日本の書家 金澤翔子さんと母・泰子さん (北海道北見市)
日本の書家 金澤翔子さんと母・泰子さん (北海道北見市)
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席上揮毫と講演(北見市/社会・文化)ダウン症の書家・金澤翔子さんと母・泰子さん / ダウン症の書家、金澤翔子さんの席上揮毫(きごう)と、母・泰子さんの講演が22日、北見市内のホテル黒部で開かれた。泰子さんは子育てで困難や試練に直面したことで人生の活路を見いだすことができたと語り「闇の中にこそ光がある」と聴衆にメッセージ送った。翔子さんによる揮毫は縦1メートル、横3.6メートルほどの紙に「共に生きる」と軽妙な筆致で書き上げ、感動を誘った。 苦悩の子育て振り返り 「闇の中にこそ光がある」 / 泰子さんは、翔子さんが5歳の時から書を指導。現在は久が原書道教室を主宰する傍ら、東京芸術大学評議員や日本福祉大学客員教授を務めている。翔子さんは近年、数々の寺社への奉納揮毫やNHK大河ドラマ「平清盛」の題字を書いたことなどで注目されている。 泰子さんは1985年に翔子さんを出産。医師からダウン症と告知を受けた時は「苦しみに暮れました。一緒に死のうとも考えました」。しかし、その悲しみは時間の経過とともに薄れ、現在は幸せと語り「翔子にはできるはずがないと思っていたこともできるようになりました。障がい児の親の希望になれば」と、山あり谷ありの親子の歩みを振り返った。 困難に直面したエピソードとして、翔子さんが小学4年生の時に普通学校から特別支援学校への転校を勧められたことを明かした。泰子さんは、うまくいっていたと感じていた学校生活を否定されたと思い、やるせない気持ちから翔子さんを学校に通わせることなく約半年間、2人で過ごしたという。 途方に暮れ、あり余る時間で翔子さんに「般若心経」を書かせることを決意。涙を流しながらも毎日書き続けた経験が「翔子の書の基本を作り上げました」と語った。 また、翔子さんが高校卒業後に通う予定だった作業所のトラブルで入所を断念した時は「翔子が20歳になったら個展をしよう」という亡き夫の言葉を実現するため、親子で書作に励んだ。この個展がメディアに取り上げられ、翔子さんの書家としての道が開かれた。 困難を乗り越えた経験から、泰子さんは「闇の中にこそ、大きな光はあるものなのだと実感しました。人生は何が待ち受けているのか分からないですね」と締めくくった。 講演会は、女性経営者らでつくる北見商工会議所女性会の月例会。今回は一般にも公開し、障がいのある子を育てる親や書道愛好者ら500人が来場した。(理) (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)
金澤 翔子(かなざわ しょうこ Shoko Kanazawa、1985年6月12日 – )は、東京都目黒区生まれの書家。母も同じく書家の金澤泰子。号は小蘭(号の場合、苗字は金沢)。 経歴 / 母・泰子が高齢出産にあたる42歳で翔子を出産。新生児期に敗血症にかかり、後にダウン症と診断される。当初はその事実を知った泰子は我が子と共に死のうとも考えたが、夫の熱心な想いと遅咲きながらも少しずつ育っていく子の姿を見て思いとどまったという。金澤の書道は母の師事によるものから現在の作風に至っている。講演会や個展、席上揮毫などに金澤が出席する際には必ず泰子が同席している。271文字の般若心経を練習し、字を見て父親が誉めてくれた。趣味は、カラオケとプール。カラオケはモーニング娘。を歌うことが好きで、俳優の小池徹平のファン。マイケルジャクソンの大ファンでもある。好きな文字は「夢」。 (金澤翔子 – Wikipedia
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