2011年9月美幌町配食サービス
- 2011年09月02日(金) 16:28
- カテゴリ: Twitter, 健康・福祉, 美幌町
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配食サービス(2011年9月):美幌町の配食サービス事業は17年前から美幌町社会福祉協議会が実施している。高齢者と身障者や自力で調理のできない方などに食生活の充実(食の自立支援)と安否確認が目的です。
美幌町 びほろちょう Bihoro Town | 美幌町ホームページ
http://www.town.bihoro.hokkaido.jp/
社会福祉法人美幌町社会福祉協議会ホームページ
http://www14.ocn.ne.jp/~bihoro/
美幌町の配食サービス内容(平成23年9月):配食は週2回(火曜/金曜、15:30ー16:00)、料金は400円(所得によって200円)。配食の利用者は82人、配食のボランティアは57人。火曜日の調理は中島食品、金曜日の調理は大西パン店。
「まごころの配食、ありがとうございます!」
9月2日(金)15:05 配食。今日の天気、雨(最低気温 22℃、最高気温 26℃)。 9月2日の誕生花「ケイトウ(鶏頭)」 花言葉「警戒」。どじょう内閣頑張るノダ、野田内閣が発足(野田佳彦首相)。
9月6日(火)15:00 配食。今日の天気、曇り(最低気温 17℃、最高気温 23℃)。 9月6日の誕生花「パンパスグラス(白金葭)」 花言葉「風格、歳月」。今日は「妹の日」。
9月9日(金)15:00 配食。今日の天気、晴れのち曇り(最低気温 17℃、最高気温 26℃)。 9月9日の誕生花「浦菊(浜紫苑)」 花言葉「高潔」。今日は「救急の日」。
9月13日(火)15:05 配食。今日の天気、曇り(最低気温 16℃、最高気温 21℃)。 9月13日の誕生花「ヤナギ(柳)」 花言葉「素直」。
9月16日(火)15:05 配食。今日の天気、晴れ(最低気温 19℃、最高気温 24℃)。 9月16日の誕生花「リンドウ(竜胆)(トラジ)」 花言葉「悲しむ君が好き」。
@男なきに泣かむとすれば竜胆がわが足もとに光りて居たり(白秋)
9月20日(火)15:00 配食。今日の天気、晴れ(最低気温 8℃、最高気温 19℃)。 9月20日の誕生花「タマスダレ(玉簾)」 花言葉「便りがある」。
@あららぎのくれなゐの実を食むときはちちはは恋し信濃路にして(斎藤茂吉)
9月23日(金)14:56 配食。今日の天気、曇り(最低気温 10℃、最高気温 15℃)。 9月23日の誕生花「コスモス(秋桜)」 花言葉「清潔」。
9月27日(火)15:00 配食。今日の天気、晴れ(最低気温 9℃、最高気温 22℃)。 9月27日の誕生花「葡萄」 花言葉「忘却」。
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」(君の名は)
9月30日(金)15:00 配食。今日の天気、曇り(最低気温 13℃、最高気温 20℃)。 9月30日の誕生花「ししえど(アンゼリカ)」 花言葉「インスピレーション」。
配食サービスのニュース、配食サービスについてのブログ(Google)
美幌町の配食サービス(2009年9月)
http://masaokato.jp/2009/09/01/190206
美幌町の配食サービス(2010年9月)
http://masaokato.jp/2010/09/03/163833
配食サービス カテゴリーのアーカイブ
http://masaokato.jp/blog/takuhai
加藤 雅夫
@bihorokato 北海道美幌町
みなさま、イランカラプテ!日本と世界の人々と共に“平和心”を大切に育てる事が私の願いです。Guitar Mandolin Music 美幌音楽人
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http://twitter.com/bihorokato
- 一つ新しい記事: 自分自身を「どじょう」に例える野田佳彦新首相
- 一つ古い記事: 深セン和橋会「第二回和僑ドリームプラン・プレゼンテーション in 深セン」
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連載 思い出の躾(しつけ) (1)
食べる前には〜お膳立て
