ピアノ の検索結果: 238 件

祝・美幌峠開通100周年 記念式典・ギター&ピアノライブ



祝・美幌峠開通100周年 記念式典・ギター&ピアノライブ

【中止】美幌峠 100th Anniversary Guitar & Piano Live / 11月21日(土)に開催予定であった美幌峠 100th Anniversary Guitar & Piano Liveおよび美幌峠開通100周年記念式典について、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、中止とさせていただきます。 (【中止】美幌峠 100th Anniversary Guitar & Piano Live – 美幌町)

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祝・美幌峠開通100周年!
美幌町の観光名所である美幌峠は、今年で開通100周年を迎えました! 大正9年7月14日に弟子屈古梅間が開通。昭和9年には国立公園に指定され、今まで多くの観光客や町民の方に長年愛されてきました。 標高525mの展望台からは、眼下に日本最大のカルデラ湖である「屈斜路湖(くっしゃろこ)」や、今なお噴煙を吐く「硫黄山」、遠くには知床連峰や大雪の峰々がつらなる壮麗なパノラマが広がり、その景色は「天下の絶景」とも呼ばれています。 美幌峠の開通100周年をみなさまとお祝いするべく、美幌峠魅力発信実行委員会では、年度を通して、開通100周年記念イベントの企画をしております。 是非ご参加いただき、一緒に100周年をお祝いしましょう!
第1弾 フォトコンテスト
第2弾 ロゲイニング
第3弾 記念式典・ギター&ピアノライブ
美幌峠開通100周年を記念した記念式典を行います。 記念式典の後のライブでは、美幌観光物産大使の門馬由哉さん、美幌町在住の佐藤雄一さんによるギターユニット「Petit Party」と北見市在住ピアノ弾き語りシンガーソングライターの「さきんぬ」さんのライブを開催します! Petit Partyのお二人に美幌峠開通100周年記念ソングを作っていただきました。当日はお披露目もあり、誰よりも早く記念ソングを聴くことができます! さきんぬさんには、10月より美幌峠レストハウスの2Fに設置されたグランドピアノを使ってライブをしていただきます! ※コロナウイルスの状況に応じては延期、または中止となる場合がございますので、ご了承ください。
ライブカメラ&雲海予測
問い合わせ先 / 美幌峠魅力発信実行委員会(役場経済部商工観光グループ内) TEL:0152-73-1111 (祝・美幌峠開通100周年! – 美幌町)

美幌峠 100th Anniversary Guitar & Piano Live 2020年10月28日 美幌峠開通100周年記念イベントの第3弾として美幌観光物産大使の門馬由哉さんと美幌町在住の佐藤雄一さんによるユニット「Petit Party」のギターライブと、北見市在住のピアノ弾き語りシンガー・ソングライターのさきんぬさんのライブを開催いたします。
Petit Partyのお二人に美幌峠開通100周年記念ソングを制作していただきました!当日は誰よりもいち早く記念ソングを聴くことができます!
さきんぬさんには、10月よりレストハウスの2Fにグランドピアノが設置された記念として、レストハウスに設置してあるグランドピアノを使っていただきライブをしてもらいます! (美幌峠 100th Anniversary Guitar & Piano Live)

アコーティックギターナイト 2019/11/12掲載(美幌町/告知) 美幌町出身ギタリスト 門馬さん・佐藤さんのユニット「プチパーティー」 町民会館で / 12月10日 / 美幌町出身のギタリスト、門馬由哉さんと佐藤雄一さんのユニット「PETIT PARTY(プチパーティー)」のライブ「アコースティックギターナイト」が12月10日(火)午後7時から美幌町民会館で開かれます。 門馬さんは松任谷由実さん、佐藤さんは竹原ピストルさんらと共演経験があり、町内にある、ユニット名と同名のライブハウスでの共演を機に意気投合。昨年10月、美幌峠レストハウスで開かれたイベントにもそろって出演しました。 ライブは実行委員会が主催。チケットは大人2千円、高校生以下千円。町民会館びほーる、美幌観光物産協会など町内4カ所で扱っています。(浩) (アコーティックギターナイト.- オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

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美幌町 びほろちょう Bihoro Town | 美幌町

