- Home
- 東アジア カテゴリのアーカイブ
東アジア カテゴリのアーカイブ
日本の作曲家 信時潔 (海ゆかば)
日本の作曲家 信時潔 (海ゆかば)
関連記事
『海行かば』(うみゆかば)とは、日本の国民歌謡の一つ。軍歌として分類されることもある。詞は、『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」(『国歌大観』番号4094番。『新編国歌大観』番号4119番。大伴家持作)の長歌から採られている。作曲された歌詞の部分は、「陸奥国出金詔書」(『続日本紀』第13詔)の引用部分にほぼ相当する。信時潔の作品 / 当時の大日本帝国政府が国民精神総動員強調週間を制定した際のテーマ曲。信時潔がNHKの嘱託を受けて1937年(昭和12年)に作曲した。信時の自筆譜では「海ゆかば」である。 (海行かば – Wikipedia)
信時 潔(のぶとき きよし、Kiyoshi Nobutoki、1887年(明治20年)12月29日 – 1965年(昭和40年)8月1日)は、大正・昭和時代日本の作曲家、音楽学者、チェロ奏者。大阪市出身。略歴 / 牧師・吉岡弘毅(元津山藩士の外交官で明治初期の日朝外交を担当)の子として大阪市北区中之島に生まれ、幼少より賛美歌に親しんだ。東京音楽学校助教授を勤めたのち、留学先のドイツでゲオルク・シューマンに師事、帰国後に東京音楽学校教授となる。主な作品には、国民唱歌『海ゆかば』(大日本帝国海軍の将官礼式用儀制曲『海ゆかば』とは同名異曲)などがある。校歌・社歌・団体歌等の作曲も数多く手がけ、生涯で少なくとも1000曲以上を数える。太平洋戦争後は作品数が減るが、これは『海ゆかば』が軍国主義に利用され、学徒出陣の際に用いられたことに対抗できなかったことを恥じたものだとも言われる。 (信時潔 – Wikipedia)
美幌海軍航空隊(みほろかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。六番目の陸上攻撃機部隊として、太平洋戦争序盤より中盤にかけて最前線で爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。1942年(昭和17年)11月1日に初代の第七〇一海軍航空隊(だい701かいぐんこうくうたい)と改称。沿革 / 陸上攻撃機部隊の増強を図るために、マル4計画に盛り込まれた4個航空隊の一つとして、中国戦線での活動を終えた第十五航空隊の陸攻要員を元山海軍航空隊と分け合って開隊した。千島列島方面での作戦行動に対応すべく、既設の中央気象台飛行場(現在の女満別空港のルーツ)とは関係なく新規建設した飛行場を用いた。地名の「びほろ」ではなく「みほろ」と呼んでいたとする証言が多数あり、海軍でも建設中は「M基地」の符牒で呼び、機体番号に冠する区別字は日本国内では「ミ」と定められ、外地では「M」を使用していた。 (美幌海軍航空隊 – Wikipedia)
関連サイト
太平洋戦争中、“第二の国歌”といわれた軍歌「海行かば」に作曲家・信時潔のキリスト教信仰 – クリスチャントゥデイ : キリスト教ニュース
海ゆかば – NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
関連エントリ
Kiyoshi Nobutoki の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
ツイッター (Twitter)
フェイスブック (Facebook)
8月15日 終戦の日 (日本)
8月15日 終戦の日 (日本)
関連記事
記念日 8月15日 / 終戦記念日,敗戦記念日,全国戦没者追悼式 / 1945年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。これにより第二次世界大戦が終結した。内務省の発表によれば、戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人だった。1982年4月の閣議決定により「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」となった。1963年から毎年、政府主催による「全国戦没者追悼式」が行われ、正午から1分間、黙祷が捧げられる。8月15日 歴史 / 1945年 宮城事件。前日深夜、陸軍軍務局員の畑中健二少佐らが終戦阻止の為に近衛師団を動かし皇居と東京放送局を占拠。早朝鎮圧される。8月15日 歴史 / 1945年 早朝、陸軍横浜警備隊長・佐々木武雄大尉が終戦阻止の為に横浜高工の学生らを率いて首相公邸・首相私邸・内大臣邸などを襲撃。8月15日 歴史 / 1945年 正午、昭和天皇の「戦争終結の詔書」の放送(玉音放送)。
(8月15日 今日は何の日~毎日が記念日~)
