世界の音楽療法の情報 (2014.10.10)
伊賀音楽療法研究会からのメールマガジンです。(2014.10.10)
「世界の音楽療法の情報」 (2014年 10月10日)
“Information of music therapy in the World” (October 10, 2014)
JMTSPアメリカ音楽療法だより(101)
今回もご機会をいただき、有り難うございます。カリフォルニア州マウンテンビュー在住、アヤセ サックスマンです。一人娘の子育てに奮闘しつつ、パートで音楽療法、ピアノレッスン、そしてベビー(0歳~4歳)たちとグループ親子教室を行っております。毎回のセッションが新発見の連続で、沢山勉強させていただいております。アメリカ生活も早15年。特に音楽療法(MT)に出会ってからの私の人生は大きく変わりました。MTを通して、クライエント様たちの目標達成やQOLの向上の手助けさせていただく様に、私にとってもMTは自分の人生に大きな影響を与え現在の自分に至る為の素晴らしい「療法」でした。今回の投稿では、MTが私の人生をどう変えてくれたのか「Influence of MT in my life: 自分自身への音楽療法」と言うお話をさせてください。そうすると自分の恥ずかしい過去をお話する事になるのですが、どうぞお付き合いください。
私は小さな頃から自分が大嫌いでした。容姿にコンプレックスを持ち、人前に出るのが嫌で、自分は周りと違うという劣等感が常にありました。4歳頃から、母は毎日のように色んな習い事をさせてくれました。しかしどこも居心地が悪く、唯一安心して続けられたのはピアノの個人レッスンでした。人の目線がとにかく嫌。中学高校と進むにつれ自分への劣等感は益々強まり、自尊心の低い内向的な人間になりました。周囲の出来事や流行より自分の世界に浸るばかり、他人とのコミュニケーションは出来るだけ避けたい。絵を描いたり想像の世界に耽っていたものでした。そして外で自由を感じられない分、家ではその反動か、自己中心的で荒れた人間になっていました。
4歳に始めたピアノ。少し周りより出来るという事で、先生も両親も中学頃から音大にむけて本格的に続ける事を強く望みました。その頃の私にとってピアノは好きなものではありませんでしたが、ピアノを弾くと周りが「おお!すごいじゃないか!」と普段とは違う目で私を見てくれたので、こんな私にも何か取り柄があるのだと思える希望の糸でした。ピアノを弾く事、それは私が持つ「唯一の価値。」でした。18歳の終わり、単身アメリカへ留学。世間知らずの私の初めの3年は失敗だらけでした。まず寮生活ができない。他人と同じ空間で共同生活することに耐えられず、英語力も足りずで、1学期終わってすぐ学内アパートに引っ越し一人暮らしを始める始末。自己表現、自己主張ができずクラスでも気付かれない存在に。そんな私を気遣ってくださる教授もいましたが、発言をしなければ欠席と同じだという授業もあり、クラスの成績に大きく響きました。アメリカでもピアノが唯一「周りに気付いてもらう為の手段」でした。人前で弾くのは酷く緊張しますが、その後の観客からの拍手は気分の良い経験でしたし、自分に自信を与えました。アメリカで初めについたピアノ教授はとても厳しく、抑圧的で無理な課題ばかり出す方でした。多くの生徒は文句を言い、彼女から離れていきましたが、私はなぜか「評価が落ちる、がっかりされる」事を恐れ、ただ言われるままに「はいはい」とついて行き、毎日練習室に籠って期待に答えようと必死でした。毎週のレッスンが恐ろしく、「間違ってはいけない、練習が足りない・・完璧でないと。」と取憑かれたようでした。かろうじて期待に答えても課題は増え続けるばかり。一体毎日どれだけの楽譜を持ち歩いていたのでしょうか。限界を超えていたのに「NO」と言えず自分に必死すぎて周りをみる余裕がありませんでした。少ない睡眠時間、偏った食事、授業以外の時間はただ練習室に籠り滅多に外出しない毎日。一日のスケジュールは決まっており、それが狂うと酷い苛立ちと不安を感じました。「変な子」と周りに言われていたそうです。既に精神的に病んでいたのでしょうが、自分で気付かない・・と言うのと、そうでないと思いたかったんだと思います。親にも自分の抱える問題を話さず成功した事だけを伝えていました。そんな大学生活が3年続いた頃、当然と言うべきか心身共に崩れ落ち、休学、日本への一時帰国と言う結末に陥りました。
「自分は負け犬だ。人間としても故障した」鬱の負のスパイラルに苦しみ、周りに耳を傾けられず、目的を無くした引き蘢り生活が始まりました。しかし両親は私を病院に連れて行ったり薬を飲ませようとはしませんでした。「ゆっくり時間をかければいい。心は薬では治らんから。」自分を許せなかった。でも自分の非を指摘されるとカッとなり両親や周りを責め立て自分を守ろうとしました。今まで溜まっていた自分の悩み、怒り、悲しみ、全てを彼らにぶつけ、大喧嘩の毎日でした。
