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合唱 の検索結果: 168 件
東京・旭川・北見ジョイントコンサート (北海道北見市 北見混声合唱団)
東京・旭川・北見ジョイントコンサート (北海道北見市 北見混声合唱団)
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東京・旭川・北見ジョイントコンサート 2019/06/22掲載(北見市/告知) 芸文ホールで 北見混声合唱団 / 7月6日 / 北見混声合唱団の第67回定期演奏会「東京・旭川・北見ジョイントコンサート」が7月6日(土)午後3時から、北見芸術文化ホールで開かれます。 各合唱団のステージでは、東京の混声合唱団「ザ・フレンドシップ」は指揮者の石井亨さんが作詞作曲した混声合唱組曲「嫁ぐ日」、旭川放送合唱団はピアノの黒川奈加子さんが作曲した落語合唱組曲「寿限無」、北見混声合唱団はピアノの小刀禰博子さん作曲の混声合唱組曲「ラブストーリー」をそれぞれ演奏します。「北見我が街」や「瑠璃色の地球」などを披露する合同演奏もあります。 入場料700円(小学生以下無料)。
作曲家の石井亨さん「北見我が街」制作 / 7月6日・北見混声合唱団定演で初披露 / 国立音楽大学名誉教授で、作曲家・合唱指導者として活動する石井亨さんがこのほど、北見をテーマにした合唱曲「北見我が街」を作詞作曲した。7月6日(土)に北見芸術文化ホールで開かれる、北見混声合唱団第67回定期演奏会の中で、石井さんの指揮、3つの合唱団約100人による合唱で、初披露される。 同演奏会は、ジョイントコンサートと題し、北見混声合唱団のほか、石井さんが指揮する東京の混声合唱団「ザ・フレンドシップ」と「旭川放送合唱団」が出演する。 「北見我が街」は、石井さんが北見での公演を記念し、北見の自然、歴史、四季などを盛り込んだ内容で書下ろした楽曲。当日は3団体の合同合唱で披露される。 石井さんは「北見を訪れるために作りました。力いっぱいの演奏をしたいと思います」とメッセージを寄せている。(菊) (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩
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ザ・フレンドシップ混声合唱団 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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ロシアの歌曲「赤いサラファン」(北海道のオホーツクマンドリンアンサンブル)
ロシアの歌曲「赤いサラファン」(北海道のオホーツクマンドリンアンサンブル)
1991年(平成3年) 7月1日、北海道のオホーツクマンドリンアンサンブルは、ソ連邦サハリン州ポロナイスク市(旧樺太・敷香町・シスカ)訪問。日ソ親善友好芸術祭を開催した。会場はポロナイスク市民ホール。共催はポロナイスク市・ソ日親善協会・青年同盟・北見メデイツィア会。共演はロシア舞踊団・ギター弾き語り・韓国朝鮮の青年舞踊音楽団・北方少数民族アンサンブル「メングーメ・イルガ(銀の文様)」・日本舞踊・オホーツクマンドリンアンサンブル。 マンドリン合奏「浜辺の歌~荒城の月」に前席の残留(日本人・韓国人・朝鮮人)のお年寄りたちが涙涙の合唱。娘のロシア語「赤いサラファン」は拍手最大。最後の「カチューシャ~丘を越えて」は大合唱でした。がんばって来てよかった。 1991年12月、ソ連崩壊のニュースに、ビックリ仰天した!