8月15日 できごと / 1945年 – 第二次世界大戦: 正午、昭和天皇が「戦争終結の詔書」を読み上げる玉音放送により、ポツダム宣言{正式には日本への降伏要求の最終宣言(Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)7月26日にアメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において大日本帝国(日本)に対して発された、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13か条から成る宣言}を受諾・連合国への降伏がラジオと新聞で日本国民に伝えられる(日本の終戦の日)。8月15日 記念日・年中行事 / 第二次世界大戦終結の日なので、多くの関係国で記念日になっている。ただし、ポツダム宣言の基づく日本が降伏文書に調印した9月2日前後としている国家も多い。終戦の日・戦没者を追悼し平和を祈念する日(日本) / 日本で、1945年8月15日の正午に、天皇による終戦の詔書のラジオ放送(玉音放送)が行われ、国民にポツダム宣言受諾が伝えられた。1963年以降、毎年この日に「全国戦没者追悼式」が行われる。 (8月15日 – Wikipedia)
終戦の日(しゅうせんのひ)は、一般に戦争が終結した日をさす。本項目では各国における第二次世界大戦の終結(終戦)を記念する日について解説する。概要 / 伝統的な戦時国際法において、休戦協定の合意は口頭による同意によれば良く文書の手交を要件としない。このため、休戦が協定された日と休戦協定が外交文書(降伏文書)として固定された日は異なり、実際に各地の戦線で休戦が合意された日もまた異なる。対日戦勝記念日とされる場合、通常は、大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年9月2日を指すことが多い。なお、同じく連合国の中華民国やソビエト連邦、連合国ではない中華人民共和国とロシア連邦の対日戦勝記念日は、その翌日9月3日である。日本の終戦記念日 / 日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催している。一般にも同日は終戦記念日や終戦の日と称され、政治団体・NPO等による平和集会が開かれる。 (終戦の日 – Wikipedia)
関連エントリ
ツイッター( Twitter)
フェイスブック (Facebook)
北方領土返還要求運動全国強調月間 (8月)
北方領土返還要求運動全国強調月間 (8月)
関連記事
8月は「北方領土返還要求運動の強調月間」です / わが国固有の領土である北方四島の早期返還は、国民の長年にわたる悲願です。北方四島は、1945年に当時のソ連によって不当に占拠されてから、この8月で73年目を迎えますが、国民の悲願である領土返還は未だかなっていません。なお一層、一日も早い領土解決に向けた日・露両国の外交交渉の進展に強い期待が寄せられています。北海道では、毎年8月を「北方領土返還要求運動強調月間」と定め、領土返還要求運動のより一層の推進を図る各種の啓発運動を展開しています。 美幌町では、役場庁舎正面玄関入口横に『北方領土返還要求署名コーナー』を設置しておりますので、来庁時にはこの署名にぜひご協力ください。 (8月は「北方領土返還要求運動の強調月間です」 | 美幌町)
北方領土返還要求運動都道府県民会議(ほっぽうりょうどへんかんようきゅううんどうとどうふけんみんかいぎ)は、北方領土問題の啓蒙活動を行う事などを目的に日本全国の都道府県単位で組織されている市民運動団体の総称。 (北方領土返還要求運動都道府県民会議 – Wikipedia)
北方領土問題(ほっぽうりょうどもんだい、ロシア語: Проблема принадлежности южных Курильских островов)は、北海道根室半島の沖合にあり、現在ロシア連邦が実効支配している択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の島々、すなわち北方領土に対して、日本が返還を求めている領土問題である。 (北方領土問題 – Wikipedia)
関連エントリ
ツイッター (Twitter)
フェイスブック (Facebook)
清塚信也 ピアノリサイタル (美幌町民会館びほーる)
清塚信也 ピアノリサイタル (美幌町民会館びほーる)
関連記事
美幌町芸術文化振興事業町民会館スタインウェイピアノ導入記念 清塚信也ピアノリサイタル / 若き天才ピアニスト清塚信也氏による待望のスタインウェイピアノお披露目コンサートです。超一流の奏者による最高峰のピアノ演奏をお楽しみ下さい。 (びほーる文化情報 | マイ広報紙)
