな試合が続いた」、同じく吉田富美江コーチは「最後は経験の差が出た」と振り返っている。同19年2月27日付の「経済の伝書鳩」では、さわやか4人に会場から盛大な拍手が送られた -と報じている。 吉田(夕)選手が高校生の時にロコ・ソラーレが結成され、創立メンバーになる。強かったが突き抜ける勢いは足りず道銀や中部電力の前に後塵を拝す。 結果が出ず、大学卒業後の進路を悩んだ吉田(夕)選手。ニートも覚悟したときに就職を勧めてくれたのが現在の勤務先、医療法人美久会の國分純理事長。ロコ・ソラーレ創立当初からの一番の理解者の一人。「けっして表だって目立とうとはしない」(本橋選手談)隠れた応援団長だ。 競技に集中できるようになった吉田(夕)選手はチームの世界選手権2位に貢献する。「リードというポジションを究めたい」「まだまだやるべきことはある」と前向きに考えられるようになった。 ルールで、相手リードのストーンを弾き出すのはNG。しかしずらすのはOKだ。吉田(夕)選手は、敵リードが狙い定めて配置したストーンをちょっとだけずらす「ウィック」という技術を得意とする。非常に高度な技術で小野寺コーチも「夕梨花のウィックは世界一」と太鼓判を押す。(2018年2月8日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (4) 北見から五輪へ / 吉田 夕梨花選手 世界一のリード誕生への原点 一人黙々とドローの練習 / 平成26年のソチ冬季オリンピックに北海道銀行チームの姉・吉田知那美選手(26)が初出場を果たす。これを前にLS北見は日本選手権に同23年から出場し2位、翌年4位、翌々年3位と代表権を逃した。吉田夕梨花選手(24)は当時、周りからよく「お姉ちゃんはすごいね」と声を掛けられたそう。吉田(知)選手は「妹は言葉にこそ出さないけれど、悔しい思いはあったはず」と思いやる。4年前のことを思うと、今も二人の目は潤む。 LS北見はその後の日本選手権で3位、2位、そして平成28年に初優勝。タレント性のある本橋麻里選手(31)をはじめ吉田(知)選手、藤澤五月選手(26)の加入が注目されるなか、吉田(夕)選手と鈴木夕湖選手(26)の成長も見逃せない。「姉とは性格が真逆。私はこつこつやるほうが合っている」と吉田(夕)選手は語る。選手達のベースとなっている、常呂カーリング倶楽部のリーグ戦は夜間に行われる。今から10年ほど前、中学生だった吉田(夕)選手は姉や母の試合が終わるのを待ち、ホールの隅っこの空きシートで一人黙々と、ドローショット(狙いを定めて止める投球)の練習をしていたのを本紙はよく覚えている。頑張り屋さんで、本当にカーリングが好きなんだな-と本紙は見ていた。今から思えば、あのシーンこそ、世界一のリード誕生への道すじだったのかもしれない。(2018年2月10日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (5) 北見から五輪へ / 鈴木 夕湖選手 パワフルなセカンドのスペシャリスト トレーニング重ね筋量大幅増 / 近年のカーリング競技はよく「フロントが大事」と言われる。チーム4人のうち最後に投げるスキップが注目されがちだが、作戦を立てる上では前半に投げるリードそしてセカンドの役割が重要ということだ。この2人の出来がゲームを左右する、と言っても過言ではないとされる。なかでもセカンドの“仕事”は多岐にわたる。LS北見の鈴木夕湖選手(26)はセカンドのスペシャリストだ。投じられたストーンの滑りを伸ばしたり、曲げたりするスイーピングを、リードの吉田夕梨花選手(24)とともに自在に操る。身長1メートル52センチと1メートル46センチの小柄なコンビ。一昨年の世界選手権では、2人のみごとなスイーピングがカーリングをよく知る地元カナダの観客を驚かせた。「小柄な日本人選手が頑張っている、と最後はアイドル的に観客席から応援された」と世界2位の裏話を小野寺亮二コーチは教えてくれた。その体力の根拠となっているのが、チームのチーフトレーナー・大森達也さんが代表を務める北見市内のスポーツクラブ・フィジットコンディショニングでのトレーニング。最新の機器を備え、理論に裏打ちされたメニューに取り組んだ5人はいずれも筋量が大幅アップ。「タフな国際試合でも、海外勢に力負けしない体力がついた」と大森トレーナーは胸を張る。鈴木選手はさらにオフの間、勤務先のある立地環境を生かし、時間を見つけては東陵運動公園内を一人で走っていた。(寒)(2018年2月12日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (6) 北見から五輪へ / 鈴木 夕湖選手 光る天性のウェート判断力 「アイスの読み」にも力
選手が投じたストーンの滑りの速さが、強いのか弱いのかを表すのに「ウェート」と呼ばれる用語が使われる。スイープ役の選手はウェートを捉え、どこまでストーンが行きそうかをスキップに伝える。指令役はスイープをするのか、しないのか「イエス」「オー」「クリーン」などと声を出す。ウェートの判断にはストップウォッチを駆使するほか、一番近くでストーンの動きを追うスイーパーの目視が大きな役割を果たす。鈴木夕湖選手(26)は、このウェートの判断がずば抜けている。小野寺亮二コーチは「中学生のころからみているが、夕湖のウェート判断は素晴らしい。子どものころからすごかった。天性のものがある」と一目置く。本人は意識したことはないとしながらも、経験からくるイメージを大切にしているという。鈴木選手はここ1、2年、「アイスの読み」にも力を入れてきた。滑りがよかったり、重かったり、複雑な氷の状態をつかむことは勝敗を決める最大の要素ともいえる。鈴木選手はアイスを読むのは苦手だったという。常呂中から旭川工業高等専門学校に進み、さらに北見工業大学で化学を研究した鈴木選手。根っからのリケジョ(理系女子)が最近、本気でアイスを読み始めた。昨年「少しずつアイスがわかるようになってきた」と話す。同時にチームの成績も安定。理論を武器につけた才媛セカンドカーラーが実に頼もしい。ほかのメンバーが血液型A型なのに対し、鈴木選手一人だけO型。本橋麻里選手(31)がめざすところの多様な個性の集まりに貴重な存在だ。やることが多いセカンドは、ときに押しつぶれそうになるかもしれないが、そんなときは本橋キャプテンが控えているから心強い。(寒)(2018年2月13日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (7) 北見から五輪へ / 吉田姉妹 気質違えど心強い味方 破天荒な姉と努力家の妹 弱音吐いたり励まし合ったり / 妹の吉田夕梨花選手(24)は自分の性格を「こつこつと少しずつがんばるのが好きで、リードっぽいなと思う。目立たないけれど、裏でチームを支えるポジションは自分に合っている」と、しっかりと見つめる。一方で姉・吉田知那美選手(26)については「性格が真逆」ときっぱり。ひと言で言うと「破天荒(はてんこう)。表現するのがうまいし、私が持っていないものを持っている。ただ、アイスを上がると注意散漫」だそう。遠征の宿泊先では同室になることが多い。子どものころはきょうだいゲンカもしたが、今はもうない。部屋ではカーリングのことはもちろん、おいしいものやくだらないことなど世間話がほとんど。恋話は「ほぼない」。姉妹でオリンピックに出場できることについて、妹の夕梨花選手は「二人でオリンピックの舞台に立てることになって、すごく親がうれしいだろうなと思う。こんなに心強い味方(姉)がそばにいることは、自分にとってはすごいアドバンテージです」。姉の知那美選手は「4年前、妹はオリンピックに出られなかったことが、どんなに悔しかったことか。チームでは選手同士だけれど一歩氷から離れると姉妹ですし、ちょっと弱音を吐いたり、もっと頑張ろうねと励まし合ったり、普通の一人の人間として居られる時間というのは、私にとってすごく精神的な支えになります。一緒に出られるという機会はめったにないから、両親に恩返しがしたいです」。(2018年2月17日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (8) 北見から五輪へ / 吉田 知那美選手 小学3年、初対戦が藤澤チーム 中学2年、日本選手権予選でトリノ五輪代表チームに勝利 / 吉田知那美選手(26)がカーリングを始めたのが小学2年生のとき。当時の常呂町カーリングホールのジュニア教室に通ったが、指導者の男性は「1年間、ストーンを持たせてくれなかった」と振り返る。今から20年近く前のことだ。男性とは昭和50年代、常呂にカーリングを導入したカーリング協会初代会長のこと。吉田知選手は「1シーズン掛けて、徹底して基礎を教わった」。翌シーズン。小3のとき、初めての対戦相手として、男性が連れてきたのが、北見市花月町の河西建設カーリングホールで練習していた藤澤五月選手(26)のチーム。両親の指導の下、兄姉らと幼いころからカーリングに親しんでいた藤澤一家の五月さんらだ。同級生とチームを組んで対戦した吉田知選手は「五月ちゃんはすごかった。まったくだめでした」と初試合に臨んだ感想。ただその後まもなく、吉田知選手らは低学年にもかかわらず地元のローカル大会「ホタテちゃんシールジュニアカーリング選手権」で活躍し、早くも頭角を現す。中学2年の時に出場した日本カーリング選手権予選リーグで、吉田知選手、鈴木夕湖選手らの常呂中学校(ロビンズ)は、トリノ冬季オリンピック代表のチーム青森を破った。この時点ではまだ注目されてなかったが、決勝トーナメントで再びチーム青森と当たると常呂の先輩の旧姓小野寺歩選手、林弓枝選手らを本気にさせた。試合の中盤「ハウスに一つもストーンがない状態で、タイムアウト(1試合に1回だけ)を要求してきた」と当時も常呂中学校チームをコーチしていた小野寺亮二さん。「こんな経験ない。どうしたらよいか分からなかった」と吉田知選手。そして「歩ちゃん(小野寺歩選手)達、怖かった」と中2の選手達は語った。(寒)(2018年2月19日の記事経済の伝書鳩