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「赤いサラファン」(ロシア語: Красный сарафан)は、ロシアの歌曲である。 概要 / アレクサンドル・エゴロヴィチ・ヴァルラーモフにより1834年に作曲された。ニコライ・グリゴリエヴィチ・ツィガーノフ(英語版、ロシア語版)[1]による1831年作の詩につけられたと伝えられている。 『サラファン(ロシア語: сарафан)』とはロシアの女性がルバシカ(ブラウス)の上に着るジャンパースカートに似た民族衣装である。 結婚に乗り気でない娘とそれを諭す母親との会話により成り立っている。原詩は10番まであり、1番から5番までは娘の台詞、6番から10番は母親の台詞である[2]。ロシア語の “赤い”(красный、クラースヌィ)には “美しい” という意味もある。 ロシアでは現在に至るまで歌い継がれている作品である。 (赤いサラファン – Wikipedia)
«Красный сарафан» — известная русская песня; автор стихов — Н. Г. Цыганов, композитор А. Е. Варламов. Предположительный год создания и стихотворного текста, и музыки — 1832 г., первая публикация — в первом же песенном сборнике А. Варламова «Музыкальный альбом на 1833 год», куда вошло девять песен и романсов; по другим источникам, музыка была написала 1833 году; первая публикация — 1834 г..
Место рождения песни: Москва. Хотя песня имеет авторство, она очень часто позиционируется как народная[3][4], а исполнители используют различные ее варианты; некоторые устаревшие слова постепенно заменились на более современные литературные (родимушка — родимая и т. д.).
Автор стихов / Поэт Николай Григорьевич Цыганов (1797—1832[1] или 4(16).XII.1800 −1833, возможно 1797—1831) своим современникам был более известен как драматический актер. Поначалу он был актером в Саратове, затем поступил в московскую императорскую группу. Одновременно с актерской деятельностью Николай Цыганов писал и издавал свои стихи. А кроме того, часто и сочинял мелодию к своим стихам. Обычно он сам был и первым исполнителем их, аккомпанируя себе на гитаре. Николай Григорьевич Цыганов был участником кружка любителей пения при Малом театре. Многие тексты Цыганова не сохранились: возможно, среди песен, чье авторство не установлено, есть песни Цыганова.
Композитор / Александр Егорович Варламов (15 (27) ноября 1801 — 15 (27) октября 1848) — известный русский композитор, автор около 150 романсов и песен, вошедших в классику русского искусства и не утерявших современного звучания вплоть до нашего времени. В 1831 или 1932 году А.Варламов был переведен из Петербурга на службу в Москву — он поступил в Московскую императорскую театральную труппу помощником капельмейстера и «композитором музыки». Очень часто он становился сам первым исполнителем собственных произведений. (Красный сарафан (романс) – Wikipedia
