テディベア (Teddy bear) について
テディベア (Teddy bear) について
関連記事
テディベア(Teddy bear)は、クマのぬいぐるみのことである。その名前は、第26代アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトに由来する。由来 / 1902年の秋、ルーズベルト大統領は趣味である熊狩りに出かけたが、獲物をしとめることができなかった。そこで同行していたハンターが年老いた雌熊(一説には傷を負った子熊)のアメリカグマを追いつめて最後の1発を大統領に頼んだが、ルーズベルトは「瀕死の熊を撃つのはスポーツマン精神にもとる」として撃たなかった。このことが同行していた新聞記者のクリフォード・ベリーマンによって記事にされ、『ワシントン・ポスト』紙に挿絵入りで掲載された。この挿絵のベアは「ベリーマンベア」と呼ばれた。このルーズベルトの逸話に触発されて、ロシア移民モリス・ミットムがアイデアル社(Ideal Novelty & Toy)を興し、熊の縫いぐるみを製造したのが、アメリカ国内初のテディベア・メーカーといわれている。一方、同じ頃にドイツのマルガレーテ・シュタイフの興したシュタイフ社(Steiff firm)によって、元々はルーズベルトの逸話と無関係に1902年に作られた熊の縫いぐるみが大量にアメリカに輸入されており、その発注が1903年3月のライプツィヒのトイ・フェアへの出典に端を発するなど公的記録が残されていることから、世界初のテディベアメーカーとしてはシュタイフ社とする説もある。また1904年のセントルイス万国博覧会ではシュタイフ社のテディベアが出品され、グランプリを受賞している。いずれにしても、テディベアという呼称は新聞記事が最初であり、独占的な商標でないことに変わりはない。テディベアの歌 / 1957年にエルヴィス・プレスリーが「君のテディベアになりたい」と歌い、全米で7週間もの間1位を獲得したエルヴィス2作目の映画『さまよう青春』の挿入歌である。映画の制作時期にエルヴィスが「テディベアは大好き」とインタビューに答えたところ、ファンから大量のテディベアが届いたため、映画会社があわてて作らせて歌わせた逸話がある。その年のクリスマスにエルヴィスは数千個のテディ・ベアを国立小児麻痺財団に寄贈した。日本ではあまり馴染みがないため、TVシリーズ『フルハウス』の中でエルヴィス・ファンであるジェシーがミシェルのために歌う子守唄の原曲であることを知る人は少ない。シュタイフ社ではヒット曲にあやかり The Elvis Bear という限定テディベアを1994年に発売した。リボンにエルヴィスの写真がプリントされ、左足に「Elvis」の刺繍、そして体内に「Teddy Bear」のオルゴールが埋め込まれた製品となっている。テディベアの日 / セオドア・ルーズベルトの誕生日である10月27日が「テディベアの日」と言われているのは、世界的な記念日ではないが、愛好家たちが設定している記念日である。日本では日本テディベア協会がルーズベルトの逸話にちなみ「相手の事を思いやる気持ち」をベアを通して伝える日にしようと提唱している。 (テディベア – Wikipedia)
関連サイト
シュタイフ テディベア110周年|チャリティーミュージアム-天空の森展- 公式サイト
関連エントリ
ツイッター (Twitter)
フェイスブック (Facebook)
- 一つ新しい記事: テディベアの歌 Teddy bear (song)
- 一つ古い記事: マイケル・ジャクソン (Michael Jackson) について
コメントをどうぞ
- お名前とメールアドレスは必ず入力してください。
(メールアドレスは管理者にのみ通知され、コメント一覧には表示されません) - いただいたコメントは管理者の承認が必要となる場合がありますのでご了承ください。
コメント
コメントはまだありません。