この歌と語りに耳を傾けてください!(終戦記念日に)
- 2012年08月15日(水) 11:43
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今日(8月15日)は、終戦記念日。(日本)
日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催している。正午から1分間、黙祷が捧げられる。(Wikipedia)
写真は、玉音盤(玉音放送で流された、天皇の肉声(玉音)を録音したレコード盤)。(NHK放送博物館所蔵)
音楽動画は、花嫁人形。(歌:倍賞千恵子)
連載 語り継ぐ戦争 (1)
網走・男性(91)「命あるうちに、島を返して」
私の命あるうちに、島を返してほしい-。網走市の男性(91)は北方領土の元島民。ロシア軍の侵攻により戦後、古里・択捉島を追われた。望郷の思いは募るばかりで「私の中で戦争はまだ決着がついていない」と語気を強めている。
戦後、古里の択捉島を追われ
「私の中で戦争はまだ終わっていない」
択捉島の入里節(イリリブシ)育ち。豊富な漁業資源などに恵まれ、家族9人幸せに暮らしていた。しかし、昭和14年に戦争が始まり兄が召集。中国・上海で23歳の若さで戦死した。
「当時の日本の若者は『お国のため』が合言葉。兄の死は『名誉の戦死』で私自身、兄の敵打ちとしてすぐに兵隊に志願しました」と振り返る。
志願兵として昭和16年から4年間、中国などで戦った。銃弾に倒れる仲間を目の当りにしながら、命がけで国を守り満期で除隊となり、択捉島に帰郷した。
20年8月15日に終戦。玉音放送で敗戦を知った。「信じていたものが一瞬で無くなり、頭の中が真っ白になりました」と振り返る。
8月31日にはロシア軍が上陸。あっという間に占領され、カラフト(現サハリン)を経由し函館まで逃げた。
網走に暮らして64年経ったが、今も思い出すのが択捉島。千島歯舞諸島居住者連盟網走支部の役員として長年、領土返還に力を尽くしているが、未だ返還の気配はない。
「戦争を起こした国に恨みはないが、古里だけは返してもらいたい。それまでは私の戦争は終わりません」と話している。 (玲)
北見 網走 オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩
2012/08/06掲載(網走市/本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=63357
連載 語り継ぐ戦争 (2)
戦地に送られた家族写真
太平洋戦争末期の昭和19年秋、1枚の家族写真が北見市常呂町岐阜にあった農家の前庭で撮影された。その写真は戦地、フィリピンで従軍している父親の元に届けられた。もう1枚の写真を今も大切にしているのが、その兵士の長男で現在、市常呂に住む男性(69)。撮影当時、1歳半。「幼く父親像はありませんが、この写真がきっと父を励ましたのでは」と語る。
常呂・男性(69) フィリピンで従軍の父の元に
昭和18年1月、男性は5人家族の長男として生まれた。戦時中、男性はまだ幼く、当時のことは後に母親や親族から話を聞いたという。
19年6月、父親が召集され、海軍に入隊した。父親は体が小さく、過去の兵役検査で見送られていたが、今回は戦況が悪化する中での召集だった。「出征という時にもかかわらず、ぼろぼろの軍服姿だったそうです。家族を残し、どんな思いで列車に乗ったのか-」
その年の9月、旧・常呂町役場の「兵事係」という職員が自転車で訪れ「出兵先に普段のままの家族の姿を届けたい」という話で、カメラを向けたという。野良着姿の母親は大黒柱を失い、独りで農作業に明け暮れる毎日だったという。
その後、その写真は母親の元にも届けられた。父親は昭和19年12月に米軍との激戦地であったルソン島に派遣されたという。
20年3月20日、春の農作業の準備をしていると、兵事係が戦死の報を持って男性の自宅を訪れた。言いようのない悲しみが家族に降りかかったのだろうが、男性にとって、その幼さがつらさとの対峙を阻んでくれた。
この写真の姉は緊張し、戸惑いの表情を浮べている。母は家族を守る強ささえ感じさせる。そして男性は、くったくのない笑みを浮べている。
「今となって父の手にこの写真が届いたかどうか、知る術(すべ)はありませんが、きっと父は毎日、この写真を見て、さわって古里と家族を思い出していたのでしょう」 (澄)
北見 網走 オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩
2012/08/09掲載(北見市(常呂町)/本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=63452
連載 語り継ぐ戦争 (3)
北見市常呂 唯一の戦争遺跡
北見市東浜にある常呂森林公園北側の丘に、終戦間近に着工されたとみられる戦争遺跡が2カ所、残されている。現在は幅20メートル、深さ5メートルのくぼ地があるだけだが、当時、米軍艦艇の接近や上陸を監視するための監視棟と機関銃座を建設していたとみられている。建物は未完成に終わったが、昭和20年7月の網走空襲の際、常呂でも戦闘機からの銃撃事件があり、戦争末期の切迫した状況がうかがえる、数少ない戦争の手がかりとなっている。
常呂森林公園北側2カ所にくぼ地