コンサートグランドピアノ納品 美幌町民会館びほーるに 寄付や協賛金で導入費用の大半賄い / 10月の清塚 信也さんリサイタルでお披露目 / コンサートグランドピアノが3日、美幌町民会館びほーるに納品された。今後、調律、弾き込みなどが行われ、10月に開かれるピアニストの清塚信也さんのリサイタルが一般へのお披露目の場になる。ピアノは名門・スタインウェイ&サンズ社製で、奥行き2.74メートル、幅1.57メートル、高さ1.02メートル、重量480キロ。音色や音量に影響するとされる奥行きは、びほーるにあるこれまでのピアノに比べ20センチほど長い。導入費用は約2400万円。美幌町出身で東京都在住の会社経営者と匿名の各1千万円の寄付をはじめ、導入を求める町民有志の団体が集めた協賛金で大半を賄った。リサイタルは美幌町芸術文化公演実行委員会が主催。10月25日(木)午後7時からで、前売券3千円。8月11日午前9時から町民会館で町民に先行発売、13日午前9時から町民会館と沖田香露園で一般に発売する。(浩) (2018年8月8日の記事 経済の伝書鳩)
グランドピアノお披露目(美幌町/社会・話題)美幌町びほーる 清塚信也さんリサイタルで / 繊細かつ重厚な音色響く / 美幌町が町民会館びほーるに導入したコンサートグランドピアノが10月25日、ピアニストの清塚信也さんのリサイタルでお披露目された。 ピアノは、町民有志の団体が導入を求めて協賛金の募集や署名活動を実施。協賛金148万円余りと1100人以上の署名を集めた。その後、美幌町出身で東京都在住の会社経営者と、匿名で各1千万円の寄付があったことから町が導入を決定。8月に納品され、弾き込みなどを経てこの日のお披露目を迎えた。 ピアノはスタインウェイ&サンズ社製。音色や音量に影響を与えるとされる奥行きは2.74メートルで、びほーるで使われてきた従来のピアノよりも20センチほど長い。 清塚さんのリサイタルには満員の約500人の聴衆が来場。「月の光」(ドビュッシー)などの曲を通じ、ピアノの繊細かつ重厚な音色を存分に楽しんだ。(浩) (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)
清塚 信也(きよづか しんや、Shinya Kiyozuka、1982年11月13日 – )は、日本のピアニスト。東京都出身。トライストーン・エンタテイメント所属、レーベルはユニバーサル ミュージック。コンサート、テレビドラマや映画での吹き替え演奏といった活動を経て、2007年にアルバム・デビュー。コンピューターミュージックでアレンジされたクラシック曲や自身が作曲したオリジナル楽曲など、クラシックだけに偏らない幅広い活動をしている。演奏活動だけでなく、TVや雑誌等で多数紹介されている。略歴 / 2013年に公開の映画『さよならドビュッシー』で岬洋介を演じ俳優デビューとなる。 (清塚信也 – Wikipedia)
関連サイト
関連エントリ
Shinya Kiyozuka の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
ツイッター (Twitter)
フェイスブック (Facebook)
8月12日 君が代記念日 (日本)
- 2018年08月12日(日) 0:07
- カテゴリ: お知らせ, オホーツク, オリンピック, スポーツ, パラリンピック, 北海道, 大相撲, 日本, 音楽, 音楽療法
- この記事へのコメントはまだありません。
8月12日 君が代記念日 (日本)
関連記事
8月12日 君が代記念日 1893年のこの日、文部省が訓令「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告し、小学校の祝日・大祭日の唱歌に『君が代』『一月一日』『紀元節』等8曲が定められた。1999(平成11)年、「国旗国歌法」により正式に国歌となった。8月12日 歴史 / 1893年 文部省が訓令「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告。『君が代』など8曲を祝日・大祭日の唱歌に。 (8月12日 今日は何の日~毎日が記念日~)
8月12日 できごと / 1893年 – 文部省が訓令「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告。「君が代」など8曲を祝日・大祭日の唱歌と定める。記念日・年中行事 / 君が代記念日(日本)1893年のこの日、文部省が訓令「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告し、小学校の祝日大祭日の唱歌に「君が代」など8曲が定められたことを記念。 (8月12日 – Wikipedia)
君が代(きみがよ)は、日本の国歌。「天皇の治世」を奉祝する歌であり、「祝福を受ける人の寿命」 を歌う和歌を元にしている。1869年(明治2年)に薩摩藩の砲兵隊長・大山弥助(大山巌)が薩摩琵琶の『蓬莱山』にある『和漢朗詠集』異本の短歌を歌詞として選び、その後1880年(明治13年)に宮内省雅楽課が旋律を改めて付け直し、それをドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルトが西洋和声により編曲したものが、1893年(明治26年)の文部省告示以降、国歌として定着した。1999年(平成11年)に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に日本の国歌として法制化されており、世界で最も短い国歌の一つである。 (君が代 – Wikipedia)
