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東欧 カテゴリのアーカイブ
2月7日 北方領土の日 (日本の記念日)
2月7日 北方領土の日 (日本の記念日)
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2月7日 北方領土の日 / 日本政府が1981(昭和56)年に制定。 1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)、日露和親条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められた。 北方領土は択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島からなり、面積は4996平方kmで沖縄の2倍強ある。 江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていた。「日露通好条約」により、ロシアとの国境が択捉島とウルップ島との間に確定された。その後、1875(明治8)年の「樺太千島交換条約」によって樺太全島を放棄する代わりに千島列島全てが日本領となり、1905(明治38)年の日露戦争の勝利により、「ポーツマス条約」で南樺太も日本領となった。 第2次大戦の敗戦により、1951(昭和26年)の「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った土地の権利・権原等は放棄することとなり、千島列島もその中に含まれた。しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、権限を放棄する千島列島には含まれないが、ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領し、その状態が現在まで続いている。 (2月7日 今日は何の日~毎日が記念日~)
2月7日 記念日・年中行事 / 北方領土の日(日本) 1855年2月7日(安政元年12月21日)に日露和親条約が結ばれ、北方領土が日本の領土として認められたことに由来。1981年に日本政府が制定。 (2月7日 – Wikipedia)
北方領土の日(ほっぽうりょうどのひ)は、北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るために制定された記念日。2月7日。 (北方領土の日 – Wikipedia)
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日本の女性画家 山下りん (日本人最初のイコン画家)
日本の女性画家 山下りん (日本人最初のイコン画家)
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1月26日 忌日 / 1939年 – 山下りん、画家 (1月26日 – Wikipedia)
山下りん(山下里舞 やました りん、安政4年5月25日(1857年6月16日) – 1939年(昭和14年)1月26日)は日本の画家である。日本人最初のイコン画家として知られる。正教徒で聖名はイリナ。そのためしばしばイリナ山下りんとも言及される。 (山下りん – Wikipedia)
Рин Ямасита (яп. 山下りん, в крещении Ирина; 16 июня 1857, Касама — 26 января 1939, Касама, Япония) — первая японская иконописица. (Ямасита, Рин – Википедия)
Yamashita Rin (山下りん) (1857-1939) was a painter of icons for the Japanese Orthodox Church. She was one of the first independent female artists, the first female yōga painter, studied in Russia, and her work can be found in over forty churches across Japan. (Yamashita Rin – Wikipedia)
北網圏北見文化センターで記念講演 2015/01/28掲載(北見市/文化・歴史) 近代洋画の導入~展開を専門家が解説 30周年企画展に合わせて開催 / 北網圏北見文化センターの開館30周年記念美術企画展「日本近代洋画への道」(実行委など主催、2月8日まで)の記念講演会が24日、同センターで開かれた。幕末~明治期の西洋画や写真史に詳しい道立函館美術館主任学芸員の大下智一氏が西洋画の導入から展開までを解説した。 油絵の具などを用いて陰影や奥行きを表現する西洋画法は、江戸時代後期から日本にもたらされた。企画展ではヤンマーディーゼル(株)の創始者、山岡孫吉氏の「山岡コレクション」を中心に、茨城県の笠間日動美術館所蔵の106点を紹介している。 大下氏によると日本では当初、西洋画は写真と同様、実用的な記録手段として用いられた。その後、外国人指導者の影響を受けた日本の若手画家がテーマや手法を模索しながら芸術として確立。大下氏は「この企画展は、日本の美術の転換期を見わたせる内容」と語った。 また高橋由一、五姓田義松、山下りんなどの代表的な画家の作品を紹介しながら「画家達は描くべきテーマを日本の神話や歴史、戦争などに求めていった」と解説した。 (柏) (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)
関連サイト
日本ハリストス正教会ホームページ (山下りんイコン所蔵教会一覧)
北海道 / 上武佐ハリストス正教会 / 札幌ハリストス正教会 / 上磯ハリストス正教会 / 釧路ハリストス正教会 / 函館ハリストス正教会 / 小樽ハリストス正教会
Дочь самурая — японская иконописица.