連載 LS物語 (9) 北見から五輪へ / 常呂カーリングの父 故・小栗 祐治さん 常呂カーリング協会初代会長、多くの選手育てたレジェ ンド 正念場迎える“俺の子ども達” / 吉田知那美選手、鈴木夕湖選手らが中2で日本選手権3位になり、銅メダルを下げて常呂に帰って来たとき、真っ先に駆け付けた町民が小栗祐治さんだった。「この子たちはもっと上にいく」と、オリンピックも視野に語った。常呂カーリング協会の初代会長で本橋麻里選手や吉田知選手ら多くの選手を育てたレジェンド指導者。LS北見が一昨年の世界選手権に出場した際にも、熱心にカーリングホールを訪れ、パブリックビューイングに参加し、声援を送っていた。その目は平昌のさらにその先を見つめ、きらきらと煌めいていた。「一緒に日本(札幌)での冬季オリンピックに行く」。選手を『俺の子ども達』と呼び、いくつになっても壮大な夢を語っていた。そんな小栗さんは平昌での選手達の晴れ舞台を見ることなく昨春、88歳で亡くなった。選手達はその後9月の決定戦で代表権をつかむ。表彰式の後、吉田知選手に、もし小栗さんがいたならと聞くと「小栗さんはもうとっくに天国で酒盛りしてると思う」と師匠への恩を、親しみと最大限の尊敬を込め語っていた。天国で再び、祝杯を上げられるか。厳しくも優しい目で今も見守られる“俺の子ども達”が正念場を迎えている。(寒)(2018年2月22日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (10) 北見から五輪へ / 今夜、銅メダル懸けた大一番 イギリスとの3位決定戦 市民も地元から声援送り、深まる絆で強敵に挑む / カーリング日本女子代表LS北見は23日、平昌冬季オリンピック準決勝を韓国と戦い、延長の末7-8で負けた。同種目日本初のメダルを懸け24日午後8時5分から、イギリスとの3位決定戦に臨む。北見市立体育センターでは約200人、アドヴィックス常呂カーリングホールでは約100人がスクリーンやテレビ画面に向かって声援を送った。選手とコーチで過去2回、オリンピックに出場した近江谷好幸さん(59)は「オリンピックの雰囲気はまったく違う。すぐ近くにいても声が聞こえない。イギリスのスキップはジュニアのときから活躍していた。強敵だががんばってほしい」とねぎらい、元チームメンバーの江田茜さん(28)は「絆が深まっている。コミュニケーション力も上がっているので大丈夫」と応援する。
【予選結果】
▽日本10-5アメリカ
▽日本8-5デンマーク
▽日本7-5韓国
▽日本6-7中国
▽日本10-5OAR
▽日本3-8カナダ
▽日本5-4スウェーデン
▽日本6-8イギリス
▽日本8-4スイス
【予選順位】
(1)韓国8-1
(2)スウェーデン7-2
(3)イギリス6-3
(4)日本5-4
(5)中国4-5
(6)カナダ4-5
(7)スイス4-5
(8)アメリカ4-5
(9)OAR2-7
(10)デンマーク1-8
【準決勝】
韓国
30102001001=8
02010100210=7
日本
【3位決定戦のパブリックビューイング、テレビ応援観戦】
▽24日(土)午後8時5分~北見市立体育センター、アドヴィックス常呂カーリングホール ※開場は30分前。(2018年2月24日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (11) 北見から五輪へ / 長野から20年、つかんだ表彰台 先輩五輪選手達が後押し / 最後の最後にようやくLSらしい笑顔が-。今大会前、LS北見の吉田知那美選手(26)は前回のソチ大会では「楽しむことを忘れていた」と語っていた。3位決定戦を前にLS北見創立メンバーの馬渕恵さん(31)は「最後は自分達らしい、楽しいカーリングをやってほしい。それだけ」。選手が練習拠点とするアドヴィックス常呂カーリングホールには過去のオリンピック出場選手達の写真がパネル紹介されている。その選手達も、オリンピックを楽しんできてほしいと願っていたはず。最終日。準決勝までとはまったく違う、いつもの表情の選手達に戻っていた。20年間たたかってきた過去の五輪選手達の思いが、気持ちをそっと切り替えてくれたようだ。冬季五輪カーリング競技に出場した旧常呂町と北見市出身の選手は次の通り(敬称略)。
【1998長野】
◇男子 ▽選抜チーム=5位(予選3勝5敗)敦賀信人、近江谷好幸、佐藤浩
◇女子 ▽選抜チーム=5位(2-5)加藤章子、三村容子、丹羽明美
【2002ソルトレイクシティー】
◇女子 ▽シムソンズ=8位(2-7)加藤章子、林弓枝、小野寺歩、小仲美香、近江谷好幸コーチ
【2006トリノ】
◇女子 ▽チーム青森=7位(4-5)小野寺歩、林弓枝、本橋麻里、阿部晋也コーチ
【2010バンクーバー】
◇女子 ▽チーム青森=8位(3-6)本橋麻里、近江谷杏菜、阿部晋也コーチ
【2014ソチ】
◇女子 ▽北海道銀行=5位(4-5)小笠原歩、船山弓枝、小野寺佳歩、吉田知那美。 (寒)(2018年2月26日の記事 経済の伝書鳩

