2018 年 07 月のアーカイブ
北海道津別町の婚姻届記念品贈呈事業 (2018年)
北海道津別町の婚姻届記念品贈呈事業 (2018年)
離婚届記念品贈呈事業、ありません。
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つべつ町のお知らせ / 婚姻届記念品贈呈事業を開始します! 平成30年7月より、津別町へ婚姻届を提出された方へ記念品の贈呈を開始します。(受け取りは任意です。) また、婚姻予定の方については、津別町オリジナル婚姻届も作成しましたので、ぜひご活用ください! 配布は下記の問い合わせ先にて配布しております。掲載ページはこちら《クリック》 <問い合わせ先> 保健福祉課 戸籍年金担当 76-2151(内線223)。 (愛林のまち津別町 つべつ町のお知らせ 婚姻届記念品贈呈事業を開始します!)
津別町婚姻届記念品贈呈事業の実施について / オリジナル婚姻届やフレーム贈呈などのサービスを実施します! 平成30年7月より、津別町へ婚姻届を提出される方に対しフレームや記念撮影対応など婚姻記念事業を開始します。また、結婚を予定されている方には津別町オリジナル婚姻届をお渡ししますので、ぜひ窓口へお申し出ください。①津別町オリジナル婚姻届 ピンクのかわいい婚姻届を用意しました! ②フレームの贈呈 A3サイズを収納できる木製フレーム! ③記念撮影対応 婚姻届の提出前に記念撮影などを希望される方は対応します! デジタルカメラやスマートフォンなど撮影機器はご自身でご用意ください。問い合わせ先 / 津別町役場保健福祉課 戸籍年金担当(8番窓口) 電話76-2151(内線223)。 (つべつ 緑のふるさと 愛林のまち津別町 婚姻届記念品贈呈事業を開始します!)
婚姻届がオリジナルデザ 津別町が7月から / 津別産認証材のフレームも贈呈 双子の桜やまる太くんが登場 希望者には写真撮影も / 津別町は7月から、婚姻届をオリジナルのデザインに切り替える。届を提出するカップルには、津別産の認証材を使ったフレームを贈るほか、希望者するカップルには職員が記念撮影にも応じる。結婚の節目に思い出づくりのお手伝いができればと「婚姻届記念品贈呈事業」として始める。婚姻届はこれまで、茶色の単色刷りだった。オリジナル婚姻届はピンク色の単色刷りで、共和に自生する「双子の桜」の下で寄り添うカップルを描いたほか「婚姻届」の文字の横に町のキャラクター「まる太くん」を小さくあしらった。すでに戸籍担当窓口で配布しており、7月1日から受け付ける。戸籍年金担当の職員が、双子の桜とまる太くんそれぞれをメーンにした2種類のデザインを制作。女性職員に好評だった双子の桜の方を採用した。また、提出したカップルにはA3サイズの届のカラーコピーを収められるフレームを贈る。フレームはSGEC(エスジェック)認証を受けた町産トドマツ製。「永遠にお幸せに」の文字が入り、写真などを飾ることもできるよう内側をコルク張りにした。さらに、届け出たカップルには担当職員が記念撮影をするかたずね、希望するカップルのカメラのシャッターを切る。撮影場所は庁舎周辺をはじめ、町長室や町のロゴ入りの背景がある会議室なども想定している。町への婚姻届の提出は過去3年間で平均12件ほどだが、本籍や住所などにかかわらず、どの自治体でも提出できる。昨年、自らが結婚した際にサービスの必要性を実感したという戸籍年金担当の女性(29)は「多くの方が津別町を知り、訪れるきっかけになれば」と話している。(浩) (2018年6月30日の記事 経済の伝書鳩)
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北海道美幌町の広報びほろ(2018年 7月号)配信されました
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広報びほろ 平成30年度 7月号 / 内容 / 後期高齢者医療制度 / 受給者証更新 / しゃきプラ教室 / 新庁舎建設 / 保育士等募集 / 国民健康保険 / 介護保険認定証、子ども医療費助成 / 社明運動、献血 / 高齢者検索機器貸出、空き家調査報告 / 妊婦検診、若者検診 / 収納対策、年金追納、みまもり隊 / お仕事説明会、bihoro star nightなど / まちの話題 / 今月のお知らせ / 健康 / 子育て / マナセン・トレセン・図書館・博物館 / 交通安全、消費生活相談など / 美幌観光和牛まつり / カレンダー。 (広報びほろ – 美幌町)
