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イタリア カテゴリのアーカイブ
12月13日 聖ルチア祭 シラクサのルチア (聖名祝日)
- 2018年12月13日(木) 1:50
- カテゴリ: お知らせ, イタリア, オホーツク, スウェーデン, デンマーク, ノルウェー, フィンランド, 健康・福祉, 北欧, 北海道, 国際, 日本, 音楽
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12月13日 聖ルチア祭 シラクサのルチア (聖名祝日)
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12月13日 聖ルチア祭 / 眼・視覚障害者の守護聖女「聖ルチア」の聖名祝日。 ルチアは3世紀のイタリア・シチリアの貴族の娘であるが、母の病が聖アガタの墓前での祈りにより全快した奇跡により、終生貞潔を守り神に仕えることを決意した。ルチアには異教徒の婚約者がいたが、彼女がキリスト教徒となったことに失意し国に密告した。改宗を拒んだことから売春婦となる刑が言い渡されたが、奇跡が起きて彼女の体はその場から動かなくなった。そこで拷問として両目がえぐり出されたが、奇跡が起き目がなくても見ることができたという。 スウェーデンでは、クリスマスに若い女性が「ルチアの花冠」を被ってパンとコーヒーを恵まれない人に配る風習がある。 (12月13日 今日は何の日~毎日が記念日~)
12月13日 記念日・年中行事 / 聖ルチア祭(スカンディナヴィア諸国、南欧)シラクサのルチアの聖名祝日。 (12月13日 – Wikipedia)
聖ルチア祭 (Sancta Lucia、または聖ルチアの日)は、キリスト教の聖人聖ルチアの聖名祝日を祝う行事で、12月13日に行われる。クリスマスシーズンのアドベント(待誕節)が始まるころに行われる。西方教会では伝統的に重要な聖名祝日で、スカンディナヴィア諸国と南欧が主として伝統的行事としている。スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド、イタリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、アイスランド、クロアチアで行われる。16世紀にグレゴリオ暦が改訂されるまで、聖ルチア祭は北半球の冬至の日だった。 (聖ルチア祭 – Wikipedia)
シラクサのルチア (イタリア語:Santa Lucia, 英語:Saint Lucy 伝承による生没年:283年-304年)は、聖ルチアの名で知られるキリスト教の殉教者。ルーテル教会・聖公会・カトリック教会・正教会で聖人。目、及び視覚障害者、そしてシラクサの守護聖人。記念日は、西欧では12月13日(旧ユリウス暦では1年で最も夜の長い日)である。 ルーテル教会信徒が圧倒的に多いスウェーデン、フィンランド、デンマーク、ノルウェーで崇敬される数少ない聖人の一人である。これら北欧諸国では、キリスト教伝来前の晩冬の祝祭『光の祭り』がルチア信仰と結びつき、12月13日に『聖ルチア祭』として国中で祝われる行事となっている(他にスカンディナヴィア諸国で知られる聖人は、洗礼者ヨハネとノルウェーの守護聖人聖オーラヴである)。また、彼女はナポリの船乗りたちの守護聖人でもあり、サンタ・ルチアという有名なナポリ民謡も作られている。街中には同名の港もある。 ここでは出生地主義を採用し、名前をイタリア語の『ルチア』とする。日本のカトリック教会では称号を付けて聖ルチアおとめ殉教者とも呼ばれる。 (シラクサのルチア – Wikipedia)
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Stille Nacht, heilige Nacht きよしこの夜 200周年 記念館 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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9月17日 イタリア料理の日 (日本イタリア料理協会)
9月17日 イタリア料理の日 (日本イタリア料理協会)
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9月17日 記念日・年中行事 / イタリア料理の日 (日本) 日本イタリア料理協会が制定。イタリア語で「料理」を意味する「クチーナ(CUCINA)」を917と読む語呂合わせから。 (9月17日 – Wikipedi)
イタリア料理(イタリアりょうり,伊:cucina italiana)は、イタリアを発祥とする料理法で、世界の多くで好まれ多くの地域で料理されている。関連項目 / 9月17日(イタリア料理の日) – 日本イタリア料理協会が制定。イタリア語で「料理」を意味する「cucina(クチーナ)」の語呂合わせから。 (イタリア料理 – Wikipedia)
関連サイト
「イタリア料理の日」 9月17日に決定! | 日本イタリア料理協会ホームページ
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8月10日 聖ロレンツォの祝日 (流れ星にお願いをする日)
8月10日 聖ロレンツォの祝日 (流れ星にお願いをする日)
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8月10日 サン・ロレンツォの日 聖ロレンツォの聖名祝日。キリスト教が禁止されていた時代のローマで教皇の執事をしていたが、258年のこの日に処刑された。イタリアでは、この日の夜の流れ星はロレンツォの涙であるとされ、愛する人のために流れ星に願い事をするとかなうと言われている。 (8月10日 今日は何の日~毎日が記念日~)
『聖ロレンツォの祝日のために』(Per la Solemnità di S. Lorenzo )は、アントニオ・ヴィヴァルディが作曲した協奏曲。3つの作品にこの題名が付けられている。ヴァイオリン協奏曲 ヘ長調 RV.286、合奏協奏曲 ヘ長調 RV.556、合奏協奏曲 ニ長調 RV.562。 (聖ロレンツォの祝日のために – Wikipedia)
ローマのラウレンティウス (聖ラウレンチオ助祭殉教者、St. Laurentius M.、イタリア語:San Lorenzo martire、225年-258年8月10日)は、キリスト教の聖人である。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会すべてで崇敬される聖人で、ローマとロッテルダム、スリランカ、カナダの守護聖人。火傷・火災・熱病から守ってくれる保護者であり、また、菓子製造人、料理人、栄養士、メイド、宿の管理人、肉屋、ワイン・ビール醸造者、図書館員、兵器製造者、ガラス工、ステンドグラス製造者、コメディアン、学生などの守護聖人でもある。 (ローマのラウレンティウス – Wikipedia)
