北海道美幌峠(屈斜路湖)の、クッシーにまつわる話

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美幌町の前川市治郎(ビホロホテル)の冊子:北のロマン謎と伝説の湖・屈斜路湖(くっしゃろこ) クッシーとネッシーの姉妹愛「私のクッシー物語」北海道美幌峠(屈斜路湖)の、クッシーにまつわる話を皆様にお知らせいたします。

写真:美幌峠から見える夏と冬の屈斜路湖(北海道)

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美幌町 前川市治郎

北海道美幌峠(屈斜路湖)の、クッシーにまつわる話。

クッシーの話題が私どもの耳に入ったのは昭和47年(1972年)の7月末頃だったのです。
北見市立北中学校の遠足で藻琴山(標高1,000メートル)から屈斜路湖を眺めていた生徒が、湖上を波を切って走るかなり大きな物体を発見して大騒ぎになったんです。新聞は各社がペンを揃えて怪獣発見の見出しも大きく報道しましたし、テレビもショッキングな話題として取り上げ、ある局はその後1ヶ月間も湖畔にカメラを据えつけて取材にあたったほどです。誰がつけたのかその怪獣をクッシーと呼んで近郷近在どころではなく全国的な話題として、噂の輪が拡がっていったんです。

でも私はこの話を聞いてそのまま素直に受入れることはできませんでした。然し全く否定する根拠も持ち合わせておりません。ともあれ現地へ行って聞いてみよう、あわよくばこの目で見たいものだと、湖畔へ出かけたのです。周囲57キロ、推進130メートルの屈斜路湖はほとんど原始の山や森にかこまれて南側にだけ農村がひらけ人家もまばらです。

「今までもこんなことがあったのですか」と、この湖畔に生れ、親の拓いた土地で酪農をやっている方にきいてみました。「ええ毎年何回も怪獣は現れていたんですよ」

「なぜ今までこの話が広がらなかったんでしょう」…湖畔で一番お年寄りのおばあさんにきいてみました。そのおばあさんの両親は明治の終り頃開拓者として屈斜路コタンの近くに住んだそうです。初めての土地で生活するので頼りにするのはコタンのアイヌの人達で、魚の獲り方や、熊から身を守る方法など何でも親切に教えてくれたそうです。そして「この湖水には大昔からとても大きい恐ろしい形のヌシがいるんだ。もし見ても黙っている人にはかかってこないから騒いではだめだよ。そのことを人におしゃべりしてもならない。きっと異変が起きるのだから」と強く戒ましめられたそうです。このように見ても見ぬふり、聞いても聞かぬふりでその戒めを守っていたということです。それでも時々地震が起こってその度に、「誰かが禁を破ったのではないか、障らぬ神にたたりなしだぞ」と人々の口は更に固く閉ざされたと語って「それにしても今度の騒ぎはあまりにも大きく何事もなければね」と顔をくもらせました。

私はこのあたりが地震の多いことはかねてから知っておりました。隣町の美幌に住んで、その度にそば枕をくっていたからです。地震の原因はこのあたりの地底を千島火山脈が走っているので温泉も多く火山性の地震に揺られることも又やむを得ないと思っていたのですが、クッシーは長い間濡れぎぬをかけられていたことがわかりました。「おばあちゃん、クッシーは決して人に迷惑をかけるようなヌシではないんだよ。地震はこんなわけでこれからも時々はあるかも知れんけどそれはクッシーには関係ないんだよ。そしてクッシーは湖畔の人々にかわいがられて、いつまでも長生きしたいと一生懸命生きているんだよ」とクッシーに体する誤解を解くことに努めたんです。

私はその頃スコットランドのネス湖にすむというネッシーに関するものなら新聞、週刊誌、単行本、と何でも読んでいました。そしてネッシーに関する記録と、屈斜路湖畔できいたいろいろの人の証言とがあまりに似ていることが多いのにびっくりしました。ネッシーに関するものは1400年くらい前から残されていました。お伽ばなしの域を出ないような証言ですが様々な話が残されています。クッシーについても何か残されていないのだろうか、もしあるとすればユーカラの中にでもと思い図書館へ行きました。文字を持たなかったアイヌ民族はユーカラを唯一の伝承の方法としていたそうです。浄瑠璃や浪花節のように物語を節を付けて歌い伝えたのがユーカラだそうです。