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北海道美幌町の美幌観光物産大使 門馬由哉 – 美幌音楽人 加藤雅夫

北海道美幌町 美幌峠開通100周年記念 ロゲイニングについて – 美幌音楽人 加藤雅夫

北海道オホーツク管内の美幌町 美幌峠の開通100周年記念 – 美幌音楽人 加藤雅夫

時を訪ねて クッシー伝説 (北海道新聞) – 美幌音楽人 加藤雅夫

北海道美幌峠(屈斜路湖)の、クッシーにまつわる話 – 美幌音楽人 加藤雅夫

美幌峠 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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Akiko’s Piano 被爆ピアノ (NHKドラマ)

Akiko’s Piano 被爆ピアノ (NHKドラマ)

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被爆ピアノ(ひばくピアノ)は、1945年8月日本への原子爆弾投下によって被爆したピアノ。 いつ頃から呼ばれだしたかはわかっていない。被爆時に爆心地からおおむね3km以内にあったピアノ、と被爆二世調律師の矢川光則が定義している。 2016年時点で広島市に9台・長崎市に1台・仙台市に1台合計11台が現存する。うち仙台のものは広島で被爆したことから広島市への原子爆弾投下によるものが10台、長崎市への原子爆弾投下によるものが1台になる。いくつかは再生され演奏活動を続け、2017年ノーベル平和賞コンサートでその存在が世界的に知られるようになる。なお矢川は2018年時点で「新たな被爆ピアノが出てくることはもうないだろう」とコメントしている。 (被爆ピアノ – Wikipedia)

関連サイト

Akiko’s Piano 〜被爆したピアノが奏でる和音(おと)〜 – NHKのウェブサイト

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被爆ピアノ の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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エジプトのミニヤー県出身 フセイン・ザナティ(Hussein Zanaty)


エジプトのミニヤー県出身 フセイン・ザナティ(Hussein Zanaty)

2004年(平成16年)10月23日、北海道北見市のオホーツク木のプラザでオホーツク国際フェスタ2004開催。北見国際技術協力推進会議とJICA帯広共催、北海道オホーツク総合振興局と北見市、JICA青年海外協力隊OB会オホーツク支部など後援。「小さな音楽会」エジプトのタンバリン、ジンバブエのムビラ(指ピアノ)、大正琴アンサンブル「音夢の会」エジプト人のフセイン・ザナティさん(エジプトの太鼓)と共演。

2004年(平成16年)10月24日、琴伝流大正琴「音夢(ねむ)の会」第13回発表会開催。北見芸術文化ホールで80人の大正琴オーケストラ演奏。エジプト人のフセイン・ザナティさん(エジプトの太鼓)特別出演。観客も共演者も本人も、大喜びでした。

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北見市にエジプトのカーペット寄贈 2020/07/31掲載(北見市/社会) フセインさん「新市庁舎に飾ってもらえたら」 / エジプト出身のフセイン・ザナティーさん(53)がこのほど、北見市に古代エジプト壁画模様のカーペットを寄贈した。市長応接室を訪れ、辻直孝市長に手渡した。 フセインさんは、北見市のALT(英語指導助手)を23年勤め、北見とエジプトの子ども達との交流も勧めてきた。7月末に北見を離れ、東京で生活することになったため、これまでの感謝の気持ちを込めて寄贈した。 カーペットは、エジプトを代表するメーカー・オリエンタルウィーバーズ社製で、縦123㌢横75㌢。ラムセス2世の正妃ネフェルタリと、女神イシスが描かれ、富と豊穣を表している。 カーペットとともに、アイマン・カーメル駐日エジプト大使からの手紙などを受け取った辻市長は「我々もフセインさんに元気をもらった。寂しいですが、また北見に来てもらえたら」と感謝。フセインさんは「新市庁舎に飾ってもらいたい。これからもエジプトと北見の交流を深める活動を続けるので、よろしくお願いします」と語った。(菊) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

