ミラノ の検索結果: 14 件

ロシアの指揮者 ウラジミール・フェドセーエフについて

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ロシアの指揮者 ウラジミール・フェドセーエフについて

1999年(平成11年)6月27日 / モスクワ放送交響楽団「チャイコフスキー記念」札幌公演 / ウラジーミル・フェドセーエフ指揮 総勢100人 / 札幌キタラ大ホール / 迫力満点です。ショスタコーヴィチ作曲(1937)「交響曲第5番」は感動! キタラが、ゆれました。

1999年6月27日、モスクワ放送交響楽団「チャイコフスキー記念」札幌公演が行われた。ウラジーミル・フェドセーエフ(Федосеев, Владимир Иванович、Vladimir Fedoseyev)指揮による総勢100人の、ショスタコーヴィチ作曲(1937)「交響曲第5番」は迫力満点!札幌コンサートホールKitara大ホールが揺れた。サープリン総領事(在札幌ロシア総領事館)歓迎会に出席していた私は、コンサートの前日に札幌丸井デパートのレストランで食事をしていた。そこに、ヴァイオリンケースを抱えたロシア人の女性が一人でやって来て隣の席に座り「そば定食」をオーダーした。彼女に片言のロシア語で話しかけると、モスクワ放送交響楽団の団員で第二ヴァイオリン奏者だと言う。私は「美幌のギター教師だ」と言ったらコンサートに招待された。そして、ロシアのヴァイオリニストは「そば定食」のワサビの塊を口に入れてしまった・・・ あの時のロシア語「キャー! Woo! Ах, нет!」は、いつも思い出す。(加藤雅夫のあゆみ 50代 1997~ ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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ウラジミール・イヴァノヴィチ・フェドセーエフ(ロシア語: Владимир Иванович Федосеев, ラテン文字転写: Vladimir Ivanovich Fedoseyev, 1932年8月5日 – )は、ソ連時代から国際的に活躍を続けるロシアの指揮者。モスクワ放送交響楽団の音楽監督・首席指揮者をソ連時代から長く務める。経歴 / 1932年レニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。ムソルグスキー学校、モスクワのグネーシン音楽大学、モスクワ音楽院に学ぶ。1971年にエフゲニー・ムラヴィンスキーの推挙により、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(現サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団)の客演指揮者としてデビューする。ロシア放送民族楽器オーケストラの芸術監督を経て、1974年からモスクワ放送交響楽団の音楽監督および首席指揮者に就任し、以来同楽団を今日までロシア有数のオーケストラに育て上げ、今なお良好な関係を保っている。国外では、バイエルン放送交響楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団、ハンブルク歌劇場管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、フランス国立管弦楽団などのオーケストラとの共演のほか、イタリア、スイス、イギリス、スカンディナヴィア、アメリカなどに幅広く客演する。その間、東京フィルハーモニー交響楽団首席客演指揮者(1995年 – )、ウィーン交響楽団首席指揮者(1997年 – 2005年)を歴任している。またオペラ指揮者として、キーロフ劇場の他、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、フィレンツェ5月音楽祭、ローマ歌劇場、モスクワ・ボリショイ劇場などのオペラハウスや音楽祭において、自らの演出のもとに指揮を行なっている。受賞歴としてソ連邦人民芸術家、グリンカ賞、モスクワ知事賞、シルヴァー・クロス章、ゴールデン・オルフェウス大賞等がある。音楽活動とその特色 / 個性派ぞろいのロシア系・ソ連系の指揮者の中にあってフェドセーエフは、音楽によって自己主張をするというよりも、音楽に奉仕し、作品そのものによって語らせるタイプの一人である。躍動するリズムや色彩感を強調するよりも、旋律線の流れを重視するタイプでもある。レパートリーは幅広く、ラフマニノフやフレンニコフなどの録音でも作品との相性の良さを示しているが、一般にはチャイコフスキーやボロディン、ショスタコーヴィチの解釈で有名である。またスヴィリードフ、ボリス・チャイコフスキーとも親交が深かった。演奏活動における独自のメッセージ性は常に注目されており、リトアニアで独立運動が高まりをみせていた1989年12月にリトアニアの作曲家のチュルリョーニスの作品をモスクワで録音したり、ソ連崩壊・クーデター直前に団員を説得し、ショスタコーヴィチの『森の歌』を録音するなど、話題には事欠かない。クーデター当日にはショスタコーヴィチの交響曲第5番の第4楽章を、戦車が包囲する放送局の中で録音していた。チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』で第4楽章を「アンダンテ」にする等、自筆譜に基づき数度にわたって演奏・録音を行なう。同じくチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を初版に基づいて録音した。チュルリョーニスの交響詩『海』も、その後も何度か録音・演奏を繰り返している。モスクワ放送交響楽団を率いての来日公演では、正規のプログラムのみならず、アンコールも評判が高いことで知られる。(ウラジーミル・フェドセーエフ – Wikipedia