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Рин Ямасита の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
Yamashita Rin の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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1月3日 駆け落ちの日 (岡田嘉子 杉本良吉)
- 2019年01月03日(木) 0:35
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, サハリン, ポロナイスク, ロシア, 北海道, 国際, 日本, 映画, 美幌町, 音楽
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1月3日 駆け落ちの日 (岡田嘉子 杉本良吉)
1991年(平成3年) 7月1日 北海道のオホーツクマンドリンアンサンブルは音楽交流のためにロシア連邦(ソビエト連邦) サハリン州のポロナイスク市 (樺太 敷香町) を訪問した。サハリン残留朝鮮人、サハリン残留韓国人、サハリン残留日本人の方々が「日本の女優 岡田嘉子がポロナイスク(敷香)を経由して50度線の樺太国境へ向かって行った」と昨日の出来事ように話してくれた。 1991年12月 ソ連崩壊した。びっくり仰天した。 (美幌音楽人 加藤雅夫)
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1月3日 駆け落ちの日 / 1938(昭和13)年のこの日、女優の岡田嘉子と杉本良吉が、樺太の国境を越えてソ連へ亡命した。 1月3日 歴史 / 1938年 俳優・岡田嘉子が演出家・杉本良吉と樺太を越えソ連に亡命。 (1月3日 今日は何の日~毎日が記念日~)
1月3日 できごと / 1938年 – 女優・岡田嘉子が演出家・杉本良吉と共に北緯50度の樺太国境を超えてソ連に越境する。 (1月3日 – Wikipedia)
岡田 嘉子(おかだ よしこ Yoshiko Okada、1902年4月21日 – 1992年2月10日)は、日本の女優、アナウンサー。 大正から昭和初期にかけて、サイレント映画時代のトップ映画女優であった。奔放な恋愛遍歴やソビエト連邦(現:ロシア連邦)への亡命など、波乱の生涯を送ったことでも知られる。 (岡田嘉子 – Wikipedia)
杉本 良吉(すぎもと りょうきち Ryokichi Sugimoto、1907年2月9日 – 1939年10月20日)は、日本の演出家。本名は吉田好正。女優の岡田嘉子とソ連に亡命し、スパイ容疑で銃殺刑に処せられた。 (杉本良吉 – Wikipedia)
サハリン州ポロナイスク市内の幼稚園 (写真)
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ロシア モスクワ出身のピアニスト エレーナ・クリシェワ (ゲスト出演)
ロシア モスクワ出身のピアニスト エレーナ・クリシェワ (ゲスト出演)
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2018フレッシュコンサート(北見市/告知)北見芸文ホールで / 12月23日 / 管内ゆかりの新人音楽家を紹介する、北見音楽団体協議会主催の「2018フレッシュコンサート」が23日(日)午後3時半から、北見芸術文化ホールで開かれる。入場料は一般千円、小中学生・高校生500円。 音大生や音楽の専門教育を受けた人達による演奏会。今年の出演者は4人で、それぞれピアノ、声楽、打楽器を発表する。また、モスクワ出身で北見市在住のピアニスト、エレーナ・クリシェワさんもゲスト出演する。 (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)
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北方領土返還要求運動全国強調月間 (8月)
北方領土返還要求運動全国強調月間 (8月)
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8月は「北方領土返還要求運動の強調月間」です / わが国固有の領土である北方四島の早期返還は、国民の長年にわたる悲願です。北方四島は、1945年に当時のソ連によって不当に占拠されてから、この8月で73年目を迎えますが、国民の悲願である領土返還は未だかなっていません。なお一層、一日も早い領土解決に向けた日・露両国の外交交渉の進展に強い期待が寄せられています。北海道では、毎年8月を「北方領土返還要求運動強調月間」と定め、領土返還要求運動のより一層の推進を図る各種の啓発運動を展開しています。 美幌町では、役場庁舎正面玄関入口横に『北方領土返還要求署名コーナー』を設置しておりますので、来庁時にはこの署名にぜひご協力ください。 (8月は「北方領土返還要求運動の強調月間です」 | 美幌町)
北方領土返還要求運動都道府県民会議(ほっぽうりょうどへんかんようきゅううんどうとどうふけんみんかいぎ)は、北方領土問題の啓蒙活動を行う事などを目的に日本全国の都道府県単位で組織されている市民運動団体の総称。 (北方領土返還要求運動都道府県民会議 – Wikipedia)
北方領土問題(ほっぽうりょうどもんだい、ロシア語: Проблема принадлежности южных Курильских островов)は、北海道根室半島の沖合にあり、現在ロシア連邦が実効支配している択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の島々、すなわち北方領土に対して、日本が返還を求めている領土問題である。 (北方領土問題 – Wikipedia)
