美幌町身体障害者福祉協会の創立について(2)
美幌町身体障害者福祉協会の創立について(2)
美幌町身体障害者福祉協会の創立の記念日は 1950年(昭和25年)9月15日。1999年(平成11年)9月15日に刊行された 美幌町身体障害者福祉協会の創立50周年の記念誌「創立50年のあゆみ」より、座談会の内容を掲載いたします。
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座談会 / 美幌町身体障害者福祉協会50周年記念行事の一環として座談会を企画し、記念誌にその記録を留め後世に伝えたいと思います。議題として次の4項目について話し合って頂きたい。1. 略して身障協と言い、その生い立ちについて。2. 身障協の運営又は、活動についての苦労話。3. 色々な大会等に参加しての思い出。4. 今後の問題点等について。出席者 / 長野会長、鈴木協賛会長、佐野貢氏、新井義夫氏、磯崎清二郎氏、真鍋浅子氏、中村大吉氏、千葉与市氏、川原光晴氏、(司会)竹川孝明。
司会 ― それでは身障協の生いたちについて、会長さんからお願いします。
会長 ― 昔は農作業をするのに馬耕の時代で当時、湯浅馬具店にお世話になっていた時、湯浅さんから「身体障害者協会に入会しなさい。」と命令的に言われ入会したのですか、その当時は会長が、加藤豊吉さんで熊谷さんが副会長でした。障害をした当初は精神的に大きなショックを受けておったものですから会員の集いに参加して見ると自分の障害は軽い方だなあと思いました。熊谷さんは職務の関係で毎日ネクタイをしておりました。私は農家なのでネクタイはあまりした事がなかったが熊谷さんのネクタイをしめるのを見てすばやいのでビックリしました。やはり努力すれば出来るのだと、その時は痛切に感じたものです。
司会 ― 磯崎さん、お願いします。
磯崎氏 ― 昭和43年に湯浅さん会長の時に入会をすすめられて入会しました、竹内さんが副会長て、あの方は車の運転が出来るので全会員の宅を巡って努力された方です。当時、協会で正月用の〆飾りを注文取りして、300点も売り捌いた事もありました。何年も続いたのですが或る年、大雨にあって折角の〆飾りがだめになり、それを弁償した事などを記憶しています。
会長 ― その後、遠藤さんが実行委員の時こんな事を幾等やっても利益が薄いので失敗すると大変なことになると言うので、〆飾りの取り扱いはやめてしまった。
真鍋氏 ― 50年と言うと昭和25年にこの会が出来た事になるのですね。どうして、この会を作ったのですか。
会長 ― それまでは世界のいたる処で戦争ばかりしていて、死ぬもの、怪我する者が多い時代で、怪我をした人達は、我々は国の為に戦って負傷したので我々の権利を獲得するべく国連に働きかけて、国際障害者年が出来たのが昭和55年でした。我が国では、身体障害者法が制定されたのが昭和24年に出来ました。美幌の身障協が出来たのは、その翌年で早かったのです。最初は大庭不二雄氏が会長になられて、雪の中でも片足で松葉杖奔走し、大変御苦労されたと聞いております。大庭会長は網走支庁支部の支部長も務めていた。
磯崎氏 ― 塩田さんが会旗ををつくることを提案され、鈴木昭一さんと共に努力されてシンボルマークのたんぽぽの絵が仲々うまく出来なく、職人さんも頭をひねって出来上がる迄に再三、催促して4月の総会の日の朝、札幌から夜中を走りつづけて漸く届いたと言う思い出がありました。
真鍋氏 ― 大庭さんは会長を務めたのは何時頃ですか。
司会 ― 大庭さんは、昭和25年9月25日より31年3月31日まで6年間、務められた方です。
会長 ― 私が副会長で伊澤さんも副で、その時は熊谷さんが会長の時、昭和47年から平成2年まで務めさせて頂きました。熊谷さんが会長をしたのは49年まで2年間で次は伊澤さんが会長となり、平成2年まで16年間務め、私は平成3年から会長を会長を務めさせて頂いている訳です。
司会 ― 次に会の運営又は活動についての苦労話がありましたらお願いします。