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流れ星にお願いをする日 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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イタリアの作曲家・ヴァイオリニスト アントニオ・ヴィヴァルディ (Antonio Vivaldi)
イタリアの作曲家・ヴァイオリニスト アントニオ・ヴィヴァルディ (Antonio Vivaldi)
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7月28日 忌日 / 1741年 アントニオ・ヴィヴァルディ (伊:作曲家,バイオリン奏者『四季』) <63歳> (7月28日 今日は何の日~毎日が記念日~)
7月28日 忌日 / 1741年 – アントニオ・ヴィヴァルディ、作曲家。 (7月28日 – Wikipedia)
アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678年3月4日 – 1741年7月28日)は、ヴェネツィア出身のバロック後期の作曲家で、ヴァイオリニスト。カトリック教会の司祭。人物・来歴 / イタリアのヴェネツィアに生まれ、オーストリアのウィーンで没した。サン・マルコ大聖堂付きオーケストラのヴァイオリニストで、理髪師の父親からヴァイオリンを学ぶ。10歳より教会附属の学校に入り、25歳で司祭に叙階される。赤毛であったことから、「赤毛の司祭」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれるようになった。 (アントニオ・ヴィヴァルディWikipedia)
Antonio Lucio Vivaldi (Italian: [anˈtɔːnjo ˈluːtʃo viˈvaldi]; 4 March 1678 – 28 July 1741) was an Italian Baroque musical composer, virtuoso violinist, teacher, and cleric. Born in Venice, he is recognized as one of the greatest Baroque composers, and his influence during his lifetime was widespread across Europe. He composed many instrumental concertos, for the violin and a variety of other instruments, as well as sacred choral works and more than forty operas. His best-known work is a series of violin concertos known as the Four Seasons. Many of his compositions were written for the all-female music ensemble of the Ospedale della Pietà, a home for abandoned children where Vivaldi (who had been ordained as a Catholic priest) was employed from 1703 to 1715 and from 1723 to 1740. Vivaldi also had some success with expensive stagings of his operas in Venice, Mantua and Vienna. After meeting the Emperor Charles VI, Vivaldi moved to Vienna, hoping for preferment. However, the Emperor died soon after Vivaldi’s arrival, and Vivaldi himself died, in poverty, less than a year later. (Antonio Vivaldi – Wikipedia)
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Antonio Vivaldi の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
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マウロ・ジュリアーニ(Mauro Giuliani)について
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5月8日 忌日 / 1829年 – マウロ・ジュリアーニ、ギタリスト、作曲家。(5月8日 – Wikipedia)
マウロ・ジュゼッペ・セルジョ・パンタレーオ・ジュリアーニ(Mauro Giuseppe Sergio Pantaleo Giuliani, 1781年7月27日 – 1829年5月8日)は、ナポリ王国のギタリスト・作曲家。19世紀初頭におけるクラシック・ギターのヴィルトゥオーゾの一人と看做されている。
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Mauro Giulian の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri)について
アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri)について
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アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri、1750年8月18日 – 1825年5月7日)はイタリアのレニャーゴ生まれの作曲家。生前は神聖ローマ皇帝・オーストリア皇帝に仕えるカペルマイスター(宮廷楽長)としてヨーロッパ楽壇の頂点に立つ人物であり、またベートーヴェン、シューベルト、リストらを育てた名教育家でもあった。死後はその名と作品を忘れられたが、戯曲『アマデウス』(1979年)およびその映画版(1984年)の主人公として取り上げられたため、知名度が上昇。2003年に大メゾソプラノ歌手チェチーリア・バルトリがアルバムを出すなど、21世紀に入ってからは音楽家としての再評価の動きもあり、2009年からは生地レニャーゴでサリエリ・オペラ音楽祭が毎年開催されている。(アントニオ・サリエリ – Wikipedia)