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2012年8月14日 オホーツク海南部深発地震 (北海道)
2012年8月14日 オホーツク海南部深発地震 (北海道)
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8月14日 できごと / 2012年 – オホーツク海南部深発地震。Mj7.3・Mw7.7は震源が600kmより深い深発地震としては大規模なもの。 (
8月14日 – Wikipedia)
オホーツク海南部深発地震(オホーツクかいなんぶしんぱつじしん)とは、日本標準時2012年8月14日11時59分36.2秒に樺太東方のオホーツク海南部を震央として発生した地震である。震源の深さが654kmと、極めて深い深発地震ながら、Mj7.3・Mw7.7という大規模地震であるため、最大震度3を記録する地震となった。 (オホーツク海南部深発地震 – Wikipedia)
関連サイト
オホーツク海南部を震源とする地震情報 – 日本気象協会 tenki.jp
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オホーツク海南部深発地震 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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8月10日 人類史上初の宇宙結婚式 (ロシアの宇宙飛行士ユーリ・マレンチェンコ)
8月10日 人類史上初の宇宙結婚式 (ロシアの宇宙飛行士ユーリ・マレンチェンコ)
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8月10日 歴史 / 2003年 国際宇宙ステーションに滞在中のロシアの宇宙飛行士ユーリ・マレンチェンコが、地上にいる婚約者と衛星通信を通じて結婚式を行う。史上初の宇宙での結婚式。 (8月10日 – Wikipedia)
2003年 – 人類史上初の宇宙での結婚式 :国際宇宙ステーションに滞在中のロシアの宇宙飛行士ユーリ・マレンチェンコが、地上にいる婚約者と衛星通信を通じて行う。 (8月10日 – Wikipedia)
ユーリ・マレンチェンコ(Yuri Ivanovich Malenchenko、ロシア語:Юрий Иванович Маленченко、1961年12月22日 – )は、ウクライナ系ロシア人の宇宙飛行士で、ロシア(元ソ連)空軍大佐。ロシア連邦英雄を授与されている。経歴 / マレンチェンコは、宇宙で結婚した初めての人物となった。相手はテキサス州のエカテリーナ・ドミトリエヴァで、彼はその時ニュージーランド上空240マイルの国際宇宙ステーション (ISS) にいた。2003年8月10日に衛星通信を通じて地球にいる婚約者との結婚式を行った。 (ユーリ・マレンチェンコ – Wikipedia)
関連サイト
“天と地の結婚”:宇宙での最初で最後の挙 – 式ロシア・ビヨンド
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ロシア サハリン州 ポロナイスク市の青少年訪問団 (北海道 北見市)
- 2018年08月07日(火) 7:51
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, サハリン, ポロナイスク, ロシア, 北海道, 北見市, 国際, 大相撲, 大鵬, 日本, 東アジア, 観光
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ロシア サハリン州 ポロナイスク市の青少年訪問団 (北海道 北見市)
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北見市役所を表敬訪問 ロシア・ポロナイスク市の青少年訪問団 / 北見市の友好都市のロシア・サハリン州ポロナイスク市の青少年訪問団8人が2日、市役所を表敬訪問した。表敬訪問したのは第20回青少年サハリン・北海道「体験・友情」の翼で北海道を訪れているロシアの青少年約40人のうち、ポ市の8人。14歳から16歳の中学生。男子5人と女子2人に団長のバルズール・ナターリアさん(56)が引率している。市役所では渡部眞一副市長が一行を迎えた。ナターリアさんは「友好の発展が長く続きますように」と挨拶。渡部副市長は「楽しい思い出話をたくさん持ち帰ってください」と話していた。子ども達はホームステイで4日まで北見に滞在。この日は、北光中学校の生徒と合唱で交流したり、山の水族館などの施設を見学した。(粟) (2018年8月4日の記事 経済の伝書鳩)
ポロナイスク(ロシア語: Поронайск、パラナーイスク)は、サハリン中南部のテルペニア湾に面した都市。ロシア連邦サハリン州に属する。日本統治時代 (1905年 – 1945年) の敷香町にあたる。 (ポロナイスク – Wikipedia)
関連サイト
ポロナイスク市青少年訪問団のホストファミリーを募集します | 北見市
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ロシアの指揮者 ウラジミール・フェドセーエフについて
ロシアの指揮者 ウラジミール・フェドセーエフについて
1999年(平成11年)6月27日 / モスクワ放送交響楽団「チャイコフスキー記念」札幌公演 / ウラジーミル・フェドセーエフ指揮 総勢100人 / 札幌キタラ大ホール / 迫力満点です。ショスタコーヴィチ作曲(1937)「交響曲第5番」は感動! キタラが、ゆれました。