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加藤雅夫のあゆみ 40代 1991年7月 – 美幌音楽人 加藤雅夫
ウィルタ語で「大切な物を収める家」という意味のジャッカ・ドフニ – 美幌音楽人 加藤雅夫
オホーツクマンドリンアンサンブル の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
Красный сарафан (романс) の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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日本のシンガーソングライター・女優 中村中 (北海道大空町)
日本のシンガーソングライター・女優 中村中 (北海道大空町)
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女満別小で合唱指導 2019/02/02掲載(大空町/社会・教育) シンガーソングライター・中村 中さん / 浮き沈み「気持ち込めて」 / シンガーソングライターの中村中(あたる)さんが1月29日、大空女満別小学校を訪れ、5年生40人に音楽の授業で合唱を指導した。 中村さんは全国各地の小学校で合唱の指導に取り組んでいる。今回は、30日の大空町教育文化会館でのライブに合わせて来町した。 授業ではまず、小学生の時、合唱コンクールの練習で一生懸命に歌ったところ、男子に疎ましく思われて歌う気をなくし、独学でピアノを練習して伴奏者になったエピソードや「男の子として生まれたけれど、心は女の子だった」という当時の悩みを紹介しつつ「伴奏が鳴るとなんとなくひとつになれる感覚が忘れられない」と、合唱を指導する動機を明かした。 児童達は中村さんの曲「いつもだよ」を合唱。「最初はうれしい気持ち、その次は悲しい気持ち、最後は悲しみを吹き飛ばす気持ちを込めて」という指導に従って歌い「すばらしい!」と評価を受けていた。 中村さんは最後に、トランスジェンダーの立場から「私のことを変な人と思った人も、一緒に授業をして楽しかったという人もいるかもしれない。自分がどう思うかを大切にして」と伝えた。(浩) (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)
中村 中(なかむら あたる Ataru Nakamura、本名同じ、1985年6月28日 – )は、日本のシンガーソングライター、女優。東京都墨田区出身。 略歴 / 15歳の頃より作詞作曲を始める。中学3年生の頃より路上ライブを行い、ストリートミュージシャンとして活動するようになる。 人物 / 両親は幼少期に離婚し、母親のもとで育つ。戸籍上の性別は男性。 (中村中 – Wikipedia )
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Ataru Nakamura の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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1972年札幌オリンピック行進曲集 (北海道札幌市)
1972年札幌オリンピック行進曲集 (北海道札幌市)
日本のスキージャンプ選手 日の丸飛行隊の活躍。 アメリカ合衆国のフィギュアスケート選手 ジャネット・リン (Janet Lynn 札幌の恋人 銀盤の妖精)の活躍。 札幌オリンピックマーチ 白銀の栄光、札幌オリンピックのテーマソング 虹と雪のバラード、行進曲 純白の大地、賛歌 純白の大地。 この時期、北海道美幌町の音楽人 加藤雅夫は、美幌ギター愛好会の結成、美幌マンドリンクラブの結成で活動。
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1972年札幌オリンピック(さっぽろオリンピック)は、日本の北海道札幌市で1972年2月3日から2月13日まで行われた冬季オリンピック。日本およびアジアで初めて開催した冬季オリンピック。 関連作品 / レコード / 札幌オリンピック冬季大会行進曲集(制作:札幌オリンピック冬季大会組織委員会) 『札幌オリンピックマーチ「白銀の栄光」』(作曲・指揮:山本直純、演奏:コロムビア吹奏楽団) 『NHK制作・村井邦彦「虹と雪のバラード」から行進曲「虹と雪」』(作曲・編曲・指揮:岩河三郎、演奏:コロムビア吹奏楽団) 『行進曲「純白の大地」』(作曲・指揮:古関裕而、演奏:コロムビア吹奏楽団) 『賛歌「純白の大地」』(作詞:清水みのる、作曲・指揮:古関裕而、合唱:日本合唱協会、伴奏:コロムビア吹奏楽団) (1972年札幌オリンピック – Wikipedia
