国際 カテゴリのアーカイブ

人民中国雑誌社の人民中国 (2022年1月号)

人民中国雑誌社の人民中国 (2022年1月号)

日本中国文化交流協会編集月刊誌の日中文化交流1月号と、人民中国雑誌社の人民中国1月号が送らてきました。日本と中国の皆様へご案内いたします。もし、ご関心がおありでしたら、日本中国文化交流協会へご連絡いただければ幸いです。一般財団法人 日本中国文化交流協会の会員 加藤雅夫 (北海道網走郡美幌町の音楽人 Masao Kato)

中国を知るための日本語総合月刊誌 人民中国 2022年1月号 / 特集 中国の未来を担うZ世代 / Repot Panda杯2021表彰式オンライン開催 / 美しい中国 松花江ほとりの氷雪の世界 (人民中国 2022年1月号)

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人民中国(People’s China)は、人民中国雑誌社が北京で出版する日本語雑誌。日本では東方書店から刊行されている。中華人民共和国政府傘下の紙媒体日本語雑誌としては、2010年時点で唯一のものである。 概要 / 1949年、中国のことを諸外国に知ってもらうための広報誌として誕生。1950年に英語版、1951年にロシア語版、1953年に日本語版が出された。 日本語版 / 北京と東京にオフィスがあり、中国と日本双方で印刷、販売している。時代の変化に合わせて何度かリニューアルしており、現在では日中の相互理解が編集上の重要なコンセプト。オールカラー。 (人民中国 – Wikipedia)

関連サイト

人民中国のウェブサイト

日本中国文化交流協会のウェブサイト

関連エントリ

人民中国雑誌社 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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2022年(令和4年) 1月の音楽

2022年(令和4年) 1月の音楽

HAPPY NEW YEAR (Abba)
Sonya First (mandolin)
ソンヤ・ファースト (マンドリン)

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ABBA アバ スウェーデンのポップスグループ (アバ – Wikipedia)

関連サイト

Sonya First – Facebook

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2022年(令和4年) 1月のイランカラプテ川柳

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2022年(令和4年) 1月のイランカラプテ川柳

投稿川柳

初夢はムダノマスクの行く末か
初夢は今年もいどむ苦の道を
新年の平安無事を祈念して (音楽人)

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イランカラプテ (Irankarapte) (こんにちは、はじめまして) 北海道アイヌ民族の言葉です。イ(それ)ラン(思い)カラプ(触れる)テ(させてください) 「あなたの心にそっとふれさせていただきます」の意。 川柳は17文字(5・7・5)自由詩。クリスマス川柳、ユーモア川柳、風刺川柳、しりとり川柳、病み上がり川柳、福祉川柳、介護川柳、時事川柳、ツイッター川柳などがあります。 皆様の温かい言葉をお寄せください。 自由調の「俳句」「和歌」「漢詩」「ポエム」「エッセイ」「コラム」「回文」「言葉遊び」などもどうぞお寄せください。

関連エントリー

イランカラプテ川柳 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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令和3年12月29日 佳子さま27歳の誕生日

令和3年12月29日 佳子さま27歳の誕生日

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佳子内親王 日本の女性皇族、秋篠宮文仁親王と紀子妃の第ニ女子、宝冠大綬章。佳子内親王(かこないしんのう、1994年〈平成6年〉12月29日 – )は、日本の皇族。身位は内親王。敬称は殿下[2]。お印はゆうな。勲等は宝冠大綬章。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第2女子。明仁(第125代天皇・上皇)の孫。徳仁(第126代天皇・今上天皇)の傍系(姪)にあたる。姉に小室眞子(眞子内親王)、弟に悠仁親王がいる。2021年(令和3年)現在、内親王としては最年長。住居は、東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にある秋篠宮邸で、改修工事に伴い、2022年(令和4年)3月まで「御仮寓所(ごかぐうしょ)」に仮住まいしている。2014年(平成26年)12月に成年皇族となり、宮中行事に参列するほか、公務に携わっている。少年の主張全国大会や全国高校生手話パフォーマンス甲子園、全日本高等学校馬術競技大会などの出席が恒例となっており、外国公式訪問を経験するなど、公務の幅を広げている。 (Wikipedia)

関連サイト

宮内庁のホームページ

関連エントリー

佳子さま の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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クリスマスの日 おくりもの

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クリスマスの日 おくりもの

ギター ナルシソ・イエペス
ダンス アナ・イエペス

皆様に希望の光り贈ります (美幌のサンタクロース)

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ナルシソ・イエペス記念館 – 美幌音楽人 加藤雅夫

ナルシソ・イエペス の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

アナ・イエペス の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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12月の映画音楽 クリスマス・ツリー

12月の映画音楽 クリスマス・ツリー

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クリスマス・ツリー (映画) / 『クリスマス・ツリー』(L’Arbre deNoël/The Christmas Tree)は1969年のフランスの映画。ミシェル・バタイユ(フランス語版)の同名ベストセラー小説を映画化した作品。 (Wikipedia)

関連サイト

映画「クリスマス・ツリー」ネタバレあらすじ結末と感想

関連エントリー

1969年のフランス映画 クリスマスツリー – 美幌音楽人 加藤雅夫

クリスマス・ツリー の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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令和3年12月23日 上皇明仁さま88歳の誕生日