北見市とエジプト・ミニア県交流の歴史展 2020/07/17掲載(北見市/文化) フセイン・ザナティーさん / エジプト・ミニア県出身で北見市のALT(英語指導助手)のフセイン・ザナティーさん(53)による「北見市とエジプト・ミニア県交流の歴史展」が、北見市北3西3のナップス駐車場ビル1F北見市民サービスセンター横ふれあい広場で開かれている。今月末に北見を離れることになったフセインさんが、23年過ごした北見の人達に感謝の気持ちを込め、エジプトの歴史と北見の思い出が詰まった写真などを展示している。21日まで。 北見の人に感謝の気持ち込め 21日まで / フセインさんは、市教委のALTとして英語を教えながら、北見市とエジプトを結ぶさまざまな活動を行ってきた。 会場には、フセインさんの呼び掛けでエジプトの学校、サッカーチームとの交流に取り組んだ、北見の小中学校の子ども達の写真やその様子が紹介されたエジプト大使館の冊子などを展示。エジプト、ミニアを紹介する歴史書や工芸品、民族衣装なども並べた。 普段は写真撮影が禁止されている、墳墓内の壁画などを写した貴重な写真パネルは、展示後に市内の学校に寄贈するという。 フセインさんは「北見の人はとても温かくて親切。寂しいけれど、北見の子ども達のためにも自分自身をステップアップさせたいと東京での生活を決めました」と話す。 今後も、北見とエジプトをつなぐ活動は続ける予定で「夢は、北見に本物と同じ高さのピラミッドを作ること。あきらめません」と目を輝かせる。 18日(土)、19日(日)は会場で来場者を出迎える。「交流に参加してくれた子ども達が来てくれたらうれしいですね」と楽しみにしている。(菊) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

ミニヤー県(ミニヤーけん、アラビア語: محافظة المنيا‎、Minya Governorate)は、エジプトの県。県都はミニヤー。面積32,279km2、人口500万4421人(2014年)。面積ではエジプトの3.2%、人口ではエジプトの5.1%を占める。 ミニヤー県には古代エジプト期より文明が栄えており、アマルナやヘルモポリスなどの都市が存在していた。現在では、コプトが多く住む地域として知られていて、コプト教徒をねらったイスラム過激派組織ISILによる襲撃事件が何度も起きている。 ミニヤー県ではナイル川沿いの肥沃な農地での農耕が盛んであり、サトウキビ、綿、大豆、ニンニク、タマネギ、トマト、ジャガイモ、スイカ、ブドウなどを産する。工業では食品工業や製糖業、綿紡績、香水、油脂、セメント、石灰岩の採掘およびレンガ工業などが盛んである。 (ミニヤー県 – Wikipedia)

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フセイン・ザナティー の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

Hussein Zanaty の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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北海道美幌町内の協同組合 びほろ生き活き商店街について

北海道美幌町内の協同組合 びほろ生き活き商店街について

びほろ生き活き商店街の理事長・若林輝彦くんは、美幌商工会議所の前会頭であり 美幌町立美幌小学校の同期生である。

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♪商店街にピアノと歌声 2020/07/11掲載(美幌町/社会) びほろ生き活き商店街が初の試み / 美幌町大通北2~4の商店でつくる協同組合びほろ生き活き商店街(若林輝彦理事長)は10日、屋外にピアノを設置して町民らに弾いてもらう試みを、大通北2の駐車場で初めて実施した。 街角など公共の場所に設置され、誰でも弾けるストリートピアノの将来的な実現を目指し、試験的に実施。4月に譲り受けたヤマハ製アップライトピアノを屋外に設置した。 10日は美幌保育園の園児約60人が散歩がてら訪れ、教員が伴奏に合わせて2曲を歌った。商店街に響くピアノの音色と、園児の元気な歌声に、通りがかりの人は足を止めて聞き入っていた。 試みは13日午後と14日午前にも行い、商店街がフェイスブックを通じてライブ配信をする予定。おおむね5人以上のグループであれば、利用の予約にも応じる。(浩) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

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日本の女性歌手 山本裕美子 (北海道美幌警察署 一日警察署長) – 美幌音楽人 加藤雅夫

びほろ生き活き商店街 – 美幌音楽人 加藤雅夫

若林輝彦 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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日本のピアニスト 高橋アキ(Aki Takahashi)

日本のピアニスト 高橋アキ(Aki Takahashi)