1972年札幌オリンピックの開会式(1972ねんさっぽろオリンピックのかいかいしき、1972 Winter Olympics Opening Ceremony)は、札幌オリンピック大会初日の1972年(昭和47年)2月3日木曜日午前11時(日本時間)から約70分間にわたり真駒内屋外競技場で挙行された開会式。天候は快晴、気温は氷点下8度であった。 開会式には昭和天皇・香淳皇后が臨席し、当時のアベリー・ブランデージ国際オリンピック委員会 (IOC) 会長を始めIOC委員及び各国の来賓らが出席して行われた。参加35か国、1,291人の選手団が入場行進を行った。 (1972年札幌オリンピックの開会式 – Wikipedia)
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1972年札幌オリンピック行進曲集 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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日本の指揮者 岩城宏之 (武満徹 ノヴェンバー・ステップス)
日本の指揮者 岩城宏之 (武満徹 ノヴェンバー・ステップス)
1998年 (平成10年) 2月20日、武満徹さんの逝去を知った私は、誰もが知らない 武満徹の遺したもの「美幌町町歌」を皆さん(黛敏郎、園田高弘、谷川俊太郎、湯浅譲二、大江健三郎、横山勝也、小澤征爾、立花隆、文仁様、荘村清志など)に伝えた。皆さんは、「へえ!あの武満徹さんが 22才の時に…」と絶句。 美幌町出身で文化人類学の山口昌男さんも「不思議なご縁に驚いた、一昨日、東京の追悼コンサートで浅香夫人と長女の眞樹さんに会ったばかりだ…」と。 私も 札幌での追悼コンサート(岩城宏之 指揮 / 田中之雄 琵琶 / 横山勝也 尺八 / 札幌交響楽団)に行った。武満浅香さん(元・劇団四季女優)と武満眞樹さん(洋画翻訳家)は「町長と皆様から弔電をいただきました ありがとうございます」。私は 「美幌町をご案内すること叶いませんでした…残念です」。武満浅香さんは「町歌作曲の経緯は早坂文雄先生からの依頼だった ようです」。美幌町や美幌町民は、一度でも武満徹さんを地元に招待すべきだった。 (美幌の歌 / 町歌と校歌)
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『ノヴェンバー・ステップス』(英: November Steps )は、武満徹が1967年に作曲した、琵琶、尺八とオーケストラのための音楽作品。ニューヨーク・フィルハーモニックによって初演され、作曲者が国際的な名声を獲得するきっかけとなった。 作曲の経緯 / 武満にとって邦楽器の使用は1962年の映画『切腹』(監督:小林正樹)に端を発する。映画『暗殺』(1964年松竹映画、監督:篠田正浩)、さらに映画『怪談』(1965年 監督:小林正樹)、そしてNHK大河ドラマ『源義経』(1966年)の音楽を担当。それぞれ琵琶の鶴田錦史、尺八の横山勝也と共同作業で音楽制作をする。この経験を元に現代音楽純音楽作品として、琵琶と尺八のための『エクリプス』を作曲。武満にとって邦楽器のみの初の純音楽作品となる。また琵琶と尺八という組み合わせは邦楽の歴史ではそれまで見られないものであった。 この『エクリプス』の録音を、武満と親しくニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者を務めたことのある小澤征爾が同フィル音楽監督のレナード・バーンスタインに聴かせたところ、バーンスタインが非常に気に入り、これら日本の楽器とオーケストラとの協奏曲を書いて欲しいと武満に依頼することになる。そしてニューヨーク・フィルハーモニック125周年記念委嘱作品としてこの『ノヴェンバー・ステップス』が作曲され、1967年11月9日、ニューヨーク・リンカーン・センターにおいて、鶴田錦史と横山勝也のソロ、小澤の指揮でニューヨーク・フィルハーモニックにより初演された。なお、ニューヨーク・フィルハーモニック125周年記念の委嘱作品が『ノヴェンバー・ステップス』のみであるかのような記述が世に散見されるが、委嘱は他の多くの作曲家にも依頼されており、武満のこの作品はそれらの中の一つである。 (ノヴェンバー・ステップス – Wikipedia)
岩城 宏之(いわき ひろゆき Hiroyuki Iwaki、1932年9月6日 – 2006年6月13日)は、日本の指揮者・打楽器奏者。指揮法を渡邉暁雄と齋藤秀雄に師事。 人物・生涯 / 晩年の顕著な活動としては、2004年12月31日の昼から翌2005年1月1日の未明にかけて、東京文化会館でベートーヴェンの全交響曲を1人で指揮したことが知られている(ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会)。同様の公演は、翌2005年12月31日にも東京芸術劇場で行われた。なお、2回目の公演では、岩城の健康面に配慮し、途中1時間の休憩時間を設けたり、日野原重明医師を聴衆として立ち会わせ、休憩時間に体調チェックを行ってプログラムを消化していった。この演奏会はインターネットでもストリーミング中継された。 