海軍特設砲艦「第二号新興丸」
- 2012年09月02日(日) 10:07
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小笠原丸(おがさわらまる)とは逓信省の海底電纜敷設船で、初の国産敷設船である。1,397トン。東京から小笠原諸島経由でグアムに接続する太平洋横断海底ケーブルの敷設を主目的に建造されたため「小笠原」と名付けられた。いわゆる三船殉難事件で沈没、多くの犠牲者を出した事で知られる。 (Wikipedia)
三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)とは、第二次世界大戦末期(日本の降伏文書への調印予告、および軍隊への停戦命令布告後)の1945年(昭和20年)8月22日、北海道留萌沖の海上で樺太からの婦女子を主体とする引揚者を乗せた日本の引揚船3隻(小笠原丸、第二新興丸、泰東丸)がソ連軍の潜水艦による攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった事件を指す。三船遭難事件とも呼ばれる。(Wikipedia)
連載 語り継ぐ戦争 (完)
樺太から引き揚げ時 母の決断で命拾い
北見市端野町の男性(77)は昭和20年8月20日深夜、旧樺太・大泊(コルサコフ)から家族8人で引き揚げ船の第二新興丸に乗船。22日、潜水艦の魚雷攻撃を受けながらも、家族は全員無事、留萌港に上陸できた。船上での恐怖体験を昨年、端野しらかば大学の文集「あゆみ」につづると同様の体験者から大きな反響があった。「生かされている」という思いを強くして今年、第2弾に挑戦した。
端野・男性(77)
先発・小笠原丸は魚雷で撃沈 乗った第二新興丸は留萌に
潜水艦から攻撃…恐怖の時間 敵艦に砲弾命中で難逃れる
引き揚げ船に乗船しようと大泊港はおびただしい人でごった返していた。岸壁に小笠原丸と第二新興丸が横付けされ「逓信省の小笠原丸が出航するので郵政関係の家族は早く乗船するように」と放送が流れた。兄が郵便局に勤務していたことから、郵政関係家族として乗船できたが、母が「郵便局からなんの連絡ももらっていないのだから独断で乗船すべきでない」と姉達の声を抑え、乗船を見送った。第二新興丸への乗船を選択した。これが運命を分けるカギとなった。
小笠原丸は引き揚げ者1514人を乗せて出航し、稚内港で887人が下船した。稚内から6人が乗り込み、633人が小樽港に向かったが増毛沖で潜水艦の魚雷攻撃を受け海中に姿を消した。生存の引き揚げ者はわずか20人。
「母の決断の重さを感じずにはいられません」と男性。家族8人で母の実家のある福島へ向かう予定だったため、もしも小笠原丸に乗っていれば家族全員が生存者の中に含まれていたとは到底考えられないという。
男性家族が乗船した第二新興丸も潜水艦の魚雷攻撃を受けた。機関銃により甲板にばたばたと人が血を流して倒れた。妹と鉄壁の陰に隠れ、恐怖の時間が続いたが、砲弾が敵艦に命中し、何とか留萌港に到着した。
家族で民家に泊めてもらい「住まいや仕事の世話をするから、福島にいかず、ここで生活しなさい」とやさしく声をかけられ「ありがたい」と人の心の温かさを感じた。
昨年のしらかば大学の文集に第二新興丸での体験を記したところ、多くの人から声を掛けられ、電話がかかってくるなど大きな反響があった。
男性と同じ第二新興丸に乗船していた北見市内在住の70代の女性は母と妹を亡くしたという。「当時12歳の彼女の途方に暮れた悲しみを思うと胸が痛くなる」としみじみ語る。また、小笠原丸に乗船、稚内で家族と下船し、九死に一生を得た市内の女性は、しらかば大学の活動日に男性のもとを訪れるほど。
今年の文集のコピーや手紙を送るなど交流が続いている。「共通体験者というか、戦友の感覚ですね」。
男性は「私は生かさせていただいている。せっかくの命、大切に使わせてもらいます。人の役に立てれば」とボランティア活動に汗を流している。 (成)
北見 網走 オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩
2012/08/31掲載(北見市(端野町)/本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=63985
関連動画:
あの時のことは、何故忘れ去られたのか?11/13 – YouTube
関連サイト:
『語り部』海外からの引揚体験者の声 – ビデオライブラリー – ライブラリー – 平和祈念展示資料館
http://www.heiwakinen.jp/library/video/kataribe3.html
1708プラス実行委員会オフィシャルサイト
http://www.1708plus.com/
斉藤莞爾さん(72) – 戦後60年 ~戦禍の記憶~
http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/senkanokioku/no08/06.php3
三船遭難(留萌市)
http://rumoifan.net/shun/1008/100813sansen-rumoi.htm
中攻とともに戦った一年 北千島から比島まで
http://www.aramant.com/chuukou/page04_03.html
関連エントリー:
“I am a thousand winds that blow” – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/2011/08/31/001152
語り継ぐ戦争 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/語り継ぐ戦争
樺太の戦い の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/樺太の戦い
第二振興丸 の検索結果 – 美幌音楽人加藤雅夫
http://masaokato.jp/第二振興丸
サハリン の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/サハリン
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加藤 雅夫
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