1999年6月27日、モスクワ放送交響楽団「チャイコフスキー記念」札幌公演が行われた。ウラジーミル・フェドセーエフ(Федосеев, Владимир Иванович、Vladimir Fedoseyev)指揮による総勢100人の、ショスタコーヴィチ作曲(1937)「交響曲第5番」は迫力満点!札幌コンサートホールKitara大ホールが揺れた。サープリン総領事(在札幌ロシア総領事館)歓迎会に出席していた私は、コンサートの前日に札幌丸井デパートのレストランで食事をしていた。そこに、ヴァイオリンケースを抱えたロシア人の女性が一人でやって来て隣の席に座り「そば定食」をオーダーした。彼女に片言のロシア語で話しかけると、モスクワ放送交響楽団の団員で第二ヴァイオリン奏者だと言う。私は「美幌のギター教師だ」と言ったらコンサートに招待された。そして、ロシアのヴァイオリニストは「そば定食」のワサビの塊を口に入れてしまった・・・ あの時のロシア語「キャー! Woo! Ах, нет!」は、いつも思い出す。(加藤雅夫のあゆみ 50代 1997~ ー 美幌音楽人 加藤雅夫)
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ウラジミール・イヴァノヴィチ・フェドセーエフ(ロシア語: Владимир Иванович Федосеев, ラテン文字転写: Vladimir Ivanovich Fedoseyev, 1932年8月5日 – )は、ソ連時代から国際的に活躍を続けるロシアの指揮者。モスクワ放送交響楽団の音楽監督・首席指揮者をソ連時代から長く務める。経歴 / 1932年レニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。ムソルグスキー学校、モスクワのグネーシン音楽大学、モスクワ音楽院に学ぶ。1971年にエフゲニー・ムラヴィンスキーの推挙により、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(現サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団)の客演指揮者としてデビューする。ロシア放送民族楽器オーケストラの芸術監督を経て、1974年からモスクワ放送交響楽団の音楽監督および首席指揮者に就任し、以来同楽団を今日までロシア有数のオーケストラに育て上げ、今なお良好な関係を保っている。国外では、バイエルン放送交響楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団、ハンブルク歌劇場管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、フランス国立管弦楽団などのオーケストラとの共演のほか、イタリア、スイス、イギリス、スカンディナヴィア、アメリカなどに幅広く客演する。その間、東京フィルハーモニー交響楽団首席客演指揮者(1995年 – )、ウィーン交響楽団首席指揮者(1997年 – 2005年)を歴任している。またオペラ指揮者として、キーロフ劇場の他、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、フィレンツェ5月音楽祭、ローマ歌劇場、モスクワ・ボリショイ劇場などのオペラハウスや音楽祭において、自らの演出のもとに指揮を行なっている。受賞歴としてソ連邦人民芸術家、グリンカ賞、モスクワ知事賞、シルヴァー・クロス章、ゴールデン・オルフェウス大賞等がある。音楽活動とその特色 / 個性派ぞろいのロシア系・ソ連系の指揮者の中にあってフェドセーエフは、音楽によって自己主張をするというよりも、音楽に奉仕し、作品そのものによって語らせるタイプの一人である。躍動するリズムや色彩感を強調するよりも、旋律線の流れを重視するタイプでもある。レパートリーは幅広く、ラフマニノフやフレンニコフなどの録音でも作品との相性の良さを示しているが、一般にはチャイコフスキーやボロディン、ショスタコーヴィチの解釈で有名である。またスヴィリードフ、ボリス・チャイコフスキーとも親交が深かった。演奏活動における独自のメッセージ性は常に注目されており、リトアニアで独立運動が高まりをみせていた1989年12月にリトアニアの作曲家のチュルリョーニスの作品をモスクワで録音したり、ソ連崩壊・クーデター直前に団員を説得し、ショスタコーヴィチの『森の歌』を録音するなど、話題には事欠かない。クーデター当日にはショスタコーヴィチの交響曲第5番の第4楽章を、戦車が包囲する放送局の中で録音していた。チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』で第4楽章を「アンダンテ」にする等、自筆譜に基づき数度にわたって演奏・録音を行なう。同じくチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を初版に基づいて録音した。チュルリョーニスの交響詩『海』も、その後も何度か録音・演奏を繰り返している。モスクワ放送交響楽団を率いての来日公演では、正規のプログラムのみならず、アンコールも評判が高いことで知られる。(ウラジーミル・フェドセーエフ – Wikipedia)
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ウラジミール・フェドセーエフの検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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1999年のモスクワ放送交響楽団「チャイコフスキー記念」札幌公演について
1999年のモスクワ放送交響楽団「チャイコフスキー記念」札幌公演について
1999年(平成11年)6月27日 / モスクワ放送交響楽団「チャイコフスキー記念」札幌公演 / ウラジーミル・フェドセーエフ指揮 総勢100人 / 札幌キタラ大ホール / 迫力満点です。ショスタコーヴィチ作曲(1937)「交響曲第5番」は感動! キタラが、ゆれました。