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高橋アキ 日本のピアニスト / 高橋 アキ(たかはし あき、1944年9月6日 – )は、日本のピアニスト。作曲家高橋悠治は実兄。 略歴 / 神奈川県鎌倉市生まれ。父は季刊誌『音楽研究』の編集長を務めた音楽評論家高橋均、母はピアニスト蔭山英子。5歳より母にピアノを習う。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校から東京芸術大学卒業および同大学院修了。大学院ではゲオルク・ヴァシャヘーリに師事。大学院在学中の1968年に、日独現代音楽祭でデビュー。武満徹の《ピアニストのためのコロナ》と篠原真《タンダンス》を演奏する。1970年に初リサイタルを開く。1972年に渡欧し、ベルリン芸術週間、パリ秋の芸術祭などでリサイタルを開き、現代音楽の演奏グループ「サウンド・スペース=アーク」を結成する。以降、各国の作曲家たちから作品の献呈を受け初演する。1974年日生劇場においてクセナキスの『エオンタ』を尾高忠明指揮で演奏する。 1975年には、エリック・サティ没後50年を記念し『エリック・サティ連続演奏会』を配偶者である秋山邦晴と企画し、渋谷ジァン・ジァンで開催。「サティ・ピアノ全集」を校訂し、「サティ・ピアノ音楽全集」をリリースする。1977年にはボンにおいて開催された『ベートーヴェン150年祭』ポリーニ、クレーメル、ジュリアード弦楽四重奏団らとともに招かれ、ベートーヴェンとメシアンを演奏した。1980年代に入りモートン・フェルドマンに長いピアノ曲の作曲を依頼。以後1987年の作曲家逝去まで7年間ともに音楽活動を行う。1983年から「高橋アキ”新しい耳”シリーズ」を企画・演奏し、横浜市教育文化ホール(第11回まで)と神奈川県立音楽堂(第12回以降)で1997年まで開催された。 1984年、カリフォルニア芸術大学の客員教授。2002年にコソボ自治州における初の現代音楽祭に招聘され、2006年にベルリンのメルツムジークに招聘される。ニューヨークでモートン・フェルドマン作品のリサイタルを行い、ニューヨーク・タイムズで2006年のベスト・コンサートの一つに選ばれる。 現代音楽の演奏には作家の志向に伴い過酷な要求が付きまとうが、高橋はデビュー当初から忠実に律動性を強調し、西村朗や姜碩煕の名人芸を伴うピアノ協奏曲も難なく演奏している。一柳慧の《ピアノ・メディア》の演奏も、その演奏の正確さが指摘される。 また、ビートルズナンバーを、ジョン・ケージ、フレデリック・ジェフスキー、武満徹、坂本龍一などの現代音楽家が換骨奪胎したユニークなアルバム「ハイパー・ミュージック・フロム・レノン&マッカトニー」シリーズも、よく知られている。 (高橋アキ – Wikipedia)

Aki Takahashi (高橋 アキ, Takahashi Aki, born September 6, 1944) is a Japanese pianist specializing in contemporary classical music. (Aki Takahashi – Wikipedia)

関連サイト

高橋アキ(Aki Takahashi)のホームページ

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日本のピアニスト・作曲家 高橋悠治(Yuji Takahashi)

日本のピアニスト・作曲家 高橋悠治(Yuji Takahashi)

