原爆,反戦,平和,きえてのこった長崎かぞえ歌(しばはら・ち)

今日(8月9日)は、野球の日、ムーミンの日、はり・きゅう・マッサージの日、世界の先住民の国際デー、長崎原爆の日(原爆忌)。

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原爆・反戦・平和 「きえてのこった長崎かぞえ歌」

絵本「きえてのこった 長崎かぞえ歌」は「原爆」「反戦」「平和」への思いをかいた作品です。
私は父や母、祖父や祖母など、戦争体験者から話を聞けた世代ですが、大人になった私の子たちが、「自分たちは戦争を知らないんだ」というのと同じ「戦争を知らない世代」で­す。

今まだ、世界では戦争や殺し合いがおきています。「どんな形でも平和への願いの声をあげておかないと」という気持ちがこの本です。(しばはら・ち)

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絵本作家しばはら・ち 『べるべっとむーん』
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加藤 雅夫
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4 件のコメント

  1. 8月9日の出来事


    Hiroshima & Nagasaki: Atomic Bombing of Japan (1945)

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    日本で国旗国歌法が成立(1999)。

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    関西電力美浜発電所で日本初の原発死亡事故が発生(2004)。

    美幌音楽人 加藤雅夫 より 2011 年 8 月 9 日 06:23

  2. 今日は66回目の長崎原爆忌。生々しい動画を拝見し、私のブログにも借用いたしました。黙祷!

    なりひら より 2011 年 8 月 9 日 07:42

  3. 800px-Toru111.jpg

    トルーマン米大統領の高笑い

    戦争に勝てないと判断した日本政府は、7月12日、ソ連にいる日本大使宛に、ソ連に和平の仲介を頼むよう打電した。その暗号電報は即座に解読され、トルーマンに知らされた。トルーマンは、日本政府が和平の動きに出たことを知っていたことになる。 ポツダム入りした米陸海空軍参謀本部は、首脳会談の前に合同会議を持ち、「ソ連が参戦する予定であることと、天皇制存続を認めれば、日本の降伏は今日にでもありうる。日本はすでに壊滅状態で、原爆を使う必要はなく、警告すれば十分。」との結論を出した。しかしトルーマンはそれを無視した。トルーマンは、7月17日にソ連のスターリンと事前打ち合わせをした際、かねてより頼んでいた通り、ソ連が8月15日に対日参戦することを確認し、スターリンに感謝を述べた。その日トルーマンが妻に書いた手紙にも、「これで戦争が早く終わる」と安堵の気持ちを述べていた。ところがトルーマンは、7月21日に原爆実験成功の詳しい報告を受け取り、その威力のすさまじさを知ると態度を一変した。東欧問題などで、ソ連に対し断固とした態度を示すようになった。 1945年4月の時点で原子爆弾の完成予定を知っていたトルーマンは、核の力でソ連を抑止できるという考えがあった。日本への原子爆弾投下命令はポツダム宣言発表の一日前の7月25日に行われ、日本の返事を待つどころか降伏勧告を出す前に投下命令を出した事になる。 (ハリー・S・トルーマン – Wikipedia

    加藤 雅夫 より 2011 年 8 月 9 日 21:05

  4. KAN-FULL BLOGのお知らせ(2011/08/16)

    「第26話【平和】「非核特使」創設から1年 広島・長崎で総理に活動報告会」
     世界に被爆体験を語り継ぐ、政府委嘱の「非核特使」。昨年の広島平和祈念式での挨拶で、菅総理が提唱して始まったこの制度は、1年で確かな成果を上げました。そして、報告会で特使たちが口々に語った、3月11日以降の海外の聴衆たちの質問とは―――
    ※ 続きはこちらから
    http://kanfullblog.kantei.go.jp/2011/08/20110815.html

    発行:内閣官房内閣広報室(〒100-8968 東京都千代田区永田町1-6-1)
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    加藤 雅夫 より 2011 年 8 月 16 日 22:35

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