1987年、指揮者の職業病ともいうべき頸椎後縦靭帯骨化症を患ったのを皮切りに、1989年胃がん、2001年喉頭腫瘍、2005年には肺がんと立て続けに病魔に襲われたものの、その度に復活し、力強い指揮姿を披露した。しかし、2006年5月24日、東京・紀尾井ホールで東京混声合唱団の指揮後、体調を崩して入院。同年6月13日午前0時20分、心不全のため都内の病院にて没した。73歳没。 岩城は「初演魔」として知られ、特に岩城自身が音楽監督を務めるオーケストラ・アンサンブル金沢では、コンポーザー・イン・レジデンス(専属作曲家)制を敷き、委嘱曲を世界初演することに意欲を燃やした。また、黛敏郎の作品を精力的に指揮した。 名古屋フィルハーモニー交響楽団初代音楽総監督、NHK交響楽団正指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督、東京混声合唱団音楽監督、京都市交響楽団首席客演指揮者、札幌交響楽団桂冠指揮者、メルボルン交響楽団終身桂冠指揮者を務めた。ピアニストの木村かをりは妻。指揮活動のほかにも、打楽器奏者としての演奏活動、テレビ・ラジオへの出演、プロデューサー、音楽アドバイザー、執筆など多彩な活動を行った。また、東京藝術大学指揮科客員教授として後進の育成にも当たった。 (岩城宏之 – Wikipedia)
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ノヴェンバー・ステップス の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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2018年 (平成30年) 第69回 美幌町文化祭
2018年 (平成30年) 第69回 美幌町文化祭
写真は、1984年 (昭和59年) 第35回美幌町文化祭に初出演の美幌町明和大学大正琴クラブ。美幌ギターマンドリン協会と共演。
関連記事 (プログラムより)
2018年 (平成30年) 第69回 美幌町文化祭 11月2日(金)~11月4日(日) / 展示発表 (美幌町民会館2階・3階中ポール びほーるギャラリー他) 11月2日(金)~11月4日(日) / 芸能発表 1部 (町民会館びほーる) 11月3日(土) 主に邦楽発表 11時30分開場 正午開演 / 芸能発表 2部 (町民会館びほーる) 11月4日(日) 主に洋楽発表 13時30分開場 14時開演 / 第13回道民芸術祭 北見地区芸能祭(舞台部門) 11月3日、4日 舞台発表 / 主催 / 美幌町 美幌町文化連盟 美幌町教育委員会 主管 / 美幌町文化連盟 後援 / 北海道新聞社 美幌新聞社 経済の伝書鳩 / 「びほーる」ご利用のお客様へお願い 「びほーる」内での飲食及び写真、ビデオ撮影は禁止です。ご理解とご協力をお願いいたします。
芸能 第1部 11月3日 町民会館びほーる 正午~午4後時 / 出演者/ 大正琴 アンダンテ / 民謡 明治大学民謡クラブ・民謡声友会 / 民謡 民謡声友会 / フラダンス レイ・アロハ・フラ美幌 / 吟詠 吟舞 日本國風流詩吟吟舞会美幌第一支部 / 剣詩舞 聖月流日本吟剣詩舞道会美幌支部 / 日本舞踊 藤間勘喜美会 / 日本舞踊 藤間作智社中 / 歌謡曲 美幌カラオケ連合会 / 歌謡曲 美幌歌謡連合会 / 歌謡曲 はまなす歌謡クラブ / 表彰式 / 挨拶 美幌町文化連盟会長 美幌町長 / 休憩 / 民謡 美幌三絃孝泉会 / フラダンス レイ・アロハ・フラ北見 (道民芸術祭・北見市) / 民舞 中山流民俗舞踊 中山せきれい会 / 日本舞踊 藤間流 芳美代会 / 日本舞踊 藤間流 藤光会 / オリジナルダンス ガールズコレクション2018 / 和太鼓演奏 美幌峠太鼓保存会 / キッズジャズ・バレエ バレエキッズジャズサークル FACE (ファス) / 第2部 11月4日(日) 町民会館びほーる 午後2時~午後5時 / 琴演奏 創明音楽会 芳游会美幌 / 混声合唱 合唱団アダージョ / うた・ピアノ演奏 ドルチェの会 / 女性合唱 女声コーラス虹 / 男性合唱 男性合唱団美幌グリー / 合唱 おけとコーラスサークルそよかぜ (置戸) / オカリナ 音楽愛好会きずなオ カリナポポロン (津別) / チアダンス TFAチアダンス / 吹奏楽 美幌吹奏楽団
展示 11月2日(金)~11月4日(日) 美幌町民会館2階会議室・3階中ポール びほーるギャラリー他 午前9時~午後7時(4日は午後5時まで) 呈茶席 11月3日(土) 午前9時~午後3時 美幌茶道連盟のみなさま / 展示出品者 / 木工おもちゃクラブ / 木工さわやかクラブ / ステンドグラスサークル / ロマンドールサークル / 手作りの会 WAKU WAKU / 明和大学手芸クラブ / バルーンパーティ / 絵手紙ぴぽろ / 明和大学絵手紙クラブ / 明和友の会絵手紙クラブ / クレヨン散歩 / 絵画サークルスペクトル / びほろ動物絵同好会 / 美幌高等学校美術部 / 佐藤せつ和紙ちぎり絵 / 押し花サークル / 深雪アートフラワー / 明和大学書道クラブ / 美幌臨書研究会 / 美幌書道連盟 / 明和大学写真クラブ / シルバー写真クラブ / 美幌フォトクラブ「峠」 / 北海道美幌高等学校写真部 / 明和OB華道クラブ / 草月流いけ花芸術グループ / 華道家元池坊関社中美峰会 / MOA美術館光輪花クラブ / 美幌地域訪問看護ステーション / 新町・あさひシルバーハウジング利用者一同 / すろー・らいふ美幌入居者・利用者一同 / アサヒディサービスセンター利用者一同 / ディサービスセンターみんと美幌利用者一同 / 児童センター利用者一同 / 明和大学園芸クラブ / 個人出展 / 美幌小学校児童 / 東陽小学校児童/ 旭小学校児童 / 美幌中学校生徒 / 北中学校生徒 / 美幌高等学校生徒 / 明るい家庭づくり絵画コンクール入賞作品
平成30年 美幌町文化連盟表彰者 / 文化功労賞 関美惠子 / 特別賞 美幌小学校金管バンド・東陽小学校ブラスバンド / 優秀賞 / 美幌吹奏楽団 北中学校吹奏楽部 美幌中学校吹奏楽部
美幌で3日間の文化祭(美幌町/行事・文化)展示や芸能発表たん能 / 美幌町の第69回文化祭(美幌町文化連盟など主催)が2日から4日まで美幌町民会館で開かれた。大勢の町民が展示や芸能発表を通じて文化にふれた。 絵画や生け花など30以上のサークルや団体の作品が町民会館やびほーるロビーに並び、訪れた町民らが鑑賞。町民会館には美幌茶道連盟の呈茶席が設けられ、多くの人がゆったりと茶を味わった。 3、4日の午後はキッズダンス、フラダンス、日本舞踊など合わせて28の芸能発表が行われ、子どもからお年寄りまで幅広い世代が訪れた。 3日は文化連盟の表彰が行われ、4団体が特別賞、優秀賞を受賞した。受賞団体は次の通り。 【特別賞】美幌小金管バンド・東陽小ブラスバンド(北海道小学校バンドフェスティバル金賞) 【優秀賞】美幌吹奏楽団(北海道吹奏楽コンクール金賞) 北中吹奏楽部(北海道吹奏楽コンクール金賞) 美幌中吹奏楽部(北海道アンサンブルコンクール金賞)(浩) (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)
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音楽動画 れんげ草 (女性合唱 コーロ・シレーヌ)
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北見ルーテル教会 (記念コンサート)
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北見ルーテル教会が竣工 (北見市/社会) 新会堂が完成、8日に献堂感謝礼拝 / 9日に記念コンサート / 北見ルーテル教会(北見市公園町)の教会堂建設が完了し8日に献堂感謝礼拝、9日に一般市民も対象とした新会堂竣工記念コンサートが同教会で行われる。 「聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ」を掲げ宗教改革に取り組んだマルティン・ルター(1483~1546)の福音の教えの上に立つ教会。1958年前後に北見に伝道され、60年余りになる。 当初、宣教師の住宅を礼拝の場所として、その後は旧・ユースホステルの建物を会堂としてきたが老朽化から今回、建て直した。 新築の教会は、ペパーミントグリーンの深い緑色の外壁に格子の窓の外観。屋根には趣のある漆黒の瓦をふいた。椅子席を配した会堂ではこれまで同様、毎週土曜日に礼拝を行う。同教会の白井真樹牧師と中川了之代表は「直前の地震と停電で資材繰りや工程が間に合わないという事態も考えられましたが、神様からの試練と恵みのおかげで当初の予定通りに完成できそうです」と感謝を述べる。 献堂感謝礼拝は北海道地区信徒の集いと併せ8日に開催。 一般市民を迎えての新会堂竣工記念コンサートは9日午後7時から開催する。入場無料。ルーマニア生まれで現在は新潟市在住のソプラノ歌手アマリア・ネクラエシュさんは20年ほど前、声が出なくなる難病から奇跡的に回復した。賛美歌や「Amazing grace」「マイ・フェア・レディより」など美しい声を響かせる。ピアノ伴奏は北見市出身の酒井由紀子さん。 同教会はこれまで、英会話の教室や管弦楽団の練習会場に利用されてきた。白井牧師と中川代表は「これからも市民に開かれた教会であり続けたい」と語り来場を歓迎している。場所は北見市東陵公園駐車場近く。(寒) (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)