Antonio Salieri (18 August 1750 – 7 May 1825) was an Italian classical composer, conductor, and teacher. He was born in Legnago, south of Verona, in the Republic of Venice, and spent his adult life and career as a subject of the Habsburg Monarchy. Salieri was a pivotal figure in the development of late 18th-century opera. As a student of Florian Leopold Gassmann, and a protégé of Christoph Willibald Gluck, Salieri was a cosmopolitan composer who wrote operas in three languages. Salieri helped to develop and shape many of the features of operatic compositional vocabulary, and his music was a powerful influence on contemporary composers. Appointed the director of the Italian opera by the Habsburg court, a post he held from 1774 until 1792, Salieri dominated Italian-language opera in Vienna. During his career he also spent time writing works for opera houses in Paris, Rome, and Venice, and his dramatic works were widely performed throughout Europe during his lifetime. As the Austrian imperial Kapellmeister from 1788 to 1824, he was responsible for music at the court chapel and attached school. Even as his works dropped from performance, and he wrote no new operas after 1804, he still remained one of the most important and sought-after teachers of his generation, and his influence was felt in every aspect of Vienna’s musical life. Franz Liszt, Franz Schubert, and Ludwig van Beethoven were among the most famous of his pupils. Salieri’s music slowly disappeared from the repertoire between 1800 and 1868 and was rarely heard after that period until the revival of his fame in the late 20th century. This revival was due to the dramatic and highly fictionalized depiction of Salieri in Peter Shaffer’s play Amadeus (1979) and its 1984 film version. The death of Wolfgang Amadeus Mozart in 1791 at the age of 35 was followed by rumours that he and Salieri had been bitter rivals, and that Salieri had poisoned the younger composer, yet it is likely that they were, at least, mutually respectful peers. (Antonio Salieri – Wikipedia)
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Antonio Salieri の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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1974年4月20日 東京国立博物館で『モナ・リザ』公開
1974年4月20日 東京国立博物館で『モナ・リザ』公開
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4月20日 歴史 / 1974年 レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』が東京国立博物館で公開。6月10日までに入場者150万人。(4月20日 今日は何の日~毎日が記念日~)
『モナ・リザ』(伊: La Gioconda、仏: La Joconde)は、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油彩画。上半身のみが描かれた女性の肖像画で、「世界でもっとも知られた、もっとも見られた、もっとも書かれた、もっとも歌われた、もっともパロディ作品が作られた美術作品」といわれている。来歴 / 盗難と破損 / 1974年4月には、東京国立博物館に貸し出し展示されていた『モナ・リザ』が、美術館の身体障害者への対応に憤った「足の不自由な女性」に赤色のスプレー塗料を吹き付けられたが、『モナ・リザ』は無事だった。(モナ・リザ – Wikipedia)
The Mona Lisa ( Monna Lisa or La Gioconda , La Joconde ) is a half-length portrait painting by the Italian Renaissance artist Leonardo da Vinci that has been described as “the best known, the most visited, the most written about, the most sung about, the most parodied work of art in the world”. The which is worth nearly $800 million in 2017. (Mona Lisa – Wikipedia)
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天文学の父 ガリレオ・ガリレイの異端審問について
- 2018年04月12日(木) 0:46
- カテゴリ: お知らせ, イタリア, 国際, 宇宙