私が読んでもわかるように解説されたぶ厚い本がありました。日高、十勝、釧路、北見など各地に伝わる話が解説されておりますが、カワウソやキツネ、クマ、フクロウ、キツツキ等にまつわるものが多くクッシーに関すると思われるものは遂に発見できませんでした。ガッカリして隣の本棚を見ると「久摺日誌」と書かれた脊表紙が見つかりました。幕臣松浦武四郎さんが北海道各地の見聞録を書いたものです。松前、石狩、十勝等につづいて釧路を起点としての見聞録が久摺日誌になっていたのです。

1850年頃です。湖畔の屈斜路コタンを足場に物知りのアイヌ人を道案内にして数日間、この附近の地理、気候、住民の生活、風俗など細かな調査の結果が記述されていました。数日間、幕府のお役人松浦のダンナ様と行を共にしたことですからもしアイヌ人が「この湖にはこのような奇怪なことがあります」と、コッソリとでも打ち明けていたなら松浦さんはきっと書きとめられたにちがいないと、丹念に読んだんですがそれらしいことは全く書かれておりませんでした。やはり湖畔の人々はクッシーのことはタブーとしていたのだと、改めて思い直したことでした。

その後も私は、何度も湖畔を訪ねては、いろいろの人に会いクッシーに関する話を聞きました。私がクッシーの資料をあつめているということがわかって、何人かの人からは写真まで戴くことができました。水面に首でしょうか脊中でしょうかその一部を現して相当のスピードを思わせる長い航跡を残して遊泳しているのがハッキリ写し出されています。何分にも3キロ、5キロの距離で咄嗟に望遠レンズも充分でないままに、シャッターを押しているのですから不鮮明はやむを得ませんが、貴重な資料として大切にしております。

その後湖畔のアマ写真家たちは我もわれもと、制度のいい望遠レンズを用意して手具脛を引いておられるということですし、観光客の中にも望遠レンズを持った方が多くなったそうです。

こうして屈斜路湖での調査と並行して、私は附近の湖水についても一度調べてみました。すぐ近くに摩周湖や阿寒湖、網走湖やサロマ湖などたくさんありますが、これらの湖に屈斜路湖のクッシーの遊泳のような現象が起きるのだろうか。もし似たようなことでもあればと調査をしたのです。然し他の湖にはそんなことは全然ないということがわかりました。

こうしたことを踏まえて「クッシー物語」を作ったのです。クッシーはこの美しい屈斜路湖を生涯安住の棲家として、湖畔の人々に愛されながら、いつまでも生きつづけたい、そして遥かなネス湖のネッシーとの便りを交し合いたいという願いだけは誤り伝えられたくないと私もまた願っております。

前川さんのビホロホテルの冊子「クッシーとネッシー物語」

前川市治郎(ビホロホテル経営) 1907年(明治40年)1月15日生れ、1999年(平成11年)1月22日死去。今年は生誕100年です。(美幌は開基120年)
前川さんは、美幌を訪れる観光客の皆様に北国の美しい自然を守り育てることの大切さ、心のふれあいの大切さを願ってクッシーとネッシー物語(冊子)を作られました。この度、前川さんの心からの願いを受け継ごうと、サイトにクッシー物語を掲載しました。そして前川夫人(85才)に承諾いただこうとしたら、すでに病気のため亡くなられていました(7月19日)。昨年初夏に訪問した時はとても元気だったのに…残念です。札幌の前川さん(長男)に事情をお話しました。そして快諾されました。本当にありがとうございます。
2007年秋、美幌町 加藤雅夫

関連エントリー
美幌峠 クッシーおじさん
http://masaokato.jp/bihoro/kussie
天皇家の皆さま方と美幌峠(美幌町)
(前川さんのビホロホテルで、明仁天皇がカレーライス…)
http://masaokato.jp/2009/04/10/000013
クッシーとネッシーの姉妹愛「私のクッシー物語」
http://masaokato.jp/2011/01/15/011505

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加藤 雅夫
@bihorokato 美幌音楽人加藤雅夫(北海道美幌町)のツイート
1月15日は、モンスター姉妹(ネッシーとクッシー)誕生日! (独断で公表)
加藤 雅夫 (bihorokato) on Twitter http://twitter.com/bihorokato

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