竣工記念コンサート(北見市/社会) 北見ルーテル教会 / 歌姫の美声が礼拝堂に響き まちの教会として開放事業も / 建設工事が終了した北見ルーテル教会の献堂感謝礼拝と竣工記念コンサートが8、9日、北見市公園町の新たな教会堂で行われた。 長く旧ユースホステルの一室を利用していたのを建て替えた。質素で落ち着いた感じの建物が周りの住宅街に早くも馴染んでいる。 記念コンサートは信徒に加え一般市民も参加。礼拝堂と牧師室を開放し、77人がちょうど椅子席に収まった。ゲストのルーマニア出身のソプラノ歌手アマリアさんが新潟市の教会から来北。北見市出身のピアニスト酒井由紀子さんの伴奏で、アイルランド民謡で日本名ダニー・ボーイで知られる「幸い薄く見ゆる日に」や、ルーマニアの伝統民謡を紹介。「あなたが支えてくれるとき、私は私以上の力を出すことができる」という歌詞が好き、と「ユー・レイズ・ミー・アップ」など8曲を歌った。天井の高い礼拝堂に響き渡る声は、とても初々しく、教会堂に解け込んで、人々の心を温かくさせた。 同教会ではこれまで同様、毎週土曜日午前11時から、礼拝を行うほか聖書の学びや結婚式などでの利用が可能。グランドピアノを置いてあり楽器や合唱の練習、コンサート、地域交流のつどいなど「あなたのまちの教会として活用されれば」と同教会の白井真樹牧師と中川了之代表。「神はみなさまを愛しています」と語っている。(寒) (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)
酒井 由紀子(さかい ゆきこ、1971年8月19日 – )は、日本のピアニスト、シンガーソングライター、作曲家、編曲家。血液型A型。北海道北見市出身。 北海道教育大学大学院ピアノ科卒業。 (酒井由紀子 – Wikipedia)
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酒井由紀子ブログ「s now’s jewelry music pieces」
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北見ルーテル教会(北見聖ペテロ・ルーテル教会)について – 美幌音楽人 加藤雅夫
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Yukiko Sakai の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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Amalia Neculaes の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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梅沢一彦さん (玉川大学・玉川学園 北海道・大空町)
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お年寄りらに歌声披露 大空で合宿中の玉川大生 / 玉川大学の学生12人が11~14日、大空町内で合宿した。合宿中は特別養護老人ホームや学校などを訪問し、合唱を披露した。来町したのは教育学部の梅沢一彦教授のゼミに参加する学生達。11年目の今年は男子3人、女子9人が来町し、13日夜に教育文化会館でコンサートを開いた。12日には、特別養護老人ホーム東藻琴福寿苑を訪問。ベストテン方式で「見上げてごらん夜の星を」「与作」「知床旅情」など10曲を披露した。お年寄り達は、学生の歌声に聞き入り、アンコールを2回求めるなど澄んだハーモニーをたん能していた。(浩) (2019年9月18日の記事 経済の伝書鳩)
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梅沢 一彦 (ウメザワ カズヒコ UMEZAWA Kazuhiko) | 研究者情報 – 玉川大学・玉川学園
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ドイツの作曲家 ロベルト・シューマン (Robert Schumann)
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7月29日 忌日 / 1856年 ロベルト・シューマン (独:作曲家) <46歳> Robert Alexander Schumann (7月29日 今日は何の日~毎日が記念日~)
7月29日 忌日 / 1856年 – ロベルト・シューマン、作曲家。 (7月29日 – Wikipedia)
ロベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810年6月8日 – 1856年7月29日)は、ドイツ・ロマン派を代表する作曲家。ドイツ語発音: [ˈroːbɛrt]に基づきローベルト・シューマンと表記されることもある。ベートーヴェンやシューベルトの音楽のロマン的後継者として位置づけられ、交響曲から合唱曲まで幅広い分野で作品を残した。 とくにピアノ曲と歌曲において評価が高い。ツヴィッカウの裕福な家庭に生まれ、ライプツィヒ大学の法科に進むも、ピアニストをめざしてフリードリヒ・ヴィーク(1785年 – 1873年)に師事する。しかし、指の故障によりピアニストを断念、作曲家となる。ヴィークの娘でピアニストのクララ(1819年 – 1896年)との恋愛と結婚はシューマンの創作活動に多大な影響を及ぼした。文学への造詣も深く、1834年に「新音楽時報」の創刊に携わり、以後10年間にわたって音楽評論活動を行う。このころから精神障害の症状に悩まされるようになる。1844年にライプツィヒからドレスデンへ、1850年にデュッセルドルフへと移住して指揮者としても活動する。この間、子供向けのピアノ曲を作曲するなど教育分野での貢献も残した。1853年にヨハネス・ブラームス(1833年 – 1897年)と出会い、「新しい道」と題する論文で若き天才として紹介するが、翌1854年にライン川に投身自殺を図る。救助されたシューマンはボン近郊のエンデニヒの療養所に収容され、2年後の1856年に46歳で死去した。 (ロベルト・シューマンWikipedia)