「音をたててご飯を食べない」-。子どものころ、父や母らからはたくさんのことを教わりましたよね。網走市民へのインタビューによる、連載「思い出の躾(しつけ)」をスタートします。(大)
【50代女性の話】
子どものころの父は厳しかった。
食事の作法もよく注意されました。私は右利きなため、「ご飯茶碗は左、お味噌汁のお椀は右、箸は手前にそろえて置く」と教わりました。今では無意識にそうしています。
子どものころは何も考えずに従っていました。ある時、「茶碗は左、お椀は右に置いたほうが食べやすいんだ」と気付きました。
オホーツクのフリーペーパー伝書鳩 2011/04/12掲載(網走市/本紙連載・歴史) http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=51586
加藤 雅夫 より 2011 年 9 月 2 日 16:47
連載 思い出の躾(しつけ) (2)
テレビを見る権利
【50代男性の話】
子どものころ、一般家庭でもテレビが普及し始めました。しかし、現代とは異なり、テレビは一家に一台が主流。私の家は茶の間にありました。
父が家にいる時は、テレビのチャネル権は父が握っていました。私を含め、子ども達は父の好きな番組をじっと見ていました。
父が家にいない時でも、午後8時以降は「大人の時間」として、子どもがテレビを見ることは許されませんでした。
オホーツクのフリーペーパー伝書鳩 2011/04/14掲載(網走市/本紙連載)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=51666
加藤 雅夫 より 2011 年 9 月 6 日 15:46
連載 思い出の躾(しつけ) (3)
食卓〜父の居場所
【60代男性の話】
子どものころ、自宅で食事をする際は必ず、家族全員がそろっていました。
当時、わが家は祖父母、両親、5人のきょうだいがいました。今では大家族ですが、昔は普通でした。
食事の際、父の座る場所だけが決まっていました。「上座」というわけではないと思いますが、父は家族みんなを見渡せる場所に座り、いつも静かにご飯を食べていました。
あのころ、父はすごく怖い存在でした。父が家にいるだけで、何ともいえぬ緊張感が漂っていました。
オホーツクのフリーペーパー伝書鳩 2011/04/21掲載(網走市/本紙連載)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=51839
加藤 雅夫 より 2011 年 9 月 9 日 15:16
連載 思い出の躾(しつけ) (4)
「音!」「ひじ!」〜食事作法
【70代男性の話】
私の父は作法について厳しく、特に食事作法はうるさかった。食事する際、まずは「音をたてて食べるな」と何度も注意されました。くちゃくちゃと食べようものなら、父から厳しく怒られました。父は、ひじをついて食事をすることを嫌いました。そして、おしゃべりも禁止。昔、なにかのひょうしに茶碗を落としてしまったことがあります。その時の父の怒った顔、声は今でも覚えています。
今でも私は、父の教えを守っています。「守っている」ではなく、体にしみ込んでいるのでしょうね。
オホーツクのフリーペーパー伝書鳩 2011/04/22掲載(網走市/本紙連載・歴史・話題)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=51880
加藤 雅夫 より 2011 年 9 月 13 日 15:34
連載 思い出の躾(しつけ) (5)
野球帽を深くかぶるな
【40代男性の話】
子どものころ、男の子のファッションアイテムにプロ野球チームの帽子は必須でした。父は巨人軍の大ファンで、私がかぶる帽子はきまって巨人軍でした。
小学生のとき、巨人軍の帽子をかぶり、公園で友人と遊んでいました。その姿を、父はなぜか見ていたらしい。
その日の夜。父は帰宅後、私に向かい「あんなに帽子を深くかぶるな。不良みたいだ」ときつく叱りました。
今でも私は帽子をかぶる際、深くかぶることに自然とためらいを感じています。不思議ですよね。
オホーツクのフリーペーパー伝書鳩 2011/04/23掲載(網走市/本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/bd/news/page/51912.html
加藤 雅夫 より 2011 年 9 月 16 日 15:23