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ロシアの指揮者 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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忘れられないイングランド民謡(イングランドの作曲家)

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忘れられないイングランド民謡(イングランドの作曲家)

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『埴生の宿』(はにゅうのやど/はにふのやど)は、日本で親しまれているイングランド民謡。原題は『ホーム・スイート・ホーム』(英: Home! Sweet Home!)で、「楽しき我が家」という訳題でも知られる。ホーム・スイート・ホーム / 1823年に作詞・作曲され、同年初演のオペラ『ミラノの乙女クラリ』(Clari, Maid of Milan)の中で歌われた。作曲 / イギリスのヘンリー・ローリー・ビショップ作曲。なお、ビショップがこの曲の着想を得たのはイタリア(シチリア)民謡からと言われいる。作詞 / アメリカ合衆国のジョン・ハワード・ペイン(John Howard Payne, 1791年 – 1852年)作詞。埴生の宿 / 日本では、里見義訳詞の唱歌『埴生の宿』として広く知られている。この訳詞は1889年(明治22年)12月に東京音楽学校が出版した『中等唱歌集』に収載された。太平洋戦争勃発に伴い、洋楽レコードが「敵性レコード」として廃棄が呼びかけられる中でも、『埴生の宿』や『庭の千草』など歌詞を邦訳にしたものは、国民生活になじんでいるとして敵性レコードから除外された。2006年(平成18年)には日本の歌百選の一つに選ばれている。小説『ビルマの竪琴』では、日本兵と敵兵がともに歌うという象徴的なシーンでこの歌が使われている。映画、ドラマなどで使われた例として前述の『ビルマの竪琴』をはじめ、『二十四の瞳』(木下恵介監督版)、『火垂るの墓』、『純情きらり』、『ゲゲゲの女房』、『仮面ライダーV3』『マッサン』、『ガールズ&パンツァー 劇場版』などがある。(埴生の宿 – Wikipedia

“Home, Sweet Home” is a song adapted from American actor and dramatist John Howard Payne’s 1823 opera Clari, or the Maid of Milan, the song’s melody was composed by Englishman Sir Henry Bishop with lyrics by Payne. Bishop had earlier published a more elaborate version of this melody, naming it “A Sicilian Air”, but he later confessed to having written himself. The song is known in Japan as “Hanyū no Yado” (”埴生の宿”) (”My Humble Cottage”). It has been used in such movies as The Burmese Harp and Grave of the Fireflies. It is also used at Senri-Chūō Station on the Kita-Osaka Kyūkō Railway. (Home! Sweet Home! – Wikipedia

ヘンリー・ローリー・ビショップ(Henry Rowley Bishop, 1786年11月18日 – 1855年4月30日)はイングランドの作曲家で、舞台音楽の専門家。一般に現在ではほとんど忘れられているが、日本では唱歌「埴生の宿」の作曲者としてかろうじて記憶されている。(ヘンリー・ローリー・ビショップ – Wikipedia