Robert Schumann (German: [ˈʃuːman]; 8 June 1810 – 29 July 1856) was a German composer and influential music critic. He is widely regarded as one of the greatest composers of the Romantic era. Schumann left the study of law, intending to pursue a career as a virtuoso pianist. He had been assured by his teacher Friedrich Wieck, a German pianist, that he could become the finest pianist in Europe, but a hand injury ended this dream. Schumann then focused his musical energies on composing. Schumann’s published compositions were written exclusively for the piano until 1840; he later composed works for piano and orchestra; many Lieder (songs for voice and piano); four symphonies; one opera; and other orchestral, choral, and chamber works. Works such as Carnaval, Symphonic Studies, Kinderszenen, Kreisleriana, and the Fantasie in C are among his most famous. His writings about music appeared mostly in the Neue Zeitschrift für Musik (New Journal for Music), a Leipzig-based publication which he jointly founded. In 1840, Schumann married Friedrich Wieck’s daughter Clara, against the wishes of her father, following a long and acrimonious legal battle, which found in favor of Clara and Robert. Clara also composed music and had a considerable concert career as a pianist, the earnings from which, before her marriage, formed a substantial part of her father’s fortune. Schumann suffered from a mental disorder, first manifesting itself in 1833 as a severe melancholic depressive episode, which recurred several times alternating with phases of “exaltation” and increasingly also delusional ideas of being poisoned or threatened with metallic items. After a suicide attempt in 1854, Schumann was admitted to a mental asylum, at his own request, in Endenich near Bonn. Diagnosed with “psychotic melancholia”, Schumann died two years later in 1856 at the age of 46 without having recovered from his mental illness. (Robert Schumann – Wikipedia)
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