常呂でジュニアカーリング 将来の五輪選手がここから 小学生伝統の登竜門30回目 / LS北見がオリンピック最終戦に臨んだ24日、練習拠点としている地元のアドヴィックス常呂カーリングホールで恒例の常呂自治区ジュニアカーリング選手権が開かれた。数々のオリンピック選手が通った登竜門。30回の節目の今回、将来オリンピックをめざす小学生9チームが出場した。ところ子ども会育成連絡協議会、常呂カーリング倶楽部、北見市教委常呂教育事務所の共催。1998長野冬季オリンピック出場の白畑(旧姓三村)容子さんら常呂カーリング倶楽部の会員達が講師を務め、昨年11月から行ってきたジュニアカーリング教室の集大成。選手達は作戦を考え、声を掛け合ってスウィーピングしていた。表彰式では同倶楽部の会長が「教えられたマナーもきちんとできていた。ぜひオリンピックをめざして」とあいさつ。後援の常呂ライオンズクラブの会長からメダルが贈られた。教室のリーグ戦も全勝だった常呂小6年生の男子チーム「アイスライン」が優勝。スキップの男子児童は「今の目標は先輩達の『ドラゴン』です」と倶楽部リーグ戦で活躍する中学生チームを挙げた。一方、準優勝の同小6年女子チーム「クラウンクラウン」は「決勝で負けて悔しい」。女子児童ら選手は「目標はロコ・ソラーレに勝つこと…いつかは」と元気よく語った。(寒)(2018年2月27日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (12) 北見から五輪へ / チーム藤澤、小中高生大活躍 2004全道選手権アーカイブ 五月選手のステイゴールドIIは4位 / 今から14年前、2004年2月17日付けの「経済の伝書鳩」に、当時小学生だった藤澤五月選手らが北海道カーリング選手権で活躍した記事が載っていました。再掲載します。北見の小中学生、高校生がカーリングの全道選手権大会で一般に交じって大活躍した。第23回北海道カーリング選手権大会(12~15日、常呂町カーリングホール)には道内各地区予選を突破した男子24、女子8チームが出場。このうち北見カーリング協会(当時)所属の男子北見ファイターズは3位に入り、みごと銅メダル。日本選手権の出場権を獲得した。また女子のステイゴールドIIは惜しくも4位で大舞台は逃したが、会場で一番元気のよいプレーが好感を呼んだ。両チームは、カーリングの普及に努める北見市内の夫妻が家族ぐるみで楽しみながら「カーリングの楽しさが広がれば」と選手育成を目的に率いている。選手メンバーは北見ファイターズが長男の北見北中3年男子生徒をはじめ北見北中3年男子生徒、北見緑陵高1年男子生徒、北見美山小6年男子児童。ステイゴールドIIが北見北中2年女子生徒・藤澤五月さん(北見美山小6年)姉妹と北見東陵中2年女子生徒、北見相内中1年女子生徒。ともに初出場の今大会で、大人に交じって互角以上の力を発揮した。うれしい日本選手権進出に、ファイターズの男子選手達は「たくさんいい試合をしたい」と抱負。一方、延長戦の末、あと一歩で4位となったステイゴールドIIの女子選手達は「悔しい。一緒に全日本に行きたかった」と残念そう。でも最後は「強い相手にここまで来られたんだから」と、この経験をバネに再び頑張ることを誓った。(寒)(2018年2月28日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (13) 北見から五輪へ / 藤澤五月選手と吉田知那美選手の不思議な縁 カーリングが二人を引き合わせ ライバルとしてともに歩み 同じチームでやることになるとは / 藤澤五月選手(26)と吉田知那美選手(同)は同じ年代だが、もともと旧北見市と旧常呂町で育ち、学校も違えば、カーリング練習の拠点も違った。ジュニアのころはライバルだった二人。でも不思議な縁に導かれてきた。常呂の吉田知選手が小学生のとき、初めてカーリングの試合をした相手が北見の藤澤さんチームだった。藤澤さん家族はカーリング一家として知られ「五月さんの兄と姉も強かった」(吉田知選手)。当時も今も、北見市内にはカーリングホールが2カ所ある。北見市花月町の河西建設カーリングホールと常呂町カーリングホール。かつては協会も分かれ、北見協会からもオリンピック選手は出ていたが、常呂のほうが圧倒的に多く、北見の会員にとって練習会場も大きな常呂は、せん望の的。常呂町民は自分達の『常呂』を大いに誇りにしていた。そんな環境の中でも北見の藤澤五月選手はジュニアの大会では、常呂はおろか全道、全日本を圧倒。あまりの強さに、常呂の関係者の中にはライバル心を超えた感情を覚える人もいたようだ。そんなことは関係なく、藤澤選手と吉田知選手は当時「お手紙交換」をしていた。すると、教員の藤澤選手の父は吉田知選手が中学2、3年の時、赴任先の常呂中学校で偶然、担任になる。藤澤選手が同年代の日本一を競う日本ジュニアの路線を進み、吉田知選手はおとなも含めた全年齢対象の日本選手権の路線を歩む。「あのころは、こうして同じチームでやることは考えてもいなかった」 <つづく>(寒)(2018年3月6日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (14) 北見から五輪へ / 藤澤五月選手、小学生で本場カナダのカーリング観戦 最強スキップに衝撃、永遠の目標に 世界めざし中学生で頭角 高校生…ついに憧れの地でプレー / 父母から指導を受け、兄・姉を含めカーリングに親しむ藤澤五月さん家族。今から約16年前、五月さんが小学生のとき、家族旅行でアメリカ合衆国のディズニーランドに行く予定だったが、9・11同時多発テロの直後で治安を心配し、カナダへと行き先を変更した。本場カナダのカーリングを観戦することにした。そこでプレーしていたのがジェニファー・ジョーンズさん。現在ではカナダ選手権を5回優勝する最強スキップだ。レジェンドのプレーを直かにし、いつかは本場カナダで試合をしたい-。今でも、憧れと目標に彼女の名を挙げるほどの衝撃を受けた。以来「カナダ」を目標にカーリングに励んできた。このころが世界をめざす一つのターニングポイントだったのかもしれない。小学5年で姉や友人らでカーリングチーム「ステイゴールドII」を結成。中学生になると、チームでは最年少ながらも藤澤選手はスキップを務め、管内、全道のジュニア大会で活躍。当時を知る人は「強かったですよ。常呂勢もかなわなかった」という。高校生になると、日本ジュニアを連覇。世界ジュニアに2年連続出場する。2008年はスウェーデン・エステルスンド、そして2009年はカナダ・バンクーバーでの開催。ついに憧れだったカナダでのプレーを実現させる。それも世代の最高峰を決める大会だ。そこに2007年から連続出場していたのが、イギリスジュニアチーム代表スキップのイブ・ミュアヘッドさんだった。<つづく>(寒)(2018年3月10日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (15) 北見から五輪へ… 英国代表スキップ・ミュアヘッド選手と再戦 / 藤澤 五月選手 10年前、世界ジュニア選手権で2度対戦、当時から強く メダル懸けたラストショット、強さ知る故の驚き / イギリスは2007年から2009年まで世界ジュニアカーリング選手権を3連覇。イブ・ミュアヘッド選手(28)は2007年から出場し、2008年と2009年にはスキップを務めジュニア世界1位に貢献した。2010バンクーバー五輪はイギリスチームのスキップを任され、2014ソチ五輪は銅メダルを獲得している。藤澤五月選手(26)とミュアヘッド選手は10代のころ、2008年と2009年の世界ジュニア選手権で2度、顔を合わせている。当時からミュアヘッド選手はたいへん強かったそう。2人は、2018平昌五輪で再会。互いにスキップ同士で予選リーグはイギリスが8-6で日本を下す。そして、3位決定戦で再び相まみれる。結果は最終第10エンドの藤澤、ミュアヘッド両スキップの最後の投球までもつれ込み、テレビで何度も放映されるシーンとなる。相手のミスを喜ばないのがカーリング精神。イギリスチームの最後の投球が終わって一瞬置いて、両チームは握手。その後に日本チームの選手同士が喜びのハグをするが、そこでもまだ信じられない表情だったのが藤澤選手。「何が起きたのか一瞬わからなかった」という。あきらめてはいなかったが、ミュアヘッド選手の強さを知っているがゆえの表情。日本カーリング史上初となる五輪メダル獲得の瞬間だった。(寒)(2018年3月13日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (16) 北見から五輪へ / 藤澤 五月選手 かつてのチームメート「涙が出ました」 藤澤選手とステイゴールドIIで7年間活動 世界の壁感じた当時より大きく成長 / 藤澤五月選手のジュニア時代のチーム名は「ステイゴールドII」。父親が自分のチームに付けていたステイゴールドという名前を譲り受けた。輝き続けるなどといった意味があり、藤澤選手は当時、「一番上の輝きを」という意味を含めて、チームの目標にしていた。オリンピックではさらに、「ステイポジティブ」というチームテーマを加え、常に前向きにと最後まであきらめずに戦い続けている。ジュニアの当時のチームメートの女性は小学6年から高校卒業まで7年間、ステイゴールドIIで活動した。現在は看護師として北見市内で働くとともに、練習拠点だった北見市花月町の河西建設カーリングホールで今も、リーグ戦に出場するほか、カーリングの指導や大会参加にかかわっている。藤澤選手の活躍について「本当に感動しています。予選から涙が出ました。ステイゴールドIIのメンバーとも喜び合いました」と感激の様子を語る。「私達が世界大会に出ていたのは10年ほど前で、あのときは世界の壁を感じました。そのとき出ていた海外選手が今回のオリンピックにもけっこう出ていて、五月もその選手達と肩を並べて堂々と戦っていて、笑顔で大会を楽しんでいるようで、本当にすごいです。記者会見など何回見ても、うるうるします。笑顔溢れるチームだけど、どれだけ努力をしてあそこに立っていたのか。本当にメダルという形になって、笑顔が見られて嬉しいです。今回こんなにカーリングが取り上げられ応援されたのは、ロコ・ソラーレというチームの魅力があったから。これからの進化もとても楽しみです」と喜びを語っている。(寒)(2018年3月16日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (16) 北見から五輪へ / 大森チーフトレーナー 選手達の体力、心配なかった / プロや五輪選手の治療に携わり 体質転換に筋トレも指導 / 1試合約3時間ときには1日2試合、深夜に及ぶこともあるオリンピック日程だが、LS北見チーフトレーナーの大森達也氏(44)=(株)PHYSIT代表は「選手達の体力は心配なかった」と語る。この数年を掛けて選手達の体質を替え、昨夏にはびっしりと筋トレを積むことができた。「昨年9月の代表決定戦の際にすでに体はできていた。あとはケアを含めコンディショニングだけだった」と事前準備の成果を語る。身長150センチ前後のスイーパーに世界は驚く。スポーツ医学を学び、理学療法士の免許を取得して札幌の整形外科病院でプロやオリンピック選手の治療に携わる。北海道コンサドーレ札幌や全日本女子スキージャンプのトレーナーを経験し、ふるさと北見市に戻って病院に勤務した。その後、ロコ・ソラーレ(LS北見)の本橋麻里選手から「トレーニングの仕方を教えてほしい」と声を掛けられた。選手達はそれまで独学でトレーニングしていた。当時からスイーツをもぐもぐしていた選手達に栄養面を含め指導することに。オフの間に、陸上競技場でダッシュを繰り返すなど、大森氏の立てたメニューに取り組んだ。「昨年2月の日本選手権に負けた結果、約3カ月の練習メニューが確保できた」と逆境をプラスに変えた。(寒)(2018年3月19日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (18) 北見から五輪へ, 小野寺亮二コーチ / 農ところによって銅メダル 親の代から畑作三品栽培 本業あってこそのカーリング / 農業や漁業者が多い旧常呂町にあって、冬の健康維持やまちおこしの目的で導入されたカーリング。それからまもなく旧端野町や旧北見市でも競技を始める人達があらわれ、以来三十数年にして、ひとつの花が咲いた。小野寺亮二コーチ(57)は屋外にリンクを造って競技していた当時から携わる。北見市常呂町岐阜に畑約30ヘクタールを作付けする農家。じゃがいも、小麦、ビートの畑作三品を親の代から栽培する。日本カーリング選手権は2月に開かれることが多いが、かつて3月に行われたことがあった。3月になると農家は育苗ハウスの作業、漁師はホタテ漁の準備などと忙しくなる。日本選手権を切り上げ、家業のために常呂へと帰る選手もいた。小野寺さんも近所の農家と共同作業で春の準備をする。かつてはカーリング仲間がまちから手伝いに来てくれたこともあった。今年は2月のオリンピック後は一段落。長男が家業を継いでくれて安心だ。3月上旬に、は種したビートもすくすくと伸びている。本業があってのカーリングは今も変わらない。(寒)(2018年3月20日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (19) 北見から五輪へ… / 小野寺コーチ 裏方として金メダル級の働き 五輪出場には実力と運が必要 選手達に気負わせず“ロコらしさ”キープ / ワールドツアーや世界選手権とは違い、オリンピックのコーチは日本カーリング協会が決めたコーチが就く。日本代表女子ナショナルチームのコーチを務めたのはカナダ人のJ・D・リンド氏(33)。ロコ・ソラーレの小野寺亮二コーチ(57)は「私は裏方で十分です」と語る。しかし小野寺コーチがいなければ、ここまでの活躍はあり得なかった。選手達にはメダルが贈られるが、コーチやトレーナーなどスタッフには授与されない。小野寺コーチの働きは、裏方として金メダルに値すると言えそうだ。一番の功績は、選手達を気負わせなかったことだろう。ロコ・ソラーレのメンバーに「俺を世界選手権に連れて行ってくれ」とは言った、と小野寺氏。「オリンピックは実力とともに運もなければ出場できない」というのが持論。文字通り、代表決定戦を通じて幸運をつかんだのだから「あとは選手達のやりたいようにやらせるだけ」。オリンピック序盤の入り方も「気持ちがのびのびして、ふだんと同じロコらしさで安心した」という。大会前は「このチームは、全敗か全勝だと思っていた」。(寒)(2018年3月21日の記事 経済の伝書鳩

LS北見凱旋パレード おめでとう!ありがとう!みんなで掴んだメダルだよね~! / 市内外の1万2千人が祝福 報告会で市特別栄誉賞「今後とも愛されるよう頑張ります」 / 平昌冬季オリンピック女子カーリングで銅メダルを獲得した日本代表、LS北見(ロコ・ソラーレ)の凱旋パレードが21日、北見市中心部の商店街で行われた。感動を分かち合おうと市内外から約1万2千人が沿道に並び、大きな歓声に包まれた。太陽の子ども達というチーム名にふさわしく、選手達を祝福するかのように晴れ渡ったこの日。出発の午後零時半には沿道は身動きがとれないほど。全員が北見市の本橋麻里、吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、藤澤五月の各選手と小野寺亮二監督、大森達也チーフトレーナーの7人が現れると「おめでとう」「かわいい」「ありがとう」と歓声が響いた。会場を北見市民会館に移して行われた報告会では、次代を担う市内のジュニア選手が花束を贈った。市特別栄誉賞を渡した辻直孝市長は「市民の気持のこもった支援が結びついた」と、チーム創設からの本橋選手らの労をねぎらった。あいさつで小野寺監督が「選手達をほめてあげて下さい」と話すと、会場から大きな拍手。藤澤選手は「私達を育てて下さった北見市のたくさんの皆さんのおかげです。今後とも愛されるよう頑張ります」と感謝を述べた。チームは4月にワールドツアーの最終戦とグランドスラム大会出場のためカナダ遠征し、5月にはパシフィック選手権出場のための日本代表チーム選考会に臨む。(寒)(2018年3月22日の記事 経済の伝書鳩

中心商店街でLS北見祝賀パレード オホーツクブルーの下、弾けた笑顔は“黄金色” / 春の日差しの下、平昌オリンピック女子カーリングの日本代表・LS北見の祝賀パレードが21日、北見市中心商店街で行われた。詰め掛けた大勢の声援に応え、銅メダルを掲げて笑顔を輝かせた。感謝と感動が交錯したフィーバーぶりを写真で紹介します。(2018年3月23日の記事 経済の伝書鳩