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高橋 悠治(たかはし ゆうじ、1938年9月21日 – )は、日本の作曲家、ピアニスト。 略歴 / 東京都生まれ。父は季刊誌『音楽研究』の編集長を務めた音楽評論家高橋均、母はピアニスト蔭山英子。ピアニストの高橋アキは実妹。ピアノとコンピュータによる即興演奏や、日本の伝統楽器と声のための作曲などの音楽活動を行っている。橋本国彦、團伊玖磨、柴田南雄、小倉朗に作曲を、伊藤裕、宅孝二にピアノを師事。桐朋学園短期大学作曲科を1958年に中退後、1960年の東京現代音楽祭でボー・ニルソンの『クヴァンティテーテン』(『量』)の日本初演でピアニストとしてデビューし、注目を浴びる。そののち、草月コンテンポラリー・シリーズにおいて、武満徹の『ピアノ・ディスタンス』、ジョン・ケージの『ウィンター・ミュージック』、ヤニス・クセナキスの『ヘルマ』などを演奏した。 1962年に秋山邦晴、一柳慧、小林健次らと実験的演奏家集団「ニュー・ディレクション」を結成。作曲家として同年にピアノ曲『エクスタシス』、電子音と12楽器による室内楽のための『フォノジェーヌ』、1963年にはテープと器楽アンサンブルのための『冥界のへそ』を発表。同年秋からはフォード財団の助成を得て西ベルリンに留学し、クセナキスに師事。1964年作曲の『クロマモルフⅡ』は、6月にベルギーのゲントで初演される。一方、パリのドメーヌ・ミュジカルなど欧州各地においてピアニストとしても活動した。クセナキス作品を演奏したアルバムで1965年度のフランス・ディスク・アカデミー大賞を受賞。1966年5月、日生劇場において開催された現代音楽祭「オーケストラル・スペース」に参加。高橋のピアノ、小澤征爾の指揮でクセナキスの『エオンタ』を演奏する。同年ロックフェラー財団の奨学金を得てタングルウッドのバークシャー音楽センターで開催される夏期講習に参加するためにニューヨークへ移住し、コンピュータによる作曲を研究した。また、バークシャー音楽センター、ラビニア音楽祭、ストラットフォード(オンタリオ)演劇祭、ニューヨーク州立大学バッファロー校の「創造と演奏の芸術」センターなど各地で演奏し、のちには「創造と演奏の芸術」センター所員として作曲を行う。この間、ロンドン交響楽団、ニューヨーク交響楽団、ボストン交響楽団、シカゴ交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、トロント交響楽団、バッファロー交響楽団などと共演し、アテネ音楽祭、ストックホルム音楽祭、オックスフォード・バッハ音楽祭、プリンストン室内楽音楽祭、ニューヨークにおける「新しい音楽と音のイメージのための夕べ」では独奏者として演奏した。数々のLP録音を残す。1966年と1968年には、マニラとニューヨークで開催されたユネスコ国際音楽評議会で演奏や講演を行った。1968年6月5日、現代音楽祭「オーケストラル・スペース1968」において「自作『6つの要素(4つのヴァイオリンのための)』が演奏される。1969年1月14日小澤征爾指揮トロント交響楽団とともに武満徹『アステリズム』の初演に参加。同年秋一時帰国し、1970年の大阪万国博覧会における武満徹が音楽監督を務める日本の「鉄鋼館―スペースシアター」での演奏作品『エゲン』を収録した。1970年代以降は、民衆の声や音を用いた創作手法も重視する。1971年6月、渋谷公会堂でのリサイタルのために一時帰国。6月9日には朝日講堂で、「クロス・トーク」(日米現代音楽祭)最終回として室内楽作品『ニキテ』が初演される。同年8月30日にインディアナ大学の数理自動音楽研究センター(CMAM)の副ディレクターに任命される。秋からは、同大学で作曲とピアノを教える。また、サンフランシスコ音楽院でも教鞭をとった。しかし、同年12月14日インディアナ大学の学長から翌年1972年5月付けでの解雇を宣告される。クセナキスと共同で「コンピュータ音楽研究室」を結成し、過去数年間同大学でクセナキスが継続してきた実験の企画に1年間協力するも、研究している音楽と他の領域との中間にある探究の実現にとっては、既成の学問領域分割にもとづく大学の固定的区分は不自由なものであった。1972年末研究室は解散し、クセナキスはパリに転出して、16ビット、10万サンプル/秒のD/A変換によって実験を継続することとなった。1972年に高橋自身は、東京大学の情報科学研究室でGRAMS/ICOM計画に参加し、コンピュータによる作曲と音響発生の結合を実験し始めたが、1974年のある時期以降は、しばらく東京大学を訪れることすらなくなった。 1972年4月に帰国。グラモフォンで『武満作品集』を収録。1973年には3月20日の渋谷公会堂での第600回N響定期公演においてクセナキスのピアノ協奏曲『シナッフェ』を演奏。同年、武満徹、林光、松平頼暁、湯浅譲二とともにグループ「トランソニック」を組織、1976年まで季刊誌『トランソニック』の編集などの活動を行った。1973年7月からは日本コロムビアの川口義晴プロデュースによるレコーディング開始。『バッハの世界』作成。1974年9月には4チャンネルを使った『パーセル最後の曲集』作成。1975年には、バッハ『フーガの技法』、ケージ『ソナタとインターリュード』。同社からのアルバム発行は1980年1月収録のサティまでつづいた。一方、FM放送録音として、1974年1月20日の日生劇場でのリサイタル録音には、1973年に高橋によって初演されていた近藤譲『クリック・クラック』、1973年にマリー=フランソワーズ・ビュケにより初演されていたクセナキスの『エヴリアリ』の日本初演にあたる音源などが収められている。 (高橋悠治 – Wikipedia)