広報掲載内容 / 庁舎建設についての方針や経過などを町広報でお知らせしております。内容についてのご質問や広報でとりあげて欲しい庁舎建設に係る情報がありましたら事務局(総務部総務グループ庁舎建設担当)までご連絡ください。 (広報掲載内容 | 美幌町ホームページ)
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宝塚歌劇団の作曲家・指揮者 須藤五郎 (日本の音楽家)
宝塚歌劇団の作曲家・指揮者 須藤五郎 (日本の音楽家)
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須藤 五郎(すどう ごろう、Gorou Sudou、1897年9月14日 – 1988年11月18日)は、日本の音楽家、政治家。元日本共産党参議院議員(4期)。筆名は鳥羽英夫。来歴 / 三重県鳥羽市出身。旧制東京音楽学校(東京藝術大学音楽学部の前身)を卒業後、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)で教鞭を執るかたわら、1922年からは宝塚歌劇団の作曲家、指揮者に就任。1928年に発生した三・一五事件で日本共産党中央委員会が壊滅する中、地下活動を続ける党に対し資金援助を行ったため、1930年2月に検挙され投獄される。留置場で作曲した「しぐれに寄する抒情」は後に三浦環により愛誦された。1935年にドイツに渡りゲオルク・シューマンに師事。1938年から1939年にかけてドイツ、ポーランド、イタリアの各都市で行われた宝塚歌劇団第1回ヨーロッパ公演では指揮を担当する楽長となる。 戦後は宝塚労働組合を結成し、委員長となる(副委員長は春日野八千代・天津乙女)が不当解雇の憂き目に遭う。1948年に共産党に入党、1949年11月に大阪で結成された「関西勤労者音楽協議会」(関西労音)の初代会長となる。1950年6月4日の第2回参議院議員通常選挙で全国区から出馬し初当選。以後1959年、65年、71年の各参院選において、初当選時と同じく全国区から立候補し当選を果たす。この間党内では国会対策委員長や名誉中央委員なども歴任した。また、芸術家としての立場から、同僚の瀬長亀次郎、古堅実吉両衆院議員らとともに、国立劇場おきなわ(沖縄県浦添市で2004年1月開場)設立に尽力したことでも知られる。1988年11月18日、急性呼吸不全のため、大阪府堺市の同仁会耳原総合病院で死去。91歳。主な作品 / その他 / 開基50年記念歌 美幌町町歌 ー 1937年(昭和12年)制定、作詞 大塚郷湖、作曲 須藤五郎、歌手 塩まさる。開基50年記念歌 美幌小唄 ー 1937年(昭和12年)制定、作詞 大塚郷湖、作曲 須藤五郎、歌手 美ち奴。 (須藤五郎 – Wikipedia)
宝塚歌劇団(たからづかかげきだん、英: Takarazuka Revue Company)は、兵庫県宝塚市に本拠地を置く歌劇団。阪急電鉄の一部門であり、阪急阪神東宝グループのエンターテイメント・コミュニケーション事業運営であることから、運営は阪急の直営であり、阪急電鉄創遊事業本部歌劇事業部が行っている。このため、歌劇団員は阪急電鉄の従業員となっている。理事長は小川友次。 (宝塚歌劇団 – Wikipedia)
宝塚音楽学校(たからづかおんがくがっこう)は、予科・本科合わせて2年制の、宝塚歌劇団団員養成所である。学校教育法上は兵庫県認可の各種学校となっている。概要 / 阪急電鉄の出捐で設立した。設置者は学校法人宝塚音楽学校(兵庫県知事所轄、各種学校)。理事長は角和夫。名誉校長は小林公平。副校長は2010年9月現在、今西正子。沿革 / 1913年(大正2年)7月 – 小林一三が宝塚唱歌隊を設立。12月 – 宝塚少女歌劇養成会と改めた。1919年(大正8年)1月 – 養成会を解散し宝塚音楽歌劇学校を設立(音楽学校と歌劇団は一体である)。1939年(昭和14年) – 宝塚音楽舞踊学校と改称し、宝塚歌劇団と分離。1946年(昭和21年) – 宝塚音楽学校に改称。 (宝塚音楽学校 – Wikipedia)
美幌町ゆかりの有名人 / 須藤五郎 ー 日本の音楽家。開基50年記念歌 美幌町町歌 ー 1937年(昭和12年)制定、作詞 大塚郷湖、作曲 須藤五郎、歌手 塩まさる。開基50年記念歌 美幌小唄 ー 1937年(昭和12年)制定、作詞 大塚郷湖、作曲 須藤五郎、歌手 美ち奴。 (美幌町 – Wikipedia)
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須藤五郎作曲の 記念歌 「美幌町町歌」 (初代) ー 美幌音楽人 加藤雅夫