関連エントリ
ツイッター (Twitter)
フェイスブック (Facebook)
8月11日 ガンバレの日 (日本)
8月11日 ガンバレの日 (日本)
関連記事
記念日 8月11日 / ガンバレの日 1936年のこの日、ベルリンオリンピックの女子200m平泳ぎ決勝で、日本の前畑秀子が優勝した。日本放送協会の河西三省アナウンサーによる「前畑がんばれ」と連呼した実況中継が日本中を沸かせた。 (8月11日 今日は何の日~毎日が記念日~)
8月11日 できごと / 1936年 – ベルリンオリンピックの女子200メートル平泳ぎで前畑秀子が優勝。実況の河西三省アナウンサーが「前畑頑張れ」を連呼。記念日・年中行事 / ガンバレの日(日本) 1936年8月11日に、ベルリンオリンピックの女子200m平泳ぎ決勝で、ラジオの実況をしていた日本放送協会の河西三省アナウンサーが前畑秀子選手に「前畑ガンバレ」と20回以上連呼し、日本中をわかせたことに由来。前畑は優勝し、日本人女性として初めての金メダルを獲得した。 (8月11日 – Wikipedia)
前畑 秀子(まえはた ひでこ、1914年(大正3年)5月20日 – 1995年(平成7年)2月24日)は、和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)出身の水泳選手。結婚後の姓は兵藤(ひょうどう)といい、「兵藤秀子」の名前でもよく知られている。 (前畑秀子 – Wikipedia)
河西 三省(かさい さんせい、本名読み:かさい みつみ、1898年(明治31年)9月16日 – 1970年(昭和45年)12月2日)は、日本のアナウンサー、実業家。昭和初期におけるラジオのスポーツ中継番組の実況アナウンスで広く知られ、現場を離れたのちはNHK浜松放送局長[2]、日本放送出版協会社長を務めた。 (河西三省 – Wikipedia)
関連エントリ
ツイッター (Twitter)
フェイスブック (Facebook)
8月11日 山の日 (国民の祝日 日本)
8月11日 山の日 (国民の祝日 日本)
関連記事
記念日 8月11日 / 山の日 山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する国民の祝日。2014年に「山の日」を制定する祝日法改正法が可決され、2016年から施行される。「海の日もあるなら山の日も」ということで制定運動が起こった。お盆前の8月12日とする予定だったが、日航123便墜落事故と同じ日であるとして反対され、8月11日とした。8月11日という日附に特に意味はない。 (8月11日 今日は何の日~毎日が記念日~)
8月11日 記念日・年中行事 / 山の日(日本) 2014年5月23日に改正祝日法が可決され、2016年より制定された祝日。趣旨は、山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。日本で8月の祝日制定はこれが初めてとなる。 (8月11日 – Wikipedia)
山の日は、2014年(平成26年)に制定された。祝日法(昭和23年7月20日法律第178号)2条では、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨としているが、山に関する特別な出来事などの明確な由来があるわけではない。「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律(平成26年法律第43号)」が2016年1月1日に施行され、8月11日は同年より国民の祝日「山の日」となった。2007年には「みどりの日」が5月4日に移動したことで4月29日は「昭和の日」に改称されたが、祝日の新設は1996年の「海の日」以来、20年ぶりとなる。この祝日が制定されたことで、祝日の制定がない月は6月のみとなった。なお、2020年は東京オリンピックの閉会式の翌日に当たる8月10日(月曜日)に変更される。 (山の日- Wikipedia)
関連エントリ
ツイッター (Twitter)
フェイスブック (Facebook)
2018年 日本カトリック平和旬間 (北見藤女子高等学校 生徒)
2018年 日本カトリック平和旬間 (北見藤女子高等学校 生徒)
関連記事
