老いらくの恋~シルバーラブの日(11月30日)

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老いらくの恋~シルバーラブの日(11月30日)

若き日の恋は、はにかみて おもて赤らめ、壮子時の 四十歳の恋は、世の中に かれこれ心配れども、墓場に近き老いらくの 恋は、怖るる何ものもなし。(川田順)

「樫の実の ひとり者にて 終らむと 思へるときに 君現はれぬ」(川田順)
「はしたなき世の人言をくやしともかなしともなしと思へしが悔なし」(鈴鹿俊子)

「たまきはる 命うれしも これの世に 再び生きて 君が声を聴く」(川田順)
「何一つ 成し遂げざりし われながら 君を思ふは つひに貫く」(川田順)

シルバーラブの日
1948(昭和23)年のこの日、歌人の川田順が弟子の大学教授夫人とともに家出した。当時、川田順は68歳で、3年前から続いていた教授夫人との恋の行く末を悲観して、死を覚悟しての行動だったが、養子に連れ戻された。その後2人は結婚した。 川田が詠んだ墓場に近き老いらくの恋は恐るる何もなしから「老いらくの恋」が流行語になった。(11月30日 今日は何の日~毎日が記念日~)

川田順
川田 順(かわだ じゅん、1882年(明治15年)1月15日1966年(昭和41年)1月22日)は、歌人、実業家。 1939年、和子夫人を脳溢血で亡くす。1944年から、元京都帝国大学経済学部教授・中川与之助夫人で歌人の鈴鹿俊子(中川夫妻は既に3子をもうけていた)の作歌指導にあたる。川田と中川は旧知の間柄であったが、俊子に「新古今集」研究の手伝い等をつとめてもらう中で、川田と俊子の交際は人目を忍ぶ仲へと発展、俊子との仲は中川の知るところともなる。川田は俊子との別れを中川に誓うが、結局逢瀬に再び身をやつすこととなり、1948年8月、中川夫妻は離婚に至る。しかし川田は自責の念に苛まれたことなどから、同年11月30日に家出、12月1日に亡妻の墓前で自殺を図った。一命をとりとめたが、川田が家出の際に谷崎潤一郎たち友人に宛てて遺書を、新聞社に告白録などをそれぞれ送っていたことから、自殺未遂の顛末が報道され、俊子との交際が公になり、いわゆる“老いらくの恋”として騒がれることとなる。翌49年に川田は俊子と結婚、再婚後は京都から神奈川県に転居、俊子の2人の子を引き取って同居生活を送った。(川田順 ー Wikipedia)

鈴鹿俊子
鈴鹿 俊子(すずか としこ、1909年9月18日 – 2008年2月20日)は、日本の歌人、随筆家。川田順の妻。本名・川田俊子。 京都生まれ。同志社女子専門学校(のち同志社女子大学)中退。京都帝国大学教授(経済学者)中川与之助と結婚。1942年「ハハキギ」に入会。1944年から川田順に師事するが恋となり、1948年川田は苦しんで自殺未遂を起こし「老いらくの恋」として世間を騒がせるが、中川が離婚を承諾し、1949年結婚。女人短歌会会員。(鈴鹿俊子 ー Wikipedia)

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今日(11月30日)は、シルバーラブ(老いらくの恋)の日
http://masaokato.jp/2011/11/30/001242

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