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北見の歌 の検索結果: 5 件
いいね。北見市ホームページ!(Kitami, Hokkaido)
ワン・ストップ・サービス(one stop service)は、ひとつの場所でさまざまなサービスが受けられる環境、場所のこと。行政や商業において用いられる。 複数の部署・庁舎・機関にまたがっていた行政手続きを、一度にまとめて行えるような環境をワン・ストップ・行政サービス(one stop governmental service)と言う。 自治体(地方公共団体)では、役所内の窓口を一本化する総合窓口を導入して、市民にワン・ストップ・サービスを提供する取り組みが増えている。(Wikipedia)
安藤まり子のふるさとコンサート(北海道北見市)
安藤 まり子(あんどう まりこ、1929年(昭和4年)2月2日 – )は、日本の歌手。 北海道北見市出身。1945年(昭和20年)、終戦の年に上京し、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)卒業。1953年(昭和28年)には前年、コロムビアが行った全国歌謡コンクールの課題曲歌詞募集の入選作であった『毬藻の唄』が爆発的ヒットする。 1988年(昭和63年)秋、故郷の北海道北見市で初のリサイタルを開催。 2012年(平成24年)8月18日放映の「第44回思い出のメロディー」(NHK総合)に出演し、『花の素顔』を歌唱した。 代表曲は、「花の素顔」(共唱:藤山一郎)、「毬藻の唄」、「カチューシャの唄」。(Wikipedia)
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美幌の歌~大塚盈(みつる)
何時の日に 誰が作りしも 忘れゆく
永き命の 校歌となれよ大塚 盈
美幌医師会付属準看護学院
学院歌(さみどりの)
さみどりの 野辺は明るく
清き胸 風と香れり
つつましや 見取るこの知恵
学びては われら応えん陽に映える 白衣りりしく
使命 今 共に謳えり
いつくしや 高きこの技
磨きては われら果さん雪すさび 星は凍れど
励む者 ここに燃えたり
うるわしや 博きこの愛
祈りては われら捧げん作詞 大塚 盈 作曲 松田彰光
社団法人美幌医師会付属準看護学院
1966.4.1 開校
1968.3 第1期卒業生16人
1981.3 卒業式で学院歌発表
2006.3.4 最後の卒業式 第39期生17人
2006.3.31 閉校 これまでの卒業生715人
作詞の大塚盈さん(1904.11.25〜1981.5.4)は、
美幌の歌を数多くつくり、死去する直前に学院歌を作詞。
「さみどり(早緑)の」、これが遺作となった。
作曲の松田彰光さんは、大塚さんと25年間、
作詞作曲のコンビだった松田喜一さんの子息。
(網走南ヶ丘高校吹奏楽局音楽監督)
大塚さん〜美幌のうた
(ペンネーム 大塚郷湖 沖悠三郎 長岸豊など)
昭和12年
美幌町開基50年祭祝賀歌 応募(3位)作詞 沖悠三郎(33才)
開基50年記念歌「美幌町歌」作詞 大塚郷湖 作曲 須藤五郎 歌 塩まさる
「美幌小唄」作詞 大塚郷湖 作曲 須藤五郎 唄 美ち奴
「美幌小唄(2)」作詞 大塚郷湖 作曲 松田喜一 唄 美ち奴
昭和14年
「美幌観光音頭」作詞 大塚郷湖 作曲 松田喜一 唄 美ち奴
(美幌観光協会の依頼で美幌小唄2を美幌観光音頭に制定)
昭和15年
「美幌農林学校(第2応援歌)」作詞 大塚郷湖 作曲 中川則夫
(他に補作のも1つあり 昭和16年6月に校歌も作詞)
「上美幌国民学校」光永次郎の作詞を補作
昭和23年
「古梅小学校」作詞 大塚郷湖 作曲 不詳
昭和27年
「東陽小学校」作詞 大塚郷湖 作曲 新野仁助
昭和28年
「美幌音頭」作詞 沖悠三郎 作曲 古関祐而 唄 松田トシ
(開基66年 町制30年記念制定)
昭和30年
「美幌実科高等女学校」作詞 大塚郷湖 作曲 松田喜一
(昭26 栄森小中校の作曲は松田喜一)
昭和35年
「美幌小学校PTAの歌〜子供の朝」作詞 大塚 盈 作曲 千葉日出城
昭和56年3月
美幌医師会付属準看護学院歌「さみどりの」作詞 大塚 盈 作曲 松田彰光
昭和56年5月4日 逝去 76才
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