帯広の森、市民農園サラダ館にある「レストラン キッチンノート」のブログを紹介します:
局長のお昼ご飯 http://kyokucho.kitchennote.com/
市民農園サラダ館の局長に作るお昼ご飯のブログです。
加藤 雅夫 より 2011 年 9 月 19 日 06:28
連載 思い出の躾(しつけ) (6)
子どもは8時が寝る時間
【40代男性の話】
子どものころ、両親から口うるさく言われたのは就寝時間です。わが家のルールでは、子どもが寝る時間は「午後8時」と決まっていました。
夕食を終え、茶の間で見るテレビが楽しみの一つでした。しかし、就寝時間が近づくと、母からは「そろそろ寝る時間だよ」と、寝床へ向かうよう促されました。
父が家にいる時は、私を含めきょうだいは絶対厳守。父がいない場合、母は、約束を守りそうもない私達に、「お父さんに言うよ」とよくおどしていました。
ただ、ある時から、「土曜日のみ9時就寝」となりました。ドリフターズの番組を見られるようになり、とてもうれしかったことを覚えています。
オホーツクのフリーペーパー伝書鳩 2011/04/25掲載(網走市/本紙連載・歴史) http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=51939
加藤 雅夫 より 2011 年 9 月 20 日 15:22
連載 思い出の躾(しつけ) (7)
解禁は“成長の証”〜炭酸飲料
【40代男性の話】
子どものころ、母は私に炭酸飲料を飲ませてくれなかった。母なりの根拠があり、私の健康を気遣ってくれたのでした。
私が子どものころ、炭酸飲料の種類が一気に増えた時代だと思います。自動販売機も目立ち始めたようにも記憶しています。
ただ、私の家庭では、きょうだいを含め炭酸飲料を飲めなかった。私が中学生になった時、炭酸禁止令は解禁になりました。こそこそせずに堂々と口にできることが、とてもうれしかった。
今から考えると、家庭での「炭酸禁止令」は嘘のような話です。大人になった私にとって、炭酸飲料は大好物の一つです。
オホーツクのフリーペーパー伝書鳩 2011/05/06掲載(網走市/本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/bd/news/page/52203.html
加藤 雅夫 より 2011 年 9 月 23 日 15:18
連載 思い出の躾(しつけ) (8)
もう帰らなきゃ〜門限
【40代女性の話】
子どものころのわが家には、門限がありました。現代ではあまり、「門限」という言葉を聞かなくなったような気がしますが、昔の子ども達には門限がありましたよね。
私が小学生のころの門限は午後5時。中学生になると、部活の関係で午後6時半となりました。門限は慣れると平気で、小中学生のころは無意識に「もう家に帰らなきゃ」と思っていました。
家庭のルールが厳しいと感じたことはありません。父が怒ることはめったになく、母も優しかった。毎日の夕食時には、家族全員が顔をそろえることが普通でした。
大学進学に伴い、私は道外でひとり暮らしを始めました。アパートに両親はいないのに、自分で門限を決めて帰宅していたことが懐かしいですね。
オホーツクのフリーペーパー伝書鳩 2011/05/09掲載(網走市/本紙連載)
http://denshobato.com/bd/news/page/52244.html
加藤 雅夫 より 2011 年 9 月 27 日 17:12
連載 思い出の躾(しつけ) (9)
かかと踏むと靴傷む
【40代男性の話】
子どものころのわが家では、靴のかかとを踏むことは禁止でした。「かかと踏み」については両親にしつけられ、特に父は厳しかった。
かかとを踏んではいけない理由として、母はよく、「傷むから」と言っていました。裕福な家庭ではありませんでしたから、子ども達の靴を少しでも長持ちさせようとしていたと思います。
小学生のころの夏休み、友人の誘いを受けて家を飛び出し、玄関から数歩、靴のかかとを踏んで小走りしました。後方から、父の大きな怒鳴り声。「ばかもん」と、思い切りげんこつされたことを覚えています。
オホーツクのフリーペーパー伝書鳩 2011/05/11掲載(網走市/本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/bd/news/page/52304.html
加藤 雅夫 より 2011 年 9 月 30 日 15:23