Sir Henry Rowley Bishop (18 November 1786 – 30 April 1855) was an English composer. He is most famous for the songs “Home! Sweet Home!” and “Lo! Here the Gentle Lark.” He was the composer or arranger of some 120 dramatic works, including 80 operas, light operas, cantatas, and ballets. Bishop was Knighted in 1842. (Henry Bishop (composer) – Wikipedia

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埴生の宿 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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音楽は 神聖なものである。(カルロ・フォルリヴェジ / Carlo Forlivesi)

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イタリアの 現代音楽作曲家 Carlo Forlivesi から ニュースレター 「LA MUSICA E’ SACRA OPENING CONCERT」 が送られてきました。

音楽は 神聖なものである。(カルロ・フォルリヴェジ / Carlo Forlivesi)

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2014年5月16日の配信、「イスラエル関連文化事業案内」

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東京にあるイスラエル大使館文化部からのメールマガジンです。

「イスラエル関連文化事業案内」 (2014年5月16日)
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4月30日、ヘンリー・ローリー・ビショップの死。(1855年)

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4月30日、ヘンリー・ローリー・ビショップの死。(1855年)
April 30, death of Henry Rowley Bishop. (1855)

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2014年4月18日の配信、「イスラエル関連文化事業案内」

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東京にあるイスラエル大使館文化部からのメールマガジンです。

「イスラエル関連文化事業案内」 (2014年4月18日)
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2015年 ミラノ国際博覧会(Expo Milano 2015)

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2015年 ミラノ国際博覧会
(Expo Milano 2015)

ミラノ国際博覧会 (2015年)
ミラノ国際博覧会(milanoexpo-2015)は、2015年5月1日から10月31日までイタリアのミラノで行われる国際博覧会。 ミラノでの開催は、1906年以来109年ぶりとなる。 博覧会の概要: 博覧会テーマは、「地球に食料を、生命にエネルギーを(Feeding The Planet, Energy For Life)」である。 日本政府公式参加について: ミラノ国際博覧会への参加については、平成24年3月27日の閣議了解により、農林水産省、経済産業省を幹事省、国土交通省を副幹事省とし、独立行政法人日本貿易振興機構を参加機関として公式参加する旨決定されている。(wiki/ミラノ国際博覧会_(2015年)

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2014年1月10日に受信 「イスラエル関連の文化事業の案内」

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東京にあるイスラエル大使館文化部からのメールマガジンです。

イスラエル関連の文化事業の案内
2014年1月10日に配信

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Niibori Guitar World 2012

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7月23日の誕生花「女郎花(おみなえし)」 花言葉「美人、親切、約束を守る、忍耐、永久」

写真: オミナエシ(女郎花) オトコエシ(男郎花)

ギター音楽動画: 女郎花(おみなえし) 田口尋夢(11弦ギター演奏)

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唱歌「埴生の宿」の作曲者を知っていますか?

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埴生の宿は、日本で親しまれているイングランド民謡(楽しき我が家、Home! Sweet Home!)。1823年初演のオペラ「ミラノの乙女」の中で歌われた。アメリカ合衆国のジョン・ハワード・ペイン(John Howard Payne)作詞。イギリスのヘンリー・ローリー・ビショップ(Henry Rowley Bishop)作曲。(Wikipedia

ヘンリー・ローリー・ビショップ(Henry Rowley Bishop, 1786年11月18日 – 1855年4月30日)はイングランドの作曲家。舞台音楽の専門家で現在ではほとんど忘れられているが、日本では唱歌「埴生の宿」の作曲者としてかろうじて記憶されている。(Wikipedia

今日(11月18日)は、唱歌「埴生の宿」の作曲者ヘンリー・ローリー・ビショップの誕生日である。

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