母校で祝福受ける 平昌活躍のカーリング選手・コーチ / 平昌冬季オリンピックカーリング競技に出場した、北見市出身の選手とコーチが母校を訪問し、祝福を受けた。LS北見の選手達は「メダルを持って帰ることができました」と披露。メダルに触れたり、写真を撮ったりする後輩達に「一緒にがんばろう」とメッセージを贈った。
北見工業大学が鈴木夕湖選手に栄誉賞 LS北見の選手と小野寺コーチが常呂中学校、高校合同の報告会参加 / 鈴木夕湖選手(26)は19日、母校の北見工業大学を訪れ、オリンピックの応援を感謝。「銅メダルを皆さんに報告できることをうれしく思います」と挨拶した。新たに制定された同大学栄誉賞を高橋信夫学長から受けた鈴木選手は「まだまだ強くなりたい」と意気込みを語り、礼を述べた。小野寺亮二コーチ(57)と本橋麻里選手(31)、鈴木選手、吉田知那美選手(26)、吉田夕梨花選手(24)の5人は23日、北見常呂中学校と常呂高校合同の報告会に参加。生徒会代表の北見常呂中2年女子生徒と常呂高2年女子生徒がそれぞれ「感動をありがとうございます」と感謝の言葉を述べた。これを受けて、小野寺コーチは「みんなの思いが伝わった。あなたがたが取ったメダルです」、吉田夕梨花選手は「応援が力になると改めて確認できた」と感謝。吉田知那美選手は「中学の制服が懐かしい。常呂での学校生活を充実させて」、本橋選手は「大きな夢と同じように日常生活の小さな一つ一つの目標を丁寧にクリアしていくことが大事」と後輩達にエールを送った。北見常呂中を卒業し、スピードスケート競技の道に進む、男子生徒は「コメントもしっかりしていて尊敬する。自分もオリンピックに出られるよう頑張る」と勇気をもらった様子。
北見北斗高校で今後の抱負 / LS北見 藤澤五月選手とSC軽井沢 平田洸介選手 / LS北見の藤澤五月選手(26)とSC軽井沢クラブの平田洸介選手(25)は23日、北見北斗高校を訪問。生徒会長の2年女子生徒が代表し「北斗生として誇りに思います」と花束を贈った。藤澤選手は「銅メダルの結果に満足せず、常に世界で活躍する選手であり続けたい」。平田選手は「これからも日本、北見の代表としてカーリング界を引っ張れるよう頑張りたい。応援よろしくお願いします」と呼び掛けた。(菊)(寒)(2018年3月26日の記事 経済の伝書鳩

LS北見凱旋パレード 努力と笑顔で掴んだ栄光 / おめでとう!頑張ったね 市民も支えたその大活躍 /
グラフ (2018年3月27日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (20) 北見から五輪へ / 小野寺 亮二コーチ コーチングボックス、スタッフは世界一 / 負けが続いても動揺なく落ち着き 選手達の“前向きさ”支えるチーム力 / 予選リーグ終盤に負けが続いた際も、小野寺亮二コーチ(57)によると「コーチングボックスをはじめスタッフ陣は動揺もなく落ち着いていて、選手達も心配なかった」という。「本橋選手はどっしりと、こちらが心配になるほど常に落ち着いている。彼女は昔からそうだった。そのぶん、いつでも出られる準備は怠らない」と主将の気構えを高く評価する。ナショナルコーチのJ・D・リンドコーチ(33)については「教え方が上手。悪いことは言わない」とチームに浸透している“ステイ・ポジティブ”精神を挙げ「みんなJ・Dの言うことを理解している。若いのに大したもんだ」と小野寺コーチ。そして「チームトレーナーの大森達也さん、石田和輝さんにはコンディショニングの面で本当にお世話になった」と感謝する。選手の吉田知那美さんによると「日本のコーチングボックスとスタッフは、世界一」だという。それだけ安心できるチームワークだということのよう。小野寺コーチは自身について「私は全体のミーティングで、みんなをリラックスさせるくらい」と謙そんする。(寒)(2018年3月31日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (21) 北見から五輪へ / アイスリーディングのほかにも…)常呂のアイスメーカー男性 / カーリングの試合は通常、リンクの氷の状態を早くつかんだチームが有利だ。ストーンの滑りが速い、あるいは遅い、そして曲がり具合を読む「アイスリーディング」の正確さが勝敗を左右する。あまり大きく報道されていないが、平昌冬季オリンピックではこのほか、もう一つのリーディングが出場チームを悩ませた。「ストーンリーディング」だ。常呂カーリング倶楽部事務局長でアドヴィックス常呂カーリングホールのアイスメーカーを担当する男性(62)によると、ぺブリングなど氷上の整備は、世界カーリング連盟が委ねたアイスメーカーが担当するそうで「会場が違っても、連盟のアイスメーカーが整備するので、国際大会でのアイスの大きな差はない」という ただ平昌五輪では、“曲がるリンク”が予想されたことから、同ホールでのLS北見の練習では、通常よりも曲がりやすいリンクなどいくつかのパターンを想定し造った。その通り、平昌五輪は曲がるリンクだったそう。そこまではよかったのだが、予選リーグ中盤に思いがけない整備が追加される。ストーン研磨だ。使用しているうちに底面に凸凹ができ、研磨することはあるが、「大会中に研磨が行われるのは、あまり聞いたことがない」と関係者達。選手の一番大切な武器でもあるストーンのこと、チームスタッフは神経を使った。(寒)(2018年4月3日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (22) 北見から五輪へ… / ストーンにも一個一個違いがあり、国際大会レベルともなると小さな違いをつかんでいるかどうかで勝敗が左右されることもある。「一番困るのは、滑ったり滑らなかったり、どっちに曲がるか分からないストーン」の存在だそう。ストーンチェック (1) ストーンの“個性”読み切る努力 本橋選手らが試合後に黙々と投げ続け 試合中も他のシートをチェック / そこで各チームは必ず、事前にストーンチェックを行う。平昌冬季オリンピックを通じて報道されていた、日本チームの深夜のストーンチェック。試合が終わったシート上で、LS北見のリザーブ・本橋麻里選手が一人、黙々とストーンを投じるテレビ映像を観た人も多いだろう。8個のストーンにはそれぞれ、番号が記されている。その“個性”を個別に調べる。そのことは各国も怠らない。日本チームはさらに、試合中にもほかのシートに目を凝らす。その役割を今大会、柳等コーチが受け持った。日本の試合をデータ化する小野寺亮二コーチとは別に、柳コーチは隣りのシートの対戦を双眼鏡で眺め、どのストーンから順に使われ、石がどのような動きだったかを調べ、データ化した。本橋選手と小野寺コーチの深夜のストーンチェック、それに柳コーチによる試合中のストーンチェックにより、次の試合に各シートで使うストーン順をスタッフ連携で決めた。総力戦である。(寒)(2018年4月6日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (23) 北見から五輪へ / ストーンチェック (2) スキップは信頼できるストーンで 観客には見えないリード、セカンドの苦労 新たな「ストーン研磨」の影響は / 各チームとも、8個のストーンのうち最も無難なストーンをスキップ用とする。一方、くせがあったり、挙動があいまいなストーンはゲーム前半に投げるリードやセカンド用にすることが多い。勝負を決めるスキップの場面では、やはり信頼のおけるストーンを使いたいからだ。試合のテレビ中継を観ていると、ときどきとんでもない投球をする選手がいる。あまりにも短かかったり、スルーしてしまったり、思ったより曲がり過ぎたり。そういうときは、ストーン自体に問題があることも考えられる。小野寺亮二コーチは「(前半に投げる)吉田夕梨花選手や鈴木夕湖選手には苦労を掛けた」と気遣う。ストーンにもそれぞれ個性があることを知っていると、今後、私達がカーリングの試合を観戦するときに、違った目で観られるかもしれない。これに今回の平昌冬季オリンピックでは、ストーン研磨という状況対応が加わった。小野寺コーチによると「サンダー(研磨)自体は、石の底面を本当にさーっと掛けるだけ」。それでも影響があることが心配されたが「終わってみれば、そんなんでもなかった。考え過ぎだったかもしれない」と語る。(寒)(2018年4月11日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (24) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (1) / 輝く才能で女子ジュニアの一時代築く 中学生で全日本ジュニア優勝、高校で世界選手権に 19歳の時にトリノ冬季五輪に出場し7位入賞 / 「このチーム(LS北見)で成長できた」と語る選手が多いなか、一番成長したのは、ほかならぬ創立メンバーで最年長の本橋麻里選手(31)だと言う人がいる。才能豊かで、中学生のころから活躍し、藤澤五月選手(26)がジュニアで活躍する以前の女子ジュニアカーリングといえば本橋選手、と代名詞のようになっていた時代もある。常呂カーリング協会の初代会長、故・小栗祐治さんに誘われてカーリングを始め、チーム「マリリンズ」を結成。スキップとして中学生で日本ジュニアカーリングに優勝し、2002年の世界ジュニア選手権では順位こそ10位だったが、個人としてスポーツマンシップアワードを受章した。高校生になると、当時の強豪・河西建設女子チームにリザーブとして加入。常呂から北見に通った時期もあった。高校3年で世界選手権に出場すると、そのシーズンの終盤に、負傷者の出た青森県協会の小野寺歩選手、林弓枝選手ら同郷の先輩達から誘いを受け、チーム青森に帯同。2006年トリノ冬季オリンピックに出場した。チームは7位入賞。セカンドを務めた本橋選手は19歳だった。(寒)(2018年4月24日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (25) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (2) 常に上を目指し強豪チームへ / 「ゼロからやりたい」2度の五輪出場後、地元へ 人と地域がつながったチーム作り / 10代のとき、本橋麻里選手が所属してきたチームはいずれも年長者選手が多かった。常呂のジュニアチームをはじめ、北見の河西建設女子チームにしても、チーム青森にしても先輩方の中に入っていった。誘われたほか、常に上をめざす上昇志向もあり、自分の力が発揮できる場所、自らを高められるところを求め積極的に“常呂”から出て行った。その結果、2006年トリノ、2010年バンクーバーと2大会連続、チーム青森の一員としてオリンピックに出場する。マリリンの愛称で慕われ、選手達はカー娘と呼ばれて一躍脚光を浴びた。ところが「バンクーバー(2010年)が終わった直後、『戻ってこよう。ゼロからやりたい』と北見に戻った」。青森がどうのということではなく、むしろ「青森が取り組んでいたチームづくりをベースに、参考にした」と本橋選手。理想は選手が入れ替わってもチームは地域とともに歩むカナダのクラブ組織や尊敬するスウェーデンのチーム。「人と地域とがつながったチームを一から作りたかった」と当時を振り返る。「過去にオリンピックに出たから、それが何だという思い。それよりも、私は私なりに経験でサポートできるはず。なので5年や10年がゴールではない!」さっそくチームづくりに取り掛かり、こつこつとスポンサー探しに歩いた。ゼロからの出発は厳しかったが、「みなさんあったかで、フランク。うれしかったです」(寒)(2018年4月25日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (26) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (3) 新チームは5色のカラーで 多様な個性で柔軟なチーム力を スポンサーらの見守りで成長続け / 周りの期待の大きさに比べ、当たり前だが新生チームがすぐに好成績を挙げられることはなかった。それでも全国レベルの大会で2、3位の結果を残す。ただ、突き抜ける強さはまだ足りなかった。このころ周りの関係者、特にスポンサーらが辛抱強く、チームの成長を見守った。「ずっと応援するよと言ってもらえてうれしかった」と本橋麻里選手。「スポンサーさんの夢を含め“チームLS”なんだと思うことができた」という。自身、結婚と出産を経験し一時期チームを離れ、その後に復活。「チームには迷惑掛けた。それでも温かく迎え入れてくれて、頼もしいメンバー達とありがたいスポンサーさん達だった」。吉田知那美選手、藤澤五月選手が新加入したのもそんな時期。本橋選手は「選手同士互いにライバルとして磨き上げていく姿に、たくましさを感じた」と振り返り、「私も負けないで、いつでもプレーできるよう狙っている」と語っていた。チームづくりに関し本橋選手はよく「5色のカラーで作りたかった」と口にする。多様な個性があり、どんなことにも柔軟に対応できるチーム力が理想だと語る。本橋選手について、チーム最年少の吉田夕梨花選手(24)は「まりちゃんは一人ひとりの個性を生かし、一人ひとりのことを考える。(だからこそ)自分のポジション(=リード)に責任を持てるようになった」とチームキャプテンとしての資質を高く評価する。同じく創立メンバーの鈴木夕湖選手(26)は「まりちゃんについていくだけだった。選手の個性をつぶさずに、時間は掛かったが『自分で何かしなければ』と考えられるようになった。迷惑も掛けたが、少しおとなになれたかなと思う」と振り返り、それぞれ感謝する。(寒)(2018年4月27日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (27) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (4) 本気さに気づき、変化のきっかけに 「もう前に進んでいる」のひと言 ロコに加入し成長遂げる / 吉田知那美選手(26)は、本橋麻里選手(31)について「4年前、本橋さんがいるから(北見に)戻って来た。ここ(北見)からオリンピックをめざす!という本橋さんの本気さに気づいたから」という。「その後、自分が変わっていくと、周りの環境も変わった」と振り返る。日本カーリング選手権4連覇を飾るも、何かを引きずっていたという藤澤五月選手(26)は3年前、「たまたま、まりちゃんと食事に行ったとき『自分達はもう前に進んでいるよ』と語った本橋さんのひと言が忘れられない」という。「カーリングに対する考え方を私も変えなければ」とそのとき直観的に思ったそう。そしてその後の加入。「ロコ・ソラーレ(LS北見)は自分達で練習して、自分でやる。選手みんな自立しているのがこのチームの強さなんだなと感じた」と藤澤選手。「全員が全員の仕事をしていて、5人がいないと成り立たない。『ロコはチームだな』と強く思った」そう。吉田知選手、藤澤選手はともに、ただ北見へと帰って来ただけでなく、本橋選手によって自分に気づき、ロコ・ソラーレというチームによって自分が変われたことが、かけがえのない成長、財産となったよう。(寒) 掲載画像 / 銅メダルを手に女満別空港に到着したLS北見の吉田知那美選手、藤澤五月選手、本橋麻里選手(左から、2月27日)(2018年4月28日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (28) 北見から五輪へ / 本橋 麻里選手 (5) 誰よりも成長、メダル獲得最大の功労者 / 選手以上に人として 関係者らも称賛の声 / 本橋麻里選手に導かれ、ロコ・ソラーレというチームで自分が変わり、市民に愛されることで、人(ひと)として成長できた、と選手達はよく口にする。藤澤五月選手はオリンピック報告会で「まりちゃんが3年前、温かく迎えてくれた。そして今、北見市のたくさんの皆さんの応援のおかげでここに立てている」と感謝した。同じく本橋選手を頼って4年前、ふるさとに戻った吉田知那美選手は「このまちに人として成長させてもらった。ときに、北見市の人達の温かさに甘えたくなることもあるけど、結果で返せてよかった。応援してくれる、まちの皆さんに感謝です。これからもカーリング選手としてだけではなく、人として人間力を高めていきたい」と、心の底からの気持ちが言葉になる。一方、リザーブの選手であることについて本橋選手は「もちろんいつでも出られるよう、常に準備はしている」と言いつつ「昔の自分なら、何としても試合に出られるよう目一杯突っ走ったと思う。でも今は…」とも。常呂のカーリング関係者は、この言葉にうなづき「よく我慢している。一番成長したのは本橋選手だ」と話し、ひと回り大きくなった最近の本橋選手に「メダル獲得の一番の功労者。直接、プレーはしていないが、彼女がいなければメダルはなかった」と最大限の称賛の声を贈る。(寒)(2018年430日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (29) 北見から五輪へ / 子ども達に愛されるロコ・ソラーレ 五輪から帰郷 多くの“後輩”らが出迎え / 2月27日、平昌冬季オリンピックから帰ったLS北見をたくさんの市民らが出迎えた。女満別空港のほか、選手達の地元・北見市常呂のカーリングホールには午後10時過ぎという遅い時間にもかかわらず、父母らと一緒に駆け付けた小・中学生の姿が目立った。アドヴィックス常呂カーリングホールの2階。急きょ設けられたステージに向かうメダリスト達を迎えたのは、選手達の後輩でカーリングを始めて間もない、地元の小・中学生達。通路をぎっしりと取り囲み、遠慮することなく自然に「おめでとう」と声を掛けた。選手達も一人ひとりに「ありがとう」と応えた。この日、全国ネットのテレビ局の取材や選手団の報告会、飛行機での移動と疲れていたはずの選手達だが、大会で見せる笑顔かそれ以上の笑顔で子ども達に応えた。ステージまで10メートルほどの通路は、子ども達で埋まり、ステージまで歩むのに10分以上掛かった。テレビ局の中継や新聞社の締め切りが迫っていたが、文句を言うものはなかった。長い一日の最後の最後に、子ども達の笑顔という宝物が待っていた。子ども達に愛される、ロコ・ソラーレ。選手達にとっては何年たっても、この通路でのシーンは忘れられないものになるだろう。本橋麻里選手は「こんなに常呂に子ども達がいたなんて」と驚く。そして「『僕達も北京オリンピックに行く!』と言ってくれた。小学生だから、北京(4年後)は無理だろうけど」と半分、母親の気持ちも手伝って目を潤ませる。子ども達が喜んでくれるのが選手達にとって一番うれしそうだ。(寒)(2018年5月3日の記事 経済の伝書鳩