Yūji Takahashi (高橋 悠治, Takahashi Yūji, born 1938) is a composer, pianist, critic, conductor, and author. (Yūji Takahashi – Wikipedia)

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ピアノコンクール / 第10回日本バッハコンクール

ピアノコンクール / 第10回日本バッハコンクール

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日本バッハコンクール出場 2020/02/04掲載(北見市/行事・教育) 北見三輪小4年・男子児童 思い伝わる演奏がしたい / 地区大会小学3・4年B部門で優秀賞 夢は金賞「歌うピアノが弾けたら」 いざ全国へ / 北見の北見三輪小4年男子児童が、8日に東京で開かれるピアノコンクール第10回日本バッハコンクールに出場する。昨年11月、札幌での地区大会小学3・4年B部門で優秀賞に選ばれ、全国出場を決めた。男子児童は「思いが伝わる演奏がしたい」と意欲を見せている。バッハコンクールは、バロック期の音楽を通して音楽的基礎を育成することを目的に開催している。男子児童は3歳でピアノを始めた。バッハコンクールに出場するのは今回が初めて。課題曲の中から選んだのは、地区大会は「メヌエット」、全国は「子守歌」。「いつもは早くて力強い曲が好きなのですが、あえてどちらもなめらかで歌うような曲を選びました」という。地区大会を振り返り「納得いく演奏ができず、自信がなかったので優秀賞と聞いた時はびっくりして、うれしかったです」と笑顔を見せる。指導する女性は全国コンクールに向け「音色が良く、大きな音が出せるので、そこを活かせれば」と話す。男子児童は「さらに歌うピアノが弾けるようになりたい。夢は金賞を取ること」と目を輝かせる。(菊) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

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日本バッハコンクールのホームページ

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日本バッハコンクール の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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2020年(令和2年)2月の美幌町民会館文化情報

2020年(令和2年)2月の美幌町民会館文化情報

2月1日 チョコっとバレンタインコンサート
2月4日 グランドピアノ無料開放
2月11日 長尾洋史ピアノコンサート

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町民会館文化情報 / 美幌町で開催される文化事業 / びほーるギャラリーコンサート チョコっとバレンタインコンサート 主催者 美幌町教育委員会 会場 びほーるギャラリー / びほーるギャラリー グランドピアノ無料開放(ピアノ~YAMAHA S6B) 主催者 美幌町教育委員会 会場 びほーるギャラリー / 他チケット取り扱い文化事業 / 2月11日(火) 長尾洋史ピアノコンサート 主催 実行委員会 会場 グリーンビレッジ美幌 ※その他自治体で文化事業につきましては、美幌町民会館にチラシを設置しております。 (町民会館文化情報 – 美幌町のホームページ)

関連サイト

北海道バリアフリーマップ 美幌町

美幌町 びほろちょう Bihoro Town – 美幌町のホームページ

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岡島一恵 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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日本の作曲家・指揮者 西田直道 (マンドリン)

日本の作曲家・指揮者 西田直道 (マンドリン)