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天文学の父 ガリレオ・ガリレイの異端審問について
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4月12日 歴史 / 1633年 ガリレオ・ガリレイの異端審問の正式な尋問が始る。(4月12日 今日は何の日~毎日が記念日~)
4月12日 できごと / 1633年 – ガリレオ・ガリレイの異端審問の正式な尋問が始まる。(4月12日 – Wikipedia)
異端審問(いたんしんもん、ラテン語: Inquisitio)とは、中世以降のカトリック教会において正統信仰に反する教えを持つ(異端である)という疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステム。異端審問を行う施設を「異端審問所」と呼ぶ。ひとくちに異端審問といっても中世初期の異端審問、スペイン異端審問、ローマの異端審問の三つに分けることができ、それぞれが異なった時代背景と性格を持っている。(異端審問 – Wikipedia)
ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei、ユリウス暦1564年2月15日 – グレゴリオ暦1642年1月8日)は、イタリアの物理学者、天文学者、哲学者。パドヴァ大学教授。その業績から天文学の父と称され、ロジャー・ベーコンとともに科学的手法の開拓者の一人としても知られている。(ガリレオ・ガリレイ – Wikipedia)
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佐々木昭一郎(Shoichiro Sasaki) 中尾幸世(Sachiyo Nakao)
- 2018年04月04日(水) 0:34
- カテゴリ: お知らせ, イタリア, ギター, スペイン, フラメンコギター, 国際, 日本, 日本映画, 映画, 音楽
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佐々木昭一郎(Shoichiro Sasaki) 中尾幸世(Sachiyo Nakao)
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佐々木 昭一郎(ささき しょういちろう Shoichiro Sasaki、1936年1月25日 – )は、映像作家、映画監督、元NHKドラマディレクターである。東京都出身。経歴 / 立教大学経済学部卒業後、1960年NHKに入局し、芸能局ラジオ文芸部でラジオドラマの演出を手がけた。処女作は『都会の二つの顔』(1963年、ラジオテレビ記者会年間最優秀作品賞、芸術祭奨励賞)。1968年テレビドラマ部に異動し、『銀河テレビ小説』のADなどを務めると同時に多くの受賞作を生んだ。1995年に定年もあってNHKを退局。その後はフリーディレクターとして活動。文教大学情報学部教授としても10年にわたり教鞭をとった。演出の特徴 / ロケ先現地の一般人に演技をつけて撮影するドキュメンタリー調の作風と、音・音楽の重視が特徴である。例えば『さすらい』ではフォークソング、『四季・ユートピアノ』ではピアノそしてマーラーの交響曲第四番第一楽章および第四楽章が効果的に使われている。また『川の流れはバイオリンの音』ではヴァイオリンが繰り返し扱われる。主な作品 / 夢の島少女(1974年) – 中尾幸世のデビュー作。四季・ユートピアノ(1980年) – 文化庁芸術祭テレビドラマ部門大賞。放送文化基金賞ドラマ番組部門本賞。ギャラクシー賞。イタリア賞テレビドラマ部門グランプリ。国際エミー賞優秀作品賞。全米でネットワーク放送。川3部作 – オール海外ロケ作品。川の流れはバイオリンの音 〜イタリア・ポー川〜(1981年) – 文化庁芸術祭テレビドラマ部門大賞。イタリア市民賞。アンダルシアの虹 川(リバー) スペイン編(1983年)春・音の光 川(リバー) スロバキア編(1984年) – 文化庁芸術祭テレビドラマ部門優秀賞。芸術選奨文部大臣賞。毎日芸術賞。(佐々木昭一郎 – Wikipedia)
『川の流れはバイオリンの音』(かわのながれはバイオリンのおと)は、NHKが制作した、音楽を題材としたテレビドラマである。正式なタイトルは『NHK特集 川の流れはバイオリンの音 〜イタリア・ポー川〜』。概要 / 本作の製作・演出は佐々木昭一郎。主演は中尾幸世。第36回芸術祭ドラマの部大賞受賞。初出はNHK総合テレビ「NHK特集」で、放送日時は1981年5月1日19時30分 – 20時50分。1982年には海外版も制作された。何度か再放送され、他の佐々木作品と並んでDVD化の要望も高い。佐々木作品『夢の島少女』(1974年)でデビューした中尾が、同じく佐々木作品『四季・ユートピアノ』(1980年)に続いて調律師「栄子(A子)」に扮し主演した。作中A音の特異性には言及があるが、『四季…』でピアノ調律師として独立した榮子と本作の栄子とが同一人物であるかは明示されていない。妹のヴァイオリンを壊してしまったA子はクレモナのヴァイオリン工房を訪れる。そこで出会うのは、イタリア・ポー川の人々である。白馬のルイジ、漁師マリオ、アントニオ、ルーカ少年…… 歌声、楽器の音、自然の音、町の音と共にA子は彼等と出会い別れていく。A子の独白によって進行するドキュメンタリー風の作品で、あえて配役に現地の素人を起用した点も作風を支えている。ヴィヴァルディ『四季』第4楽章の第2主題「暖炉の火」が頻用される。佐々木はこのシリーズを更に続け、後の2作を含め、『川の流れはバイオリンの音 〜イタリア・ポー川〜』(1981年)『アンダルシアの虹 川(リバー) スペイン編』(1983年)『春・音の光 川(リバー) スロバキア編』(1984年)を総称して「川3部作」と呼ぶ。(川の流れはバイオリンの音 – Wikipedia)
関連サイト
中尾幸世 | NHK人物録 | NHKアーカイブス – NHK語学番組 – NHKオンライン
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23rd International Guitar Festival (Mottola, Italy)
- 2015年05月14日(木) 1:31
- カテゴリ: Facebook, Twitter, お知らせ, イタリア, ギター, マンドリン, 南欧, 国際, 観光, 音楽
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第23回 国際ギターフェスティバル – モットラ (イタリア)
7月4 – 12, 2015
インターナショナル·コンペティション – コンサート – マスタークラス
23rd International Guitar Festival – MOTTOLA (ITALY)
July 4 – 12, 2015
International Competition – Concerts – Master classes
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