不安定な日々が数ヶ月過ぎましたが、自分自身を考える時間がたっぷりありました。少し落ち着いて来た頃、両親が言いました。「ボランティをしてみたらどうや?自分の事に精一杯やったし、今度は人の為に何かをする事を考えてみ。仕事じゃあかんで、ボランティアやから大切。見返りを期待せず純粋に人の為に何かをする事を考えなさい」と。それは老人ホームで高齢者の方とお話をしたり、ピアノを弾いて歌を歌うことでした。あぁ、嫌だ・・・そう思いましたが、このままでも駄目な事は分かっていました。こんな自分を変えなければ。この決心が負のスパイラルから抜ける第一歩となりました。童謡や唱歌をピアノで弾くことしか思いつきませんでしたし、グループをリードしたりアクティビティをする事も知りませんでした。ただピアノを弾き、聴かせるだけ。介護士の方から「弾くのちょっと早すぎるかな」とフィードバックをいただき、はっとしました。私はただピアニストとして演奏しにきていたが、それでは駄目なのだと。ただ聴いているだけでなく、彼らは一緒に身体を揺らしたり、手を叩いたり、口ずさんだり、流れて来る音楽を彼らの中でプロセスしているのであり、相手のペースもみなくてはいけない、私から聞き手への一方通行ではなく、一緒に音楽を作り上げる必要がある事。周りにもっと目と耳を向けなければいけない事に気付きました。選曲の順番も大切だと気付きました。「昔の歌はええわね!胸に突き刺さる。涙が出てきます。」とおっしゃる方がいました。「音楽が心に響く」というのはこういう事なのかなと発見しました。その後母親の知人から音楽療法という分野があることを知り、自分の再出発を決意。日本で勉強することを両親は薦めましたが、アメリカで最後までやり遂げたい、と言う気持ちを理解し、支えてくれました。
穴だらけの私の人格と人生。新しい環境での再出発。音楽療法のクラスは当然クラスメートや教授とのコミュニケーションは避けれぬ道。しかし自分のアピールを暖かく受け入れてくれる環境、教授の親身になって自分の事を理解しようとしてくれる忍耐とアドバイス、そしてお互いの意見を尊重し合い助け合えるクラスメート達。ポジティブな環境の中で初めはその新鮮さと今までの生活との違いに圧倒され、酷い疲労を感じましたが、自分の中にも小さな希望が生まれはじめました。授業で自分の好きな音楽とそれが自分にとってどんな意味があるのかという発表をした時は、音楽の裏に隠された他人の物語を聞く事でその人の性格背景が良く見え、相手の事を良く知る素晴らしい方法だと思いました。また授業で様々な障がいと療法の知識を得る事は、自分自身の発見と分析になりました。「私は誰なのか」自分で自分を観察するようになり、嫌いな自分を受け入れようと努力しました。
「行動しよう。」私は外へ出始めました。今まで避けて来た人と接する機会を多く作り、参加しました。自分の行動に対する相手の反応が怖くてぎくしゃくしてばかりでしたが、人間観察を続けました。こんなとき、人はどうやって返事するんだろう、どんな態度をとるんだろう、どんな反応をすれば相手は喜ぶんだろう。MTセッションの実習の時も、教授とクラスメートのどんな言葉や行動がクライエントの気持ちを魅くのだろうと観察しました。そして吸収したものを初めはそのまま真似をし、少しずつ時間をかけて私らしく磨いて行けるように何度も挑戦しました。真似ばかりし過ぎて、「一体私はどんな人間になりたいのか・・」と混乱し悩む時もありました。「私」と言うものに出会うには長い時間が必要でした。在学中の実践経験で、沢山のクライエントたちに出会いました。彼らと接して行く中で様々な障がいを持ちながらもそれを受け入れ前向きに生きる人、「だからどうした」と強く生きる人、才能を活かし輝く人、彼らのパワーに刺激され、私も前向きになれる気がしました。ピアノ演奏にも変化がでました。新しいピアノ教授と初めてレッスンを行った時、彼女の初めのコメントは、「まぁ!一音も間違えずよく完璧に弾いたわね!。でも・・あなたの音はなんていうか、う~ん・・とても機械的・・。強弱や記号も楽譜の通りに弾いてるけど、まるでプログラムされた様でつまらない。それにあなたは自分の為だけに弾いているのか音が籠っている。」でした。衝撃的でした。自分の人間性を見透かされたようで。音は全てを語ると言わんばかりに。私は今まで教授の言われた通りに弾き、真似してきました。しかし、自分の表現と意志はとても弱いのだと自覚したのです。彼女は「自分に向かって弾く音」と私の演奏を聴いて!と「外へ向かって弾く音」の違いを聴かせてくれました。同じピアノから出るのに音の広がりが全く違ったのです。私な彼女の音に感動し、彼女とのレッスンが大好きになりました。練習が足りなかったり、弱音を吐くと厳しく怒られたけれど、自分の意志とやる気を見せればぐいぐい引っ張ってくれる方でした。徐々に「この曲が弾きたいです!」と自分で選曲するようになりました。今までピアノは「私はここにいます。気付いてください」という信号でした。でも徐々に「私の演奏を、私の思いを聴いてください。これが私だーー!!」という自分から発信になったのです。そして音楽が「音が苦」ではなく、「音楽」になりました。