会長 ― 相川さんが会計の時、劇団の前売券を皆に買ってもらうと言う事もあったね。幾ら手数料があったか知らぬが少しは会の運営に役立てた様です。
新井氏 ― 手帳を貰った方に会に入会してもらう様に歓めたが、なかなか会員の増強には苦労させられた。会に入ったから、入らないからって何も変わらない。会に入ったら何かメリットがあるのですか。と言われ、それには困りました。
会長 ― 会に入ったらメリットがあるのですかと聞かれ、メリットは無いけれど、会に入る事によって身障協の実情を知り皆と助け合って生きて行く事が一番のメリットではないですか。とお答えしているのです。
佐野氏 ― 私は最初は手帳は貰っていないでデパートに務めていたが、その後、手帳を貰い引き続き務めていたのですが身障者雇用率は1%にもならない。
新井氏 ― 身障者を雇用すると政府よりの上納金があるのです。私が最初は5級でしたが、その後審査をやりなおして、1級を貰いました。
中村氏 ― 級は医師が決定するし、種は医師は関係ないと言われました。私は、1級は貰いましたけれども。
会長 ― 1種1級とか2級は、極度に制限されるとなれば1級、著しく制限されるとなると3級になってしまう。
真鍋氏 ― 私の場合、旅行するのに大変困った事がありました。盲導犬をつれている為にホテルではだめだと言われる。
中村氏 ― 盲人だから行動するには迷惑をかけると思うから仲々行動できない。新年会には、グランドホテルでする様になってから出席していません。それと言うのも会場に連れて貰うだけではだめで、飲み食いするでしょう。それが困るのです。何処に何があると知らされても、食べることが出来ない。自分の皿に盛ってもらうと、自分の手で食べるけれど、他人が食べるものに手では触れては失礼になる。と言う事で懇親会等へは迷惑を考えると出席をひかえる事になります。
会長 ― 大野さんもカラオケに出て大きな声を出して、すっきりすると言っています。今日は中村ささんに良い事を言って呉れましたので、次の機会には介添者に皿に盛って上げる事にします。
司会 ― 色々聞かせて貰いましたが、次に種々大会に参加しての思い出を聞かせてくたさい。
会長 ― 中村さん、ゲーム大会には出席して頂いているでしょう。
中村氏 ― ゲーム大会には毎回出席しています。会計の野呂さんが手を引いて呉れるので何の不自由もありません。
川原氏 ― 中村さん、吉井さんも介添してあげると。
鈴木氏 ― スポーツ大会で、同じ種目で1位が2人も3人も有るのはどうしてなのかなあと不思議に思っているのですが。
中村氏 ― あれは良く知らないけれど、年令別ではないかと思います。
佐野氏 ― そうです。年令別です。大野さんに言うのです。大野さんは走るのは早いです。及川さんも早いです。
川原氏 ― そうです。年令別です。大野さんに言うのです。大野さんは走るのは早いです。及川さんも早いです。
川原氏 ― 6月になったらスポーツ大会の練習をするのです。今年は美小のグランドで行いま
す。柏ヶ丘は工事中ですので、中村さん練習に出て来て下さい。
会長 ― 千葉さん、ふれあい広場には何時も大変お世話になっていますが何か一言聞かせて下さい。
千葉氏 ― ふれあい広場は毎年社協の年中行事で、身障協も参画させて頂いて奉仕しているが、良い事ではないかと思っています。
鈴木氏 ― ふれあい広場ですけれど、今年は管内のスポーツ大会とぶつかっているので両方にそれぞれ参加者が別れて出るので、スポーツに出る者はスポーツで残った者はでがっちりと頑張って行きたいと思います。
会長 ― ゲーム大会には町関係及び議員の方にも全員案内して、広く身障協の事業に対して認識してもらう様に務めています。
司会 ― それでは次に、今後の問題点等について皆様のご意見を聞かせて下さい。
佐野氏― 若い方に入って貰いたいと思います。これからは会の運営等についても若い世代の方に移行していってまらいたいと思いますが、仲々入ってもらえないのが現状です。
中村氏 ― やはり、ピーアールが必要でないかと思います。私が入会したのは伊澤君に言われて入会した訳で、彼とは同級生でもあるし、それでなければこう言う会がある事も知りませんでした。ピーアールが大事ですね。
