北海道美幌町で、縄文式土器(続縄文時代)出土

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続縄文時代(ぞくじょうもんじだい)は、北海道を中心に紀元前3世紀頃から紀元後7世紀(弥生時代から古墳時代)にかけて、擦文文化が現れるまで続いた時代で、続縄文文化に対応する。 この時代の後期にあたる5世紀(古墳時代中期)から、樺太から北海道のオホーツク海沿岸にかけてオホーツク文化が定着した。これは続縄文文化とは異質のものである。 (Wikipedia

縄文土器のニュース(Google) 縄文土器についてのブログ(Google

※写真(上)、この記事とは関係がありません。

続縄文の土器、欠損なく出土 美幌

 【美幌】町高野地区の「高野3遺跡」で、続縄文時代の紀元3~4世紀ごろに造られたとみられる墓の中から、欠損の無い完璧な状態の土器1点と、黒曜石のナイフ2点などが見つかった。いずれも副葬品と考えられ、当時の人々の暮らしぶりがうかがえる貴重な資料となりそうだ。

 民間業者の火山灰採取の試掘で遺跡が確認された。広さ約千平方メートルで、今年5月から8月末までの予定で町が発掘調査している。

 墓は縦1・2メートル、横2メートルの楕円(だえん)形。骨は残っていなかった。

 土器は高さ15センチ、直径14センチで、ふちの4カ所に3個と2個の突起が対になるように作られ、表面には縄文式土器特有の縄目の模様が描かれていた。

 黒曜石のナイフは長さ13センチと同8・5センチ。小さい方のナイフは長方形で「細かく加工され、微調整した跡が見られる」(美幌博物館埋蔵文化財調査員・八重柏誠さん)。

 矢尻22点も出土。いずれも厚さ約1・5ミリに薄く加工された美しい三角形で、実際に使った形跡はなく、「墓の副葬品と判断される」(同)としている。

 美幌博物館の小林敬館長は「町内の他の遺跡と比較することで、美幌の生活環境が見えるのではないか」と期待している。(中原洋之輔)

続縄文の土器、欠損なく出土 美幌-北海道新聞[道北・オホーツク]
www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki4/309824.html (08/04 北海道新聞)

関連サイト

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美幌博物館ホームページ
www.town.bihoro.hokkaido.jp/museum

北海道教育委員会ホームページ
(出土文化財を見ることのできる主な博物館・資料館)
www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bns/19museum-guide.htm

オホーツク文化(オホーツク観光連盟公式ホームページ)
www.okhotsk.org/news/kodaibunka.htm

関連エントリー
北海道人 カテゴリのアーカイブ masaokato.jp/blog/hokkaido-jin
オホーツク カテゴリのアーカイブ masaokato.jp/blog/diary/okhotsk
美幌町 カテゴリのアーカイブ masaokato.jp/blog/bihoro

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加藤 雅夫
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1 件のコメント


  1. 北海道・オホーツク圏の遺跡や文化に触れる旅=網走監獄は迫力満点
    http://www.youtube.com/user/JiJi#p/u/7/8HjGCQ4rMdU

    北海道・オホーツク圏の遺跡や文化に触れる旅(時事ドットコム)
    http://www.jiji.com/jc/v4?id=20110719hdc0001

    加藤 雅夫 より 2011 年 8 月 8 日 14:22

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