終戦間近に着工か「戦争忘れない貴重な資料」
長く旧・常呂町の歴史を調べている、北見市史編集委員(64)によると、戦争遺跡が最初に確認されたのは昭和46年に行われた東京大学の大島遺跡(5000~1000年前)の地形調査で、当時の地形図に「人工物」として2カ所、記載されている。位置は現在の常呂森林公園パークゴルフ場北側の林縁部から数百メートルの尾根づたい。標高は55~65メートルの高さで周囲に木はあるものの、能取岬から西側一帯の海を一望できる場所にあり、監視や応戦をする上で重要な位置にあったという。
常呂小学校記念誌の記述では、昭和20年5月~9月、陸軍の暁(あかつき)部隊が小学校に駐屯していたと、記されている。北見市史編集委員は「この間に監視棟などの施設建設が進められ、終戦後にその痕跡を隠すために埋め戻していたのでは」と推測している。
常呂町百年史には、沿岸の監視目的の小屋が、現在の中央児童公園(旧・小高神社跡)にあったとされているが、その痕跡はなく戦争遺跡としては東浜の痕跡が唯一の存在とされる。
北見市史編集委員は「大島遺跡の調査が東京大学の手で今夏から始まります。かつてのこの調査記録から戦争の証拠が見つかり、複雑な思いはありますが、現在の市民にとって戦争を忘れない貴重な資料なのでは」と話している。 (澄)
北見 網走 オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩
2012/08/10掲載(北見市/本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=63485
連載 語り継ぐ戦争 (4)
平和の尊さ紙芝居で訴え
チョーン、チョーンと拍子木の音が8月の空に響き渡る。8月15日の「終戦の日」にちなみ、子ども達に自作の紙芝居をみてもらう会が、がいとう紙芝居を行った。14回目を迎える今年も生命と平和の大切さを考えてもらいたいと、まつりで賑わう北見市内の“街頭”でオリジナル作品やクイズなど8作を上演した。
子ども達に自作の紙芝居をみてもらう会
「終戦の日」にちなみ北見市内で今年も会場には子どもからお年寄りまで30人ほどが集まった。24年前に同会が最初に紙芝居にした「かわいそうなぞう」は、かつて小学校の教科書に載っていたが今はない。子ども達に伝えようと毎年のように上演している。臨場感溢れる語り口に、幼児も食い入るように見つめ、物語の世界に入り込んだ。
初披露のオリジナル作「電報」は会員の体験を題材にした作品。旧満州で生まれたことや収容所での生活、軍人だった父が捕虜になっていたこと、戦後の暮らしなどを絵で紹介しながら本人が語った。戦争中の子ども達の様子を紹介するオリジナル作「ヘイタイススメ」も上演した。
最後まで熱心に見ていた16歳の男子高校生は「『かわいそうなぞう』は見ていてつらくなり、涙が出てしまいました。『ヘイタイススメ』も当時の小学生がこんな教育を受けていたのかと興味深かったです」と心に深く刻みついた様子。
「ヘイタイススメ」を制作し、読んだ会長は「子どものころは命は国のためのものだと教えられて、自分もそう思っていた」と明かす。
今年は上演しなかったが、これまでに戦争で亡くなった兄のことを紙芝居にした「かつとし兄」も作っている。「妻や子、兄弟に看取られずに死んでいった兄をふびんに思う気持ちがある。いろいろ考えはあると思うが、兄貴のことを考えたら、平和を思うのは当たり前のこと」と語る。
「今年は天気にも恵まれ、通りがかりの人達もたくさん聞いてくれました。これからも、がいとう紙芝居を続けていきたい」と話している。 (菊)
北見 網走 オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩
2012/08/16掲載(北見市/本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=63609
連載 語り継ぐ戦争 (5)
心の奥の記憶よみがえる…
70年近く心の奥にしまいこまれていた戦争にかかわる記憶が蘇った。北見市常呂町土佐に住む、男性(83)が本紙10日付「常呂唯一の戦争遺跡」の記事を見て、旧・小高神社にあった監視小屋で自身が監視業務に当たっていたことを語った。戦後、家族の間ですら戦争について口を閉ざし、人々が「負けた戦争」の記憶を、あえて打ち消そうとした時代だったのだろう。
北見市常呂・男性(83)
本紙10日付け記事「常呂唯一の戦争遺跡」を見て
役に立つならと名乗り…「話せて良かった」
昭和3年10月、男性は旧・常呂村の肉屋の三男として生まれた。地元の尋常小学校高等科を卒業した17年春、当時はまだ13歳。就職が決まっていなかった男性に監視業務の依頼があった。業務は1週間に1日だけだったが、同じような若者5人とともに班を編成し24時間の勤務。2人が双眼鏡を持ち1時間、周囲を監視しそれを3時間おきに繰り返す。食事は100メートルほど離れた村役場でとるが、小屋の中には仮眠室や連絡用電話のある事務室のようなものがあり、30代の班長が責任者として待機していたという。
監視小屋は標高14メートルの浜に近い高台にあった。建物は木造の平屋建てだったが、屋根部分に直径3~4メートルの円形に板を打ち付けただけの物干し台のようなものがあり、その台の縁をぐるぐると回るように監視したという。主な対象は不審な飛行機や船舶、そして海岸線の異変。