会長 ― 役場の職員にも身障協の姿等を良く説明し、手帳を新たに交付する者に対して、身障協に加入してもらう様、働きかけております。それに年度の初めには予算を少しでも増額してもらう様にお願いをしております。私も気短い方ですので、伊澤会長の次の会長を受けた時など役場の職員と話し合いした時、仲々思い通りに予算を呉れないので喧嘩して帰った事がありましたが、あとでちゃんと予算付けして呉れました。
司会 ― 色々長時間に亘り、ありがとうございました。(創立50年のあゆみ 美幌町身体障害者福祉協会)
国際障害者年(こくさいしょうがいしゃねん)とは、国際連合が指定した国際年の一つ。1981年を指す。内容 / テーマは「完全参加と平等」で、主な内容は下記の通り
障害者の社会への身体的及び精神的適合を援助すること。障害者に対して適切な援護、訓練、治療及び指導を行い、適当な雇用の機会を創出し、また障害者の社会における十分な統合を確保するためのすべての国内的及び国際的努力を促進すること。障害者が日常生活において実際に参加すること、例えば公共建築物及び交通機関を利用しやすくすることなどについての調査研究プロジェクトを奨励すること。障害者が経済、社会及び政治活動の多方面に参加し、及び貢献する権利を有することについて、一般の人々を教育し、また周知すること。障害の発生予防、および、リハビリテーションのための効果的施策を推進すること。(国際障害者年 – Wikipedia)
国際障害者デー(こくさいしょうがいしゃデー、International Day of People with Disability)は、障害者問題への理解促進、障害者が人間らしい生活を送る権利とその補助の確保を目的とした記念日。1982年(昭和57年)12月3日に、第37回国際連合総会において「障害者に関する世界行動計画」が採択されたことを記念して、1992年(平成4年)の第47回国際連合総会において宣言された。毎年12月3日。国際デーの一つ。(国際障害者デー – Wikipedia)
障害者の日(しょうがいしゃのひ)は、1975年12月9日国際連合の第30回総会において「障害者は、その障害の原因、特質及び程度にかかわらず、市民と同等の基本的権利を有する」という障害者の権利に関する決議(障害者の権利宣言(Declaration on the Rights of Disabled Persons)、国連総会決議3447)が採択された日である。1981年11月28日に、国際障害者年を記念し、日本の厚生省国際障害者年推進本部が12月9日を障害者の日とすることを決定した。2003年12月3日公布された障害者基本法においても12月9日を障害者の日とすることが法律上定められたが、2004年の同法改正により、国際障害者デー(12月3日)から12月9日までの1週間を障害者週間とすることが法定されたため、現行の障害者基本法には「障害者の日」の名称は残されていない。(障害者の日 – Wikipedia)
障害者週間(しょうがいしゃしゅうかん)とは、日本国民の間に広く障害者の福祉についての関心と理解を深めるとともに、障害者が社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に積極的に参加する意欲を高めることを目的とした週間である。期間 / 1995年(平成7年)6月27日に、当時の総理府(現内閣府)障害者施策推進本部により12月3日から12月9日までの1週間と定められた。これは国際障害者デーであり、また障害者基本法の公布日でもある12月3日を起点とし、障害者の日である12月9日までの1週間と定めたものである。2004年の障害者基本法改正により、12月3日–12月9日を障害者週間とする旨が法律に明記された。(障害者週間 – Wikipedia)