Gorou Sudou の検索結果 – 美幌音楽人 加糖雅夫
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小林一三の宝塚唱歌隊 (宝塚歌劇団)
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7月1日 歴史 / 1913年 小林一三が宝塚唱歌隊を結成。(7月1日 今日は何の日~毎日が記念日~)
7月1日 できごと / 1913年 – 小林一三が宝塚唱歌隊を結成。後の宝塚歌劇団。(7月1日 – Wikipedia)
小林 一三(こばやし いちぞう、Ichizo Kobayashi、1873年(明治6年)1月3日 – 1957年(昭和32年)1月25日)は、日本の実業家、政治家。阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。号は逸翁、別号に靄渓学人、靄渓山人。旧邸雅俗山荘は逸翁美術館。日露戦争後に大阪に出て、鉄道を起点とした都市開発、流通事業を一体的に進め、六甲山麓の高級住宅地、温泉、遊園地、野球場、学校法人関西学院等の高等教育機関の沿線誘致など、日本最初の田園都市構想実現と共に、それらを電鉄に連動させ相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた。政界では、第2次近衛内閣の商工大臣を務めて革新官僚の商工次官・岸信介と対立、1941年(昭和16年)から貴族院勅選議員、幣原内閣で国務大臣、初代戦災復興院総裁を歴任したが、戦後、公職追放となった。概要 / 阪鶴鉄道で監査役を務めていた頃
阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道をはじめ、交通、住宅地経営の不動産業、阪急百貨店の小売業、東宝・宝塚歌劇団・阪急ブレーブスの興行業など、阪急東宝グループを成す数多くの事業を興したことで知られる。来歴・人物 / 1914年(大正3年)4月には、当時人気を得ていた三越の少年音楽隊を模して宝塚唱歌隊、後の宝塚歌劇団を創り上げ、沿線を阪急グループの聖地といわせるほどに発展させていく。(小林一三 – Wikipedia)
宝塚歌劇団(たからづかかげきだん、英: Takarazuka Revue Company)は、兵庫県宝塚市に本拠地を置く歌劇団。阪急電鉄の一部門であり、阪急阪神東宝グループのエンターテイメント・コミュニケーション事業運営であることから、運営は阪急の直営であり、阪急電鉄創遊事業本部歌劇事業部が行っている。このため、歌劇団員は阪急電鉄の従業員となっている。理事長は小川友次。沿革 / 歴史 / 黎明期 / 阪急電鉄の前身、箕面有馬電気軌道創始者の小林一三が、三越少年音楽隊や白木屋少女音楽隊に想を得て、1913年(大正2年)に結成した宝塚唱歌隊が前身。同年12月に宝塚少女歌劇養成会に改称。1919年(大正8年)、私立学校としての認可が下り宝塚音楽歌劇学校設立。少女歌劇養成会は解散し、新たに宝塚少女歌劇団として発足。年譜 / 1913年(大正2年)7月 – 阪急電鉄内に宝塚唱歌隊(この年の12月に宝塚少女歌劇養成会に改称)を組織。1919年(大正8年)1月 – 宝塚音楽歌劇学校を創立。宝塚少女歌劇養成会は解散し、生徒と卒業生から組織される宝塚少女歌劇団に改称。1939年12月 – 宝塚音楽歌劇学校が改称し、宝塚少女歌劇団と宝塚音楽舞踊学校に分離。1940年10月 – 宝塚少女歌劇団を宝塚歌劇団に改称。(宝塚歌劇団 – Wikipedia)
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宝塚歌劇の歩み(1914年-1922年) | 宝塚歌劇公式ホームページ – 宝塚歌劇団
宝塚歌劇一期生、・・・宝塚唱歌隊として発足 つぶやき館/ウェブリブログ
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7月1日 国民安全の日 (全国安全週間)
7月1日 国民安全の日 (全国安全週間)
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国民安全の日(こくみんあんぜんのひ)とは、日本国民の一人ひとりが施設や行動面での安全確保に留意し、交通安全、火災等の災害発生の防止を図る国民運動を啓発するための記念日。国民安全の日(こくみんあんぜんのひ)とは、日本国民の一人ひとりが施設や行動面での安全確保に留意し、交通安全、火災等の災害発生の防止を図る国民運動を啓発するための記念日。 (国民安全の日 – Wikipedia)