音楽は楽譜通り弾けるだけじゃつまらない、心が無ければ。セッションもどんなに面白い歌を選曲しても療法士に心がこもっていなければ上手く伝えられないのと同じように。セッションで一緒に音楽を奏でる時、常にクライエントのリズム、呼吸、反応、タイミング等をみながら一緒に音楽を奏でて行くのは言葉の無いコミュニケーションで、「音楽を奏でる」というチームワークから様々な会話と繋がりが生まれます。そこへ至るまでの過程が大変なこともありますが、成功した時は何倍も嬉しく思います。その繋がりが楽しく思えるようになり、進んで他の楽器奏者の伴奏を引き受けるようになりました。一緒に演奏すると、その人の癖、リズム、音質、緊張、様々ものが伝わってきてワクワクしました。二人三脚みたい、一緒に社交ダンスをしているみたい。波長が合うと、弾き終わったあと、奏者と二人で「あぁ~!すごい弾きやすかった!リサイタル上手く行きそうだね!」と笑顔ですっきり。そういった発見が私を成長させてくれました。様々な人と出会う度、沢山の事を学びました。
遅れ気味だった英語力も伸び、大変だった実習も少しずつ慣れて行き、卒業,研修、そして就職。MTを初めてからの人生は自分への「療法」そのものでした。人と接する事が楽しいと思え、自分の限界、能力、自分自身を素直に受け入れられるようになりました。馬鹿なりにここまで頑張って来た自分、1つの事をやり遂げた自分を少し好きになれました。毎週のセッションでは大きな変化が見られなくても、1年前、2年前に比べれば大きな変化と成長に気付くように、それを自分にも信じ、「自分には才能が無いから諦めたい」と思う時は、「いやいや、ここで辞めてしまえば完全に止まってしまうのだから進歩が無いように見えても、自分のペースで続けていこう」と進み続けています。そうすれば1年前の自分より成長している姿が見られるからです。たとえ小さな進歩であっても、停滞と後退ではないから。うさぎと亀なら、私は亀なのです。だから人より何倍も努力しないと学べません。でもそれで良いのだと思います。自分のペースで行く事も大事だと思えるようになりました。そして「私とはこういう人間。これが私の音楽療法、これが私の信念だ」と自分自身を築き表現出来るようになりました。
私の人生を大きく変えてくれたMTと人々に心から感謝しています。私は自分がMT勉強と実践をする事でGeneralization ができました。今の自分に至るまで長い道のりでしたが、まだまだ勉強し続けて行きたいと思います。そしてこれからも音楽を通してクライエント様のお手伝いが出来ればと願っています。
長々と書きましたが、最後まで目を通してくださり有り難うございました。日本は紅葉が美しい季節ですね。皆様ご壮健にお過ごしくださいませ。いつか学会等で皆様とお会い出来る日を楽しみにしております。 ayase.saxman@gmail.com
[編集後記]
去る9月19~21日の3日間、名古屋国際会議場において第14回日本音楽療法学会学術大会が開催されました(18日は講習会)。 今回は東海支部での開催でしたので、伊賀の研究会からは通常の参加のほかに会員ボランティアとしても多数参加させていただきました。大会運営の大変さを目の当たりに経験し、普段とは異なる緊張感のなか貴重な3日間を過ごすことができました。
また先週末の10月4日には、伊賀音楽療法研究会主催アイリッシュハープ奏者みつゆき氏による演奏とお話しの会を、ふるさとの森会館で開催しました。こちらも多くの参加をいただき、素敵な癒しの時間となりました。(よ)[伊賀音楽療法研究会メールマガジン]
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関連サイト
Japanese Music Therapy Students & Professionals (JMTSP) – Ameba
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Japanese Music Therapy Student & Professionals
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関連エントリ
Eye-hand Cordination(JMTSPアメリカ音楽療法だより)
masaokato.jp/2012/02/12/083810
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