身体障害(しんたいしょうがい)とは、先天的あるいは後天的な理由で、身体機能の一部に障害を生じている状態、あるいはそのような障害自体のこと。手・足が無い、機能しないなどの肢体不自由、脳内の障害により正常に手足が動かない脳性麻痺などの種類がある。視覚障害、聴覚障害、呼吸器機能障害、内部障害なども広義の身体障害に含まれる。先天的に身体障害を持つ場合、知的障害等を併せ持つことがあり、これを重複障害という。また複数の種類の身体障害を持つことを指すこともある(肢体不自由と視覚障害を併せ持つなど)。「しょうがい」の本来表記が「障礙」であり、現代表記にあっても「障碍」であるとして「障害」を当てることは適当でないとし、「障がい」と交ぜ書きをしている企業や自治体もあるが、日本では1945年内閣告示の当用漢字表と1956年の国語審議会報告「同音の漢字による書きかえ」によって「障碍」の表記が公的に否定され「障害」に一本化されており、2010年6月7日に文化審議会国語分科会より文部科学大臣に答申された改定常用漢字表では、2009年3月と11月の2回にわたり実施されたパブリックコメントで「碍」の追加を要望する意見が多数にのぼったものの審議の結果「碍」の追加を拒否する方針が決定されている。かつて日本では「かたわ(片端、片輪とも)」「不具者(ふぐしゃ)」などとも呼ばれていたが、現在ではこれらの言葉は差別用語・放送禁止用語として扱われており、障害箇所を嘲笑的に扱うことなども、放送番組や出版物はおろか、日常会話でも使われることはほとんどなくなっている。(身体障害 – Wikipedia)
身体障害者手帳(しんたいしょうがいしゃてちょう)とは、身体障害者がそれを対象とする各種制度を利用する際に提示する手帳で、身体障害者が健常者と同等の生活を送るために最低限必要な援助を受けるための証明書にあたる。「身体障害者手帳」を省略して「身障者手帳」と呼ばれる場合もある。身体障害者福祉法第15条に基づき、対象者の居住地の都道府県知事が発行する。ただし、対象者の居住地が政令指定都市か中核市である場合はその政令指定都市・中核市が発行する。援助内容は補装具・義肢の交付など有形のものから、ヘルパーサービスなど無形のものまで多岐にわたる。これとは別に、知的障害がある者に関しては療育手帳が、精神に障害がある者に関しては精神障害者保健福祉手帳がそれぞれ存在する。(身体障害者手帳 – Wikipedia)
ノーマライゼーション(英語: normalization)とは、1960年代に北欧諸国から始まった社会福祉をめぐる社会理念の一つで、障害者も、健常者と同様の生活が出来る様に支援するべき、という考え方である。また、そこから発展して、障害者と健常者とは、お互いが特別に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方としても使われることがある。またそれに向けた運動や施策なども含まれる。概要 / 弱者を社会的に保護する仕組みが福祉だが、歴史的に障害者施策は施設の建設から始まることが多く、障害者や他の対象者(こども等)にとって、保護が当事者の要求に応えられていない・人としての尊厳が保たれていない状況(障害者の施設送り・児童施設等)が往々にして起った。また福祉を名目に対象者の隔離が計られることも多かった(ハンセン病療養所など。また日本での障害者コロニーの建設のピークは高度成長期であった)。また日本での福祉施策は行政措置により行われ、障害者の意志が尊重される事は無かった。それに対して提唱されていたのが、「障害者を排除するのではなく、障害を持っていても健常者と均等に当たり前に生活できるような社会こそが、通常な社会である」という考え方である。こうした社会を実現する為の取り組みをノーマライゼーション(normalization)と呼ぶ。すなわち、バリアフリー化などの推進による障害者の蒙る不自由・参加制約の緩和である。(ノーマライゼーション – Wikipedia)
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加藤 雅夫 より 2018 年 7 月 26 日 17:55