日本の竹久夢二の詩歌 宵待草



日本の竹久夢二の詩歌 宵待草

宵待草 日本の竹久夢二の詩歌 / 『宵待草』(よいまちぐさ)は竹久夢二作詞、多忠亮(おおのただすけ)作曲の歌曲である。50年たらずの短い生涯にわたり恋多き竹久ではあったが、実ることなく終わったひと夏の恋によって、この詩は創られた。多忠亮により曲が付けられて「セノオ楽譜」より出版され、一世を風靡する。「宵待草」 待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな
「宵待草」原詩 / 遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る 待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心もとなき 想ふまいとは思へども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬさうな
種の特定 / 本作の題名であり、歌詞にも記される「宵待草」とは、「マツヨイグサ属」の一種を指すものと考えられる。ただしマツヨイグサ属に属する種は多く、マツヨイグサ属のうちのマツヨイグサを指すものかどうかは断定できない。宵待草をマツヨイグサ属の種に分類されるツキミソウを指すものであるという説もある。 マツヨイグサ属に属する種の多くは夕刻に開花して夜の間咲き続け、翌朝には萎むことから、この花がはかなく一夜の恋を象徴するかのように描かれている。ちなみに、竹久自身の自筆記録(大正9年・日本近代文学館蔵・紙に墨書)においては「待宵草」となっている。いっぽう同じセノオ楽譜(No.106)の表紙であっても版により「待宵草(初版-4版)」「宵待草(5版以降)」の異なる2種類の表記がある。ある時期から竹久自身が音感の美しさにこだわって変更されたという説が有力である。
「宵待草」第2番(西条八十・詩) / 暮れて河原に星一つ 宵待草の花が散る 更けては風も泣くさうな(改稿前) 暮れて河原に星一つ 宵待草の花のつゆ 更けては風も泣くさうな(改稿後) (宵待草 – Wikipedia)

多忠亮 日本の作曲家、ヴァイオリン奏者 (1895-1929) //多 忠亮(おおの ただすけ、1895年(明治28年)5月3日 – 1929年(昭和4年)12月3日)は、大正期のヴァイオリン奏者・作曲家。 東京生まれ。旧制芝中学校(第8回生)を卒業し、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)入学。 宮内省式部職楽部所属の雅楽の家柄の出ではあるが、彼自身は洋楽に専心し、ヴァイオリンを専攻する。竹久夢二の「宵待草」の詩に感動、これに曲を付けて1918年(大正7年)セノオ楽譜より出版、またたく間に日本中の心をつかみ一世を風靡した。 (多忠亮 – Wikipedia)

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