連載 LS物語 (完) 北見から五輪へ… / 大きな夢「北見=スポーツのまち」に 次の目標…世界一を目指し 5選手それぞれのカラーで実現を / 平昌冬季オリンピック出場を前に「スポーツで北見から世界へ出て行けるのがうれしい」と語っていた本橋麻里選手(31)。帰って来て常呂のカーリングホールに行ってみると、「練習する高校生の目つきが変わっていた」そう。「競技する選手達の本気度が伝わってきて、うれしかった」という。スポーツを通じて、まちが変われば、というのが選手達の願い。本橋選手は「カーリングに限らずどんな競技でも構わない。地域でスポーツ選手を支え『北見=スポーツのまち』になればいいな」とコーディネーターあるいはプロデューサーの素養で大きな夢を抱く。その上で「あらためて自分が歩んできたカーリングという競技に感謝する」とも。平昌での「セミファイナルの韓国戦が色濃く印象に残っている」と早くも次へのモチベーションを見つけたよう。「オリンピックに行けても行けなくても、4年間チャレンジする」「あらたなオリンピックにワクワクしている」「応援をパワーに。プレッシャーを集中力に」と語って来た選手達。小野寺亮二監督(57)は「彼女達は世界で通用する選手になりたいと練習している。世界にはまだ上がいるのを知っている。でも戦えないとは思っていない。選手達は一番上を狙っている。平昌の次の日から4年後を狙っている。見守ってあげてください」とお願いする。五輪報告会で本橋選手は「五輪の輪のように5色のカラーを持つ5人の選手達はみな家族のようです。自然体をポリシーに、その姿勢をこの後も忘れずにいたい。まだまだおぼつかない私達ですが、大きな夢をかなえるお手伝いをしてください」と主将として語り、しめくくった。※連載を終了します。長い間のご愛読ありがとうございました。<完>(寒)(2018年5月9日の記事 経済の伝書鳩

ロコ・ソラーレ(Loco Solare)は、日本の女子カーリングチーム。チーム名の由来は、「ローカル」と、「常呂っ子」から「ロコ」+イタリア語で太陽を意味する「ソラーレ」。北見カーリング協会所属。練習拠点は、アドヴィックス常呂カーリングホール。2018年平昌オリンピック日本代表。 日本カーリング選手権大会など日本カーリング協会(JCA)主管試合では、LS北見として登録されている。(ロコ・ソラーレ – Wikipedia

『シムソンズ』は、カーリングを題材にした2006年の日本映画。北海道常呂郡常呂町(現北海道北見市)の女子高校生が1998年長野冬季オリンピックカーリング競技男子日本代表選手の薦めでカーリングチームを結成し、紆余曲折を経て成長する青春映画。実在したカーリングチーム「シムソンズ」(2002年ソルトレイクシティ冬季オリンピックカーリング競技女子日本代表)をモデルとし、その来歴に題材を得て製作された。 実話との相違 / 実話に題材を得たストーリーではあるが、その内容は大きく脚色されている。例えば、劇中で伊藤和子は加賀真人の薦めがきっかけでカーリングを始めるが、和子のモデルとなった加藤章子は9歳からカーリングを始めており、19歳で長野五輪に女子日本代表チームの一員として出場している。また、劇中の「シムソンズ」は全員が高校の同級生という設定だが、現実の「シムソンズ」は加藤・小野寺・林の3人が中学校の同級生時代に結成したチームであり、のちに加わった小仲(加入時の名字は堀)は3人より学年が2つ上である。 また、小野寺家は農家ではない、と本人が設定に後日不満を語っている。 その他 / 本編の試合シーンでは常呂町(当時)のカーリング選手もエキストラとして出演した。その中の一人、「シムソンズ」と北海道大会決勝で対戦する相手チームの選手として出演している近江谷杏菜は、(現実の)「シムソンズ」のコーチであった近江谷好幸の娘であり、2010年バンクーバーオリンピックに日本代表チーム青森の一員として出場した(現在は北海道銀行フォルティウス所属)。また、同じくエキストラ出演していた吉田夕梨花もロコ・ソラーレの一員として2018年平昌オリンピックに出場している。他にも江田茜(元ロコ・ソラーレ)松井千愛(元チーム東京)など、後に日本カーリング選手権大会で活躍することになる選手が多数出演していた。(シムソンズ (映画) – Wikipedia