平和の祈りこめて折り鶴つなぐ 北見藤女子高の生徒6人 / 教会でボランティアに参加 / 北見藤女子高校の2、3年生6人が6日、カトリック北見教会で行われた折り鶴を束ねるボランティアに参加した。生徒達は平和への祈りを込め、鶴を糸でつないだ。日本のカトリック教会は毎年8月6日から15日までを「平和旬間(じゅんかん)」に制定。北見教会は同旬間に合わせて毎年、平和祈願ミサで平和の折鶴奉納を行うカトリック札幌教区に千羽鶴を送っている。同校では昨年から希望者を募り、北見教会で鶴に糸を通すボランティアに参加。今年は職員室前の「折り鶴ボックス」に集まった643羽と教会に届いた折り鶴を、信徒9人とともにつなげた。手分けして40羽ずつを糸に通し、色鮮やかな千羽鶴2束を完成させた。参加した3年生は「(折り鶴とともに)平和への思いが届いてほしい」と話していた。千羽鶴は札幌でのミサ後、広島、長崎、沖縄のいずれかの場所に送られる。(菊) (2018年8月9日の記事 経済の伝書鳩)
関連サイト
関連エントリ
ツイッター (Twitter)
フェイスブック (Facebook)
8月10日 聖ロレンツォの祝日 (流れ星にお願いをする日)
8月10日 聖ロレンツォの祝日 (流れ星にお願いをする日)
関連記事
8月10日 サン・ロレンツォの日 聖ロレンツォの聖名祝日。キリスト教が禁止されていた時代のローマで教皇の執事をしていたが、258年のこの日に処刑された。イタリアでは、この日の夜の流れ星はロレンツォの涙であるとされ、愛する人のために流れ星に願い事をするとかなうと言われている。 (8月10日 今日は何の日~毎日が記念日~)
『聖ロレンツォの祝日のために』(Per la Solemnità di S. Lorenzo )は、アントニオ・ヴィヴァルディが作曲した協奏曲。3つの作品にこの題名が付けられている。ヴァイオリン協奏曲 ヘ長調 RV.286、合奏協奏曲 ヘ長調 RV.556、合奏協奏曲 ニ長調 RV.562。 (聖ロレンツォの祝日のために – Wikipedia)
ローマのラウレンティウス (聖ラウレンチオ助祭殉教者、St. Laurentius M.、イタリア語:San Lorenzo martire、225年-258年8月10日)は、キリスト教の聖人である。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会すべてで崇敬される聖人で、ローマとロッテルダム、スリランカ、カナダの守護聖人。火傷・火災・熱病から守ってくれる保護者であり、また、菓子製造人、料理人、栄養士、メイド、宿の管理人、肉屋、ワイン・ビール醸造者、図書館員、兵器製造者、ガラス工、ステンドグラス製造者、コメディアン、学生などの守護聖人でもある。 (ローマのラウレンティウス – Wikipedia)
関連エントリ
流れ星にお願いをする日 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
ツイッター (Twitter)
フェイスブック (Facebook)
8月9日 ムーミンの日 (日本 世界)
8月9日 ムーミンの日 (日本 世界)
関連記事
記念日 8月9日 / ムーミンの日 トーベ・ヤンソン作の「ムーミン」を記念する日。語呂合せから6月3日がムーミンの日とされてきたが、ムーミン誕生60周年となる2005年、「全世界で通用する記念日を」ということでのトーベ・ヤンソンの誕生日である8月9日に改められた。 (8月9日 今日は何の日~毎日が記念日~)
8月9日 記念日・年中行事 / ムーミンの日(世界)トーベ・ヤンソンのムーミンを記念する日。元々日本のファンの間で、語呂合せから6月3日がムーミンの日とされてきたが、ムーミン誕生60周年の2005年に「全世界に通用する記念日を」との見解から、トーベ・ヤンソンの誕生日である8月9日をムーミンの日とすることとなった。フィンランドの著作権者も了承し、全世界共通で公式なムーミンの日となった。日本やフィンランドでは、毎年この日に盛大なイベントが行われる。 (8月9日 – Wikipedia)
ムーミン(スウェーデン語: Mumin、フィンランド語: Muumi、英語: Moomin)は、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンの『ムーミン・シリーズ』と呼ばれる一連の小説と絵本、および末弟ラルス・ヤンソンと共に描いた(次弟のペル・ウーロフ・ヤンソンもトーベと写真絵本を製作している。)『ムーミン漫画(コミックス)』作品の総称、あるいはそれらとそれらを原作とする二次著作作品の総称。または、同作品に登場する架空の生物の種族名であり、同時に主人公(主要な登場生物)の名前でもある「ムーミントロール」の略称あるいは愛称。 (ムーミン – Wikipedia)
トーベ・マリカ・ヤンソン(Tove Marika Jansson、女性、1914年8月9日 – 2001年6月27日)は、フィンランドのヘルシンキに生まれたスウェーデン語系フィンランド人の画家、小説家、ファンタジー作家、児童文学作家である。 (トーベ・ヤンソン – Wikipedia)
関連サイト
関連エントリ
ツイッター (Twitter)
フェイスブック (Facebook)
- Home
- 東アジア カテゴリのアーカイブ