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西田 直道(にしだ なおみち、1907年12月21日 – 1978年1月9日)は、日本の作曲家、指揮者。 経歴 / 北海道名寄市出身。同志社大学法学部卒業。在学中はマンドリンクラブに所属し、指揮をしていた菅原明朗から和声、対位法、管弦楽法、指揮法を学んだ。また池内友次郎からも対位法とフーガを学んだ。1941年にNHK札幌放送管弦楽団が創設されると、指揮者として招かれた。また札幌大谷短期大学(現在の札幌大谷大学短期大学部)や札幌商科大学(現在の札幌学院大学)などで指導にあたった。 1957年には北海道文化賞を受賞した。 作品 / 管弦楽曲 管弦楽のための組曲 古風な舞曲(1952) アイヌの民謡によるパラフレーズ – 2台のピアノとオーケストラのための(1965) バレエ「那古と不比羅」 合唱曲 / 交声曲「札幌ひらく」(林哲男作詞、1944) 組曲「雪の日」(1960) 組曲「白鳥」(1961) 声楽曲 / 寒蝉鈔(佐藤春夫詩、1940) 啄木のうた五章 マンドリンオーケストラ / 秋の前奏曲 ピアノ曲 / 大和(1941) 放送劇 / 「光を掲げた人々」違星北斗(森本儀一郎脚本、1955年) 校歌 / 札幌市立東園小学校(樋口秀雄作詞) 北見市立東相内小学校(宇野親美作詞) 中標津町立中標津中学校(更科源蔵作詞) 北海道北見工業高等学校(宇野親美作詞)
(西田直道 – Wikipedia)

「市民の歌」(しみんのうた)は日本の政令指定都市の1市で、北海道の道庁所在地である札幌市の市歌。作詞・能條伸樹、作曲・川越守、補佐・西田直道。 表題は「札幌市民の歌」でなく、自治体名を含まない「市民の歌」が正式名称である。 (市民の歌 (札幌市) – Wikipedia)

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Guitar & Piano Concert 北見の秋に寄せて (北海道北見市)

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ギター&ピアノコンサート 2019/10/31掲載(北見市/告知) ~北見の秋に寄せて 端野の石倉交流センターで / 11月17日 / スペインや中南米の曲を中心とした「ギター&ピアノコンサート~北見の秋に寄せて」が11月17日(日)午後2時から、北見市端野の石倉交流センターで開かれます。 出演は、北見出身で現在は旭川を拠点に活動するアマチュアギタリスト鹿野誠一さん、札幌在住のピアニスト戸田浩子さん、北見のギター講師森元裕太さんの3人。「アルハンブラの思い出」「アランフェス協奏曲第二楽章」のほか、クラシックギター界で有名な「大聖堂」のピアノ演奏もあります。 入場料千円。チケットは北見市民会館、北見芸術文化ホールなどで取り扱っています。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

アグスティン・ピオ・バリオス(スペイン語: Agustín Pío Barrios, 1885年5月5日 サン・ファン・バウティスタ・デ・ラス・ミシオーネスに生まれる – 1944年8月7日 サンサルバドル没)はパラグアイのギタリスト・作曲家・詩人である。アグスティン・バリオス=マンゴレ(スペイン語: Agustín Barrios Mangoré)とも呼ばれる。 作曲 / バリオスは20世紀の音楽家であったが、その作品は後期ロマン主義音楽の特徴が見受けられる。作品の多くは、中南米の民俗音楽に感化されている。超絶技巧を要する作品も非常に多い。 バリオスの作品は、3つの根本的なカテゴリーに分けることができる。国民楽派、パスティーシュ、宗教性である。中米や南米の民謡を模倣した楽曲を創り出すことによってバリオスは母国の音楽伝統や民衆に敬意を払っている。バロック音楽やロマン派音楽の時代様式と作曲技法を模倣することは、バリオスの職人芸の一端であり、《大聖堂(La Catedral)》(1921年)はバッハの摸作と看做し得る。この《大聖堂》は、バリオスの宗教体験に触発されており、したがって宗教的な楽曲に分類してもよい。信仰心や宗教体験は、バリオスの作曲過程においても重要な役割を担っている。「最後のトレモロ」という通称で知られる《神様のお慈悲に免じてお恵みを(Una Limosna por el Amor de Dios)》[1][2][3]は、信仰心に触発されたもう一つの例である。バリオス作品を分析してこれら3つのカテゴリーに分けることは、ギター音楽愛好家にとって、作曲者の音楽的な意図を理解する手引きになるであろう。 (アグスティン・バリオス – Wikipedia)

関連サイト

石倉交流センター | 北見市ホームページ

北海道バリアフリーマップ 北見市

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