関連サイト

カーリングチーム LocoSolare(ロコソラーレ/LS北見)公式サイト

Team LocoSolare | Facebook

北見カーリング協会北見支部 | Facebook

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関連エントリ

平昌冬季オリンピック の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

女子カーリングチーム の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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北海道網走市出身 スピードスケートのコーチ 結城匡啓さん

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北海道網走市出身 スピードスケートのコーチ 結城匡啓さん

関連記事

指導者としての偉業達成 網走出身のスピードスケート指導者 結城 匡啓さん(52)
冬季オリンピック女子スピードスケートで日本人として初めて優勝した小平奈緒選手(31)=相澤病院=とともに、コーチとして支えた結城匡啓(まさひろ)氏(52)=信州大教授=の偉業を喜ぶ声がふるさと網走市内で上がっている。かつて信州大チームの網走夏合宿を実現した経緯もある。18日夜のレース後には「おめでとう」の電話が同市向陽ヶ丘の実家に鳴り響いた。清水宏保さんを指導したことでも知られ、関係者は男女の金メダルにかかわった結城さんの快挙をたたえている。
男女で金メダル… 清水選手、小平選手で“二冠達成” 実家にも多くの祝福の声
結城氏は網走中央小、第二中、網走南ヶ丘高から筑波大学・大学院に進学。競技者と研究者を両立させ、自らの体を使って運動メカニズムを追求し、ワールドカップスピードスケート男子500メートルで3位を2度経験している。信州大では加速の力学、スラップスケート対策、高速スケートリンクの開発など多くの論文を発表。「科学的サポート活動によるスポーツの競技力向上に関する研究」などを通じ“氷上の理論家”として知られる。長野冬季五輪金メダリストの清水宏保選手の専属コーチも務めた。平成14年からは結城監督の下、信州大学スケート部の網走夏合宿が実現。部員は自転車やローラースケート走で鍛えた。そんな結城コーチを慕って、信州大に進学した小平さん。ソチ五輪は結果が出なかったが、その後も「結城組」に残った。結城さんの実家はスケート一家として知られる。「結城先生についていけば大丈夫」という小平さんについて、「理論は以前から(匡啓さんにより)出来上がっていたが、それに応え、さらに進化していく小平さんがすごい」と家族は語る。スケート技術、フィジカル強化にメンタル、栄養指導、調整法まで、すべてはこの日の“究極の滑り”のためだった。18日夜は、父母をはじめ家族が実家に集まり、テレビ観戦。母校・網走南ヶ丘高校に通うめいっ子も声を枯らして応援した。1000メートルで流した悔し涙が、喜びの涙に。日本のスピードスケート史上、男女の金メダルに関わった結城氏。コーチとしての“二冠達成”は指導者冥利に尽きると父母。ひっきりなし掛かってくるおめでとうコールに「みなさんのおかげです」と喜びを分かち合う。(寒)(2018年2月21日の記事 経済の伝書鳩

小平 奈緒(こだいら なお、1986年5月26日 – )は、長野県茅野市出身のスピードスケート選手。信州大学教育学部生涯スポーツ課程卒業。社会医療法人財団慈泉会相澤病院スポーツ障害予防治療センター所属。世界記録は500m×2、1000m、スプリント複合で保持している。オリンピック記録は500mで保持している。オリンピックで日本女子スピードスケート史上初の金メダリスト(平昌)、大卒メダリスト(バンクーバー)である。またオリンピック日本選手団主将として冬季オリンピック初の金メダリスト(平昌)である。(小平奈緒 – Wikipedia

清水 宏保(しみず ひろやす、1974年2月27日 – )は、日本の元スピードスケート選手、スポーツキャスター、タレント。北海道出身。エイベックス・マネジメント所属。長野オリンピックで金メダル1個、銅メダル1個、ソルトレイクシティオリンピックで銀メダルを獲得した。身長は162cm。2015年4月より弘前大学大学院医学研究科博士課程に在学。(清水宏保 – Wikipedia

関連サイト

結城匡啓(まさひろ)コーチの結婚相手や年齢は?経歴がすごい!​画像まとめ! | アヤパンランド

小平、コーチとの13年成就 理論体現 滑り変える :日本経済新聞

金メダルへ全力サポート スケート小平選手のコーチ・網走出身結城匡啓さん:​どうしん電子版(北海道新聞)

新着情報|網走市 – 網走市役所

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スピードスケート の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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2017年 重大ニュース(北海道 北見市)

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2017年 重大ニュース(北海道 北見市)
News 2017 Hokkaido Kitami

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2017年 重大ニュース北見市… (上)-1(北見市/社会)
※記事中の年齢は当時のものです

LS北見 平昌出場へ 女子カーリング日本代表決定戦制す
女子カーリング日本代表決定戦が9月、北見市常呂のカーリングホールで行われ、LS北見が中部電力チームを下し、平昌冬季オリンピック出場を決めた。 吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、藤澤五月、本橋麻里の各選手と小野寺亮二コーチ。全員が北見市出身者のオリンピック出場は初めて。決して順風満帆とは言えなかった選手達が「負けから学び」「このチームで成長した」(選手談)。市民の大きな声援を受け、花咲かせた。(寒)

Wリーグ公式戦 12年ぶり北見開催
北見では12年ぶりとなるWリーグ(バスケットボール女子日本リーグ)の公式戦が10月、道立北見体育センターで行われた。ともに愛知県に本部を置くデンソーアイリスとトヨタ自動車アンテロープスが2連戦を行い、バスケットファンが白熱の好ゲームに声援を送った。 両日とも約千人の観客が詰めかけ、国内トップレベルの攻防に目を奪われた。初日の試合後はサイン会も行われ、子ども達が色紙やボールを手に憧れの選手と触れ合った。(柏)

北見北中が地区初の全国切符 男子バスケと女子バド・ダブルス 全道大会で躍進
北見北中学校が8月の中体連全道大会で躍進した。男子バスケットボール部が準優勝、バドミントン部2年の女子生徒ペアが女子個人戦ダブルスで3位に入賞し、ともに同競技で北見地区から初の全国大会出場を決めた。 バスケットボールの全道大会は北見開催だったこともあり、会場には多くの父母や他校の生徒らが訪れ、選手達の活躍に熱狂した。バドミントンで同校は、女子団体戦でも3位に入賞。こちらも北見地区で過去最高の成績となった。(匡)

ドリームレーシング 世界1に WTACのFR部門で
北見市東相内町の自動車販売・整備会社カーショップ・ドリームの黒川徹洋さん(44)がドライバーと代表を務める「北海道ドリームレーシング」チームが10月、ラップタイムで自動車のスピード世界1を競うWTAC(ワールド・タイム・アタック・チャレンジ)2017(オーストラリア・シドニーモータースポーツパーク)に挑戦。市販車をベースとするオープンクラスのFR部門で、世界1位を獲得した。あきらめずに闘い、冬の厳しい北見の地からも世界1になれることを実証した。(寒)

北見市11万都市に 昨年末で12万人割れ
北見市の住民基本台帳に基づく28年12月末の人口が11万9978人になったことが、今年1月に明らかに。18年3月の合併後初めて12万人を割った。市の人口は、合併直後の18年3月末で12万8499人。翌月の4月末に12万8547人となり、この月をピークに減少を続けていた。合併後の人口減少数は約8500人で、端野と常呂自治区を合わせた人口に匹敵する。(粟)

秘書課長が逮捕 市職員 不祥事
北見警察署は2月8日、北見市の秘書課長(46)を道迷惑行為防止条例違反の疑いで逮捕した。昨年11月に市内で女性用トイレにカメラを設置し、盗撮した疑い。 この職員は3月31日付で懲戒免職となった。職員を秘書課長に任命した辻直孝市長は任命責任を取り、市長を減給10%、1カ月、副市長を減給5%、1カ月にする給与条例改正案を市議会に提出した。(粟)

酒気帯び運転 市職員 不祥事
北見市保健福祉部保護課長の男性(48)が9月30日、市ひかり野の市道で酒を飲んで乗用車を運転。立ち木、電柱に衝突した。 市は10月20日、この職員を「酒気帯び運転」として定職6カ月の懲戒処分にした。(粟)

新消防庁舎が運用開始
北見地区消防組合の新たな消防庁舎(消防本部・消防署)が市寿町に完成し、3月から運用を開始した。 新庁舎は地震に強く、より高度な防災・救助活動へ向けて旧庁舎の隣接地に整備された。鉄筋コンクリート造4階建て、延べ床面積は約5千平方メートルで規模は旧庁舎の約2倍。車庫をはじめ全体的に広々とした造りで、指揮本部室や出動準備室、エレベーターなど新たな設備も加わった。 12月には同一敷地内に北見消防団統合詰所が開所し、新たな防災拠点としての施設が整った。(柏)(12月19日の記事 経済の伝書鳩

2017年 重大ニュース北見市… (上)-2(北見市/社会)
※記事中の年齢は当時のものです

東相内の複合施設 供用開始祝う
北見市の東相内公共施設複合化整備事業で建設された住民センターと児童センターが、5月1日に供用開始された。完成を祝う式典が4月29日に児童センターで行われ、地域住民らがくす玉を割って施設完成を喜んだ。 両センターは一部鉄筋コンクリートの木造平屋。渡り廊下でつながっている1棟に入居する形となっており、図書館の分室機能も併せ持つ。(匡)

小泉子育て相談センターリニューアルオープン
北見市小泉子育て相談センターが11月13日、リニューアルオープンした。 木造平屋、延べ床面積170平方メートル。市立小泉保育園と渡り廊下でつながっており、子育て相談に対応できる個室や専用玄関が新たに設けられた。遊戯室も以前の約2倍の広さとなり、親子が伸び伸びと遊んでいる。(理)