1999年6月27日、モスクワ放送交響楽団「チャイコフスキー記念」札幌公演が行われた。ウラジーミル・フェドセーエフ(Федосеев, Владимир Иванович、Vladimir Fedoseyev)指揮による総勢100人の、ショスタコーヴィチ作曲(1937)「交響曲第5番」は迫力満点!札幌コンサートホールKitara大ホールが揺れた。サープリン総領事(在札幌ロシア総領事館)歓迎会に出席していた私は、コンサートの前日に札幌丸井デパートのレストランで食事をしていた。そこに、ヴァイオリンケースを抱えたロシア人の女性が一人でやって来て隣の席に座り「そば定食」をオーダーした。彼女に片言のロシア語で話しかけると、モスクワ放送交響楽団の団員で第二ヴァイオリン奏者だと言う。私は「美幌のギター教師だ」と言ったらコンサートに招待された。そして、ロシアのヴァイオリニストは「そば定食」のワサビの塊を口に入れてしまった・・・ あの時のロシア語「キャー! Woo! Ах, нет!」は、いつも思い出す。(加藤雅夫のあゆみ 50代 1997~ ー 美幌音楽人 加藤雅夫)
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モスクワ放送交響楽団(モスクワほうそうこうきょうがくだん)は、ロシアのモスクワを本拠とするオーケストラ。現在は、正式名称をP・I・チャイコフスキー記念交響楽団(露: Большой симфонический оркестр имени П. И. Чайковского)と称する。概要 / 1930年、ソビエト連邦の全国ラジオ放送向けの音楽を演奏するオーケストラとして設立された。設立時の名称は、Moscow Radio Symphony Orchestra(英)だった。ソ連時代には、USSR State Radio and Television Symphony Orchestra、USSR State Radio Symphony Orchestra、Symphony Orchestra of All-Union Radio and Television(英)とも呼ばれていた。1993年、ソ連崩壊の後、チャイコフスキーの音楽演奏について中心的な役割を果たしたとして、「チャイコフスキー」を冠する現在の名称となった。日本においては、改称後も慣例的に「モスクワ放送交響楽団」と呼ばれるが、英語名称に基づきチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ(Tchaikovsky Symphony Orchestra)とも呼ばれる。1974年以来現在まで、音楽監督をウラジーミル・フェドセーエフが務めている。(モスクワ放送交響楽団 – Wikipedia)
ウラジミール・イヴァノヴィチ・フェドセーエフ(ロシア語: Владимир Иванович Федосеев, ラテン文字転写: Vladimir Ivanovich Fedoseyev, 1932年8月5日 – )は、ソ連時代から国際的に活躍を続けるロシアの指揮者。モスクワ放送交響楽団の音楽監督・首席指揮者をソ連時代から長く務める。音楽活動とその特色 / 個性派ぞろいのロシア系・ソ連系の指揮者の中にあってフェドセーエフは、音楽によって自己主張をするというよりも、音楽に奉仕し、作品そのものによって語らせるタイプの一人である。演奏活動における独自のメッセージ性は常に注目されており、リトアニアで独立運動が高まりをみせていた1989年12月にリトアニアの作曲家のチュルリョーニスの作品をモスクワで録音したり、ソ連崩壊・クーデター直前に団員を説得し、ショスタコーヴィチの『森の歌』を録音するなど、話題には事欠かない。クーデター当日にはショスタコーヴィチの交響曲第5番の第4楽章を、戦車が包囲する放送局の中で録音していた。(ウラジーミル・フェドセーエフ – Wikipedia)
The Tchaikovsky Symphony Orchestra is a Russian classical music orchestra established in 1930. It was founded as the Moscow Radio Symphony Orchestra, and served as the official symphony for the Soviet All-Union Radio network. Following the dissolution of the Soviet Union in 1991, the orchestra was renamed in 1993 by the Russian Ministry of Culture in recognition of the central role the music of Tchaikovsky plays in its repertoire. The current music director is Vladimir Fedoseyev, who has been in that position since 1974. During Soviet times, the orchestra was sometimes known as the USSR State Radio and Television Symphony Orchestra, the USSR State Radio Symphony Orchestra, or the Symphony Orchestra of All-Union Radio and Television. (Tchaikovsky Symphony Orchestra – Wikipedia)
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ウラジーミル・フェドセーエフ の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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