全国安全週間(ぜんこくあんぜんしゅうかん)は、毎年7月1日から7日までの7日間、職場における労働災害防止活動の大切さを再確認し、積極的に安全活動に取り組みをする期間、制度である。 厚生労働省と中央労働災害防止協会が主唱。 最初の安全週間は、地域的なものであり、1919年6月15日から21日まで東京市及び、その周辺の隣接町村で、蒲生俊文、内田嘉吉、池田清、棚橋源太郎らの先駆者によって、盛大に行われた。1928年に第1回全国安全週間が内務省社会局の主催により全国で統一して行われた。1947年7月1日から7日までの7日間、労働省が主催して行い、1950年に、6月1日から6月30日までの1ヶ月間を準備期間、7月1日から7日までのろ7日間を本期間と制度が改正され、現在に至っている。 また1960年5月に、閣議了解で7月1日を「国民安全の日」と定めた。第1回から現在まで毎年スローガンが掲げられているが、第18回 – 33回においては、戦時中の産業報国運動に対する批判によりスローガンは無い。スローガンは、「みんなでつなぎ 高まる意識 達成しようゼロ災害」。 (国民安全週間 – Wikipedia)
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イランカラプテの川柳 (2018年 7月) 開始です
- 2018年07月01日(日) 0:06
- カテゴリ: Facebook, Twitter, お知らせ, オホーツク, ギター, 健康・福祉, 北海道, 国際, 川柳コーナー, 日常生活, 日本, 美幌町, 音楽
- この記事へのコメントはまだありません。
イランカラプテの川柳 (2018年 7月) 開始です
イランカラプテ (Irankarapte) (こんにちは、はじめまして)、北海道アイヌ民族の言葉です。イ(それ)ラン(思い)カラプ(触れる)テ(させてください)。「あなたの心にそっとふれさせていただきます」の意。
川柳は17文字(5・7・5)自由詩。ユーモア川柳、風刺川柳、しりとり川柳、病み上がり川柳、福祉川柳、介護川柳、時事川柳、ツイッター川柳などがあります。皆様の温かい言葉をお寄せください。 自由調の「俳句」「和歌」「漢詩」「ポエム」「エッセイ」「コラム」「回文」「言葉遊び」などもどうぞお寄せください。投稿は、こちらです。masao.kato@docomo.ne.jp
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7月(しちがつ)はグレゴリオ暦で年の第7の月に当たり、31日ある。日本では、旧暦7月を文月(ふづき、ふみづき)と呼び、現在では新暦7月の別名としても用いる。文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっている。しかし、七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、元々日本にはないものである。そこで、稲の穂が含む月であることから「含み月」「穂含み月」の意であるとする説もある。また、「秋初月(あきはづき)」、「七夜月(ななよづき)」の別名もある。異名 / おみなえしづき・をみなえしづき(女郎花月)、けんしんげつ(建申月)、しんげつ(親月)、たなばたづき(七夕月)、とうげつ(桐月)、ななよづき(七夜月)、はつあき(初秋)、ふづき(七月・文月)、ふみひろげづき(文披月)、めであいづき(愛逢月)、らんげつ(蘭月)、りょうげつ(涼月)。「7」や「七」は「しち」の他に「なな」とも呼称するが、歴史的には「しち」の方が古い。これらの経緯から日本では伝統的に「しちがつ」と呼称されてきたが近年では「1月(いちがつ)」と聴き違うという理由から、わざと「なながつ」と呼称する者が若者を中心に増えてきており、政府の公式発表時においても「なながつ」と呼称することがある。(7月 – Wikipedia)
川柳の投稿(2018年 7月1日の投稿)
「指先で 点字新聞 読む早さ」(美幌の視覚障害者)
「盲友の 食事は手箸 うまそうだ」(美幌の座頭雅)
「江戸時代 ええじゃないかの 踊り歌」(美幌人)
「世直しの ええじゃないかは お目出たい」(タイガーマスク)
「平成の ええじゃないかは YOSAKOIで」(北海道人)
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