留辺蘂・山の水族館 入館100万人達成
北見市留辺蘂の山の水族館が8月28日、リニューアルオープン後の入館者100万人を達成した。100万人目の入館者は京都市在住の男性(70)。同水族館は平成24年7月にリニューアルオープンし今年が5周年。体長1メートル級のイトウ40匹を展示する大型水槽をはじめ、四季の自然と魚の様子を管内から観察できる屋外水槽、底から魚を観察できる「滝つぼ水槽」などユニークな展示で人気の施設になった。(粟)

市議定数の削減 陳情が不採択に
北見市議会は9月28日、市議会議員の定数を現在の28から20に削減する陳情を不採択に。 陳情は、北見市議会の定数削減を求める会が4月6日に市議会に提出した。9月7日に4827人の署名を市議会に提出していた。 平成30年3月の市議会議員選挙は定数28で行われる。(粟)

特別名誉市民の金一氏 韓国政府から表彰 表彰状伝達が北見市で
北見市の特別名誉市民・金一氏(86)が韓国政府から表彰され、表彰式が北見市で行われた。 金氏は北見市と韓国・晋州市の姉妹提携の中心的人物。日韓友好の輪を広げ国際親善への功績で韓国政府から表彰されることが決まったが、表彰状の伝達を北見で受けたいと政府に要望。10月8日に北見経済センターで開かれたコリアンフェアで実現した。北見市民は拍手喝采。(粟)

北見藤女子高校 男女共学へ舵 経営移管協議
北見藤女子高校を運営する学校法人「藤学園」(札幌)は11月1日、同校を含む北見と旭川の高校2校と幼稚園1園を来年4月の予定で学校法人「北海道カトリック学園」(札幌)に経営移管する協議に入ったと発表した。北見藤女子高校は改築工事を実施し、平成31年度から新たに男女共学としてスタートする方向で検討を進める。(菊)

福祉マップをまち協に提出 留辺蘂高校
北見留辺蘂高校で福祉ゼミを受けている生徒達が11月22日、授業で制作した留辺蘂地域の福祉マップを北見市留辺蘂まちづくり協議会に提出した。車椅子を利用する人の目線で道路を検証したマップで、「まちづくりの参考になる」と委員の間で反響を呼んだ。留辺蘂自治区はこの地図を参考に、改修の検討を開始。(粟)(12月19日の記事 経済の伝書鳩

2017年 重大ニュース北見市… (下)(北見市/社会)
※記事中の年齢は当時のものです

旧・北見競馬場に産廃 市が780トン4年も放置
北見市若松の旧・北見競馬場跡地に市が大量の産業廃棄物を4年も放置していることが分かった。ばんば馬の厩舎の解体で出たコンクリートなどで当時から「建築副産物」と表示していたが、再利用できないと分かってからも放置を続けていた。 産廃が放置されていた現場は競馬場北側の900平方メートルの厩舎跡地。堆肥板などの鉄筋の入ったコンクリートやアスファルト、廃タイヤなど合わせて780トン。 市農政課「当時、再利用できると思っていた」がその後、コンクリート類が鉄筋などを含んでいたため再利用できず、その後も「産業廃棄物一時保管場所」の表示を怠り放置を続けていた。 その背景には市職員の「面倒は後の担当者に」という先送り体質がある。(澄)

AED期限切れ 小学校など公共25施設で 危機意識の欠如 表面化
北見市内の小学校8校など25の公共施設のAED(自動体外式除細動器)が期限切れとなっていたことが11月に判明した。所管部局は市教委学校教育部など4部、3総合支所にも広がり職員の危機意識の欠如が表面化した。 期限切れ放置施設は保健センターやサントライ北見、市民会館、芸文ホール、中央図書館のほか、端野、留辺蘂、常呂の3総合支所、のんたの湯、養護老人ホーム静楽園など。市の公共施設のAEDは112台あり、2割近くの施設で期限切れを起こしていた。 理由は「予算が認められなかった」「更新を忘れていた」「本体に更新があることを知らなかった」など。25台の更新費は総額で約450万円。市総務部は「年内に更新を終えたい」としている。(澄)

基準値超えのフッ素検出 端野・流出農地復旧問題で
北見市が河川敷土8千立方メートルを端野の畑に入れた流出農地復旧問題で、4月の市の調査で重金属の「フッ素」が検出、土壌汚染防止対策法の基準を超えた。 市農林水産部によると、調査した畑は端野一区と三区の農地7カ所(4万平方メートル)と2カ所の土砂堆積場の計9カ所。このうち5カ所が基準値を超えた。 農作物を介し人体に影響を与える可能性のある物質を定めた農用地汚染防止法ではフッ素は除外されており、市は農家に「営農には差支えない」としている。一方でフッ素の地下水への影響を確認する必要があり、地下水のモニタリングを継続している。(澄)

医療費助成の返還 市が手続き4年間放置 総額約750万円を102人に請求どっと
重度障がい者、ひとり親家庭、子どもを対象にした北見市の3つの医療費助成事業で、市の担当者が事務手続きを放置していたため、助成金を受け取った市民102人が総額約754万円の返還金請求を市から受ける事態になった。 市は6月の市議会福祉民生常任委で報告した。それによると平成25年度から28年度までの4年間、返還請求事務を怠っていたことが分かった。この間、複数の職員がこの事務を担当していたが、正常な事務手続きを行わなかった。保健福祉部は「公務員としての自覚が不十分だった」と説明した。(粟)

柔道の兄弟ペア 全日本3位入賞 形競技「極」の形で
兄弟ペアで柔道の形競技に取り組む北見の柔道整復師・男性(49)と高校教諭・男性(46)が、10月に東京で開かれた全日本柔道形競技大会「極」の形で3位入賞を果たした。 挑戦9年目で初の快挙。今後、国際大会の日本代表選考会に出場できることも決まった。2人は「あきらめずに挑戦し続けて本当に良かった」と喜びをかみしめ、さらなる飛躍を誓っている。(匡)

気象予報士 最年少記録更新 女子児童 11歳11カ月で合格
北見の北見西小6年女子児童は10月、第48回気象予報士試験に11歳11カ月で合格し、合格者の最年少記録を更新した。 合格率5%前後という難関の国家資格。実施主体の気象業務支援センターによると、それまでの最年少は平成24年に記録された12歳11カ月。女子児童は4年生から試験に挑み、4度目で合格した。(柏)

北見消防署東出張所 目前の火災に出動できず
1月5日午前8時55分ころ、北見市春光町2の一般住宅で火災が発生した。現場から200メートルのところに北見消防署東出張所があったが、そこからは消防車が出動しなかった。職員が救急出動していたためだった。 同出張所の人員体制では、1日のうち2時間半、火災、救急出動できない「空白の時間」があった。目の前で火災があっても出動できないことがある、という実態に地域住民に不安が…。 北見地区消防組合はこの火災を機に人員体制を見直し、7月の消防議会に職員定数条例の改正案を提出、可決した。平成30年9月から同出張所の職員を増やし、空白の時間を解消する。(粟)(12月20日の記事 経済の伝書鳩

関連サイト

常呂総合支所 | 北見市

留辺蘂総合支所 | 北見市

端野総合支所 | 北見市

北見市のホームページ
www.city.kitami.lg.jp

関連エントリ

2013 北海道オホーツク管内 重大ニュース

重大ニュース 2014年 北海道 北見市

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産婦人科 開設(美幌町立国民健康保険病院)

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産婦人科 開設(美幌町立国民健康保険病院)

婦人科開設に向け常勤医師採用へ(美幌町/社会)
美幌国保病院 来年4月開設、14年ぶり再開
美幌町立国保病院は来年4月、婦人科を開設する。4月1日付で産婦人科医師を採用する見通しが立った。婦人科分野の診療は、平成16年4月の産婦人科休診以来14年ぶりの再開になる。
医師が4月1日付で着任
5日に開会した町議会定例会の行政報告で土谷耕治町長が明らかにした。 採用を予定している医師は、静岡県島田市の市立島田市民病院で現在、産婦人科部長を務める医師(56)。弘前大学医学部卒で、日本産科婦人科学会の専門医・指導医として診療に当たっている。 開設する婦人科は、卵巣や卵管、子宮などに由来する病気や、生理不順、更年期障害など幅広い年齢の患者に対応する。 妊娠から出産までの「産科」にかかわる診療は、分娩が24時間対応になるため複数の医師の確保が求められる上、分娩に関する設備も必要になるため行わない。 国保病院の産婦人科は、旭川医大から派遣されていた医師が引き揚げたことで平成16年4月に休診。町は休診後、妊婦健診で北見市や網走市内の医療機関に通院する際の交通費を助成する事業「プレママサポート14」を実施している。 医師の着任で国保病院は常勤医師11人体制になる。土谷町長は行政報告で「質の高い医療サービスの提供に努め、地域医療を守る観点から眼科医師の常勤化など将来を見据えた医師確保対策に取り組む」と述べた。(浩)(2017年12月8日掲載、経済の伝書鳩)

関連サイ

妊婦エントリー【妊婦サポート】 ー 美幌・津別広域事務組合
http://kouiki.town.bihoro.hokkaido.jp/docs/2013120300019/

妊婦・出産 ー 美幌町ホームページ
http://www.town.bihoro.hokkaido.jp/bunya/ninshin/

美幌町立国民健康保険病院 ー 美幌町ホームページ
http://www.town.bihoro.hokkaido.jp/docs/2014082000023/

関連エントリ

医療システム (美幌国保病院)
http://masaokato.jp/2015/03/01/072814

町立病院を支える会 (美幌町 議会)
http://masaokato.jp/2015/01/17/195555

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美幌町立国民健康保険病院 広報誌 一期一会(いちごいちえ)

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美幌町立国民健康保険病院 広報誌 一期一会(いちごいちえ)

一期一会(いちごいちえ)美幌町立国民健康保険病院 広報誌 平成29年度第2号
目次
町民医学講座 その112 かかりつけ医の重要性について 内科医師 西村光太郎
町民医学講座 その113 骨粗鬆症の診断と予防と治療 整形外科医師 又吉章政