令和3年12月23日 上皇明仁さま88歳の誕生日

明仁さまへ
明日という字は明るい日と書きます
明日も良い日でありますように (国民の祝日 平成の日)

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明仁 日本の上皇、第125代天皇 / 明仁(あきひと、(1933年〈昭和8年〉12月23日 – )は、日本の第125代天皇(在位: 1989年〈昭和64年〉1月7日 – 2019年〈平成31年〉4月30日)、上皇(在位: 2019年〈令和元年〉5月1日 – )。御称号は繼宮/継宮(つぐのみや)、お印は榮(えい)。敬称は陛下。勲等は大勲位。昭和天皇と香淳皇后の第1皇男子。皇子女に徳仁(第126代天皇)、秋篠宮文仁親王(皇嗣)、黒田清子(清子内親王)がいる。1989年1月7日の父・昭和天皇の崩御に伴い日本国憲法および現皇室典範下で初めて皇位を継承。翌8日に元号法と政令に基づき「平成」へ改元が行われた。また、2019年4月30日、皇室典範特例法に基づき憲政史上初めて譲位した。 (Wikipedia)

関連サイト

宮内庁ホームページ

関連エントリー

天皇家の皆さま方と美幌峠(美幌町) – 美幌音楽人 加藤雅夫

日本の皇室のご活動・ニュース (令和元年 秋) – 美幌音楽人 加藤雅夫

上皇上皇后両陛下について (日本) – 美幌音楽人 加藤雅夫

上皇 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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12月の楽曲 ジョン・レノンのイマジン

12月の楽曲 ジョン・レノンのイマジン

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イマジン (ジョン・レノンの曲) ジョン・レノンの楽曲 / 「イマジン」(Imagine)は、1971年に発表されたジョン・レノンの楽曲である。 (Wikipedia)

関連エントリー

ジョン・レノンとオノ・ヨーコの ハッピー・クリスマス (戦争は終った) の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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NHKラジオドラマコロの物語

NHKラジオドラマ コロの物語

私が9歳のころ、NHKのラジオドラマ「コロの物語」の放送が始まった。ある日、向かいの小間物屋の側に捨てられた2匹の子犬がダンボール箱に入れられていた。小間物屋の息子と私は子犬をそれぞれに持ち帰った。次の日の朝、小間物屋の息子が「コロ コロ」と呼んでいる。私も自分の子犬を「コロ コロ」と呼んだ。2匹の子犬は同じ名前を付けられたのだ。それからは、2匹の子犬は仲良く元気で育った。

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主人公の小犬・コロと飼い主のおじさんの愛情を描く連続ホームドラマ(1957年4月1日~1958年12月30日放送、全479回)。作 乾信一郎、音楽 小林秀雄。語り手 幸田弘子、出演 小柳徹、山田清ほか。

コロの物語 主題歌 作詞作曲 小林秀雄
お父さんは青い雲 いつもそっと見てるよきっと
お母さんはそよぐ風 いつもそっと囁くきっと
ワンコロワンワンコロコロ
ワンコロワンワンコロコロ
ワン、ワン、ワン

コロの物語 お母さんの唄 作詞 西沢実 / 作曲 小林秀雄
夢見ていたよ お母さん さめりゃ 野原をわたる風
どこかで どこかで 僕を呼んでるなあ

コロの物語 挿入歌
コロ コロ コロと みんなが呼ぶけれど
コロ コロ コロと 呼んでは行っちまう
一人ぼっちの風の中 一人ぼっちで泣いてみる
ワンワン でもさ でも僕 寂しかないな だって
この風この匂い どこかで 花は咲いているんだ
どこにも花は咲いているんだ

乾信一郎 / 信一郎(いぬい しんいちろう、1906年5月15日 – 2000年1月29日)は、日本の小説家、翻訳家。 来歴 / 米国シアトル生まれ。本名・上塚貞雄で、本名での著作もある。1912年、母とともに父母の郷里熊本県に戻りそこで育つ。青山学院高等部卒業。同商科在学中の1928年、翻訳が『新青年』に採用される。1930年卒業後、博文館に勤務し、『新青年』に探偵小説を書く。1935年『講談雑誌』編集長、1937年『新青年』編集長。1938年フリーとなり、文筆に専念。戦後「青いノート」「コロの物語」などNHK連続放送劇の脚本を手がける。ユーモア小説、動物小説を多く書いたが、探偵小説やミステリー小説などの翻訳も数多く手がけた。筆名は当初「乾信四郎」(かんしんしろう)としていたが、「あんまりしゃれが露骨で気がひけ」たため「乾信一郎」と改めた。 (Wikipedia)

関連エントリー

コロの物語 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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同志社大学マンドリンクラブについて

同志社大学マンドリンクラブについて

La Società Mandolinistica dell’Università Doshisha
同志社大学マンドリンクラブ

関連サイト

マンドリンオーケストラ – Wikipedia

マンドリンクラブ – 同志社大学 課外活動 Dlive

同志社大学マンドリンクラブのホームページ

SMD会Web通信 SMD会は同志社大学マンドリンクラブを卒部したOB・OGの団体です

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ウィリアム・メレル・ヴォーリズ の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

同志社大学マンドリンクラブ の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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