「翌年の春まで勤務しましたが、友軍とみられる飛行機を2、3度見たくらいで、特別なことはなかった。当時は開戦から半年でまだ、戦況が優勢だったためか、緊張感はなかった」と話す。
翌年、函館に就職が決まり常呂を離れた。昭和20年7月、函館の勤務先の寮で爆撃を受けたが、仲間ともに難を逃れた。その後、帰郷し出征していた兄2人も戻って家族との生活を始めた。「当時、監視小屋が残っていたかどうかは分かりません。家では兄の戦争体験を聞くこともなかったし、自慢することでもないので自分の体験を話すこともなかった」という。
それから60年余り、自らの家族にも、友人にもこの体験を伝えていなかったが、小高神社の記事を見て「役に立つなら」と受話器をとった。
不都合な事実を隠さなければいけない風潮で、だれもが、敗戦という重荷を背負わされた時代でもあったのだろう。男性は最後に「話せてよかった」と語った。 (澄)
北見 網走 オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩
2012/08/17掲載(北見市(常呂町)/社会・本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=63639
関連記事:
アジア太平洋戦争は1945年8月、日本の敗戦で終わった。それから67回目の夏。戦争体験を伝え、平和を願う人たちに話を聞いた。(朝日新聞デジタル:マイタウン北海道)
2012夏 北海道(1)中国戦線の記憶
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20120812010950001.html
2012夏 北海道(2)占守島の戦闘
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20120813010950001.html
2012夏 北海道(3)メレヨン島
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20120814010950001.html
関連エントリー:
連載 語り継ぐ戦争、「終戦の痛恨の夏めぐり来て燃える夕陽がしづかに没む」(伝書鳩Web) – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/2010/08/20/072718
語り継ぐ戦争、鎮魂の歌曲(日本) – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/2011/08/15/005127
“I am a thousand winds that blow” – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/2011/08/31/001152
語り継ぐ戦争 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/語り継ぐ戦争
リリー・マルレーン の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/リリー・マルレーン
関連動画:
(リリー・マルレーンを聴いたことがありますか?)
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Lili Marleen (Marlene Dietrich Cover) – YouTube
Lili Marleen Sillken – YouTube
Lily Marlène (Marlène Dietrich Cover).wmv – YouTube
Theo Bleckmann (solo): Lili Marleen – YouTube
Lili Marlen (Arrgt. Daniele Bazzani) – YouTube
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Lili Marleen – Irene de Noiret und Männerchor – YouTube
Marlene Dietrich – Where Have All The Flowers Gone?
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「官邸かわら版」のお知らせ(2012/08/15)
≪今回の更新情報≫
総理のブログ:67年目の夏に(8/15掲載)
終戦から67年。本年もまた、鎮魂の夏が巡ってきました。
6日の広島。9日の長崎。そして、本日の終戦記念日。
それぞれの追悼の式典に参列し、あまたの戦没者の無念を想い、
平和への誓いを新たにいたしました。
※ 記事全文はこちらから
http://kawaraban.kantei.go.jp/2012/08/15blog.html
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野田総理官邸ブログ【官邸かわら版】
http://kawaraban.kantei.go.jp/
加藤 雅夫 より 2012 年 8 月 24 日 12:28