町民医学講座 その114 歩くとコワイ!息切れがする!!本当に歳のせいだけですか?~呼吸リハビリテーションのすすめ~ 呼吸器内科医師 安井浩樹
はじめに
美幌町の皆様、はじめまして。1月より勤務させて頂いております、安井浩樹です。私は平成5年に三重大学を卒業し、三重県内各地の病院で、内科、呼吸器内科医として勤務したのち、平成15年からは三重大病院で臨床 研修医の指導や、学校医・産業医業務に従事しました。平成21年に名古屋大学に移り、地域医療に関係する教育や研究を行ってきました。その間の平成15年頃でしたでしょうか、わずか1週間程ではありますが、北海道のとある病院で勤務する機会をいただき、その時以来、いつかは北海道で地域医療に参加したいと思っておりました。 今回、その美幌町への赴任が実現し、自分でも大変驚いております。前任地の名古屋大学では、学生に対して地域医療は医師だけで作るものではなく、看護師さんや薬剤師さん他の多職種チームで作るものであると、更には、患者さんやご家族と一緒に作り上げていくものだと繰り返し伝えてきました。そして今回、私自身がそれを実践する機会をいただく事になりました。はじめての土地での生活には正直不安もありますが、それを超えるワクワク感と期待に胸を膨らませているところです。北海道民、美幌町民1年生の私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。 さて、美幌にはもうじき冬が来ますが、これまでに「雪かきをしたら、胸がコワクなった。」、「少し歩くと息切れがする。」、そんな症状はありませんでしたか?確かに年齢的なものもあるかもしれませんが、本当にそれだけでしょうか?もし、慢性閉塞性肺疾患等の呼吸器疾患や運動不足(専門用語でデコンデショニングといいます)が原因で息切れがある場合には、呼吸リハビリテーションが有効な場合があります。今回は、それらの病気と呼吸リハビリテーションについてあ話します。

町民医学講座 その115 手術室看護の役割について 手術室看護師 小田島 泉
町民医学講座その116 入院で起こる不穏・せん妄について 2階病棟看護師 深尾由紀
町民医学講座 その117 心不全患者の入浴 循環器内科医師 松井寛輔
町民医学講座その118 「足の動脈と静脈」検査ー外科で痛くない検査やってます 外科医師 横山康弘
町民医学講座 その119 睡眠時無呼吸症候群(SAS)について 総合診療科医師 酒井英二
町民医学講座 その120 知っておきたい薬の知識 薬剤師 吉村則明
町民医学講座その121 認知症になった人の介護について 3階病棟・認知症ケアグループ代表 小林みゆき

一期一会(いちごいちえ)美幌町立国民健康保険病院 広報誌 平成29年第3号
目次
町民医学講座 その122 男はつらいよ(更年期は女性だけではありません) 泌尿器科医師 野崎哲夫
町民医学講座 その123 片頭痛と小児、QOLを高めるには 小児科医師 古賀正啓
町民医学講座 その124 胃瘻(いろう)について再度、考えてみましょう 内科医師 小林秋人
町民医学講座 その125 当医院の最近のMRI事情 放射線科技師 安藤宗之

町民医学講座 その125 慢性閉塞性肺疾患(COPD)患者様の栄養・食事について 管理栄養士 多田繭子
前回の一期一会の安井先生の記事では、慢性閉塞性肺疾患(COPD)についてお話しされており、国保病院で実施している多職種による呼吸リハビリテーションプログラムについて紹介されていました。 COPD患者様では栄養障害を起こしてしまうことがあることから、今回は栄養の大切さ、また栄養状態改善のためにはどのようなことに気を付ければ良いのか、ご紹介いたします。

編集後記 総合診療科医師 酒井英二
美幌町の皆さん、こんにちは。 さて、この原稿を書いている11月初旬は氷点下の気温も見られるようになり、いよいよ冬の到来を痛感させられる頃となってきました。毎年この季節になると、インフルエンザの話題となりますが、今年は全国的に例年より流行が早い兆候があり、またワクチンの製造量が昨年の使用量を下回る見込みとなっています。そのため厚生省では、「65歳以上の高齢者や60歳以上65歳未満で心臓や腎臓、呼吸器、免疫系の持病がある方がワクチンを受けられるように配慮すること」や、「13最以上は1回接種を徹底すること」など、ワクチンの効率的な使用を呼びかけています。例年、10月から予防接種の受付を始める医療機関が多いですが、今年は11月まではワクチンの供給量が少なく、安定供給されるのは12月頃になる見込みだそうです。それまでは情報収集を怠らず、まずは体調管理や手洗い・マスクの着用・人ごみを避けるなどのいっぱんてきな予防対策が大切です。今年もあと少し、元気でお過ごしください。

関連サイト

病院広報 一期一会 WEB版 ー 美幌町 www.town.bihoro.hokkaido.jp

美幌町立国民健康保険病院 | 美幌町 www.town.bihoro.hokkaido.jp

関連エントリ

NST: 栄養 サポートチーム (美幌 国保病院)
http://masaokato.jp/2015/02/13/172723

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安井浩樹(美幌町立 国民健康保険病院 呼吸器内科 医師)

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安井浩樹(美幌町立 国民健康保険病院 呼吸器内科 医師)

来年1月、呼吸器内科の常勤医採用(美幌町/社会)
美幌町立国保病院
美幌町立国保病院は来年1月1日付で呼吸器内科の常勤医師を採用する。従来は非常勤医師による週1日の外来診療だったが、2人体制となるのを機に、週4日に充実させる。
2人体制で診療を週4日に充実
着任するのは三重大学医学部卒で、現在は名古屋大学地域医療教育学講座の准教授を務める安井浩樹医師(48)。専門は内科・呼吸器内科で、日本内科学会総合内科専門医、日本呼吸器学会呼吸器専門医、日本気管支学会気管支鏡専門医、日本医師会認定産業医、日本医学教育学会認定医学教育専門家など多くの資格をもつ。 国保病院の呼吸器内科はこれまで、非常勤医師が木曜日午後に外来診療を担当。安井医師の着任後は、火曜日から金曜日まで毎日、午前または午後に診療を行う体制になる。 国保病院は今年3月に泌尿器科、7月に外科の常勤医師それぞれ1人が退職。8月以降は常勤医師9人、脳神経外科と呼吸器内科の非常勤医師2人、旭川医大から眼科出張医が診療に当たっている。 安井医師の着任で、常勤医師は10人に。土谷耕治町長は6日に開会した町議会定例会の行政報告で「呼吸器内科は管内で専門的な診療を行う医療機関が少ない。欠員となっている外科医師の招へいに最大限努め、眼科医師の常勤化、産婦人科の招へいなど地域医療を守る観点から将来を見据えた医師確保対策に取り組む」と考えを述べた。(浩)(2016年12月9日掲載、経済の伝書鳩)

新任ですよろしく(美幌町/社会・本紙連載)
美幌国保病院呼吸器内科部長
安井 浩樹さん(48)
まち全体で医療・病院づくりを
禁煙外来にも力
1月に美幌国保病院呼吸器内科部長に着任した安井浩樹さん(48)。「住民の皆さんと一緒に医療をつくっていきたい」と抱負を語る。 名古屋市出身。三重大学卒で、三重大学病院などに勤務した後、平成21年から昨年まで名古屋大学の准教授として地域医療の教育や研究に携わった。 「北海道はあこがれの土地。地域医療、包括ケアに貢献できればと応募させていただいた」。昨年、見学で美幌を訪れた。「自然もすばらしいが、スタッフをはじめ出会う人達の温かさに一番ひかれた」と振り返る。 展望として「例えば肺がん治療は北見に集中している。化学療法や緩和ケアの体制をつくれたら。気管支鏡検査も進めたい。喫煙率が高い印象もあり、禁煙外来にも力を入れたい」と語る。 地域医療の教育に携わった経験から「これからは地域包括ケアが一番大事。美幌は比較的コンパクトなまち。介護事業所と行政、病院などが連携できればいろいろメリットが生まれるはず」と話す。 「住民の皆さんに大切にしてもらえる病院づくりに参加したい。予防や健康づくりも含め、まち全体で医療をつくっていける感じがある」と手応えを感じている。(浩)(2017年2月10日掲載、経済の伝書鳩)

9月8日・津別で救急医療教室(津別町/告知)
町民対象に講演や応急手当実技指導
津別町民対象の町民救急医療教室が9月8日(金)午後6時半~8時、町民会館で開かれる。 主催は美幌医師会、美幌・津別広域事務組合消防本部、美幌薬剤師団。美幌町立国保病院呼吸器内科の安井浩樹医師が「歩くとコワイ!息切れがする!!本当にトシのせいだけですか!?~呼吸リハビリテーションのすすめ」をテーマに講演。津別消防署と津別病院の職員が異物除去と心肺蘇生法の応急手当実技指導を行う。(2017年8月24日掲載、経済の伝書鳩)

津別で町民救急教室(津別町/社会)
呼吸リハビリに解深める
吸わない差
津別町民らを対象にした救急医療教室が8日、町民会館で開かれた。約50人が息切れを改善する呼吸リハビリについて理解を深めた。 主催は美幌医師会、美幌・津別広域事務組合消防本部、美幌薬剤師団。美幌国保病院呼吸器内科部長の安井浩樹医師が「歩くとコワイ!息切れがする!!本当にトシのせいだけですか!?」をテーマに講話した。 安井さんは息切れの原因として長年、タバコを吸うことが主な原因とされるCOPD(慢性閉塞性肺疾患)を挙げ、禁煙の重要性を強調した。 呼吸で酸素を十分に取り込めないと筋肉やたんぱく質が分解されるため、食べても太れない患者が多いとし「安静時のエネルギー消費量は120~140%にもなる。栄養を含めたリハビリが必要」と述べ、国保病院で行っている16日間の呼吸リハビリを紹介した。 講話後は、津別消防署の署員の指導で、おはぎをのどに詰まらせた想定で異物除去の応急手当や心肺蘇生法を学んだ。(浩)(2017年9月15日掲載、経済の伝書鳩)

関連サイト

町民救急医療教室を開催しました!【津別町】2017年9月14日 / 美幌・津別広域事務組合
http://kouiki.town.bihoro.hokkaido.jp/docs/2017091400013/

美幌町立国民健康保険病院 ー 美幌町ホームページ
http://www.town.bihoro.hokkaido.jp/docs/2014082000023/

美幌医師会ホームページ
http://media-pk.com/ishikai/

関連エントリ

慢性閉塞性肺疾患(COPD)
http://masaokato.jp/2013/10/03/070316

美幌町立国民健康保険病院 の検索結果
http://masaokato.jp/?s=%E7%BE%8E%E5%B9%8C%E7%94%BA%E7%AB%8B%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%81%A5%E5%BA%B7%E4%BF%9D%E9%99%BA%E7%97%85%E9%99%A2

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